真鍋 政之(まなべ まさゆき、1908年3月31日[1] - 1978年9月1日[1])は、日本政治家北海道深川市長(3期)。

来歴

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1927年北海道庁小樽商業学校[2]。戦後、深川町議会議員となる。1949年に議長に就任し、2期務める[2]1956年深川町長選挙に立候補し当選。以後、1963年に合併するまで務める[2]。同年、自治庁長官表彰を受ける[2]。1963年、合併により深川市が発足。これによる市長選挙に立候補したが、旧一已村長の宮崎正一に敗れた。1967年の市長選挙に再び立候補し、現職の宮崎を破って初当選した。市長就任後に北空知衛生センターの開所。深川市立総合病院の改築。市民会館の完成。市立看護学院の開院。公共下水道の整備などを進めた[2]。また、第二次農業構造完全事業の着手や農村工業導入地区の指定など、地場産業の発展に貢献した[2]1970年には隣接する多度志町を編入し、市域を拡大した。3期目途中の1978年、現職のまま死去した。

脚注

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  1. ^ a b 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、15頁。
  2. ^ a b c d e f 『日本の歴代市長』第1巻、161頁。

参考文献

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  • 歴代知事編纂会編『日本の歴代市長』第1巻、歴代知事編纂会、1983年。
  • 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年。