井上芳佐
大日本帝国陸軍軍人
井上 芳佐(いのうえ よしすけ、1892年(明治25年)1月13日[1] - 1980年(昭和55年)10月19日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
井上 芳佐 | |
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生誕 |
1892年1月13日 日本 山口県 |
死没 | 1980年10月19日(88歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1913年 - 1945年 |
最終階級 | 陸軍中将 |
経歴
編集1892年(明治25年)に山口県で生まれた[1]。陸軍士官学校第25期、陸軍大学校第33期卒業[1]。1936年(昭和11年)8月に陸軍歩兵大佐に進級し[2]、陸軍戦車学校教官に着任[2]。1937年(昭和12年)に陸軍戦車学校幹事[2]、1938年(昭和13年)に戦車第5連隊長を歴任した[2]。
1939年(昭和14年)8月1日に陸軍少将進級と同時に留守第5師団司令部附となる[1][2]。10月2日に第39歩兵団長(第11軍・第39師団)に就任し[1]、日中戦争に出動[1]。宜昌作戦に参加し、宜昌を攻略した[1]。1940年(昭和15年)に千葉陸軍戦車学校長に転じ[1]、1941年(昭和16年)に陸軍機甲本部附を経て[1]、1942年(昭和17年)に南満陸軍造兵廠長に着任[1]。1944年(昭和19年)2月14日に独立混成第35旅団長(南方軍・第29軍)に就任し[1]、ポートブレアの守備に当たった[1]。同年10月26日に陸軍中将に進級[2]、1945年(昭和20年)5月23日に第94師団長に親補され[1]、スンゲイパタニで守備に当たった[1]。
栄典
編集- 勲章等
- 1940年(昭和15年)8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章[4]
脚注
編集参考文献
編集- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。