成玄英
成 玄英(せい げんえい[1][2]、じょう げんえい[3]、拼音: 、生没年不詳[1]、7世紀中ごろ)は、中国初唐の道士[1]。道教重玄派に属する[1]。『荘子』などの注釈者として知られる。
人物 編集
姓は成。名は英。名に「玄」を冠するのは重玄派道士の慣習[4][1]。字は子実。長安の道観「西華観」に居住したことから西華法師とも称される[4]。
陝州(現河南省)の人[1]。早く東海に隠棲していたが、貞観5年(632年)に召し出され上京[4]。初唐の老子尊崇の只中で理論派道士として活躍し、仏僧と論争したり、『三皇経』の真偽鑑定に参加し真作としたり、玄奘も参加した『老子』サンスクリット語訳に参加したりした[5]。しかし永徽年間(650年 - 655年)に何らかの罪状で郁州に流謫され、同地で著述に専念した[5]。
著作 編集
脚注 編集
参考文献 編集
- 砂山稔「成玄英の思想について 重玄と無爲を中心として」『日本中国学会報』第32号、日本中国学会、1980年。 NAID 40002986003 。
- 再録: 砂山稔『隋唐道教思想史研究』平河出版社、1990年。ISBN 9784892031755。
- 麥谷邦夫 著「成玄英」、尾崎雄二郎; 竺沙雅章; 戸川芳郎 編『中国文化史大事典』大修館書店、2013年、675頁。ISBN 9784469012842。
関連文献 編集
- 関正郎『荘子の思想とその解釈 郭象・成玄英』三省堂、1999年。ISBN 9784385314112。