長井琳章
長井 琳章(ながい りんしょう、1818年8月27日(文政元年7月26日) - 1900年(明治33年)10月7日[1])は、江戸時代後期の儒学者。徳島藩医。
別名 | 長井長済 |
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生誕 |
1818年8月27日 (文政元年7月26日) |
死没 | 1900年(明治33年)10月7日 |
時代 | 江戸時代 - 明治時代 |
地域 | 日本 |
配偶者 |
興津田鶴子 増田静子 |
両親 | 長井琳策 |
子供 | 長井長義 |
学派 | 本草学 |
研究分野 | 本草学 |
影響を受けた人物
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影響を与えた人物
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生涯
編集1818年(文政元年)、阿波国名東郡常三島村(現在の徳島市中常三島町)で徳島藩医である長井琳策(才右衛門武吉)の子として生まれる。初め琳泉と称した。名は長済。通称は琳章。妻は興津田鶴子[2]、後妻は増田静子[3]。
1845年(弘化2年)に田鶴子との間に長男の長義が誕生。1858年(安政5年)、父・琳策の名代として家督を継ぐ[4]。