御料車

日本の天皇および皇族が乗車するための自動車

御料車(ごりょうしゃ)は、日本天皇および皇族が乗車するための特別な車両。「御料」とは、高貴な人の所有物・利用物の意(他には「御料牧場」「御料馬」「御料林」「御料地」などがある)。宮内庁は「御料車は、天皇皇后両陛下がご乗用になる車両」と明記しており[1]、本項目では、天皇皇后が乗車する、近代以降の自動車の御料車を中心的に記述する。

御料車専用車種のトヨタ・センチュリーロイヤル/2019年(平成31年)3月26日撮影
即位の礼・祝賀御列の儀においてトヨタ・センチュリー特別仕様オープンカーから観衆に手を振る第126代天皇徳仁皇后雅子

なお、他国の王室が使用する車両(公用車)に対してもこの表記が使用される場合がある。

概要 編集

自動車の御料車は「の自動車」とも呼ばれ、国賓来訪の接遇国会や地方への行幸啓などの公式行事のほか、私的外出でも使用される。

2019年(令和元年)時点では、天皇・皇后用の御料車のナンバー(管理番号)には「」と「品川」があり、通例として公式行事での使用の際には「皇」ナンバー車が使用される[1]。「皇」ナンバー車のナンバープレートは丸いバッジ状でフロントグリルの端とリアライトの横に取り付けられており、本来ナンバープレートがある位置と後部ドアに菊の紋章が標記されている。また公式行事における使用の際にはボンネットに紅の地に金の菊花紋章が描かれた「天皇旗」が取り付けられる。天皇・皇后の公的な行幸啓の際にはトヨタ・センチュリートヨタ・センチュリーロイヤルが使用されている。

御料車は、宮内庁管理部車馬課が保有して日常の整備と車検を行っており、基本的に係長クラスの専属の操縦員(お抱え運転手)が運転する。

通常は天皇・皇后の行幸啓の行程の中で両者が同一の行先に向かう場合には御料車の後部座席に並んで座乗するが、伊勢神宮に参拝する際には剣璽動座が行われて、行程により天皇の座席の両隣に天叢雲剣八尺瓊勾玉が載せられるため、同一の行先でも天皇と皇后が別々の車で車列を組んで移動することがある。

 
皇宮警察の警護車列(白バイ・側車・警護車)に護衛される御料車

基本的に、御料車は、車両交通を厳格に制限するなど交通が完全にあるいはある程度に整えられたうえで運用・走行される[2]ものであるが、少なくとも日本国憲法の下で運用される現在の御料車は、それでも起こる不測の事態として緊急車両救急車消防車など)が通行する際は、一般車両と同様、道路交通法第40条に則って緊急車両に道を譲り、一時停止などをする[3]。このようなケースは、2019年(令和元年)6月2日の愛知県などで数件、実際に起こっている[注 1]

代表的車種の歴史 編集

それまでの儀装馬車に代わり、初めて自動車の御料車が導入されたのは1912年大正元年)であった。ただし、御料車の導入によって儀装馬車が廃止されたわけではなく、宮内庁の乗り物として両者は並存し、大正時代以来現在まで、状況に応じて使い分けられてきている[5]。もっとも、日本国民や国際社会の関心を集めるような皇室の大きな行事では、もっぱら御料車が用いられるようになって久しい。儀装馬車の主な運用実績[5]を見る限り、平成時代の初期にターニングポイントがあったと思われる。

以下に御料車の代表的車種を列記する。

デイムラー・ランドレー57.2HP 編集

 
初代御料車と同型、ジョージ5世が使用した車

1912年(大正元年)の大正天皇即位時に、当時の自動車先進国で、日英同盟を結ぶなど親密な関係にあったイギリスから輸入されたデイムラー・ランドレー57.2HP(直列6気筒・ナイト式ダブル・スリーブバルブエンジン車)が史上初の自動車の御料車となった。

デイムラーはイギリス王室で初めて御料車に採用された車であり、その実績を評価されての導入であった。選定に携わったのはイギリス留学中に自動車レースに出場経験があり、日本最初の自動車輸入会社「日本自動車」を設立・経営していた大倉喜七郎であった。

当該御料車は当時イギリス王室に納入されたデイムラー最新モデルと同型であり、イギリス王室からの影響の強さがうかがわれる。皇室の色である溜色に塗装され、菊の御紋がドアに付けられた他は、特別な装備はなかった。1927年まで使用された。この車を契機として、皇室にはイギリス車が多く採用されてゆくことになる。

ロールス・ロイス・シルヴァーゴースト 編集

 
ロールス・ロイス・シルヴァー・ゴースト(同型車)
 
1924年(大正13年)、皇太子裕仁親王と良子女王との結婚の儀における御料車

1921年(大正10年)に2台が導入されたロールス・ロイス・シルヴァーゴースト(フーパー製リムジンボディ)。輸入を請け負ったのは当時の日本におけるロールス・ロイス代理店になっていた東京瓦斯電気工業(現在のいすゞ自動車日野自動車ハスクバーナ・ゼノアの前身)。

導入後の1923年(大正12年)に日本とイギリスとの同盟関係は失われたものの、その後昭和天皇時代の1936年昭和11年)まで使用された。1923年に起きた暗殺未遂事件「虎ノ門事件」ではこのロールス・ロイスのうち1台が被災車となり、銃撃に対する防御が皆無に等しかったことが問題となった。これは次の代の御料車となったメルセデス・ベンツにおける防弾装備充実の一因ともなった。

用途廃棄後は車体は解体され、エンジンは吹上御所内の緊急用井戸のくみ上げポンプの動力として使用された後、その後民間に払い下げられ、ラジエーターはドイツ料理のレストランの「ケテルス」のロールス・ロイスに使用された。

メルセデス・ベンツ・770 編集

 
メルセデス・ベンツ博物館英語版に展示されている元・日本皇室御料車のメルセデス・ベンツ770

1932年(昭和7年)に導入されたメルセデス・ベンツ・770。既にイギリスとの同盟関係が失われており、当時満洲事変への対応をめぐってイギリスやアメリカ合衆国などの自動車先進国との関係が悪化していた上、メルセデス・ベンツは他国の国家首脳専用車としても導入されていた実績が高い評価を受けたことから、ドイツ車で初めて導入されることとなった。また、昭和天皇即位後、初めて導入された御料車となった。

なお、ドイツ国との間の防共協定の締結などを受けて、イギリス製のロールス・ロイスが1936年(昭和11年)に御料車から外されたため、その後の第二次世界大戦期を通じて唯一の御料車として、また、戦後も長らく使用された。

全長5.6 m、車重は通常仕様でも2.7トンに達する巨大な車で、OHV直列8気筒 7,665 ccの大排気量エンジンを搭載する。標準モデルの「770」および、スーパーチャージャーKompressor)を追加した「770K」が用意された。当時としては最新鋭の車種であり、ドイツ国やその友好国、同盟国の国家元首専用車として多用された車種である。

皇室が御料車として採用した車はスーパーチャージャー非装備(自然吸気)の770(出力は150馬力[6])で、1931年(昭和6年)から1935年(昭和10年)の間に合計7台が輸入された。ボディは当時の上級メルセデス・ベンツの多くの例に漏れず、ダイムラー・ベンツ自社のジンデルフィンゲン工場が内製しており、後席内装には宮内省(当時)から供給された西陣織が使用されていた。7台のうち2台は、日本に到着後、陸軍砲兵工廠防弾装甲ボディに改装され、4トンを超える重量級となり、橫濱護謨製造製の特殊タイヤが後に使用された。1台が戦時中に戦災焼失した。

第二次世界大戦後、「溜色(ためいろ)のベンツ」、「溜色の車」と呼ばれ、戦後間もなくの昭和天皇の戦後巡幸でも使用され、昭和天皇と共に全国を周り、当時の日本国民の目に触れている[7]。また、2台が車体後部を改造されランドレー型となった。この改造は富谷龍一のデザイン案に基づき、梁瀬自動車が請け負った。

これら御料車は、1959年(昭和34年)4月10日の皇太子明仁親王正田美智子結婚の儀など、新御料車(4代目5代目)が導入されたのちも引き続き、1968年(昭和43年)に至るまで長期間に渡って使用された。台数が6台と多く揃っていたこともあり、ランドレーへ改造された車を部品取り用に解体するなどの手段で、未改造車の延命策がとられた。なお、1971年(昭和46年)に1台がダイムラー・ベンツに寄贈され、現在も同社のメルセデス・ベンツ博物館英語版に展示されている。

キャデラック・75リムジン 編集

 
キャデラック・75リムジン(同型車)

1951年(昭和26年)に導入されたキャデラック・75リムジン。第二次世界大戦終結後に、イギリスやアメリカ、ソ連などの連合国軍の占領下にあったため、連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ) の計らいにより、経年化が進んでいた上に、かつての同盟国で連合国にとっての敵国であったドイツ国製のメルセデス・ベンツの代わりに、アメリカ車のキャデラックが採用された。

しかし、メルセデス・ベンツ770も同時に使用され続け、1957年(昭和32年)には正式な御料車という形ではなかったもののロールス・ロイス・シルバー・レイスが導入され、1961年(昭和36年)にもロールス・ロイス・ファントムVが追加導入されたため、このキャデラック・75リムジンはむしろ早期(19年)で引退した。

日産・プリンスロイヤル 編集

 
日産・プリンスロイヤル

日産・プリンスロイヤルは一般向け販売はされない御料車専用車種で1967年(昭和42年)に導入された。初の日本製御料車として、後に日産自動車合併するプリンス自動車工業が開発、製造した。ほぼ手作りに近い品質管理が行われ、内装も西陣織をふんだんに使用するなど最高品質が追求された。

宮内庁外務省大阪万博開催時の国賓送迎用として2台が納入された。内1台は1978年に宮内庁に移管されたのみ)に7台が製造された。1980年(昭和55年)11月から翌1981年(昭和56年)3月にかけて、1台が寝台車対応のワゴンタイプに改造され、昭和天皇大喪の礼などで使用された。

イギリス女王エリザベス2世アフガニスタン国王ザヒル・シャーインドネシア大統領スカルノアメリカ合衆国大統領ロナルド・レーガンを始め、各国の要人を乗せたほか、第125代天皇明仁即位の礼などで使用され、戦後の重要な役割を果たした。

これまでの車種の中では最も長く使用されたが、2000年代に入り、経年劣化が進んだうえ、部品の調達が困難になってきたことなどを受けて、2004年平成16年)に製造元の日産自動車が宮内庁に用途廃止を願い入れ、後継車種の導入に合わせて引退することが決まった。2012年現在、3号車が昭和天皇記念館に展示されている。

トヨタ・センチュリーロイヤル 編集

 
トヨタ・センチュリーロイヤル

トヨタ・センチュリーロイヤルは一般向けには販売されない御料車専用車種で、2006年(平成18年)に導入された。国会開会式全国戦没者追悼式、国賓接遇など、特に格式の高い公式行事で限定的に使用される[1]

2006年(平成18年)7月に標準車1両(「皇1」[8])が5250万円で宮内庁に納入され、8月15日の全国戦没者追悼式から使用される予定であったが、9月28日の国会開会式に出席する際から使用された。

2007年(平成19年)9月には防弾性能等を強化した特装車2両(「皇3」と「皇5」[8])が1台あたり9450万円で納入され、翌2008年(平成20年)5月から使用された。2008年(平成20年)に寝台車1両(「皇2」[8])が納入され、最終的にはプリンスロイヤルよりも1両少ない4両体制となった。

代表的車種の導入時期 編集

その他の導入車種 編集

  • メルセデス・ベンツ・500Nニュルブルク・プルマン・リムジン(1943年 - )
第二次世界大戦中に、三井家より皇室へ献上された。黒塗りの地味なボディであり、万一空襲などで避難される際は、目立たないこの車を使用して欲しいとの配慮による。装甲板で補強された特装車であった[9]
  • パッカード・スーパー・エイト(1919年 - )
第二次世界大戦後の戦後復興期に行われた昭和天皇の全国巡幸で、1936年(昭和11年)の幌型車が使用された。
1920年代から1930年代後期にかけて数多く輸入された車種であり、1940年代後期まで、随員を乗せて御料車に随行する用途に好んで用いられた。
  • デイムラー・ストレートエイト・リムジン(1953年 - )
皇太子明仁親王(現在の上皇陛下)が、昭和天皇の名代でエリザベス2世戴冠式に列席したときにイギリスで購入した。
  • ロールス・ロイス・シルバー・レイス(1957年 - )
キャデラックの代替として導入されたが、正式な御料車としての導入ではなく、メルセデス・ベンツ770と併用された。
  • ロールス・ロイス・ファントムV(1961年
上記のシルバー・レイスの代替として導入されたが、こちらも正式な御料車としての導入ではなく、メルセデス・ベンツ770および日産・プリンスロイヤルと併用された。1961年型とヘッドライトが4灯になった1963年型があった。
  • ロールス・ロイス・コーニッシュIII(1990年 - )
儀装馬車に代わるパレード用のオープンカーとして採用された。1990年(平成2年)に行われた第125代天皇(明仁)の即位の礼・祝賀御列の儀の際と、1993年(平成5年)に行われた皇太子夫妻の結婚祝賀パレードの際に使用されただけで、以降は出番がなく、展示のためにボディは磨かれていたが、2018年時点で車検切れで公道走行は不可能となっていた[10]。修理に多額の費用がかかることから[11]、後述の3代目トヨタ・センチュリーの特別仕様のオープンカーに代替された。なお、自動車評論家の小林彰太郎は、公式パレードに2ドア車を使用することは国際的なプロトコルに反し(通常公式の場では、後部座席への乗り降りに適した4ドア車を使用する)[12]、また、コーニッシュはロールス・ロイス車のなかでも前席優先の完全なプライベート向け車種であるため、公式パレードへの採用は不適切であるとして強く批判していた[12]
2019年(令和元年)11月時点で「皇」ナンバーと「品川」ナンバーが複数使用されており[1]、2019年(平成31年/令和元年)に導入された「皇9」からベース車が2代目 GZG5#型から3代目 UWG60型に変更された[13]。また、第126代天皇徳仁の即位の礼・祝賀御列の儀に使用するためにコーニッシュIIIの代替車として3代目をベースとした特別仕様のオープンカーが1台製作され約8000万円で納入された[14]。このオープンカーは2019年11月に「皇10」のナンバープレートを付けて祝賀御列の儀と伊勢神宮内宮への親謁の儀で使用された後[注 2][15]内閣府に移管されて御料車専用ナンバープレートと菊の紋章が取り外された。以後は2020年東京オリンピック後のパレードなどに利用される予定[16]

私的使用車 編集

 
ホンダ・インテグラ(同型車)

上皇明仁や他の皇族の多くが車好きとして知られ、明仁は皇太子時代にプリンス・セダン(標準は1,500㏄だったが1,900㏄エンジン搭載の特別車)やプリンス・グロリアを愛用していた他、学習院の学友のアルファロメオ・1900を運転したエピソードもある[17]。以降の愛車として知られているのは1991年式のホンダ・インテグラ(4ドア、MT)であり、天皇在位中に皇居内で皇后美智子(当時)を助手席に乗せて自ら運転したこともある。

皇太子時代の徳仁一家用としてセンチュリーの他にトヨタ・アルファード秋篠宮一家用として三菱・ディグニティ、アルファード等が使用されており、ディグニティは公式行事にも使用される。なお文仁フォルクスワーゲン・タイプ1(グリルをロールス・ロイス風に改装)を愛車としていたこともある。これらの御料車には一般的なナンバープレート(例・品川ナンバー)が取り付けられる。

ナンバープレート・車検・車庫証明・自賠責保険・納税 編集

御料車も道路運送車両法11条1項および第19条が適用されるため、ナンバープレートを取り付けなければならない。しかし、公式行事用の御料車には一般のナンバープレートの様式に関する規定(道路運送車両法施行規則第11条第1項)は適用されず、専用のナンバープレートが別途定められている(同条第2項)。この専用のナンバープレートは直径約10cmの円形で、銀色の梨地に漢字で「皇」の一字とアラビア数字が金色で描かれている。(例:皇1)

なお、御料車であっても道路運送車両法4条は適用されるため、車検の対象になり[注 3]、保安上の理由から、宮内庁管理部車馬課の自動車班に所属する自動車整備士の免許を受けた職員が庁内の工場[18]で車検・整備を行う[19]東京運輸支局で発行された自動車検査証も存在し、登録番号が「皇1」などとなっており、検査証上の所有者は「宮内庁」である。 登録上は自家用車となるため車庫証明も必要で、自賠責保険の契約締結、自動車重量税の納付が必要であるが、自動車税は、地方税法の規定により免除となるところは自治体等が保有する一般の公用車と同一である。

随行員用車両(供奉車) 編集

天皇・皇族の公式・準公式移動には、サポートや警護のため、宮内庁等の関係職員が多く随行する。この種の目的で宮内庁は随行員を乗車させる「供奉車(ぐぶしゃ)」も保有し、複数台を御料車前後に走行させる。その用途には、車格と性能の面から、御料車に次ぐクラスの高級車を用いる事例が多い。

自動車評論家の五十嵐平達は1959年3月、皇居の宮内庁管理部の自動車庫見学を認められ、御料車として運用されていたキャディラック75とロールスロイス・シルバー・レイスを撮影しているが、その当時の宮内庁で供奉車として多く保有していたのは、1930年代の黒塗りパッカードセダンで、五十嵐が実見しただけでも20台があり、アメリカから日本への自動車輸入が停止された1938年より後、戦時中の戦地鹵獲車輛が出どころと思われる1940年モデルも混じっていたという。1920-30年代のパッカードは高品質と上品さから日本の上流階級や官公庁に支持され高いステータス性を得ており、その流れを反映したものであった。また戦前日本でパッカードに次ぐ車格を認められていたビュイックも保有されていた(梁瀬商会(ヤナセ)創業者の梁瀬長太郎が自動車輸入禁止の発動必至と見込み、その前に官公庁用として多数輸入確保していたという1938年モデルであった)。また当時、車格の面でははるかに劣る戦後日本製の1500cc級乗用車各車も導入が始まっていた。

なおパッカードが増える以前には、1935年に倒産したやはりアメリカの最高級車メーカー、ピアスアローの大型モデルが好んで用いられており、1959年訪問時点でも、1930年式ピアスアローの寝台車(霊柩車)がまだナンバープレート付きで保管されていたという。これらのうち戦前製大型モデルは必要に応じ、代用御料車・貴賓車として用いられることもあった[注 4]。この点は、皇族の通常公務用車に近い。

1960年代に入り、2000cc級かそれ以上の大型乗用車が国産化されるようになると、それら国産上級セダン(トヨタ・クラウン日産・セドリックプリンス/日産・グロリアなど)が供奉車用途に用いられるようになった。その流れは2010年代でも続き、通常型のトヨタ・センチュリーなどが随行に用いられる事例が多い。

日本以外の王室や元首の公用車 編集

  • 2014年(平成26年)1月時点。
国名 王、女王、教皇 車両モデル名
  オマーン ハイサム・ビン・ターリク・アール=サイード メルセデス・ベンツ・Sクラス
  デンマーク マルグレーテ2世 1958年式ロールス・ロイス・シルヴァーレイス
  スペイン フェリペ6世 アウディ・A6メルセデス・ベンツ・Sクラスロールス・ロイス・ファントムIV
  トンガ トゥポウ6世 オースチン・FX4英語版
  マレーシア アブドゥラ ベントレー・フライング・スパーマイバッハ・62
  イギリス エリザベス2世 ベントレー・ステートリムジン
  クウェート ナワーフ・アル=アフマド・アル=ジャービル・アッ=サバーハ BMW・7シリーズメルセデス・ベンツ・Sクラス
  ルクセンブルク アンリ デイムラー・DS420ベントレー・ミュルザンヌ
  モナコ アルベール2世 レクサス・LS600hL
  タイ ラーマ10世 マイバッハ・62
  モロッコ ムハンマド6世 メルセデス・ベンツ・S600
  ベルギー フィリップ・ド・ベルジック メルセデス・ベンツ・S600BMW・7シリーズ
  ブルネイ ハジ・ハサナル・ボルキア・ムイザディン・ワッダラー ロールス・ロイス・ファントムVI
  ブータン ジグミ・ケサル・ナムゲル・ワンチュク トヨタ・ランドクルーザー100
  オランダ ウィレム=アレクサンダー ボルボ・S80
  スウェーデン エーヴァ・マグダレナ・アンデション ボルボ・S80
  バチカン フランシスコ パパモビル

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 即位後初の地域公務として[4]愛知県森林公園で行われる第70回全国植樹祭の式典に出席するべく行幸啓の最中にあった第126代天皇(徳仁)と皇后が御料車で移動していたところ[4]、御車列(御料車と警衛車両の一行)の後方から緊急走行中の救急車(瀬戸市消防署所属)が迫ってきた[4](目的地へ急行する途中か、急病人を救急搬送する途中か、詳細は不明)。そこで、御車列は一時停止し、最後尾の白バイ1台が救急車を先導して御車列の横を通過させ(■写真あり)、先に行かせる[4]。その後、先導した白バイは最後尾に戻るべく左側へ待避し、御車列は再び動き出した[4]
  2. ^ 伊勢神宮への親謁の儀では儀装馬車が使用される慣例だが皇后雅子が馬アレルギーのため代用として使用した。ただし外宮では雨天のためセンチュリーロイヤルを使用した。
  3. ^ 検査標章がフロントガラスに貼り付けられているのが確認できる。
  4. ^ 五十嵐は、その後、1963年にも宮内庁自動車庫を見学しているが、さらにのちの1969年に見学を申し込んだ際には、セキュリティが強化されたためか断られたという[20]

出典 編集

  1. ^ a b c d 御料車について - 宮内庁
  2. ^ 大迫力!皇宮警察&京都府警 警護車列 天皇皇后両陛下、伏見桃山陵へ【動画】
  3. ^ 警護車列と救急車が鉢合わせ!【動画】
  4. ^ a b c d e grape編集部 (2019年6月3日). “天皇陛下の御車列に、サイレンを鳴らす救急車が接近 その後の展開に「素晴らしい!」の声”. grape. 株式会社グレイプ. 2019年11月11日閲覧。
  5. ^ a b 儀装馬車の概要”. 公式ウェブサイト. 宮内庁. 2019年11月11日閲覧。
  6. ^ 小林 1993, p. 24.
  7. ^ 小林 1993, p. 41.
  8. ^ a b c ベストカーWeb編集部 (2014年8月5日). “センチュリーロイヤルの寝台車が登場!”. ベストカーWeb. 講談社ビーシー. 2014年8月5日閲覧。
  9. ^ 小林 1993, p. 39.
  10. ^ 中田絢子「4千万円の宮内庁オープンカー、走行困難に 使用は2回」『朝日新聞デジタル朝日新聞社、2018年5月1日。2018年6月9日閲覧。
  11. ^ 新天皇パレードは国産で…ロールスロイス走れず」『読売新聞読売新聞社、2018年11月19日。2019年11月11日閲覧。
  12. ^ a b 小林 1993, pp. 5, 8.
  13. ^ ベストカーWeb編集部 (2019年11月9日). “【トヨタセンチュリーの御料車も登場】 11月10日(日)は祝賀御列(おんれつ)の儀”. ベストカーWeb. 講談社ビーシー. 2019年11月11日閲覧。
  14. ^ 即位祝賀パレードで厳重警戒方針 - 首都圏 NEWS WEB」『NHK NEWS WEB』NHK、2019年11月5日。2019年11月11日閲覧。
  15. ^ 両陛下、内宮で「親謁の儀」 晴天恵まれ、オープンカー使用―三重 時事通信 2019年11月23日
  16. ^ オープンカーを一般公開 両陛下がパレードで乗車 産経新聞 2019年11月28日
  17. ^ 小林 1993, pp. 89–91.
  18. ^ 認証工場名として「宮内庁管理部 車馬課自動車班整備工場」が届出されている。
  19. ^ 即位パレード・御料車の不思議なナンバー「皇10」の意味とは?」『デイリー新潮』新潮社、2019年10月24日。2019年10月24日閲覧。
  20. ^ 五十嵐 1996, pp. 44–47.

参考文献 編集

  • 五十嵐平達『写真が語る自動車の戦後―アルバムに見る50年』ネコ・パブリッシング 〈コンテンポラリィ・ノンフィクション〉、1996年8月10日。ISBN 4-87366-132-3OCLC 674618192 ISBN 978-4-87366-132-2
  • 小林彰太郎 編『別冊CG 天皇の御料車』二玄社〈別冊カーグラフィック〉、1993年。ASIN B007WI4BQC 

関連項目 編集

外部リンク 編集

  • 御料車について”. 公式ウェブサイト. 宮内庁. 2019年11月11日閲覧。
  • 宮内庁管理部 (2006年7月12日). “新御料車について”. 公式ウェブサイト. 宮内庁. 2019年11月11日閲覧。