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ふるさとは宗谷の果てに』(ふるさとはそうやのはてに)は、1962年(昭和37年)に菊地正夫時代の城卓矢1971年(昭和46年)に大友和也がカヴァーしてリリースした日本のシングルである。1966年(昭和41年)に西郷輝彦がリリースしたシングル『涙になりたい』のB面曲として収録されたものが、もっとも広く知られる。

ふるさとは宗谷の果てに
菊地正夫シングル
初出アルバム『-』
B面 哀愁の一つ星
リリース
規格 7インチシングル
録音 1962年 日本の旗 日本
ジャンル 歌謡曲
時間
レーベル テイチクレコード / SN-315
作詞・作曲 北原じゅん
菊地正夫 シングル 年表
不明
1962年
ふるさとは宗谷の果てに
1962年
不明
1963年
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ふるさとは宗谷の果てに
大友和也シングル
初出アルバム『-』
B面 すすきの夜のブルース
リリース
規格 7インチシングル
録音 1971年 日本の旗 日本
ジャンル 歌謡曲
時間
レーベル ユニオンレコード / US-708
作詞・作曲 北原じゅん
大友和也 シングル 年表
さすらいの唄
1970年
ふるさとは宗谷の果てに
1971年
若者よ北へ行こう
1971年
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目次

略歴・概要編集

のちの城卓矢として知られる菊地正夫がテイチクレコード(現在のテイチクエンタテインメント)専属の時代、菊地の実兄でありクラウンレコード(現在の日本クラウン)専属の作曲家であった北原じゅんが実弟に提供した楽曲が、『ふるさとは宗谷の果てに』の初出である。北海道稚内市にある日本最北端の地・宗谷岬を舞台とし、その果てに位置する、北原・菊地兄弟の出生の地である樺太(当時ソビエト連邦、現在のロシア共和国サハリン)を想う楽曲である。同作は、同じく北原による『哀愁の一つ星』(あいしゅうのひとつぼし)をB面として、1962年(昭和37年)10月、テイチクレコードからリリースされた。当時は売上もさほどの数字を残さなかった。

1966年(昭和41年)、クラウンレコード専属のスター歌手であった西郷輝彦のプロモーションの一環として、平凡出版(現在のマガジンハウス)とのタイアップを行い、同社の出版する『月刊平凡』誌上で「西郷輝彦の唄う歌」の歌詞を募集した[1]。当選した杉本好美の歌詞に、クラウン専属の北原じゅんが曲を付し、同年2月1日、シングルとしてリリースしたのが『涙になりたい』(なみだになりたい)である[1]。同作は、同名の映画を日活が製作、西郷が主演、森永健次郎が監督して、同年5月18日に公開されている[2]。同シングルのB面に収録されたのが、北原がかつて実弟に贈った『ふるさとは宗谷の果てに』のカヴァーであった[1]。西郷のカヴァーは話題になり、本作が広く知られるところとなった。

1971年(昭和46年)には、北海道出身のユニオンレコード(テイチクのレーベル)専属歌手の大友和也がカヴァーし、同年6月にシングルとしてリリースした。編曲は池田孝で、B面には、1968年(昭和43年)にテイチクレコードからリリースされた木立じゅんの『484のブルース』を作詞・作曲した平田満が提供した『すすきの夜のブルース』(すすきのよるのブルース)を収録した[3]

ほかにも、ハーベストレコード(ミノルフォン、現在の徳間ジャパンコミュニケーションズのレーベル)の真芽正恵、あるいは黒沢明とロス・プリモス千昌夫らがカヴァーしている[4]

収録曲編集

菊地版編集

  1. ふるさとは宗谷の果てに
    • 作詞・作曲・編曲北原じゅん
    • 演奏時間 : 3分14秒
    • 出版権 : クラウンミュージック
  2. 哀愁の一つ星
    • 作詞・作曲・編曲北原じゅん
    • 演奏時間 : 不明
    • 出版権 : クラウンミュージック

西郷版編集

  1. 涙になりたい
  2. ふるさとは宗谷の果てに
    • 作詞・作曲・編曲北原じゅん
    • 演奏時間 : 3分1秒
    • 出版権 : クラウンミュージック

大友版編集

  1. ふるさとは宗谷の果てに
    • 作詞・作曲北原じゅん、編曲池田孝
    • 演奏時間 : 3分25秒
    • 出版権 : クラウンミュージック
  2. すすきの夜のブルース

関連事項編集

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  1. ^ a b c 涙になりたい』、西郷輝彦クラウンレコード1966年2月1日、ジャケット裏の記述。
  2. ^ 涙になりたい日本映画データベース、2010年9月7日閲覧。
  3. ^ 『ふるさとは宗谷の果てに』、大友和也ユニオンレコード1971年6月、ジャケット裏の記述。
  4. ^ 作品データベース 検索結果、日本音楽著作権協会、2010年9月7日閲覧。