みちのくひとり旅」(みちのくひとりたび)は、1980年8月5日に発売された山本譲二のシングルであり、現時点で山本自身の最大のヒット曲となっている[1]

みちのくひとり旅
山本譲二シングル
B面 チェランサスの夢
リリース
ジャンル 演歌歌謡曲
時間
レーベル キャニオン・レコード
作詞・作曲 市場馨(作詞)
三島大輔(作曲)
ゴールドディスク
チャート最高順位
  • 週間4位(オリコン[1]
  • 1981年度年間16位(オリコン)[1]
  • 1982年度年間30位(オリコン)[1]
  • 3位(ザ・ベストテン[2]
  • 1981年年間2位(ザ・ベストテン)[2]
  • 1982年年間69位(ザ・ベストテン)[2]
  • 3位(ザ・トップテン
  • 1981年度年間2位 (ザ・トップテン)
  • 1981年度USEN年間2位[3]
  • 山本譲二 シングル 年表
    眉子
    1979年
    みちのくひとり旅
    1980年
    旅の終りはお前
    1982年
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    解説 編集

    山本の師匠である北島三郎が「いい曲があるから」と、山本に馬渕玄三(音楽ディレクター)に逢うよう指示され、馬渕の所へ行くと本曲作曲の三島大輔に引き合わされた。そこで聴かされたのが本曲であり、山本は「この曲を僕に歌わせて下さい」と自ら土下座して懇願、レコーディングを経て発売することになる[4]

    発売から2か月以上が経過した1980年10月31日放送分の日本テレビ系『カックラキン大放送!!』にて披露したが、その時点では特に大きな話題とはならなかった。

    発売から4か月後にようやく関西有線放送で話題になり[5]、発売から10か月が経過した1981年6月29日放送のフジテレビ系『夜のヒットスタジオ』にて披露したことで一気に人気に火がついた[5]

    発売から9か月経過した1981年5月4日付のオリコンチャートにて96位に初登場、その約4か月後の8月31日付けで8位とベストテン入り。以降22週に渡りオリコンベスト10入りするというロングヒットとなり[1]、この曲で山本はこの年の『第32回NHK紅白歌合戦』に初出場を果たす。

    さらにTBS系『ザ・ベストテン』では、最高順位は1981年10月8日放送の第3位だったが、同番組には通算24週間も10位以内にランクインされ、1981年末の年間ベストテンでは、第2位にランクされた(翌1982年末の年間ベストテンでも第69位にランク。尚1981年の年間第1位は寺尾聰の『ルビーの指環』だった)。さらに同番組では、1981年10月22日放送から同年11月19日放送時まで、「5週連続第6位」という珍記録も達成し、「第1位を獲得するより難しいでしょう」と山本自ら苦笑いしていた[2]

    1994年[6]2002年[7]2006年[8]の3回に渡ってシングルCDとして再発売された。累計売上は100万枚を超える[9]

    また、2000年代に山本が出演したNTT東日本ナンバーディスプレイのCMにも同曲が採用されている。

    楽曲の形式は、[A A' B C]を(2回または3回)繰り返し、最後に[D D']を繰り返す(Dが「サビ」、すなわちクライマックス)というもの。演歌を含めた一般のポピュラーソングでは[AB]C(Cが「サビ」)またはそれに類似した形式が多い中、楽曲の最後で16小節に及ぶサビが一度だけ現れるこの曲の形式は異例と言える。

    上記Cをあえて小さなクライマックスに留めることで、リピートの度に“不充足感”が高まるが、穏やかな曲調に変化はなく、このまま終わるかと思われたところで突然サビとなる。それまでは叙情的だったメロディとリズムが一転して叩きつけるような激しさとなり、最高音が繰り返され、歌手も聴き手もそれまで澱んでいた感情の解放へ導かれるよう工夫されている。

    この構成には、「最後の女」と決めた女性への思いを断ち切ろうとする男性の葛藤と、断ち切ろうとすることでかえって激しく燃え上がる男性の熱情――すなわち、歌詞の世界が的確に表現されていると考えられる。

    ご当地ソングの一種とも言えるが、歌詞には「松島宮城県)」「白河福島県)」と、離れた地名が2つ現れる[注釈 1]のみで、他には「みちのく」を連想させるような描写はない。

    同曲の次にリリースした、1982年1月発売のシングル「旅の終りはお前」(作詞:市場馨、作曲:三島大輔、編曲:斉藤恒夫)は、「みちのくひとり旅」のメロディーをほぼ踏襲している。なお、大ヒットした作品の次に同系統の曲調の作品を出す手法は、レコードセールス戦略上しばしば採用されている。

    作詞を手掛けた市場馨は丹古晴己の変名とされるが、実際は丹古とその弟子・水木翔子による共同筆名に近い[11]

    山本はこの曲について「歌手として、男として、自分を生かしてくれた曲。人生に結びついている僕の宝物です」と語っている[4]

    元々のタイトルは「最後の女」だったが、山本本人が担当ディレクターの馬渕氏に「みちのくひとり旅」にタイトルを変えるようお願いし、変更された[12]

    発売してから1年ほど経ったある日、大阪で演歌の番組収録後、その番組に一緒に出ていた小林旭に飲みに誘われた際、実はこの曲は小林旭に提供されたものの、自分には合わないと思って断った曲だったことを本人の口から聞いて衝撃を受けたという。小林本人はこの曲が売れたことをとても喜んでいたとのこと[12]

    B面「チェランサスの夢」は中山大三郎が作詞・作曲を手掛けており、一転してタンゴ調のムード歌謡となっている。なお「チェランサス」はウォールフラワーの一種。

    収録曲 編集

    1. みちのくひとり旅 (3分47秒)
      作詞:市場馨/作曲:三島大輔/編曲:斉藤恒夫
    2. チェランサスの夢 (4分3秒)
      作詞・作曲:中山大三郎/編曲:若草恵

    カバー 編集

    • 藤圭子(1981年、アルバム「螢火-右・左-」)
    • 美空ひばり(1982年、アルバム「人恋酒〜最新演歌名曲名唱集」)
    • 冠二郎(1999年、アルバム「男のさすらい〜愛しき人よ」)
    • What's Love?(2001年シングル「泣けるほど」、2002年アルバム「温故知新」)
    • 大江裕(2010年、アルバム『演歌大将・大江裕 ~日本列島 歌飛脚I~』)山本のオリジナルと同じ斉藤恒夫の編曲
    • 柏原芳恵(2010年、アルバム「アンコール2」)
    • 山内惠介(2013年、アルバム「時代を超えた同歳(おないどし)」)
    • 最上川司(2015年、アルバム 『奥の唄道』)

    脚注 編集

    注釈 編集

    1. ^ 松島も白河も古典的な歌枕の地である[10]

    出典 編集

    1. ^ a b c d e オリコンランキング情報サービス「you大樹」
    2. ^ a b c d 角川インタラクティブ・メディア「別冊ザ・テレビジョン ザ・ベストテン 〜蘇る! 80'sポップスHITヒストリー〜」2004年12月、ISBN 978-4-0489-4453-3
    3. ^ リクエスト >> 楽曲選択|USEN MUSIC GARDEN|USEN 音楽サービス - 2021年1月22日閲覧。
    4. ^ a b "【連載】永遠の歌「みちのくひとり旅」". オトカゼ~音楽の風~. 株式会社左近堂. 18 July 2020. 2021年1月20日閲覧
    5. ^ a b 読売新聞社文化部『この歌この歌手―運命のドラマ120〈下〉』現代教養文庫、1997年、150頁。ISBN 4390116029
    6. ^ 1994年版 - Yahoo! ミュージックウェイバックマシン
    7. ^ 2002年版 - Yahoo! ミュージックウェイバックマシン
    8. ^ 2006年版 - Yahoo! ミュージックウェイバックマシン
    9. ^ 新曲『夜桜哀歌』も好調の山本譲二にインタビュー あの名曲誕生秘話から愛弟子への思いまでたっぷりと語ってもらった!、ぴあ関西版、2015年10月14日更新。
    10. ^ 渡邉裕美子 (2019年8月23日). “「軍記物語講座」によせて(4) 渡邉裕美子「みちのくの歌—白河関までの距離感—」”. 花鳥社. 2021年1月30日閲覧。
    11. ^ 『この歌この歌手―運命のドラマ120〈下〉』147-149頁。
    12. ^ a b TVでた蔵 ネーミングバラエティー 日本人のおなまえっ!【ワケあって改名ヒット曲の真相】”. 2021年2月21日閲覧。

    関連項目 編集

    外部リンク 編集