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藤圭子

日本の演歌歌手、俳優 (1951-2013)

藤 圭子(ふじ けいこ、1951年7月5日 - 2013年8月22日)は、日本歌手。本名、宇多田 純子(うただ じゅんこ)[1]。旧姓、阿部(あべ)。 最後の夫は音楽プロデューサーの宇多田照實、娘は歌手の宇多田ヒカル。元夫はムード歌謡歌手の前川清

藤 圭子
出生名 阿部 純子
別名 藤 圭似子
Ra U (RA U)
生誕 (1951-07-05) 1951年7月5日
出身地 日本の旗 日本 岩手県一関市
死没 (2013-08-22) 2013年8月22日(62歳没)
日本の旗 日本 東京都新宿区
ジャンル 演歌歌謡曲ロック
職業 歌手
活動期間 1969年 - 1979年
1981年 - 1998年
レーベル RCAレコード
CBSソニー
リバスター音産
ポリドールレコード
クラウンレコード
センチュリーレコード
共同作業者 U3、石坂まさを

目次

人物編集

1960年代末から1970年代初頭にかけて、夜の世界に生きる女の情感を描いた暗く哀切な楽曲(『怨歌[注 1]』)を、個性的なドスの効いたハスキーボイスと独特の凄みのある歌いまわしで歌唱し、その可憐な風貌とのギャップも相俟って一世を風靡した。

代表曲は「新宿の女」「女のブルース」「圭子の夢は夜ひらく」「京都から博多まで」など。他の歌手のヒット曲なども幅広くカバーしており、多くの曲で本家を凌駕する歌唱力と表現力を発揮したと言われている。最大のヒット曲『うそ』をカバーされた中条きよしは『こんなにうまく歌われたらたまんないよ』と作曲した平尾昌晃に伝えている[3]

来歴編集

幼い頃から浪曲師の父・阿部壮(つよし)[4]、同じく浪曲師であり曲師でもある母・竹山澄子(2010年に死去。享年80)[4]ドサ回りに同行。旅の生活を送り、自らも歌った。北海道の岩見沢市立栄中学校(1983年閉校)卒業[注 2]。勉強好きで成績優秀だったが、貧しい生活を支えるために、高校進学を断念[4]。15歳の時に岩見沢で行われた雪祭り歌謡大会のステージで歌う姿が作曲家・八洲秀章の目に留まり、上京。八洲秀章のレッスンを受けながらいくつかのレコード会社のオーディションを受けるが全て落選。生活のために錦糸町や浅草などで母と流しをする。その後、作詞家の石坂まさをと知り合い、石坂まさをの自宅に住み込みでレッスンを受ける[5]1969年9月25日RCAレコードより「新宿の女」でデビュー。

以後、石坂まさをと組んでヒット曲を連発。オリコンチャートで、ファーストアルバム「新宿の女」は20週連続1位、間を置かずリリースされたセカンドアルバム「女のブルース」は17週連続1位を記録。計37週連続1位という空前絶後の記録を残す。なお、内山田洋とクール・ファイブとの共作「演歌の競演 清と圭子」も含めると計42週連続1位となる。シングルにおいても「女のブルース」は8週連続1位、続く「圭子の夢は夜ひらく」も10週連続1位を記録し、18週連続1位という同一歌手での連続記録を残す。

演歌を歌いながらもアイドル歌手としての人気も集め、青少年に大きな影響力を持っていた少年マガジンなど多数の雑誌の表紙を飾った。またその人気からテレビアニメ『さすらいの太陽』のヒロインのモデルにもなった。

1971年、当時ともに絶頂期であった内山田洋とクール・ファイブのボーカル前川清と結婚するが、大スター同士の結婚生活はすれ違いが重なり、翌1972年に離婚。1974年、喉のポリープの手術を受けたことで、自身が強みと考えていた声の特徴が失われたと悩むようになり、引退を考え始める。

1979年に1度引退して渡米したが、1981年に帰国して歌手復帰。RCAレコードからCBSソニーに移籍し、第一弾となるシングル「螢火」を藤 圭似子名義で発表した。

1982年に、宇多田照實と再婚。以降、照實との間で7回の離婚・再婚を繰り返す。

1983年1月19日ニューヨークにてを出産。網膜色素変性症を発症し視力が徐々に低下していた頃の出来事だったことから、「我が子から光が失われないように」という願いを込め「光」(ひかる)と命名した[6]。その後、光を世界で通用する歌手に育てるため、1990年から照實とともに光を連れて初めて渡米、お金が足りなくなると日本に戻って歌い、お金が貯まるとまた渡米することを繰り返した。そして光は15歳となった1998年宇多田ヒカルの名で歌手デビューし、これを機に藤も再び注目を浴びた。しかし、光のデビューと入れ替わるように自身は歌手活動を封印し、これ以降はほとんどステージで歌うことはなかった。

2013年8月22日午前7時頃、東京都新宿区のマンションの前で倒れているのが発見され、搬送先の病院で死亡が確認された。遺書などは見つかっていないが、衣服の乱れや争ったような跡がないことなどから、新宿警察署によって飛び降り自殺を図ったと断定された[7]。藤が自殺した後、照實と光はそれぞれコメントを発表し、藤が1988年頃から精神疾患を患っていたことを公表した[1]

喪主を務めた光は「遺言書がある」と表明、葬儀は行わず本人の遺志に沿う形で宇多田父子ら親族関係者の数名が火葬に立ち会う直葬となり[8]、のちに遺灰も海に散骨された[9]。その後、藤の実家の阿部家側によって、ファン有志とともに「しのぶ会」が行われた。

年譜編集

エピソード編集

  • マスコミが『一卵性母娘』と名付けるほどとても母思いで仲がよかった。レコード歌手になろうとしたのも、母をもっと楽にさせてあげて、不自由な目を治してあげられるかもしれないからだったという[12]。しかし、1990年頃に金銭トラブルから母とは絶縁状態となった[13]
  • 五木寛之は「1970年のデビューアルバムを聞いたときの衝撃は忘れがたい。これは『演歌』でも、『艶歌』でもなく、まちがいなく『怨歌』だと感じた。」と評している[14]
  • デビュー前から同居していた石坂まさをに ”アメリカ人になりたい” と話しており、デビューしてから間もなく、熱心なファンのハーフの少女と友だちになり英語の勉強を始める[13]。デビュー当時、マネージャーだった成田忠幸は、藤から「いつか、アメリカに行きたい」と聞かされており、藤はアメリカに住んで、そこで、ロックを歌いたいのだろうなと感じたという[13]
  • 紅白出場に強い執着があり、1974年の紅白では力を入れていた新曲『命火』もヒットし、事前にほとんどのメディアが当選確実と報じていたにもかかわらず、落選したことで大きなショックを受けてダウンし、その様子を心配した母親が医師に往診を頼んだほどだった。結局それ以降1週間に渡って仕事をキャンセルしている[15]
  • 1979年に引退する前、八代亜紀は藤から「アメリカに行って、ロックを歌うんだ」と聞かされている[16]
  • 光を天才歌手と信じ、知り合いの音楽関係者にことあるごとに光を売り込んでいた。その売り込みは光が9歳のとき、藤圭子育ての親である石坂まさをにも行われ、光がいかに天才歌手であるかを力説していたほどだった[13]。同じ頃、藤がデビュー前に世話になった初代林家三平師匠の夫人である海老名香葉子のもとにも訪れ、光の歌を吹き込んだデモテープを聴かせている[13]
  • 大の虫嫌いで虫全部が嫌いだと述べている[17]。光が子供の頃、いたずらで体中にセミの抜け殻をまとって帰宅したところ、それを見た藤が卒倒してしまい、おおごとになったという[18]
  • 麻雀や競馬などギャンブルが好きで、2006年には世界各国のカジノなどで5年の間に5億は使ったと述べている[19]。2006年にニューヨークケネディ国際空港で約49万ドルに上る多額の現金を没収される騒動を起こしたが、2009年になって事件性がないとして全額返還された[19]

音楽編集

シングル編集

# 発売日 A面
B面
タイトル 作詞 作曲 編曲
1960年代
1 1969年
9月25日
A
新宿の女 石坂まさを
みずの稔
石坂まさを 小谷充
B
生命ぎりぎり 石坂まさを 池田孝
1970年代
2 1970年
2月5日
A
女のブルース 石坂まさを 猪俣公章 成田征英
B
あなた任せのブルース 森川登 池田孝
3 1970年
4月25日
A
圭子の夢は夜ひらく 石坂まさを 曽根幸明 原田良一
B
東京流れもの 不詳
4 1970年
7月25日
A
命預けます 石坂まさを 曽根幸明
B
ネオン街の女 池田孝
5 1970年
10月25日
A
女は恋に生きてゆく 石坂まさを 池田孝
B
盛り場数え唄 石坂まさを 中村泰士 原田良一
6 1971年
2月5日
A
さいはての女 石坂まさを 彩木雅夫 池田孝
B
東京花ものがたり 石坂まさを
7 1971年
5月5日
A
恋仁義 石坂まさを 曽根幸明
B
涙ひとしずく 野々卓也 池田孝
8 1971年
6月5日
A
みちのく小唄 石坂まさを 野々卓也 池田孝
B
会津磐梯山 不詳
9 1971年
7月5日
A
愛の巡礼 浅木しゅん 石坂まさを 高田弘
B
圭子の三度笠 石坂まさを 池田孝
10 1971年
10月25日
A
知らない町で 石坂まさを 曽根幸明
B
圭子の網走番外地 不詳 池田孝
11 1972年
1月25日
A
京都から博多まで 阿久悠 猪俣公章 池田孝
B
街の子 竹村次郎
12 1972年
5月25日
A
別れの旅 阿久悠 猪俣公章 池田孝
B
哀別 石坂まさを 中村泰士 馬飼野俊一
13 1972年
9月25日
A
花は流れて 石坂まさを 鈴木邦彦 池田孝
B
遊侠の人
14 1972年
12月5日
A
悲しみの町 石坂まさを 浜圭介 竜崎孝路
B
白い坂道が見える窓 野々卓也
15 1973年
3月25日
A
明日から私は 山上路夫 鈴木邦彦
B
別れ道 石坂まさを
16 1973年
7月
A
花小唄 石坂まさを 野々卓也 池多孝春
B
新東京小唄 神坂薫
17 1973年
8月25日
A
遍歴 石坂まさを 曽根幸明 池多孝春
B
愛の孤独 たつみりょう 馬飼野俊一
18 1973年
11月5日
A
恋の雪割草 山口洋子 猪俣公章 竹村次郎
B
御用牙 石坂まさを 曽根幸明
19 1974年
4月5日
A
京都ブルース なかにし礼 馬飼野康二
B
女の人生
20 1974年
6月
A
火の国小唄 石坂まさを 野々卓也 池多孝春
B
萩の女 はぞのなな 森山慎也 竜崎孝路
21 1974年
7月5日
A
私は京都へ帰ります 山口洋子 猪俣公章 池多孝春
B
雨の仙台 石坂まさを たつみりょう 馬飼野俊一
22 1974年
8月25日
A
命火 石坂まさを 小杉仁三
B
夜のブルース 原田良一
23 1975年
1月
A
あなたの噂 山口洋子 猪俣公章 竹村次郎
B
銀座のお恵ちゃん 石坂まさを 三条ひろし 長作幸男
24 1975年
4月25日
A
生きてるだけの女 浜岡幸
石坂まさを
賀川幸生 小山恭弘
B
さすらい花 石坂まさを 岡千秋 小谷充
25 1975年
9月
A
さすらい よしかわかおり 遠藤実 斉藤恒夫
B
風子二十四不幸せ 島田幸一
26 1975年
11月5日
A
はしご酒 はぞのなな 赤坂通 小山恭弘
B
裏町流し唄 石坂まさを 岡千秋 佐藤まさと
27 1976年
4月25日
A
女だから 小谷夏 中村泰士 馬飼野俊一
B
あなたはもう他人
28 1976年
8月25日
A
聞いて下さい私の人生 六本木哲 六本木哲
岡千秋
池多孝春
B
薄化粧 石坂まさを 若林いさむ 竜崎孝路
29 1977年
2月5日
A
哀愁酒場 石坂まさを 平尾昌晃 竜崎孝路
B
あなたへの未練 山田孝雄
30 1977年
6月25日
A
貴方ひとすじ 石坂まさを 若林いさむ 池多孝春
B
新宿エレジー 上條たけし
31 1977年
11月5日
A
面影平野 阿木燿子 宇崎竜童 馬飼野俊一
B
圭子のドンデン節
32 1978年
5月
A
銀座流れ唄 阿木燿子 宇崎竜童 大村雅朗
B
猫と女
33 1978年
10月
A
酔い酔い酒場 阿木燿子 宇崎竜童 小山恭弘
B
女文字
34 1979年
3月
A
北の港町 遠藤実 斉藤恒夫
B
わくらばの宿 一条貴之 岡千秋 池多孝春
35 1979年
10月
A
可愛い女 中山大三郎 船村徹 栗田俊夫
B
赤ちょうちんブルース
1980年代
36 1981年
10月
A
螢火 阿木燿子 三島大輔 若草恵
B
恋狂い 一文字まこと 森川範一
37 1984年
7月
A
あいつが悪い 伊藤アキラ 浜圭介 桜庭伸幸
B
あいつが悪い
(カラオケ)
-
38 1984年
10月
A
蝶よ花よと 鳥井実 西谷翔 池多孝春
B
酒の駅 荒川利夫 立木達也 南郷達也
39 1986年
6月25日
A
東京迷路 浅木しゅん 杉本真人 松井忠重
B
東京迷路
(オリジナル・カラオケ)
-
40 1987年
2月25日
A
新宿挽歌 なかにし礼 船村徹 丸山雅仁
B
北国流れ旅 八坂こうじ 武田芳美 斉藤恒夫
41 1988年
3月25日
A
旅路 星野哲郎 北原じゅん 馬場良
B
群馬慕色
42 1989年
2月25日]
CD併売
A
新地の雨[注 3] 桂三枝 美波有 桜庭伸幸
B
浪花の女 藤田まさたか
1990年代
43 1994年
4月21日
1 酒に酔うほど Ra U[注 4] Ra U
Sking U
H.Hiraiwa
2 〃(カラオケ)
3 婚約解消 Ra U
4 〃(カラオケ)
44 1996年
8月21日
1 天国 荒木とよひさ 三木たかし 若草恵
2 〃(カラオケ)
3 献身
4 〃(カラオケ)
45 1996年
9月25日
1 冷たい月-泣かないで-[注 5] Ra U
Sking U
宮川彬良
2 〃(カラオケ)
3 ゴールデン・エラ
4 〃(カラオケ)
46 1996年
10月23日
1 千年のかがり火 曲保 曽根幸明
2 〃(カラオケ)
3 MY FRIENDS -春夏秋冬(めぐるきせつ)-
4 〃(カラオケ)
47 1997年
10月22日
1 男と女 Ra U Ra U
Sking U
Como Lee
2 〃(カラオケ)
3 抱いて…
4 〃(カラオケ)
48 1999年
5月5日
Golden ERA[注 6] (Vocal Edit) Ra U
Sking U
宮川彬良
ゴールデン・エラ(Non Vocal Edit)
2010年代
49 2014年
2月13日
[注 7]
1 母子舟(おやこぶね) 石坂まさを 平尾昌晃 竜崎孝路
2 恋して母は

アルバム編集

LP
  1. 新宿の女/“演歌の星”藤圭子のすべて(1970年3月5日) ※オリコン1位20週連続獲得。2013年4月 復刻版CD発売。
  2. 女のブルース(1970年7月5日) ※オリコン1位17週連続獲得。2013年4月 復刻版CD発売。
  3. 演歌の競演 清と圭子(1970年12月) ※オリコン1位5週連続獲得。
  4. 歌いつがれて25年 藤圭子演歌を歌う(1970年12月5日)1970年10月23日 渋谷公会堂ライブ ※オリコン2位獲得
  5. さいはての女(1971年3月5日) ※2013年11月 復刻版CD発売。
  6. 圭子の人生劇場(1971年7月5日)
  7. 藤圭子リサイタル(1971年10月5日)1971年7月5日 サンケイホール ライブ
  8. 圭子のわらべ唄(1971年12月25日)with グリーメン
  9. 知らない町で(1971年12月25日) ※2013年11月 復刻版CD発売。
  10. 藤圭子オン・ステージ(1972年5月25日)上記渋谷公会堂ライブの一部を4チャンネルステレオ
  11. 別れの旅(1972年6月25日)※2014年2月 復刻版CD発売。
  12. オリジナル・ゴールデン・ヒット集(1972年8月5日)
  13. 遠くへ行きたい/「演歌の旅」(1972年12月5日)
  14. 悲しみの町(1973年2月)
  15. 演歌の旅 緋牡丹博徒(1973年6月)
  16. 遍歴/明日から私は(1973年9月)
  17. 演歌全集8枚組(1973年12月5日)『故郷/艶姿』『任侠/港灯』『憂愁/恋心』『巷歌/出発』と分冊でも発売
  18. 女のブルース/藤圭子ブルースを唄う(1974年2月)
  19. 京都ブルース(1974年4月)
  20. 夜とあなたが(1974年7月)
  21. 圭子のにっぽんひとりあるき(1974年9月)
  22. 藤圭子演歌の世界(1974年10月)
  23. 命火(1974年10月)
  24. あなたの噂(1975年3月)
  25. 生きてるだけの女(1975年6月)
  26. 女だから(1976年6月)
  27. 聞いて下さい私の人生/デビュー七周年記念 藤圭子リサイタル(1976年11月5日)1976年9月24日 新宿コマ劇場ライブ
  28. 南国土佐を後にして(1976年12月)
  29. 明治一代女(1976年12月)
  30. 緋牡丹博徒(1976年12月)
  31. 霧の摩周湖(1976年12月)
  32. 女の意地(1976年12月)
  33. 黒い花びら(1976年12月)
  34. 哀愁酒場(1977年4月)
  35. 貴方ひとすじ(1977年7月)
  36. 面影平野(1977年12月)※2014年2月 復刻版CD発売。
  37. マイ・セレクション 藤圭子(1978年) 藤が自ら選曲したベストアルバム
  38. ビッグ・ショー演歌・浪曲・おんなの涙(1978年5月)1978年2月26日『NHKビック・ショー』ライブ
  39. 歌謡劇場(1978年12月20日)
  40. 10周年記念 涙唱!藤圭子(1979年5月)
  41. さよなら藤圭子(1980年2月21日)1979年12月26日 新宿コマ劇場 さよなら公演ライブ
  42. 螢火-右・左-(1981年11月)
  43. 蝶よ花よと(1984年11月)
CD
  1. STAR(1993年9月17日)
  2. 藤圭子 伝説の名曲(1999年10月21日)
  3. GOLDEN☆BEST 藤圭子(2005年10月26日)
  4. スーパーベスト(2005年12月11日)
  5. GOLDEN☆BEST 藤圭子 ヒット&カバーコレクション 艶歌と縁歌(2010年12月8日)
  6. 藤圭子 ベスト・ヒット(2012年9月1日)
  7. 藤圭子 スーパー・ヒット(2012年9月1日)
  8. 藤圭子 ベスト・ヒット 昭和歌謡を歌う(2012年11月1日)
  9. 藤圭子 スーパー・ヒット 昭和歌謡を歌う(2012年11月1日)
  10. 新宿の女 (復刻版)(2013年4月10日)※Blu-spec CD2
  11. 女のブルース (復刻版)(2013年4月10日)※Blu-spec CD2
  12. 宇多田純子さん安らかに(2013年9月30日)
  13. さいはての女 (復刻版)(2013年11月27日)※Blu-spec CD2
  14. 知らない町で (復刻版)(2013年11月27日)※Blu-spec CD2
  15. 別れの旅 (復刻版)(2014年2月26日)※Blu-spec CD2
  16. 面影平野 (復刻版)(2014年2月26日)※Blu-spec CD2
CD-BOX
通信販売限定の6枚組CD-BOX。『シングル・コレクション1』『シングル・コレクション2』『ブルース』『怨歌・任侠・さすらい』『昭和の名曲』『リサイタル』 合計101曲収録。
  • 藤圭子 コンプリート・シングル・コレクション 〜15年の輝石〜(2005年9月21日)
通信販売限定の6枚組CD-BOX。『シングル・コレクション1969~1971』『〃1971~1973』『〃1974~1976』『〃1976~1984』『任侠・股旅&80’S歌謡』『大正~昭和名曲集』RCA時代のシングル盤A面B面全曲他 合計109曲収録。
通信販売限定の5枚組CD-BOX。『オリジナルを歌う』『男の情を歌う』『女心を歌う』『人生・昭和を歌う』『ふるさと・叙情を歌う』の五つのテーマで構成されている。自身のヒット曲22曲に加え、男性歌手の曲や抒情歌などカバー曲を86曲、合計108曲収録。
通信販売限定の6枚組CD-BOX。『歌いつがれて25年 藤圭子演歌を歌う』『藤圭子リサイタル』『聞いて下さい私の人生』『さよなら藤圭子-1』『さよなら藤圭子-2』(同タイトルLPのリマスタリング)『ディレクターズ・セレクション』(榎本襄氏選曲によるスタジオ録音8曲)合計110曲を収録。付録の小冊子には、デビューから引退までの10年間担当だった元RCAディレクター榎本襄氏のインタビューも掲載されている。

CMソング編集

NHK紅白歌合戦出場歴編集

年度/放送回 曲目 出演順 対戦相手 備考
1970年(昭和45年)/第21回 圭子の夢は夜ひらく 13/24 西郷輝彦
1971年(昭和46年)/第22回 2 みちのく小唄 09/25 舟木一夫 内山田洋とクール・ファイブのメインボーカル代理として

港の別れ唄』も歌唱[注 9]

1972年(昭和47年)/第23回 3 京都から博多まで 13/22 美川憲一
1975年(昭和50年)/第26回 4 さすらい 03/24 堺正章
1976年(昭和51年)/第27回 5 はしご酒 15/24 殿さまキングス

(注意点)

  • 対戦相手の歌手名の( )内の数字はその歌手との対戦回数、備考のトリ等の次にある( )はトリ等を務めた回数を表す。
  • 曲名の後の(○回目)は紅白で披露された回数を表す。
  • 出演順は「(出演順)/(出場者数)」で表す。

主な出演作編集

映画編集

舞台編集

テレビ番組編集

ほか多数

書籍編集

タイトル 著者 出版年月 出版社 備考
演歌の星 藤圭子物語 藤圭子 1971年7月10日 ルック社 絶版
宇多田ヒカル 母娘物語 石坂まさを 1999年11月1日 ゴマブックス 絶版
きずな 藤圭子と私 石坂まさを 2013年10月10日 文藝春秋 1999年刊行『きずな』の再発売 現在は電子版が入手可能
流星ひとつ 沢木耕太郎 2013年10月11日 新潮社
藤圭子 追悼 夜ひらく夢の終わりに 編集:阿部晴政 2013年10月29日 河出書房新社 KAWADE夢ムック 文藝別冊 総特集 藤圭子
悲しき歌姫 藤圭子と宇多田ヒカルの宿痾 大下英治 2013年11月1日 イースト・プレス
怨歌の誕生 五木寛之 2013年12月12日 双葉社 表題作は1970年6月7日付毎日新聞日曜版エッセイ

『艶歌と援歌と怨歌』に加筆[注 10]。現在は電子版が入手可能

関連作品編集

当時人気放送中だった音楽番組『スター千一夜』を描写した場面の中で、「藤圭子」が主人公の星飛雄馬らと共演している。

脚注編集

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注釈編集

  1. ^ 五木寛之による表現[2]
  2. ^ 3年生半ばまで 旭川市立神居中学校に在校
  3. ^ 桂三枝とのデュエット。
  4. ^ 藤圭子のペンネーム。
  5. ^ with cubic U白鶴のCMソング。
  6. ^ with cubic U
  7. ^ 1984年未発表曲 [20]
  8. ^ 灘五郷(西宮)震災後酒造部門廃業。
  9. ^ 当時の夫であった内山田洋とクール・ファイブメインボーカル前川清が急病でダウンしたため。内山田洋とクール・ファイブの出番自体はフォーリーブスに振り替えられたが、『港の別れ唄』は藤がメインボーカルを担当し残りのメンバーがバックコーラスを務める形で歌われた。
  10. ^ 初出:オール讀物(文藝春秋)1970年10月、1971年『 四月の海賊たち』で単行本化。

出典編集

  1. ^ a b Hikki's WEBSITE (2013年9月5日). “09.05(THU) 09:44 藤圭子を長年応援してくださった皆様へ”. 2013年9月5日閲覧。
  2. ^ “「藤圭子の衝撃、まちがいなく怨歌」五木寛之さん”. 朝日新聞デジタル. (2013年8月22日). オリジナルの2014年7月26日時点によるアーカイブ。. http://web.archive.org/web/20140726085328/http://www.asahi.com/culture/update/0822/TKY201308220390.html 2019年3月20日閲覧。 
  3. ^ Asagei+plus 藤圭子、デビュー時のインパクトは宇多田ヒカルを超えていた2018年12月26日閲覧
  4. ^ a b c “宇多田の祖母逝く…娘、孫との再会の願いかなわず” (日本語). 芸能. (2010年11月6日). オリジナルの2010年11月7日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20101107035549/http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2010/11/06/01.html 2014年8月23日閲覧。 
  5. ^ 石坂まさを著「宇多田ヒカル母娘物語 ゴマブックス[要文献特定詳細情報]
  6. ^ 視力低下の病に悩んだ藤圭子「光が失われないで」と娘を命名 NEWSポストセブン 2013年9月6日
  7. ^ 本人の遺志で…藤圭子さん葬儀行わず親族のみで荼毘に スポニチ 2013年8月24日
  8. ^ 藤圭子さんの遺言書あった…宇多田が明かす「母らしい遺言書」 スポニチ 2013年9月5日
  9. ^ 宇多田ヒカル、散骨した藤圭子さん偲ぶ デイリースポーツ online 2016年3月21日
  10. ^ サンデー毎日2013年9月15日号 藤圭子 「裸電球と畳1枚」に秘めた「怨」
  11. ^ 宇多田ヒカルと何度目?両親も“恒例離婚”[リンク切れ]
  12. ^ 1971年3月発行 月刊平凡 圭子の自叙伝 第2回
  13. ^ a b c d e 大下英治著「悲しき歌姫 藤圭子と宇多田ヒカルの宿痾」 イースト・プレス[要文献特定詳細情報]
  14. ^ 五木寛之著「怨歌の誕生」双葉社[要文献特定詳細情報]
  15. ^ 1974年12月発行 週刊明星 紅白落選に呆然 大ショック 藤圭子が突然発病、ダウン!
  16. ^ 「姉」が藤圭子さんのママぶりを振り返る 〈週刊朝日〉”. AERA dot. (アエラドット). 朝日新聞出版. 2019年3月20日閲覧。
  17. ^ 沢木耕太郎流星ひとつ新潮社、2013年10月。ISBN 978-4103275169 [要ページ番号]
  18. ^ utadahikaruのツイート(217777656861687810)
  19. ^ a b MSN産経ニュース (2009年1月28日). “藤圭子さんに42万ドル返還へ 米空港で06年差し押さえ”. 2009年1月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年1月29日閲覧。
  20. ^ Sponichi Annex 2013年12月21日付

外部リンク編集