2004年アテネオリンピックの体操競技

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2004年アテネオリンピック体操競技(2004ねんアテネオリンピックのたいそうきょうぎ)は、2004年平成16年)8月14日から8月29日までの日程で実施された。体操体操競技新体操トランポリンが実施された。体操競技は男女合わせて14種目、新体操およびトランポリンはそれぞれ2種目が行われた。

概要 編集

体操競技 編集

男子団体総合では、予選は6-5-4制・決勝は6-3-3制が採用された。前年の2003年世界体操競技選手権で金メダルを獲得し、今大会の優勝候補であった中国は滕海浜らのミスでメダル争いから脱落した。最終種目の鉄棒の開始時点では、1位ルーマニア・2位日本・3位アメリカが0.125点差の僅差だった。ルーマニアは一番手のシルビウ・スチウがミス、二番手ラズバン・セラリウが落下と得点が伸びず、アメリカも価値点を下げる安全策をとった上ポール・ハムに大きなミスがあり得点が伸びなかった。日本は米田功・鹿島丈博・冨田洋之がほぼ完璧な演技を披露し、逆転で28年ぶりの金メダルを獲得した[1]。最終演技者の冨田の着地の際、実況の刈屋富士雄が「伸身の新月面が描く放物線は、栄光への懸け橋だ!」と実況し名文句として話題となった[2]。2位にはアメリカが入り、3位はルーマニアとなった。ルーマニアは男子体操史上初の団体メダル獲得となった。

男子個人総合では優勝候補の冨田洋之・楊威中国)にミスが相次ぎ、最終的にポール・ハムが優勝した。この後、3位の梁泰栄韓国)について平行棒の採点が本来なら10点満点で行われるはずのところを審判が誤って9.9点満点で採点していたミスが発覚。正しい採点がされていた場合、ポール・ハムの得点を上回っており、国際体操連盟(FIG)もそれを認めたが、結果は覆らなかった[3]。8月23日にFIG会長のブルーノ・グランディがメダル返還を示唆する[4]等したため、P・ハムへのバッシングが発生した。同年10月にスポーツ仲裁裁判所によりポール・ハムの金メダルが確定した。

男子種目別鉄棒では、アレクセイ・ネモフ(ロシア)の得点が低いと観客からブーイングが起こった。ネモフの得点は9.725点だったが、再協議の末9.762点に訂正された。観客のブーイングで得点が覆る極めて異例の事態となった。訂正後もブーイングが続き競技が中断したが、ネモフ自ら観客を静めるジェスチャーをし、競技が再開された。その直後の演技者だったポール・ハムは銀メダルを獲得し、ネモフは5位に終わった。これらの採点を巡るトラブルをきっかけに、かねてより検討されていた得点制度改革が本格化し、その後10点満点制度が廃止された。

女子団体総合では、エースのカタリナ・ポノルを中心としたルーマニアが2連覇を達成した。

女子個人総合では、16歳のカーリー・パターソン(アメリカ)が優勝。アメリカ選手の優勝はメアリー・ルー・レットン以来20年ぶり。五輪3度目の挑戦となったスベトラーナ・ホルキナ(ロシア)は銀メダルに終わった。

女子種目別では、段違い平行棒で1996年アトランタオリンピック2000年シドニーオリンピックと2連覇中だったホルキナが落下に終わり、3連覇の夢も破れた。代わってエミリー・ルパンネフランス)がフランス女子体操史上初の金メダルを獲得した。他の3種目ではいずれもルーマニアのポノルとモニカ・ロシュが優勝した。

新体操 編集

個人総合は3強と称される アリーナ・カバエワ イリーナ・チャシナ アンナ・ベッソノバの三つ巴の戦いとなった。前回のシドニーでは金メダル確実といわれながらも銅メダルに甘んじたカバエワであったが、アテネでは2位チャシナに1点以上の差をつけ、悲願の金メダルとなった。常にカバエワの後塵を拝してきたチャシナは2種目終了時点で首位につけながらも、最終種目のリボンでミスを犯し銀メダルに終わった。ベッソノバは世界新体操選手権より1つ順位を落とし銅メダルとなった。

団体では前回シドニーに続き、  ロシアが2連覇を達成した。

トランポリン 編集

男子個人では、ユーリー・ニキチンが金ダルを獲得した。2000年シドニーオリンピック金メダリストのアレクサンドル・モスカレンコが2位に終わった。女子個人ではアンナ・ドゴナゼが金メダルを獲得した。ドイツ選手のトランポリン競技でのメダル獲得は史上初。体操競技全般を含めても1936年ベルリンオリンピック体操競技女子団体総合以来のメダル獲得であった。

競技結果 編集

体操競技 編集

男子 編集

種目
団体総合   日本 (JPN)
塚原直也
米田功
鹿島丈博
水鳥寿思
冨田洋之
中野大輔
  アメリカ合衆国 (USA)
モーガン・ハム
ポール・ハム
ジェイソン・ガットソン
ブレット・マクルア
ブレイン・ウィルソン
ガード・ヤング
  ルーマニア (ROM)
マリウス・ウルジカ
マリアン・ドラグレスク
ラズバン・セラリウ
シルビウ・スチウ
ニコラエ・ポトラ
イリー・ダニエル・ポペスク
個人総合   ポール・ハム
アメリカ合衆国 (USA)
  金大恩
韓国 (KOR)
  梁泰栄
韓国 (KOR)
  カイル・シューフェルト
カナダ (CAN)
  マリアン・ドラグレスク
ルーマニア (ROM)
  ヨルダン・ヨブチェフ
ブルガリア (BUL)
鉄棒   イゴル・カッシーナ
イタリア (ITA)
  ポール・ハム
アメリカ合衆国 (USA)
  米田功
日本 (JPN)
平行棒   ワレリー・ゴンチャロフ
ウクライナ (UKR)
  冨田洋之
日本 (JPN)
  李小鵬
中国 (CHN)
あん馬   滕海浜
中国 (CHN)
  マリウス・ウルジカ
ルーマニア (ROM)
  鹿島丈博
日本 (JPN)
つり輪   ディモステニス・タンパコス
ギリシャ (GRE)
  ヨルダン・ヨブチェフ
ブルガリア (BUL)
  ユリ・ケキ
イタリア (ITA)
跳馬   ゲルバシオ・デフェル
スペイン (ESP)
  エフゲニ・サプロネンコ
ラトビア (LAT)
  マリアン・ドラグレスク
ルーマニア (ROM)

女子 編集

種目
団体総合   ルーマニア (ROU)
カタリーナ・ポノル
モニカ・ロシュ
オアナ・バン
アレクサンドラ・エレミア
ニコレッタ・ダニエラ・ソフロニエ
シルビア・ストロエスク
  アメリカ合衆国 (USA)
アニア・ハッチ
テリン・ハンフリー
コートニー・クペッツ
モヒニ・バハドワージ
カーリー・パターソン
コートニー・マックール
  ロシア (RUS)
スベトラーナ・ホルキナ
エレーナ・ザモロドチコワ
リュドミラ・エジョワ
アンナ・パブロワ
マリア・クリウチコワ
ナタリア・ジガンシナ
個人総合   カーリー・パターソン
アメリカ合衆国 (USA)
  スベトラーナ・ホルキナ
ロシア (RUS)
  張楠
中国 (CHN)
  カタリーナ・ポノル
ルーマニア (ROM)
  ニコレッタ・ダニエラ・ソフロニエ
ルーマニア (ROM)
  パトリシア・モレノ
スペイン (ESP)
平均台   カタリーナ・ポノル
ルーマニア (ROM)
  カーリー・パターソン
アメリカ合衆国 (USA)
  アレクサンドラ・エレミア
ルーマニア (ROM)
段違い平行棒   エミリ・ルパンネ
フランス (FRA)
  テリン・ハンフリー
アメリカ合衆国 (USA)
  コートニー・クペッツ
アメリカ合衆国 (USA)
跳馬   モニカ・ロシュ
ルーマニア (ROM)
  アニア・ハッチ
アメリカ合衆国 (USA)
  アンナ・パヴロワ
ロシア (RUS)

新体操 編集

種目
団体総合   ロシア (RUS)
オレシア・ベルギナ
オルガ・グラツキフ
タチアナ・クルバコワ
ナタリア・ラブロワ
エレナ・ムルジナ
エレナ・ポセビナ
  イタリア (ITA)
エリーザ・ブランキ
ファブリツィア・ドッタビオ
マリネラ・ファルカ
ダニエラ・マッセローニ
エリーザ・サントーニ
ローラ・ベルニッツィ
  ブルガリア (BUL)
ザネタ・イリエワ
エレオノーラ・ケジョワ
ゾルニツァ・マリノワ
クリスチナ・ラングエロワ
ガリナ・タンチェワ
ウラジスラワ・タンチェワ
個人総合   アリーナ・カバエワ
ロシア (RUS)
  イリーナ・チャシナ
ロシア (RUS)
  アンナ・ベッソノバ
ウクライナ (UKR)

トランポリン 編集

種目
男子個人   ユーリー・ニキチン
ウクライナ (UKR)
  アレクサンドル・モスカレンコ
ロシア (RUS)
  ヘンリク・シュテーリク
ドイツ (GER)
女子個人   アンナ・ドゴナゼ
ドイツ (GER)
  カレン・コーバーン
カナダ (CAN)
  黄珊汕
中国 (CHN)

国・地域別のメダル獲得数 編集

国・地域
1   ルーマニア (ROM) 4 3 3 10
2   アメリカ合衆国 (USA) 2 6 1 9
3   ロシア (RUS) 2 3 2 7
4   ウクライナ (UKR) 2 0 1 3
5   日本 (JPN) 1 1 2 4
6   イタリア (ITA) 1 1 1 3
7   カナダ (CAN) 1 1 0 2
8   中国 (CHN) 1 0 3 4
9   ドイツ (GER) 1 0 1 2
  スペイン (ESP) 1 0 1 2
11   ギリシャ (GRE) 1 0 0 1
  フランス (FRA) 1 0 0 1
13   ブルガリア (BUL) 0 1 2 3
14   韓国 (KOR) 0 1 1 2
15   ラトビア (LAT) 0 1 0 1
合計 18 18 18 54

脚注 編集

  1. ^ メダル獲得は1992年バルセロナオリンピック以来12年ぶり、金メダル獲得は1984年ロサンゼルス五輪以来24年ぶりだった。なお、団体メンバーの塚原直也は日本五輪史上初の親子金メダリストとなった。
  2. ^ 冨田が8.962を獲得すれば優勝と言う状況であり、演技の途中で優勝を確信。予定していた文句を変更し、NHKの五輪中継テーマソング「栄光の架橋」とかけた
  3. ^ 2004年8月22日 読売新聞「体操の採点ミス認める FIG、審判3人を資格停止処分」
  4. ^ 2004年8月24日 読売新聞「『ハムがメダル返還を…』 グランディFIG会長示唆」

出典 編集

外部リンク 編集