イブン・アキール作戦(イブン・アキールさくせん; ペルシア語: عملیات مسلم بن عقیل‎: ‘Amarīyāt-e Moslem ebn-e ‘Aqīr)は、イラン・イラク戦争中、北部戦線においてバグダードを目指すイラン軍の進撃路に当たるバーフタラーンの国境をめぐる戦いである。なお、作戦名はシーア派第3代イマーム・フサインの従兄弟ムスリム・イブン・アキールから取られた。

イブン・アキール作戦
戦争イラン・イラク戦争
年月日1982年10月1日1982年10月10日
場所:イラン・バーフタラーン
結果:イラクの勝利
交戦勢力
イラクの旗 イラク イランの旗 イラン
指導者・指揮官
不明 不明
戦力
2個師団 国軍・革命防衛隊3〜5個師団
約55,000〜100,000
損害
不明 戦死2,540
戦車12輌
火砲11門破壊
イラン・イラク戦争

概要 編集

イラン・イラク戦争開戦時、イラク軍は首都バグダードに脅威する、戦略的要衝イラク領マンダリ(バグダードまで北東約110kmの位置)を防御すべく、イラン・バーフタラーンにあるカスレ・シリンをめざし国境周辺部を占領した。イランはこれら高地の地点を奪回し、その上で平野部を見下ろす要地を確保すべく(あわよくば首都バグダードへ進撃すべく)作戦することとなった。

イラン軍攻勢 編集

1982年10月1日0050時、イラン軍は攻勢作戦を発起した。約13時間に及ぶ激戦の末、国境部の要衝イーラーム州にあるミヤンダン、ガジケ、コフネリグを占領した。マンダリ〜ナフト・カネンを砲撃できる態勢を整えた。

イラク軍反撃 編集

イラク側は国境から1〜2km占領されたことを認めたが、即日航空攻撃を実施、イラン軍集結地を爆撃し地上部隊を進撃させた。イラン軍は5次に渡る総攻撃を実施したが、10月6日には侵入したイラン軍を壊滅させたと発表、軽火器主体のイラン軍は一蹴された。

その後 編集

イランは当初の目的であった、失地の回復こそ成功したがバグダードへ脅威し、政治的圧力を与えること叶わず、バスラ正面の作戦も不調に終わりホメイニー師によるスローガンであったフセイン打倒とエルサレム進撃の夢は潰えた。

参考文献 編集

  • 鳥井順『イランイラク戦争』(第三書館)
  • 松井茂『イラン-イラク戦争』(サンデーアート社)
  • ケネス・ポラック『ザ・パージアン・パズル 上巻』(小学館

関連項目 編集