イブン・アル=ハイサム(Ibn al-Haitham、本名アブー・アリー・アル=ハサン・イブン・アル=ハサン・イブン・アル=ハイサム Abū ‘Alī al-Haṣan ibn al-Haṣan ibn al-Haythamアラビア語: أبو علي الحسن بن الحسن بن الهيثم‎ )は、イスラム圏の数学者、天文学者、物理学者、医学者、哲学者、音楽学[1]965年 - 1040年)。イラクの都市バスラ出身であったことからアル=バスリー(al-Basri)とも呼ばれていた。西洋ではアルハゼンアルハーゼン(Alhacen 、Alhazen)の名で知られていた。

イブン・アル=ハイサム(イランの高校の教科書に掲載されていた絵)

イブン・ハイサムは光学の諸原理の発見と科学実験手法の発展に対し、近代科学へ重要な貢献をした人物である。また彼が残した光学に関する書物、レンズを使った屈折反射の実験などから「光学の父」ともみなされている。にあるクレーター「アルハゼン・クレーター」 (Alhazen crater) は彼の栄誉を称えて名づけられている。

生涯編集

 
1572年にラテン語に翻訳されたイブン・ハイサム(アルハゼン)の書 Thesaurus opticus (光学の書)の表紙。太陽光を集めてシラクサ沖の軍艦を燃やすアルキメデスの装置が描かれている

イブン・ハイサムは光学理論の研究、および科学研究の実践や手法に関して重大な貢献をした、史上最も偉大な科学者の一人である。

イブン・ハイサムの伝記には不明な部分が多い。[2]。 彼は965年にバスラで生まれた。彼はバグダードで学び、おそらくエジプトカイロで没したと考えられている。 後世の伝記によれば、学芸を保護する一方冷酷な奇人としても知られたエジプトのファーティマ朝の第6代カリフハーキムによってカイロに招かれ、ナイル川の洪水を治める研究をするよう指示された。しかし現地調査の結果、ナイルの洪水を完全に止めることは非現実的だと分かった彼は、正直に結果を語った場合のハーキムの怒りを恐れ、気が狂った振りをした。このためハーキムが1021年に没するまで彼は外出禁止の刑を与えられていた。この時期に研究のための十分な時間を得て、光学、数学、物理学、薬学、および学問の分類や研究手法に関する多くの書物を著した。

後世に作成された彼の著作のリストをつきあせると、200弱のタイトルを数えることができ、そのうち60程度がアラビア語の写本で現存している。 その中で『Kitab al-Manazir』(光学の書、1015年 - 1021年)は特に重要な著書であり、12世紀 の末から13世紀の中頃までの間に恐らくはスペインでラテン語に翻訳され、ヘブライ語、およびイタリア語に訳された。 『光学の書』を併せて計3つの著作がラテン語訳された [3]

プトレマイオスの『光学』『アルマゲスト』など、古代ギリシア古代ローマの光学・天文学・数学を批判的に継承し、画期的な成果を上げた。彼の肖像は2003年、イラクの10,000ディナール紙幣に登場したほか、テヘランに本部を置くイラン原子力庁にあるイラン最大のレーザー研究施設にも彼の名が冠されている。月のアルハゼン・クレーターのほか、小惑星59239(アルハゼン)も彼を記念して名づけられた。

イブン・ハイサムの業績編集

彼の研究は、数多くの実験と数理的な解析の有機的な組み合わせに特徴がある。

光学 編集

イブン・ハイサムの光学研究は、古代以来様々な分野や学派で行われてきた光や視覚に関する研究を綜合し、深めたものである [4]。 それは単なる折衷ではなくより高いレベルでの統合で、後世の光学の研究に決定的な影響を与えた。 特に視覚が光によって引き起こされることを明らかにし、新たな解析手法(点解析 [5])を開発したことは大きな貢献であった。 また、実験を効果的に多用した点は際立った特徴である。

古代ギリシア古代ローマにおいて、Optica (光学)の主たる目的は視覚の説明で、 光は視覚の成立するための必要条件とはされるものの、その主役ではなかった。Dioclesら幾何学者による鏡による集光の理論があったが、それはまた別の学問として扱われた。 視覚論もまた、基本的な理論や興味の対象の違いによっていくつかのグルーブに分かれていた。それらの中でイブン・ハイサムが影響を受けたのは、以下の三つのグループである。

第一は、ユークリッドプトレマイオスらの高度に幾何学的な理論である。彼らは視覚は眼から放出される「視線」が対象に到達して成立するとし、視線の間の角度と見かけの大きさを同一して、物体の見かけの形状や大きさを説明した。また、反射や屈折に関しては、光と視線の両方の反射や屈折を考えることで整合的に説明していた。

第二にガレノスの解剖学や生理学に基づく視覚論があった。これも視線の理論であったが、視線の実体を眼から放出される「プネウマ」だとして、視覚の成立のプロセスを神経や脳の役割にまで踏み込んで説明した[6]

第三はアリストテレスの理論に基づくもので、視覚も他の感覚と同じく、対象物の形相が空気などの媒体を介して感覚器(眼)に流入することで成立するとした。彼らは知覚の理論の一部としての視覚論(『霊魂論』『感覚と感覚されるものについて』)を論じ、虹や暈、幻日などの自然界の光学的な現象に興味をもった(『気象論』『問題集』)。

これらのうち、イブン・ハイサムは特に幾何学的な視覚論、就中プトレマイオスの『光学』に深い影響を受けた。古代から、このユークリッドやプトレマイオス理論の説明能力はアリストテレスに従うものたちからも高く評価されていた[7]。その一方、視線の概念には様々な批判があり、例えば「星にまで届く視線を考えねばならないのは不自然」といった議論は素朴ながら分かりやすい[8]

イブン・ハイサムはこれらの批判を受け入れて視線の理論を否定した。しかしアリストテレス的な立場にも与せず、対象物から到達した光を眼が捉えることで視覚が成立するとした。光線は概ね視線の逆の経路を辿るものであったから、この新しい理論は古代の幾何学的な理論の成果をほぼそっくり取り込むことができた。

この理論に基づいて、彼は独自の視覚の理論を作り上げた。解剖学や生理学についてはガレノスの流れを汲む当時の眼科学の見解を受け入れたが [9]、 彼は眼を光学機器としてとらえ、各々の光線が感知されるポントの幾何的な配置とその後の情報処理だけによって様々な視覚を説明した。 これは、先行する理論が程度の差こそあれ、対象物の形全体や対象物までの距離などのより詳しい情報を直接把握する仕組みを想定できたのとは 対照的である。 彼のこのアプローチは斬新ではあるものの、当時の知見に基づいて(網膜ではなく)水晶体を光を感じる器官としていたことなどから、大枠として正しい分析には至っていない [10]

イブン・ハイサムとそれ以前の光学研究の相違点の一つには、実験の効果的な多用がある。『光学の書』に記述される実験の数はプトレマイオスのそれよりも圧倒的に数が多く、ほぼ全ての重要な論点について一々実験的な証明を付けている。 視線を光に置き換えるにあたっては、直進性や反射、屈折の法則が光について改めて実験的に確認された。例えば、プトレマイオスは標的を鏡や媒質の反対側から覗いたときにどの角度で見えるかを計測したが、それに替えてイブン・ハイサムは光の経路を煙や埃で浮き上がらせて計測している。 しかし、彼の実験的手法の革新性の度合いや近代的な実験科学の始まりとしてよいかといった点については様々な議論がある [11]

彼の理論的な分析で鍵になったのは点解析(punctiform analysis,point analysis) で、これは発光体やそれに照らされた物体の表面の各点から全方向に一様に光が放出され、眼の受光部の各点で感知されるとする。また、明るさは光線の密度に比例するとするとする [12]

この理論の一つの著しい成果はカメラ・オブスクラおよび影の理論である。カメラ・オブスクラについては古くから様々な記述があるが [13]、 現代の光学研究に連なる流れで重要なものとしては、アリストテレスの名を冠した古代の『問題集』がある。同書は木の葉の隙間から洩れた光の像が穴の形に従わずに太陽の形になり、日食時にはその欠ける様も反映されることを指摘している [14]

イブン・ハイサムは『食の形について』という論考で日食(部分食)のカメラ・オブスクラでの観測を扱っており、穴が円形の場合について非常に詳しく点解析を用いて分析し、その他の穴の形の場合についても同様の解析ができること、そして穴の大きさが十分小さい時には像に穴の形が影響しないことを手短に述べている。また、半影を含めた影の形成については同じ手法で『影について』で解析されている[15]。 これらの書は西欧に知られることはなかったが、穴の大きさが無視できる場合のカメラ・オブスクラについてはラテン語訳された『光学の書』にも記述がある[16]

これらは現代から見れば初等的な幾何光学の演習に過ぎない。しかし、『光学の書』導入後の西欧において、穴の形が像の形にほとんど影響しないことを説明しきれずに光の直進性に一定の留保が提案された[17]ことからわかるように、簡単な仮定と幾何学だけからこの現象が説明できることは、決して自明ではなかった [18]

古代の幾何学的な視覚の理論の重要な話題に、反射や屈折による像の反転や変形の問題があった。これらの問題において、イブン・ハイサムは幾何学者としての手腕を余すことなく発揮している。

まず反射光学(catoptrics)では、球面鏡での反射に関する「アルハーゼンの問題」[19]en:Alhazen's problemアルハゼンの定理)の円錐曲線を用いた解の構成方法を与え[20]、この解を用いて球面鏡、円筒鏡および円錐鏡による像を解析した。この「アルハーゼンの問題」は17世紀欧州の数学者たちの興味を引き、ホイヘンスが非常にエレガントな別解を与えている[21]

屈折光学においては[22]、 入射角と屈折角の間に成り立つ定性的な関係や不等式をいくつか提示し、それらに基づいて巧妙に球面レンズによる像の拡大や球面収差などを論じている [23]。また、地平線近辺で天体が拡大されて見える「月の錯視」を地表面近くの水蒸気を多く含んだ大気による屈折と、心理学的な効果の双方で説明しようとした[24]

彼以前は光学の枠外であるとされた鏡やレンズによる集光も、『光学の書』とは別に一連の論考で扱っている。それらの中で『放物線鏡による集光』はラテン語訳され、また球面レンズの集光の研究はal-Farisiの虹の研究に生かされた。

さらに彼は アリストテレスの『気象論』以来の流れを受け、、自然界の光学的な現象、(『虹と暈について』)や日没の際の日光の色といった問題を扱っている [25]

このように、イブン・ハイサムの研究は、それまでは別個に扱われてきた光や視覚に拘わる様々なテーマを網羅していおり、単なる視覚論から脱却した新たな光学の出発を予感させる[26]。 一方、『光学の書』が扱っている内容は一部の例外(光の性質を扱う第一巻三章など)を除いてほぼ視覚論に限定され、その他のテーマは別の著作でカバーしていることは注意すべきである [27]

イブン・ハイサムののち、暫くの間はその光学研究を継承するものはあまり現れなかった。西方イスラム世界に若干の言及と発展がみられるものの、東方においては言及自体が稀で[28]、14世紀初頭になって初めてal-Fārisī(英語版)が『光学の書』に着目し、注釈書Kitab Tanqih al-Manazir (The Revision of the Optics)を著した。これにはイブン・ハイサムの光学関連の著作も「一連のテーマである」として添付され、またal-Fārisī自身の独創的な研究も含められた[29]。特に、その虹の研究はデカルト以前ではもっとも優れたものであった[30]。これ以降、イスラム世界での光学研究は大きな進展は無いようである。

al-Fārisīに先立って『光学の書』(光学の書英語版)はおそらく13世紀の中頃までにはラテン語に翻訳され、深く研究されるはじめる。 中世の大科学者ロジャー・ベーコンの光学研究は同書の強い影響下にあり、ウィテロ, Pecham(英語版),Theodoric of Freiberg(英語版)といった光学理論家らが後に続いた。1250-1400年までの間には多くの写本がつくられた形跡があり、この間、14世紀には俗語であるイタリア語にも翻訳され、絵画理論家たちにも利用された。その後、本書から発展した光学書が流布したこともあり下火になるが、1572年に出版されたRisner (en:Friedrich Risner)の『Opticae Thesaurus』[31]に改訳が収録され、これが広く流布することになる。

16世紀の終わりには、解剖学の進歩によってイブン・ハイサムの依拠した眼の構造の知識の誤りが明らかになり、また欧州における数学的な知識の深化は驚くべきペースで進んだ。 そしてヨハネス・ケプラーにより彼の視覚論は大幅に書き換えられる。しかし、その際に用いられたのはイブン・ハイサムの点解析であった[32]。 その後光学は新たな段階に入るが、デカルトにおいても部分的にはイブン・ハイサムの間接的な影響がみられる。

静力学および動力学 編集

現存はしないものの、イブン・ハイサムは静力学の書を著しており、 11-12世紀のAl-Khazini(英語版)の 『釣り合いの書』("The Book of the Balance of Wisdom", Kitab mizan al-hikma)の引用からその内容を伺うことができる。同時代のアブー・サフル・アル=クーヒーと同様に、彼は物体が地球の中心(当時においては宇宙の中心)に向かう傾向性である重さ(thiql)を、秤ではかることが出来て場所に依存せずに決まる量waznから区別した。この「重さ」は物体の場所に依存する。例えば、梃の支点においては「重さ」は無く、支点からの距離に比例して増加する(これは梃の原理と整合する)。これを地球の中心を梃の支点に見立てるアナロジーから、「重さ」は地球の中心からの距離に依存するとした。この理論では、地球の中心では「重さ」は無くなる[33]

また、彼の『光学の書』では、光の反射や屈折を投射体の運動との比喩で説明している。その際、球体と壁の衝突をやや細かく分析しているが、運動を壁に垂直な方向と水平な方向に分けて各々解析するその分析は、近代的な雰囲気が漂う[34]。しかし、このことをもって近代力学の諸概念を先取りしていたかのような解説がされることもあるが、彼の議論は概ね中世的なインピートゥスの理論en:Theory of impetusの枠内で理解できるものである。

このように光の反射や屈折を投射体の運動とのアナロジーで説明する理論は、『光学の書』に影響を受けた欧州中世の光学研究家が熱心に取り組んだところであり、デカルトニュートンの反射や屈折の力学的な説明もそのような伝統の中で理解することができる。

天文学編集

天文学の著作としては、『世界の配置』(“Configuration of the World”)と『プトレマイオスへの懐疑』(Doubts on Ptolemy)が重要である。

前者は当時のプトレマイオス的な天文学の数値的なモデルに基づいて、天球の三次元的な構造を描き出したもので、ラテン語訳されて流布した。

後者はプトレマイオス天文学の内部的な不整合性やアリストテレス流の自然学との矛盾を指摘したものである。これは、東方イスラム世界においてはマラーガ学派の革新的な数理天文学を生み出す契機になり、またスペインの西方イスラム世界に於いては、イブン・ルシュドやアル・ビトゥルージ(アルペトラギウス)らの天文学改革に大きな影響を与えた。

西方イスラム世界のこの議論はイブン・ルシュドのアリストテレスの著作への注釈を介してラテン欧州にも広く知られ、コペルニクスも言及している。一方、マラーガ学派の数理モデルとコペルニクスのそれは様々な類似が指摘される[35]

数学 編集

数学においては、主に幾何学の分野に功績を残し、代数学にはあまり関与していない。 特に、アポロニウスやアルキメデスの仕事を発展させ、円錐曲線論および図形の面積や立体の体積の求積において重要な業績をのこしている。

参考文献編集

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  • Sabra, A.I.: Optics, islamic. In: Strayer, J.R. (ed.) Dictionary of the Middle Ages, pp. 240–247. Scribner’s sons, New York (1989)
  • Russell GA (1996). The emergence of physiological optics. In: R Rashed (Ed.), The Encyclopedia of the History of Arabic Science. Routledge, London, pp. 672–716.
  • Omar, Saleh Beshara. Ibn al-Haytham's Optics: A Study of the Origins of Experimental Science. Minneapolis: Bibliotheca Islamica, 1977. ISBN 0-88297-015-1
  • Rashed, R. (1996). Geometrical optics. In R. Rashed & R. Morélon (Eds.), Encyclopaedia of the history of Arabic science (Vol. II). London/New York: Routledge.
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  • Rozhanskaya, M. (1996). Statics. In R. Rashed & R. Morélon (Eds.), Encyclopaedia of the history of Arabic science (Vol. II). London/New York: Routledge.

= より詳しい文献編集

  • Kheirandish, E. (2009). Footprints of "Experiment" in Early Arabic Optics. Early Science and Medicine, 14(1/3), 79-104. Retrieved October 14, 2020
  • Lindberg, D.C. The theory of Pinhole images from antiquity to the thirteenth century. Arch. Rational Mech. 5, 154–176 (1968).
  • Raynaud, Dominique. A Critical Edition of Ibn al-Haytham’s On the Shape of the Eclipse. 10.1007/978-3-319-47991-0 (2016).
  • Omar, Saleh Beshara. Ibn al-Haytham and Greek optics: a comparative study in scientific methodology. PhD Dissertation, Univ. of Chicago, Dept. of Near Eastern Languages and Civilizations, June 1975.
  • Sabra, A. I., ed. The Optics of Ibn al-Haytham, Books I-II-III: On Direct Vision. The Arabic text, edited and with Introduction, Arabic-Latin Glossaries and Concordance Tables. Kuwait: National Council for Culture, Arts and Letters, 1983.
  • Sabra, A. I., trans. The Optics of Ibn al-Haytham. Books I-II-III: On Direct Vision. English Translation and Commentary. 2 vols. Studies of the Warburg Institute, vol. 40. London: The Warburg Institute, University of London, 1989. ISBN 0-85481-072-2
  • Sabra, A. I., ed. The Optics of Ibn al-Haytham. Edition of the Arabic Text of Books IV-V: On Reflection and Images Seen by Reflection. 2 vols., Kuwait: The National Council for Culture, Arts and Letters, 2002.
  • Sabra, A. I., "The astronomical origin of Ibn al-Haytham’s concept of experiment," pp. 133-136 in Actes du XIIe congrès international d’histoire des sciences, vol. 3. Paris: Albert Blanchard, 1971; reprinted in A. I. Sabra, Optics, Astronomy and Logic: Studies in Arabic Science and Philosophy. Collected Studies Series, 444. Aldershot: Variorum, 1994 ISBN 0-86078-435-5
  • Smith, A. Mark, ed. and trans. Alhacen's Theory of Visual Perception: A Critical Edition, with English Translation and Commentary, of the First Three Books of Alhacen's De aspectibus, the Medieval Latin Version of Ibn al-Haytham's Kitāb al-Manāzir, 2 vols. Transactions of the American Philosophical Society, 91.4-5, Philadelphia, 2001. ISBN 0-87169-914-1
  • SMITH, A. (2008). ALHACEN’S APPROACH TO ‘‘ALHAZEN’S PROBLEM’’. Arabic Sciences and Philosophy, 18(2), 143-163. doi:10.1017/S0957423908000520
  • Smith, A. Mark, ed. and trans. Alhacen on Refraction: A Critical Edition, with English Translation and Commentary, of Book 7 of Alhacen's De aspectibus, 2 vols. Transactions of the American Philosophical Society, 91.4-5, Philadelphia, 2010.

脚注編集

  1. ^ 湯浅赳男『面白いほどよくわかる 世界の哲学・思想のすべて』日本文芸社、平成17年2月1日改訂第1版、ISBN:4-537-11501-7、p162
  2. ^ Smith, A. Mark, ed. and trans. 2001のintroductionなどを参照
  3. ^ 残りの2つは天文学書『世界の配置』(Configuration of the World)と光学書『放物線鏡による集光』(On parabolic burning mirrors, Liber de speculis comburentibus)。Smith, 2001のIntroduction,1.Ibnal-Haytham: A Biobibliographic Sketch およびhttp://www.jphogendijk.nl/ih/ibnalhaytham.htmlを参照
  4. ^ 本節の記述は、断りのないかぎり、Smith, A. Mark, ed. and trans. , 2001のintroduction, Lindberg, 1976. 及び Raynoud, 2016のintroduction及び Chapter 3による。
  5. ^ 英語ではthe punctiform analysis (Smith 2001及びLindberg 1976) the point analysis(Raynoud, 2016)。
  6. ^ これらの「放出説」の背景としては、プラトンやストア派の哲学の影響が考えられる。Smith 2001, Rusell 1996などを参照。プラトンの視線の理論についてはプラトンティマイオス田之頭安彦訳、岩波書店1975年9月13日、45/46; 同訳書p195
  7. ^ アリストテレスも『気象論』第三巻の虹や暈の理論においては視線の理論を併用している。イスラム期に入ると、キンディーファーラービーといった非常に影響力のあったアリストテレス主義者も視覚論に関しては視線の理論を採用している。Lindberg, 1976などを参照。
  8. ^ 特にガレノスやプトレマイオスの視線の理論では円錐状に宇宙の果てまで視線が充満し、またそれらが多数交錯することになる。古代からの様々な視線の理論をもっとも網羅的に綜合したのは、イブン・ハイサムの同時代人の医師で哲学者のイブン・シーナであった。その他の明快な批判としては、医師アル・ラーズィーのものがある。それは瞳孔の大きさが明るさに応じて変化するのは、眼に入る光が少なすぎると視覚が成立せず、逆に多すぎると眼を傷めるからであるとし、視線の放出の為に開くのではないと主張する。Lindberg, 1976やRussell,1996を参照。
  9. ^ フナイン・イブン・イスハークの『眼科学についての十章』(英語版)などに依拠していると思われる。ガレノスにあっては、各構成要素の幾何的な配置について明確な記述はないが、一方、フナインの同書は水晶体を眼球の中央に据えた。これはガレノスが水晶体に視覚の機能の中核を担わせたからである。中世を否定し古代への回帰を目指す文芸復興期の欧州においても、同書はガレノスの著作とされていたため、権威が損なわれることはなかった。最終的にこれが修正されるのは16世紀末である。
  10. ^ 個々の点においては、正しい部分も多くある。例えば距離の知覚において、途中にあるものの数や形状などが関係することを正しく指摘しているが、両眼視差の役割は理解していない。全般的には、光学機器としての眼の理解が十分でないため、より多くを推論におしつける形になっている。
  11. ^ Kheirandish, 2009の導入部分には、例えば、近代における「探求的な実験」は中世にはなく「検証的な実験」だけがあるといった主張が紹介されている。また、『光学の書』などにおいて、実験の数値的なデータが示されていることがないこと、用いられた機器が簡素であること(壁に穴をあけた暗い部屋など)であることは同書の翻訳Smith, 2001などで確認できる。さらにSmith, 2001のintroductionでは実験が圧倒的に数が多くかつ効果的に用いられていることを認めながら、プトレマイオスの『光学』ですでに実験が用いられていることを指摘。一方、Raynoud 2016では、『食の形について』の分析から、イブン・ハイサムの手法が近代的な実験科学の手法が満たすべき様々な基準をみたしているとする。またSabra 1994やRaynoud 2016は用語の分析から、プトレマイオスの天文学における、データによる仮説の検証の影響を主張。
  12. ^ この手法は、元々は「アラブの哲学者」キンディーが視線の理論の改良のために開発したもので、それを新たな光の理論に合わせて改変した上で洗練し、理論的な解析の主軸に据えた。
  13. ^ 最も古いものは古代中国の『墨子』における記述で、簡潔な文章の中に像の反転など重要なポイントを的確に指摘している。
  14. ^ Raynaud, 2016 などを参照。同書では月の場合は満ち欠けが象に反映されないとしている。
  15. ^ Raynaud, D., 2016を参照。
  16. ^ Lindberg, 1968
  17. ^ Lindberg, 1968, Raynaud, 2016
  18. ^ なお、イスラム世界においては、14世紀初頭にal-Fārisī(英語版)がイブン・ハイサムの研究を実験・理論双方において深めている。西欧に置いて同水準の解析がなされるのは16世紀のケプラーやマウリョリコを待たねばならなかった。それに先立ってフランス南部のユダヤ人学者ゲルソニデスが部分的には成功するものの、まだ完全な分析でないうえにヘブライ語で書かれたその著書がラテン語世界でで広く読まれることはなかった。Raynaud 2016 参照。
  19. ^ この呼び名は17世紀欧州に由来する。現在は最初に問題を提出したプトレマイオスの名も併せて冠することがある。
  20. ^ Smith,2008 を参照。この論文の導入部で指摘されるように、本問題のレビューの多くが混乱している。イブン・ハイサムは本問題で幾何学的に取り組んでいるが、代数的なアプローチをとったと取れる記述がしばしばある。
  21. ^ Smith,2018を参照。 本問題の代数的な側面は、現代でも趣味的で周辺的ななテーマとしてではあるが、一定の興味を引いている。en:Alhazen's problemなどを参照。
  22. ^ 時折、イブン・ハイサムが「屈折の法則に於いてプトレマイオスを改良し、定量的により正しい関係を示した」という記述がみられるが、それは誤まりである。プトレマイオスの『光学』では水やガラスの入射角と反射角の関係を表にして提示しているが(Smith, A. Mark. "Ptolemy's Theory of Visual Perception: An English Translation of the "Optics" with Introduction and Commentary." Transactions of the American Philosophical Society 86, no. 2 (1996): Iii-300. Accessed September 28, 2020. doi:10.2307/3231951.のIntroduction及びBook 5を参照)それらは現代のスネルの法則と照らし合わせてみても、大きなずれはない。これら表の数値はある二次式を誤差なく満たし、かつ数値に端数がないため、データではなく理論的な整理を経たものだと思われる。また、イブン・ハイサムの提示した屈折の諸法則はこれらのプトレマイオスの表と矛盾しない。
  23. ^ Roshdi Rashed, "Geometrical Otics, " in Roshdi Rashed et. al. ed. Encyclopedia of History of Arabic Science (3 vols.), Routledge, 1996, vol 2, p 299-
  24. ^ 彼のこれらの説明は今は誤りであることが示されている。Smith 2010, vol. 2の注193と194を参照。
  25. ^ なお、日の出前の薄明や日没後の薄暮から大気の高さを推測した書『Liber de crepusculis』は彼の名でラテン世界に流通し、今でもイブン・ハイサムに帰する記述があるが、これは12世紀のスペインのイスラム圏の天文学者・数学者 Ibn Muʿādh al-Jayyānī(en:Ibn Muʿādh al-Jayyānī)の著作である Goldstein, B. (1977). Ibn Mu c ādh's Treatise On Twilight and the Height of the Atmosphere. Archive for History of Exact Sciences, 17(2), 97-118やSmith,2001などを参照。
  26. ^ Rashed, 2016
  27. ^ Sabra, 1989
  28. ^ Sabra 2008
  29. ^ Sabra, 1989
  30. ^ Rashed 1996
  31. ^ 他にウィテロのPerspectiva, Ibn Muʿādh al-JayyānīのLiber de crepusculis が収録
  32. ^ Smith, 2001
  33. ^ Abattouy, 2002, Rozhanskaya, M, 1996
  34. ^ Smith, 2001, Sabra,1989
  35. ^ Saliba, George Islamic Science and the Making of the European Renaissance, MIT Press, 2007

外部リンク編集

英語