イブン・アル=ハイサム(Ibn al-Haitham、本名アブー・アリー・アル=ハサン・イブン・アル=ハサン・イブン・アル=ハイサム Abū ‘Alī al-Haṣan ibn al-Haṣan ibn al-Haythamアラビア語: أبو علي الحسن بن الحسن بن الهيثم‎ )は、イスラム圏の数学者、天文学者、物理学者、医学者、哲学者、音楽学[1]965年 - 1040年)。イラクの都市バスラ出身であったことからアル=バスリー(al-Basri)とも呼ばれていた。西洋ではアルハゼンアルハーゼン(Alhacen 、Alhazen)の名で知られていた。

イブン・アル=ハイサム(イランの高校の教科書に掲載されていた絵)

イブン・ハイサムは光学の諸原理の発見と科学実験手法の発展に対し、近代科学へ重要な貢献をした人物である。また彼が残した光学に関する書物、レンズを使った屈折反射の実験などから「光学の父」ともみなされている。にあるクレーター「アルハゼン・クレーター」 (Alhazen crater) は彼の栄誉を称えて名づけられている。

生涯編集

 
1572年にラテン語に翻訳されたイブン・ハイサム(アルハゼン)の書 Thesaurus opticus (光学の書)の表紙。太陽光を集めてシラクサ沖の軍艦を燃やすアルキメデスの装置が描かれている

イブン・ハイサムは光学理論の研究、および科学研究の実践や手法に関して重大な貢献をした、史上最も偉大な科学者の一人である。

イブン・ハイサムの伝記には不明な部分が多い[2]。 彼は965年にバスラで生まれた。彼はバグダードで学び、おそらくエジプトカイロで没したと考えられている。 後世の伝記によれば、学芸を保護する一方冷酷な奇人としても知られたエジプトのファーティマ朝の第6代カリフハーキムによってカイロに招かれ、ナイル川の洪水を治める研究をするよう指示された。しかし現地調査の結果、ナイルの洪水を完全に止めることは非現実的だと分かった彼は、正直に結果を語った場合のハーキムの怒りを恐れ、気が狂った振りをした。このためハーキムが1021年に没するまで彼は外出禁止の刑を与えられていた。この時期に研究のための十分な時間を得て、光学、数学、物理学、薬学、および学問の分類や研究手法に関する多くの書物を著した。

後世に作成された彼の著作のリストをつきあせると、200弱のタイトルを数えることができ、そのうち60程度がアラビア語の写本で現存している。 その中で『Kitab al-Manazir』(光学の書、1015年 - 1021年)は特に重要な著書であり、12世紀 の末から13世紀の中頃までの間に恐らくはスペインでラテン語に翻訳され、ヘブライ語、およびイタリア語に訳された。 『光学の書』を併せて計3つの著作がラテン語訳された [3]

プトレマイオスの『光学』『アルマゲスト』など、古代ギリシア古代ローマの光学・天文学・数学を批判的に継承し、画期的な成果を上げた。彼の肖像は2003年、イラクの10,000ディナール紙幣に登場したほか、テヘランに本部を置くイラン原子力庁にあるイラン最大のレーザー研究施設にも彼の名が冠されている。月のアルハゼン・クレーターのほか、小惑星59239(アルハゼン)も彼を記念して名づけられた。

イブン・ハイサムの業績編集

当時、自然に対するアプローチには、アリストテレス的な自然学によるものと、数学的な諸学によるものがあった。後者は狭義の数学(幾何学、算術、代数)の他に天文学、光学、音楽学、静力学などを含んだ。それらは現象を数学的な理論で説明することを主目的にし、その目的の範囲では一定の成功を収めていた。一方、用いられた数学的な概念の物理的な解釈は時に曖昧なままにされた。

一方、イブン・ハイサムの光学や天文学に研究では、基本的な概念を単なる数学的なフィクションには留めなかった。そのもっとも大きな成果が光学研究で、古代の幾何学的な理論を踏まえながらも、それへのアリストテレス的な批判を十分に吸収して、光学の刷新に成功する。

光学編集

イブン・ハイサムは、古代以来バラバラに行われてきた光や視覚に関する研究を綜合し、深め、後世の光学の研究に決定的な影響を与えた[4]。特に視覚が光によって引き起こされることを明らかにし、新たな解析手法(点解析[5])を開発したことは大きな貢献であった。また、実験を効果的に多用した点は、際立った特徴である。屈折光学に関しては、近代以前では、数少ない包括的で信頼できる典拠の一つであった。

古代の「光学」編集

古代ギリシア古代ローマにおいて、Optica(光学)の主たる目的は視覚の説明で、光は視覚の成立するための必要条件とはされるものの、その主役ではなかった。ディオクレス英語版)ら幾何学者の光を一点に集める鏡 (Burning mirror)の設計の理論があったが、それはまた別の学問として扱われた。

視覚論もまた、基本的な理論や興味の対象の違いによっていくつかに分かれていた。それらの中で、イブン・ハイサムが特に影響をうけたのは、ユークリッドプトレマイオスらの高度に幾何学的な理論である。彼らは視覚は眼から放出される「視線」が対象に到達して成立するとし(外送理論英語版))、それに基づいて物体の見かけを幾何学的に説明した。また反射や屈折に関しては、光と視線の両方の反射や屈折を考えることで整合的に説明していた。医学者ガレノスも、眼や神経、脳の解剖学と生理学に基づいて、ある種の視線論を打ち出した[6]

一方、アリストテレスの流れに組するものは、視覚も他の感覚と同じく、対象物の「形相」が空気などの媒体を介して感覚器(眼)に流入することで成立するとし[7]、視線の理論を様々な論法で批判した。とくに「星にまで瞬時に届く視線を考えねばならないのは不自然」といった議論は素朴ながら分かりやすい[8]

視覚と光の関係編集

イブン・ハイサムは古代の幾何学的な視覚論、とりわけプトレマイオス『光学』を大いに利用しているが、、視線の理論の物理的な不自然さについては、アリストテレス派の見解に同意した。しかし同派の視覚論にも与せず、物体から到達した光と色を眼が捉えることで視覚が成立するという、新たな理論を打ち出した[9]。古代の主要な視覚論では、光は対象や媒質の状況を整える補助的な役割を与えられ[10]、視覚の主体ではなかった。すなわち、彼によって始めて光が「光学」で重要な場所を占めることになった。

彼は古代の幾何的な視覚論の成果を取り入れることができるように、光線が視線と同じ経路を逆向きに進むと仮定した。しかし、新たな理論での視覚の説明には、これまでにない難題があった。眼の入り口には、様々な方向から様々な物体から放出された光が到来する。これらを何も整理せずに感知してしまうと、情報が混線して適切な像は得られない。眼は、この光線を整理して、眼の中の受光部の表面の各点と一対一の対応を確立することが求められる。一方、アリストテレス的な理論では、「形相」がまとまって眼に入ってそのまま感受されるため、このような問題からは縁遠い[11]。幾何学的な視線の理路に於いても、視覚の成立に都合の良いように視線の放出を設定できる。だが、イブン・ハイサムの場合は、「光」という眼とは独立の存在の性質(直進性など)から、上記のプロセスを説明しなければならなかった。

そこで彼は眼を光学機器として分析するという、初めての試みに挑まざるを得なかった。しかし、当時のガレノス流の眼の構造論は、その必要に応えうるほど正確ではなく[12]、これに依拠した彼の理論は、筋は通ってはいるものの正しくはない。しかし、問題設定や分析の手法はヨハネス・ケプラー以降の視覚論でも継承される[13]。また、眼に入射した光が屈折を経てから感知されることを証明するなど、鋭い見識を発揮しているところもある。証明の一環として、古代の視線の理論では説明できない現象を巧みな実験で示しており、彼はこの発見を視線の理論に対する、自らの理論の優位の根拠とした[14]

実験的手法編集

イブン・ハイサムとそれ以前の光学研究の相違点の一つには、実験の効果的な多用がある。『光学の書』に記述される実験の数はプトレマイオスのそれよりも圧倒的に数が多く、ほぼ全ての重要な論点について一々実験的な証明を付けている。ただし、彼の実験的手法と近代的な実験科学の関係につにては様々な議論がある[15]。また、後に述べる屈折の実験のように、どこまで実際に実行したか疑問を持たれている実験もある。

点解析編集

彼の理論的な分析で鍵になったのは点解析(point analysis) で、これは発光体やそれに照らされた物体の表面の各点から全方向に一様に光が放出され、眼の受光部の各点で感知されるとする。また、明るさは光線の密度に比例するとするとする[16]

この理論の一つの著しい成果はカメラ・オブスクラ(ピンホールカメラ)ある[17]。古代から、穴の形が映される像にほとんど影響しないことが難問としてして指摘されていたが[18][19]、それに明快な答えを出したのがイブン・ハイサムの『日食の形について』という論考である[20]。本書が伝わらなかった欧州ではこの問題の扱いは当初迷走し[21]、イブン・ハイサムの水準に到達したのは、17世紀初頭のケプラーやマウリョリコであった[22]

反射と屈折編集

古代の幾何学的な視覚の理論の重要な話題に、反射や屈折による像の反転や変形の問題があった。これらの問題において、イブン・ハイサムは幾何学者としての手腕を余すことなく発揮している。

まず反射光学(catoptrics)では、球面鏡での反射に関する「アルハーゼンの問題」[23]en:Alhazen's problemアルハゼンの定理)の円錐曲線を用いた解の構成方法を与え[24]、この解を用いて球面鏡、円筒鏡および円錐鏡による像を解析した。なお、イブン・ハイサム自身は代数学と幾何的に未知な量を求める問題を別の分野の学問と考えており、この問題は純粋に幾何学的に扱っている。この「アルハーゼンの問題」は17世紀欧州の数学者たちの興味を引き、ホイヘンスが非常にエレガントな別解を与えている[25]

屈折光学に於いては、入射角と屈折角の間に成り立つ定性的な関係や不等式をいくつか提示し、それらに基づいて巧妙に球面レンズによる像の拡大や収差などの、光の経路の幾何学的な性質を詳しく論じている[26]。これらの洗練された理論は、のちにTheodoric of Freiberg(英語版)やal-Fārisī(英語版)の虹の研究の土台になる。

屈折の法則の実験的な研究は、彼の主要な業績として紹介されることがある。しかし、彼の実験のスキームには様々な難点が指摘されており、十分な精度は得られなかったと思われ、実際には実施しなかったとする見解もある[27]。『光学の書』には、実験の結果の記載はなく、理論で用いている関係式や数値は、プトレマイオス『光学』の屈折についての数表と整合的である。ただし、プトレマイオスの実験が本質的に視線の屈折を対象にしているのに対して、イブン・ハイサムは光線の入射角や屈折角の直接の計測を意図している点は新しい。なお、プトレマイオスの数表は現代の屈折の理論の良好な近似になっており、イブン・ハイサムの用いた関係式や結論も概ね正しい。

イブン・ハイサムの屈折光学は、近代以前に於いては突出している。古代でも中世でも、彼以前は、イブン・サフル英語版)を例外として、プトレマイオス『光学』はあまり用いられず、屈折と反射の概念上の区別すら曖昧で、混乱した記述が多くなされていた。彼の『光学の書』は、屈折光学の信頼できる希少な典拠であった。

地平線近辺で天体が拡大されて見える「月の錯視」を地表面近くの水蒸気を多く含んだ大気による屈折と、心理学的な効果の双方で説明しようとした[28]

『光学の書』で扱われた問題編集

『光学の書』で扱われた題材は、眼の構造論を除けば、プトレマイオス『光学』と似た範疇の問題であり、反射や屈折の問題に於いても、最後は視覚への影響が問題とされる。それら以外の問題、例えば光学の枠外であるとされた鏡やレンズによる集光も、別に一連の論考で扱っている [29]。そして、アリストテレス『気象論』以来、主に気象論の対象だったに幾何学的な光学の立場から切り込んだ[30]。なお、日の出前の薄明や日没後の薄暮から大気の高さを推測した書『Liber de crepusculis』は彼の名でラテン世界に流通し、今でもイブン・ハイサムに帰する記述があるが、これは12世紀のスペインのイスラム圏の天文学者・数学者 Ibn Muʿādh al-Jayyānī(en:Ibn Muʿādh al-Jayyānī)の著作である[31]

このように、イブン・ハイサムの研究はそれまで別個に扱われてきた光や視覚に拘わる様々なテーマを網羅しており、単なる視覚論から脱却した新たな光学の出発を予感させる[32]。一方、古代の「光学」に属しないテーマは、一部の例外(光の性質を扱う第一巻三章など)を除いて、『光学の書』以外の著作でカバーしていることは注意すべきである[33]

影響編集

イブン・ハイサムののち、暫くの間はその光学研究を継承するものはあまり現れなかった。特に東方イスラム世界においては言及自体が稀で[34]、14世紀初頭になって初めてal-Fārisī(英語版)が『光学の書』に着目する。彼は注釈書Kitab Tanqih al-Manazir (The Revision of the Optics)を著し、イブン・ハイサムの光学関連の著作も「一連のテーマである」として添付した。「光」を主軸とした学問としての「光学」が明瞭に意識されていることがわかる[35]。またal-Fārisī自身の独創的な研究も含めた。特に、その虹の研究は、イブン・ハイサムの屈折光学を発展させたもので、デカルト以前ではもっとも優れたていた[36]。このal-Fārisīの著作はイスラム圏における光学の標準的な書物となったが、その後、同書を超える成果は現れなかった。

一方ラテン西欧では、al-Fārisīに先立って『光学の書』(光学の書英語版)は13世紀の中頃から深く研究されるはじめる。中世の大科学者ロジャー・ベーコンの光学研究は同書の強い影響下にあり、ウィテロ, Pecham(英語版),フライベルクのデートリッヒ(英語版)といった光学理論家らが後に続いた。1250-1400年までの間には多くの写本がつくられた形跡があり、この間、14世紀には俗語であるイタリア語にも翻訳され、絵画理論家たちにも利用された。その後、本書から発展した光学書が流布したこともあり下火になるが、1572年に出版されたRisner (en:Friedrich Risner)の『Opticae Thesaurus』[37]に改訳が収録され、これが広く流布することになる。

16世紀の終わりには、解剖学の進歩や数学的な知識の深化に支えられ、ヨハネス・ケプラーがイブン・ハイサムの視覚論は大幅に書き換えられる。しかし、そもそも眼を光学機器として見る必要性の認識や、各点から全方位に射出される光を追いかけるという解析は、元々はイブン・ハイサム由来である[38]。その後光学は新たな段階に入るが、デカルトにおいても若干の影響がみられる。

静力学および動力学 編集

現存はしないものの、イブン・ハイサムは静力学の書を著しており、11-12世紀のAl-Khazini(英語版)の 『釣り合いの書』("The Book of the Balance of Wisdom", Kitab mizan al-hikma)に内容の紹介がある。ただし、このレビューは、アブー・サフル・アル=クーヒーの理論とイブン・ハイサムの理論を一体のものとして紹介しており、両者の差異はこれからは明らかではない。

このAl-Khaziniの要約によれば、物体が地球の中心(当時においては宇宙の中心)に向かう傾向性である重さ(thiql)を、秤ではかることが出来て場所に依存せずに決まる量waznから区別した。この「重さ」は物体の場所に依存する。例えば、梃の支点においては「重さ」は無く、支点からの距離に比例して増加する(これは梃の原理と整合する)。これを地球の中心を梃の支点に見立てるアナロジーから、「重さ」は地球の中心からの距離に依存するとした。この理論では、地球の中心では「重さ」は無くなる[39]

また、彼の『光学の書』では、光の反射や屈折を投射体の運動との比喩で説明している。その際、球体と壁の衝突をやや細かく分析しているが、運動を壁に垂直な方向と水平な方向に分けて各々分析したあとに重ね合わせる議論の流れは、近代的な雰囲気が漂う[40]。まず、壁に垂直な成分は、壁に直角に球体を落としたりぶつけた場合と同様の運動になり、衝突の前後で速さは不変で向きが反転する。壁に平行な成分は、何も妨げのない運動と同じで、直進を続ける。これらの合成として、球体の反発が説明れる。ただし、以上は球体の重量を無視した分析であるとし、実際には重さの効果で上記の進路からそれるとする。この分析をもって、近代力学の諸概念を先取りしていたかのような解説がされることもあるが、彼の議論は概ね中世的なインペトゥスの理論(英語版)の枠内で理解できるものである。

このように光の反射や屈折を投射体の運動とのアナロジーで説明する理論は、『光学の書』に影響を受けた欧州中世の光学研究家が熱心に取り組んだところであり、ルネ・デカルトアイザック・ニュートンの反射や屈折の力学的な説明もそのような伝統の中で理解することができる。

天文学編集

天文学の著作としては、『世界の配置』(“Configuration of the World”)と『プトレマイオスへの懐疑』(Doubts on Ptolemy)が重要である。

前者は当時のプトレマイオス的な天文学のモデルに基づいて、天球の三次元的な構造を描き出したもので、数学はおろか数値すらもほとんど現れず、非常に初等的に書かれている。プトレマイオスは円運動の組み合わせで惑星の複雑な運動を近似して見せたが、本書では、アリストテレス的な考えに基づき、それらの円に透明な硬い球体という、物理的な実体を与えている。ヘブライ語やラテン語に訳され、両者ともよく読まれたが、特に前者は広く読まれた。

後者は、プトレマイオスの3つの著作『アルマゲスト』『惑星仮説』『光学』の問題点を列挙したものである。『惑星仮説』への批判は、主に『アルマゲスト』との齟齬に関する点である。『アルマゲスト』批判では、理論の中で重要な役割を果たしているエカントやprosneusis、黄緯のモデルへの批判を述べた部分が歴史上重要である。これらの数学的なモデルが、硬い球体の等速回転という物理的な描像に馴染まないことが批判の根拠である。

プトレマイオス理論の問題点は、『アルマゲスト』でも一部告白されており、古代末期から中世にかけて、様々な批判があった。イブン・ハイサムの議論は、特に新規な点はなかったが、本書を含めた一連の著作で問題を包括的にそして徹底的に掘り下げたため、よく取り上げられた。この後、東方イスラム世界においてはマラーガ学派の革新的な数理天文学を生まれ、またスペインの西方イスラム世界に於いては、イブン・ルシュドアル・ビトゥルージらが独自の天文学改革を志向した。このどちらにおいても、イブン・ハイサムの著作は参照されている。西方イスラム世界のこの議論はイブン・ルシュドのアリストテレスの著作への注釈を介してラテン欧州にも広く知られ、コペルニクスも言及している。一方、マラーガ学派の数理モデルとコペルニクスのそれは様々な類似が指摘される[41]

また、光学と天文学の中間にあたる著作として『月の模様について』『天の川について』といった論考がある。 アリストテレス的な宇宙観によれば、天体の組成は均一でその形状は完全な球であるとされる。これに一見して矛盾するように思われるのが、均質な球であるべき月の滲みのような模様であり、また不定形に見える天の川であった。

当時、月の模様に関しては、①地球との中間点にある何者かである②月の表面が鏡のように地表面の何かを映している、といったアリストテレス説擁護があったが、『月の模様について』で彼は、光学研究に基づいた知見を援用してそれらを論駁し、月そのものが不均一であるとしている[42]

また、天の川についてはアリストテレスは、大気上層部の現象だとしている。これに対しては古代のヨハネス・ピロポノスなどから「気象現象にしては形が一定すぎる」といった反論があったが、データに基づいた緻密な検討はなかった。『天の川について』では、プトレマイオスと自らの観測データを併せて用いて、天の川の視差(場所による見える角度のずれ)を吟味し、月よりも(おそらくは非常に)遠くにあるとしている[43]

数学 編集

数学においては、主に幾何学の分野に功績を残し、代数学にはあまり関与していない。 特に、アポロニウスやアルキメデスの仕事を発展させ、円錐曲線論および図形の面積や立体の体積の求積において重要な業績をのこしている。

参考文献編集

  • Abattouy, Mohammed (2002), "The Arabic Science of weights: A Report on an Ongoing Research Project", The Bulletin of the Royal Institute for Inter-Faith Studies 4, p. 109-130
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  • Sabra, A.I.: Optics, islamic. In: Strayer, J.R. (ed.) Dictionary of the Middle Ages, pp. 240–247. Scribner’s sons, New York (1989)
  • Russell GA (1996). The emergence of physiological optics. In: R Rashed (Ed.), The Encyclopedia of the History of Arabic Science. Routledge, London, pp. 672–716.
  • Omar, Saleh Beshara. Ibn al-Haytham's Optics: A Study of the Origins of Experimental Science. Minneapolis: Bibliotheca Islamica, 1977. ISBN 0-88297-015-1
  • Rashed, R. (1996). Geometrical optics. In R. Rashed & R. Morélon (Eds.), Encyclopaedia of the history of Arabic science (Vol. II). London/New York: Routledge.
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  • Rozhanskaya, M. (1996). Statics. In R. Rashed & R. Morélon (Eds.), Encyclopaedia of the history of Arabic science (Vol. II). London/New York: Routledge.

より詳しい文献編集

  • Eckart, A. (2018). THE EARLY GREAT DEBATE: A COMMENT ON IBN AL-HAYTHAM‘S WORK ON THE LOCATION OF THE MILKY WAY WITH RESPECT TO THE EARTH. Arabic Sciences and Philosophy, 28(1), 1-30. doi:10.1017/S0957423917000078
  • Kheirandish, E. (2009). Footprints of "Experiment" in Early Arabic Optics. Early Science and Medicine, 14(1/3), 79-104. Retrieved October 14, 2020
  • Lindberg, D.C. The theory of Pinhole images from antiquity to the thirteenth century. Arch. Rational Mech. 5, 154–176 (1968).
  • Raynaud, Dominique. A Critical Edition of Ibn al-Haytham’s On the Shape of the Eclipse. 10.1007/978-3-319-47991-0 (2016).
  • Omar, Saleh Beshara. Ibn al-Haytham and Greek optics: a comparative study in scientific methodology. PhD Dissertation, Univ. of Chicago, Dept. of Near Eastern Languages and Civilizations, June 1975.
  • Sabra, A. I., trans. The Optics of Ibn al-Haytham. Books I-II-III: On Direct Vision. English Translation and Commentary. 2 vols. Studies of the Warburg Institute, vol. 40. London: The Warburg Institute, University of London, 1989. ISBN 0-85481-072-2, https://archive.org/details/TheOpticsOfIbnAlHaythamBooksI
  • Sabra, A. I., "The astronomical origin of Ibn al-Haytham’s concept of experiment," pp. 133-136 in Actes du XIIe congrès international d’histoire des sciences, vol. 3. Paris: Albert Blanchard, 1971; reprinted in A. I. Sabra, Optics, Astronomy and Logic: Studies in Arabic Science and Philosophy. Collected Studies Series, 444. Aldershot: Variorum, 1994 ISBN 0-86078-435-5
  • Sabra A.I. (2003) “ Ibn al-Haytham ’s Revolutionary Project in Optics: The Achievement and the Obstacle, ” Hogendijk J.P. and Sabra A.I., eds., The Enterprise of Science in Islam. Cambridge, MA: The MIT Press, pp. 85-118.
  • Smith, A. Mark, ed. and trans. Alhacen's Theory of Visual Perception: A Critical Edition, with English Translation and Commentary, of the First Three Books of Alhacen's De aspectibus, the Medieval Latin Version of Ibn al-Haytham's Kitāb al-Manāzir, 2 vols. Transactions of the American Philosophical Society, 91.4-5, Philadelphia, 2001. ISBN 0-87169-914-1
  • SMITH, A. (2008). ALHACEN’S APPROACH TO ‘‘ALHAZEN’S PROBLEM’’. Arabic Sciences and Philosophy, 18(2), 143-163. doi:10.1017/S0957423908000520
  • Smith, A. Mark, ed. and trans. Alhacen on Refraction: A Critical Edition, with English Translation and Commentary, of Book 7 of Alhacen's De aspectibus, 2 vols. Transactions of the American Philosophical Society, 91.4-5, Philadelphia, 2010.
  • 鈴木孝典, 月の模様に関するアラビアの論考 : イブン・アル=ハイサムの『月の模様について』, 東海大学紀要. 開発工学部 創刊号, 27-44, 1992-03-30

脚注編集

  1. ^ 湯浅赳男『面白いほどよくわかる 世界の哲学・思想のすべて』日本文芸社、平成17年2月1日改訂第1版、ISBN:4-537-11501-7、p162
  2. ^ Smith, A. Mark, ed. and trans. 2001のintroductionなどを参照
  3. ^ 残りの2つは天文学書『世界の配置』(Configuration of the World)と光学書『放物線鏡による集光』(On parabolic burning mirrors, Liber de speculis comburentibus)。Smith, 2001のIntroduction,1.Ibnal-Haytham: A Biobibliographic Sketch およびhttp://www.jphogendijk.nl/ih/ibnalhaytham.htmlを参照
  4. ^ 本節の記述は、断りのないかぎり、Smith 2001のintroduction, Lindberg 1976. 及び Raynoud 2016のintroduction及び Chapter 3による。なお、イブン・ハイサムまでの前史においては、古代末期やイスラム期の進展(6世紀のヨハネス・ピロポノスや9世紀のキンディーなど)も無視できない。
  5. ^ 英語ではthe punctiform analysis (Smith 2001及びLindberg 1976) the point analysis(Raynoud, 2016)。
  6. ^ これらの視線の理論の背景としては、プラトンやストア派の影響が考えられる。Smith 2001, Rusell 1996などを参照。プラトンの視線の理論についてはプラトンティマイオス田之頭安彦訳、岩波書店1975年9月13日、45/46; 同訳書p195
  7. ^ 霊魂論』『感覚と感覚されるものについて』など。ただしガレノスとは異なり、眼や神経の構造やそこにおける具体的なプロセスには触れない。
  8. ^ 同じ視線の理論でも、その内容は論者によって様々な違いがあった。それらをいくつかに分類して整理した上で徹底した反論を加えたのは、イブン・ハイサムの同時代人の医師で哲学者のイブン・シーナの『治癒の書』の霊魂論であった(Lindberg 1976, Russell 1996)。ただし、イブン・ハイサムやイブン・シーナ以降も視線の理論は併用される(Lindberg 1976)。光線と視線は向きは逆でも線としては同一であったので、便宜的な処方としてはマウリョリコやガリレオも用いている(Smith 2001)。
  9. ^ イブン・ハイサムの考えでは、色は光とは別のものであって、各々の物体の性質の一つである。ただし光と合わさって物体から眼に伝搬する。また、光源が発する一次光(primary light)が不透明な物体に照射されると、一度すべて吸収され、あらたに二次光(secondary light)が生じるとされた。一次光と二次光は違ったものとされたので、反射や屈折などの法則はすべて各々別に確認されている(以上、Sabra, 2003)。現在では色は光の性質である波長の反映であり、また一次光と二次光の区別は存在しない。
  10. ^ より正確には、アリストテレスの理論では、媒質が透明になって形相を伝達できる状況(可能的に透明な物体の現実態)のことを「光」とよぶ。
  11. ^ このような性質ゆえに、幾何的な理論とは馴染みが薄かった。
  12. ^ フナイン・イブン・イスハークの『眼科学についての十章』(英語版)などに依拠していると思われる。フナインの同書は水晶体を眼球の中央に据えた。これはガレノスが水晶体に視覚の機能の中核を担わせたからであり、眼の断面図と正面図を一枚の図で表すためにも都合がよかった。ただし、眼の様々な部分の形状や配列順序の記述はおおむね正しい。中世を否定し古代への回帰を目指す文芸復興期の欧州においても、同書はガレノスの著作とされていたため、権威が損なわれることはなかった。最終的にこれが修正されるのは16世紀末である。
  13. ^ Russell 1996
  14. ^ Sabra, 2003
  15. ^ Kheirandish, 2009の導入部分には、例えば、近代における「探求的な実験」は中世にはなく「検証的な実験」だけがあるといった主張が紹介されている。また、『光学の書』などにおいて、実験の数値的なデータが示されていることがないこと、用いられた機器が簡素であること(壁に穴をあけた暗い部屋など)であることは同書の翻訳Smith, 2001などで確認できる。さらにSmith, 2001のintroductionでは実験が圧倒的に数が多くかつ効果的に用いられていることを認めながら、プトレマイオス『光学』ですでに実験が用いられていることを指摘。一方、Raynoud 2016では、『食の形について』の分析から、イブン・ハイサムの手法が近代的な実験科学の手法が満たすべき様々な基準をみたしているとする。またSabra 1994やRaynoud 2016は用語の分析から、プトレマイオスの天文学における、データによる仮説の検証の影響を主張。
  16. ^ この手法は元々は9世紀の「アラブの哲学者」キンディーが視線の理論の改良のために開発したもので、イブン・ハイサムはそれを新たな光の理論に合わせて改変した上で洗練した。
  17. ^ 最も古いこの現象の記述は古代中国の『墨子』に見える。簡潔な文章の中に像の反転など重要なポイントを的確に指摘している。
  18. ^ アリストテレスの名を冠した古代の『問題集』には木の葉の隙間から洩れた光の像が穴の形に従わずに太陽の形になり、日食時にはその欠ける様も反映されることを指摘している。また、網篭の四角形の隙間から洩れる光の像が丸みを帯びることも指摘している。共に穴の形と映される像の関係についての問題である。Raynaud, 2016 などを参照。同書では月の場合は満ち欠けが象に反映されないとしている。
  19. ^ なお、穴が点で近似できるほど小さいカメラ・オブスクラについては、ラテン語訳された『光学の書』にもやや詳しく述べられており、アリストテレスの名を冠した『問題集』などとともに欧州での研究の出発点になっている。
  20. ^ 穴が円形の場合については詳しく述べ、それ以外の形の穴の場合は同様の解析が可能であることと結論だけを述べている。この詳細も含めて詳しく明らかにしているのは、後に述べるal-Farisiである。彼は実験においても飛ぶ鳥を映しだすなどより進歩している。
  21. ^ 13世紀の後半、ロジャー・ベーコンら欧州の錚々たる光学家たちがこの問題について迷走した様はLindberg 1968を参照。Pechamは彼の手になる光学書で「光は丸くなる傾向がある」などとし、カメラ・オブスクラの現象と光の直進性が両立しうるか疑問を呈した。
  22. ^ なお、イスラム世界においては、14世紀初頭にal-Fārisī(英語版)がイブン・ハイサムの研究を実験・理論双方において深めている。欧州においても14世紀にポーランドのEgidius of Baisiuとフランス南部のユダヤ人学者ゲルソニデスが正しい方向に向かった理論的な考察をしており、後者はそれを太陽の視半径の観測に応用していた。ただし、それらもまだ不完全な点が多々あり、また広く知られることはなかった。Raynaud 2016 参照。ゲルソニデスについては Goldstein B.R. (1985) The Astronomy of Levi ben Gerson (1288–1344). A Critical Edition of Chapters 1–20 with Translation and Commentary. Springer により詳しい説明がある。
  23. ^ この呼び名は17世紀欧州に由来する。現在は最初に問題を提出したプトレマイオスの名も併せて冠することがある。
  24. ^ Smith,2008 を参照。この論文の導入部で指摘されるように、本問題のレビューの多くが混乱している。
  25. ^ Smith,2018を参照。 本問題の代数的な側面は、現代でも趣味的で周辺的ななテーマとしてではあるが、一定の興味を引いている。en:Alhazen's problemなどを参照。
  26. ^ Rashed, 1996
  27. ^ Smith, 2010, vol.1 pp. liii-lvi を参照。Smith自身はこの実験は行われなかったと推測している。
  28. ^ 彼のこれらの説明は今は誤りであることが示されている。Smith 2010, vol. 2の注193と194を参照。
  29. ^ それらの中で『放物線鏡による集光』はラテン語訳され広く読まれた。これは紀元前2-3世紀の数学者Dioclesの放物線鏡に関する『集光鏡について』の写本の証明が完全に欠落していたのを補ったものである。また『球面レンズによる集光』は後に述べるal-Farisiによって発展され、虹の研究に生かされた
  30. ^ 『虹と暈について』。雲全体が一つの球面鏡を成すとして光の反射の法則を用いて虹の形状を説明した( Sabra, 1983, vol 2., page xlvi)。勿論この理論は正しくない。
  31. ^ Smith,2001などを参照。また、 Goldstein, B. (1977). Ibn Muddādh's Treatise On Twilight and the Height of the Atmosphere. Archive for History of Exact Sciences, 17(2), 97-118も参照。
  32. ^ Rashed, 2016
  33. ^ Sabra, 1989による。ただし、Rashed(Rashed, 2016)は『光学の書』の反射や屈折を扱った部分のかなりの部分が、問題の記述こそ形式的に視覚をもちだすものの、実質的には光そのものの研究であるとしている。
  34. ^ スペインの西方イスラム世界では多少様子が異なる。Sabra 2008.
  35. ^ Sabra, 1989
  36. ^ Sabra, 1989, Rashed 1996
  37. ^ 他にウィテロのPerspectiva, Ibn Muʿādh al-JayyānīのLiber de crepusculis が収録
  38. ^ Smith, 2001
  39. ^ Abattouy, 2002, Rozhanskaya, M, 1996
  40. ^ Smith, 2001, Sabra,1989
  41. ^ Saliba, George Islamic Science and the Making of the European Renaissance, MIT Press, 2007
  42. ^ 鈴木 1992
  43. ^ Eckart 2018

外部リンク編集

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