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エールフランス447便墜落事故(エールフランス447びんついらくじこ)は、2009年6月1日エールフランス447便が大西洋上に墜落した航空事故である。

エールフランス 447便
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事故機(F-GZCP)
出来事の概要
日付 2009年6月1日
概要 ピトー管への着氷による対気速度計の異常、副操縦士の操縦ミスによる失速
現場 赤道付近の大西洋
乗客数 216
乗員数 12
負傷者数
(死者除く)
0
死者数 228(全員)
生存者数 0
機種 エアバスA330-200
運用者 フランスの旗 エールフランス
機体記号 F-GZCP
出発地 ブラジルの旗 アントニオ・カルロス・ジョビン国際空港
目的地 フランスの旗 パリ=シャルル・ド・ゴール空港
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自動操縦が解除されて機体が失速した際に、操縦士が本来行うべきごく初歩的な回復動作を誤ったことが主な原因[1]。航空技術が著しく発展したはずの21世紀において、ヒューマンエラーが招いた大事故として知られる。

乗客・乗務員編集

 
捜索に向かうブラジル空軍機
 
会見を行う伯仏両国の担当者
  • 乗員:12名
  • 乗客:216名
    • 126人の成人男性
    • 82人の成人女性
    • 7人の子ども
    • 1人の乳児

エールフランスによると、乗客乗員の国籍は大部分がフランス人(61人)とブラジル人(58人)、次いでドイツ人(26人)である。

2009年6月1日同社[誰?]同社発表による乗客・乗員の国籍のリストを下記に示す[2] (これは6月3日発表の搭乗した乗員・乗客75名の部分的リストも含まれる)[3]

以下は各国政府等、他の情報源の発表[10]による:

ブラジル人では、旧ブラジル皇帝家の子孫の1人で、将来的にヴァソウラス系ブラジル帝位請求者となることが確実視されていたペドロ・ルイス・デ・オルレアンス・イ・ブラガンサの搭乗も確認された。

ミシュラングループのフランス人の幹部社員1人と、ラテンアメリカの最高経営責任者を含むブラジル人の幹部社員2人、ドイツの鉄鋼会社ティッセン・クルップのブラジルの関連企業のCSAの社長、そして中華人民共和国の国営報道メディアの8人と海外在住のファーウェイの従業員1人、同国の鉄鋼企業の6人も乗客だった。

アイルランド外務省は、ベルファスト、ダブリン、およびティペラリーから1人ずつ、女性市民3人の搭乗を確認した。この内ベルファストからの乗客はリバーダンスブロードウェイ公演に出演した俳優[11]で、ブラジルでの休暇から帰国中と判明した。

スウェーデン大使館によれば、同国人に女性2人と、生後23カ月の幼児を含む合計3人の乗客がいた。しかし、この報告はエールフランスによる発表と矛盾する。同社は、全乗客中のスウェーデン人は1人のみと発表した。

概要編集

対気速度計(ピトー管)が凍結で作動せず、自動操縦が解除された。その後、副操縦士が機首を上げすぎたため失速状態に陥った。失速状態から回復するためには機首を下げて速度回復すべきところを、副操縦士がさらにサイドスティックを引き続けたため、腹打ち状態で海面に墜落した。

事故機の経歴編集

447便として運用されていたのは長距離路線用の双発ワイドボディ機エアバスA330-200機体記号はF-GZCP)で、初飛行は2005年2月25日で、墜落までの飛行時間は18870時間であった。

事故の概略編集

 
事故機の飛行経路(予定されていた経路と消息を絶った地点)

447便は乗客216人、乗員12人を乗せ、現地時間の5月31日19時3分にブラジルリオデジャネイロアントニオ・カルロス・ジョビン国際空港を出発した。同便はフランスパリシャルル・ド・ゴール国際空港に現地時間の6月1日11時10分到着予定だった。

グリニッジ標準時間 (GMT) の6月1日2時14分頃、最後に交信した後に消息を絶った。電気系統の異常を知らせる自動メッセージが同機から発せられた。当時航路上では落雷を伴う乱気流が発生していた[12][13]。また、同時間帯に現場付近を飛行していたTAMブラジル航空エア・コメットの乗客・乗務員が「炎に包まれたもの」や「強烈な閃光」を機内から目撃しており、ブラジルやフランス、スペインなどの各軍隊が、消息を絶ったブラジル沿岸から北東約365kmフェルナンド・デ・ノローニャ周辺で捜索を行った。

捜索編集

6月2日ブラジル空軍セントピーター・セントポール群島付近の大西洋上で座席やジェット燃料などの残骸を発見した[14]。ブラジルのネルソン・ジョビン国防相は、墜落を確認したと発表したが、後に当機のものでないと判明した[15]

6月7日、ブラジル軍が乗客の遺体やエールフランスの社名入り座席や機体の残骸、447便の搭乗チケットなどの遺品を相次いで発見した[16]。翌8日には垂直尾翼を回収した[17]

その後もブラジル海軍に加え、仏海軍が観測艦「プルクワ・パ?」に搭載している水中探査機原子力潜水艦エムロード[18]を動員して機体の残骸やフライトデータレコーダーの捜索・回収を行っていたが、6月26日に機体の残骸と遺体の捜索を打ち切った。捜索で600点近い機体の残骸と51人の遺体が回収された。

ブラックボックスの捜索は、水深が4,000m程度と深く、海底の高低差があったため難航した。仏軍主導で7月2日まで続けられた後に一旦打ち切られたが、2010年2月より再開し、2011年4月3日にエンジンと主翼の一部を発見した。5月1日にアメリカの深海探査艇「レモラ6000」によりブラックボックスが回収された[19]。生存者はその後も発見されず、全員が犠牲になったとされ、エールフランスの75年の歴史において最悪の事故になった[20][21]

事故原因編集

 
回収された事故機の垂直尾翼

事故原因については、落雷が発生して電気系統が故障したのではないかという説[22]や乱気流に入る際の速度を誤ったのではないかという説[23]、消息を絶つ直前に事故機の速度計に異常が発生していたという説[24]、エールフランス社がエアバス社に勧告されていた速度計の交換を行わなかったためではないかという説[25]などが浮上したが決め手に欠けた。

事故原因の解明が進んだきっかけは2011年5月2日に仏航空機事故調査局(BEA)が墜落現場の海底からフライトレコーダーを発見し、回収したことによる[26]。フライトレコーダーを調査した結果、墜落の詳細が次第に明らかになった[27]

事故発生前、機長は休憩中のためコックピットを離れていた。コックピットにいたのは交代操縦士と副操縦士だった。このとき片方のピトー管が着氷し、二つの速度計が異なる値を示したため自動操縦は不可能になった。手動で操縦し、機首を上げていくと対気速度が落ちて失速警報が鳴り始めた。失速した際は操縦桿を前に倒して機首を下げるのが通常の対処であるが、副操縦士は逆に操縦桿をさらに引いてエンジンをフルスロットルとしたため機体の迎角が増加し、対気速度がさらに低下した[28]。この時、二人のパイロットが失速警報について話し合った様子はなかった。失速警報が作動し高度が下がり続けている間も、速度計が正確な数値を示していないためパイロット達は何の警報が作動しているのか分からなかった。やがて交代操縦士が副操縦士から操縦を引き継ぎ、速度を出すべく操縦桿を前に倒して機首を下げようと試みた。しかし交代操縦士が操縦を引き継いだことは副操縦士にはうまく伝わっておらず、依然として副操縦士は下がり続ける高度を上げようと操縦桿を目一杯引いていた。一方で隣の席の交代操縦士は操縦桿を前に倒していた。2人のパイロットが正反対の操作(機首上げと機首下げ)を同時に行った結果、操作指示が相殺されて機体の姿勢を立て直すことができなかった。機長がコックピットに戻った時には完全な失速状態になっていた。

ボイスレコーダー(CVR)によれば、交代操縦士が「上昇しろ」と叫んだ[29]のに対し、副操縦士は「さっきからずっと操縦桿を引いている」と言っていたことが判明した[29]。副操縦士が失速状態にも関わらず操縦桿を引き続けていることに気づいた機長は「機首を上げるな」と指示した[29]。副操縦士が操縦桿を手放したため機首が下がり始めたが、既に手遅れの状態となっていた。墜落のおよそ5秒前、交代操縦士は「なんてことだ、墜落するぞ、ありえない」と叫び[29]、先ほどまで操縦桿を引き続けていた副操縦士は「しかし何が起こったんだ?」と叫んだ[29]。機体はそのまま海面に叩きつけられた。

操縦輪式のボーイング機とは異なり、ジョイスティック方式のエアバス機では2本の操縦桿が機械的に連結されていない(タンデムしていない)ため、2人のパイロットが互いに正反対の操作をしていることを認識できなかったこと[27]や、エアバス機の迎角センサが対気速度センサに依存する仕様だった[27]ために機体が完全に失速して対気速度が小さくなった時点で迎角センサが機能しなくなり、これにより失速警報が停止してしまったこと[27]も事故の要因となったと考えられている。

報告書では、失速警報がたびたび鳴っているにもかかわらず適切な操作が行われておらず、「失速状態にあることをしっかり認知していなかった」とも指摘されていた。また副操縦士が高高度における”計器速度の誤表示”への対応と、マニュアルでの機体操作訓練を受けていなかったことも後に判明した。

第三次中間報告編集

2011年7月29日、BEAは事故の調査状況に関する第三次中間報告書を公開した[30]。この報告書には要約版[31]と、安全対策の勧告書[32]が添付されている。

第三次中間報告は幾つかの新事実を確立している。

  • 交代操縦士と副操縦士は速度計が信頼出来ない場合の対処手順を適用しなかった
  • 副操縦士が操縦桿を引き続けたので、機体は迎角が上がり急速に上昇した
  • 操縦士たちは機体が最大上昇限度に到達したことに明らかに気付かなかった
  • 操縦士たちは計器表示を読み取っていなかった(垂直速度や高度など)
  • 失速警報は54秒間連続で鳴動していた
  • 交代操縦士と副操縦士は失速警報について何ら会話しておらず、明らかに失速を認識していなかった
  • 失速に伴ってバフェットが発生していた
  • 失速警報は迎角の測定値が無効と看做された場合に停止する仕様であり、対気速度が一定値を下回るとそのような条件が満たされた
  • その結果、操縦桿を押すと失速警報が鳴動し、操縦桿を引き戻すと警報が止まるという状況に陥り、それが失速してから何度も繰り返された。これが操縦士たちを混乱させた恐れがある
  • 操縦士たちは高度が急速に落ちていることに気付いていたにも関わらず、どの計器を信用すべきか分らなくなった。全ての値が支離滅裂に見えたかも知れない[30][要ページ番号]

最終報告編集

2012年7月5日、仏航空事故調査局(BEA)は、事故原因を速度計(ピトー管)の故障と操縦士の不手際が重なったこととする最終報告書を発表した[1]

参考文献編集

関連項目編集

映像化編集

出典・脚注編集

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  1. ^ a b 仏機墜落事故、原因は「計器故障と操縦士の不手際」最終報告AFP.BB.News(2012年7月6日)同日閲覧
  2. ^ Press release N° 5”. Air France (2009年6月1日). 2009年6月5日閲覧。
  3. ^ List of passengers aboard lost Air France flight”. Associated Press (2009年6月3日). 2009年6月3日閲覧。[リンク切れ]
  4. ^ a b “Zeisterse in verdwenen Air France vlucht” (Dutch). rtvutrecht.nl. ({{{Expansion depth limit exceeded}}}). http://www.rtvutrecht.nl/nieuws/211178 
  5. ^ Airbus-Absturz: Jetzt 28 Tote” (2009年6月4日). 2009年6月5日閲覧。
  6. ^ a b Alexander kommer aldri tilbake på skolen (Norwegian). Dagbladet. (2009年6月3日). http://www.dagbladet.no/2009/06/03/nyheter/utenriks/air_france-ulykken/flystyrt/6527897/ 2009年6月3日閲覧。 
  7. ^ a b En el avión desaparecido de Air France iba una azafata argentina (Spanish). Clarín. (2009年6月2日). http://www.clarin.com/diario/2009/06/02/um/m-01931369.htm 2009年6月2日閲覧。 
  8. ^ “Flygplan försvann över Atlanten”. Dagens Nyheter. (2009年6月1日). http://www.dn.se/nyheter/varlden/flygplan-forsvann-over-atlanten-1.881261 [リンク切れ]
  9. ^ “The Last Resital in Rio de Janerio”. Korhan Bircan. (2009年6月6日). http://www.airfrance447.com/06/05/fatma-ceren-necipoglu-37-turkey-harpist-academic 
  10. ^ Passenger List
  11. ^ Riverdance star on lost airliner”. BBC. 2009年6月3日閲覧。
  12. ^ 日本乗員組合連絡会議・ALPA Japan事務局 (2012年8月2日). “AF447 便の事故報告書(1) (PDF)” (日本語). http://alpajapan.org/. ALPA Japan(AirLine Pilots' Association of JAPAN)/ 日本乗員組合連絡会議. 2019年2月閲覧。
  13. ^ 日本乗員組合連絡会議・ALPA Japan事務局 (2015年12月18日). “AF447 便の事故報告書(2) (PDF)” (日本語). http://alpajapan.org/. ALPA Japan(AirLine Pilots' Association of JAPAN)/ 日本乗員組合連絡会議. 2012年8月2日閲覧。
  14. ^ 青木謙知『飛行機事故はなぜなくならないのか55の事例でわかった本当の原因』講談社〈ブルーバックス〉、2015年、98頁。ISBN 978-4-06-257909-4
  15. ^ 回収物は「仏機の残骸ではなかった」と ブラジル空軍”. CNN. 2009年6月5日閲覧。[リンク切れ]
  16. ^ エールフランス機墜落で17遺体収容 ブラジル軍[リンク切れ]- CNN日本語版
  17. ^ Air France tail section recovered”. BBC. 2009年6月15日閲覧。
  18. ^ エールフランス機捜索、仏が原潜投入[リンク切れ] 読売新聞 2009年6月6日
  19. ^ 青木謙知『飛行機事故はなぜなくならないのか55の事例でわかった本当の原因』講談社〈ブルーバックス〉、2015年、100頁。ISBN 978-4-06-257909-4
  20. ^ 大西洋上で発見の残骸、不明の仏機と断定[リンク切れ] CNN日本語版
  21. ^ 大西洋上の残骸はエールフランス機の一部=ブラジル国防相 ロイター通信日本語版
  22. ^ 不明の仏機、落雷被害か 障害連鎖、回避困難に?[リンク切れ] asahi.com 朝日新聞社 2009年6月3日閲覧
  23. ^ 事故機、適切な速度出さず?=仏紙”. 時事通信. 2009年6月5日閲覧。[リンク切れ]
  24. ^ エールフランス機の墜落原因、速度計の異常か 仏事故調査局”. AFP. 2009年6月5日閲覧。
  25. ^ エールフランス、エアバス社の速度計交換勧告を怠った疑い”. Yomiuri Online. 2009年6月7日閲覧。[リンク切れ]
  26. ^ 大西洋で墜落のエールフランス機、記録装置を2年ぶり回収”. CNN.co.jp. 2011年5月2日閲覧。[リンク切れ]
  27. ^ a b c d Henry Blodget (2012年5月1日). “FINALLY: New Details Explain Why Air France Jet Plunged Into The Atlantic”. Business Insider. 2018年8月20日閲覧。
  28. ^ 日本乗員組合連絡会議・ALPA Japan事務局 (2015年12月18日). “AF447 便の事故報告書(3) (PDF)” (日本語). http://alpajapan.org/. ALPA Japan(AirLine Pilots' Association of JAPAN)/ 日本乗員組合連絡会議. 2012年8月2日閲覧。 “19.FD の表示を追ったか 大きな機首上げ操作は、ロール方向の操舵に注意が集中し力が入りすぎただけでは説明できない部分があります。特に失速警報が作動したのち、推力を最大(TOGA) にして、大きく機首上げ操作を行っている部分です。現在の規定ではFDR は機長席とスタンバイ計器の表示を記録するようになっており、副操縦士(右)側の表示は記録されていません。これに関してはCockpit Image Recorder が有益であるとされています。しかしコンピューターの作動を解析して右側のFD の指示を推定できました。FD は断続的に消えたり出たりしていますが、出ている時間の大半は機首上げ側を示していました。失速警報はFD には何ら反映されず、機長が操縦席に戻ったときには、連続して失速警報が作動し続けていましたが、FDはほぼ機首上げ一杯を示していました。”
  29. ^ a b c d e Air France 447 CVR Transcript”. Cockpit Voice Recorder Database (2014年). 2018年8月20日閲覧。
  30. ^ a b BEA third 2011.
  31. ^ (PDF) Synthesis Note on Interim Report No. 3, BEA, (29 July 2011), http://www.bea.aero/fr/enquetes/vol.af.447/note29juillet2011.en.pdf 
  32. ^ (PDF) Safety Recommendations from Interim Report No. 3, BEA, (29 July 2011), http://www.bea.aero/fr/enquetes/vol.af.447/reco29juillet2011.en.pdf 
  33. ^ FINAL REPORT Accident on 24 July 2014 near Gossi (Mali) to the McDonnell Douglas DC-9-83 (MD-83) registered EC-LTV operated by Swiftair S.A. (PDF)” (英語). BEA - Bureau d'Enquêtes et d'Analyses pour la sécurité de l'aviation civile. Bureau of Enquiry and Analysis for Civil Aviation Safety (2016年4月22日). 2019年2月閲覧。 “There was no sign of a reaction by the crew, other than the throttles movements, until the disconnection of the autopilot51 which occurred 25 seconds after the triggering of the stickshaker. The speed was then 162 kt, the altitude had decreased by about 1,150 ft. The aeroplane was banking to the left and its pitch was decreasing. The crew applied input mainly to roll to the right to bring the wings level. At the same time, they applied mainly noseup inputs, contrary to the inputs required to recover the stall and continued to do so until the ground.”