カドージェネルーCadeaux Genereux, 1985年3月22日 - 2010年11月18日)は、イギリス競走馬種牡馬。おもに短距離路線で活躍し、1989年のジュライカップなどに優勝した。

カドージェネルー
欧字表記 Cadeaux Genereux
品種 サラブレッド
性別
毛色 栗毛
生誕 1985年3月22日[1]
死没 2010年11月18日[2]
Young Generation
Smarten Up
母の父 Sharpen Up
生国 イギリスの旗 イギリス
生産者 Mrs R B Kennard[1]
馬主 Maktoum Al Maktoum[1]
調教師 Olivier Douieb
Alex Scott[1]
競走成績
生涯成績 15戦7勝
獲得賞金 293,453ポンド[1]
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経歴

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出自

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ボビー・ケナードとその妻ヘレン・ケナードが営む、イギリス・ハンプシャーにあるウィッツベリーマナー牧場で生まれたサラブレッドの牡馬である[3]。父ヤングジェネレーションはジャンプラ賞ロッキンジステークスに勝った馬で、また母スマーテンアップもテンプルステークスに同着で優勝した経験のある馬であった。

カドージェネルーは1歳の時にマクトゥーム・ビン・ラーシド・アール・マクトゥームに購入され、ニューマーケットのオリヴィエ・ドゥイエブ調教師に預けられた。その後2歳時に競走馬としてデビューしたが、この年は4着・3着とこれといった結果は出なかった。

3歳時(1988年)

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カドージェネルーの本領が見られるようになったのは3歳シーズンからで、4月20日のポンテクラフト競馬場での5ハロンの条件戦において、ポール・エデリーに騎乗されたカドージェネルーは「軽妙に」4馬身差をつけて初勝利を挙げた[4][5]。1か月後のニューマーケット競馬場でのハンデキャップ競走(6ハロン)でも2馬身半差の連勝[6]、6月のヨーク競馬場で行われたゴールデンスパートロフィーハンデキャップ(6ハロン)では単勝オッズ1.8倍の支持を受け、強豪牝馬のシルバーフィリングを半馬身差抑えて勝利した[7]。それから2週間後にはクリテリオンステークス(G3・ニューマーケット・7ハロン)で重賞に初挑戦した。レースでは新しく鞍上に迎えたパット・エデリーの操縦のもと、スタートからしばらくは待ちに徹し、最後の1ハロンで追い上げて先頭に立つと、後から来た1番人気のサルスを短アタマ差抑えて勝利、4連勝で重賞勝ちを収めた[8]

8月、カドージェネルーは海を渡ってフランスドーヴィル競馬場モーリス・ド・ギース賞(G2・1300メートル)に出走、牝馬ブルーノート相手の2着に敗れた。イギリスに戻って11日後にはウィリアム・ヒルスプリントチャンピオンシップ(G1・ヨーク・5ハロン)でG1初挑戦となったが、ハンサムセーラーが優勝するなか6着に敗れた[9]

9月24日に迎えたダイアデムステークス(G3・アスコット・6ハロン)では、先日敗れたブルーノートとの再戦となった。鞍上を務めたパット・エデリーは再びカドージェネルーに抑えさせる競馬をし、最後に内側から抜け出して先頭に立つと、2着馬ポイントオブライトを3/4馬身差で破って優勝した[10]

カドージェネルーの同年最後の競走になったのは、10月2日のロンシャン競馬場アベイ・ド・ロンシャン賞(G1・1000メートル)であった。この競走でカドージェネルーは、最後の200メートルで内側から抜け出す競馬でハンサムセーラーを抑えて勝利したが、審議により最下位に降着となってしまった[11][12]。また、パット・エデリーも8日間の騎乗停止処分を受けている[13]

4歳時(1989年)

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この年、ドゥイエブ調教師がマクトゥームの馬を預かるのを辞めたため、カドージェネルーを含むマクトゥームの競走馬は開業初年度のアレックス・スコットの厩舎に送り込まれた。

4歳シーズンの初戦は3月29日のサンダウンパーク競馬場でのテンプルステークス(G2・5ハロン)で、ここでは断然の1番人気に推されながらも3着に敗れている[11]。また、その次のキングズスタンドステークス(G2・アスコット・5ハロン)ではインディアンリッジが優勝するなか8着と大敗している。

7月13日のニューマーケット競馬場で行われたジュライカップ(G1・6ハロン)の頃には、カドージェネルーの単勝オッズは11倍台とかなり人気を落としていた。レースではポール・エデリー騎乗のもと、再び最後に抜け出す競馬で先頭に立つと、追い上げてきたコロネーションステークス勝ち馬のゴールデンオピニオンをアタマ差退けて優勝、2馬身以上離れて3着に1番人気のデインヒル、さらにハンサムセーラーらを着外に破った[14]

8月24日、カドージェネルーは去年敗れたウィリアム・ヒルスプリントチャンピオンシップに再挑戦した。パット・エデリー鞍上で単勝オッズ2.1倍の1番人気に支持されたカドージェネルーは、最後の直線で抜け出す競馬でシルバーフィリングに3/4馬身差をつけて優勝、G1競走での連勝を飾った[15]

その後9月に距離延長となるマイル戦のムーラン・ド・ロンシャン賞(G1・ロンシャン・1600メートル)に挑戦、ポリッシュプレジデントから約2馬身離された3着に敗れてこの年を終えた。

評価

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Timeform』紙の刊行した『A Century of Champions』によれば、1989年のカドージェネルーには131ポンドのクラシフィケーションが与えられている。また、同書においてジョン・ランデルとトニー・モリスはカドージェネルーを20世紀イギリスのベストスプリンター第15位に挙げている[16]

種牡馬入り後

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競走馬引退後は故郷のウィッツベリーマナー牧場に戻り種牡馬となった。種牡馬としてはG1競走勝ち馬を8頭出すなど成功を収めた。以下はその代表産駒。

このほか、母の父としてノットナウケイトドリームアヘッドなどを出している[17]

カドージェネルーはウィッツベリーマナー牧場において、2010年11月18日に眠るように死亡した。これに際し、牧場のマネージャーであるチャーリー・オクショットは「彼はすばらしい働き者でした。年齢的にも肝臓や腎臓の機能が低下しており、少しふらついていたので、少し心配していました。幸い、彼は安らかに眠りについてくれました」と語った[2]。また、『Racing Post』紙はカドージェネルーを「この15年でイギリス競馬に最も影響をもたらした馬の1頭」と評した[2]

血統表

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カドージェネルー血統 (血統表の出典)[§ 1]
父系 オーエンテューダー系
[§ 2]

Young Generation
アイルランド 鹿毛 1976
父の父
Balidar
イギリス 鹿毛 1966
Will Somers Tudor Minstrel
*クヰーンスジエスト
Violet Bank The Phoenix
Leinster
父の母
Brig O'Doon
イギリス 栗毛 1967
Shantung Sicambre
Barley Corn
Tam o'Shanter Tamerlane
Madam Anna

Smarten Up
イギリス 栗毛 1975
Sharpen Up
イギリス 栗毛 1969
*エタン Native Dancer
Mixed Marriage
Rocchetta Rockefella
Chambiges
母の母
L'Anguissola
イギリス 鹿毛 1967
Soderini Crepello
Matuta
Posh Migoli
Choosey
母系(F-No.) (FN:10-b) [§ 3]
5代内の近親交配 Tudor Minstrel 4x5, Hyperion 5x5 [§ 4]
出典
  1. ^ [18], [19]
  2. ^ [19]
  3. ^ [18]
  4. ^ [18], [19]


出典

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  1. ^ a b c d e Cadeaux Genereux (GB)”. racingpost.com. Racing Post. 2021年10月28日閲覧。
  2. ^ a b c Richard Griffiths (20 November 2010). “Cadeaux Genereux dies aged 25”. Racing Post. 4 March 2016時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年7月13日閲覧。
  3. ^ George Kimberley (7 April 2010). “Prominent breeder Bobby Kennard dies”. Racing Post. 4 March 2016時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年7月12日閲覧。
  4. ^ Peter Bolton (10 June 1988). “Pat at the double”. Evening Times. https://news.google.com/newspapers?id=qg0-AAAAIBAJ&sjid=xUkMAAAAIBAJ&pg=6769,2602655&dq=cadeaux-genereux&hl=en 2013年7月13日閲覧。 
  5. ^ Spring Graduation Stakes result”. Racing Post (20 April 1988). 2013年7月13日閲覧。
  6. ^ Coral Bookmakers Handicap result”. Racing Post (21 May 1988). 2013年7月13日閲覧。
  7. ^ Golden Spurs Trophy result”. Racing Post (11 June 1988). 2013年7月13日閲覧。
  8. ^ Criterion Stakes result”. Racing Post (25 June 1988). 2013年7月13日閲覧。
  9. ^ “Cadeaux looks set for sprint crown”. Evening Times. (22 August 1989). https://news.google.com/newspapers?id=9wA-AAAAIBAJ&sjid=lUkMAAAAIBAJ&pg=5805,2474739&dq=cadeaux-genereux&hl=en 2013年7月13日閲覧。 
  10. ^ Diadem Stakes result”. Racing Post (24 September 1988). 2013年7月13日閲覧。
  11. ^ a b “Stand by for Scott double”. Glasgow Herald. (23 June 1989). https://news.google.com/newspapers?id=_zBAAAAAIBAJ&sjid=L1kMAAAAIBAJ&pg=3475,1961811&dq=cadeaux-genereux&hl=en 2013年7月13日閲覧。 
  12. ^ Prix de l'Abbaye result”. Racing Post (2 October 1988). 2013年7月13日閲覧。
  13. ^ Peter Bolton (22 October 1988). “Eddery set to pounce”. Evening Times. https://news.google.com/newspapers?id=i9dAAAAAIBAJ&sjid=u6YMAAAAIBAJ&pg=6478,1591747&dq=cadeaux-genereux&hl=en 2013年7月13日閲覧。 
  14. ^ July Cup result”. Racing Post (13 July 1989). 2013年7月13日閲覧。
  15. ^ William Hill Sprint Championship result”. Racing Post (24 August 1989). 2013年7月13日閲覧。
  16. ^ Morris, Tony; Randall, John (1999). A Century of Champions. Portway Press. ISBN 978-1-901570-15-1 
  17. ^ British stallion Cadeaux Genereux dies at 25”. Daily Racing Form (22 November 2010). 2013年7月12日閲覧。
  18. ^ a b c 血統情報:5代血統表|Cadeaux Genereux(GB)|JBISサーチ(JBIS-Search)”. JBISサーチ(JBIS-Search). 日本軽種馬協会. 2021年10月28日閲覧。
  19. ^ a b c Cadeaux Genereuxの血統表”. netkeiba.com. 2021年10月28日閲覧。

外部リンク

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