クリスティーナ・ディ・ロレーナ
クリスティーナ・ディ・ロレーナ(イタリア語: Cristina di Lorena, 1565年8月16日 - 1637年12月19日)は、トスカーナ大公フェルディナンド1世・デ・メディチの妃。フランス語名クリスティーヌ・ド・ロレーヌ(Christine de Lorraine)。
クリスティーナ・ディ・ロレーナ Cristina di Lorena | |
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トスカーナ大公妃 | |
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在位 | 1589年 - 1609年 |
出生 |
1565年8月16日 ロレーヌ公国 ナンシー |
死去 |
1637年12月19日(72歳没) トスカーナ大公国 フィレンツェ |
埋葬 |
トスカーナ大公国 メディチ家礼拝堂 |
結婚 |
1589年5月3日 トスカーナ大公国 フィレンツェ |
配偶者 | トスカーナ大公フェルディナンド1世・デ・メディチ |
子女 | 一覧参照 |
家名 | ロレーヌ家 |
父親 | ロレーヌ公シャルル3世 |
母親 | クロード・ド・ヴァロワ |
生涯
編集ロレーヌ公シャルル3世とクロード・ド・ヴァロワの娘として、ナンシーで生まれた。
1589年5月、フェルディナンドと結婚した。祖母カトリーヌ・ド・メディシスはこの結婚を通して孫娘を動かし、スペインではなくフランスとメディチ家の結びつきを強めようとした。
1615年にガリレオ・ガリレイが「クリスティーナ大公妃への手紙」を執筆しており、彼女が科学者との交流を保っていたことがうかがえる。
72歳でフィレンツェで没した。
子女
編集- コジモ2世・デ・メディチ(1590年 - 1621年)
- エレオノーラ(1591年 - 1617年)
- カテリーナ(1593年 - 1629年) マントヴァ公フェルディナンド・ゴンザーガ妃
- フランチェスコ(1594年 - 1614年)
- カルロ(1595年 - 1666年) 枢機卿
- フィリッピーノ(1598年 - 1602年)
- ロレンツォ(1599年 - 1648年)
- マリーア・マッダレーナ(1600年 - 1633年)
- クラウディア(1604年 - 1648年)