グエン・タイ・ホックベトナム語Nguyễn Thái Học / 阮太學1902年12月1日 - 1930年6月17日)は、ベトナム国民党を結党したベトナムの革命家である[1][2][3]

グエン・タイ・ホック
ベトナム
(越南)
ベトナム社会主義共和国の国章

ベトナムの歴史


主な出来事
仏領インドシナ成立
東遊運動 · 日仏協約
仏印進駐 · 大東亜戦争
マスタードム作戦
ベトナム八月革命
第一次インドシナ戦争
ディエンビエンフーの戦い
ジュネーヴ協定 · 南北分断
トンキン湾事件 · ベトナム戦争
パリ協定 · 西沙諸島の戦い
サイゴン解放
カンボジア・ベトナム戦争
中越戦争 · 中越国境紛争
ドイモイ
スプラトリー諸島海戦


ベトナム共産党
南ベトナム解放民族戦線
共産主義
ホー・チ・ミン思想
中央執行委員会書記長


「国家」
大越
ベトナム民主共和国
ベトナム国
ベトナム共和国
南ベトナム共和国
ベトナム社会主義共和国


人物
ファン・ボイ・チャウ
グエン・タイ・ホック
ホー・チ・ミン
ヴォー・グエン・ザップ
レ・ドゥク・ト
レ・ズアン
グエン・ミン・チエット
グエン・タン・ズン
ノン・ドゥック・マイン
グエン・フー・チョン
トー・ラム


言語
ベトナム語 · チュノム · チュハン
チュ・クオック・グー

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経歴

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ベトナム北部に位置するヴィンイエン省(現・ヴィンフック省)に生まれ,ハノイ南同書社1925年ファム・トゥアン・タイが設立した三民主義を中心とする私塾)に学び、民族運動に覚醒する。当時の仏領インドシナ総督バレンヌに対し、ベトナム人労働者の労働条件の改善や教育制度の拡充、広報雑誌発行を建議したが総督府当局に一蹴されたため、実力による独立路線に舵を切り、1927年ベトナム国民党を設立し、自ら党首となる。イエンバイ蜂起を計画、指導したが散発的なままに終わり、仏領インドシナ当局によって捕らえられ処刑された[4]

影響

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現在では、多くのベトナムの都市にグエン・タイ・ホックの名前を冠した通りがある。1975年4月サイゴン陥落以前は、ベトナムは政治体制の違いから南北に分断されていたが、その頃からグエン・タイ・ホックの名前を冠する通りは南北いずれの都市にも存在しており、広くベトナム人民から尊敬、支持されていたことが窺える[5]。その中で最も有名なものは、首都ハノイにあるグエン・タイ・ホック通りである。

ギャラリー

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出典

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  1. ^ Van Dao Hoang A Contemporary History of a National Struggle: 1927-1954, 2008 Page 121 "public by the French, offering “a reward of 5,000 piastres to anyone who catches or kills Nguyễn Thái Học.” In this period, ... It is I, Nguyễn Thái Học and this is Sư Trạch.”"
  2. ^ Philippe M. F. Peycam The Birth of Vietnamese Political Journalism: Saigon, 1916-1930 2012 Page 262 "The Vietnam Nationalist Party, or Việt Nam Quốc Dân Đảng, was founded in December 1927 in Hanoi by Nguyễn Thái Học, a teacher, on the model of the Chinese Kuomintang."
  3. ^ Nguyen Công Công Luan Nationalist in the Viet Nam Wars: Memoirs of a Victim Turned Soldier 2012 " “If we do not succeed, we will have constituted a good cause”), declared Nguyễn Thái Học before the decision to launch the ..."
  4. ^ 世界大百科事典 第2版. “グエン・タイ・ホク”. コトバンク. 2020年5月20日閲覧。
  5. ^ Vietnam Country Map. Periplus Travel Maps. (2002–03). ISBN 0-7946-0070-0