シャルル・フランソワ・デュムリエ
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シャルル・フランソワ・デュ・ペリエ・デュ・ムリエ (仏:Charles François du Perrier du Mouriez、1739年1月26日 – 1823年3月14日)は、フランスの軍人、政治家。du Mouriez は Dumouriez(発音: [dymuʁje]の表記が通用されており、日本語では中点抜きでデュムリエまたはデュムーリエと表記される[注 1]。ロスバッハの戦いで頭角を現し、コルシカ独立戦争にも参加した。1792年3月にジロンド派内閣の外務大臣に就任。フランス革命戦争では革命政府の北部軍司令官としてヴァルミーの戦いなどで活躍したが、のちにルイ・フィリップ (フランス王)となるシャルトル公を従えて、王政再建を標榜し、革命政府と敵対する道を選んだ。1793年4月に亡命、1823年に英国で没した[1]。
シャルル・フランソワ・デュムリエ Charles François Dumouriez | |
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ジャン=セバスチャン・ルイヤール作の肖像画(1834年) | |
生誕 |
1739年1月26日![]() |
死没 |
1823年3月14日 (84歳没)![]() |
所属組織 |
![]() ![]() ![]() |
軍歴 | 1758年 - 1814年 |
最終階級 | 師団将軍 |
墓所 |
![]() ヘンリー=オン=テムズ |
署名 |
脚注
編集注釈
編集- ^ 例えば、インターネット百科事典『コトバンク』では、「デュムリエ」と「デュムーリエ」の2通りの表記が存在している。『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』(ブリタニカ・ジャパン)から引用された記事では「デュムリエ」となっているが、『世界大百科事典 第2版』(平凡社)及び『日本大百科全書(ニッポニカ)』(小学館)から引用された記事では「デュムーリエ」となっている。『コトバンク』 VOYAGE MARKETING、2021年6月12日閲覧.
出典
編集- ^ セレスタン・ギタール著 レイモン・オベール編 河盛好蔵監訳『フランス革命下の一市民の日記』中央公論社、昭和55年2月15日、p.145.