シントラ
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所属する県 | リスボン県 |
面積 | 316.74 km² |
人口 | 363,749人 |
人口密度 | 1148人/km² |
所属する教区数 | 20 |
自治体首長 | {{{presidente}}} |
住民呼称 | {{{gentílico}}} |
都市の休日 | 6月29日 |
シントラ (葡: Sintra [ˈsĩtɾɐ] ( 音声ファイル)) は、ポルトガルの都市で、首都・リスボンに隣接する地方自治体である。シントラの市街地には約27,000人が居住しているが、市全域では、36万人を超える人口を誇る。ムーア人が築いた城の跡や、ポルトガル王室の夏の離宮など、様々な年代の文化財が集積していることから観光地として有名であり、また、ユーラシア大陸最西端のロカ岬への観光の拠点でもある。
歴史編集
シントラは、すでに11世紀のアラブ人の地理学者であるアル・バクルによる記述が残っており、後には、詩人バイロンが「エデンの園」と称賛した。
8世紀ないしは9世紀には、ムーア人が、ムーアの城跡(カステロ・ド・ムーロ)を建設したとされる。
アフォンス・エンリケスによるシントラのポルトガル併合は、1147年のことであり、このとき、町の大部分の城砦が破壊された。
1493年、クリストファー・コロンブスが、スペイン国王のもとへ航海を続けた際に、突風に巻き込まれ、シントラの岩壁に避難したこともある。ポルトガル国内で、安全な港を探すことができずに、このような事態に陥り、他に選択の余地もなく、シントラからリスボン港へ向かった。
世界遺産編集
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ペーナ宮殿 | |||
英名 | Cultural Landscape of Sintra | ||
仏名 | Paysage culturel de Sintra | ||
登録区分 | 文化遺産 | ||
登録基準 | (2),(4),(5) | ||
登録年 | 1995年 | ||
公式サイト | 世界遺産センター(英語) | ||
使用方法・表示 |
宮殿群や城跡を含むシントラの文化財は、「シントラの文化的景観」として、1995年、ユネスコの世界遺産に登録された(登録ID:723)。
主な物件編集
主な物件は以下の通り。
- シントラ宮殿(pt:Palácio Nacional de Sintra) - 14世紀にジョアン1世によって建てられた夏の離宮。
- ペーナ宮殿(pt:Palácio Nacional da Pena) - マリア2世の王配フェルナンド2世が建設した。
- ムーアの城跡(pt:Castelo dos Mouros (Sintra)) - 7から8世紀にムーア人によって建設された。現在は、廃墟のようになっている。
- レガレイラ宮殿(pt:Palácio da Regaleira)- 12世紀に建設された王族の別邸を利用して、20世紀前半に、イタリアの建築家ルイージ・マニーニによって改築された宮殿。
登録基準編集
この世界遺産は世界遺産登録基準のうち、以下の条件を満たし、登録された(以下の基準は世界遺産センター公表の登録基準からの翻訳、引用である)。
- (2) ある期間を通じてまたはある文化圏において、建築、技術、記念碑的芸術、都市計画、景観デザインの発展に関し、人類の価値の重要な交流を示すもの。
- (4) 人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例。
- (5) ある文化(または複数の文化)を代表する伝統的集落、あるいは陸上ないし海上利用の際立った例。もしくは特に不可逆的な変化の中で存続が危ぶまれている人と環境の関わりあいの際立った例。
地理編集
首都のリスボンからリスボン近郊鉄道シントラ線の列車で約40分(平日昼間は1時間に5本程度運行)である[1]。大西洋岸のカスカイスとの間にはバスが1時間に2本運行されており、うち1本はユーラシア大陸最西端のロカ岬を経由し、ロカ岬までの所要時間は40分である[2]。
日本との関係編集
菓子編集
小麦粉の生地にチーズクリームを詰め込み焼き完成となるケイジャーダが存在する。