メインメニューを開く

ジョシュア・S・ホワイトセルJoshua S. Whitesell, 1982年4月14日 - )は、アメリカ合衆国ノースカロライナ州出身のプロ野球選手内野手)。

ジョシュ・ホワイトセル
Josh Whitesell
2012marines whitesell.jpg
千葉ロッテマリーンズ時代
(2012年)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 ノースカロライナ州ダーラム郡ダーラム
生年月日 (1982-04-14) 1982年4月14日(37歳)
身長
体重
186 cm
100 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 一塁手左翼手指名打者
プロ入り 2003年 MLBドラフト6巡目
初出場 MLB / 2008年9月2日
NPB / 2010年6月26日
最終出場 NPB / 2013年5月5日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

登録名は「ホワイトセル」だが、6文字と長いため一部の球場のスコアボード表記では「ジョシュ」とも表記された。

経歴編集

エクスポズ傘下時代編集

2003年のMLBドラフト6巡目でモントリオール・エクスポズに指名されて契約。

ダイヤモンドバックス時代編集

2008年アリゾナ・ダイヤモンドバックスへ移籍し、マイナーで打率.328・26本塁打・110打点、OPS.993という好成績を残し、同年9月2日にメジャーデビュー。

2010年はナショナルズに復帰したがメジャー昇格はなかった。

ヤクルト時代編集

2010年6月7日に東京ヤクルトスワローズへの入団が発表された[1]。ナショナルズ傘下AAA級では、2009年に阪神タイガースでプレーしたケビン・メンチとクリーンアップを組んでおり、訪日前にはメンチから日本プロ野球についてアドバイスをもらったとも言われている。

6月26日に一軍登録されると、同日の対阪神戦で5番・左翼手で即スタメン出場し、日本での初本塁打を放った。6月29日の対横浜ベイスターズ戦では、初めてプロ野球公式戦が行われたセルラースタジアム那覇でプロ公式戦第1号本塁打を放った。同年はシーズンの半分以下である68試合の出場だったものの、打率.309、15本塁打53打点と結果を残した。特に、勝負を決める場面での活躍が多く、勝利打点15は同年全試合に出場した中日ドラゴンズ森野将彦の最多勝利打点18にあと3に迫るハイペースだった。

2011年畠山和洋のブレイクにより出番が減少。シーズン途中からは自身の打撃不振もあって控えに回ることが多く、期待されるほどの結果が残せず、11月21日に自由契約選手として公示された。12月28日、千葉ロッテマリーンズへの入団が発表された[2]

ロッテ時代編集

2012年、開幕4番で出場し開幕戦では初打席で田中将大から先制適時打を含む3安打2打点の活躍でチームの8年ぶりの開幕戦白星に貢献した。しかし、4月12日の対オリックス・バファローズ戦で捕手の伊藤光の後頭部に翌13日の対福岡ソフトバンクホークス戦で同じく捕手の細川亨の右肩にいずれもスイング後のバットが直撃し、2試合連続で相手の捕手を負傷退場させる結果となった。同時に開幕から10試合で打率.237と打撃が振るわなかったため、翌14日に二軍降格となった。その後7月16日に一軍に再昇格し、8月2日の対北海道日本ハムファイターズ戦で谷元圭介から日本では初となる満塁本塁打を放った[3]。その後は打撃が上向き、8月8日に3割に乗せると同月は打率.394、5本塁打24打点の好成績で、8月の月間MVP野手部門を獲得、以降は一度も3割を切ることなくシーズンを終えた。

2013年、オープン戦は打率.326と好調も、開幕戦はベンチスタート。3月31日の開幕2戦目より6番指名打者でスタメン出場。4月5日より4番を務めるようになる。すると4月8日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦にて3打席連続でホームランを放つ。5月4日の対ソフトバンク戦では、捕手の細川の頭部にスイング後のホワイトセルのバットが直撃した。細川にバットを当てるのは前年に続いて2回目。この試合で右手首を痛め、5日の試合には出場したが6日に登録を抹消された。ホワイトセルはこの怪我の検査のため6月20日に一時帰国した[4]。7月10日に再訪日[5]。翌11日に二軍に合流するも、その後は一度も一軍に呼ばれることなくシーズンを終了した。24試合の出場で.200、4本、14打点と日本球界では自己最低の成績となった。10月3日に球団から翌年の契約を結ばない事が発表された[6]

ロッテ時代の応援歌はサカナクションの『アイデンティティ』であった。

メキシカンリーグ時代編集

2014年メキシカンリーグサルティーヨ・サラペメーカーズタバスコ・キャトルメンでプレー。

2015年オアハカ・ウォーリアーズと契約したが、出場せず。

プレースタイル・人物編集

ケビン・ユーキリスライアン・ブラウンらと同じユダヤ系の野球選手。

三振が多い一方選球眼に優れ、マイナー時代からIsoDは毎年.100近い数字を残している。

フルスイングが特徴の選手であるが、フォロースルーでバットが捕手を直撃することも多い。2012年の2試合連続で負傷退場させた(経歴の項参照)以前にも、2011年に炭谷銀仁朗の右肩を直撃したことがあった。AAA級時代にチームメイトだったエバン・マクレーンも、当時から同様の癖があったと語っていた[7]

詳細情報編集

年度別打撃成績編集

















































O
P
S
2008 ARI 7 9 7 1 2 0 0 1 5 1 0 0 0 0 1 0 1 2 0 .286 .444 .714 1.158
2009 46 133 108 7 21 7 0 1 31 14 0 0 0 0 24 4 1 29 2 .194 .346 .287 .633
2010 ヤクルト 68 268 230 44 71 16 2 15 136 53 0 0 0 2 32 0 4 71 4 .309 .399 .591 .990
2011 112 348 299 29 74 18 0 12 128 33 0 0 0 3 40 2 6 108 7 .247 .345 .428 .773
2012 ロッテ 63 257 223 24 69 13 0 9 109 43 0 1 0 1 29 0 4 75 2 .309 .397 .489 .886
2013 24 83 70 8 14 4 0 4 30 14 0 0 0 2 10 0 1 19 4 .200 .301 .429 .730
MLB:2年 53 142 115 8 23 7 0 2 36 15 0 0 0 0 25 4 2 31 2 .200 .352 .313 .665
NPB:4年 267 956 822 105 228 51 2 40 403 143 0 1 0 8 111 2 15 273 17 .277 .370 .490 .861
  • 2018年度シーズン終了時

年度別守備成績編集



一塁(1B) 外野
























2008 ARI 1 7 0 0 0 1.000 -
2009 30 246 12 1 16 .996 -
2010 ヤクルト 61 484 31 4 52 .992 4 3 0 0 0 1.000
2011 70 501 30 2 52 .996 -
2012 ロッテ 23 186 14 2 12 .990 -
2013 1 13 0 0 0 1.000 -
MLB 31 253 12 1 16 .996 -
NPB 155 1184 75 8 116 .994 4 3 0 0 0 1.000

表彰編集

NPB

記録編集

NPB初記録
NPBその他記録

背番号編集

  • 29 (2008年 - 2009年)
  • 53 (2010年 - 2011年)
  • 64 (2012年 - 2013年)

脚注編集

  1. ^ ヤクルトが新外国人ホワイトセル獲得”. デイリースポーツ (2010年6月7日). 2010年6月8日閲覧。
  2. ^ ジョシュ・ホワイトセル選手の獲得について”. 千葉ロッテマリーンズ・オフィシャルサイト (2011年12月28日). 2011年12月28日閲覧。
  3. ^ ホワイトセル 興奮満塁弾「1軍の力になりたかった」”. スポニチ Sponichi Annex (2012年8月3日). 2012年8月3日閲覧。
  4. ^ ホワイトセル 米国へ出発…右手首を痛めて戦列離脱スポニチ 2013年6月20日配信 2013年11月21日閲覧
  5. ^ 右手首検査のロッテ・ホワイトセルが再来日サンスポ 2013年7月10日配信 2013年11月21日閲覧
  6. ^ 来季契約についてロッテ球団公式2013年10月3日配信
  7. ^ 岡田監督ホワイトセル危険人物や! - プロ野球ニュース” (日本語). nikkansports.com. 2019年3月3日閲覧。

関連項目編集

外部リンク編集