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ジョン・バークリー (第5代ストラットンのバークリー男爵)

第5代ストラットンのバークリー男爵ジョン・バークリー英語: John Berkeley, 5th Baron Berkeley of Stratton PC1697年5月16日1773年4月18日)は、イギリスの政治家。1741年までジョン・バークリー閣下儀礼称号を使用した。

生涯編集

第4代ストラットンのバークリー男爵ウィリアム・バークリーとフランシス・テンプル(アイルランド庶民院議長英語版サー・ジョン・テンプル英語版の娘)の息子として生まれた[1]。1707年にイートン・カレッジで教育を受けた後[2]、1713年8月13日にオックスフォード大学クライスト・チャーチに入学した[3]

1719年に国王ジョージ1世大北方戦争ロシア帝国スウェーデン帝国の仲介を申し出たとき、ロシア皇帝ピョートル1世のもとに派遣された[2]

1735年2月に野党派ホイッグ党の一員としてストックブリッジ選挙区英語版で当選、議会でも野党として演説、投票した[2]。1741年3月24日に父が死去すると、ストラットンのバークリー男爵の爵位を継承した[1]。1743年、カートレット男爵(1744年にグランヴィル伯爵を継承)はバークリー男爵に褒賞として国王親衛隊隊長の職を与えたが、グランヴィル伯爵が1746年に組閣を試みて失敗すると(短命内閣)それを失った[2]

1752年2月、枢密顧問官に任命された[4]。その後、1755年から1756年まで王室会計長官英語版を、1756年から1762年まで恩給紳士隊隊長を、1762年から1770年までタワー・ハムレット知事英語版ロンドン塔管理長官英語版を務めた[1]

1773年4月18日に死去、妻との間で息子を儲けなかったため、後継者がなくなり爵位は断絶した[1]。遺産は第5代バークリー伯爵フレデリック・オーガスタス・バークリー英語版が継承した[1]

家族編集

妻はエリザベス(Elizabeth)といい、1776年12月頃に死去した[1]

脚注編集

  1. ^ a b c d e f Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary, eds. (1912). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Bass to Canning) (in English). 2 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. p. 149.
  2. ^ a b c d Watson, Paula (1970). "BERKELEY, Hon. John (c.1697-1773), of Bruton, Som". In Sedgwick, Romney. The House of Commons 1715-1754 (in English). The History of Parliament Trust. Retrieved 2 July 2019.
  3. ^ Foster, Joseph, ed. (1891). Bennell-Bloye. Alumni Oxonienses 1500-1714 (in English). Oxford: University of Oxford. pp. 106–141.
  4. ^ The London Gazette: no. 9140. p. 2. 1752年2月11日。
グレートブリテン議会英語版
先代:
サー・ハンフリー・モノックス準男爵英語版
ジョン・モンタギュー
庶民院議員(ストックブリッジ選挙区英語版選出)
1735年 – 1741年
同職:サー・ハンフリー・モノックス準男爵英語版
次代:
チャールズ・チャーチル英語版
マシュー・ラム英語版
名誉職
先代:
初代コーンウォリス伯爵
タワー・ハムレット知事英語版
1762年 – 1770年
次代:
第2代コーンウォリス伯爵
ロンドン塔管理長官英語版
1762年 – 1770年
公職
先代:
エセックス伯爵
国王親衛隊隊長
1743年 – 1746年
次代:
トリントン子爵英語版
先代:
フィッツウォルター伯爵
王室会計長官英語版
1755年 – 1756年
次代:
ベートマン子爵英語版
先代:
バッキンガムシャー伯爵
恩給紳士隊隊長
1756年 – 1762年
次代:
リッチフィールド伯爵英語版
イングランドの爵位
先代:
ウィリアム・バークリー
ストラットンのバークリー男爵
1741年 – 1773年
断絶