ジョージ・オズボーン
ジョージ・ギデオン・オリバー・オズボーン(英語:George Gideon Oliver Osborne、1971年5月23日 - )は、イギリスの政治家。保守党所属で、2001年イギリス総選挙からタットン選挙区選出の庶民院議員、デーヴィッド・キャメロン政権で財務大臣を務めた。
ジョージ・オズボーン George Osborne | |
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生年月日 | 1971年5月23日(49歳) |
出生地 |
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出身校 | オックスフォード大学モードリン・カレッジ |
所属政党 | 保守党 |
配偶者 | フランシーズ・ハウエル (1998年から2019年まで) |
子女 | 2人 |
公式サイト |
[Official website Constituency website ] |
在任期間 | 2015年5月8日 - 2016年7月13日 |
首相 | デーヴィッド・キャメロン |
在任期間 | 2010年5月11日 - 2016年7月13日 |
首相 | デーヴィッド・キャメロン |
在任期間 | 2005年5月5日 - 2010年5月11日 |
首相 |
トニー・ブレア ゴードン・ブラウン |
在任期間 |
2004年6月14日 - 2005年5月5日 2001年6月7日 - 2017年5月3日 |
首相 |
トニー・ブレア ゴードン・ブラウン デーヴィッド・キャメロン テリーザ・メイ |
ジョージ・オズボーン | |
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George Osborne | |
![]() タットン選挙区選出 庶民院議員 | |
任期 2001年6月7日 – 2017年5月3日 | |
前任者 | マーティン・ベル |
後任者 | エスター・マクヴェイ |
得票差 | 18,241 (40パーセント) |
個人情報 | |
宗教 | アングリカン |
概要編集
1971年5月23日にオズボーン準男爵家の長男として誕生する[1]。
オックスフォード大学モードリン・カレッジを卒業後にデイリー・テレグラフに勤務し、その後保守党調査部に入り、政治部部長を務めた。彼はダグラス・ホッグ農漁食糧相の特別補佐官を務め、敗北に終わった1997年イギリス総選挙ではジョン・メージャー首相のキャンペーンチームの一員として働き、その後メージャーの後任のウィリアム・ヘイグ党首のスピーチライター及び政治秘書を務めた。
2001年イギリス総選挙でオズボーンはタットン選挙区から選出され、庶民院で当時最も若い議員となった。彼は2004年に保守党のマイケル・ハワード党首から影の財務省主席政務官に任命された。2005年の党首選挙ではデーヴィッド・キャメロンを支援した。キャメロンは2010年イギリス総選挙後にオズボーンを財務大臣に任命した。
財務大臣としてオズボーンは国債の削減を目的とする緊縮財政政策を進めた。保守党が2015年イギリス総選挙で絶対多数を獲得した後にオズボーンはイギリス財務大臣に再任され、筆頭国務大臣にも任命された。しかしながらイギリスの欧州連合離脱是非を問う国民投票とそれに伴うキャメロンの辞任に従ってオズボーンは閣僚から外れ、バックベンチに戻ることとなり、その後議員辞職し政界を引退した。
生い立ちと教育編集
1971年5月23日に第17代準男爵サー・ピーター・オズボーンとその妻であるフェリシティ・アレクサンドラ・オズボーン(旧姓ロクストン=ピーコック)の間の長男としてロンドンのパディントンで誕生した[1][2]。
生誕時の名前はギデオン・オリバー・オズボーンだったが[3]、13歳の時にジョージのファーストネームを付けた。2005年7月のインタビューでオズボーンは「それは私の小さな反乱だった。私は決してその名を好きでは無かった。私が最後に母親にそのことを言うと、彼女は『私はそうしない』と言った。それで私は戦争の英雄だった祖父のジョージの名を付けることにした。人生はジョージとしてより安楽な物となった。それは真っ直ぐな名前だった。[3][4][5]」彼は4人兄弟の最年長であり、バリンタイラーのオズボーン準男爵家の法定推定相続人だった。父親のサー・ピーター・オズボーン準男爵はファブリック及び壁紙デザイン会社のオズボーン&リトル社の共同設立者であった[6]。母親のフェリシティはアーティストのクラリース・ロクストン=ピーコックの娘であった[3][7]。
オズボーンは私立学校のノーランド・プレイス・スクール、コレット・コート及びセント・ポールズ・スクールで教育を受けた[8]。1990年に彼はオックスフォード大学モードリン・カレッジで奨学金を受け、1993年に現代史で2級優等学位(2:1 upper second class honours)を得て卒業した[6][9]。学生時代に彼はブリンドン・クラブの一員であった[10]。彼はまたノースカロライナ州のデイビッドソン大学のディーン・ラスク奨学生として1学期間学んだ[11]。
1993年にオズボーンはジャーナリズムの職業を続けるつもりであった。彼はタイムズ紙の選抜候補者リストに入れられたが、訓練生になることはできなかった。その後エコノミスト紙の入社試験を受けたが、ギデオン・ラチマンとの面接で不合格とされた[12]。結局彼はフリーランスとしてデイリー・テレグラフのピーターバラ・ダイアリー・コラムの仕事を引き受けることとなった[13]。しばらくして、オックスフォード時代の友人でジャーナリストのジョージ・ブリッジズがオズボーンに保守党本部で求人があることを知らせた[13]。
初期の政治経歴編集
1994年に保守党調査部に加わり、政治部部長となった。彼の最初の役割の一つはブラックプールで1994年10月の労働党大会を観察することであった[14]。
1995年から1997年にかけて(BSE危機の間)彼はダグラス・ホッグ農漁食糧相の特別補佐官としてダウニング街10番地で勤務した。1997年にオズボーンはジョン・メージャー首相のキャンペーンチームで働き、1997年イギリス総選挙に直面した。選挙後彼は再びジャーナリズムへの転職を考え、タイムズ紙にアプローチしたが、何も生じなかった。
1997年から2001年にかけて彼は当時の保守党のウィリアム・ヘイグ党首のスピーチライター及び政治的秘書として働いた。この役割において彼は毎週末行われる首相質問セッションの準備を手伝い、しばしばブレア首相役を務めた。続くマイケル・ハワードとデーヴィッド・キャメロン党首の時も彼は首相質問チームのメンバーを務めた。
国会議員として編集
2001年6月に彼はタットン選挙区から当選した。彼は無所属のマーティン・ベルに代わって議席を得た。ベルは1997年の選挙で論争の的となった保守党のニール・ハミルトン元大臣を破って議席を得たが、2001年の選挙には出馬しないという公約を守った。オズボーンはイギリス労働党の候補に対して8611票の差をつけて勝利した。そして、当時下院で最も若い保守党議員となった。オズボーンは2003年のイラク侵攻を強力に支持した[15]。2005年の選挙で彼は1万1731票(総投票数の51.8パーセント)を得て再選され、2010年には1万4487票を得た。
財務大臣編集
2014年にオズボーンはいわゆるグーグル税を新設する方針を発表した[16]。
実質的な外相とされ[17]、イギリスと中華人民共和国の「黄金時代」の仕掛け人[18]である。
2016年7月13日にテリーザ・メイ新首相によってフィリップ・ハモンドが財務大臣に任命され、オズボーンは退任となった。 オズボーンはメイ内閣をサポートするとし、メイとハモンドの幸運を祈ると述べた[19]。
参照編集
- ^ a b Lundy, Darryl. “George Gideon Oliver Osborne” (英語). thepeerage.com. 2017年12月9日閲覧。
- ^ “George Gideon Oliver Osborne”. 2014年11月3日閲覧。
- ^ a b c Charles Mosley, Burke's Peerage and Baronetage, 107th edition, volume 2, page 3030.
- ^ Rachel Sylvester and Alice Thomson (2005年7月22日). “The future belongs to us, predicts Tory party's young star”. The Telegraph (London) 2009年8月23日閲覧。
- ^ OSBORNE, Rt Hon. George (Gideon Oliver). ukwhoswho.com. Who's Who. 2015 (online Oxford University Press ed.). A & C Black, an imprint of Bloomsbury Publishing plc. (要購読、またはイギリス公立図書館への会員加入) ( 要購読契約)
- ^ a b White, Michael; Boles, Nick (2009年10月8日). “Britain's Top 10 Tories”. The Guardian (London) 2010年2月23日閲覧。
- ^ Charles Mosley, editor, Burke's Peerage, Baronetage & Knightage, 107th edition, 3 volumes (Wilmington, Delaware, U.S. A.: Burke's Peerage (Genealogical Books) Ltd, 2003), volume 2, page 1989.
- ^ Ross, Tim (2008年11月7日). “St Paul's School in £150m rebuild”. London Evening Standard 2010年1月10日閲覧。[リンク切れ]
- ^ “George Osborne Visits Magdalen - Magdalen College Oxford”. 2013年4月30日閲覧。
- ^ Day, Elizabeth (2011年10月1日). “George Osborne and the Bullingdon club: what the chancellor saw”. The Guardian 2015年10月25日閲覧。
- ^ “Jeopardy! and Other Breaking News”. Daybook Davidson - Davidson College. 2014年11月3日閲覧。
- ^ Kuper, Simon (2016年7月7日). “Brexit: a coup by one set of public schoolboys against another”. ft.com. 2016年7月8日閲覧。
- ^ a b “The real George Osborne”. theguardian.com (2011年11月28日). 2016年7月8日閲覧。
- ^ The real George Osborne. Andy Beckett. The Guardian. 28 November 2011.
- ^ Mr. George Osborne (Tatton) (2003年10月22日). “Debate: Iraq (Judicial Inquiry)”. Hansard. 2013年4月22日閲覧。
- ^ http://www.theguardian.com/business/2014/dec/03/autumn-statement-2014-osborne-to-introduce-google-tax
- ^ “英メイ政権、対EU難航も 交渉役に強硬派ずらり”. (2016年7月15日) 2016年7月19日閲覧。
- ^ “英中蜜月の仕掛け人 “次の首相”オズボーンの正体”. (2015年11月26日) 2016年7月16日閲覧。
- ^ George Osborne sacked as Chancellor and replaced by Philip Hammond as Theresa May forms her new Cabinet C. Hope, The Daily Telegraph, 13 Jul 2016
参考文献編集
- Ganesh, Janan (2012). George Osborne: The Austerity Chancellor. Biteback. ISBN 978-1849542142
外部リンク編集
- George Osborne at the Encyclopædia Britannica
- George Osborne MP official Conservative Party profile
- George Osborne for Tatton official constituency site
- Contributions in Parliament at Hansard 1803–2005
- Voting record at Public Whip
- Record in Parliament at TheyWorkForYou
- Profile at Westminster Parliamentary Record
- Articles authored at Journalisted
- "ジョージ・オズボーンの関連記事". ガーディアン (英語).
- George Osborne collected news and commentary at The Telegraph
- ジョージ・オズボーン - C-SPAN
- ジョージ・オズボーン - インターネット・ムービー・データベース(英語)
- Profile: George Osborne BBC News, 5 April 2005
- Economic thinking after the crunch, video speech, RSA Insights, 8 April 2009
- The Real George Osborne, parody series featuring Rufus Jones as George Osborne, November-December 2011
- Debrett's People of Today
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