トンブリー駅
トンブリー駅 (トンブリーえき、タイ語:สถานีรถไฟธนบุรี)は、タイ王国の首都バンコク都バーンコークノーイ区にある、タイ国有鉄道南本線の鉄道駅である。歴史的経緯により、バンコク・ノーイ駅とも呼ばれた。便宜上、当項では旧トンブリー駅についても記述する。
トンブリー駅 | |
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駅正面(新駅) | |
ธนบุรี Thonburi (Bangkok Noi) | |
(0.67 km) チャランサニットウォン駅► | |
所在地 | タイ王国バンコク都バーンコークノーイ区 |
所属事業者 | タイ国有鉄道 |
等級 | 一等駅 |
所属路線 | 南本線 |
キロ程 | 0.87 km(旧トンブリー駅起点) |
電報略号 | ธบ. |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 2面2線 |
開業年月日 | (初代)1903年6月19日 |
概要
編集- 新駅
- 再開発計画により、約900m西方の車両基地に併設する形で新駅が設置された。タイ南部および西部方面のローカル列車が発着する。
- 当駅自体は他の鉄道路線と接続していない。鉄道でアクセスする場合、MRTバーンクンノン駅( BL04 )が徒歩圏内[注釈 1]。
- 旧駅
- バンコクの王宮地域のチャオプラヤー川対岸に位置し、フワランポーン駅に次ぐバンコク第2の駅とされた。
- 目前の川岸にはチャオプラヤー・エクスプレスのターロッファイ乗船所(鉄道駅の港、の意。(泰)ท่ารถไฟ、N11)がある。
整備計画
編集歴史
編集タイ国有鉄道南本線は東北本線、北本線に次ぐ3番目の幹線として1899年に着工された。南本線は前記2線とは異なり始めから1,000mm軌間を採用して敷設された[3]。(前記2線は当初は標準軌間である1,435mmで敷設されたがその後1,000mm軌間に改軌された[4])
1903年6月19日に初代駅開業。この時点では旧駅のさらに北側、バンコク・ノーイ運河(英語版)に面する一角にあり[注釈 2]、(旧)バンコク・ノーイ駅と名付けられた[3]。
南本線のバンコクにおけるターミナルであったが、南本線はマレー鉄道と直通運行が可能な反面、他のタイ国鉄幹線区と接続しない分離線区となっていたことから、他線区との接続のため、1927年に、タリンチャン駅で南本線から分岐し、ラーマ6世橋でチャオプラヤー川を渡って北本線バーンスー分岐駅へ至る連絡線が建設された[6]。連絡線の開通以降、南本線の主要列車の多くは北本線方面へ直通運行されるようになり、当駅発着列車はローカル列車が主体となった。 但し現在でもタイ国鉄では、公式には当駅を南本線の起点としており、南本線の営業キロ程も当駅(旧トンブリー駅)を起点としている。
第二次世界大戦中、バンコク空襲でラーマ6世橋が被爆し、連絡線が不通となっていた期間は一時的にターミナルとして活用されたが、戦後はラーマ6世橋が復旧され、主要列車は再び連絡線経由となっている。バンコク空襲では当駅も被害を受けた。
開業以来、チャオプラヤー川右岸に面した位置に立地していたが、2003年10月4日に西方にあった旧貨物扱施設の位置へ0.87km移転し[7]、一帯は再開発された(後述)。
- 1903年6月19日 【開業】(旧)バンコク・ノーイ - ペッチャブリー駅 (150.49km)
- 1927年1月1日 ラーマ6世橋(英語版)開通。一部の列車がクルンテープ駅発着となる。
- 1944-1945年 第二次世界大戦下、バンコク空襲による被害を受ける。
- 1945年2月 ラーマ6世橋が再び爆撃により大破、渡河が不可能となった南本線の列車が当駅発着となる。
- 1950年 二代目駅舎が開設。同時に、(旧)トンブリー駅に改名。
- 1953年12月 修復されたラーマ6世鉄橋が開通。次第に主要列車の発着が減少する
- 1999年頃 再開発計画の本格化により、(新)バンコク・ノーイ駅開業[注釈 3]。
- 2003年10月4日 【移転】旧トンブリー駅閉鎖。(新)バンコク・ノーイ駅は(新)トンブリー駅へ改名。
- 2015年10月1日 当駅発着で唯一残った優等列車、177/178列車(トンブリー - ランスワン)が運休。
駅構造
編集駅周辺
編集- 新駅
- 駅前には大きな市場がある。裏手にはトンブリー機関区があり、動態保存されているタイ国鉄の蒸気機関車のうち元・日本国鉄C56形はここで整備される。
- 旧駅跡地
- バンコク・ノーイ運河に面していた。運河の対岸にはモスク((泰)มัสยิดหลวงอันซอริซซุนนะห์、(英)The Ansorissunnah Royal Mosque)が建つ。これは、初代バンコク・ノーイ駅を建設するにあたり、一帯に居住していたイスラム系住民に対する土地交換の交渉材料として建設されたものと伝わる[8]。
- 駅構内の鉄道用地は病院(南側に隣接するシリラート病院の関連病院[注釈 4])に転用されたが、駅舎は現存しており博物館((泰)พิพิธภัณฑ์ศิริราชพิมุขสถาน、(英)Siriraj Bimuksthan Museum)として開放されている(見学は有料)。なお、博物館前には日本製のシャム国鉄DX50形蒸気機関車950号機が静態保存されている。
作品
編集注釈
編集- ^ バンクンノン駅は隣駅のチャランサニットウォン駅と隣接しているが、南線自体の列車本数が少なく利用は現実的でない
- ^ ちなみに、バンコク・ノーイ運河(英語版)は南側のバンコク・ヤイ運河(英語版)と共に本来のチャオプラヤー川河道であり、アユタヤ王国チャイヤラーチャーティラート王(1534~1547年在位)の治世に完成したとされる「ラート・バンコク」運河が現在のチャオプラヤー川河道になった[5]。現在のチャオプラヤー川と2つの運河に囲まれた一帯がバンコク・ノーイ区(北側)、バンコク・ヤイ区(南側)となっており、旧駅はバンコク・ノーイ区の北東側の一隅を占めていた。
- ^ 駅といってもごく簡素なもので、新駅舎完成までしばらくの間、利用客は旧駅舎で切符を購入、新駅で乗降という不便を強いられたという。
- ^ マヒドン大学傘下の先端医療病院Siriraj Piyamaharajkarun Hospital(英語版)、略称SiPH。同大学は後述の博物館運営にも携わっている。
- ^ 当地では人気のある作品でたびたび映像化されており、映画Sunset at Chaophraya(英語版)(2013年)など。
脚注
編集- ^ “ผุด "สถานีศิริราช" รวมรถไฟฟ้าใต้ดิน-บนดิน ในตึกผู้ป่วย” (タイ語). タイ・ラット (2019年5月2日). 2022年1月11日閲覧。
- ^ “15 ชั้นบนสถานีรถไฟฟ้าสีแดง-สีส้ม สร้าง 3 ปีเสร็จ” (タイ語). プラチャーチャート・トゥラギット (2019年5月2日). 2022年1月11日閲覧。
- ^ a b 柿崎一郎 『王国の鉄路 タイ鉄道の歴史』 (京都大学学術出版会、2010年)p.29
- ^ 柿崎一郎 『王国の鉄路 タイ鉄道の歴史』 (京都大学学術出版会、2010年)p.79
- ^ “History~ "LAT BANGKOK"” (英語). マヒドン大学. 2021年12月14日閲覧。
- ^ 『王国の鉄路 タイ鉄道の歴史』(柿崎一郎著、京都大学学術出版会、2010年)p.79 - 80
- ^ 『鉄道ピクトリアル』2000年10月号(No.691)p.79 電気車研究会
- ^ “ย้อนรอย "คู่กรรม" ตามหาโกโบริที่ "สถานีรถไฟบางกอกน้อย"”. MGR online (2013年3月29日). 2021年12月14日閲覧。
参考文献
編集- 柿崎一郎 『王国の鉄路 タイ鉄道の歴史』 (京都大学学術出版会、2010年)ISBN 978-4-87698-848-8
- 渡邉乙弘 『タイ国鉄4000キロの旅』 (文芸社、2013年)ISBN
外部リンク
編集- SHRIRAJ MUSEUM -博物館公式サイト