ドラジャ・ミハイロヴィッチ

ドラジャ・ミハイロヴィッチ (Драгољуб Михаиловић / Draža Mihailović,1893年4月27日 - 1946年7月17日)は、ユーゴスラビア王国の軍人。武装抵抗組織「チェトニック」の指導者。セルビア人。孫のヴォイスラフ・ミハイロヴィッチ政治家で、元ベオグラード市長。

Draža Mihailović
Draza Mihailovic,1943.jpg
ドラジャ・ミハイロヴィッチ(1943年)
出生名Dragoljub Mihailović
渾名Čiča Draža (Uncle Draža)
生誕 (1893-04-27) 1893年4月27日
Ivanjica, セルビア王国
死没1946年7月17日(1946-07-17)(53歳)
ベオグラード, セルビア社会主義共和国, ユーゴスラビア社会主義連邦共和国
所属組織セルビア王国の旗 セルビア王国 (1910–18)
[[ファイル:Template:Country flag alias Kingdom of Yugoslavia|border|25x20px|Template:Country alias Kingdom of Yugoslaviaの旗|link=]] [[Template:Country alias Kingdom of Yugoslavia|Template:Country alias Kingdom of Yugoslavia]] (1918–41)
[[ファイル:Template:Country flag alias Kingdom of Yugoslavia|border|25x20px|Template:Country alias Kingdom of Yugoslaviaの旗]] Yugoslav government-in-exile (1941–44)
チェトニック (1941–46)
部門
軍歴1910–1945
最終階級Army General[1]
指揮 Chetnik movement
戦闘
受賞
署名Потпис Драгољуба Драже Михаиловића.svg

生涯編集

セルビア南西部のイヴァニツァ出身、幼時に両親と死別しベオグラードの叔父の下で育つ。1910年セルビア王国陸軍に入隊し、第一次第二次バルカン戦争に従軍。第一次世界大戦ではオーストリア=ハンガリー帝国にセルビア全土を占領されながらもアルバニアへ逃れて抵抗活動を継続、中尉として終戦を迎え故国に戻った。その後新たに成立したユーゴスラビア王国陸軍の将校となり、フランスに軍命で留学したりチェコスロバキアブルガリアとの外交交渉にあたるなどの経験を積んだ。

1941年にナチス・ドイツがユーゴスラビアに侵攻すると、山中に逃れ王国軍の残党やセルビア民族主義者を結集しチェトニックを結成、その指導者として枢軸国の軍隊やクロアチアを拠点としていたウスタシャとも戦ったが、同時にヨシップ・ブロズ・チトー率いるパルチザン部隊とも(一時は両者提携の動きがあったものの)王国に反逆する反乱部隊として互いに抗争することになる。またウスタシャの支持者と見られていたクロアチア人ボシュニャク人など非セルビア人に対する虐殺にも手を染めた。

チェトニックは王国亡命政府と連合国の支援を受けていたが、1943年以降は枢軸国やセルビア救国政府との協力に転じパルチザン掃討を指揮。翌1944年にソビエト連邦軍が東欧へ侵攻すると戦況はパルチザン側に有利となり、また連合国や亡命政府の支援もパルチザン側に切り替わるなどチェトニックをめぐる状況は悪化。1945年5月8日にチェトニックが崩壊すると息子や部下とともに逃避行を続けるものの、翌年に逮捕されチトー政府によって救国政府の幹部ともども裁判にかけられた。彼に対しては連合国から助命を嘆願されたものの、チトーは応じず7月17日に銃殺刑が執行された。

評価編集

アメリカは、チェトニックの諜報活動を評価して1948年にミハイロヴィッチにレジオン・オブ・メリットを授与していたが、チトーのユーゴスラビアに配慮して秘密とされ、2005年になってようやく娘に授与された。

孫のヴォイスラフの請願を受け、2015年にセルビア高等裁判所はチトー政権による判決を破棄し、ミハイロヴィッチの名誉を回復した。しかし、クロアチアなど周辺諸国では今なお戦争犯罪者として憎悪されており、この名誉回復は非難を呼んだ。

脚注編集

  1. ^ Tomasevich 1975, p. 271.
  2. ^ Miloslav Samardžić: General Draža Mihailović i OPŠTA istoriia četničkog pokreta/General Draža Mihailović and the general history of the Chetnik movement. 2 vols 4 Ed Novi pogledi, Kragujevac, 2005
  3. ^ a b Draža Mihailović – Na krstu sudbine – Pero Simić: Laguna 2013

参考文献編集

  • Juce, Sinoc. Pjetlovi nad Tigrovima, Sanski Most, BiH: Begovic-Bosanska Krajina Press 2007
  • Marcia Christoff Kurapovna (2010). Shadows on the mountain: the Allies, the Resistance, and the rivalries that doomed WWII Yugoslavia. John Wiley and Sons. ISBN 978-0-470-08456-4 
  • Martin, David. Ally Betrayed: The Uncensored Story of Tito and Mihailović. New York: Prentice-Hall, 1946.
  • Martin, David. Patriot or Traitor: The Case of General Mihailović: Proceedings and Report of the Commission of Inquiry of the Committee for a Fair Trial for Draja Mihailović. Hoover Archival Documentaries. Hoover Institution Publication, volume 191. Stanford, CA: Hoover Institution Press, Stanford University, 1978.
  • Pero Simić. Draža Mihailović – Na krstu sudbine – SRB Laguna 2013
  • Seitz, Albert Blazier (1953). Mihailovic, Hoax Or Hero?. Leigh House. https://books.google.com/books?id=8AVrQgAACAAJ 
  • Tucaković, Semso. Srpski zlocini nad Bosnjacima Muslimanima, 1941–1945. Sarajevo: El Kalem, 1995.