ノート:ヤマト王権/archive 3

最新のコメント:14 年前 | トピック:ソックパペット | 投稿者:薔薇騎士団

記事冒頭文の変更について 編集

記事の冒頭文は、この8月にノートで議論して合意形成後に記述されたものです。それを大幅に変更する場合は、再度ノートで改訂文案を提案してください。なお、記事が保護されましたが、無断改変後の版を保護するのおかしいのではないでしょうか。--薔薇騎士団 2009年10月27日 (火) 12:34 (UTC)

管理者は保護する時に版を選べないのです。その辺はお察しくださいませ。--Chatama 2009年10月27日 (火) 12:36 (UTC)
上の議論をお読みいただけば分かると思いますが、当該記事の見出し「ヤマト王権(やまとおうけん)ないしは大和朝廷(やまとちょうてい)とは、」は、膨大な議論を費やして合意形成されたものです。それを一度もノートで議論しないで、いきなり「ヤマト政権(やまとせいけん)ないしはヤマト王権(やまとおうけん)とは」と、「大和朝廷」を外すのはルール違反です。それが許されるのならノートの存在意義がなくなります。大和朝廷の出典については、すでにいくつも上記で紹介されています。その上で、バランスを取って上記の内容になったのですから、勝手に削除しないでください。--薔薇騎士団 2009年10月27日 (火) 12:43 (UTC)
私が問題にしているのは冒頭文以降の加筆部分を理由もなく薔薇騎士団さんが削除したことです。解りませんか?らりた 2009年10月27日 (火) 12:45 (UTC)
別に保護してもらうほどのことでもありません。「冒頭文以降の加筆部分を理由もなく薔薇騎士団さんが削除」することを止めて貰えるならば冒頭文の体裁には拘りはありません。いかがか?らりた 2009年10月27日 (火) 12:47 (UTC)
すでに述べていますが、記事冒頭文を含む大幅な改変は、ノートで合意形成後にお願いします。ノートでの議論の経緯を無視して、一方的な改変を支持されても困ります。あなたのノートの過去ログを読むと、あなたはこの種のトラブルメイカーのようなので自覚がないのかもしれませんが。--薔薇騎士団 2009年10月27日 (火) 12:52 (UTC)
このノートで合意されたことは単に冒頭文の書式だけであり、それ以降の部分の加筆を拘束するものではないことは明らかです。それを全て理由なく削除する行為は認められません。もしそれをしたいならば薔薇騎士団さんがノートで合意形成後にお願いしますらりた 2009年10月27日 (火) 12:57 (UTC)

冒頭部については、元に戻すことで対立はないと思われます。それ以降の記述については、冒頭部と同様、事前に議論・合意が必要なものか、冒頭部と異なり、なされた編集を尊重すべきものなのか、というのが論点になっているように思います。冷静に対話をお願いします。また、投稿者にも論争が生じていた項目・内容であることをお伝え願えますか。--Ks aka 98 2009年10月27日 (火) 12:58 (UTC)

了解しました。あまりにも重大な変更なので、いったん差し戻すのが適当だと思い、差し戻しました。冒頭部分以外の加筆は残してかまいません。冒頭部分の変更はノートで合意後にお願いしたいと思います。--薔薇騎士団 2009年10月27日 (火) 13:16 (UTC)

加筆者のChokorinさんに付いては何ら問題はなかったものと思います。何故なら記事を見ただけではノートで議論があったなど解りようが無かったわけであり、それを「ノートを参照せよ。してないなら差し戻し」などとは無理難題です。ですから冒頭文について「これこれこういう訳で冒頭文だけは差し戻します」と述べていれば何ら問題は生じなかったでしょう。それを加筆部分全部を差し戻しなどするからおかしくなるのです。別にChokorinさんに責められるべき何ら理由もないのですからお知らせする必要も感じません。らりた 2009年10月27日 (火) 13:08 (UTC)

Chokorin氏の投稿履歴を見ると、最近アカウントを取得された方で、しかも編集履歴がこの問題に集中しています。以前、この記事で複数アカウントを駆使して改変していた方がいて、私もその人の5アカウントから攻撃され、結局その方はブロックされましたが、ノートでの合意を無視した編集をされる方に対しては、どうしても不信感を抱いてしまいます。あと、ノートの議論を知らないというのは言い訳になりません。--薔薇騎士団 2009年10月27日 (火) 13:14 (UTC)
言い訳になっていないのはあなたのほうでしょうに。その言い訳を認めるならあなたには新規アカウントの編集を全て差し戻す権利が生じることになりますよ。
正直、どうでも良くなったので。
  1. 冒頭文は元に戻す。
  2. 加筆部分はそのまま残す。
で合意ですね?らりた 2009年10月27日 (火) 13:19 (UTC)
このノートの冒頭部分には、論争タグが貼られています。そこには「記事に重要な変更を加える際にはその前にまずここで議論してください。」と書かれていますよ。読めませんか?--薔薇騎士団 2009年10月27日 (火) 13:22 (UTC)
そうですね。で合意でよろしいですか?らりた 2009年10月27日 (火) 13:24 (UTC)
私は別に急ぎませんので、Chokorin氏の意見を聞いてから判断したいと思います。--薔薇騎士団 2009年10月27日 (火) 13:26 (UTC)
いやいや、冒頭文に関してはともかくそれ以降の加筆部分に関してChokorin氏が削除すべきなどと言うわけがないでしょうに。削除すべきとあなたも思っているわけではないんでしょう?あなたの会話ページから察するに。では加筆部分は保持で合意と言うことで結論で間違いありませんね?らりた 2009年10月27日 (火) 13:33 (UTC)

らりた氏はなぜ冒頭文を改変したのですか?ずいぶん討論して出来上がった冒頭文であったことは知ってたはずですが?--清涼里588 2009年10月27日 (火) 13:51 (UTC)

そんなことはこのノートではどうでもいいから、保護解除に向けて合意形成しましょうよ。冒頭文は以前の合意通り、Chokorin さんの加筆は尊重するということで、問題ないと思います。--Mobnoboka 2009年10月27日 (火) 14:32 (UTC)
  コメント このノートや井戸端で繰り広げられた喧々諤々の議論に多少なりとも参加した者の主観としては、Chokorinさんやらりたさんの編集は少々軽率だったのではないかとも感じますが、まあ争点となっている冒頭部分に関しては、少なくとも編集合戦を行ったらりたさんと薔薇騎士団さんの間で合意が成立したようなので、概ねこの点は解決されたものと考えます。なお今後のことを考えて、記事の冒頭にも{{編集前の注意}}などを貼っておいたほうが良いかもしれませんね。--Kanohara 2009年10月27日 (火) 15:31 (UTC)
他人の加筆を理由無く丸々削除する行為は軽率ではないとでも?らりた 2009年10月28日 (水) 11:52 (UTC)
もちろん、理由のない削除は軽率です。そしてウィキペディアでは合意形成が重視されます。そうした上で、ノートで長い議論を経て合意に至った内容を理由も示さず丸々無意味化しようとしたChokorinさんやらりたさんの編集は、少々軽率だったのではないかと申し上げました。薔薇騎士団さんは明確な差し戻し理由を要約欄で明記しており、「理由なく丸々削除する行為」ではないように私には思われ、その点で私は薔薇騎士団さんに同情的です。もちろん、Chokorinさんが自身の会話ページで事情を知らなかったことを告白していることも、同情に値しますし、らりたさんが己の純粋な正義感や義憤からChokorinさんの編集を庇おうとしたこと自体も疑ってはいません。ですが差し戻された内容はウィキペディアから永久に失われたわけではなく、履歴からいつでも閲覧することが可能なのですから、編集合戦になる前に一度落ち着いてノートを見て頂きたかったと思います。--Kanohara 2009年10月28日 (水) 13:24 (UTC)
Kanohara氏の仰る通りだと考えます。冒頭を重視してリーバとする行為と、その下の文章を重視してリバートする行為は同じ行為であり、様子を見ていると、なぜか薔薇騎士団氏のみが責められている感を受け、いかがなものかと思ってしまいました。個人的には合意文をいじったほうが「問題アリ」に思えてしまいます。しかしMobnoboka氏が仰るように、「そんなこと」を話していても無駄であるとも思えるので、はやく話をまとめ、保護解除いただくことを期待しています。--清涼里588 2009年10月29日 (木) 15:15 (UTC)
念のためにうかがいますが、合意文というのは、上の「保護解除の提案」のことですか。貴方が「異義なし」と言ったことでコンセンサスが成立したということですか。--Chokorin 2009年10月29日 (木) 15:36 (UTC)
#編集提案の辺りの議論も参照してみてください。--Kanohara 2009年10月29日 (木) 19:10 (UTC)
Chokorin氏へ。ノート等をよく読んでから編集し、発言もしてください。--清涼里588 2009年10月30日 (金) 16:42 (UTC)
清涼里588さんへ。貴方は[1]を編集された方ですね。これは何を読んで編集されましたか? 貴方の言い分にしたがいましょう。しかし、あなたも最低限、中高生が使用する歴史教科書くらいは何冊か読んで編集なさってください。--Chokorin 2009年10月31日 (土) 02:06 (UTC)
えっと、その答えはこちらのノートをしっかりお読みになっていれば、いくらでも出典はわかることだと思うのですが。あなたは「大和朝廷」の用語がもう使われていないという表現を使用しました(「かつて大和朝廷が使用された」)。残念ですが、こちらのノートをを読んでもらえればわかりますように、現在も使用されている用語ですので、これは間違えている表現でした。大和朝廷は現在でも使用するものもおり、「研究者の間では」大和朝廷が使用されなくなりつつあるという正確な記載・事実を記載したのみですが、何か異論があるのでしょうか?--清涼里588 2009年10月31日 (土) 16:03 (UTC)
「大和朝廷」の用語がもう使われていないとは一言も書いていないんですが。「今日では古墳時代の政治組織にかかわる研究の進展から、古墳時代に関しては「ヤマト政権」「ヤマト王権」と呼ばれることが多い」と書いていますが。「多い」と「すべて」では意味が異なりますし、飛鳥時代では「大和朝廷」の語を使用することを示唆しているわけですが。「研究者の間では」には異論がありますね。中高生は別に研究者じゃないし、全員が全員、研究者になるわけではありませんから。まあ、日本語の読解能力やら常識やらを少し身につけてから、編集なさることをお勧めいたしますね。--Chokorin 2009年10月31日 (土) 16:29 (UTC)
主語もなく「かつて大和朝廷が使用された」と過去形で書いた時点で、それは現在使用されていないことを意味する表現となり、間違えていますので、正確な日本語でお願いしますということです。中高生が大和朝廷を使用スルことがすくないのならば出典と共に追加して記載すれば良いことです。まあ、我を通さずにしっかり同意を得ながら編集しましょう。--清涼里588 2009年10月31日 (土) 16:38 (UTC)
「かつて大和朝廷が使用された」の主語は「古墳時代から古代」であり、「ヤマト政権・ヤマト王権と呼ばれることが多い」の主語は「古墳時代」なので、ハッキリ言えば、あなたの誤読ですね。まあ、複文に慣れていないような人もお読みになるかもしれませんから、今後は気をつけましょう。出典は、まさにあなたが掲げてくれた私の編集差分にズラリと高校教科書の採用用語を並べていますので、視力の方も鍛えていただけると嬉しいですね。それとも、全国の中高生にアンケートでもとらないと納得しないんでしょうか。--Chokorin 2009年10月31日 (土) 16:53 (UTC)

ん?「古墳時代」という時代が「ヤマト政権・ヤマト王権」と「呼ぶ」のですか?「呼ぶ」のは人間であるはずなんですが?誰が呼んでいるのか?「多い」ならどこで「多い」のか?そこらをハッキリできないのであれば「感覚」で書いちゃいかんよ、ということですよ。言葉を濁してはいけません。--清涼里588 2009年10月31日 (土) 17:07 (UTC)

「かつては古墳時代から古代にかけての畿内政権は『大和朝廷』と呼称されていたが、今日では古墳時代の政治組織にかかわる研究の進展から、古墳時代に関しては『ヤマト政権』『ヤマト王権』と呼ばれることが多い」という文ですから、「かつて大和朝廷が使用された」の主語は「古墳時代から古代にかけての畿内政権」であり、「ヤマト政権・ヤマト王権と呼ばれることが多い」の主語は「古墳時代の畿内政権」なわけです。「畿内政権」は既に1節目に記述しており、2節目は重複する言葉なので、省略したわけです。これを「主語の省略」といいます。あなたの2009年10月31日 (土) 16:03 (UTC)の書き込みに「残念ですが」とあります。誰が残念なのかは省略されていますが、あなたが言いたいことはハッキリ伝わりました。こういうふうに、単文でさえ主語を省略することが多いわけですから、複文にする場合は、なおさら主語を省略することが多いのです。覚えておくといいでしょう。
「言葉を濁さない」の趣旨については了解しました。「ほとんどの高校生・大学生・若い世代、日本書籍・扶桑社版歴史教科書以外の教科書で学んでいる中学生、研究者の多く」であれば納得しますか? --Chokorin 2009年11月1日 (日) 16:47 (UTC)
主語というのは動詞を行っているのは誰なのかはっきりしてくれってことなんですが?「誰が」「かつて呼んでいた」という動詞をしているのか?を聞いていたのですが、「古墳時代に関しては」などと説明が一部ずれているようで残念です。現在も使用されている中で「かつて大和朝廷と呼んでいた」のは誰なんですか?ということですよ。
また、「あの教科書には「ヤマト王権」呼称、こちらの教科書には「大和朝廷」呼称が使用されている」とは書けますが、その教科書を使用している「高校生・大学生・若い世代の多くが「ヤマト王権」と呼んでいる」とは言えないことも気付いていただきたい。教科書での呼称使用が、それを読む人間がその呼称を使用するか否かは違うことですから細かい事ですが、ここらも細心の注意をお願いします。--清涼里588 2009年11月2日 (月) 15:54 (UTC)

「特定の観点を推進る意見の合成」について 編集

  コメント冒頭部はともかく利用者:Chokorin氏は邪馬台国がヤマト王権であるという見解で中国の資料の内容をそのまま合成して大幅な加筆しているわけですが、それは特定の観点を推進る意見の合成があるように考えます。--あら金 2009年10月28日 (水) 12:33 (UTC)

あら金氏へ。「特定の観点を推進る意見の合成」の意味がわかりかねますので、よろしければ御説明ください。また、中国の資料(史料でしょうか?)を用いてはいけないというルールはどこに記載されているのでしょうか。もし、「特定の観点」が「邪馬台国の所在地については近畿説と北部九州説があるが、近畿説を採用した場合、3世紀には近畿から北部九州におよぶ広域の政治連合がすでに成立していたことになり、北部九州説を採用すれば北部九州一帯の地域政権ということになり、日本列島の統一はさらに時代が下ることとなる。卑弥呼を宗主とする小国連合(邪馬台国連合)がヤマトを拠点とするヤマト王権に直接つながる可能性が高くなった」という私の編集のことだとすると、なぜ、それは問題視されて、本記事の「7世紀末まで日本列島を代表する政権は九州にありヤマト王権は一地方政権に過ぎなかったとする説もあるが、埼玉県稲荷山古墳と熊本県江田船山古墳から「ワカタケル大王」と推定される銘の鉄剣が出土していること、様々な考古学的遺物などから成立する余地はないと考えられている。(→九州王朝説)」の記事は許容されるのか、御説明ください。--Chokorin 2009年10月31日 (土) 02:06 (UTC)
ちと見難くなっていたのでラインを入れました。さて「特定の観点を推進る意見の合成」の意味については「Wikipedia:独自研究は載せない#特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成」をご覧下さい。ウィキペディアにおいては(ノートページではなく)記事本文内において、執筆者自身の個人的な分析や主張を述べることはルール違反とされています。例えば「Aであるという証拠がある[1]。Bという証拠もある[2]。なので(ウィキペディアの執筆者であるところの私は)これらの研究からCという結論が導き出せるだろうと考える」といった意味の記述は、Cという結論を導き出す過程で執筆者の分析が加わっているため、このルールに抵触します。これが仮に「分別のある大人であれば誰でもその正確性を簡単に検証できるような解説」であれば投稿者自身の独自研究に基づいていても構いませんし、また「Aであるという証拠がある[1]。Bという証拠もある[2]。これらの研究からCという結論が導き出される(という主張をする研究者がいる)[3]」といった形で、執筆者独自の推理ではなく発表済みの意見として、そのような分析が存在していることを示せるなら、これは執筆者の独自研究ではなく出典のある情報と見なされます。ただし、少なくとも異なる説も支持されていて研究者の間でで対立があるような事柄について、執筆者が個人的な私見を記事本文に書くことは、(残念なことに、ウィキペディアでは時々見かける表現ではありますが)ルール違反です。
Chokorinさんの例示があら金さんの指摘に沿っているかどうかはちと判断つきかねますが、これに関しては研究者の間で「卑弥呼を宗主とする小国連合(邪馬台国連合)がヤマトを拠点とするヤマト王権に直接つながる可能性が高くなった」と受け取られていることを出典によって示すことが必要になるかと思います。一方でChokorinさんが指摘する「様々な考古学的遺物などから成立する余地はないと考えられている。(→九州王朝説)」の記述の場合は、九州王朝説へのリンクによって、執筆者独自の推理ではないことが示されていますので、これはあくまでリンク先の要約であって執筆者独自の推理にはなっていないと、私は考えます。--Kanohara 2009年10月31日 (土) 10:32 (UTC)
詳しい解説、ありがとうございます。「纒向遺跡の発見により、…直接つながる可能性が高くなったとする研究者がふえた」という書き方に改めて、出典をいくつか掲げれば解決すると考えてよいのでしょうか。--Chokorin 2009年10月31日 (土) 10:59 (UTC)
文章の語尾が断定的なので、一学説に過ぎない意見をあたかも歴史的事実かのように決めつけてしまっているように読めるのです。「……とされる」「……と考える研究者もいる」「……の可能性がある」というふうに書いて、別の学説や見解があればそちらも言及するように書けば客観的で公平な印象を受けますが、断定的な書き方だと、自分に都合のいい説をつなぎ合わせて特定の歴史的見解を強引に推進しているように読めるわけです。特に考古学的発掘の成果に基づく記述は、「……という可能性が高まった」「……が有力視されるようになった」という書き方にしないと、非学術的な文章になります。--薔薇騎士団 2009年10月31日 (土) 12:32 (UTC)
最初から「可能性が高くなった」と書いていますが。--Chokorin 2009年10月31日 (土) 13:28 (UTC)

Chokorinより保護解除のお願い 編集

  コメント皆様に御迷惑をおかけしてしまったようで申し訳なく思います。結論だけ申し上げます。まず、保護を解除していただきたいです。ワカタケルのところまで原稿ができているのですが、投稿できなくて困っています。記事名について、このまま単独記事でいくならば「ヤマト政権」が最も適切だと思います。そのうえで、王権から朝廷へのプロセスを詳述すべきでしょう。そうでなければ、「ヤマト王権」と「大和朝廷」の2つの項目を立てるべきだと思います。そして、
  • ヤマト王権」… 纒向遺跡の造営、前方後円墳の誕生 (3C後半)~壬申の乱(672年)
  • 大和朝廷」…ワカタケル大王(5C後半)~平城京遷都(710年)
の時期を扱うべきだと思います。つまり、ワカタケルの時期から壬申の乱までの約200年間については両記事に重複させるべきです。その理由をここに書いてもいいのですが、それよりだったら記事に書いた方がよいと思います。そのうえで皆様の批評をお受けした方がむしろ効率的ではないかと思います。あら金氏のコメントについては、邪馬台国がヤマト王権であるという見解を示した覚えはありませんし、加筆はむしろ考古学的な資料をもとに進めているつもりでしたので意外な指摘でした。ルール違反があったとすれば私の加筆は帳消しということでも構いません。ただし、年代的な矛盾があったり、用語問題にも密接にからむ、肝腎な政治組織についてふれなかったりで、以前の記事にもやはり問題が多かったのではないかとは思います。このノートはあまりにも長大であり、実は全部読んでいません。論点が多岐にわたり、話が入り組んでおり、ひとつひとつのコメントに対し私なりの意見もあるので読み進めることができずにいます。昨夜より何度か全部読もうと思っているのですが、そのたびに挫折してしまっており、最初の方しか読んでいません。どのような合意があったのか、それがどこにあるのかさえ、実はよくわかっていません。明日にでもプリントアウトして全文を読もうと思います。--Chokorin 2009年10月28日 (水) 15:56 (UTC)
まず、記事名の改名でしたら、改名提案をしなければなりません。記事名が「ヤマト王権」となっているのに、見出しでいきなり「ヤマト政権」と編集してしまうと、記事としておかしなかことになります。また、記事の分割も分割提案しなければなりません。ヤマト王権、大和王権、大和朝廷、ヤマト政権、大和政権のどれが正しいかは、現状では研究者、マスコミ、インターネット上での検索結果を見ても、まちまちで一つにしぼることができません。ですから、記事冒頭部分にヤマト王権と大和朝廷の二つを書いているわけです。これは8月に膨大な議論をして決まったことです。ノートを読むのが大変とのことですが、過去のコンセンサスを無視して記事を編集してしまうと、トラブルのもとになりますので、面倒でも過去の議論を理解した上で、編集なり編集提案をしてくださるようお願いします。--薔薇騎士団 2009年10月29日 (木) 02:21 (UTC)

  コメント「過去のコンセンサスを無視するな」との仰せですが、無視した覚えはありません。あるのかどうかもわからないコンセンサスを無視することはできません。また、無視されて困るものならば、どうして、本文中にそのことを明記しなかったのでしょうか。

上で学習指導要領の話題が出ていますが、平成21年3月告示の高等学校地理歴史科の日本史B学習指導要領からは「大和朝廷」の用語は消えています。小中学校の学習指導要領にはまだありますが、学習指導要領に沿って歴史学者が中心となって執筆・編集した歴史教科書では古墳時代について「大和朝廷」の語がほとんど使われておらず、「ヤマト政権」「ヤマト王権」の表記が主流であり、しかも文部科学省の教科書検定に合格して一般に流布しています。このことの意味をもう一度お考えください。

もちろん「大和朝廷」の用語そのものが間違いだというのではありません。用語自体は今でも使われているのであり、大和朝廷に罪はありません。しかし、国語辞典で「朝廷」の語を調べると、「天子が政治を行う所。廟堂(びょうどう)。朝堂。また、天子が政治を行う機関」(『大辞泉』)とあるように、原義が「天子が政治を行う所。朝堂」である以上、限定的に使用されなくてはいけません。中国史でいうならば、秦の始皇帝の登場以前に「朝廷」の語を使うのは厳密にいえば誤り、少なくとも、あまり適切ではないということになります。「朝廷」の語は、君主が「天子」とよばれ、政務を執行する場所として「朝堂」が成立するようになる以前は軽々に用いてはいけない言葉であることは御了解いただけると思います。

そういう意味で、「ヤマト王権(やまとおうけん)ないしは大和朝廷(やまとちょうてい)とは、古墳時代に「大王」(おおきみ)などと呼称された倭国王と、いくつかの有力氏族が中心となって成立した王権・政権である」という以前の冒頭文、とくに「ヤマト王権ないしは大和朝廷」の表現は完全に誤りです。そもそも定義に誤りがあります。このノートで仮に1人2人が同意したところで、そんなものはコンセンサスとはいえません。用語自体に罪はなくても用法が間違っています。その誤りは訂正しなくてはならないのではないかと考えます。

「現状では研究者、マスコミ、インターネット上での検索結果を見ても、まちまちで一つにしぼることができません」と貴兄はおっしゃっていますが、そうであれば、コンセンサスを形成することが可能かどうか、まず考えるべきだったでしょう。「ヤマト王権、大和王権、大和朝廷、ヤマト政権、大和政権のどれが正しいか」とおっしゃいますが、正しい言葉、間違った言葉などないのです。ある意味ではすべて正しいのです。これらの語は、いずれも慣用表現なのであり、学者ひとりひとりが自分の研究領域や立場に立って、最新の研究動向をふまえたうえで一番しっくりくるのは何か、ということで使用されているにすぎません。当然、同じ研究者がそのときどきで政権と言ったり、王権と言ったり、あるいは、朝廷と言ったりすることがあるでしょう。そのときどきでしっくりくる言葉は当然違うからです。用語だけを切り取って、どちらが正しいかを論じるのはあまり意味がありません。「大和朝廷」を論じたいのならば、いつ始まって、どのように展開し、いつ終わったかを書いてこその百科事典ではないでしょうか。ただ、「大和朝廷」という言葉を気に入っているというだけでは、記事にならないのです。--Chokorin 2009年10月29日 (木) 14:24 (UTC)

要するに、あなたは自分はノートを読んでいなかったし、いまも読む気はないからコンセンサスがあろうがなかろうが、自分は関係ないということでしょうか。もちろんあなたがそういう見解を取ろうがかまいませんが、その場合、あなたの編集は取り消されても文句は言えません。ノートでの合意人数云々も、その時々の議論に参加している人数は一定ではありませんし、2,3人で合意の場合もあるでしょうし、5,6人で合意の場合もあるでしょう。ですから、数が少ないからという理由であなたがそれを無視していいという理由にはなりません。あと、朝廷の原義が廟堂、朝堂にあるというのも、それはあくまで原義であって、平安後期以降火災でそれらの建物が焼失しても朝廷という語は使いますし、もし原義に固執するならこうした慣用的表現は誤りとなってしまいますね。こうした議論もすでにしてきています。いずれにしろ、あなたの意見は「一理」あるというだけで、別の見解にもそれぞれ「一理」あるわけです。Wikipediaは学会の場ではありませんから、それらのどれが正しいかを判断したり結論づける必要はありません。あくまで、各論並記でかまわないのです。--薔薇騎士団 2009年10月29日 (木) 15:50 (UTC)
それと、天子の語に対するあなたの理解もおかしいですね。天子は周の頃から使われており、むしろ秦の時代には使われていません。あなたのいう「原義」に従えば、天子=皇帝という理解は間違っているのです。周王が天子であるなら、倭大王を天子としても「原義」に従えば間違いではありません。--薔薇騎士団 2009年10月29日 (木) 16:10 (UTC)
揚げ足取りが多いですね。
>「周王が天子であるなら、倭大王を天子としても『原義』に従えば間違いではありません」
適切でないと考える人はいるかもしれませんが、確かに間違いではありませんよ。間違いだと主張した覚えもない。だから、上にワカタケル大王以降は「大和朝廷」の記事で扱えばよいと言っています。
>「あなたのいう『原義』に従えば、天子=皇帝という理解は間違っているのです」
いや、間違っていませんよ。天子=皇帝だからこそ、一時的に秦の時代に天子の称号が使われていないのです。
>「朝廷の原義が廟堂、朝堂にあるというのも、それはあくまで原義であって、平安後期以降火災でそれらの建物が焼失しても朝廷という語は使います」
確かにそうですね。奈良時代は、大和国に朝廷があっても「大和朝廷」とは言いませんね。単に「朝廷」ですね。なぜですか。まあ、そのあたりから考えたらどうでしょうか。
コンセンサスを無視したつもりもないし、無視していいと主張する気もありません。一般的な話としてはコンセンサスを尊重するのは当然のことです。上で一度聞いておりますが、合意文というのは、上の「#保護解除の提案」のことなんでしょうか。それならば一応、少なくとも今の私はそれには合意できないと言っておきます。当初から議論に参加した人の多くもまた合意していませんね。単に議論そのものから離れているだけのようにみえます。私の言い分は開き直りに聞こえたと思います。それは覚悟のうえなのですが、私が言いたいのは「過去のコンセンサスを何よりも優先すべきというコンセンサス」は成立しているのかということです。つまり「コンセンサスを何よりも優先すべき」という考えは、往々にして、いわゆる「ゴネ得」を招きかねないと懸念するわけです。事実、ここではそうなってしまっているのではないかと危惧します。「そうでない」というのであれば、私の取り越し苦労であり、むしろ喜ぶべきことですが。一貫して相手に対して非妥協的な態度をとりつづけた結果、相手が嫌気がさしたあげくに成立した合意であるなら、それは合意と呼べるものなのか、はたして疑問です。これはむしろノートを読んで以降の感想です(残念ながら、全部読んではいませんが)。また、ここで私が仮に議論に参加して新しいコンセンサスを形成しても、そのコンセンサスの存在を周知させなかったら、知らずに編集する人間は当然再び現れるわけです。そうしたら、同じことの繰り返しではないでしょうか。単独記事としたうえで両論併記を主張なさるなら、「大和朝廷」が3世紀後半に成立したと説明する、信頼の置ける良質な情報を最低1つ持ってくることが前提になります。先に同意したという人たちが、まず、やるべきことをやってから再び合意形成をめざしませんか。--Chokorin 2009年10月29日 (木) 18:10 (UTC)
> 当初から議論に参加した人の多くもまた合意していませんね。単に議論そのものから離れているだけのようにみえます。
もし「議論に参加した多くの方」がShishinさんやGodaigoさん(或いは薔薇騎士団さんのノートで発言をしたUssissiさん、Rekishiさん)のことを指しているのでしたら、彼らは恐らく戻ってこないと思います。詳細は「Wikipedia:多重アカウント」をご覧ください。個人の意見を多重アカウントを用いて多数のコンセンサスに見せかけ、同意しない相手が嫌気が差すまで恫喝を繰り返すような行為は、もちろんウィキペディアでは禁止されています。
まあ、Shishinさん=Godaigoさんの行動が、あまりに彼(または彼女)の心証を悪くするものであったために、本来正論として扱われるべき部分まで色眼鏡で見られている部分や、内心では彼(または彼女)に賛同していても、それを表明しづらいような空気は、確かにあるかも知れません。もちろん、Chokorinさんがそうした意見を支持するのは自由です。ですがその意見は現状やや色眼鏡で見られていることと、また投稿ブロックされた利用者は賛否を表明できる立場になく、その意見がコンセンサスの一部であるとは見なされていない現状は、多少なりとも念頭に置いていただければと思います。--Kanohara 2009年10月29日 (木) 19:10 (UTC)
合意文は#編集提案の項目です。過去のコンセンサスが気に入らないとのことですが、もちろんコンセンサスは永久不変ではありませんから、新たな編集提案(記事分割を含む)をしていただければ、それについてまた議論して再度コンセンサスを形成してもいいのです。私は最初から記事冒頭部分を変更する場合は、「再度ノートで改訂文案を提案してください」と言っています。また「ゴネ得」などという言葉を使われていますが、複数アカウントを駆使してここでの議論を攪乱したり、私のノートで個人攻撃して議論をつぶそうとしたのは「ヤマト王権」を主張されていた方です。ささのはさんなんかは、私のノートで「ダウン寸前」だったと感想を述べられていますが、本当に気の毒でした。誤解ないようにお願いします。--薔薇騎士団 2009年10月30日 (金) 02:24 (UTC)
合意文の形成に携った者です。まず現時点での即時の保護解除には反対します。Chokorinさんには申し訳ありませんが、過去のノートでの議論をよく読んでからご意見を述べて頂きたいと思います。この合意形成には私を含めて6名の合意形成がなされており、当時、反対者はいませんでした。また「大和朝廷が3世紀後半に成立した」と合意の冒頭文では書いていません。過去にかなり論争のあった記事なのですから、過去の議論をご一読頂ければと思います。--TENDERAS 2009年10月30日 (金) 06:13 (UTC)

Kanoharaさん、薔薇騎士団さん、TENDERASさん、詳しい御説明ありがとうございました。#編集提案の部分、読ませていただきました。冒頭文の案のなかで最も適切だと思ったのは、TENDERASさんの掲げた2009年8月16日 (日) 13:03 (UTC)の案「ヤマト王権(やまとおうけん)とは、古墳時代に「大王」(おおきみ)と呼称された倭国王といくつかの有力氏族が中心となって成立した王権・政権である。主に奈良盆地を本拠とした。大和朝廷(やまとちょうてい)とも呼ばれるが、近年の歴史学の研究によれば「ヤマト王権」を採用する研究者が大半なので本稿ではヤマト王権と称する(節 名称についてを参照)。」です。

改名もせず、分割もせずという条件ならば、冒頭を「ヤマト王権またはヤマト政権」にした方が適切かもしれません。「主に奈良盆地」も引っかかるといえば引っかかりますが、冒頭はこれくらいサラリとふれて後で詳述するのが適切だとも思います。それに対し、現状の「ヤマト王権ないしは大和朝廷」の用語併記は、実は最悪の選択だと思いました。苦労して同意にこぎつけたことは理解できますが、それほど簡単にイコールで結べる用語であるなら、そもそもこれほどエキサイトした論争は起こらないはずです。また、いま古墳時代の政治組織について「王権」の語を使っている学者も、数十年前は大多数が「大和朝廷」の語を使っていたわけで、そうした経緯を無視しています。

TENDERASさんは「また『大和朝廷が3世紀後半に成立した』と合意の冒頭文では書いていません」とおっしゃいますが、冒頭に等号で結んでしまった以上、本文で「成立期」を3世紀として説明しているのですから、ウィキペディアでは「大和朝廷が3世紀後半に成立した」と主張しているに等しい。それは避けるべきことと思います。本文でフォローアップできないような冒頭文はやめた方がいいでしょう。

多くの学者は、おそらく王権、朝廷の両方を使っており、しかも使い分けていると思います。本当は、どのように使い分けているかの全体傾向を説明できれば簡単に解決できるはずです。ただ、これはそれこそ個々の学者が古墳時代から古代にかけての歴史全体をどう把握するかに密接にリンクする話題なわけですから、実は専門家中の専門家ですら難しいことだと思います。

個々の学者が使い分ける際の目安としては、さしあたって「朝廷」の原義・語源が考えられるだろうと思います。こういうことは、学生相手にお茶飲みながら話すことはあっても、わざわざ文献には書かないでしょうから憶測にすぎませんが(帝国書院の例は稀有な一例だと思います。執筆者のなかで古代史担当の人の名を掲げるべきでしょう)。それからまあ、薔薇騎士団さんの2009年10月29日 (木) 15:50 (UTC) のコメント「もし原義に固執するならこうした慣用的表現は誤り」についてですが、誤解なきように申し上げれば、別に私自身が固執しているどうかは重要ではないというか、この問題とはあまり関係がないわけです。ただし、歴史学者というのは、扱う対象が対象ですから、概して原義に固執する傾向のある人びとなわけです。

仮に厳密に固執したとして、「朝堂」、「天子あるいは天皇号」、「大和国」の3条件を完全に満たす時代ということになれば、天武・持統・文武の時代、つまり672年から710年までは純然たる「大和朝廷」の時代でしょう。しかし、それはあまりにも短いし「飛鳥の朝廷」などの表現で代用できる。だから「大和朝廷」は使われなくなったのであり、別にこの言葉が間違っているからとか政治的に問題だから使用されなくなったのではないと考えます。いわば、単に使う機会が少なくなったのだと思います。ただ、小学生に歴史を教える場合には「大和朝廷」の語を教えることは非常に意味があると思います。朝廷の語を覚え、その概念を理解させることで、南北朝時代とか明治維新の理解が可能です。初学者に対しては、そうした配慮は当然アリでしょう。

それからまあ、薔薇騎士団さんに重ねて申し上げたいのですが、「朝堂」というのはもちろん建物のことではなくて、その建物が象徴する官僚機構のことです。建物およびそれが示す官僚機構が完全に整備されて定着し、どこにあるかが問題にならなくなった奈良時代には単に「朝廷」でしょうし、建物の有無さえ問題にならない時代になったら、単に中央政権、公家政権の意味で「朝廷」の語は使用されるでしょう。用語・用法の変遷も実際の歴史の推移とパラレルなわけです。

いっぽう、朝堂と天子号に目をつぶって官僚組織にだけ着目すれば、その萌芽は人制に先だつワカタケルの時代に認められるわけですし、古墳分布も明らかにそれ以前とは異なる様相を呈していますから、そこから「大和朝廷」を書き始めるのは全然かまわないし、単独記事ならば自分ならそう書き出します。「王権」と「朝廷」の画期は、ワカタケルの時期、継体朝、推古朝、大化改新、天武即位というふうに学者によって異なると思いますが、ここではやはり官僚機構・政治組織に着目して、そこに絞って書き込んでいかないと、記事が冗長なものになってしまうのではないかと思います。また、そうすることで冒頭の用語問題に解答をあたえることにもなるんじゃないかと思います。

とにかく、用語だけを切り取って冒頭いじっても無意味なわけで、この記事を「自分だったらどうまとめるか」という観点から考え直す必要があるのではないでしょうか。--Chokorin 2009年10月31日 (土) 13:28 (UTC)

同じことの繰り返しになりますが、Wikipediaは学会の場ではありません。どの説が正しいか正否を判断する必要はないのです。現に大和朝廷という語が多数使われているのですから、その事実に即して記事を書けばいいのです。古墳時代の政権を大和朝廷と呼称するのは間違っている、という説があればそれを紹介すればいいわけですし、間違っていないとして記述している文献があれば、それも紹介すればいいわけです。大和かヤマトか倭か、朝廷か政権か王権か、どれが正しいかはここで判断しなくてもいいのです。--薔薇騎士団 2009年10月31日 (土) 14:20 (UTC)
別に判断くだしてませんが。どっちも間違っていないし、どっちも正しい。ただし、そこには個人のなかでも使い分けがなされていると何度も言っていますが。要するに、「大和朝廷」という記事項目があるか、見出し文に「大和朝廷」とさえあれば、あなたとしては満足ということでしょうか。--Chokorin 2009年10月31日 (土) 14:39 (UTC)
以前議論を再開してしまった者です、今までの議論を読ませていただいて思った事を書きます。前に合意した記述は大和朝廷=ヤマト王権の考えで書かれている物なのでChokorinさんの考えである大和朝廷≠ヤマト王権で見ると相応しくない記述に見えるのは当たり前のことと思います。改名案は私も出しましたが大和朝廷≠ヤマト王権の文献を見つけることができず頓挫してしまいました。現在、大和朝廷=ヤマト王権としている根拠はTENDERASさんが出してくれたyahooの辞書だけですので、もしChokorinさんが大和朝廷≠ヤマト王権であるとバシッと書いてある文献特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成に抵触しないものを提示していただければ記事の改名分割をスムーズに進めることができると思います。それができないのであれば大和朝廷=ヤマト王権を容認していただくしかないと思いますがどうですか?--ささのは 2009年11月1日 (日) 03:44 (UTC)

熊谷公男氏は「第一回遣隋使で『蛮夷の国』であることを思い知らされた倭王権は、矢継ぎばやに朝廷の諸制度の改革に着手する」(熊谷公男『日本の歴史03 大王から天皇へ』p.231。講談社、ISBN 4-06-268903-0)と書いています。一文のなかに「王権」「朝廷」があり、きちんと使い分けられています。

吉村武彦氏は「日本列島における疾風怒濤の時代を終了させ、関東から中九州にいたる大和王権の政治的統合に画期をもたらしたのは、倭の五王ひとり武(オオハツセワカタケルの雄略帝)であった」(p.11)として基本的には壬申の乱以前は「王権」の語を使っていますが、「隋使は、小墾田宮の朝庭で天皇に来朝の挨拶をした。朝庭は、普通は朝廷の字を使うが、ここはのちの朝堂院にあたるスペースの中央広場であるから、朝庭の方が正確である」(p.199)とし、推古朝に関しては部分的に朝廷(朝庭)を使っています。また天智天皇の政府の行政組織にも「朝廷」(p.270)が使用されています。これらは、いずれも吉村『集英社版日本の歴史3 古代王権の展開』ISBN 4-08-195003-2 が出典です。

和田萃氏の『大系日本の歴史2 古墳の時代』(小学館、ISBN 4-09-461002-2)では、3世紀の古墳出現期から大化改新の直前までを扱っていますが、そこで使用されている語は「ヤマト王権」「大和王権」「大和・河内連合政権」です(かれの立場は河内王朝はなかったという立場です)。しかし、話題のなかで壬申の乱が登場した際には「近江朝廷」の語を使用しています。

鬼頭清明氏は朝日新聞社『朝日百科 日本の歴史1 原始・古代』(1989年、 ISBN4-02-380007-4)のなかで、「近畿の王権」の語を用い、これらは近畿に複数の王朝が併立する場合も考えられ、「ヤマト政権」「大和政権」「畿内政権」とも呼ばれることがあり、「継体朝以前は天皇家の直接的祖先にあたる大和朝廷と無関係の場合も考えられる」とし、そこで「朝廷の語を避けて作られた」としています。 また、鬼頭氏は『大和朝廷と東アジア』の内容情報によれば、〈倭王権→大和朝延→律令国家の成立〉の年代的区分を考えているようです。

高校教科書では、古墳時代に関しては「ヤマト(大和)政権」「ヤマト(大和)王権」が使われ、飛鳥時代に関してはだいたい「朝廷」の名が使われており、政権(政治権力)という意味よりむしろ政治機構という意味で使われています。たとえば、山川『新日本史B』では、「このころ中央では大夫による合議制が確立して品部の組織をととのえ、政治の中心である朝廷の機構を整備する動きが進んでいたが、蘇我氏は渡来人を掌握して…」と記し、朝廷機構を整備したのは蘇我氏を中心とする勢力だとしています。

このように、実際のところ、古墳時代については「王権」「政権」を使用する人・著作物も同じ本のなかで「朝廷」の語は使用しており、使い分けがなされています。最初から最後まで一貫して「○○王権(政権)」あるいは「朝廷」「大和朝廷」で通す人はいません。その画期は人により、著書により様々ですが、推古朝前後が多い。「王権」「政権」を極力使っているようにみえる人も、壬申の乱になるとなぜか近江朝廷が急に出てくる傾向があります。あとは継体朝を画期として掲げる人がいる。

意味の違いとしては、王権は「王の政権」「王の権力」という意味、朝廷は「王の政権」のほか「集権的機構」「官僚組織」の意味が加わるようですが、両者を現在の皇室との連続性から分けるという「王統」要因で分ける観点もあります。

まずは御報告まで。他の文献にも可能な限りあたってみたいと思います。

辞書に関しては、置き換え可能な同義語ならば最初に示し、類似語・類義語は末尾に示すことが多いようです。「大和政権」という言葉を知らない人に説明する場合、最後に「大和朝廷」と記すことによって「大和朝廷」の語をすでに知っている人には理解の手がかりになるということではないでしょうか。「大和朝廷=ヤマト王権」とする根拠としては、弱いと思っています。--Chokorin 2009年11月1日 (日) 10:20 (UTC)

いくらあなたがヤマト政権やヤマト王権の使用例を紹介しても、それは大和朝廷の使用例があるという事実を打ち消すことにはならないのです。あなたは大和朝廷が間違っているとは主張していないとおっしゃいますが、あなたの書きたいことは大和朝廷は間違っている、ということのようです。個人的な信念と客観的な使用状況は区別しないと、議論は平行線のままだと思います。--薔薇騎士団 2009年11月1日 (日) 16:12 (UTC)
大和朝廷の使用例があることは打ち消しておらず、鬼頭氏の使用例をちゃんと書いてありますが。「大和朝廷は間違っている」とは一言も言っておらず、そういう「個人的な信念」があるわけでもありません。よくお読みください。私自身の考えと客観的な使用状況とは区別させていただいています。薔薇騎士団さんもお調べになってくだされば助かります。--Chokorin 2009年11月1日 (日) 16:47 (UTC)
あなたの編集履歴を見ると、あなたは記事冒頭文から「大和朝廷」を削除しています。間違っていると思っていないのなら、わざわざ削除する必要はないのでありませんか?--薔薇騎士団 2009年11月2日 (月) 05:25 (UTC)

よく御調べになられており非常に好意を持てます、近い将来おそらく学会で倭王権→大和朝延→のような位置付けがされると思います、それまでお待ちになって編集されるのも選択肢に入れて頂ければと思います。他の文献を当たられるとのことですので楽しみに待っております。--ささのは 2009年11月1日 (日) 12:21 (UTC)

「バシッと」来なかったでしょうか(笑)。さしあたって家にある蔵書だけなので不充分かもしれませんが。4例ほど追加。
『日本古代史研究事典』(東京堂出版、ISBN 4-490-10396-4)では、「ヤマト王権」の見出ししかなく「大和朝廷」の見出しはありません。「ヤマト王権」中にも「大和朝廷」の語はみえません。執筆者は山尾幸久氏で、ヤマト王権を「4、5世紀の近畿中枢地に成立した王の権力組織を指し、『古事記』『日本書紀』の天皇系譜ではほぼ崇神から雄略までに相当すると見られている」としています。また、「3世紀後半の近畿中枢地に『王位』が創設された公算は大きいが、これを『王権』と呼べるかどうか、まして既に『王統』が実在したのかどうかは今後の研究に委ねられている」としています。
吉田孝氏の『大系日本の歴史3 古代国家の歩み』(小学館、ISBN 4-09-461003-0)では、一貫して「大和朝廷」の語を使っています。これは和田萃氏の『古墳の時代』の続編ですので、大化改新以後を扱っています。一方、吉田氏は、別の著作では、大化以前については「大和王権」「倭王権」の語を使っているようですので、少なくとも大化以後は「大和朝廷」で問題ないと考えているようです。さらにややこしいのは、この人は、飛鳥時代の大和朝廷とは畿内の豪族層が大王(天皇)を核として結集した権力組織ととらえ、場合によっては大王が独裁的な行動に傾斜することは、大王ぬきに権力組織を構成することができなかった当時の状況と深い関連があるとし、「現在の学術用語として『大和朝廷』を『大和王権』ともよぶのは、大王を核とする権力組織であることを重視するからである」(p.131)と述べています。一貫して「大和朝廷」と記しながら、壬申の乱以後の皇親政治に関しては「大和王権」でもいいという書き方です。
この問題をズバリ論及しているのが、関和彦「『ヤマト』王権の成立はいつか」(『争点日本の歴史2 古代編Ⅰ』(新人物往来社、ISBN 4-404-01775-8))のなかの「ヤマト政権・王権・朝廷・国家」の項目です。かれは、「朝廷」は「天皇の政治の場」、「王権」はまさに王の政治的権力、「政権」は超歴史的な政治権力、「国家」はそれらを包括する権力構造全体と定義し、朝廷⊂王権⊂政権⊂国家の包含関係を示しています。そして、「『大和朝廷』の成立といった場合、そこには天皇中心的見方が入り、その成立段階で「天皇」政権が確立したとする見方に流れやすい。しかし、それは逆であり、その成立段階で「天皇」政権が確立したとする見方をする人々が好んで『大和朝廷』という用語を使用するのである」として、「大和朝廷」の用語には、一定の天皇中心の歴史の見方があることを批判しています。ただし、ここで扱っているのは、「4~5世紀の政治勢力」についてなので、言い換えれば、4~5世紀に「朝廷」の語を使うことは不適切だが、継体朝のはじまった6世紀以降についてはその限りでないということになるだろうと思います。関氏がどの時点をもって「朝廷」の語を用いているかは、残念ながら不明です。
こうして調べてみると、確かに勉強になります。結論からいえば、やはり分割した方がいいだろうと思います。このノートはすでに本記事の10倍の266,861バイトに達しています。私のように「ヤマト王権≠大和朝廷」と考える人は少なくないはずなので、冒頭文を加筆する人、加筆したい人は当然出てくるでしょう。そのたびごとに、この長いノートを読むのはとても大変だと思います。「ヤマト王権」「大和朝廷」それぞれに正しく、それぞれに説明すべきこと、書くべきことはたくさんあると思います。問題は、どこで分けるかということだと思います。--Chokorin 2009年11月1日 (日) 16:47 (UTC)
一貫して同じ用語を使ってる学者は(=大和朝廷として使用してる見ていいでしょうし、朝廷、王権と分けて書かれている学者の中にも一貫して同じ言葉を使っている方もいます、これは朝廷や王権という名詞そのものの意味を踏襲しながらも大和朝廷やヤマト王権などの固有名詞には名詞元来の意味を持たせるに至っていない学者さんたちと思います、御調べになられた大半がこういう方々だったと思います。体系的に分けようと試みたのは故鬼頭氏のみだったのではないでしょうか?、私の結論から申し上げるとChokorinさんの意見は正しい、だけど時期早々。近い将来改名分割は避けられないものだが学会より先行して編集するのはいかがなものか?ということです。--ささのは 2009年11月2日 (月) 07:16 (UTC)

お返事ありがとうございます。たいへん丁寧にお読みくださり痛み入ります。

さて、関和彦氏が言う〈大和朝廷⊂大和王権〉の包含関係が正しいとすれば、「大和朝廷」という語が使用されなくなってきていることもたいへんよく理解できます。要するに、多くの学者は「大和(ヤマト)王権」という言葉を採用しているから(大は小を兼ねているから)、「大和朝廷」の語を使う必要がないのです。「使う必要がない」のと「使うのが誤り」とでは大違いであり、吉田孝氏など実際に「大和朝廷」の語を使う人もいるということですね。鬼頭氏もまた「大和朝廷」の語を使っているのであり、少なくとも「大和朝廷の用語は使われていない」というこのノートでのshimoxxさんやGodaigoさんの見解は間違っていたことになります。また、吉田氏の言葉の使い方などは、〈大和朝廷⊂大和王権〉というとらえ方をまさに裏づける結果になっていると思います。

使い分けに関しては、わたし自身は「官僚制度」という基準で分けるべきかなと思っていたので、5世紀後半のワカタケルあたりから大和朝廷の始原を述べ、あとは継体朝、推古朝、天智の諸改革というふうに段階的に説明していけばいいのではないかと思っていましたが、研究者の多くはもっと厳密に、限定的に考えていて、「朝庭」にふれた吉村武彦氏、ズバリ「天皇号」だとした関和彦氏など、大方は「天子号」「天皇号」あるいは「朝堂」を重視しているらしいことは、両語の画期を推古朝あたりに置く高校教科書が多いことでもうかがわれる結果だと思います。

鬼頭氏の朝日百科の脚注に示した説明は、わたしの従来の理解をくつがえすもので、「天皇家の直接的祖先にあたる大和朝廷」というとらえ方は、学問の話題に政治を持ち込むような気がして、一瞬、「そんなのアリか」と思いました。しかし、よくよく考えてみると、「大和朝廷」なる語はもともとそういう言葉として生まれ、使用されてきた用語であることも確かだなと思いました。その彼にしても画期を継体朝においており、それ以前は別の用語を使用しています(先に掲げた出版情報、後でよく見たら「大和王権」の語もありました。このへん、どう使い分けているのかはわかりませんが)。これは、まったく違う立場に立つであろう関氏の主張、すなわち「4~5世紀の政治勢力」は「ヤマト王権」と呼ぶべきだという主張とも、結果的には整合します。言い換えれば、6世紀初めの継体天皇以前について「大和朝廷」の表記は適切でないと考えておられるということでは鬼頭氏も関氏も一致します。

11月1日 (日) 16:47 (UTC) の時点では、分割も言いましたが、確かに現段階では無理だとも思い返しました。結論としては、ささのはさんと同意見です。ただ、最大公約数的には、現状でも

ヤマト王権(やまとおうけん)ないしはヤマト政権(やまとせいけん) は、古墳時代から飛鳥時代にかけての日本の政権・王権であり、6世紀以降は大和朝廷(やまとちょうてい)と呼称されることも多い。「大和」「ヤマト」「倭」の表記や「朝廷」「王権」の用語・用法をめぐっては学界でもさまざまな見解があり、一定していない。詳細は名称・表記についてを参照)。

くらいなことは言えるので、これくらいで合意がとれればいいなと思います。

そしてまた、(仮に合意が成立したとしての話ですが)、もし、合意に反する書き込みがあっても、それをリバートするような行為はやめること、Ks aka 98さんやKanoharaさんが私にそうしてくださったように、利用者ノートでお知らせすることも合わせて合意できればいいなと思います。

文献調査をして実感したことは、名称問題は、このノートのなかでは激しい論争(?)になっていますが、所詮「コップのなかの嵐」にすぎないのであり、古代史全体がかかえる論点や研究課題からすれば、砂粒ほどの、ほんの些細な問題にすぎないということです。文献調査をして、自分の書き込みがまずかったなと思うところも発見してしまいましたので、やる気があるうちに保護解除してくれると助かります。「王権」の語についても、山尾幸久氏の指摘する「3世紀後半問題」がありますので、「名称・表記について」の節でもっとトータルに、中立的な立場で説明した方がいいでしょう。

自分の蔵書の範囲内ではありますが、客観的な文献調査をしたつもりです。それをもってしても「ヤマト王権(やまとおうけん)ないしは大和朝廷(やまとちょうてい)は…」という併記スタイルの冒頭文が不適切だという私の意見は、変わりませんでした。よろしく御検討くだされば幸いです。--Chokorin 2009年11月2日 (月) 21:20 (UTC)(字句の微調整)--Chokorin 2009年11月2日 (月) 23:21 (UTC)

まったくノートでの合意形成を無視した提案で驚いています。まず、冒頭文はいったん元に戻した上で、新たな提案があれば検討しますが、あなたの意見は独自研究に近く現状ではまったく同意することは不可能です。--薔薇騎士団 2009年11月3日 (火) 02:07 (UTC)
その記述は特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成に当たると思います。大和朝廷と言う語句の意味(3~7世紀の古墳時代の政権を指す言葉)は1940年ころに確立されそこから変わっていないと判断します。語句の意味を変えることができるのは学者さんたちであり私たちではありませんのでもう少し長い目で見る必要があるのだと思います。そう急がずとも10~20年後には呼び名な順番づけがされこの議論も意味のないものになっていると思われます--ささのは 2009年11月3日 (火) 06:16 (UTC)
「大和朝廷と言う語句の意味(3~7世紀の古墳時代の政権を指す言葉)は1940年ころに確立されそこから変わっていないと判断します。」という、あなたの判断の根拠は何でしょうか。1940年頃はちょうど「紀元二千六百年記念行事」が日本中で祝われていたのですが、何から数えて2600年なのか御存知でしょうか。その当時、3世紀~7世紀を古墳時代と呼んでいたなどということはありえないし、3世紀~7世紀を一まとまりの時代と考えていた学者はいないはずです。もし、出典があるのなら出してみてください。あまり滅多なことは言わないように、お願いします。--Chokorin 2009年11月3日 (火) 06:28 (UTC)

節が長くなり、見にくく、書き込みもしづらくなりましたので本節を細分しました。--Chokorin 2009年11月3日 (火) 07:31 (UTC)

1940~1970年ころに訂正させていただきます。節が長いとほんと書き込みにくいですね。--ささのは 2009年11月3日 (火) 09:49 (UTC)
「1940年ころに確立」と「1940~70年ころに確立」では全然話が違うのではないか、と思います。先にそう「判断」した理由は何でしょうか。また、それを「1940~70年ころに確立」に「訂正」したのは何でしょうか。「3~7世紀」というスパンが固定されていたという根拠は何でしょう。できれば、すべて出典つきでお願いします。--Chokorin 2009年11月3日 (火) 12:06 (UTC)
理由は書いています、出典は1970~からの文部科学省認定の歴史教科書でいいです。手元にある東京書籍の教科書には3~4世紀~7世紀前半となってます。大和朝廷の意味についての質問ですがなんらかの意図や意味があるのですか?--ささのは 2009年11月3日 (火) 15:29 (UTC)
「1940年」というのは全く関係ないんでしょうか。「1970年」ならば話が通じます。「大和朝廷」というのは、おそらく戦前からあった言葉で、皇室の先祖たる神武天皇が大和の橿原宮で即位して始まったことを史実とすることから始まっています。これは私の家に戦前の歴史教科書があって、子どものころに読んだというくらいの記憶なので、記憶違いがもしかしたらあるかもしれませんが。その時代には古墳時代(たぶん飛鳥時代も)という時代区分もなくて、大和時代という名称だったと思いますが、それならば3世紀という年代が一般的には出てきようもなく(無論、津田左右吉など一握りの実証主義史家なら別ですが、当時はそれこそ教育と研究はまったく乖離していましたし、出版事情も全然ちがいます)、紀元前660年が公式的な大和朝廷のスタートだったと思うのです。1940年といえば、まさに「紀元二千六百年記念行事」を国家あげて奉祝していたわけなので、神武即位を史実と考えておいでなのか、それなら何故に3世紀?と思って2度ビックリしたのです。ごめんなさい。早とちりでした。ちなみに、その教科書は3~7世紀は「古墳時代」と呼んでいますか? 「大和時代」ですか? --Chokorin 2009年11月3日 (火) 16:15 (UTC)
そうですか、わかりました。大和(古墳)時代となってます。--ささのは 2009年11月4日 (水) 11:16 (UTC)
ありがとうございました。やっぱり、自分の記憶が間違いなくて安心しました。「大和(古墳)時代」ですね。大和時代の朝廷だから「大和朝廷」ということかな。そのセンでも調べてみます。ありがとうございました。--Chokorin 2009年11月4日 (水) 11:42 (UTC)
書き直したつもりでしたがChokorinさんの編集で元に戻ったようですね、大和(古墳)時代となっているのは扶桑社の教科書で東京書籍では古墳時代となっています。些細なことですが御調べの足しになれば幸いです。--ささのは 2009年11月4日 (水) 13:20 (UTC)
扶桑社では大和時代の名称を採用しているわけですね。東京書籍の教科書で「古墳時代」というのは、1970年版ですか。--Chokorin 2009年11月4日 (水) 13:27 (UTC)
1989年度版です。--ささのは 2009年11月4日 (水) 13:41 (UTC)
1970年版の東京書籍の歴史教科書がお手元にあるとおっしゃいませんでしたか?(2009年11月3日 (火) 15:29 (UTC)のささのはさんの書き込み) 1970年版では「大和(古墳)時代」でも全然おかしくないですよ。1975年くらいでも「大和時代」という時代名称は普通にありましたから。教室の後ろに貼られていた年表が好きで、毎日見ていましたから。--Chokorin 2009年11月4日 (水) 14:10 (UTC)(微調整)--Chokorin 2009年11月4日 (水) 16:22 (UTC)

(戻します)えと私の言葉足らずで誤解を招いているようで申し訳ないですが、そのこの会話は何のためのなんでしょうか?「3世紀~7世紀の政権を示す言葉として大和朝廷が使われていた」ということに対して異議があるということでしょうか?--ささのは 2009年11月4日 (水) 19:10 (UTC)

「誤解を招いている」とはどういう意味でしょうか。誤解がないように、あなたがおっしゃっていることを確認しているだけのことなのですが。はじめに1940年とおっしゃったので本当ですかと確かめたら、1970年の東京書籍だとおっしゃるので、確かめると扶桑社だとおっしゃる。結局、1970年の東京書籍の教科書はお手元にはないのでしょうか。--Chokorin 2009年11月4日 (水) 22:18 (UTC)
論点が全く分からないんですが・・・。まぁいいです1個づつ誤解を解いていきます、まず1970~と言ってますのでこれは1970年以降の教科書つまりヤマト王権が使われるまでの教科書ならなんでもいいという意味で使いました。次に扶桑社うんぬんは編集しなおしたものをChokoriさんが書き戻した物で正直困惑しました、(他人の発言は何があろうと編集しないほうがいいですよ)。で結局は1970年以降の教科書ならと言う意味で1970~と言う言葉を使っていますので1970年発行の教科書はもってません、すいませんが次質問されるなら論点を書いてください。もし私的な質問であれば私のノートのほうでお願いします。--ささのは 2009年11月5日 (木) 00:29 (UTC)
編集競合があったことに気づかなかったようで、その点は深くお詫びいたします。ささのはさんとの間に何か論争があるわけではなく、単なる事実確認です。最初は「1940年」とおっしゃり、次には「1940~70年ころ」とおっしゃり、その次は「1970~」の意味のことだから「1970年以降」のことである、しかし、「1970年発行の教科書はもってません」ということですね。いくら「誤解するな」とおっしゃっても無理があります。要するに、ささのはさんの「判断」の根拠となる出典はないものと理解してよろしいのでしょうか。ささのはさんも薔薇騎士団 さんも「独自研究」および「特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成」ということをまったく理解されていないようです。おふたりも含めた6人が同意された冒頭文こそ、まさに「独自研究」であり、「特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成」の典型であると申し上げておきましょう。--Chokorin 2009年11月5日 (木) 04:43 (UTC)
はぁそうですかただの言い掛かりだったのですね、何かお役に立てるのかと真面目にお答えして馬鹿みたいでした。私のことはともかく他の5人の方を私と同様にみなして貶めるような発言は感心できませんね。--ささのは 2009年11月5日 (木) 09:33 (UTC)
「3世紀~7世紀の政権を示す言葉として大和朝廷が使われていた」ということに異論があるわけではありません。それは、重要な話です。だからこそ、出典をお願いしたのです。ではもう一度伺いますが、1989年の東京書籍の歴史教科書(だとすると、それは「文部科学省の認定」ではなくて「文部省の検定済」のはずですが、それはおくとして)では、「古墳時代」の時代名称のなかで「大和朝廷」が使われている。こういう理解でいいんですか? 正確なことだけをお示しください。それから、冒頭文に合意した皆さんを貶めるつもりは毛頭ありませんが、合意したことに対する責任くらいはお感じになるべきでしょう。感情的に反発するだけなら、誰にでもできます。--Chokorin 2009年11月5日 (木) 12:18 (UTC)
論点がわからないのにも関わらず回答し続けたのがいけなかったのだと反省しています、論点を明確にしてください。私的な質問であれば私のノートのほうでお願いします。--ささのは 2009年11月5日 (木) 12:47 (UTC)
論点を明確にしていただきたいのはこちらの方です。結局、あなたは何を言いたかったのでしょうか。わたしはただそれに対して質問をしているだけなのですが。--Chokorin 2009年11月5日 (木) 12:50 (UTC)
このへんでお止めになったほうがいい。何も生産性のない議論と化しています。Chokorinさんは感情を抑えて議論するようお願いいたします。--清涼里588 2009年11月5日 (木) 21:46 (UTC)

編集提案20091103 編集

本記事は、10月27日の薔薇騎士団さんとらりたさんのあいだで編集合戦のため、同日より現在まで編集保護となっています。編集合戦の理由は、私(Chokorin)が冒頭文についての「合意」の存在を知らずに加筆してしまったことにあります。

保護以前の冒頭文(A案)は、8月にこのノートの「編集提案」で議論した人々のうち、6人の方々の合意を得て記述されたものですが、それに対して私が「Chokorinより保護解除のお願い」のなかで疑義を呈したため、いっそう膠着状態となってしまいました。11月2日 (月)、私は、薔薇騎士団さんが「記事冒頭文の変更について」における「記事の冒頭文は、この8月にノートで議論して合意形成後に記述されたものです。それを大幅に変更する場合は、再度ノートで改訂文案を提案してください」の御要請に応えるかたちで、改訂文案(B案)を提示しました。しかし、なおも議論は平行線をたどる方向性が濃厚であり、これでは多くの利用者に不便を強いることになると思いまいたので、みなさまの御意見を募ることとしました。両冒頭文案を以下に掲げます。


A案(TENDERASさん/2009年8月20日 (木) 14:33 (UTC)の案/合意にいたった経緯の詳細は#編集提案参照のこと)

ヤマト王権(やまとおうけん)ないしは大和朝廷(やまとちょうてい)とは、古墳時代に「大王」(おおきみ)などと呼称された倭国王と、いくつかの有力氏族が中心となって成立した王権・政権である。大和政権(やまとせいけん)とも呼ばれる。主に奈良盆地を中心とした近畿地方を本拠地としていた。かつては「大和朝廷」という呼称が広く認知され、現在でも学習指導要領などでは「大和朝廷」と称されるが、「大和」の表記や「朝廷」の成立時期を巡って学会の中では見解が分かれており、一定していない。現状では「ヤマト王権」を採用する研究者が多いので、本稿ではヤマト王権と称する(呼称に関しては名称についてを参照)。

B案(Chokorin2009年11月2日 (月) 21:20 (UTC)の案/提案にいたった経緯の詳細は#Chokorinより保護解除のお願いを参照のこと)

ヤマト王権(やまとおうけん)ないしはヤマト政権(やまとせいけん) は、古墳時代から飛鳥時代にかけての日本の政権・王権であり、6世紀以降は大和朝廷(やまとちょうてい)と呼称されることも多い。「大和」「ヤマト」「倭」の表記や「朝廷」「王権」の用語・用法をめぐっては学界でもさまざまな見解があり、一定していない。(詳細は名称・表記についてを参照)。

これについては投票で決定することを提案します。A案、B案どちらがよいか、下の投票所に御投票ください。コメント受付期間は11月3日より10日23:59(UTC)までの1週間、投票期間は11月11日00:00(UTC)から18日23:59(UTC)までの1週間とさせていただきます。

なお、この投票に付いてはIPおよび2009年11月2日 (月) 21:20 (UTC) の時点で未登録のアカウントの投票は無効とさせて頂きます。また、多重アカウントを利用した同一利用者による多重投票、および署名偽造による不正投票は無効にさせていただきます。

それでは、よろしくお願いします。皆様で、お考えくだれば幸いです。コメントをお寄せ下さい。--Chokorin 2009年11月3日 (火) 08:40 (UTC)取り消し線--Chokorin 2009年11月3日 (火) 10:17 (UTC)

コメント欄 編集

*コメント受付期間;11月3日 (火) 09:00 (UTC)-11月10日(火) 23:59(UTC)まで)

  •   コメント Wikipedia:投票の指針によれば、ウィキペディアで投票を行う場合は投票の性質について合意を得ていなければならず、このプロセスに一週間をかけなければならないとあります。この投票にはその点で不備があり、無効な投票ではないでしょうか? --Kanohara 2009年11月3日 (火) 09:17 (UTC)
  •   コメントまだ投票には早い気がします、なぜお急ぎなのか不思議です。ささのはと議論不可能だと感じたならば他の方とも会話してみてください。--ささのは 2009年11月3日 (火) 09:57 (UTC)
  •   コメント勇み足だったようで申し訳ありません。別段わたしも急ぐわけではありませんが、正直、もっと意味のある議論がしたいのです。さしあたって、投票に関しては無効でいいです。Kanoharaさん、教えていただきまして、まことにありがとうございました。ただし、第三者に広く訴えて少しコメントいただきたいと思います。第三者にとっては二者択一の方が考えやすいかと思いますので、あらためて投票も見すえた改訂文案を提起いたします。見にくくなりますので、下の「投票所」の節は削除させていただきます。また、いったん私が投票で決定することを提案した事実は上に残しながら、日付など無効になった部分は取り消し線を入れさせていただきます。あとで各所にコメント依頼をしておきます。--Chokorin 2009年11月3日 (火) 10:17 (UTC)
  •   コメントChokorinさんの主張するところは既に8月時点において大いに議論され結果として現状に落ち着いた訳です。再度議論を惹起するのであれば相応の新材料の提出が必要でしょう。文献での用語の使用例、学会でのトレンドなどは8月時点でも既に示されています。失礼ながら議論の進め方もやや独善的、性急ではないでしょうか。--Arstriker 2009年11月3日 (火) 12:47 (UTC)
  •   コメント「失礼ながら議論の進め方もやや独善的、性急」の部分、確かにそうだったかもしれません。もう一度、#編集提案を熟読すると、確かに、かなりさまざまなことについて大いに論じられており、正直、ろくに読んでもいなかったなと反省しています。不愉快に思われたようで、申し訳ありませんでした。もしそのような方が、他におられたら、お詫び申し上げたいです。ただ、それでもやっぱり、どうしても並列表記には違和感がありますし、「大和朝廷」「古墳時代」「大王」という語が立て続けに並べられると、何かの間違いだろ、冗談だろ(なぜ「飛鳥時代」じゃなくて「古墳時代」なのか、なぜ「天子」じゃなくて「大王」なのか)と思ってしまうことも事実です。読んだ瞬間にそう思ってしまったので、なかなか相手の身になって考えることができず、たいへん失礼をしました。もう少し、じっくり取り組むことにいたします。--Chokorin 2009年11月3日 (火) 13:24 (UTC)

再びChokorinより保護解除のお願い 編集

正直、面倒くさくなってきました。なので、2009年8月20日 (木)の冒頭文に差し戻すことに同意します。同意された6人の方々に敬意を示す方法はそれ以外にないらしく、また「ゴネ得」をきびしく批判した以上、「ゴネている」と思われるのも決してわたしの本意ではありません。それにまた、この名称問題は、以前に申し上げたように、日本古墳時代史全体、古代史全体からみれば、大した問題でないことも事実です。〔ヤマト王権=大和朝廷〕でなくてはならんとお考えになられる方がいらっしゃる以上、ここで不毛な議論をおこない、たがいの時間と労力を消耗するのは大いなる無駄というものです。

ただし、冒頭文そのものに対しては依然わたしは不同意であり、そのことは示しておきたいと思います。あとで箇条書きのかたちで思いついたことをコメントしておきます(「#冒頭文に対する疑問」)。何せ、教科書では太字で示される重要語句中の重要語句です。多くの人がこの記事を読むでしょうし、調べごとにも使うでしょう。当然、冒頭文に対して疑問を感じる人も少なくないと思います。それに対し、このノートを読みたいと思う人はいないと思います。もしいるとしたら、なるべく最後の方に示しておいた方が親切だと思いますので冒頭文を再掲しましょう(「#合意された冒頭文とそこにいたる経緯」)。--Chokorin 2009年11月5日 (木) 23:21 (UTC)

冒頭文に対する疑問 編集

  • 下記冒頭文に疑問を感じられた方は、下にコメントしてください。

  コメント〔大和政権(大和王権)=大和朝廷〕の根拠となる「信頼される良質な情報源」はyahooの国語辞書だけであり、研究者の多くは、豪族の連合勢力に「朝廷」を使用することに問題があると考えたからこそ、〔大和朝廷→大和政権(王権)〕の語の変換がおこなわれた。したがって「ヤマト王権ないしは大和朝廷」の並列書きは不適切である。--Chokorin 2009年11月7日 (土) 23:09 (UTC)   コメント「朝廷」は「天子の政府」「天皇の政府」「朝堂政治」の意であり、に朝貢した卑弥呼台与の政権、あるいは中国の南朝に遣使した倭の五王の政権を「朝廷」と呼ぶのは不適切である。「天皇の政府」という意味からは天武天皇前後から、「天子の政府」「朝堂政治」の意味からは推古天皇前後から「朝廷」の語を使用するのが最も適切であり、「朝廷」を皇統の側面で再定義して「現皇室の先祖」という意味に理解したとしてもさかのぼれるのは継体天皇が限度である。「天子」の語は「天下を治める者」の意味であり、その観念の成立までさかのぼったにしても金錯銘鉄剣中に「吾左治天下」とあるワカタケル(倭王武)の5世紀後半が限度であり、それ以前にさかのぼることはできない。それ以前にさかのぼるというのは「願望」であり、「願望」を歴史用語の説明に混入させてはならない。『日本書紀』の神武即位を典拠として採用する場合は、大和朝廷の起源は紀元前660年としなければならず、「古墳時代」の説明としてはやはり不適切である。--Chokorin 2009年11月7日 (土) 23:09 (UTC)

疑問に対する反論 編集

何度指摘してもあなたは理解できないようですが、Wikipediaの検証可能性は、「『真実であるかどうか』ではなく『検証可能かどうか』」です。つまり、大和朝廷の語法が適切かどうかは問題ではないのです。Wikipediaは学会の場ではありませんので、あなたがいくら自説を展開して大和朝廷の使用が間違っていると主張しても、現にその語が広く使用されている以上、削除することはできません。--薔薇騎士団 2009年11月8日 (日) 01:33 (UTC)

合意された冒頭文とそこにいたる経緯 編集

  • 2009年8月20日 (木) 14:33 (UTC)の合意文
  • 合意にいたった経緯の詳細は#編集提案参照のこと
ヤマト王権(やまとおうけん)ないしは大和朝廷(やまとちょうてい)とは、古墳時代に「大王」(おおきみ)などと呼称された倭国王と、いくつかの有力氏族が中心となって成立した王権・政権である。大和政権(やまとせいけん)とも呼ばれる。主に奈良盆地を中心とした近畿地方を本拠地としていた。かつては「大和朝廷」という呼称が広く認知され、現在でも学習指導要領などでは「大和朝廷」と称されるが、「大和」の表記や「朝廷」の成立時期を巡って学会の中では見解が分かれており、一定していない。現状では「ヤマト王権」を採用する研究者が多いので、本稿ではヤマト王権と称する(呼称に関しては名称についてを参照)。
通常、人文学系の学会では学会の多数意見というものをアンケートなどで調査することはしません。これは人文系の学問が自然科学のように右肩上がりに進歩しないからです(パラダイム論などは置いておくとして)。古代史に限っていっても大化の改新虚構説など、一時期広く支持された(あるいは注目された)学説もその後の進展で否定される(厳密にいえば人気・注目を失う)こともままあります。ですから、学会のトレンドを記事に記述する場合は、「……という見解が増えてきている」「……という説が有力になっている」と表記し、断定口調(「大和朝廷は現在使われていない」など)は避けた方が無難です。ところが、ヤマト政権(王権)を支持される人は、いきなり断定口調で記述することにこだわるので、おかしなことになるのです。古墳時代の政権を大和朝廷と表記することは間違いではありません。朝堂院がない時代でも朝廷という語は一般に使用しますし、天子は皇帝や天皇にのみ用いられる(王号には用いられない)という理解もそもそも間違っています。--薔薇騎士団 2009年11月6日 (金) 01:42 (UTC)
「朝堂院がなくなった後も朝廷の語は使用されているから、朝堂や朝庭が存在する前も朝廷を使用していい」という理屈なら、武人政権なら古代でも幕府と呼んでいいことになる。王権ならば何でも朝廷でいいということなら、逆に朝廷の語は不要ということになりませんか。--Chokorin 2009年11月6日 (金) 06:26 (UTC)
申し訳ありませんが、移動させていただきました。--Chokorin 2009年11月6日 (金) 06:26 (UTC)
仮に理屈の上で古代の武人政権を幕府と呼べたとしても、そうした主張を唱えている学者や学説、あるいは一般的な広範な認知がなければ、ただの独自研究になります。しかし、大和朝廷の場合は、現に実際に広く使用されているのですから、全く問題はありません。上でも述べましたが、自分の好みや見解と客観的な使用状況を区別しないと、いつまでたってもChokorinさんの意見は受け入れられないと思います。
あと、記紀ベースが云々という議論ですが、戦後の史学は「左翼にあらずんば、学者にあらず」という大学を襲った政治思潮に強い影響を受けており、はっきりとした考古学的反証がなくても、現・皇室の権威につながるような学説は極力否定されるか、色物で見られるという傾向があります。しかし、今後は近年の「右傾化」の傾向もありますから、学会の思潮にも変化が出てくるでしょう。そうしたときに、大和朝廷の使用例がいまより増えるという可能性もありえると思います。--薔薇騎士団 2009年11月7日 (土) 02:05 (UTC)
「大和朝廷」という項目をつくって差し上げるので、あなたはそちらで精一杯政治活動を頑張るように。リダイレクト解除して新規執筆する分には何の合意も必要ないはずです。--Chokorin 2009年11月7日 (土) 02:23 (UTC)
何度も言いますが、記事の分割でしたら分割提案をしなければなりません。あまりむちゃくちゃな主張をしていると、荒らしと思われるのでご注意ください。--薔薇騎士団 2009年11月7日 (土) 03:31 (UTC)
「分割」ではないので御懸念なく。--Chokorin 2009年11月7日 (土) 03:42 (UTC)
Chokorinさん始めまして。のりまきと申します。このところこちらの方はちょっと留守にしていましたが、再びこちらは熱くなっているようですね。現在の冒頭文の作成に関与した者の一人として、どうして現在の冒頭文に賛成したのか説明したいと思います。
まず、大和朝廷が現在の学会の多数が不適切な用語であると判断しているという事実が確認できなかったことがあります。大和朝廷が使われなくなってきたことは事実でしょうが、学会の多数が不適切な用語であるとする出典は見つかりません。
また、実際に現在大和朝廷を使用している研究者があり、参考文献として使用可能なレベルの文献も存在します。例えば「武光誠 『邪馬台国と大和朝廷』平凡社新書(2004)」があります。私は武光の経歴や著書の内容から、wikipediaで出典として用いることができる文献と考えます。『邪馬台国と大和朝廷』では、大和朝廷の成立を3世紀初めの大和盆地南東部としていて、大和の勢力については当初から「大和朝廷」と呼ぶことで一貫しています。
朝廷の語義から「大和朝廷」が不適切との論議があるのは承知しています。しかしこれらの論議は現在のところ「大和朝廷」が誤っていると言い切るには検証不足と判断しました。まず「天子が政治を行う場」などといった論議については、そもそも3世紀から5世紀末までのヤマト王権の本拠地の実態が全く明らかになっていないため、実際の政治を行う場所がどのような場所であったのか検証のしようがありません。そして政治体制そのものについても、前述の武光の著書では邪馬台国の時代すでに整った官制があったとしています。確かに魏志倭人伝の中には邪馬台国の官制について説明されており、一説として問題ないと考えます。また例えばワカタケル大王の時代が一つの画期であった説があるのは承知していますが、実際「朝廷」という言葉がワカタケル大王の時代以降使えるようになるほどの画期であったとの参考文献は私の知る限りありません。
要約すると、まず大和朝廷が不適切な用語であると学会から判断されたという事実が確認できない。そして現在大和朝廷を使用している研究者があり、大和朝廷は3世紀初めに大和盆地南東部に誕生したとしている。最後に朝廷の語義から大和朝廷は不適切な用語であるとの論議は現状では検証不足と判断し、大和朝廷が現在実際に使用されている頻度も考慮した結果、私としては大和朝廷の併記を受け入れることにしました。
現在の論議の内容を見る限り、私は保護解除には反対します。それは全く合意形成のきざしが見られない現状で保護解除したところで編集合戦の再発は必至だからです。例え冒頭文で仮の合意が形成されたとしても、すぐに問題が再発するのは目に見えています。Chokorinさんにお願いなのですが、じっくりと合意形成への努力をされ、性急な保護解除そして編集の再開は現状では慎んでいただきたいと思います。--のりまき 2009年11月6日 (金) 01:07 (UTC)
のりまきさん、はじめまして。真摯に受けとめてくださっての御発言、ありがとうございました。
別に私は「ヤマト王権」「ヤマト政権」の表記を格段に支持するとか、「大和朝廷」の語そのものが間違った言葉であるとか、あるいは、不適切な言葉であるとか表明した覚えは一度もありません。「朝廷」は江戸時代以前からある言葉ですし、記紀をベースにして国史が編纂されてからは「大和時代」の時代名称があったことも事実です。
神武即位を史実として教える歴史観からすれば、「大和時代の朝廷=大和朝廷」で何の問題もなかったでしょう。皇国史観の立場からすれば、大和朝廷以外の王権なり政権なりを認めるわけにはいかなかったので「大和朝廷」の用語はまことに都合のよい用語法であったと考えられます。古さと由緒正しさを両方主張できるわけですから。しかし、戦後は「大和時代」の呼称は少しずつ「古墳時代」、古墳時代後期後半に関しては、政治的時代名称としての「飛鳥時代」に置き換えられていきました。そしてまた、紀元前660年から始まる大和時代の前半は、縄文時代(晩期)、弥生時代に置き換えられていったわけです。「古墳時代」という名称もよくよく考えれば不思議な名称です。「古いお墓」ってことですからね。しかし、「大和時代」よりはいくらか時代の状況をより正確に表現しているということで、定着しているのだと思います。
時代名称は、それでいいとして、その時代の政権や国家をどう呼ぶか。これは誰もが首肯するような適切な呼称というのは、実はまだないわけです。いわば空白エリアなんですね。「弥生の王権? ん、待てよ」みたいな話が随分あったわけです。確かに、武光誠とか扶桑社のように、そこを「大和朝廷」と呼ぶ人はいる。しかし、それは、one of them なんですね。決して、全体ではない。しかし、現状の冒頭文では「あたかも全体であるかのように」提示してしまっている。これはやっぱり間違いだと思います。
空白域をとりあえず、ヤマト(倭、大和)王権・政権と人ごとに呼んでいる、それだけの話ではありますが、「王権」「政権」を用いる人たちは、〔朝廷≠王権〕と考えるからこそ、または少なくとも〔朝廷⊂王権〕という概念関係を考えるからこそ、「朝廷」と区別して「王権」「政権」の用語を用いているわけです。そしてまた、歴史が「叙述の学」である以上、それぞれの学者はかなりの根拠と厳密さをもって用語を用いている。政治的に右だかとか左だとか、そんなくだらない理由ではなくて。確かに、そこには何のコンセンサスもありませんが。ところが、この冒頭文では、とにかく〔朝廷=王権〕なんだ(…そうであってほしい…)ということを示してしまっており、「≠」や「⊃」の微妙な部分が表現できなくなってしまっている。おまけに、本文を読めば、「ヤマト王権」の説明にはなっているが「大和朝廷」の説明にはなっていないと思います(少なくとも私は別モノと考えるので)。これは、やはり、冒頭文が適切ではないからではないかと思います。いかがでしょうか。私の考えは間違っていましょうか。--Chokorin 2009年11月6日 (金) 07:19 (UTC)
えっとですね。この論理でいけば「ヤマト王権」の記事名も大いに問題だということになります。私としてはむしろ「大和(ヤマト)」の妥当性の方が問題が大きいと考えているので、少し大げさに言えばヤマト王権だろうが大和朝廷だろうが大して変わりがないと考えています。つまり古墳時代の政治勢力はあくまで大和(ヤマト)中心であったとの冒頭文では、当時の政治状況が日本列島各地の首長勢力の連合であるとの説(それなりに有力な説の一つと思います)についてはきちんと表現されていないのですよ。古代史に興味を持つ人は多く、研究者も多数いる中で用語がなかなか統一されないというのはそれだけ難しい問題であることを示しているに他なりません。現状は定説というものがないことを認識されているのならば、どうしてChokorinさんが朝廷と王権との関係に強く拘り続けるのか、私には理解できません。ヤマト王権の記事内容に関しては気持ち悪く感じるところがあるかもしれませんが、それぞれの考え方を持つウィキペディアンがどこかで妥協を図らなければならない部門だと考えています。はっきりいうと大和(ヤマト)表記の扱いについて私も消化不良な感じが消せませんし、ここで論議に参加している他のウィキペディアンも論議の上で受け入れ可能な冒頭文を練り上げたことについては改めて理解していただきたいと思います。
また、先の意見表明ではいい忘れましたが「Wikipedia:スタイルマニュアル (導入部)」には「よく知られている別名があれば、導入部に太字で書く。」とされています。現在でも定説が確定しているとはいい難い項目について、この場でどの学説が妥当であるか検討するのはまさに独自研究になってしまうわけで、現在の学会で最も用いられている頻度が高い「ヤマト王権」を項目名として、使用頻度の高さが確認できる「大和朝廷」を併記するのはやはり落としどころではないかと判断したのです。
なお、これまでの論議を見ていただければおわかりのように、ヤマト王権と大和朝廷が別物であるとの論議は先に行われ、検証可能性に問題があるとされています。私としても将来的に別の概念を表しているとして記事を構成し直すことは十分にありえると考えています(私自身としても別の概念と思えます)が、現状では検証可能性に欠け、独自研究になってしまうと判断します。--のりまき 2009年11月6日 (金) 08:05 (UTC)

なるほど。よくわかりました。「わが意を得たり」の気分です。こだわりを感じられたかもしれませんが、リダイレクト解除で「大和朝廷」を書いた方がよほど早いなと思っていたので、B案を提示したのです。出かけるので、あとでもう一度よく読み返してまた改めてお返事します。競合したので、下に(補足)を示しておきますが、これは「のりまき」さんの書き込みの前に書いたものです。

(補足)広瀬氏の「前方後円墳国家」の話が出ていたことを思い出しました。あれについても、前方後円墳出現期の政治体制をあらわす語として、果たして「王権」の言葉が適切なのかということなのであって、決して「大和朝廷」が適切だという趣旨ではありません。広瀬氏も「前方後円墳国家」の運営主体としては「大和政権」の名称を使っているのであって、関氏の示した包含関係〔国家⊃政権⊃王権⊃朝廷〕でいえば、「ヤマト国家」というふうに「ヤマト」を冠することさえ適切か断言できないという慎重論であり、あらゆる可能性を想定してそれを包括した用語法なわけです。であるならば、たとえ使用例が少なくとも、見出しとして包括的な用語を採用して、そのなかで多くを論じていくというのも、百科事典というメディアの見出しの考え方としてはアリなんじゃないかと思います。まあ、関氏の示す包含関係はかなり単純化されたものであり、古代国家という意味で朝廷の語を使用することも一部にあるわけですが。--Chokorin 2009年11月6日 (金) 08:24 (UTC)


のりまきさんは、考古学にお詳しいので理解していただけると思いますが、「大和朝廷」という語は多義的な言葉だと思うのです。つまりは「縄文土器」と同じ意味で。「縄文土器」あるいは「縄文式土器」というのは、もともとはモースの命名による「縄目文様の土器」の意味だったはずです。そして、縄文(式)土器の出土する時代ということで「縄文時代」の名称が定着した。いまでは、火炎土器とか撚糸文の土器、要するに縄文の施されない土器も「縄文時代の土器」という意味で「縄文土器」と普通に呼ばれている。「縄文土器」には2つの意味があるわけです。

「ヤマト王権」が古墳時代の王権というのは、問題多少ありで包括性において万全なものでないとしても、とりあえず方法論としては考古学的成果を重視した時代名称である「古墳時代」の用語です。しかし、「大和朝廷」というのは、これは起源のまったく異なる言葉で、スタート地点としては現代の皇室であり、明治時代にあっては幕府を倒した朝廷であり、それをさかのぼって奈良朝以前(=大和時代)の朝廷すなわち「大和朝廷」ということです。方法論としては記紀がベース、主張としては万世一系ということです。

現代では、これは学術用語とか歴史学用語というのでなしに「奈良時代以前の現皇室の祖先(およびその政府)」という一般用語としてはとてもよく使われています。少なくとも継体天皇以後は皇統は連綿として今につづいているのですから、大和時代の時代名称が消えても大和朝廷の名はのこる。他に適切な名がない以上、国民に浸透しているこの語を使うのは、ある意味、理にかなっています。大多数の国民は、神武天皇の橿原宮即位を史実として考えるわけではないが、まあ、伝承としては尊重するというくらいの姿勢でしょう。わたし自身も古代史ファンとしては「古墳時代の政権=大和朝廷」は支持できないが、皇室を支持する一国民という立場としては「奈良時代以前の現皇室の祖先=大和朝廷」という表現には違和感はありません。

しかし、学問の場で扶桑社や武光誠が古墳時代の政治組織として「大和朝廷」の語を採用しているというのは、また別の話だと思うのです。要するに、他の古代史家や考古学者が「ヤマト王権」と呼んでいるものを俺たちは「大和朝廷」と呼ぶんだというだけのことにすぎず、その限りでは確かに〔ヤマト王権=大和朝廷〕は成り立ちますが、それは決して主流とは言えないし、個人見解を付せば、研究の王道をゆくものだとも思いません。

それはさておき、いっぽうは多義的な用語(大和朝廷)、いっぽうは一義的な用語(ヤマト王権)であるなら、やはりイコールで結ぶのは不適切なんじゃないかと思うわけです。これはまさに、あら金、ささのは両氏のおっしゃる「特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成」にほかならないのではないか。ある意味、この冒頭文はその典型例になってしまっているんじゃないかと思います。

結果として、冒頭文の定義は、扶桑社版教科書の定義とまったく同じ見解になっていますが、果たしてこれでいいんでしょうか。念のため申せば、近代に関してはわたしは扶桑社版教科書は嫌いではないです。むしろ、好きだと言ってよい。しかし確認したら扶桑社版では箸墓古墳の写真を掲げてあって、キャプチャーに「箸墓古墳が大和朝廷の成立を示す大切な根拠であることに注目しよう」と書いています。記述の適否とか政治的立場うんぬん以前に、歴史の叙述方法あるいは学習方法として、これがアリとは思えないです。残念ですが。

もうひとつ。学習指導要領について。

この文書がどういうものか、よくわかっていない人が多く、また、Shisinという同一人格者もきちんと説明していないので、少し混乱していると思います。まず、この文書の作成には学者は参画してません。1950年代くらいまでは参加する形態をとっていたようですが、いまでは文部官僚の作成によるものです。サイズからしても学術書というよりは通達文です。したがって、これは用語の適切さを証明するものではありません。

そしてまた、この文書で重要なことは用語そのものではなく、その学習項目を教育カリキュラム上どう位置づけるかということです。つまりは、たとえば学習指導要領で「正負の数」と記していたとして、それを小6でやるか、中1でやるか、中2でやるかということの方が重要なのであり、その意味からすれば、学習指導要領での「正負の数」という表記は、誤解を防ぐため、削除や移動が明白であるよう、なるべく変更を加えず、そのままにしておく方が望ましいわけです。そして、教科書で「正の数と負の数」「プラスとマイナス」などと表記するのは全然構わないわけです。まあ「プラスとマイナス」じゃ検定は通らないでしょうが。

その意味からすれば、最新の研究動向を反映するというようなものでもないし、この用語が正式なものだというものでもなく、ましてや、この用語以外を使ってはいけないというものでもない。古墳時代の政治についてまったくふれない、教えないというのであれば問題ですが、ふれている以上、用語はどうでもいいし、なるべくなら最新の研究動向とか重大な考古学的発見を反映した方が望ましいに決まっているわけです。現実生活では誰も使わないようなカビの生えた言葉が、裁判のなかでは生きていたりしますが、そういう意味では、むしろ法律用語に近いものです。

「信頼のおける情報源」かというと、「おけない」は言い過ぎかもしれないが、「おける」というのも疑問で、Arstriker氏や清涼里588氏、はたまた薔薇騎士団氏のように何か金科玉条のように考えるのも、相当トンチンカンです。確かに平成20年の小中学校の学習指導要領改訂でも「大和朝廷」部分は改訂されていませんが、21年告示の高校の学習指導要領では消えてなくなっています(まだネット上で読むことはできませんが)。検定済教科書で「大和政権」「大和王権」などが圧倒的に多い事実を考えれば、文部官僚も「大和朝廷」に特別こだわっているわけでもない。であるなら、なぜ文部科学省で従来「大和朝廷」の語を使用してきたのか。当事者ではないからわかりませんが、「宮内庁に気をつかって」くらいの理由かもしれません。まあ、他省庁に足並みをそろえるというのは当然あると思います。役所は常に「政府統一見解」を求められますから。

結論からすれば、冒頭文に「学習指導要領」を掲げるのは、かなり恥ずかしいことではないのかと思います。記事の権威づけに「学習指導要領」を使用するのも学術的な姿勢ではないし、それを権威と考える発想はあまりにもお子ちゃますぎる、イタすぎると思います。これを訂正してはいけないというのは、一種拷問に近い。あくまでも、「参考までに」くらいの位置づけで、脚注あたりに載せるべき存在だと思います。まじめな話をすれば、「学者は役人の言うことに従うべきだ」みたいな「特定の観点」を推進する点では、多少、問題かもしれません。

わたし自身も高校までは「大和朝廷」の用語で歴史を学んできましたから、それなりに愛着のあることばでもありますし、歴史学を離れれば「大和朝廷」の語もまったく違和感がない、しかし、いま、古墳時代の政治を説明するうえでは、「大和朝廷」の語はむしろ使い勝手がわるいと感じています。この語を使用しない方が(使う場合でもかなり限定的に使用した方が)、むしろよりよく古墳時代を説明できるんじゃないかと思います。わたしが2009年10月31日 (土) 13:28 (UTC)の書き込みで「この記事を『自分だったらどうまとめるか』という観点から考え直す必要があるのではないでしょうか」と問いかけたのは、そういう意味からでした。伝わったのはのりまきさんだけでしたが。--Chokorin 2009年11月6日 (金) 21:01 (UTC)

Chokorinさんの熱意は伝わるのですが、Wikipedia的にはそれを受け入れ難いと思うのです。Wikipediaのルールには上で何人かの方が仰っているように「Wikipedia:スタイルマニュアル (導入部)」には「よく知られている別名があれば、導入部に太字で書く。」というのがあって、それは百科事典としては当然尊守すべき要件だろうと思えるからです。文言の原義に照らせば誤っているのではないか、見直しの動きがある、というのは理解できるのですが、例えそうだとしても上記のルールを覆す理由にはならないでしょう。恐らく他の皆さんもそうだと思うのですが、別に学習指導要領を金科玉条として扱っている訳ではありません。「大和朝廷」が一般によく知られている名称であるということを示す最も判りやすい事例だから挙げているだけです(英語版のようにサーチエンジンテストが認められるのであれば、googleなどの検索ヒット数を挙げるでしょう。)。学術的な正確性はどうだとか、記紀史観がどうのとかいう見地で議論している訳ではありません。学会ではたとえ仮に異端であろうとも一般によく知れ渡っている文言であれば冒頭部にて記述するに資するのです。この点誤解ないようお願い致します。--Arstriker 2009年11月6日 (金) 23:40 (UTC)
「学習指導要領」など示さなくても「大和朝廷」という言葉自体は、一般にはよく知られているのではないでしょうか。少なくとも「特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成」という見地からすれば不適切といわざるをえません。そもそも「学習指導要領」が「一般によく知られている名称であるということを示す最も判りやすい事例」だとも思いません。「学習指導要領を読んで初めて『大和朝廷』という言葉を知った」なんて人がいますかね。それからまあ、「Wikipedia:スタイルマニュアル (導入部)」(ここ)を読めば、別に並列書きを必須としているわけでもないように思えるのですが、いかがでしょう。第1段落中にあれば望ましいというふうにしか読めませんが、間違っていますか。私は、並列書きが問題だと何度も申し上げているのであり、ましてや「ルールを覆せ」などと言った覚えは毛頭ないのですが。で、私が何を誤解していると? よろしければ、もう一度お示しいただくとありがたいです。--Chokorin 2009年11月7日 (土) 11:53 (UTC)
この記事の名称については諸説があって、現在定説がない状態であり、どのような見地からも問題がない冒頭文にするつもりならば冒頭文としてはとうていふさわしくない長さになってしまいます。繰り返しになりますが、学会で最も用いられる頻度が高い「ヤマト王権」を記事名とし、使用頻度の高い「大和朝廷」を併記するのは合理的な選択と考えます。「大和朝廷」を併記することがChokorinさんが主張されている「特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成」という意見には同意いたしかねます、というか私にはどう考えても理解できません。
大和朝廷という言葉自体が歴史用語として不適切だというのならば、納得するしないは別としてまだ理解できるのですよ。確かに「万世一系」とかかわりのある言葉だというのは否定できないですから、拒絶反応を示す人もいるかもしれない。しかし大和朝廷という言葉自体には問題ないが、それを古墳時代の歴史の説明文の冒頭にヤマト王権とともに使用することは「特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成」という理屈は、Chokorinさんが書かれた文章を何度読み返してみても私の理解を超えていて、正直お手上げです。多分この場で論議に参加している皆さんも同じ感想を持たれていることと思います。この論理で皆さんのことを説得するのははっきり言って無理です。
Chokorinさんの投稿履歴を拝見いたしましたが、高い執筆能力を持った方と感じました。余計なおせっかいは百も承知ですが、正直熱くなってしまっている面があると思うので、いったんヤマト王権や大和朝廷から離れて、Chokorinさんの実力を生かせる、新着記事や月間新記事賞を取れるような歴史関係の記事をどんどん作成して、その上でヤマト王権や大和朝廷へ戻ってきていただきたいと考えます。このままの調子でこの場で話をし続けても進展は期待できないと思います。私としては信念を持っている人の意見を無理に変えるのは好まないので、この場での意見表明はとりあえずいったん休止したいと考えています。--のりまき 2009年11月7日 (土) 12:55 (UTC)文章一部修正--のりまき 2009年11月7日 (土) 13:05 (UTC)
わかりました。のりまきさんならすんなり理解していただけると思ったんですが。のりまきさんがそうおっしゃるなら、そういたしましょう。お付き合いいただき、ありがとうございました。--Chokorin 2009年11月7日 (土) 13:55 (UTC)


分割提案を経ない大和朝廷の記事の設置について 編集

Chokorin氏が大和朝廷をいきなり執筆しはじめていますが、そもそもこの記事は大和朝廷から移動したのですから、分割提案する必要があるはずです。即時削除お願いします。--薔薇騎士団 2009年11月8日 (日) 05:27 (UTC)

これはChokorinさんが合意が得られないまま自説を通すために独断で行った、保護逃れ行為と言われても仕方がないと思います。遺憾ですがリダイレクトページに差し戻した上で大和朝廷保護依頼を提出しておきました。--Kanohara 2009年11月8日 (日) 06:59 (UTC)
読者にとって「ヤマト王権」「大和朝廷」2つ記事があった方が、有益だと思い、リダイレクト解除しました。「保護逃れ」というのはどういう意味でしょうか。何度も申し上げているように〔ヤマト王権=大和朝廷〕という見解は、武光誠などごく一握りの研究者のなかでだけあてはまるのであり、それ以外の大多数においては〔ヤマト王権≠大和朝廷〕ないし〔ヤマト王権⊃大和朝廷〕なのだからこそ、〔大和朝廷→ヤマト王権〕の転換がなされているわけです。これは何もわたしの考えではなくて、客観的な事実です。この客観的な事実を、出典つきで公平に解説する記事があってはいけないという理屈がよくわかりません。「分割提案」が必要だとは思いませんでした。もとのヤマト王権はまったく分割しておらず、新規に起こした記事であり、出典もすべて明記しています。もし、分割提案が必要ならそのようにいたします。やり方がわからないので教えてください。--Chokorin 2009年11月8日 (日) 07:21 (UTC)(文修正)--Chokorin 2009年11月8日 (日) 07:27 (UTC)
ですから、分割提案でしたら正式にノートで分割提案をしてください、と言っているのです。分割がダメとか、ヤマト王権と大和朝廷の二つの記事があるのはけしからんとか、一言も言ってません。この記事はもともと大和朝廷だった記事を記事名変更したものですから、勝手に新たに大和朝廷を立項していいわけがありません。--薔薇騎士団 2009年11月8日 (日) 08:37 (UTC)

何だかよくわかっていなくてすみません。「ノートで」というのは、このノートでいいのでしょうか? --Chokorin 2009年11月8日 (日) 09:01 (UTC)微修正--Chokorin 2009年11月8日 (日) 09:29 (UTC)

管理人様。本記事の一番上の部分に「分割提案」のテンプレートを貼付してくださいますよう、お願い申し上げます。--Chokorin 2009年11月8日 (日) 10:21 (UTC)
貼り付けました。--ろう(Law soma) D C 2009年11月13日 (金) 08:16 (UTC)
ありがとうございました。--Chokorin 2009年11月13日 (金) 11:33 (UTC)

--薔薇騎士団 2009年11月12日 (木) 01:27 (UTC)

編集提案1109および分割提案 編集

御迷惑をおかけしております。のりまきさんからの御忠告もないがしろにしてすみません。しかし、乗りかかった船なのでこの問題を解決してから、またRomに戻りたいと思っています。もう少しだけお付き合いください。個人的な話ですがウン年くらいWikipediaの編集から離れていました。再開するつもりもありませんでした。しかし、この「ヤマト王権」の記事をみてビックリ。いくら何でもこの冒頭文はないだろうと思いました。今でも強くそう思っています。しかし、誤解していただきたくないのは、「言葉狩り」が目的ではないのです。むしろ「大和朝廷」の名を生かしたいのです。

わたしのなかでは「ヤマト王権」はまず第一に考古学用語です。たぶん客観的にもそう言えるだろうと思います。そして比較的新しい表現である。しかし、「大和朝廷」はそうではない。古くから使われている由緒正しい言葉です。戦前は歴史学用語でしたが、現状では歴史「学」用語というよりは歴史用語であり、ある意味では歴史を超えて国民的になじんだ言葉、そういう意味では一般語です。そしてまた、考古学と歴史学では、同じ古い時代を扱うにしても素材と方法がまったく違うことは、みなさまよく御存知のことと思います。さらに、ヤマト王権というのは、ごくごく最大公約数的な感覚では古墳の発生から推古朝あたりまでをさし、(大和)朝廷といえばだいたいは推古朝以後をさす。そういう意味では、まったく水と油くらい違うのに、なぜorで並ぶのか。今もって、そういう根本的な疑問をもっています。

のりまきさんの見解もわかります。「ヤマト王権」はとりあえずのものであり、「大和朝廷」もとりあえずのものなら「とりあえず」のものとしては等値だからイコールで結んでもいいんじゃないかと。まして「大和朝廷」にアレルギーがないんだとしたら。しかし、それでは「王権」「政権」への語の転換がなされている理由がうまく説明できません。そして、「『とりあえず』のものとしては等値」という感覚も、おそらくは世間にはないんじゃないでしょうか。むしろ、「知る人ぞ知る」という感じなんじゃないでしょうか。「戦後何十年間のとりあえず」は「戦前の常識」の延長なわけで、「最近ここ何十年のとりあえず」とはやはり区別すべきと思います。

#編集提案のなかでは、並列書きに対して提案者自身であるTENDERASさんはじめ多くの方が異論を唱え、「大和朝廷」については「尚書き」「但し書き」にすべきという指摘が多数ありました。 私もそうすべきだったと思います。以下に改訂B案(Chokorin案)を提示します。

ヤマト王権(やまとおうけん)ないしはヤマト政権(やまとせいけん) は、古墳時代の日本の政治形態・政治組織全般をあらわす用語であり、とくに6世紀以降に関しては大和朝廷(やまとちょうてい)と呼称されることも多い。「大和」「ヤマト」「倭」の表記や「朝廷」「王権」の用語・用法をめぐっては学界でもさまざまな見解があり、一定していない。(詳細は名称・表記についてを参照)。

このようにして、「大和朝廷」は別記事にすべきではないでしょうか。現状でも「ヤマト王権」のサイズは27,835バイトであり、3世紀から7世紀はじめの古墳時代政治史を扱うということなら、もっと加筆されてサイズの倍増もありえます。また、この記事のなかで語の転換がなされてきている経緯や異称、各学者のとらえ方などを全部記載するとなると、「そんなのはどうでもいいんだ。とにかく古墳時代の政治史を知りたいんだ」という読者にとってはあまりにも冗漫なことになるんじゃないかと思います。そうすると、Wikipedia:ページの分割と統合#分割すべき場合の第2点、「ページ中で特定の説明だけの分量が多く、明らかにバランスを失している場合」に相当することになりかねない。まして、水と油の両方について、それを説明するとなるとかえってわかりにくくなると思います。

これを打開する一番いい方法は、記事の分割しかないと思います。「大和時代」「朝廷」そして、このノートでの議論をもとにちょっとつくってみました。 「大和朝廷」

いかがでしょうか。もちろん記事の出来としては決してよくありませんが、あくまでもたたき台です。ただ、この程度のものでもすでに21,855バイトあります。

なりゆきによっては、再び統合ということになるかもしれませんが、さしあたって、2つの記事のそれぞれを充実させることに力を傾けた方が生産的ではないかと思います。そして、読者が2つの記事を読み比べてそれぞれ判断を下せるような状態を確保した方がいいんじゃないでしょうか。ごねているように思われるかもしれませんが、わたしとしては、わたしなりに解決したいと思ってやっていることです。御理解いただければありがたいです。--Chokorin 2009年11月8日 (日) 21:25 (UTC)

  •   コメントChokorinさん(学会の趨勢)のお考えでは、「大和朝廷とヤマト王権は別物」という考えが定着しているとのことですが、一方で「大和朝廷とヤマト王権は別物ではない」という考えもあることはいくら文献資料や注釈を提示されても否定できませんし、ノートでも散々議論してきています。「6世紀以降に関しては大和朝廷(やまとちょうてい)と呼称されることも多い」という説明は、「3~5世紀の政治形態は大和朝廷ではない」と説明したいだけであり、それを否定する意見があることに対して、全く配慮がないといわざるを得ません。あと「日本の政治形態・政治組織全般」という言葉を使われておりますが、大和朝廷の成立時期にはいろいろとモノ申す方が、この時代の一地方の政治形態を説明をするのに、「日本」という言葉を使うことには違和感を感じて仕方ありません。私が先に提案した合意冒頭文については私自身ベストな案だとは思っていませんが、上記のChokorinさんの案がベストな案だとも全く思えませんでした。分割提案に関しても、先に別記事ありきの提案には現時点では反対と表明しておきます。--TENDERAS 2009年11月9日 (月) 00:42 (UTC)
  •   コメントまず本記事の保護解除が先決です。冒頭文を以前の文章に復帰することに同意されて解除されてから、改めに記事の分割提案をされたらよいかと思います。--薔薇騎士団 2009年11月9日 (月) 00:54 (UTC)
  •   コメントお2人ともコメントありがとうございます。冒頭文を以前の文章に復帰させることについては同意できませんが、保護解除については私も賛成です。私の提案は「先に別記事ありきの提案」というわけではなく、審議の結果、不要と判断されれば、もちろん取り下げてよいものです。この問題は、いわば二元一次方程式のようなもので、いつまでたっても答えが出ない。しかし、もう一つ式をつくってやって連立方程式になったら、スパッと収まるべきところに収まることがあるかもしれない、そう考えて僭越ながら分割提案させていただきました。並列書きに、どうしても抵抗を覚えるのは、単に「水と油」のように異質な言葉だというだけでなく、「ヤマト王権」に代表される語は、古墳時代の政権に「大和朝廷」の語が適切ではないという認識(山本監修「こんなに変わった歴史教科書」東京書籍、帝国書院HP、関和彦の論究など)から出てきたものであり、その意味では、決して両立しえない、対立する概念なのです。もちろん、例外はあります。平成20年までの学習指導要領、武光誠、高森明勅、扶桑社の教科書、日本書籍の教科書でしょうか。このなかで、確実に古代史の専門家・研究者といえるのは武光誠だと思いますが、ほかにどなたか御存知でしょうか。武光以外にたくさんいるとなれば私も考え直さなくてはいけないと思いますが、そうでないとすれば、上の文でもさほど支障がないと考えます。「日本」というのはもちろん、国号ではなくて、地理名称として掲げました。ただ、「この時代の一地方の政治形態」というのでもないのではないか、首長連合というかたちでは4世紀には東北南部から九州まで広がっていきますから、そういうことも含めての話です。ただ、「日本」が雑ぱくな表現であることは認めます。私としては、並列書きをやめることと学習指導要領を冒頭に掲げることをやめることさえ実現できれば、他は概ね受け入れ可能です。TENDERASさんの掲げた2009年8月16日 (日) 13:03 (UTC)の案が実は一番よいかもしれません。この案であれば、私も合意です。--Chokorin 2009年11月9日 (月) 11:43 (UTC)(誤記訂正)--Chokorin 2009年11月9日 (月) 12:44 (UTC)
正直もうしまして、Chokorinさんのような強引な態度を学会でとれば、研究者生命を危機にさらすのではないでしょうか。議論を進める上での最低限の手続きとマナーを遵守できないようでは、研究者としての評価を維持することはできません。あなたの主張が正しいかどうか以前に、あなたのやっておられる手順・手続きは甚だ問題があり、まずそこを直さないとひたすら平行線のままだと思います。「腕力」で相手をねじ伏せようとするのはおやめ下さい。--薔薇騎士団 2009年11月10日 (火) 15:20 (UTC)
  •   コメント現時点では保護解除には反対であることは改めて言及しておきます。「並列書きをやめること」と「学習指導要領を冒頭に掲げることをやめる」ことは、大きな対立軸になっている部分であり、他の表現は大したことではありません。大きな対立軸に合意ができないのに保護解除することは余計な混乱を招くだけです。--TENDERAS 2009年11月9日 (月) 14:36 (UTC)
  •   コメントTENDERASさん、コメントありがとうございました。保護の継続に同意します。みなさんに質問です。「朝廷」というのは「天子の政府」「天下の政治をつかさどる場所」という定義で間違いありませんか。また、その「天子」というのは薔薇騎士団さんによれば「王」も含むということでいいですか? --Chokorin 2009年11月9日 (月) 19:36 (UTC)(加筆)--Chokorin 2009年11月9日 (月) 20:54 (UTC)
  •   コメント朝廷の語彙がどうあれ、「ヤマト王権と大和朝廷が全く別物である」という論拠にはなり得ないことは言級しときます。こういう余計な議論を提示してきていることが、未だに終着点が見えない議論になっている理由の一つであるとChokorinさん自身がご認識頂かない限りは保護解除はないと思います。ここは百科事典であって、学術論文を発表する場所ではありません。--TENDERAS 2009年11月9日 (月) 23:50 (UTC)
  •   コメントコメントありがとうございます。ここが百科事典であることはよく承知しています。大和王権・大和政権と大和朝廷が別物であることは、吉田孝、鬼頭清明という専門家が、両方の語を用い、しかも時代に応じて使い分けをしていることから明白です。問題は武光誠です。武光以外に、古代史・考古学の専門家で〔大和王権=大和朝廷〕という理解で「大和朝廷」の語を使用している人間が実際にいるかということです。これは、武光の用法が「信頼するに足る良質な情報」に相当するかという問題を含んでいるので、朝廷が天子の政府なのかどうか再度確認しているのです。決して「余計な議論」ではありません。--Chokorin 2009年11月10日 (火) 01:10 (UTC)(微加筆)--Chokorin 2009年11月10日 (火) 01:18 (UTC)
  • 皆さんは私が自説を曲げない人間のように思っているかもしれませんが、私からみれば、よほど皆さんの方が頑固です。ある意味、「ヤマト王権」と「大和朝廷」は地動説と天動説くらいの違いがある。つまり、相容れないのです。わたしにはしっかりと到着点はみえています。今からジャスト2日間コメントをお待ちします。
  1. 武光誠以外の古代史・考古学の専門家で、ここ数年間で、〔大和王権=大和朝廷〕という理解で「大和朝廷」の語を使用している人間がいる
  2. 朝廷とは、「天子の政府(政権)」という意味ではない

上の2点について、何か情報がおありでしたら出典つきでお示しください。コメントなければ次のステップに進まさせていただきます。--Chokorin 2009年11月10日 (火) 12:28 (UTC)

まったく独善的な議論ですね。何度も言いますが、Wikipediaの検証可能性は、真実かどうかはどうでもいいのです。あなたが、武光誠は間違ってると考えていてもそれはどうでもいいのです。ここは学説の真偽を議論する場ではありません。あくまで出典がある情報を引用・紹介すればいいのです。武光誠氏に反論したければ、どうぞあなたが学会で発表なさってください。--薔薇騎士団 2009年11月10日 (火) 15:36 (UTC)
  •   コメント結論から言うと、Chokorinさんの1の設問も2の設問もどうでもいい話です。前提条件が違いすぎます。まず1ですが、仮に古代史・考古学の専門家が全員「大和王権≠大和朝廷」ということになったとしても、一般的に「大和王権=大和朝廷」と捉えている事実があるとすれば、それに配慮すべきです。2についても、仮に「朝廷≠天子の政府(政権)」であったとしても、一般的に「大和王権=大和朝廷」と捉えている事実があるとすれば、それに配慮すべきだと申し上げています。あと2日間とか期限を勝手に設定するのはお止めになった方がよろしいかと。本当に過去の議論を読みましたか?通常、合意形成するには提案してから1週間程度はかけるものです。--TENDERAS 2009年11月10日 (火) 13:58 (UTC)
  •   コメントじゃあ、わかりました。結論から申し上げます。わたしがなぜ上の設問を掲げたかというと、合意できるところから時間をかけて数ステップにわたって、なぜ、並列書きがダメなのか何ヶ月もかけて説明しようと思ったからです。まず、「大和朝廷」という言葉を使うことが、なぜ考古学なり、古代史なりの世界で避けられているのか。卑弥呼は「親魏倭王」、倭王武は「使持節都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事安東大将軍倭王」の称号を得ている。その意味では確かに「王」です。しかし、その称号は中国に朝貢して冊封体制に入ってのものである。すなわち、中国の皇帝を唯一の「天子」として認め、自分はその臣下になったということです。そういう意味からすれば、5世紀までの倭の五王までの政権は、東アジア史の常識からいえば「朝廷」とは呼べないものです。これは、いわば地動説です。「朝廷」と呼べないものを「大和朝廷」と呼ぶのは率直にいえば間違いです。「大和朝廷」という言葉をどうしても使いたいとすれば、この事実に折り合いをつけて6世紀以降としなければならない。長々書いてもどうせ読まないでしょうから今日はこのへんで。また明日。--Chokorin 2009年11月10日 (火) 14:36 (UTC)

  賛成 Chokorinさんの「大和朝廷」の記事を拝読しました。読み応えのある十分な内容を持ち、ヤマト王権の記事を補完する立派な内容だと思います。Chokorinさんの分割並立の提案を支持します。--Nife 2009年11月10日 (火) 14:43 (UTC)

  •   コメントある語彙(ターム)に対して、学問分野の専門家が学術的な術語として使うときの意味と、一般世間での通念として使うときの意味に深刻な乖離が起きるというのは、ごく普通のことです。たとえば、現在Wikipedia日本語版の記事で私の専門の生物学分野の記事でそのことがよく現れているものを挙げてみますと、退化の記事が参考になるでしょう。生物学の専門教育を受けた者にとって「退化」とは「進化」という現象の一様式であり、進化現象の部分集合ですが、一般通念の国語的な意味としては、多くの場合「退化」は「進化」の対義語として認識されています。記事「退化」では、この乖離現象を記事中でかなりのスペースを使って解説しています。また、恐竜という古生物は、かつては古生物学の専門教育を受けた者にとっては、巨大な体躯を持つ種からせいぜいニワトリ程度の大きさの種までのバリエーションがある系統群であることは常識でしたが、多くの国語辞典の古い版では「巨大な古代生物」に類する生物学的には不適切な表現が一般的だったことがよく知られています。これに関しては鳥に近い羽毛を持った小型の恐竜が新聞記事をも賑わせるようになり、生物学的用法と国語的用法の乖離は解消しつつあります。今回の議論も、こうした事例に近い要素を持っていると考えていいでしょう。まだ輪郭が固まっていないながらも、専門の古代史家の間で得られつつあるコンセンサスの方向における用法と、文部省や宮内庁で用いられている初等・中等教育用語および行政用語としての用法、そして一般世間で通念となっている国語的用法にはっきりとした乖離が生じつつある、正にその過渡期にある事例だと、これまでの議論や私の手元にある史学書を眺めた限り判断できます。このような用法の乖離現象は、統合されていた用法が歴史的プロセス、研究史的プロセスによって乖離が進行していく動的なフェーズ(「大和朝廷・ヤマト王権」のケース)、乖離した用法が乖離状態のまま固定しているフェーズ(上記の「退化」のケース)、いったん乖離が安定していたのが何らかのきっかけで再び統合の方向に向かう動的なフェーズ(上記の「恐竜」のケース)に分けられると言っていいでしょう。こうした乖離現象が動的に動いていたり、乖離したまま安定した状況下では、それぞれの立場での用法を使用者のグルーピングを無視して単純に併記するのは情報を混乱させる不適切な記述とならざるを得ません。この記事の処理は、この点を念頭において行うべきであると言えるでしょう。繰り返して念を押しますと、こうしたケースは単純な両論併記での記述は不適切であり、いかなる立場に基づいた用法であるのか明示した両論併記でないと処理できないケースだと考えます。--ウミユスリカ 2009年11月10日 (火) 14:56 (UTC)
根本的に自然科学と人文科学の学問の「発展」の本質は異なっています。史学は科学のように進歩・発展主義史観では論じることはできません。もちろん歴史を「科学的」にするための努力、主張、見解等は19世紀からありますが(マルクス主義がその最たる例です)、ベルリンの壁崩壊以降、こうした進歩史観は大きな退潮を余儀なくされています。こういうことは、歴史哲学の「初歩」を認識している者にとっては自明のことです。ですから、生物学の例を歴史学に適用するのは、根本的な誤りです。--薔薇騎士団 2009年11月10日 (火) 15:14 (UTC)
薔薇騎士団様、人文科学の歴史的展開には、哲学的展開の側面と実証科学的展開の側面の二面性があります。進歩史観、発展段階史観は哲学的展開の側面に強引に実証科学的展開の方法論を適用したものでしたし、さらに「進歩」の概念を持たない生物学の進化概念を「進歩」の概念と誤読して、社会の歴史的展開の構図を「進歩」としての「進化」のプロセスであるとして強引に論じたものです。生物学の専門教育を受けた者にとっては実に不可解な「進化」概念の適用であったことはご存知ではありませんでしたか?そもそも、あなたの上記の主張は、学問の学説の歴史的展開と、歴史における人類社会の変遷展開を、混同しつつ論じておられませんか?ここで論じているのは、むしろ学説の歴史的展開における実証科学の要素の展開の議論です。生物学でご不満なら、中世日本史学の一揆の概念などいかがでしょう。一般通念における国語的用法では「一揆」は民衆暴動、暴力や示威を伴う反権力運動と看做されています(これなど正に階級闘争史観が一世を風靡した名残でしょう)が、実証史学的な意味では「心をひとつにする」ことを原義とする権利防衛のための同盟運動で、百姓身分だけではなく武士領主身分の国人層なども結成していた、社会層の広い範囲に見られた政治運動であることが、常識的理解になっています。史家によっては一揆の盛んだった戦国時代を、社会の上層から下層まで一揆組織で構成されていた一揆の時代とすら呼んでいるほどです。この両者の用法の認識は単純に両論併記できる性格のものではありません。また、武士の起源論争にしても、実証的に不明瞭な部分を残しいくつかの学説が議論を続けている状況ながらも、階級闘争史観が盛んに唱えられていた時代に提唱された「朝廷が地方の治安維持に無関心になったため、自営農民が自衛のために武装したものが起源」という説は実証的検証の評価に耐えられず、ほぼ顧みられていない説になっています。これなど、むしろ発展段階史観の階級闘争論によって想定されていた図式が実証的歴史検証の前に打ち砕かれた例と言えるでしょう。今回の「大和朝廷」と呼ぶべき時代を旧来より限定していこうという学界の動きの問題も、別に現代社会における天皇の権威を削いでいこうという左翼の政治的動機にあるのではなく、日本国の朝廷のルーツとなった政体の起源と変遷を実証的に検証していこうという史学研究の動きの中から出てきたものです。露骨なマルキシズム史観が大手を振って歩いていた時代にこそ、史学者は無自覚に「大和朝廷」という用語を使っていたことは、岩波講座の旧版を読めば明らかです。それとも、あなたは「朝廷」と呼ぶかどうかはあくまで現代人の歴史哲学の問題であり、実証研究の意味はないとお考えなのでしょうか。また、両論併記の中に現代の古代史学の状況、文部科学省・宮内庁の行政的立場における状況、一般世間の国語的用法の状況という立場による用法の違いという要素を組み込んでいくことに意義を見出さず、単なる立場を示さない両論併記にとどめるべきとお考えなのでしょうか。--ウミユスリカ 2009年11月10日 (火) 16:10 (UTC)
各立場を示す出典をご提示いただくことは可能でしょうか?--Arstriker 2009年11月10日 (火) 16:12 (UTC)
Arstriker様。一番簡単なのは、官庁の立場ですよね。文部科学省の学習指導要領や、宮内庁の公文書およびネット上の公式サイトがそれにあたります。これに関しては今までの議論で再三紹介されていますよね。一般的な国語的用法に関しては、版の新しい国語辞典を参照するのが適しているでしょう。岩波書店の『広辞苑』や、小学館の『日本国語大辞典』の最新版を参照してみるのはいかがでしょう。最後に史学家の立場の動向ですが、これに関しては変遷を検証した総説論文、特に学説的立場の異なる史学家による複数のものがあれば、これがもっとも最良の出典になります。これはそうした情報に明るい人の助けを得たいものです。でも、それがなくても専門史家による学術論文、あるいは学術論文に準じる専門書、もう少し広げて学術専門書に準じる高度な内容の啓蒙書において、各史家がどういう判断を下して執筆しているかを時系列的に参照して列記していけば、おのずと傾向は出てくるでしょう。Chokorinさんの試案原稿(「大和朝廷」)も、その叩き台になるものだと思います。--ウミユスリカ 2009年11月10日 (火) 16:33 (UTC)
恣意的にならないようにそれらを示すのは簡単ではないですね、Wikipedia:独自研究は載せない#特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成あたりに抵触しそうです。いずれにしても導入部に記述する内容ではないと思います。--Arstriker 2009年11月10日 (火) 17:38 (UTC)
考え方としてはウミユスリカの意見もわかりますし、学術的な考えと例に出された官庁等との考えの隔たりがあるのは議論してきていました。しかし、なぜ隔たりがあるのかといった論拠が、Chokorinさんの試案原稿についてもChokorinさんの見たままの恣意的な表現とも取られかねない展開になっています。「史家がどういう判断を下して執筆しているかを時系列的に参照して列記していけば、おのずと傾向は出てくる」という考えは、場合によっては執筆側が恣意的に都合のよい史家を列挙して独自研究とも取られかねない記事に展開されてしまいます。--TENDERAS 2009年11月10日 (火) 23:04 (UTC)
歴史哲学の根本問題は、歴史学は果たして実証主義として成立可能か、ということです。歴史的「事実」の認定、その事実を客観的かつ公平に「記述(叙述)」することの難しさです。これが不可能であれば、歴史学は実証主義足りえません。マルクス主義史観はそれが可能だと主張しますが、これに反対する立場では、いかなる歴史家も自身の主観や政治思想などを離れて歴史を叙述することは不可能であり、歴史的事実の客観的記述というのも、実際には特定のイデオロギー(階級闘争史観)から推進されたものでしかないとします。上記の一揆の例でいえば、一揆という「歴史的事実」をどう「記述」するかは記述者の哲学・思想やイデオロギーに左右される、という事実を示しているに過ぎません。事実と解釈の問題に置き換えることもできます。そもそも歴史学における「実証」というのは、自然科学のようには確立していないし、また確立しえないのです。これが私が先の述べた人文科学と自然科学の根本的相違です。歴史学は自然科学のようには発展しません。一時期隆盛を極めた学説が政治思潮の変化で瞬く間に衰えるということすらありえます。もっとも顕著な例は階級闘争史観です。--薔薇騎士団 2009年11月10日 (火) 23:22 (UTC)
  •   コメント*みなさま、コメントありがとうございます。Nifeさんの賛成票には感動いたしました。ウミユスリカさん、用語法に関して示唆あふれるコメントありがとうございました。「退化」「恐竜」「一揆」「武士」いずれもわかりやすい事例だと思いました。「単純な両論併記での記述は不適切」というのはまったくその通りで、天動説に立ちながら太陽系のことについて記述するのが無理なように、「大和朝廷」という言葉を使用しておいて倭の五王の朝貢のことを正確に書くというのは、やっぱりきついと思います。そういう意味で、書き手も混乱させてしまう。読み手にとっても不親切だと思います。--Chokorin 2009年11月11日 (水) 14:08 (UTC)
  •   コメント私の以前に合意提案した冒頭文は、下記の考えを元に提案した合意文で、諸説については記事内容で補えばよいという考えで提案しました。
    1. かつては3~6世紀の政治形態は「大和朝廷」で全て説明されていた。
    2. しかし近年の学術的な考えでは全てを「大和朝廷」ではなく、「ヤマト王権」「大和政権」等の言葉を使って説明するのが通説になってきたが、必ずしも一定ではなく、定説がない。
    3. 学習指導要領や公的文書では「大和朝廷」で全て説明している場合もある。教科書でも表記は統一されていない。
    4. ヤマト王権と大和朝廷は同義語とは捉えられないとの意見もあるが、辞書では同義語と説明している場合もあり、また明確に使い分けができる状態にはなっていない。
    ウミユスリカさんが提案の「それぞれの立場で述べればよい」という考えも理解はできますが、それぞれの立場から説明できる出典がないのもまた現状です(特に官公庁がなぜ「大和朝廷」を貫くのか)。現状冒頭文を修正するにしても、以上の前提を代えない(場合によっては冒頭は長めになってもよい)というのであれば議論のしようがありますが、今Chokorinさんのお考えでは3は考慮しなくてもよい、4は一定の結論が出ており使い分けが明確にされている、という前提での冒頭文修正の提案であるように思えます。特に「6世紀以降に関しては大和朝廷と呼称されることも多い」という冒頭説明は学会では混乱が無くとも、上記の理由から同意できかねます。学会では天動説と地動説ぐらいの違いはあったとしても、学会外では明確に違わない、色んな用法があるということであれば、それを尊重しないことには何時までたっても編集合戦になるだけだと思いますが。--TENDERAS 2009年11月11日 (水) 01:15 (UTC)
  •   コメントTENDERASさんのおっしゃることもよくわかります。ただ、「大和朝廷」というのは一国発展史観から漠然と用いられた語であったし、東アジア史の常識からして3~5世紀の政権を「朝廷」と呼ぶのは決して適切でもなかった。その意味では、天動説でした。「アジアのなかの日本」「世界のなかの日本」の観点から、日本古代史を世界史上に位置づけようという動きのなかで、「朝廷」ではない別の用語「王権」「政権」が求められた。その意味では、「ヤマト王権」(等)というのは、単なる比喩ではなくて、ある意味、ことばの本当の意味での地動説ではないかと思います。ちょっと大げさに言うと「思考の枠組みの転換」だと思います。いま、ほとんどの中学生は「王権」「政権」の名で学習している。わたしは、てっきり10年以上前からそうなんだろうと思っていました。個人的な、ごくごく感覚的な印象からは、20~15年くらい前から古代史・考古学の本で「大和朝廷」と書いてある本に遭遇したことがなかったですから。ところが、「大和朝廷」でも示した、山本博文監修『こんなに変わった歴史教科書』(東京書籍)にも「…東京書籍の06年版教科書では『大和政権』としている。ほかの教科書も『大和政権』『大和王権』などを使用している」とあり、わたしは一瞬「平成6年」と思ったくらいでしたが、むろん2006年のことであり、実はたかが3年前のことである。とすれば、「ヤマト王権」の語に未だなじめない人が多くても不思議ではないとも思います。ただし、われわれは地動説に立ちながら、同時に天動説にも立つということはできない。少なくとも、この記事ではどちらの立場に立つかを選ばなければならない。そういうことなんじゃないかと思います。わたしは、この記事では地動説に立つのだけれども、天動説の場も用意しておきたい。地動説に立っていても日常生活では「日がのぼる」「太陽がしずむ」のことばは生きている。そういう意味から「大和朝廷」の分割を提案しました。もちろん、それがベストだとは言い切れません。これについては、もっと議論を深める必要がありそうです。--Chokorin 2009年11月11日 (水) 14:51 (UTC)(微修正)--Chokorin 2009年11月11日 (水) 16:17 (UTC)
  • (追記)TENDERASさんのおっしゃる「一般的に『大和王権=大和朝廷』と捉えている事実に対する配慮」ですが、「その捉え方は決して正しくないよ」と説明する配慮も必要なのではないか、と思いました(逆に、現に区別して捉えている人に対しては、現状冒頭文は「区別する必要はないよ」というメッセージになってしまいます)。「6世紀以降に関しては大和朝廷と呼称されることも多い」というのは、B案に対し、新しく提示した改訂B案では「とくに」の語を挿入しました。「とくに」というのは武光誠氏の用法に対する配慮のつもりでした(1人だけなら、その程度の配慮で十分と考えました)。--Chokorin 2009年11月11日 (水) 16:36 (UTC)
書くべきかどうか迷いましたが書かせていただきます。一つ冷静にお読みいただきたいのですが、我々はWikipediaでは『天動説』にも『地動説』にも立つことは求められていないのです。どちらかに立つということは即ち、Wikipedia:中立的な観点に抵触するからです。まずそうお考えの時点で皆さんとベースが違うと感じます。『天動説』が誤っているとの定説が成り立っているのであれば、我々はそう書くことができます。しかしその場合でもWikipedia:検証可能性を満たさなければなりません。原則、我々が正しい誤っているを判断するのではなく、「定説であるとの出典」を示さねばならないのです。我々が必要以上に能動的に何らかを判断するということはWikipedia:独自研究は載せないに抵触します。これらのルールはWikipediaにおいて基本中の基本で、意見の対立が深ければ深いほど議論の収束を目指すにはこれらのルールを厳密に適用していかなければいけません。失礼を承知で書かせていただきますが、これまでのChokorinさんのご意見を拝読させていただきますと、これらのルールからやや逸脱されているのではないかと思います。例えば「とくに6世紀以降に関しては大和朝廷と呼称されることも多い」や、「その捉え方は決して正しくないよ」とありますがこの文言はどちらの信頼のおける文献からの引用になりますでしょうか?ルール適用が厳しすぎるように思われるかもしれませんが、このように意見が対立した状況ではそこまで必要となってくると思います。逆にChokorinさんがそれをお示しになることができれば、皆さん納得せざるを得ないのです。私はChokorinさんの知識は素晴らしいものだと感じますし、その点でWikipediaにとって非常に有用な方だと思います。真理を追求すべしとの強い信念にも敬服致します。ただ、Wikipediaで執筆されるのですからWikipediaのルールについてもご尊重いただきたい。私が勘違いしている部分があるかも知れませんが、大筋にて私のいわんとするところをどうか斟酌頂きたいと思います。--Arstriker 2009年11月11日 (水) 17:52 (UTC)
そう来ると思いました。しかし、「古墳時代」つまり考古学的時代区分を使っている時点で、すでにこれは地動説の立場に立ってしまっており、話題としては地動説のなかでの話です。まだまだ、議論はつづきそうですね。--Chokorin 2009年11月11日 (水) 20:46 (UTC)

  コメント この議論のなかで、読み手の視点を忘れないでいただきたいと思います。まず「大和朝廷」というページを検索した読者は、大和朝廷のことが知りたいのであって、ヤマト王権のことを調べようとは考えていないはずです。ですから、Chokorin氏の試案による大和朝廷のほうが、現在のリダイレクト記事であるヤマト王権よりも読者にとって有用な記事であると思います。そして、大和朝廷の記事の中には、現代においては「ヤマト王権」を初めとする様々な名称が考案され試されていることがきちんと記載されているので、読者は「なるほど、大和朝廷と単純に呼べるものではないのだな」と納得できるのです。惜しむらくは、大和朝廷の記事からヤマト王権への記事への丁寧な誘導がないことです。読者のより深い理解のためには、できるだけ多くの読者をヤマト王権の記事へ誘導するような書き方をするほうがよいと思います。そのようになっていれば、二つの記事は立派に共存することができるでしょう。--Nife 2009年11月12日 (木) 16:46 (UTC)

  コメント「大和王権」「大和朝廷」の語はさまざまな使われ方をしていることがわかりました。ちょっと整理しましょう。

  1. 武光誠、高森明勅、扶桑社の教科書、日本書籍の教科書(ともに平成18年)では〔大和王権=大和朝廷〕という理解で「大和朝廷」採用(とくに武光は邪馬台国連合=大和朝廷)
  2. 吉田孝、鬼頭清明では〔大和王権≠大和朝廷〕あるいは〔大和王権⊃大和朝廷〕という理解で「大和朝廷」「大和王権」両方を使い分けて使用
  3. 上に掲げた以外の学者、教科書の多くでは〔大和朝廷→大和王権〕の語の転換が進んでいる(転換が進んでいるという意味では〔大和王権=大和朝廷〕だが、なぜ進んでいるかという背景には〔大和王権≠大和朝廷〕あるいは〔大和王権⊃大和朝廷〕の理解がある。それを説明する文書もある)
  4. 平成20年の中学学習指導要領では「大和朝廷による国土統一」という文言があり「大和朝廷」採用(しかし邪馬台国連合≠大和朝廷)。平成21年の高校学習指導要領では「大和朝廷」の語を削除。
  5. マスコミ・国語辞書などでは概ね〔大和王権=大和朝廷〕の理解で〔大和朝廷→大和王権〕の語の転換が進んでいるが、依然「大和朝廷」も使われる。官庁では「大和朝廷」の使用が多いが、部分的に(文化庁などでは)〔大和朝廷→大和王権〕の転換も進んでいる。
  6. 〔大和王権→大和朝廷〕の転換例は確認されていない

ということですよね。

yahoo国語辞書における〔大和王権=大和朝廷〕という公式(A)と、「大和王権=古墳時代に「大王」(おおきみ)などと呼称された倭国王と、いくつかの有力氏族が中心となって成立した王権・政権」という考古学的な話題(B)とを結びつけて、現状の冒頭文(A+B)があるわけですが、しかし、この表現では、考古学的な話題としては〔大和朝廷→大和王権〕の語の転換が進んでいること(3,4,5)が充分伝わらず、〔大和王権→大和朝廷〕の転換はないこと(6)、吉田・鬼頭などの立場(2)は完全に無視されていることが問題といえます。結果として、1.の見方が主流であり、定説であり、さらには考古学的に適切(!)であるかのような表現になってしまっている。わたしは、これは「特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成」ではないかと思います。少なくともわたしはそう理解します。

「ヤマト王権」「大和朝廷」を、どうしても冒頭に並列書きにしなくてはならないものなら、

ヤマト王権(やまとおうけん)ないしは「大和朝廷」(やまとちょうてい)とは、古墳時代に「大王」(おおきみ)などと呼称された倭国王と、いくつかの有力氏族が中心となって成立した王権・政権である。ただし、5世紀以前の政権・政治組織については「大和朝廷」の名称が不適切だという指摘が多く、現在「ヤマト王権」「ヤマト政権」などへの語の転換が進んでいる。ヤマトはまた、「大和」「倭」「大倭」などの表記があてられる。「ヤマト」表記や「朝廷」の成立時期を巡って学会の中では見解が分かれており、一定していないが、現状では「ヤマト王権」を採用する研究者が多いので、本稿ではヤマト王権と称する(呼称に関しては名称についてを参照)。

このような文になるのではないか、と思います。--Chokorin 2009年11月12日 (木) 17:04 (UTC)微調整--Chokorin 2009年11月12日 (木) 17:40 (UTC)

  コメントちょっと迂闊にも、実際の百科事典での扱いをチェックしていませんでした。参考までに一例を紹介しておきます。少々古い執筆年代のものですが手持ちの平凡社の『世界大百科事典』の1988年版で調べてみたところ、表題は「大和朝廷」を使いながらも冒頭の段落で<王権>と<朝廷>の概念の区別の必要を指摘して<朝廷>の概念の定義を行いつつどこまでが<王権>の時期であったことの考察の必要性を訴え、さらに<大和>の表記が成立した時期が8世紀半ばであることを指摘して本文中で一貫して<ヤマト>の表記を行うことを宣言しています。つまり、「王権期」と「朝廷期」の定義を行っている。執筆者は現在日本歴史学会の会長を務める平野邦雄です。

構成としては、根本の定義を「日本の古代,大和において天皇を頂点として政権が組織され,この政権によって国家が統治されたから,これを大和朝廷と呼ぶ.」とし、続いて時代の下限を律令制の整備と藤原京造営前の飛鳥浄御原宮の時代あたりまでとするのが一般であると区切っています。次にこの政権の継続期間の中で<王権>と<朝廷>の概念の区別の必要性を訴え、<朝廷>の定義を「王権を中心に一定の臣僚集団による政治組織が形成された段階」と宣言した後に、先述の<大和>ではなく<ヤマト>の表記を行うとの著述を行っています。

本文では邪馬台国問題を保留するとしてから神武天皇から仲哀天皇までを実在性に疑問がある時期として区切り、次に応神天皇から継体天皇までの期間を雄略天皇を境に前後に分けるべきと主張しています。そして、雄略天皇より前の時代を王と族長の関係によってミツギ(調)とエタチ(役)が収受されたにすぎない、統治機構が発達していなかった<王権>と称し得ても<朝廷>とは称し得ない時代、雄略天皇以降の時期を<大王>号が確立して豪族層が重層的な“臣僚集団”に編成された<朝廷>の時代としています。また朝廷成立後の時代は継体天皇以降の時代と推古天皇以降の時代に分けて論じています。

この執筆時期より後の主導的な学説の変遷はあるでしょうけど、とりあえず参考までに。--ウミユスリカ 2009年11月12日 (木) 23:50 (UTC)

追記:上記の平野の著述では、応神天皇以降の<王権>時代を「ヤマト王権」と明記しています。--ウミユスリカ 2009年11月12日 (木) 23:56 (UTC)

記事の分割への反対と告知の無効 編集

そもそも当該記事のヤマト王権は大和朝廷から移動した記事です。この二つが別々の概念であるという認識は特殊な認識と言えます。天動説地動説は別々の学説ですが、大和朝廷とヤマト王権は、同一の歴史的対象に対する異なる名称に過ぎません。それを分割して二つの記事を設けるのは、羽柴秀吉豊臣秀吉の二つの記事が存在するようなものです。自説が通らないから記事を分割してしまえ、というような態度からの提案でしたら、単なる保護逃れ以外の何ものでもなく反対せざるをえません。--薔薇騎士団 2009年11月11日 (水) 16:58 (UTC)

まだ議論の途中ですので、薔薇騎士団さんが設けた節は解除させていただきました。--Chokorin 2009年11月11日 (水) 20:55 (UTC)
他の参加者の文章は原則として勝手に改変しないでください。自分の提案に都合の悪い節をわざと削除しているような印象を受けますので。--薔薇騎士団 2009年11月12日 (木) 01:27 (UTC)

Wikipedia:ページの分割と統合によれば、記事の分割にあたっては「分割するページの一番上の部分に {{分割提案}} テンプレートを貼付します」とありますが、本記事は現在保護中でこのテンプレートを貼って告知することができません。そこで、分割提案者は、無理やりノートにこのテンプレートを貼っていますが、これは手続き上無効です。なぜなら、Wikipediaで定められた分割提案の要件を満たしていないからです。ですので、今回の提案は無効とし、改めて保護が解除されてから分割の提案をなさってください。--薔薇騎士団 2009年11月12日 (木) 01:30 (UTC)

だそうです。管理者の方は本記事の上にテンプレートをお貼りくださいますよう、お願いします。--Chokorin 2009年11月12日 (木) 03:53 (UTC)
ノートに {{分割提案}} テンプレートを貼り付けるのは紛らわしいので外しておきました。--TENDERAS 2009年11月12日 (木) 11:47 (UTC)

現在別々の議題が同時進行中なので、議論を交通整理する必要があると思います。

  • 保護解除へ向けた合意:これは8月で合意がなされた冒頭文をそのまま復帰させるのが前提となります。
  • 冒頭文の改変の提案:これはまず保護が解除されたのちにお願いします。
  • 記事の分割提案:これも保護解除後に分割提案を告知してからでお願いします。

--薔薇騎士団 2009年11月12日 (木) 23:51 (UTC)

保護解除については現時点では反対です。が、十分な議論を経ているのであれば、8月の冒頭合意文を修正合意してから保護解除の方がスムーズかなと思います。分割提案については薔薇騎士団さんと意見は一緒で、保護解除後の議論の方がよいと考えます。--TENDERAS 2009年11月13日 (金) 00:45 (UTC)
保護の継続については同意します。8月合意の冒頭文の復帰にはもちろん反対です。冒頭文には問題があるからです。分割については、Nifeさんの「読み手の視点を重視すべき」との2009年11月12日 (木) 16:46 (UTC)のコメントやウミユスリカさんが2009年11月12日 (木) 23:50 (UTC)に御提示くださいました「王権」と「朝廷」との概念の区別にかかわる重要な情報、「ヤマト王権≠大和朝廷」の明白な出典の存在から、むしろ分割を前提にした議論にうつるべきと考えます。いくら8月段階で6人が合意したとはいえ、これほど信頼性の置ける最良の情報を無視することはいかがなものかと思います。6人の合意はあくまでも6人のなかだけの話であり、それ以外から疑問が寄せられた場合には再度合意に向けた努力をしていただきたいものです。--Chokorin 2009年11月13日 (金) 01:38 (UTC)
冒頭文を8月の合意に戻すのではなく、修正してから保護解除するというのではあれば、保護解除に反対します。なぜなら、そうなるとノートでの合意が本質的に無意味になってしまうからです。仮に11月に新たな合意が成立しても、また別のユーザーが合意を無視して編集する恐れがあります。この場合、過去の合意を無視する前例を作れば、この編集を阻止することができません。結局、ノートでの議論は不要ということになってしまいます。仮に今度7人で合意しても、8人目が「7人の合意を従うつもりはない」と主張すれば、これに反論することができません。--薔薇騎士団 2009年11月13日 (金) 02:19 (UTC)
そんなことはないでしょう。また8人で話し合えばよいだけの話です。相手の言い分が正しかったら従う、それのどこが悪いんでしょうか。--Chokorin 2009年11月13日 (金) 02:26 (UTC)
薔薇騎士団さんへ、私は冒頭文修正するにしても、現在のChokorinさんのお考えのように以前の合意文を大きく覆すような修正には合意するつもりはないとだけは言っておきます。以前の合意文はそれなりに重いものですが、「どの文言も一字一句もいじるつもりはない」と頑なな態度を取るつもりはないと意見表明しているだけです。
Chokorinさんへ、「読み手の視点を重視すべき」とのことでの分割提案ですが、私は読み手の視点に立つのであれば、同じ記事の方がよいと思います。ある時点で「朝廷」と呼ばれる組織ができあがりつつあったからと言って王権の政治形体が激変したわけでもない。鎌倉幕府室町幕府のようにほぼ全員が一致した区分があれば分割してもいいですが、現時点で諸説があることを考慮するのであれば、両者を同時に説明した方が記事としては読みやすいと思いますし、別記事にした方が分かりにくいと考えます。
あとこれは今は議論の本筋にはなっていませんが、Chokorinさんが加筆された邪馬台国の節は全面的に不要です。ヤマト王権と大和朝廷の連続性は、学会の趨勢で、現時点では否定しがたいことですが、邪馬台国とヤマト王権の連続性は定説等ないと思います。この節は明らかに誤解を招きます。--TENDERAS 2009年11月13日 (金) 02:33 (UTC)
「ヤマト王権と大和朝廷の連続性」とのお言葉が出てくるなら、一応両者は「別もの」ととらえた上でのことだと思うのですが、であるなら別記事にしていけない理由がよくわかりません。上の1.~6.で抜けていた視点、「純粋な天動説」という視点もあります。つまり、
7.学問研究の動向とは関係なく奈良朝以前の皇室の祖=「大和朝廷」
結局、これも説明しなくてはならないわけですから、分割が適切ではないかと考えます。「ヤマト王権」の記事では、考古学資料や中国・朝鮮半島の同時代史料も重視するという立場、総合的な歴史学・考古学研究の立場での叙述が望ましいと思います。そのために大幅な修正が必要なら大幅に、少ない修正ですむなら修正は最小限にということでいいと思います。
邪馬台国に関する記述は、保護が解除されたら書き直す必要があるとはずっと思っていました。御指摘ありがとうございました。連続性に関しては指摘する声がないわけではないので、全面的に不要とまで言い切れるかどうかは少し保留させておいていただきたいです。不要かもしれないし、やはり必要かもしれない。そこはもっと文献にあたる必要があります。「邪馬台国連合」のようなかたちで分割が必要であれば、これとはまた別に分割提案が必要かもしれません。必要になった時点で提案すればいいんじゃないでしょうか。--Chokorin 2009年11月13日 (金) 04:39 (UTC)
Chokorinさんへ、以前の合意文書の趣旨としては、ヤマト王権と大和朝廷の「連続性」も認めるし、「同一性」も認めるから並列で合意となっています。私の先の意見は、ヤマト王権と大和朝廷を仮に別ものと捉えたとしても、連続性のある政治形態なのだから別記事にすべきではないと意見表明しただけであって、「同一性」を否定しているものではありませんので、誤解のないようにお願いします。あらゆる立場にたった意見があることを記事内容で補足すればよいだけで「7.学問研究の動向とは関係なく奈良朝以前の皇室の祖=大和朝廷」ということも本記事で説明すれば事足りることと思いますが。
邪馬台国とヤマト王権の関係については、学会の中でも「不明」であるとの結論であるはずです。ヤマト王権か大和朝廷では分割を主張される方が、邪馬台国とヤマト王権を同一視するかのような記述は偏った見方しかできないバランス感覚のない方だと思ってしまいました。ヤマト王権か大和朝廷かの議論よりもっともっとナイーブな問題です。王権の成立を詳細に記事として説明するのでれば、邪馬台国との関係は論争があることを大前提に記述をお願いしたいものです。いくら著名な方の出典があったとしても、これについてはそれは一つの意見でしかない問題です。--TENDERAS 2009年11月13日 (金) 06:20 (UTC)
別に同一視をしたつもりは全然ないのですが、書き方としてはあまり適切でなかったことは認めます。一つの意見でしかないことは諸論を併記することで補えるでしょう。全面改稿しようにも、その途中で保護がかかってできないのです。全部書き上げていない編集途中のものにクレームをつけられてもね。何か別の意図がおありですか? --Chokorin 2009年11月13日 (金) 07:32 (UTC)

ちょっと問題点を整理しておきましょう(私事ではありますが、持病の脊椎関節炎と合併症の線維筋通称が悪化していて激痛で議論が後手後手に回ってしまっていることをお詫びいたします)。

まず、歴史学概念としての「ヤマト王権(あるいは「倭王権」など)」と「大和朝廷」が連続した政体であるということ、さりながら、この連続した政体の全体を「大和朝廷」の呼称を適用するのは差し障りがあろうということに関しては、まず学界において異論がないことであろうということは抑えておかねばなりません。次に、「ヤマト王権」の形態の政体から「大和朝廷」と呼んで差し支えない形態の政体に変貌を遂げた時期をどの段階とみなすか、つまりどういう状態を持って「朝廷」と呼ぶにふさわしい政体とみなすかについては、学界でも十分に合意ができていないように感じられます。このあたりは、学術書を多数手元にそろえておられるChokorinさんにチェックしていただき、事例を挙げていただくのがふさわしいかと思います。こういうことから、「ヤマト王権」段階と「大和朝廷」段階の両者をひとつの記事で通史として著述するのが歴史著述としては適切だと思います。

その一方で、政治的意図、あるいは思想的意図に基づき、この政体の発祥から律令制が整備されていわば「日本国の朝廷」にステップアップするまでの全期を「大和朝廷」の呼称で通して呼ぶ事例が確固としてあるということも、無視できない現実です。この事実を「歴史学とは別の立場」として両論併記する必要があります。この点が整理できていないことが、議論の混乱を招いている元凶だと私はとらえています。

つまり、歴史学としての観点からの著述としては、その変遷のプロセス、あるいはどの段階からを「朝廷」とみなすかどうかの議論も含めて、ひとつの記事の中で連続体の政体として記述するのがふさわしい。その点で、「大和朝廷」を無理に分割するのは歴史著述としては不便、と言っていいかと思います。

しかし、歴史学としての両論併記とは別の枠組みでの両論併記、つまり政治的、思想的立場からの「大和朝廷」と歴史学としての立場としての「大和朝廷」は、はっきりと分けて考える必要がある。つまり、歴史学の立場でいつからが「朝廷」なのかという議論を両論併記していく場と、歴史学以外の立場で全体を「大和朝廷」とする主張を歴史学の立場と両論併記する場は混同しないようにするのがふさわしい。しかし、後者を独立記事とするだけの分量で現状を客観的に著述するのが可能かどうか、少々疑問を感じます。Chokorinさんが強引に分割を図ろうとしたのは、歴史学の立場の内部での両論併記と、歴史学の立場と、歴史学以外の立場での両論併記の混同への苛立ちが根底にあったと推察いたします。だとすると、この点さえ解消されればあえて分割する必要はないとも言えます。

また、薔薇騎士団さんは歴史学は完全な実証は不可能なのだから現在の歴史学の状況などいつひっくり返ってもおかしくないということを論拠に、歴史学としての記述の内部で、通期としての「大和朝廷」呼称を両論併記に入れるよう主張しているように見受けられますが、それは学界の趨勢がそうなってから再編集すればいいことだと愚考いたします。現状では歴史学の学界趨勢は通期として「大和朝廷」呼称を当てはめるのは無理、というものと見て差し支えなさそうですから、今の記述ではこの主張を歴史学としての著述に繰り込むのは「独自研究」に抵触する危険性が高い。だとすれば、やはりこれは別の章立てでもって「歴史学とは別の立場での主張」というものを歴史学での議論には繰り込まずに著述するのが穏当でしょう。

最後に邪馬台国の問題に関してですが、ヤマト王権初期の遺跡と目される纏向遺跡の発掘によって、漢籍で邪馬台国と呼ばれたものが、当時の倭国の中のヤマト王権に相当する蓋然性が高いとする立場が勢いを増していること自体は無視できるものではないでしょう。確定した事実ということではなく、そういう学説が急速に立場を強めていること自体はこの記事の中に記述してよいかと思います。--ウミユスリカ 2009年11月13日 (金) 08:03 (UTC)

  コメントChokorinさんのご提案は、ヤマト王権という概念を特定の観点で別記事にしたいということです。したがって、分割により観点の中立性が損なわれるので、記事量が多いとか、特定の観点では別の定義を採用しているといった副次的な理由よりも、総論併記を優先すべです。また読者に対して複数の(現時点においては)指示すべき観点かるのに、それを隠蔽することで、特定の立場を推進するようなことはすべきではないと存じます。--あら金 2009年11月13日 (金) 08:47 (UTC)

  コメント単純な疑問なのですが、記事を大和朝廷と分割した場合、本記事からは大和朝廷に関する記述は削除されるのでしょうか? 例えば、推古朝以後(あるいはワカタケル大王以後)、Chokorin氏が朝廷が成立したと主張する時期以降の記述は大和朝廷の記事で記述し、本記事ではその記述は削除されることになるのでしょうか。しかし、そうなると独自研究になる恐れがあると思うのですが。--薔薇騎士団 2009年11月13日 (金) 10:32 (UTC)

それはないと思います。重複するところがでてきても一向にかまわないと思います。重複部分についても「ヤマト王権」のなかでの記述と「大和朝廷」のなかでの記述では、書き方、扱い方が当然変わってくるでしょう。「あれかこれか」で争うより、「あれもこれも」を追究してもいいのではないでしょうか。また、それが可能なシステムでもあります。「ヤマト王権」も「大和朝廷」も決して特筆性のない歴史事象ではありません。総論併記が可能であれば、それに意を尽くすのは当然ですが、材料が出そろっていない時点でそれを求めても机上の空論になりかねません。このノートでの議論は最初からボタンの掛け違いが多かった気がしてなりません。材料が出そろって、見通しがよくなって、総論併記が可能になったら、そのときにはじめて「最優先」ということばが可能になると思います。再統合はそれからというふうに考えてもいいんじゃないでしょうか。--Chokorin 2009年11月13日 (金) 11:04 (UTC)

  コメントすべてウミユスリカさんの整理してくださったとおりです。とくに「歴史学の立場の内部での両論併記と、歴史学の立場と、歴史学以外の立場での両論併記の混同への苛立ち」はまさにおっしゃるとおりです。ありがとうございました。また、平凡社『世界大百科事典』1988年版の記述は、「信頼できる公刊された情報源」として最良のものであり、用語問題を考える際、また記事を書いていく場面でも必須の出典だと思います。早速、コピーを入手しましたので、保護解除後に備えて文章化していきたいと思います。ありがとうございました。--Chokorin 2009年11月13日 (金) 11:26 (UTC)

『世界大百科事典』の記述も、今から20年も前のものですから諸々の見解に関して学界の趨勢自体変化している可能性があります。その点を念頭において「信頼できる公刊された情報源』の更なる収集に努める必要があることを指摘しておきます。--ウミユスリカ 2009年11月13日 (金) 12:36 (UTC)
私自身、少々クールダウンの期間を設けさせていただきました(笑)。どうもね~このような議論はやはり少々苦手ですね(苦笑)。私は正直、実際の古墳を見て廻っている方が性に合っています。でもせっかくようやく論議が進んできたので、ここのところの論議で少々忘れ去られがちに思える観点を指摘させていただきたいと思います。
Chokorinさんとウスミユリカさんのおっしゃられていることの意味はわかるのですが、どうもしっくり来ないな~と感じて少し考えてみたところ、どうやら古墳時代の時代認識がかなり違うことに気がつきました。私の時代認識は「古墳時代と次の飛鳥時代との間には大きな断絶がある」との意見です。専門家では広瀬和雄氏の意見「中央政権(王権)は首長同盟から中央集権へと発展したとの通説は有効ではない…前方後円墳が造営されつづけた350年間は、律令国家の形成過程ではない(東国古墳研究会シンポジウム 東国における前方後円墳の消滅(2009年))」。という意見が一番しっくりします。つまり私としてはワカタケル大王、継体天皇の時代を画期としてヤマト王権が実力そして体制的にも強化され、「朝廷」と呼びうる体制となっていったという時代認識を持っていないのです。約350年間作り続けられた前方後円墳は、最近の研究ではかなりの短期間でほぼ全国一斉に造営が終了したと考えられています。それは先に挙げた広瀬氏の論文では「7世紀初頭の前方後円墳造営の停止は、350年間つづいた墳墓を媒介とした政治システムの一大転換であった」というように、極めて大きな変革であり、それまでの政治、社会体制との決別を意味することに他ならなかったとの見解です。古墳巡りを趣味とする私にとって、あれだけ立派な前方後円墳を築造することに執心していた人々が、しかも造営中止直前まで見瀬丸山古墳金鈴塚古墳のような立派な古墳を造り続けてきたのにも関わらず、短期間でほぼ一斉に築造が終わった事実を見ると、広瀬氏の見解はとても説得力のあるものに感じます。
もちろんここで私の歴史認識で記事を作成するべきだと主張するつもりは全くありませんし、広瀬氏の見解をもとに記事を書くべきだと主張するつもりもありません。大体広瀬氏自身が自らの意見を「通説とは異なる」と言っているわけですから……ただ是非留意していただきたいことは、広瀬氏は現在の研究者の中でも第一線の研究者であることに異論を唱える人は極めて少ない人物で、そんな第一線の研究者から「通説」への厳しい批判が唱えられる現状では、先にウスミユリカさんが書かれたような「専門の古代史家の間で得られつつあるコンセンサスの方向」などといったものは、現状では存在しないと言わざるを得ない点です。それだからこそ専門家間で用語が一定しないのだし、この場で論議している私たちの時代認識の違いも大きくなりがちになる、その結果、話がなかなかまとまりにくくなるというのが現状だと思います。
またここでは邪馬台国の記述についての意見が交わされていますが、前方後円墳築造終了後の大型方墳などが造営された、いわゆる終末期古墳の時代を古墳時代とするのどうかについても論争になっています。こちらも実は「古墳時代ないし古墳の終焉に対する把握の仕方は研究者により異なっていることは明らかである(下原幸裕 西日本の終末期古墳 中国書店(2006)p.34 ISBN 4-924779-90-3)」というありさまなのです。
私も「ヤマト王権」について詳しく加筆しようと考えたこともありましたが、上記のように根本的なところからして専門家間の意見がまとまっていないことがあまりに多くて、私から見て多くの地雷が埋まっているように感じ、とてもとても一朝一夕には書ける内容ではない…と感じていました。正直、Chokorinさんが「わたしにはしっかりと到着点はみえています」と断言できる自信はいったいどこから来ているのだろうか?と思っています。
長くなりましたが、以下に「ヤマト王権」の冒頭文についての私の意見を述べます。
1.現状では研究者、そして考古学や歴史学の現場で最も多く使用されていることから、項目名は「ヤマト王権」ということで良いと思います。
2.「大和朝廷」は世間一般で広範囲に用いられている言葉なので、冒頭文内で太字で紹介する。「ヤマト王権」と併記するかどうかは私としてはこだわらない。これは皆さんの意見を集約する中で決めていただければと思います。
3.Chokorinさんの「5世紀以前の政権・政治組織については「大和朝廷」の名称が不適切だという指摘が多く」の表記については反対。理由はまず前段の「5世紀以前」ですが、大和朝廷を使用する場合、多くの場合、最初から最後まで大和朝廷を通しており、最初は「ヤマト王権」など別の言葉を用いて、途中から「大和朝廷」を使用する例の方が少数であることと、5世紀以降「大和朝廷」という用語が適切となる根拠が不明確(少なくとも学会での多数意見とは考えがたい)点を挙げます。また「名称が不適切」については、確かに学会で「大和朝廷」という言葉を使わなくなってきたことは確認できるが、例えば仁徳天皇陵大仙古墳と呼ばれるようになるなど、天皇陵の名前を古墳そのものの名で呼ぶようになった経過と同じような、「大和朝廷」が不適切であるとする動きが学会内で広く起こったという事実が確認されないことを挙げます。
4.ヤマト(大和でも同じことです)と王権(王権でも政権でも朝廷でも私には大差なく感じます)ともに用語としてふさわしくないとする、「首長連合」説にも一定の配慮が出来れば望ましい。(この点は強くは主張しません。難しいようならば本文で説明するのも可だと考えます)
5.現状では「ヤマト王権」と「大和朝廷」の記事分割を行うべきとの積極的根拠は見出しがたく、分割は賛成しがたい。もちろん「ヤマト王権」の説明の中で該当部分を詳述することは、中立性に細心の注意を払って行うのならば歓迎されるべきことと考えます。--のりまき 2009年11月13日 (金) 16:59 (UTC)文章一部修正--のりまき 2009年11月13日 (金) 17:04 (UTC)

定説のない状況であることは、のりまきさんの御説明でいっそうよくわかりました。ただ、わたしはむしろ「前方後円墳国家」という記事があってもよいと思うのです。そこでは広瀬氏が「王権」の語に対して感じている疑義や「国家」の語を使用する理由が書かれればよい。そして、前方後円墳の編年による古墳時代史が叙述されればよい。広瀬氏によれば、「王権」と「朝廷」の違いなど大した問題とはしていないということも書けばよい、のではないでしょうか。もちろん、Nifeさんおっしゃるように、誘導さえしっかりおこなえば、の話です。

「中立性」ということに対して、わたしの意見がある一部の人からは曲解されているように感じた場面があります。それに対し、あえて極論を申せば、「前方後円墳国家」「ヤマト王権」「大和朝廷」何でもよい、とにかく、ある語をチョイスした時点で(1つでも2つでも同じことです)中立性なんかないと思いますし、「古墳時代」という言葉を使用している以上、つまり、考古資料である古墳を年代の指標としている以上、完全に中立ではない(「考古学など無視していい」という立場を無視しています)と思います。「考古学など無視していい」という立場は、結構このノートにも少なからず存在しており、そういう立場まで含めて、その全体において厳密に中立であろうとすると「3世紀から7世紀前半までの国家と政治」みたいになるでしょう。定説のない場では、そうならざるを得ません。そこまで徹底して中立性にこだわるというのなら、そして、そういうコンセンサスが成り立っているならば、わたしはそれにしたがいます。そのタイトルなら、分割はまったく必要ないと思います。今までのすべての論争にも決着がつきます。

それがなかなかできないというのなら、いろいろあってよいと思います。「前方後円墳国家」「ヤマト王権」「大和朝廷」3つの記事があれば、読者は相当立体的にこの時代の様相を把握することができますし、複雑さも理解できる。「王権」でも「朝廷」でも大差なく感じるという人も当然いるわけですし、そういう人の立場ももちろん尊重されるべきですが、いや、「王権」と「朝廷」では全然違うんだという人もいるわけで、そういう意見を無視していいとは思わないし、意見の対立を無化してはいけないと思うのです。

のりまきさんほどの方が「地雷が埋まっていて書けない」と筆が渋ることは最も不幸なことであり、中立性を大上段に構えながらそういう状態に陥るよりは、「ヤマト王権」「前方後円墳国家」「大和朝廷」その3つを読み比べて結果的に読者が中立な地点に近づけるのなら、わたしはその方が生産的だと思います。定説がなく、用語法や語の使い分けも人さまざまである以上、語の違いは単純な同物異称や異名ではありえません。ひとつの語にはすでに特定の観点・立場が入り込んでいます。羽柴秀吉=豊臣秀吉という同人異称の話とは次元が違います。はじめに中立性ありきで停滞するよりは、個々の細かい情報の積み上げと複眼的なものの見方を保障していくことで、読者・執筆者ともに中立性に近づいていく。定説のない場では、そういう方法もアリではないか。Wikipediaのルールもいいけれど、Wikipediaのシステムの良さを活用することを考えてもいいのではないか。以上が、わたしが分割を主張する理由です。--Chokorin 2009年11月13日 (金) 21:29 (UTC)(加筆)--Chokorin 2009年11月13日 (金) 21:41 (UTC)

Wikipedia:中立的な観点Wikipedia:独自研究は載せないは、WPを執筆する上での公式方針であり、誰もがこれを遵守するという前提でノートで議論に参加しています。定説のない中ではこの方針があることを忘れてはならないと思いますが。--TENDERAS 2009年11月14日 (土) 03:50 (UTC)

分割議論と冒頭修正の2点の合意形成方法について 編集

記事分割と本記事の冒頭文の修正を同時に行うとなると、合意を得るのが大変難しいですね。分割を前提とした場合、本記事の冒頭文はヤマト王権を主とした記述でいいでしょうし、分割をしないのなら大和朝廷との中立性を確保しながら、両論並記で記述しなければなりません。一週間ほど議論して、まず分割に賛成か反対かで投票を行い、その結果によって改めて冒頭文の修正議論をしたほうがいいと思いますがいかがでしょうか。--薔薇騎士団 2009年11月14日 (土) 02:44 (UTC)

  コメント8月の保護時も一部に分割議論はありましたが、冒頭文の合意形成については「分割しない」という大前提の上での冒頭文の修正でした。ですので、ああだこうだと議論がありましたが、大前提を崩すような議論はどなたもなされなかったので、一つの合意形成がなされたと解しています。では、今なぜこれほど合意着地点が見えてこないのかというと、「冒頭文を修正すべき」「記事を分割すべき」という本来であれば記事を執筆する上では並列しえない議論を同時にしている上に、「分割して記事を作ってから必要であれば統合議論したらいい」という未来永劫の主張がなされているからだと思います。今、現時点でどのように合意形成するのがベターなのかの手法を確認しないことには、合意着地点が見えてきません。10月27日の記事保護以降、概ねそれぞれの主張は本ノートで出尽くした感はありますが、意見の隔たりはあります。でも一定の合意着地点は見出したい。私は当初は冒頭文修正合意→保護解除→記事充実をしてから、分割提案の方がスムーズかなと思っておりましたが、議論の進行を拝察するに薔薇騎士団さんが仰せのとおり、分割に対する賛否の合意形成を行い(場合によっては投票)、その後に記事の冒頭修正文(分割する場合はそれぞれの冒頭文)の議論および合意形成をはかり、保護解除→記事充実をする方がベターかなと思います。--TENDERAS 2009年11月14日 (土) 04:45 (UTC)
  賛成 このままでは議論が拡散するばかりですので上記に賛成します。--Arstriker 2009年11月14日 (土) 14:27 (UTC)
  賛成 「ヤマト王権」は「ヤマト(三輪、大和、大和+河内、倭国)の王権」、「大和朝廷」は「大和の朝廷」、「前方後円墳国家」は「前方後円墳が特別の意味をもった国家」です。定義は語自身のなかにふくまれている。分割さえ認められれば簡単に解決する問題だと思います。--Chokorin 2009年11月14日 (土) 22:20 (UTC)
  賛成 理由は既に述べたとおりです。--Nife 2009年11月14日 (土) 23:18 (UTC)
  コメント前方後円墳国家については、現在記事が立稿されておらない上に、現時点ではある識者の一つの考えという点では、今回の分割議論とは切り離してもらった方がよいのでは?大和朝廷の分割議論の根底にあるものとして、少なくともこの用語に関して色んな議論があるという前提がありますが、前方後円墳国家については議論が分かれている状態ではありませんし、仮にここにリダイレクト記事を作られても、それこそ読み手側に誤解を招くだけなので、必要であれば別で記事を書いてくださいとしか言いようがないかと。--TENDERAS 2009年11月15日 (日) 00:30 (UTC)
  コメント「別で記事を書いてもいい」というTENDERASさんの意見はわたしと同じ意見ですが、のりまきさんは「前方後円墳国家」についても同じ項目「ヤマト王権」のなかで扱うべきと考えておられるのではないでしょうか。わたしには、その点は「議論が分かれている状態」であるようにみえます。そのへんもハッキリさせておいた方がいいと思います。--Chokorin 2009年11月15日 (日) 01:17 (UTC)(微加筆)--Chokorin 2009年11月15日 (日) 01:46 (UTC)
  コメントなんか呼ばれているようですね(笑)。どうやら皆さんに私が最初に説明した「この問題の根深さ、厄介さ、そしてまとめることの難しさ」が理解していただけたように思います。まず「ヤマト王権」と「大和朝廷」の分割について最初に検討する提案ですが、分割するしないでは冒頭文や記事の内容が変わってしまうのは当然ですので賛成します。ところでこれってあくまで分割提案を先に検討するかどうかについての賛否ですよね?私としては分割そのものの賛否は、もう少し時間をかけて決めたいのです。あと「前方後円墳国家」の扱いですが、有力な研究者であるとはいえ一研究者の説を記事として立てるというのはいかがなものかと…この件は例えば「日本における古墳の築造史」という記事を立て、古墳の中でも前方後円墳築造が持つ意味について触れながら紹介していく方法もあるのではないかと考えていますがいかがでしょう?--のりまき 2009年11月15日 (日) 01:55 (UTC)
  コメントあくまでも、分割提案を先に検討するかどうかについての賛否です。分割そのものについては、その後の話です。--Chokorin 2009年11月15日 (日) 02:06 (UTC)
  コメントのりまきさんの後段について。「日本における古墳の築造史」であれば「古墳」に書けばいいんじゃないかという気もします(笑)。あるいは「前方後円墳」の記事に広瀬氏の見解を紹介することも可能であり、容易だと思います。「前方後円墳国家」という概念はしかし、広瀬氏の弥生時代に対する理解と切り離せないし、古墳築造をやめるということの断絶を強調しているわけですから、単に古墳時代のなかだけでない年代観・時代認識の主張ではないかと思います(たぶん)。それならば、一研究者の説とはいえ、充分に特筆性があるとわたしは考えます。--Chokorin 2009年11月15日 (日) 02:43 (UTC)
  コメント大和朝廷・ヤマト王権・倭王権は、考古学も加味した文献史学主体の概念。前方後円墳国家は考古学主体で提唱された概念。そういう観点で現在の学史的なプロセスの位置づけでは無理にすりあわせをしてひとつの記事にする必要もない段階なのではないかと思います。いつかは統合的に論じることのできる時代が来るかもしれませんが。--ウミユスリカ 2009年11月15日 (日) 03:29 (UTC)
  コメントこの場はあくまで「ヤマト王権」と「大和朝廷」の扱いをどうするかが主題ですので、まずは「ヤマト王権」「大和朝廷」の分割をどうするかについて話し合い、その後必要があれば「前方後円墳国家」の扱いを考えるのが良いかと思います。ただ念のため、「古墳」という言葉は日本固有のものではないため、「古墳」の記事の中で「日本における古墳の築造史」や「前方後円墳国家」について詳しく説明するのは無理があると思います。また韓国でも前方後円墳が発見されているわけで、「前方後円墳」の記事の中というのは大きな地雷となりうる問題を引き起こしかねない……という考えもあって、「日本における古墳の築造史」という記事の中で前方後円墳国家を紹介するという試案を提示したということを付け加えたく思います。--のりまき 2009年11月15日 (日) 05:17 (UTC)
  コメントなるほど。わかりました。「前方後円墳国家」については、後で話し合うということで了解しました。--Chokorin 2009年11月15日 (日) 07:12 (UTC)
  コメント念のため確認ですが、ヤマト王権へのリダイレクト記事は他にもやまと政権やまと王権やまと朝廷大和王朝大和国家ヤマト朝廷ヤマト政権大和王権大和政権がありますが、仮に大和朝廷とヤマト王権に分割するとした場合、これらのリダイレクト記事はどのように整理しますか?--TENDERAS 2009年11月15日 (日) 09:20 (UTC)
  コメント基本的には分割が決まったあとの議論になると思いますが、現段階での私見を申し述べると、「○○政権」「○○王権」は「ヤマト王権」、「○○朝廷」は「大和朝廷」、「大和国家」(あまり見ない表現です)は「倭国」あたりがいいんじゃないでしょうか。「大和王朝」はお手上げですね。これって九州王朝説のタームなんじゃないですか? 聞いたことがない。--Chokorin 2009年11月15日 (日) 09:41 (UTC)
  コメント…と思ったら、「倭国」は「倭」と統合されるようなので、現状「ヤマト王権」へのリダイレクトになっているようですから、そのままでいいのかなと思います。「大和王朝」も同様と思います。いずれにしても、分割の是非の検討後、分割が決まったとしたら話し合えばいいでしょう。--Chokorin 2009年11月15日 (日) 11:50 (UTC)
  コメントおおむね賛成がいただけたようなので、一週間後に分割提案の投票を行いたいと思います。それまでご意見よろしくお願い致します。--薔薇騎士団 2009年11月16日 (月) 02:20 (UTC)
  コメント薔薇騎士団さんへ、少しお聞きするのが早いのかもしれませんが、仮に分割投票を実施するとした場合、Wikipedia:投票による投票を想定していることと思いますが、実施するとした場合、投票の開始・終了日時及び投票資格等をどのように想定しているのか、お聞かせください。--TENDERAS 2009年11月16日 (月) 04:53 (UTC)
投票期間はおおむね一週間程度を想定していますが、投票資格は考えていなかったです。こういう場合、IPユーザーは除外するもののでしょうか。何分経験がないので、正直よく分からないです。もちろん多重アカウントによる複数投票は除外されると思いますが(多重アカウント自体がダメなのではなく、複数投票という意味で)。--薔薇騎士団 2009年11月16日 (月) 10:33 (UTC)
実施されるとした場合は、ある程度責任をもった方の投票をお願いしたい。そういう意味ではIPユーザーや編集回数が50回未満の方は除外すべきだと思います。現時点で議論に参加されている方は、IPユーザもいませんし、編集回数も一定程度の回数をこなされている方なので問題はないかと思います。提案者の薔薇騎士団さんでTemplate:投票で投票私案を作ってもらえれば、投票に向けた議論がしやすくなるかなと思います。私自身は投票には積極的な賛成ではないのですが、現時点で複数の賛成者がいるので、具体的な投票案について確認してもよいかなと。--TENDERAS 2009年11月16日 (月) 15:50 (UTC)

投票テンプレート試案 編集

以下のものを作成してみました。これでよろしいでしょうか。ご意見お願いします。--薔薇騎士団 2009年11月17日 (火) 02:31 (UTC)

投票の主題 ヤマト王権大和朝廷への記事分割について(試案)
投票場所 ノート:ヤマト王権#大和朝廷との記事分割の投票(仮称)
投票に先立つ議論
投票者の資格
  • 下記2つの条件をどちらも満たしていること。
  1. ログインユーザーであること。
  2. 2009年11月21日 00:00:00 (UTC) の時点で全名前空間の編集回数50回以上であること。
投票期間 2009年11月21日00:00:00(UTC)から2009年11月28日00:00:00(UTC)までの1週間。
投票のルール
  • 一人一票とする。
  • 多重アカウントによる複数投票はすべて無効とする。
  • 得票数が同数の場合、投票期間を3日間延長する。
  • 選択肢は以下の2つとする。
  1. 大和朝廷との記事分割賛成
  2. 大和朝廷との記事分割反対
異存ありません。--Arstriker 2009年11月17日 (火) 14:02 (UTC)
  コメント問題ないと思います。--Chokorin 2009年11月18日 (水) 02:25 (UTC)
薔薇騎士団さんのテンプレート試案で進めていただいてよいと思います。--Nife 2009年11月19日 (木) 20:29 (UTC)
話し合いの余地もあると思い、投票には積極的な賛成ではないですが、実施されるとした場合は、上記の試案で問題ないかと思います。告知等、ご足労をおかけしますが、提案者でお願い致します。--TENDERAS 2009年11月19日 (木) 23:59 (UTC)
コメントありがとうございます。では、明日朝に正式に投票テンプレートを貼付して投票を行いたいと思います。--薔薇騎士団 2009年11月20日 (金) 00:17 (UTC)
  コメントTENDERASさんの御意見について。話し合いの余地があるのならば、話し合ってもよいと思います。自分としては、「何が何でも分割」というふうにこだわるつもりもないですし、投票を急がなくてはならない理由が特にあるわけでもありません。たとえば、「大和朝廷」は「朝廷」にリダイレクトして、そのなかでごく簡単にふれるという方法も検討していいかもしれません。ただ、「Wikipedia:スタイルマニュアル (導入部)」によれば、「概要文」節のなかに、「導入部には定義に続いて記事の概要を記します」とあるので、本来ならば冒頭文・導入文というのは「記事の概要の書ける人」つまり「記事を最初から最後まで通して書いた人」あるいは「記事を最初から最後まで通して読んで加筆修正した人」(でなければ概要は書けないはずです)が決めるべきなのではないかという思いはあります。積極的になれないということであれば、そこも含めて話し合いの機会を持ってもいいかもしれません。--Chokorin 2009年11月20日 (金) 15:15 (UTC)
  コメントWikipedeiaはそもそも共同作業の場所ですから、大勢が投票ということであれば、分割投票に異存ありません。反対しないといっているだけです。今更、そのことについて議論するつもりはありません。Chokorinさんも何が何でも分割に拘っていないのであれば、投票結果に基づいて、その後の議論に参加してもらえたらと思います。また、必ずしも「記事の概要の書ける人」が冒頭文について決定すべきだとは全く思っておりません。Wikipedeiaは共同作業の場所であり、お互いの英知を結集する場所なのですから、ある特定の人の英知を披露する場所ではありません。いずれにせよ、まもなく投票開始です。結果には粛々と従います。--TENDERAS 2009年11月20日 (金) 23:50 (UTC)
  コメント「特定の人の英知を披露する場」と言っているのはどなたなんでしょうか。共同作業の場であることは確かにそうなんでしょうが、ちゃんと出典付きで話しているのはのりまきさんとウミユスリカさんくらいのものです。私もすべて出典付きで語っていますよ。冒頭だけ切り離して中身はともあれ概要を決めちゃおうというのが「英知」なのでしょうか。私が異論を発しているのは、まさにそこなんですがね(笑)。--Chokorin 2009年11月26日 (木) 00:53 (UTC)

武光誠『邪馬台国と大和朝廷』 編集

のりまきさんが御紹介してくださいました武光『邪馬台国と大和朝廷』ですが、amazonのレビューなどをみると、少しのりまきさんの御紹介とは異なる紹介がなされているようです。分割投票とは直接関係のない話なので、ここに節を設けさせていただきました。結局のところ、武光さんはどういう主張なのでしょうか。レビューのなかには騎馬民族説まで出てきており、非常に混乱してしまっているのですが。--Chokorin 2009年11月26日 (木) 00:53 (UTC) http://www.amazon.co.jp/%E9%82%AA%E9%A6%AC%E5%8F%B0%E5%9B%BD%E3%81%A8%E5%A4%A7%E5%92%8C%E6%9C%9D%E5%BB%B7-%E5%B9%B3%E5%87%A1%E7%A4%BE%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E6%AD%A6%E5%85%89-%E8%AA%A0/dp/4582852246/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1259195879&sr=8-1

大和朝廷との記事分割の投票 編集

投票の主題 ヤマト王権大和朝廷への記事分割について
投票場所 ノート:ヤマト王権#大和朝廷との記事分割の投票
投票に先立つ議論
投票者の資格
  • 下記2つの条件をどちらも満たしていること。
  1. ログインユーザーであること。
  2. 2009年11月21日 00:00:00 (UTC) の時点で全名前空間の編集回数50回以上であること。
投票期間 2009年11月21日00:00:00(UTC)から2009年11月28日00:00:00(UTC)までの1週間。
投票のルール
  • 一人一票とする。
  • 多重アカウントによる複数投票はすべて無効とする。
  • 得票数が同数の場合、投票期間を3日間延長する。
  • 選択肢は以下の2つとする。
  1. 大和朝廷との記事分割賛成
  2. 大和朝廷との記事分割反対

上記議題について、本日より一週間投票を行いたいと思いますので、よろしくお願い致します。--薔薇騎士団 2009年11月20日 (金) 23:55 (UTC)

投票所 編集

ヤマト王権と大和朝廷の分割に賛成
  1. Chokorin 2009年11月21日 (土) 02:18 (UTC)
  2. Nife 2009年11月21日 (土) 12:55 (UTC)
  3. 8943l 2009年11月25日 (水) 05:05 (UTC)
ヤマト王権と大和朝廷の分割に反対
  1. TENDERAS 2009年11月21日 (土) 00:38 (UTC)
  2. Arstriker 2009年11月21日 (土) 05:57 (UTC)
  3. 清涼里588 2009年11月22日 (日) 09:13 (UTC)
  4. 水野白楓 2009年11月22日 (日) 16:20 (UTC)
  5. Kanohara 2009年11月23日 (月) 19:40 (UTC)
  6. Su-no-G 2009年11月24日 (火) 03:18 (UTC)
  7. ろう(Law soma) D C 2009年11月24日 (火) 03:35 (UTC)
  8. のりまき 2009年11月26日 (木) 10:35 (UTC)
  9. ししゃもすとりーと 2009年11月26日 (木) 13:23 (UTC)
  10. Chichiii  2009年11月26日 (木) 15:30 (UTC)
  11. Nekosuki600 2009年11月26日 (木) 19:21 (UTC)

コメント 編集

  •   コメント議論に参加してきましたが、分割に積極的に賛成できる材料が一つも見当たりませんでした。--TENDERAS 2009年11月21日 (土) 00:38 (UTC)
  •   コメント分割記事の試案として「大和朝廷」を提示します。専門家が学術語として用いる際の用法と人口に膾炙した一般通念としての用法が乖離している状況では、別のコンテンツとすることが適切と考えます。20~15年前に研究者で生じた「大和朝廷」→「ヤマト王権」の語の転換は、高校教科書から中学教科書、学習指導要領へと、最近では国語辞書の見出しやマスコミにまでおよんでおり、いまが過渡期と考えます。過渡期においては両語の重なり方、また、重なり合わない部分もふくめ両方を詳しく紹介する必要があると考えます。さらに、両語を使い分ける事例も少なくないので、分割に賛成です。--Chokorin 2009年11月21日 (土) 02:18 (UTC)
  •   コメント天狐様、投票ありがとうございます。ただ、[2](11月21日段階で36回)によれば、残念ながら編集回数50回には満たないようです。--Chokorin 2009年11月21日 (土) 05:32 (UTC)微加筆Chokorin 2009年11月21日 (土) 05:34 (UTC)
  •   コメント異なる概念を表す用語として認めるには時期尚早。天狐さんの投票につきましてはコメントアウトさせていただきました。--Arstriker 2009年11月21日 (土) 06:04 (UTC)
  •   コメント意見を拝見しましたが分割に積極的に賛成できる材料がないことと、これを分割している百科事典を見たことがないため反対しておきます。--清涼里588 2009年11月22日 (日) 09:13 (UTC)
  •   コメント基本的には清涼里588さんと同じ意見ですが、大和朝廷→ヤマト王権の過渡期であることは認められても、双方の概念が分割を要するほど違いのあるものかについては、現段階では疑問があると思います。--水野白楓 2009年11月22日 (日) 16:20 (UTC)
  •   コメント両者の違いを説明する上でも、情報は一箇所にまとまっているべきだと考えます。分割に反対します。--Kanohara 2009年11月23日 (月) 19:40 (UTC)
  •   コメント「過渡期性」ということに関して、おそらく皆さん以上にわたしが厳しい見方をしていることを付言しておきます。たとえば、1988年の百科事典では「大和朝廷の表記は不適であり、なおかつヤマト王権とヤマト朝廷は分けて考えるべきだ」という平野邦雄の主張でさえ、項目見出しは「大和朝廷」でした。しかし、近年発行される百科事典、日本史事典の類からは「大和朝廷」の名は急速に消えているのです。国語辞典ですら「大和政権」です。21年の高校の学習指導要領ではついに名称が消えました。その一方で、「ヤマト王権」の呼称でいいのかという疑問が「別の観点から」なされているのです。これは前方後円墳国家、首長連合、地域国家論などと呼ばれる立場から、そして、王権、王位、王統の成立という課題意識からです。いわば2つの過渡期をかかえている。これを同じ項目のなかで書こうというのは、個人的には、無謀と考えます。みなさんの英知を結集すれば可能なのかもしれませんが。それにまあ、ヤマトタケルの英雄譚だとか神武東征説話、皇室行事や神道・神社にまつわる沿革などは「ヤマト王権」にはあまり書くべきではないが、「大和朝廷」には絶対書くべき事柄なのではないかと考えます。あくまで個人的な見解ですが。ただし、こう書いたからといって投票結果には従いますので御安心を。--Chokorin 2009年11月24日 (火) 02:14 (UTC)
  •   コメントChokorinさんの趣旨は理解できたが時期尚早と思います。意見としては清涼里588さんや水野白楓さんに近いので繰り返しませんが。--ろう(Law soma) D C 2009年11月24日 (火) 03:38 (UTC)
  •   コメント「時期尚早」という意見は理解に苦しみますね。むしろ、時期を失してしまって後手になっているとしか思えませんが。1人ならず2人もそういう発言が出てくるとは驚いてしまいます。これで合意がはかれるのなら、何も無理して「大和朝廷」を並列書きにしてもぐり込ませる必要はなかったとしか言いようがありません。次の議論では、現状認識からスタートした方がいいかもしれませんね。イデオロギーは排除するという前提で。--Chokorin 2009年11月24日 (火) 04:09 (UTC)
  •   コメント読んでいるうちにどちらに投票したらいいのか分からなくなりました。この投票は「同じ概念の記事を別の観点から二本立てる分割」なのでしようか?あるいは「歴史学的な当時の政体構造や運用沿革についての記事であるヤマト王権」と「近代以降の呼称問題や言説史・史観変遷を扱う大和朝廷」への分割なのでしょうか?前者であれば反対、後者であって太平洋戦争大東亜戦争のような関係であれば賛成しようかと思いましたが・・・それぞれ何の記事を書く前提の議論であり投票なのか読みとれませんでした。--Yasumi 2009年11月25日 (水) 11:33 (UTC)
  •   コメント確かにYasumiさんのおっしゃる通りですね。「分割反対」の人は「同じ概念」というふうに考えているようですが、わたくしなどはそうは考えられなかったというのが分割の主張の根本にはあります。実際のところ、「王権」と「朝廷」ですから、本来は別モノなわけです。ただ、他に適切な用語がないという状態が長くつづきましたから、「たまたま同じものを指していた時期がある」というだけの話なわけですが、ここ数年、急速に両語の言い換え、語の転換が進んでいて、再び別モノに戻りつつあるということでしょう。15年前、20年前なら確かに「時期尚早」という言葉が出てきても不思議ではありません。で、わたしとしては「ヤマト王権」はYasumiさんおっしゃるような記事、「古墳時代の政治組織」に関する実証的な記事にしたかった。「大和朝廷」に関しては、「大和朝廷」にまつわる呼称問題・言説史・史観変遷のようなものにプラスして、皇室の祖としての歴史的実在としては、「大和朝廷」は、学術的・実証的な話題とは無関係に、それを越えたメタなレベルでは今も生きているわけなので、そういうことも含めて書くべきではないかと主張しました。皇統譜や伝承、神話、神事、神道、年中行事のようなかたちでそれは生きており、実証的にみて史実かどうかは抜きとして、千年以上も信じられてきたとすれば、もはやそれも歴史なわけです。今でも皇室の方が記紀の神話に登場する神や神社を詣でたりするニュースが流れたりすることがあるわけですが、これはヤマト王権に書くべきではなく、大和朝廷に書くべきことではないかと思っていました。これは、積極的な分割理由になるのではないかと思っておりましたが、そこのところは、あまり賛同者が多くないようです。他にも、大嘗祭だとか「大和朝廷」に書くことはいっぱいあるのではないかという気はしています。「それぞれ何の記事を書く前提の議論であるか」というのは、最も重視すべきことであり、私も再三申し上げているのですが、どうも、そういう話題自体が嫌いだという方が多いようにみえます。Yasumiさんは、ぜひ「分割反対」の方の御意見も参照になさってみてください。--Chokorin 2009年11月25日 (水) 12:19 (UTC)、加筆・文章微調整--Chokorin 2009年11月26日 (木) 00:00 (UTC)
  •   コメント確認します。「分割反対」の方々は、「大和朝廷」の語を「古墳時代の政治組織」という限定的な意味合いでのみ使用することに賛成だとみなしてよいのでしょうか。そうだとすると、ヤマト王権と同義で「大和朝廷」の語を使用している研究者は、現状では武光誠氏だけだということに異存ないでしょうか。かれの著作をみると、「大和朝廷」の起こりということで「神武東征」「長髄彦」の話を掲げていますが、それもまた、ヤマト王権の記事のなかだけで扱うべきとお考えでしょうか。そのあたりも含め、責任ある御説明、コメントをお願いします。--Chokorin 2009年11月26日 (木) 00:19 (UTC)
  •   コメント私的な理由でウィキブレイクを取った後、体調を崩してしまい、また本調子ではないのであまり議論に参加できず申しわけありませんが、とりあえず意見表明をします。正直悩みました。私本人としては「ヤマト王権」と「大和朝廷」は別概念ではないかとも考えており、分割した方が問題解決が進むのではとも考えたのですが。皆さんがおっしゃられている通り、私から見てもやはり現在の段階で別記事にする根拠がはっきりしないのが分割に反対する理由です。取り急ぎ意見表明のみいたします。--のりまき 2009年11月26日 (木) 10:35 (UTC)
  • なんてーかこう・・・。もしも仮にまかりまちがって「分割すべき理由」に説得力があったとしても、使う側からしたら俯瞰的に情報を見れる方がいいわけで、なるべく統合しておこうというベクトルがフツーだと思うんだよね。分割した上でそれぞれが勝手に育ったりしたら、それは迷惑以外のなにものでもないのです。妥協して合意を形成しようというベクトルがあるんだったら、この項目で「分割」なんていうことを言い出すはずはないだろうと思うのだった。要するになんだ、明確に遠慮せずに言うなら、「分割を指向する者は智をナメているのではないか」という感じ。更にきついことを言うなら「自ら隔離されたいなら、Wikipedia内で隔離項目を作ろうとするのではなく、外の自分のサイトでやれ」とでも言えばいいんでしょーか。--Nekosuki600 2009年11月26日 (木) 19:26 (UTC)
  •   コメント投票期間中は、投票に影響が出ることも考えておりましたので、一切のコメントをしないつもりでした。投票が終了したので、補足だけしときます。Yasumiさんにより、太平洋戦争大東亜戦争を一例として出されていますが、Yahoo!辞書によれば、太平洋戦争と大東亜戦争は同義語とは捉えられていませんが、ヤマト王権と大和朝廷は同義語として捉えられています。私が分割に反対したのは、その事実を覆すだけの意見が現れなかったということだけです。--TENDERAS 2009年11月28日 (土) 02:28 (UTC)

投票結果の確認 編集

投票期間中の投票としては、分割に賛成が3票、分割に反対が12票でしたが、天狐さんについては投票資格にあった「50回以上の編集作業」を満たされていなかったため、無効票扱いとなりました。よって、最終結果としては、分割に賛成が3票、分割に反対が11票となりました。これにより、得票を多数獲得した『ヤマト王権と大和朝廷の記事は分割しない』という前提で、今後の議論を進めていきます。--TENDERAS 2009年11月28日 (土) 02:28 (UTC)

次の議論に進む前に 編集

  コメントNekosuki600さんおっしゃる「分割を指向する者」というのはどなたのことなのか? もしかしたら、私もそのなかに入っているかもしれないので、こちらに書かせてもらいます。私でないとしたら黙殺してくださって結構。わたしでアタリだとすれば、反論どーぞ。確かにまあ、投票コメント欄で発言すると、何が何でも分割派みたいに受けとられかねないようであり、これは身から出たサビ、まことに迂闊であったというほかありません。別の場所を設定しておけばよかったとは思います。また、Nekosuki600さんが「分割すべき理由」に説得力を感じておられないこと、さらに多くの方が同様に説得力を感じておられないようだということはよく理解しました。「俯瞰的に見られる方がよい」というのもおそらくその通りなのでしょう。しかし、分割した上でそれぞれの記事が育ってくれることは、「智」なるものを、もしNekosuki600さんが本当に真剣にお考えなのならば、むしろ歓迎すべきことのはずです。なぜ、迷惑なのでしょうか? 「迷惑以外のなにものでない」と言ったところで、たかがクリック1つの手間にすぎません。しかし、現状ではむしろ、ヤマト王権と大和朝廷とをどうあっても同一項目で扱うべきだということに拘泥した結果、何度も記事に保護がかかってしまっているという有様なのです。それで、何ヶ月も加筆や修正ができない状態になってしまっているのです。「鉄は熱いうちに打て」と申しますが、調べたことをリアルタイムに反映できないような状態が続いてしまっていることは、重くみるべきでしょう。1か月もあれば論文数本程度は読めるわけです。教科書の太ゴチックになるほどの重要語がそれでいいはずがありません。それにまたたいへん困ったことに、今まで中国史に関して優れた記事をたくさん書かれた執筆者が筆を折ってしまっています。とても残念なことで、一刻も早く戻ってきていただきたいと考えます。

次に申し上げたいことは、この「ヤマト王権」の記事を最初から最後まで読んでみてください。以前も申し上げましたが、この記事は「ヤマト王権」の説明にはなっていても、「大和朝廷」の説明には全然なっていないのです。冒頭文に無理矢理「大和朝廷」をねじこんだ人たちは、一行さえ大和朝廷について加筆していないのです。「俯瞰」も何も、そこにもともと無いものは見えない。違いますか? こう言っては何ですが、「隔離記事」であれ何であれ、私が大和朝廷について書いたから「俯瞰」も可能になったのです。まあ、そういう点からすれば、Nekosuki600さんの御意見は、人の尻馬に乗って大きく見せてはいるけれども、単にこけおどし以上の何物でもありません。それで何か言った気になっているとしたらお笑いです。

まあ、この投票が、はからずも「智の集積」ということでは、どちらが智を集積しやすいのか、どちらがシナジー効果を上げうるのかということについての投票にもなっていることは確かです。一種の経済的判断が求められているし、賭になってしまっている。前にも申し上げましたが、別段、わたしは何が何でも分割にこだわっているわけではありません。どちらに転んでもたいして自分は痛くもかゆくもないわけです。私の書いたものは全部出典付きの話ですから、私からすれば個々の記載を「大和朝廷」に入れるか「ヤマト王権」に入れるかという違いにすぎません。分割せずということであれば、要するに「ヤマト王権」という項目では、〔ヤマト王権に代表される古墳時代の政権・政治組織〕と〔大和朝廷と長い間呼ばれてきた歴史事象〕の両方を記述すればよいということであり、それで気がすむという人が多いのなら、それにしたがうほかないでしょう。「単純並列書きをやめる」「学習指導要領についての記述をやめる」、この2つさえ実現すれば他はどうでもよいというふうにずっと前に妥協案は提示しているわけです。それがどうしてもイヤだという人がいることから、じゃあ賭になるかもしれないが分割もいいなという流れなわけです。ただ、記事の発展と充実、古墳時代の政治に焦点化された質の高い記述の保障、冒頭文をめぐる論争を最終的に解決すること、保護を解除して加筆可能な状況を一刻も早く実現すること、これらを総合的に判断していけば分割も悪くないと今でも思っています。とりあえずは、分割せずにいこうという合意なわけですから、それにしたがうことはお約束します。--Chokorin 2009年11月27日 (金) 09:34 (UTC) (節名変更)--Chokorin 2009年11月27日 (金) 18:11 (UTC)

これまでの流れ 編集

さて、「ヤマト王権」と「大和朝廷」は分割せずということにあいなりました。分割反対のみなさま、おめでとうございました。早速、この記事をどうするのか。内容・構成そして冒頭文をどうするのかについて話し合うことといたしましょう。それに先だって、これまでの大きな流れを簡単にふりかえります。

まず、この記事の初稿は2003年3月25日と古く、立項者はKzhrさんです。そのときの項目名は「大和朝廷」でした。その後、2004年3月27日に「正確さを期して」ということで、沼武さんより「大和王権」に改名されています。2005年7月3日にはshimoxxさんが「ヤマト王権」に書き改め、同年11月9日は「ヤマト王権」への改名提案が出され、同年12月3日に正式に改名されました。その後、2006年2月5日にIP氏により[3][4][5]などの加筆がおこなわれ、記事がたいへん荒れた一時期があります。同じ日にはYossyさんにより「大和朝廷」のコンテンツが立てられましたが、すぐにリダイレクト化されました。

2007年にはこのページの#項目名移動の提案でも「大和朝廷」の語を支持する人たちとShimoxxさんとのあいだに激しい応酬があったようです。2009年1月18日には、かもめ さんより、「「王権」というのは王の権力、君権です。「朝廷」というのは君主の君権を中心とする中央政府です。コンテンツは分けた方がいいと思います。氏姓制度や律令制度などは王権で公布されますが、朝廷が行った政府としての統治システムです」との御意見があり、新しく「大和朝廷」の記事が立てられましたが、それは独自研究ではないのかというShimoxxさんの御意見により却下され、「大和朝廷」は編集合戦寸前でかもめさんがあきらめられ、Shimoxxさんの御意見が通ったような状態です。

その後も「大和朝廷」の語を認めないShimoxxさんと「大和朝廷」の語を使いたい人々とのあいだで激しい言い争いとなり、「ヤマト王権」の使用を支持するGodaigoさんがShimoxxさんの側に立ち、「大和朝廷」の語を使用すべきで「ヤマト王権」の語に強く違和感を感じるという薔薇騎士団さんらと激しいやり取りがありました。そうしたなかで、Godaigoさんが、Shishinなど多数のソックパペットを使用し、議論を撹乱していたことが発覚し、ブロックを受けたということのようです。

その直後の8月下旬に、

ヤマト王権(やまとおうけん)ないしは大和朝廷(やまとちょうてい)とは、古墳時代に「大王」(おおきみ)などと呼称された倭国王と、いくつかの有力氏族が中心となって成立した王権・政権である。大和政権(やまとせいけん)とも呼ばれる。主に奈良盆地を中心とした近畿地方を本拠地としていた。かつては「大和朝廷」という呼称が広く認知され、現在でも学習指導要領などでは「大和朝廷」と称されるが、「大和」の表記や「朝廷」の成立時期を巡って学会の中では見解が分かれており、一定していない。現状では「ヤマト王権」を採用する研究者が多いので、本稿ではヤマト王権と称する(呼称に関しては名称についてを参照)。

という文で、冒頭文について合意がなされました。賛成者は、TENDERASさん、薔薇騎士団さん、ささのはさん、あら金さん、219.66.72.141さん、清涼里588 さんでした。

実は、これまでのことは私は全然知らず、記事をみて「これはひどい冒頭文だ」と思い、全面的に改稿しようとして加筆しました。そうしたところが、薔薇騎士団さんがわたしの加筆分をまるまる差し戻しするという挙に出られ、それに対してらりたさんがわたしの加筆分を守ろうとして編集合戦になってしまい、保護に到ったということです。Ks aka 98さんがわたしの会話ページに事情を教えてくださいました。私がこのノートをみたのは、Kanoharaさんが私の会話ページにお知らせしてくださった後のことでした。そういうわけで、はからずも当事者になってしまいましたので、なぜ、この冒頭分に不同意なのかについて私見を述べさせていただき、今に至っています。わたしが願っているのは、何よりも保護の解除であり、一刻も早く合意にこぎつけることです。ただし、「ヤマト王権ないしは大和朝廷」の表現はあまりにも問題が多く、そこは決して認められないことは付記しておきます。その件については、何度も申し上げたので繰り返しは避けます。--Chokorin 2009年11月28日 (土) 01:37 (UTC)(加筆)--Chokorin 2009年11月28日 (土) 01:47 (UTC)

編集提案20091128 編集

まず、冒頭文について、合意されている部分、対立点について再確認すると、

  1. 見出しは「ヤマト王権」が適切である。これについては、8月合意の6名のみなさん含め、のりまきさん、私、全員、異論のないところです。
  2. 次に、「大和朝廷」という語を冒頭文に含めるかどうか。これについても、議論参加者全員の同意を得ています。
  3. 「ヤマト王権ないしは大和朝廷」の表現。これについては、TENDERASさん御自身も当初、並列書きには懸念を表明されていました(#編集提案参考)。shimoxxさん、Uraniaさんも並列書きを支持しておらず、Uraniaさんは「尚書き」「但し書き」を主張されています。並列書きに対しては、現在、ウミユスリカさん、私からの強い反対があります。のりまきさんは、そこにはこだわらないということで、参加者各位の合意に委ねることを表明されています。
  4. のりまきさんは、「首長連合」のような観点、つまり、「王権」も「朝廷」も不適とするような観点も記してほしい、ただし、それは冒頭文でなくても本文でも構わないという御意見を表明されています。
  5. 「学習指導要領」に関する記載をやめた方がいいというの主張が、私からなされています。
  6. 研究者・教科書・諸事典類など、「大和朝廷」の語が「大和王権」「大和政権」などの語に転換していること、「大和朝廷」の語を使う場合でもワカタケル以後、推古朝以後というふうに限定的な使用がなされていることを記述すべきという見解が、主として私から出されています。

ということです。

僭越ながら、試案を出しておきます。

ヤマト王権(やまとおうけん)もしくはヤマト政権(やまとせいけん)とは、古墳時代に「大王」(おおきみ)などと呼称された国王を中心として、いくつかの有力氏族が連合して成立した政治権力、政治組織である。大和朝廷(やまとちょうてい)とも呼ばれてきたが、現在は、「ヤマト王権」「大和王権」「倭王権」「ヤマト政権」「大和政権」などへの語の転換が進んでいる(詳細は「大和朝廷」の節を参照)。
「ヤマト王権」は、「奈良盆地などの近畿地方中央部を本拠地とする王の権力」の意であるが、しばしば「地域国家」と称せられる日本列島における多様な権力の存在や首長連合として成立してきた側面を重視して「王権」の語は限定的に使用すべきとの論も少なくなくない。また、かつて広く用いられてきた「大和朝廷」[1]に関しては、「大和」の表記や「朝廷」の成立時期をめぐって学界のなかでは見解が分かれている。現状では、少なくとも古墳時代の権力について「ヤマト王権」ないし「ヤマト政権」の語の使用頻度が高いので、本稿では「ヤマト王権」として叙述する(呼称に関しては「名称について」の節を参照)。
  1. ^ 現在でも、中学校学習指導要領「社会科」では「大和朝廷」の用語が用いられ、2008年(平成20年)の改訂においても変更がなかった。ただし、2009年(平成21年)3年告示の高等学校学習指導要領「地理歴史科 日本史B」においては「大和朝廷による国土の統一」の文言は削除された。

一応、皆様の御意見を反映したものとして提起させていただきます。もとより、冒頭文を切り離して合意しても無意味であり、場合によっては有害ですらあるわけで、記事の中身をどうするのかという議論も並行しておこなうべきと考えます。皆様からの御意見をお待ちしております。--Chokorin 2009年11月28日 (土) 04:23 (UTC)

  コメントChokorinさんの提案の冒頭文の方が以前の合意冒頭文よりベターだと思います。ただ、「大和朝廷(やまとちょうてい)とも呼ばれてきたが」という過去形の表現については、現在その用法を使っているのが間違いであるかのような表現とも捉えられかねません。現時点ではまだ過去形とは断じ切れない部分もあることはChokorinさんにもご理解頂けると思います。私案としては、「大和朝廷(やまとちょうてい)とも呼ばれ、この呼称が広く認知されていたが、」ぐらいの方が理解が得やすいのではないでしょうか?--TENDERAS 2009年11月28日 (土) 04:53 (UTC)
  コメントコメントありがとうございます。TENDERASさんの御意見に私も異存ありません。後段部分にも「かつて」の表現があるのですが、そこは大丈夫でしょうか。--Chokorin 2009年11月28日 (土) 08:11 (UTC)
  コメント上の「3.」に私の発言として言及されている「尚書き」「但し書き」については、強いこだわりは持っておりません。参加者各位の合意に従います。--Urania 2009年11月28日 (土) 08:43 (UTC)
  コメント思ったことを簡潔に記述します。大和朝廷とも呼ばれているのであれば併記が適切。両用語の取捨選択傾向の簡単な言及については異論なし。全体に煩雑過ぎる、導入部であることを忘れずに。「大和朝廷」節の説明を乞う。--Arstriker 2009年11月28日 (土) 11:12 (UTC)
  コメント半分だけお答えします。残りは「乞う」のではなく、御自分もお考えになっていただきたいと思います。語の転換が進んでいることは客観的な事実なわけですし、分割をしない以上、それは基本的な情報として導入に掲げる必要があります。掲げる以上は、併記は不適切です。現状冒頭文でも「『大和』の表記や『朝廷』の成立時期を巡って学会の中では見解が分かれており」の文言がありますから、整合性の上でも現状の単純並列書きには矛盾があります。煩雑なのは仕方ないでしょう。--Chokorin 2009年11月28日 (土) 11:42 (UTC)
乞う、とした部分はどういうことなのかあらかた予想はついています。しかし、『「大和朝廷」節』の節は今回の議論であなたが初めて出した言葉です。あなたには説明する責任があるんじゃないですか?「掲げる以上は、併記は不適切です。」とありますが、この根拠となる客観的な出典は見つかったのでしょうか。最後に煩雑すぎる導入部には反対を明確に表明しておきます。--Arstriker 2009年11月28日 (土) 12:27 (UTC)
「大和朝廷」節では、語の転換が何故生じているのかを解説すべきでしょうね。ほかに書くべきことがあるとしたら、そこは、「大和朝廷」ということばに愛着のある人こそ充実させていってほしいと思います。「掲げる以上は、併記は不適切です」というのは、論理上、必然的にそうなるでしょう。それが「客観的な出典」になろうかと思います。煩雑すぎる導入に反対ならば、「大和朝廷」は「朝廷」にリダイレクトするという手があります。「大和の朝廷」なわけですから、「朝廷」のなかに「大和朝廷」の節をつくるという方法があるでしょう。何も無理して「古墳時代に大王などと呼称された倭国王を中心として、いくつかの有力氏族が連合して成立した政治権力、政治組織」という定義にはめこむ必要はない。有力氏族が連合したら朝廷なんですか?ってことになりかねません。--Chokorin 2009年11月28日 (土) 12:49 (UTC)
「語の転換が何故生じているのかを解説すべきでしょうね。」これは「名称について」説で書くべきことですよね。『「掲げる以上は、併記は不適切です」というのは、論理上、必然的にそうなるでしょう。それが「客観的な出典」になろうかと思います。』残念ながらこれは独自研究です。「有力氏族が連合したら朝廷なんですか?」私はそうは思いません。しかし「大和朝廷」は固有名詞です、名実が一致しない固有名詞など珍しいものではありません。それとここで紹介する概念は3世紀以降の政権の概念であって3~5世紀までの特定の時期に特化したものではないはずです。--Arstriker 2009年11月28日 (土) 13:21 (UTC)
今日は、合意できたことを確認しておきましょう。「語の転換が進んでいることは客観的な事実なわけですし、分割をしない以上、それは基本的な情報として導入に掲げる必要があります」という点に関しては賛同いただいたわけですね。一歩、前進したことで今日は諒としておきましょう。--Chokorin 2009年11月28日 (土) 13:54 (UTC)
1つ質問させてください。Arstrikerさんは「名実が一致しない固有名詞など珍しいものではありません」とおっしゃっていますが、具体的にはどのようなことを指していますか。珍しいものではないとすると、たくさんあるのだと思いますが、なるべくたくさん掲げてくださるとありがたいです。--Chokorin 2009年11月28日 (土) 14:06 (UTC)
何のお役に立つのか判りませんが、ぱっと浮かぶのは、イグアノドン、惑星、人民解放軍、チベット自治区ぐらいでしょうか。何かのご参考までに。--Arstriker 2009年11月28日 (土) 14:26 (UTC)
ありがとうございます。そしてまた、Arstrikerさんは、「大和朝廷」というのは「名実の一致しない固有名詞」とお考えなのですね。--Chokorin 2009年11月28日 (土) 14:41 (UTC)
成立当初はそうであった可能性を否定しません。--Arstriker 2009年11月28日 (土) 14:53 (UTC)
コメントありがとうございます。しつこいようで申し訳ありませんが、成立当初というのは、「用語の成立当初」という意味ですか。それとも「『大和朝廷』の成立当初」という意味ですか。それからもう一つ、「ヤマト王権」というのは「名実の一致しない固有名詞」なのでしょうか、「一致する固有名詞」、「一部分は一致する固有名詞」それとも「一般名詞」なのでしょうか。これは、客観的にどうなのかというより、Arstrikerさんがそれぞれの語をどのようにとらえているかということをうかがいたいためです。--Chokorin 2009年11月28日 (土) 15:07 (UTC)
「『大和朝廷』の成立当初」という意味です。『「ヤマト王権」というのは「名実の一致しない固有名詞」なのでしょうか』→定見ありません。--Arstriker 2009年11月28日 (土) 15:38 (UTC)
そういえば「惑星」は固有名詞ではありませんね。水星、火星、地球・・・あたりと入れ替えてご理解ください。--Arstriker 2009年11月28日 (土) 15:45 (UTC)
もうひとつ。Arstrikerさんは、何をもって「大和朝廷の成立」とみなしていますか。--Chokorin 2009年11月28日 (土) 17:05 (UTC)
何らかの有力な権勢の誕生ですかね。--Arstriker 2009年11月28日 (土) 17:18 (UTC)
それだと並列書きは無理ですよね。--Chokorin 2009年11月28日 (土) 17:33 (UTC)
語の転換が何故生じているのかの解説は、Arstrikerさんおっしゃるように「名称について」節で扱うことを了承します。貴重な御意見ありがとうございました。また、Arstrikerさんとの間には「語の転換が進んでいることは客観的な事実なわけですし、分割をしない以上、それは基本的な情報として導入に掲げる必要があります」という点でも合意に達しています。また、Arstrikerさんによれば、「古墳時代に「大王」などと呼称された倭国王を中心として、いくつかの有力氏族が連合して成立した政治権力、政治組織」を「ヤマト王権」「ヤマト政権」と呼称するのに対し、「大和朝廷」は「名実の一致しない固有名詞」であり、「何らかの有力な権勢の誕生」をもって成立したということですね。「何らかの有力な権勢」は弥生時代にもありましたし、現代にもあるわけなので、そういう意味では非歴史的な定義になるのですが、この点について、他のみなさんはいかがお考えなのでしょうか。--Chokorin 2009年11月29日 (日) 01:29 (UTC)
Chokorinさん、言っておきますが、大和朝廷、或いは、ヤマト王権の成立定義に関して争うつもりはありませんよ。--Arstriker 2009年11月29日 (日) 07:16 (UTC)
Chokorinさんご提案の導入部において私が指摘したのは3点です。すなわち、1.ヤマト王権、大和朝廷の併記について、2.「大和朝廷」節とはなにか?3.煩雑すぎる。この内、2.については解決済み。3.については比較的簡単にすり合わせが可能と考えております。残るのは1.ですが、客観的な出典の不在、独自研究ではないかとの指摘についてChokorinさんにお答えいただいていない状況です。まずはこの部分をお答えいただきたいと思います。--Arstriker 2009年11月29日 (日) 07:46 (UTC)
「客観的な出典」は必要ないのではないでしょうか。あなた自身が「名実が一致しない」とおっしゃっているのだから。「論理上、必然的にそうなる」とは、出典などなくても論理的にそうなるという意味です。--Chokorin 2009年11月29日 (日) 09:06 (UTC)
もう一つ。冒頭には定義文を書く決まりになっているわけなので、定義について議論しないわけにはいきません。「『有力氏族が連合したら朝廷なんですか?』私はそうは思いません」とあなたはおっしゃいますが、そう思う人は確実にいるわけです。あなただけがこの記事を読むわけではない。さまざまな人が読むわけです。それこそ、「有力氏族が連合したら朝廷」とでも明記した文献があれば別ですが。--Chokorin 2009年11月29日 (日) 09:25 (UTC)
ですから、私がそう思う、あなたがそう思うでは埒があかないのです。やはり記述を裏付ける文献等が必要になってくるのです。今回問題になっている導入部は全体の総括なのですから客観的な出典を要求している訳です。あと、私は大和朝廷は名実が一致しないと断言してはおりませんし、そもそも名実が一致しないことなど大したことではないと言っているのです。--Arstriker 2009年11月29日 (日) 09:38 (UTC)
「古墳時代に『大王』などと呼称された倭国王を中心として、いくつかの有力氏族が連合して成立した政治権力、政治組織」という意味で「大和朝廷」の語を用いるのは適切ではないという文献ならば既にいくつか御紹介しております。適切ではないと考える人が多いから語の転換が進んでいるわけでしょう。中には、まったく逆に「中央集権的な政府の成立」から「朝廷」の語を使用すべきという文献もございましたね。「大和朝廷」という語を用いるべしとするあなたでさえ、大和朝廷は名実が一致しないとおっしゃっている。これ以上、客観的、論理的、必然的に言えることはないと思いますが、いかがでしょうか。--Chokorin 2009年11月29日 (日) 09:57 (UTC)
「これ以上、客観的、論理的、必然的に言えることはないと思います」こう思う主体はあなたであって客観的な裏付けがある訳ではありません。「大和朝廷」の語を用いるのは適切ではない、という議論は紹介するに足るものだと思いますが、それは「名称について」節でやればいいのではないでしょうか。それはそれとして少数ではない人々が大和朝廷と呼ぶ現状、大和朝廷が誤りであるとするコンセンサスが無い現状を踏まえると併記するのが適切でしょう。「ヤマト王権」が市民権を得ているとする配慮は1.見出し語で「ヤマト王権」を使用している。2.導入部で「ヤマト王権」を筆頭に記述している。3.「名称について」節で詳細に記述する。4.導入部で「名称について」説への言及を行う。で十分以上になされています。これ以上客観性を脅かすような突っ込んだ記述をする必要がどこにあるのでしょうか。あと、私は大和朝廷は名実が一致しないとは断言しておりません。--Arstriker 2009年11月29日 (日) 10:27 (UTC)
「『大和朝廷』の語を用いるのは適切ではない、という議論」があり、それが「紹介するに足る」ものであるなら、論理的には、並列書きは誤解を招きやすく、不適切だということにならないでしょうか。それは「名称について」節でやればいいというのは、おっしゃる通りなのですが、そこへ誘導するには、どうしても私の案のような形になってしまうと思います。もちろん、「少数ではない人々が大和朝廷と呼ぶ現状」に対する配慮はあってもよいとは思います。が、しかし、それは必ずしも並列書きという形態をとる必要はないと考えますが、いかがでしょう。私とTENDERASさんとの間で「大和朝廷(やまとちょうてい)とも呼ばれ、この呼称が広く認知されていたが、」という表現を用いることで合意が成立しています。個人的には、「大和朝廷(やまとちょうてい)とも呼ばれ、この呼称が国民的に広く認知され、親しまれてきたが、」くらいの配慮をしてもいいと思います。しかし、前にも申し上げましたが、単純並列書きだと「有力氏族が連合したら朝廷なんですか?」というツッコミが必ず入るわけです。現にわたし自身もそう思って加筆した結果、今の状態になってしまったのです。そういうふうにツッコミが入る書き方、誤解を招く書き方は揉め事のもとになるだけです。「そもそも名実が一致しないことなど大したことではない」とおっしゃいますが、そう思うのはArstrikerさんだけかもしれないのです。「大したことがある」と考える人も世の中にはたくさんいるわけです。「大したことではない」と考える人からはツッコミは入らないかもしれません。しかし、「大したことがある」という人は必ずやツッコミを入れるでしょう。こういう場合はやはり「大したことがある」と考える人を基準にしたうえで、「大したことではない」という意見もあるよというふうにフォローするのが、一番、問題を生じさせないと思うのです。単純に足して2で割ることだけが客観性ではなく、誤解や誤読を招かない書き方が客観性の基礎になるのではないかと考えます。ここは、「大したことではない」というふうに鷹揚に考える人の側に、大人の度量をお示しいただいいて、少々譲歩していただくのが一番よいのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。--Chokorin 2009年11月29日 (日) 12:05 (UTC)
「誤解や誤読」とはどういうことでしょうか。「ヤマト王権」絶対論を唱えるあなたの思想がこういうところに発露しているのではないでしょうか。ここで私が反論しても同じことの繰り返しになるでしょうからちょっと他の方のご意見を待ってみましょう。--Arstriker 2009年11月29日 (日) 12:45 (UTC)
何だか、私の合意があたかも並列を否定しているかのような風に捉えられているので意見しときます。「有力氏族が連合したら朝廷なんですか?」と言われれば、「イエス」と言っている人間がいるのであればイエスとしか言いようがありません。私の場合はそもそもChokorinさんのような趣旨で並列を否定していたわけでなく、、ヤマト王権であろうがヤマト政権であろうが大和朝廷であろうが、単純並列にはそもそも消極的です。現状としては、様々な表記があることを考慮するのであれば、どの並列がよくて、どの並列が悪いのかという議論になってしまいます。Chokorinさんの案では「ヤマト王権」と「ヤマト政権」が並列として表記されていますが、「大和政権」や「大和王権」は並列にならないのかというツッコミがしたくなります。そういう意味では「ヤマト王権」だけを主語とする方が適当ではないかとさえ思っております。また但書が、あたかも並列的(同義語)に捉えていないという意見に対しては、私は全くそうは思っていないとだけ言及しときます。但書も並列であると思っています。大和政権や大和王権も立派な同義語ですし。また、私はChokorinさんのように現時点である一定の結論が出ている用語だとは全く思っておりません。
あと単純な突っ込みですが「国民的に広く認知され、親しまれてきたが」という表現がありますが、これって出典あるのでしょうか?個人的には大和朝廷という言葉に親しんできた覚えはありません。Chokorinさんは博学の方なのかもしれませんが、どうも百科事典的な表現とは思えない記述をなされ、変な意味で迎合するかのような表現をなされるので、どんどん突っ込みを入れたくなります。曖昧に書くということと、曖昧に表現するということは違う次元の話なので。--TENDERAS 2009年11月29日 (日) 12:57 (UTC)
「変な意味で迎合」は耳が痛いですね(笑)。「配慮」を求められた気になったのでつい。TENDERASさんの御意見には傾聴すべき点が多いと感じました(これは迎合ではありません)。受けとめたうえで、出直します。コメントありがとうございました。--Chokorin 2009年11月29日 (日) 13:11 (UTC)
記事分割が否定されたと云うことは、ヤマト王権と大和朝廷との並記の中立性が求められますが、ご提案の文章は明らかにヤマト王権に偏っています。また、ヤマト王権、ヤマト政権はほとんど同種の文言であり、どちらか一つで足りるでしょう。それと、1の見出しは「ヤマト王権」が適切という点については私は同意してません。わたしは「大和朝廷」のほうが相応しいと思っています。また、6の書き換えが進んでいるという事実も、官公庁やマスコミの使用頻度、Google検索などの結果を見ますと、依然大和朝廷のほうが多数ですし、事実に反します。ですから、8月の合意文のほうがすぐれており、改訂に必要性を認めません。--薔薇騎士団 2009年11月29日 (日) 13:47 (UTC)

ひとつ考えました。

大和国家(やまとこっか)とは、古墳時代に「大王」(おおきみ)などと呼称された国王を中心として、いくつかの有力氏族が連合して成立した政治権力、政治組織である。大和朝廷(やまとちょうてい)とも呼ばれ、この呼称が広く認知されてきたが、現在は、「ヤマト王権」「大和王権」「倭王権」「ヤマト政権」「大和政権」などへの語の転換が進んでいる(詳細は「名称について」の節を参照)。
古墳時代の研究者のあいだで最も使用頻度の高いヤマト王権(やまとおうけん)は、「奈良盆地などの近畿地方中央部を本拠地とする王の権力」の意であるが、しばしば「地域国家」と称せられる日本列島における多様な権力の存在や首長連合として成立してきた側面を重視して「王権」の語は限定的に使用すべきとの論も少なくなくない。また、かつて広く用いられてきた「大和朝廷」[1]に関しては、「大和」の表記や「朝廷」の成立時期をめぐって学界のなかでは見解が分かれている。
  1. ^ 現在でも、中学校学習指導要領「社会科」では「大和朝廷」の用語が用いられ、2008年(平成20年)の改訂においても変更がなかった。ただし、2009年(平成21年)3年告示の高等学校学習指導要領「地理歴史科 日本史B」においては「大和朝廷による国土の統一」の文言は削除された。

中立性を併記で確保していこうというArstrikerさん、薔薇騎士団さんのお考えと単純並列には消極的というTENDERASさんのお考えとは方向性としては正反対なわけですが、私としては、TENDERASさんのお考えに非常に強い説得力を感じます。確かにわれわれは記事を書くときに「オランダまたはネーデルラントとは、西ヨーロッパの立憲君主国家…」というふうには書かない。ましてや、「ヤマト王権ないしは大和朝廷」という表記には一度も出会ったことがないわけです。そして、前の冒頭文では「ヤマト王権ないしは大和朝廷とは、古墳時代に『大王』(おおきみ)などと呼称された倭国王と、いくつかの有力氏族が中心となって成立した王権・政権である」から書き始めていましたので、王権・政権ならば「ヤマト(大和)王権」「ヤマト(大和)政権」なはずではないかと非常にいぶかしく思いました。そしてまた、片やカタカナ表記の「ヤマト王権」、片や漢字表記の「大和朝廷」ですから、その印象はたいへん強烈でした。それで、並列をやめて1つだけを選ぶということになると、残念ながら「大和朝廷」は不適切です。なぜならば、「古墳時代の有力氏族が連合して成立した政治権力、政治組織」という意味で「大和朝廷」を使うことに対する批判があり、それが理由の1つとなって語の転換が進んでいるからです。3世紀から5世紀前半にかけての政治組織・政治権力について「大和朝廷」を用いている研究者がほとんどおらず、唯一用いている武光誠にしても「古墳時代の有力氏族が連合して成立した政治権力、政治組織」という意味で「大和朝廷」の語を使っているわけではないようです。逆にいえば、「大和朝廷」以外であれば、何でもいいと思います。上では、適用範囲を広くして「大和国家」としました。あえて使用頻度の低いものを見出しに使ってもいいように思えたからです。もとより、この件については重大な変更ですので、みなさんの御賛同を得られるのは難しいとは個人的にも思っております。しかし、逆に、そうすることで本文執筆に際してシバリがなくなる気もしました。いわば自由に「政権」「王権」など、その場に適切な語の選択がなされやすいのではないかと考えたのです。そしてまた、語の転換が進んでいることは客観的な事実であり、出典もあります。「官公庁やマスコミの使用頻度、Google検索などの結果」は語の転換が進んでいることを否定する出典にはなりません。「ヤマト王権」と「大和朝廷」を包摂するかたちで、研究者のあいだで最も使用頻度が高いこと(ヤマト王権)、一般社会で最も認知度が高いこと(大和朝廷)にも、それぞれふれることで中立性を目指しました。皆様の御意見をお待ちします。--Chokorin 2009年11月29日 (日) 18:04 (UTC)(微修正)--Chokorin 2009年11月29日 (日) 18:16 (UTC)(再修正)--Chokorin 2009年11月29日 (日) 23:51 (UTC)

「大和国家」が冒頭名であるとすれば、記事名の変更となります。「大和朝廷」と「ヤマト王権」の並列は合意事項なのですから、全く無視しています。はっきり言って論外です。--TENDERAS 2009年11月29日 (日) 23:55 (UTC)
無視などしていません。反対だと申し上げております。そもそも私はその合意には加わっていないのですから。私が合意できるものをみなさんの側からお示しいただいても別に結構なわけですが。--Chokorin 2009年11月30日 (月) 01:03 (UTC)
TENDERAS氏と同じ意見ですが、改名でしたら改名提案をしなければなりません。また、改名するか否かで、冒頭文の文言も変わってきます。記事分割のご提案の時もそうでしたが、同時に二つ以上の議題を持ち出されると合意を得るのが大変困難になります。ですので、論点を絞って合意しやすい議論の進め方を考慮していただけると助かります。--薔薇騎士団 2009年11月30日 (月) 13:31 (UTC)
私が合意できるものを出してくれればいい。「ヤマト王権もしくは大和朝廷」の単純並列には賛成しません。百害あって一利なし。そこに妥協の余地はありません。4世紀、あるいは5世紀前半の政権・政治組織について「倭国王と、いくつかの有力氏族が中心となって成立した王権・政権」という意味で「大和朝廷」を用いている研究者を1人も出せない以上、「大和朝廷」には泣いてもらわなくてはいけません。「皇室の祖」とか「有力な権勢」とかの意味で「大和朝廷」を別記事で扱うことをあなた方は拒否されたわけですから、それは仕方のないことでしょう。--Chokorin 2009年11月30日 (月) 18:18 (UTC)(補筆)--Chokorin 2009年11月30日 (月) 22:31 (UTC)
どうしても合意できないのなら、投票で決めるしかないのかなとも思います。1人だけ合意できないとすれば、最終投票手段しかないのかなと思います。いずれにせよ、大和朝廷に泣いてもらうとか、不穏当な発言は気分が悪いのでやめてもらえないかと思います。
Chokorinさんが「倭国王と、いくつかの有力氏族が中心となって成立した王権・政権」の部分だけ納得できないとするのであれば、冒頭の最初については
ヤマト王権(やまとおうけん)ないしは大和朝廷(やまとちょうてい) は、古墳時代の日本列島にあった近畿地方を中心とする政治形態である。
ぐらいでいくのしか仕方ないのかなと。--TENDERAS 2009年12月1日 (火) 00:25 (UTC)
「古墳時代」という時代名称を用いるのも不適切です。大和朝廷の説明としては「大和時代」か「律令国家成立以前」という時代区分を用いるのが適切でしょう。個人的感想を申し述べさせていただくと、たかだか「大和朝廷」を数百年さかのぼらせたい(あるいは、そんな人が世の中に何人かいる)というだけのために何故にこんなムダな努力をしなくてはならないのか?と思います。出典となるような研究者が1人でもいるのなら、すぐに出せばよい。6人の英知を結集すれば、いともたやすいことのはずです。あるいは紀元前660年より大和朝廷が始まるということならば、日本最初の歴史書という出典があるはずですし、それに依拠した二次資料も少なくないはずです。名実を一致させようとして出てきた言葉・姿勢と名実などどうでもよいという発想・態度が両立できるはずもないわけで、それなら、単純並列書きをしないというのが唯一の正しい選択になるはずです。わたしの納得できるような出典を出すか、さもなくば、単純並列書きを取りやめるか、2つに1つです。もちろん、語の定義に関しては、投票で決めるべき筋合いの話ではないので、その提案に応じる気はありません。--Chokorin 2009年12月1日 (火) 01:36 (UTC)(補筆)--Chokorin 2009年12月1日 (火) 02:07 (UTC)
少し補足しておくと、4世紀代の政治組織に対し「大和朝廷」の語を使用している武光誠が、その語をどのようにとらえているかというと、武光著『古事記・日本書紀を知る事典』という本では「大和朝廷の起こり」と題して「神武天皇と長髄彦」の説話を最初に掲げています。ですから、「古墳時代に『大王』などと呼称された倭国王といくつかの有力氏族が連合して成立した政治権力」という意味で彼が「大和朝廷」の語を使用しているわけではありません。「律令国家成立以前の大和の有力な勢力」「皇室の祖」という意味で使用しています。古墳時代の研究から出てきたものではないのです。これでも単純並列書きが適切だと思われるでしょうか。たまたま同じものを指すことがあるとしても、そもそもの定義がまったく異なるのです。ここで扱うのが「古墳時代の政権、政治組織」である以上、単純並列書きには理由がないし、むしろ害が大きいと考えます。いかがでしょうか。--Chokorin 2009年12月1日 (火) 11:46 (UTC)
正直、合意点が見出せません。しばらく、この状態のまま保護してもらって、一定の結論が出てから保護解除でもよいようにも思えてきました。それが10年先でもかまいません。しばらく保護でいいんじゃないでしょうか?--TENDERAS 2009年12月1日 (火) 13:32 (UTC)
  •   コメント 10年先まで保護でかまいませんというのは、議論の拒否であって、Wikipedia:投稿ブロックの方針#投稿ブロックの対象となる行為になりかねませんから注意してください。双方がそれなりに譲歩・妥協しなければ合意には至りません。--Nife 2009年12月1日 (火) 14:28 (UTC)
  • 「ヤマト王権」と「大和朝廷」が同義語であるかどうかについて、Chokorinさんが質問をしています。『4世紀、あるいは5世紀前半の政権・政治組織について「倭国王と、いくつかの有力氏族が中心となって成立した王権・政権」という意味で「大和朝廷」を用いている研究者を示してほしい。』まず、この質問に答えてあげてください。その出典がなければ、2つの語は同じものとは言えません。つまり、「ヤマト王権 ⊃ 大和朝廷」なのではないでしょうか。大和朝廷をヤマト王権に書き換えるのは間違いにはならないでしょう。けれども、ヤマト王権を大和朝廷と書き換えると、場合によっては明らかに誤りになることがあります。このような2つの単語は同義語とはいいません。同じではないものを同一記事に記載するためには、2つの語を単純に並列に並べるのではなく、2つの語の同じ意味内容と違う意味内容が対比できるように、2つ以上の文に分けて書く必要があります。--Nife 2009年12月1日 (火) 14:28 (UTC)
議論を拒否した覚えは無いのですが、こうも主張が離れていると合意点が見出せなくなっています。Nifeさんには合意点はあるとお考えなのでしょうか?
さて、ご質問の件ですが、Chokorinさんが要望される研究者がいるかどうかは知りませんし、探す努力もするつもりはありません。ただ、私は最初から申しているとおり、このように一般の辞書で同義語として書かれているものを否定する理由が全く理解できかねるのです。Yahoo!の辞書を否定する出典は未だに出てきていないと思いますが、その点についてはいかがお考えなのでしょうか?ここは百科事典ですし、学術論文を書く場所ではないことは誰もが理解して頂いていると思いますし、辞典を否定することはできないと思います。辞典から削除された事実が確認されれば、Chokorinさんの主張は正しくなる可能性はありますが、現時点では同意できかねます。
私は8月の合意文を作成する時点では、「こんなもの辞書で調べれば簡単だろう。」と思っていたら、辞書が同義語として説明しています。Chokorinさんの主張は理解できます。しかし、辞書ではそう書いていないのです。ただ、それだけです。
参考ですが、研究者でないのであれば、出典はあります。しかし、それはChokorinさんには否定されるでしょう。--TENDERAS 2009年12月1日 (火) 15:20 (UTC)
「探す努力をするつもりもない」という御発言には落胆いたしました。yahoo辞書を読んで「両者はイコールで結べるんだ」というふうに納得した人は、単純並列書きに違和感を感じないでしょう。しかし、関、鬼頭、平野の著作、東京書籍の一般書、帝国書院のURLを読んだ人はおかしいと思うでしょう。国語辞書で納得する人だけのために百科事典はあるんでしょうか。しかも、同じyahoo辞書では「朝廷」とはこう示されており、「朝堂」も「朝庭」も推古天皇以前にさかのぼることはできません。国語辞書の2項目を読み比べて疑問に思った人に答える気はないというのであれば、自ら百科事典であることを放棄したに等しいのではないでしょうか。かえすがえすも残念で、情けないお言葉だと思います。--Chokorin 2009年12月1日 (火) 17:45 (UTC)
補足。yahoo辞書を馬鹿にするつもりはないです。草案はきっと専門家が起こされたものでしょう。しかし、これはもともと『大辞泉』という「紙の辞書」の見出しであることを考えると、1語について費やすことのできる文字数は相当に制限されていると思います。動詞や形容詞、一般名詞なども含めて22万項目あるものを1冊(2912ページ)にまとめた国語辞書なわけですから、「大和政権」にそれほど踏み込んだ説明ができるとは思いません。それにまた、私が掲げた鬼頭、関、平野の著作物は別に研究論文ではないし、ごくごく一般向けに解説したものです。東京書籍、帝国書院しかり。複数ある出典のうち、ほかは無視しろ、『大辞泉』だけにしたがえというのは、やはりフェアとは言えないのではないでしょうか。みなさんは「中立的な観点」ということについて、どのようにお考えなのでしょうか。わたしが仮に今ここでイエスと言ったところで、それが問題解決になるとは到底思えません。--Chokorin 2009年12月1日 (火) 18:24 (UTC)

投票で記事分割が否決されたわけですから、ヤマト王権=大和朝廷という理解がこの議論の参加者の多数意見です。もちろん権力の形態や期間などには複数説はありますが、それは本文で各説を紹介すればいいだけです。--薔薇騎士団 2009年12月1日 (火) 22:35 (UTC)

何だか私とNifeさんだけが反対しているかのような言い方ですが、薔薇騎士団さんも「大和朝廷」への改名を希望されていましたね。それについては、合意は成立しているのでしょうか。これはTENDERASさんに伺いたいです。--Chokorin 2009年12月1日 (火) 22:45 (UTC)
私は大和朝廷の記事名のほうが相応しいと思いますが、改名提案しておりませんので合意成立を気にする必要はありません。上でも述べましたが、ヤマト王権と大和朝廷は同一の歴史対象に対する異なる名称に過ぎません。両者の違いは廟堂構造や天子号の開始時期や概念理解の相違に由来しますが、その程度の相違は本文で説明すればよいといいうのが多数意見だから、記事分割は否定されたわけです。上でChokorin氏は投票結果を尊重すると明言されているわけですから、ご自分の言説に矛盾しないよう議論を進めていただければ幸いです。--薔薇騎士団 2009年12月1日 (火) 23:04 (UTC)
投票結果は、大和朝廷とヤマト王権を同一記事で扱うか、別々の記事で扱うかという問題であり、単純並列書きが適切かどうかの判断にかかわるものではないと理解しています。冒頭文以前に、この記事では何について説明するのか、そこのところですでにコンセンサスがあるのかどうかたいへん疑問です。ここでは「古墳時代の政治権力・政治組織」について説明するのですよね? それとも、「大和朝廷とは何か」を説明する記事なのでしょうか? みなさんはこの記事で何をどのように説明したいのでしょうか? 10年間も「古墳時代の政治権力・政治組織」について加筆も修正もできないというのは大問題だと考えます。それで本当にいいんでしょうか。--Chokorin 2009年12月1日 (火) 23:40 (UTC)
もう一つ。単純並列書きの根拠となる「ヤマト王権=大和朝廷」という理解は、いついかなる場合でも完全にそうだという前提に立つのでしょうか。「ヤマト王権」には皇室の祖という意味はないですが、「大和朝廷」にはそういう意味があると私は理解しています。薔薇騎士団さん、TENDERASさん、Arstrikerさんは「大和朝廷」には「皇室の祖」という意味はないと考えておられるのでしょうか? --Chokorin 2009年12月2日 (水) 02:21 (UTC)
私は歴史用語としての「大和朝廷」に関して意見表明しており「皇室の祖」であるとかないとかの観点では観ていません。そういうイデオロジカルな問題をここで持ち出すべきではないと考えてます。ここでそういう観点を持ち出すのは相応しくないということはChokorinさんも重々ご承知のことだと思っていたのですが、違いましたでしょうか?また、「ここでは「古墳時代の政治権力・政治組織」について説明するのですよね?」とありますが、これも違いますよね?もしそうであるとするなら古墳時代以降、6~7世紀の政権についてはどこで言及するのでしょうか?このように観ると上のChokorinさんのご意見はどうも少しズレているのではないかと思えてしまいます。--Arstriker 2009年12月2日 (水) 10:14 (UTC)
(追記)どうも古墳時代は一般には奈良、飛鳥、平安とオーバーラップしている(3~8世紀初頭)とされているようですので上記2番目の疑義は取り下げます。失礼致しました。--Arstriker 2009年12月2日 (水) 13:30 (UTC)
「国語辞書で納得する人だけのために百科事典はあるんでしょうか。」との回答ですが、国語辞典を読んで納得する人のためにも百科事典は存在するんじゃないですかとしか言えないですね。諸説については内容で補充すれば事足りることだと思いますが。
あと「皇室の祖」という意味についてですが、ここでの議論でそういう主張をなされていることがあることは知っています。しかし、現時点では、それはここの議論しているある方の一つの考えであって、出典をもって主張されている方がいない(そのような主張をなされている研究者がいない)という理解です。
あと、11月12日の時点のChokorinさんの案では並列案も出されていますよね。それは撤回されていると理解してよろしいか。--TENDERAS 2009年12月2日 (水) 14:04 (UTC)
ヤマト王権に「皇室の祖」の意味はないとは、誰の主張でしょうか。 出典をお願いします。なければ独自研究になります。--薔薇騎士団 2009年12月2日 (水) 15:41 (UTC)
鬼頭清明などでしょうか。--Chokorin 2009年12月2日 (水) 15:49 (UTC)
「皇室の祖」という"意味"(…"イデオロギー"じゃないですよ…)を「持ち出すのが不適切」という理屈がよくわからないんですがね。むしろ、あなた方が、勝手にそういう"意味"を「削ぎ落としているのが不誠実」というふうに思えてならないんですが。もともと「大和朝廷」という言葉は、戦前からある言葉で、そのときの意味は「奈良時代以前の大和を本拠とする有力な勢力で皇室の祖」だったことは御存知ですよね。少なくとも、『大辞泉』の「大和政権」の意味ではなかった。そもそも、戦前には「古墳時代」という時代名称そのものがありませんでしたよね。実は、武光誠による「大和朝廷」の使い方も「奈良時代以前」というのが「律令国家成立以前」くらいに変わっただけで「大和を本拠とする有力な勢力で皇室の祖」というような意味なのです。古墳研究・古墳時代研究ではなく、記紀研究からスタートしているんです。別にそういう学者がいてもいいし、そういう語の使い方が間違っているとは思わない。かれは、神武東征から大和朝廷をはじめているわけだけれども、それはそれで一貫していると思います。さすがに皇紀は用いていませんし、伝承の扱いですが。4世紀、あるいは5世紀前半の政治組織のことを「大和朝廷」で呼んでいる学者がそういう意味で使っているし、いっぽう、他の学者が誰も5世紀中葉以前については「大和朝廷」の語を使っていないというのだったら、『大辞泉』から無理やり「ヤマト王権=大和朝廷」を導き出したとしても、現実にはそういう意味で「大和朝廷」の語を使用している研究者は誰ひとりいないということでしょ? 何故、それなのに「無記名」の、しかも「国語辞書」を最優先しなくてはならないんですか? その道の研究者が何十年もかけて研究した成果を、自分の名前を出して責任もって記述する「良質な情報源」を、ことごとく無視してまですることなんでしょうか。わたしがTENDERASさんなら図書館へ行って、ことごとく古代史の本を漁って「大和朝廷」の文字を目を皿のようにして探すだろうしし、わたしが何としてでも「大和朝廷」を項目名にしたいのだったら武光誠を出典にして「大和朝廷」の独立記事を書きますけどね。各社から出ている「皇室事典」なんかを引用したら素晴らしい記事になる。その程度の努力を惜しむ人が、何やらせこく、誰の断りもなく「皇室の祖」という意味まで消し去って、「大和朝廷」を「ヤマト王権」の別称にしたいという、その神経が実はよくわからないんです。何かを主張するなら、その程度の手間をかけるのが普通だと思うんですよね。11月12日の並列案なら、合意可能ですよ。「大和朝廷」というふうにカギカッコを付けて、「不適切」という言葉を入れるのなら、撤回しません。それで保護が解除できるのなら御の字です。ところで、ここでは「古墳時代の政治組織、政治権力」を扱うというのは、全員、OKなんですか? --Chokorin 2009年12月2日 (水) 15:55 (UTC)
「皇室の祖」というのは直接ここでの「大和朝廷」、「ヤマト王権」の取捨選択には関わらないと思うのですがね。まぁ、「大和朝廷」=「皇室の祖」という見方も確かにあるのでそういった記述も確かに有用かもしれません、導入部に記述すべきとは思いませんが。「「古墳時代の政治組織、政治権力」を扱うというのは、全員、OKなんですか?」とのことですが、Chokorinさんの「古墳時代」ってどういう定義ですか?というかChokorinさんの要求ってコレ→「「大和朝廷」というふうにカギカッコを付けて、「不適切」という言葉を入れる」ですよね?だったらそういうコンセンサスを示す客観的な出典を示してください、あれば賛成するのに吝かではありません。但し、必然的にそう、だとか、論理的にはそうだとかChokorinさん個人の分析は不要です。--Arstriker 2009年12月2日 (水) 17:21 (UTC)
コンセンサスを示す出典などありませんよ(不適切だという出典だったらいくつかありますが)。撤回するかと聞かれたから撤回しないと答えただけで。要求しているわけではないが、それでみなさん合意がとれれば、もちろん合意しますということです。で、古墳時代の定義がどうかしましたか? --Chokorin 2009年12月2日 (水) 17:31 (UTC)
出典がないのだったら併記については妥協できませんか?--Arstriker 2009年12月2日 (水) 17:59 (UTC)
ヤマト王権(やまとおうけん)とは、古墳時代に「大王」(おおきみ)などと呼称された国王を中心として、いくつかの有力氏族が連合して成立した政治権力、政治組織である。大和朝廷(やまとちょうてい)とも呼ばれ、この呼称が広く認知されてきたが、現在は、「ヤマト王権」「大和王権」「倭王権」「ヤマト政権」「大和政権」などへの語の転換が進んでいる(詳細は「名称について」の節を参照)。
ヤマト王権(やまとおうけん)は、「奈良盆地などの近畿地方中央部を本拠地とする王の権力」の意であるが、しばしば「地域国家」と称せられる日本列島における多様な権力の存在や首長連合として成立してきた側面を重視して「王権」の語は限定的に使用すべきとの論も少なくなくない。また、かつて広く用いられてきた「大和朝廷」[1]に関しては、「大和」の表記や「朝廷」の成立時期をめぐって学界のなかでは見解が分かれている。
  1. ^ 現在でも、中学校学習指導要領「社会科」では「大和朝廷」の用語が用いられ、2008年(平成20年)の改訂においても変更がなかった。ただし、2009年(平成21年)3年告示の高等学校学習指導要領「地理歴史科 日本史B」においては「大和朝廷による国土の統一」の文言は削除された。

これで合意していただくか、どうしても単純並列書きにこだわるなら、

ヤマト王権(やまとおうけん)ないしは大和朝廷(やまとちょうてい) は、畿内の政権である。

でしょうね。これならば、嘘ではない。いかがしますか。--Chokorin 2009年12月2日 (水) 22:46 (UTC)

8月の合意文から、大和朝廷を見出しから外した以外はほとんど顕著な変化はありませんね。どちらかというと本文で補足したら済む程度の内容です。今後実施される新しい学習指導要領でも「大和朝廷」は使われていますし[6]、一般に広く認知された言葉なので見出しから外すのは不適切です。よってご提案の文章は却下です。どうしてもご提案にこだわるなら、また投票を行いたいと思いますがいかがでしょうか。--薔薇騎士団 2009年12月2日 (水) 23:40 (UTC)

語の定義の話は投票になじまないでしょう。4世紀、あるいは5世紀前半の政権について、「氏族の連合政権」といういう意味で「大和朝廷」の語を用いている研究者なり、記述なりを見つけてくればすむはずです。なぜ、そうしないんですか? それができないんだったら、そういう意味で「大和朝廷」という語を使うのは間違いだということになります。私がこだわるかどうかの問題ではなくて、間違いかどうかの問題です。ここで「古墳時代の政権、政治組織」をテーマにしていくということであれば、冒頭から嘘をついてしまう記述を放置してはいけません。一般に広く認知された言葉だからこそ、嘘が目立つわけです。御理解ください。--Chokorin 2009年12月3日 (木) 00:13 (UTC)

ヤフーの辞書を見れば、大和朝廷=大和政権に「大和および河内(かわち)を中心とする諸豪族の連合政権」「大和の奈良盆地を中心とする畿内の首長連合」とあります。同じ意味ではありませんか。それとも氏族ではなく豪族や首長としたらいいということですか?--薔薇騎士団 2009年12月3日 (木) 00:30 (UTC)
だって、それは「大和政権」の説明でしょう。確かに「大和政権」はそういう意味で使われていますし、出典もある。しかし、「大和朝廷」をそういう意味で使っている研究者はいないわけでしょう。そういう使い方は不適切だという説明や主張はたくさんあったはずですよね。こっちも出典がある。国語辞書を出典にするのはいいかげんにやめませんか。あなた方は古墳時代の政権について説明しようという人たちなんでしょう? 違うのですか。--Chokorin 2009年12月3日 (木) 00:48 (UTC)
しばらくROMしておりましたが、「時期尚早」意見を付けた手前いつかの時点でコメントする必要は感じておりました。私はChokorinさんの今回のご提案自体には反対しません。私自身の認識と近いからです。分割に反対したのは、薔薇騎士団さんが掲げておられる学習指導要領に代表される「一般的な」用例を考慮してのことです。--ろう(Law soma) D C 2009年12月3日 (木) 03:50 (UTC)
ろう(Law soma)さん、コメントありがとうございます。「時期尚早」ということについては、コメントをお伺いして私が少し誤解をしていたことがわかりました。多少ムキになっていて、不適切な物言いがあったことをお詫びします。また、あの時点では本来は「ヤマト王権」に書くべきことを「大和朝廷」に書いてしまっていて、今から振り返れば合意が得られにくい記事内容であったことはよく自覚しております。そのあと、武光誠を出典にして記紀をベースにした記事に改稿してみました。もちろん、分割提案を再度おこなう気があるわけではありませんが、本来「大和朝廷」はどう叙述されるべきなのか?(…独立記事にせよ、「ヤマト王権」のなかでにせよ…)ということについては、この議論とはまた別にコメントをいただきたいところです。私のなかでは、「ヤマト王権」と「大和朝廷」の両語は「大東亜戦争」と「太平洋戦争」よりは、少なくともずっと隔たりのある言葉です。しかし、「一般的」には、「まあ、似たようなもんだろ」「どちらでも、さほどかわらん」という感覚があるのもわからないわけではないです。とはいえ、百科事典というのは「いやいや、似たようなところもあるけれど、こういうところでは重ならないし、こちらにはこういう意味もあるんだよ」ということを第三者的な立場で説明する場ではないかとも考えます。このあたりも含め、どう整理していって現状を打開し、保護解除に向けていったらいいのか。これからも、お力をお貸しくださいますよう、よろしくお願いします。--Chokorin 2009年12月3日 (木) 13:42 (UTC)

再提案1204 編集

2つ掲げた冒頭文案のうち、2番目の方は問題にされていないみたいなので、1番目の方をあらためて提案いたします。

ヤマト王権(やまとおうけん)とは、古墳時代に「大王」(おおきみ)などと呼称された国王を中心として、いくつかの有力氏族が連合して成立した政治権力、政治組織である。大和朝廷(やまとちょうてい)とも呼ばれ、この呼称が広く認知されてきたが、現在は、「ヤマト王権」「大和王権」「倭王権」「ヤマト政権」「大和政権」などへの語の転換が進んでいる(詳細は「名称について」の節を参照)。
ヤマト王権(やまとおうけん)は、「奈良盆地などの近畿地方中央部を本拠地とする王の権力」の意であるが、しばしば「地域国家」と称せられる日本列島における多様な権力の存在や首長連合として成立してきた側面を重視して「王権」の語は限定的に使用すべきとの論も少なくなくない。また、かつて広く用いられてきた「大和朝廷」[1]に関しては、「大和」の表記や「朝廷」の成立時期をめぐって学界のなかでは見解が分かれている。
  1. ^ 現在でも、中学校学習指導要領「社会科」では「大和朝廷」の用語が用いられ、2008年(平成20年)の改訂においても変更がなかった。ただし、2009年(平成21年)3年告示の高等学校学習指導要領「地理歴史科 日本史B」においては「大和朝廷による国土の統一」の文言は削除された。

私見では、「大和朝廷」は中央集権的な政府、天子の政府、あるいは臣僚組織が整備された王権という意味があるため〔大和朝廷⊂ヤマト王権〕、また大和朝廷が皇室の祖という意味も含んでいるという点では〔大和朝廷≠ヤマト王権〕なので、並列書きには反対ですが、yahoo百科辞書によれば〔大和朝廷=ヤマト王権〕と説明され、実際に同義として扱われることも多く、大和朝廷はまた一般的に広く使用されている語であるため、中立性を確保するうえでも両語の並列書きを維持すべきとの見解と対立しているということですね。

ただ、上の冒頭文案では、〔大和朝廷=ヤマト王権〕の側面を決して否定しているわけではないことに注目していただきたいと思います。そこはむしろ〔大和朝廷=ヤマト王権〕の含みを持たせています。また、大和朝廷の語が一般的に広く使用されていることにも言及しています。なお、高校の学習指導要領については、文部科学省のURLでは未だ記載されておらず、市販されたISBNのついた本としても出版されていないのですが、大学等の教育機関などには冊子が配本されていますので、検証は可能です。そのうち、指導要領解説などとして出版されれば一般書店でも入手可能になります。この案についての賛否を求めます。--Chokorin 2009年12月3日 (木) 21:50 (UTC)

さて、「古墳時代に『大王』などと呼称された倭国王を中心として、いくつかの有力氏族が連合して成立した政治権力、政治組織」という意味で、4世紀、あるいは5世紀前半の政府を「大和朝廷」と呼ぶ例については、今しばらくお待ちしようと思います。「10年間保護でいい」とか「探す努力をするつもりはない」などとおっしゃらずに、探していただきたいと思います。もう一つの争点、「中立性を確保するための単純並列書き」ですが、これについてもやはり、わたしとしては首肯しかねるのです。上記冒頭文案にしたからといって別に中立性が侵害されるわけではなく、見出し語が「ヤマト王権」となっている以上、主語を「ヤマト王権」にして、述語を「ヤマト王権を説明する文」にするのは、ごく自然なことだと考えます。ましてや、すぐに「大和朝廷」についてふれているわけで、決して無視しているわけではありません。この件について、みなさんはいかがお考えなのでしょうか。--Chokorin 2009年12月4日 (金) 11:23 (UTC)
読めば読むほど作為的に感じます。ここまで作為的な記述をするChokorinさんの真意は那辺にあるのかという疑問すら沸いてきます。導入部には最大公約数的な客観論を書くべきであり傍論は本文で紹介すればいいのです。反対。--Arstriker 2009年12月4日 (金) 18:36 (UTC)
「最大公約数的」なんじゃないでしょうか。少なくともわたしは「古墳時代に『大王』などと呼称された倭国王を中心として、いくつかの有力氏族が連合して成立した政治権力、政治組織」という意味で「大和朝廷」の語を使うのは反対であり、それについては、反対の根拠となる多数の出典がありましたよね。Arstrikerさんも、それについて、同意はできなくても理解はできますよね。「大和朝廷」というのは、個々の研究者の用い方をみれば、だいたいは古墳時代のなかでもせいぜい後半部分でしか言えないわけです。それを単純並列書きにするというのは、わたしからすれば間違いなのであり、中立でも何でもないわけです。単純並列書きが間違いでないというふうにArstrikerさんがお思いになるとしても、間違いだと考える人がいるとすれば、やはり単純並列書きは不適切だということになるのではないでしょうか。yahoo辞書を唯一の拠り所にするとしても、その記述を上の案では決して否定してはいない。だとしたら、これが「最大公約数」として全員が合意できる文面ではないかと思います。これがわたしの真意です。--Chokorin 2009年12月4日 (金) 19:44 (UTC)
国語辞典というのは、普通大手出版社が社運をかけて著名な大学教授・研究者を執筆者にして、何年も(場合によっては何十年も)期間をかけて作るもので、歴史に関する記述も当然専門家の査読が入っているわけです。そこで大和朝廷=大和政権と書かれている事実を頭ごなしに否定するのはどうでしょうか。もう少し専門的な事典類でも、普通執筆を依頼されると研究者は自説だけでなく客観的で中立的な記述をするものです。Chokorin氏の提案には一貫してこうした研究者的良心が感じられません。ゆえにご提案は却下です。--薔薇騎士団 2009年12月4日 (金) 20:11 (UTC)
結局国語辞典しか出てこないというのは、ガッカリですね。じゃあ、「大和政権」の項目を書いた「著名な大学教授・研究者」の名を出してみてください。無記名である以上、著名かどうか判断がつかないというのが普通の人の良心的な感覚だと思うのですが、いかがでしょうか。さて、「yahoo国語辞書」絶対主義に立つなら、ここでは、「朝廷」について、「天子が政治を行う所。廟堂(びょうどう)。朝堂。また、天子が政治を行う機関」と書いていますね。それほど絶対的なものだとしたら「朝廷=朝堂」であり、「朝廷」、「朝堂」どちらかの記事は不要だということになります。さあ、いかがなさいますか? 統合提案でもなさいますか? ダブルスタンダードだけは、やめてくださいね。--Chokorin 2009年12月4日 (金) 20:49 (UTC)
「古墳時代に『大王』などと呼称された倭国王を中心として、いくつかの有力氏族が連合して成立した政治権力、政治組織」は発生時の様態の一仮説ですよね、これが正しいとしてもそれは発生時の様態であって後々まで適用できるとは限らない、現に6,7世紀を迎えると朝廷としての風体を整えている。モンゴル帝国も発生時は幾つかの騎馬部族の連合に過ぎなかった、Chokorinさんの論でいくとモンゴル帝国もモンゴル連合部族とでもしなければいけないんですかね。--Arstriker 2009年12月5日 (土) 01:01 (UTC)
概ね私は上記の冒頭文でも私は同意できなくはないですが、「ヤマト王権(やまとおうけん)は、~は限定的に使用すべきとの論も少なくなくない。」を冒頭で載せる意図は何でしょう?大和朝廷の但し書きについては、教科書の表現の変遷等も絡みがあって、冒頭説明は必要と思いますが、「王権が限定的に使用されるべき考えがある」を冒頭で載せる必要性を全く感じません。また、「少なくない」という表現は誤解を招くので客観的な表現に直してもらいたいですが。あと、朝廷と朝堂の議論については、必要であればそちらでやってください。本議論とは関係ないですし、皆さんこの記事をどうするべきかを議論しているのであって、他の議論を持ち出さないでください。議論が拡幅するだけです。--TENDERAS 2009年12月5日 (土) 02:08 (UTC)
朝廷と朝堂の議論が必要だと主張しているのではなく、国語辞書を絶対視するなら、そういう理屈になるんじゃないかという話です。「ヤマト王権」と「大和朝廷」の同義語としての側面を頭から否定しているわけではなく、上の案では、そういう含みを持たせているわけでしょう。同義語としての側面があるにせよ、それは全体ではないし、完全にイコールではないわけです。しかしまあ、「概ね同意できる」という御意見は歓迎いたします。ありがとうございました。Arstrikerさんは、いかがでしょうか。発生当初、名実のともなわないものであったが、結果はそうなるではないかという御意見ですが、であるなら、単純並列書きはむしろ不都合が多いということにならないでしょうか。--Chokorin 2009年12月5日 (土) 02:26 (UTC)
「王権が限定的に使用されるべき考えがある」を冒頭で載せる必要性について、言及してもらえないでしょうか。--TENDERAS 2009年12月5日 (土) 02:37 (UTC)
それについては、本文でふれた方がよいという意見が多いのであれば、その意見にしたがいます。--Chokorin 2009年12月5日 (土) 03:04 (UTC)
そういわれるのであれば、6世紀以降の政権についてヤマト王権と記述するのも同様に不都合が多いと思います。(〔大和朝廷⊂ヤマト王権〕とは思っていません。)『~この呼称が広く認知されてきたが、現在は、「ヤマト王権」「大和王権」「倭王権」「ヤマト政権」「大和政権」などへの語の転換が進んでいる。』も疑問ですね。どうしても書くならば『~この呼称が広く認知されているが、現在、一部においては、「ヤマト王権」「大和王権」「倭王権」「ヤマト政権」「大和政権」などへの語の転換がみられる。』ぐらいが適当と思いますね、書かなきゃいけないならばですが。「王権が限定的に使用されるべき」の文は全く不要。こうやってみてみると8月時点合意文の方が客観性が高く、まとまりもあり導入部として優れているといわざるを得ません。--Arstriker 2009年12月5日 (土) 05:59 (UTC)
「6世紀以降の政権についてヤマト王権と記述するのも同様に不都合が多い」とおっしゃいますが、不都合はまったくないですよね。6世紀段階でも「氏族の連合政権」であることには変わりないわけですから。〔大和朝廷⊂ヤマト王権〕とは思っていないというお話ですが、実際の語の用いられ方は〔大和朝廷⊂ヤマト王権〕であり、関論文という出典もある。ここでは、「古墳時代における氏族の連合政権」について述べるというのが大前提なわけですから、少なくとも「大和朝廷」と「ヤマト王権」を単純並列書きにして等号で結んでしまうのは、間違っているだけではなく、客観性が欠如しているわけです。御理解くだされば、と思います。「一部においては」という言葉も不要でしょう。--Chokorin 2009年12月5日 (土) 08:55 (UTC)
では7世紀以降ではどうですか?--Arstriker 2009年12月5日 (土) 09:10 (UTC)
7世紀推古朝以降であれば、「朝廷」「大和朝廷」という用例は一挙に増加するのではないでしょうか。壬申の乱後の天武天皇即位以降の政府について、「朝廷」「大和朝廷」という語を使うことに反対だという研究者はほとんど全くいないと思います。ただし、「改新の詔」における部曲田荘の廃止、つまり私地私民制、部民制ののこっているあいだは「氏族の連合政権」的要素を持つでしょう。また、「王権」という言葉自体は奈良時代の政府にも用いられるわけですから、推古朝以降平城遷都以前を「ヤマト王権」と呼んでも間違いではないでしょう。--Chokorin 2009年12月5日 (土) 13:11 (UTC)
ご回答ありがとうございます。そうしますとChokorinさんのご認識では、平城遷都以前は「ヤマト王権」と呼ぶべし、但し、平城遷都以後は「大和朝廷」と呼称するのが適切ということですね。一方、ここではChokorinさんは「大和朝廷」は「不適切」であると主張されている。ということはこの項目は平城遷都以前の限定された時代の政権を記述するページというご認識なのでしょうか。--Arstriker 2009年12月5日 (土) 13:58 (UTC)
「呼ぶべし」ではないですけど。それから、「大和朝廷」の言葉そのものが不適切と主張した覚えはなく、並べるのが不適切ということですね。扱う時代は「古墳時代」、扱う対象は「有力氏族の連合政権」ということでよいと思います。なので、年代の下限は大化薄葬令、壬申の乱、天武即位あたりになるんじゃないでしょうか。--Chokorin 2009年12月5日 (土) 17:42 (UTC)
モンゴル帝国の例でいくと、仮に「モンゴル連合部族」という言葉が用語として定着しているとすると、「モンゴル連合部族ないしはモンゴル帝国」という単純並列の表現は適切ではないし、中立的でもないというのが、私の見解です。--Chokorin 2009年12月5日 (土) 17:47 (UTC)
やたらと年代的なことにこだわっていますが、大和朝廷がいつ成立したかは考古学的には不明なわけですし、邪馬台国とのつながりも研究者によって見解が種々あるわけですから、本文で時期について各論を紹介すれば足りるでしょう。上の方でも述べられていますが、大和朝廷を使う研究者は一環して大和朝廷を使用しているわけですし、大和王権(政権)を使用する人も必ずしも大和朝廷との語を時期的に区別して使い分けしているわけではないのですから。結局Chokorin氏は補足説明すればたりる見解の相違を大きく問題視して、何とかしてヤマト王権と大和朝廷の記事分割の必要性を強調したり、両者を見出しに並記するのを阻止しようと画策しているわけで、その「作為性」に多くの方が疑問を提起している点をもう少し反省されたらよろしいかと思います。--薔薇騎士団 2009年12月6日 (日) 01:36 (UTC)
歴史の話題であるなら年代的なことにこだわるのは当然であり、こだわる気がないなら歴史の話題について発言するのは差し控えられてもよろしいのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。ところで、「大和朝廷」の語を考古学の用語として一貫して用いている研究者とは、どなたでしょうか?--Chokorin 2009年12月6日 (日) 02:09 (UTC)
すいません、追加で一点確認なのですが、Chokorinさんのご見解では、ここでは天武即位あたりまでを対象とするとのことですが、ではその後の年代の政権についてはどこで記述すべきとお考えでしょうか。--Arstriker 2009年12月6日 (日) 02:59 (UTC)
天武天皇即位以降については、律令制朝廷公地公民制という項目がまた別にあるわけなので、それらの項目に譲ればいいのではないでしょうか。ここでは、あくまでも「古墳時代の氏族の連合政権」について説明するということでよいと思いますが。--Chokorin 2009年12月6日 (日) 03:11 (UTC)
なるほど、ご主張は理解できたと思います。つまりChokorinさんのご認識では、極論すると、「ヤマト王権」→「朝廷」→(「現天皇家」)となっており、歴史学上、「大和朝廷」用語は使われないということですね(現に上にあげられたところはChokorinさんも執筆されておりますが「大和朝廷」の記述は無いか、あっても肯定的には触れられていませんよね。)。しかしですね、その一方で「大和朝廷」を歴史学用語として使用されている方もいる訳です、しかも天武以降であればほとんどの研究者に異論がないというお話。この事実に対する配慮はいかがしますか。あと、ここは元々は「古墳時代の氏族の連合政権」について説明するページではなく、「大和朝廷」、「ヤマト王権」について説明するページであった、というのが私の認識です。--Arstriker 2009年12月6日 (日) 03:46 (UTC)
それは確かに「極論」ですね。ただ、極論ではあるが、あまり外れていないと思います。「大和朝廷」「ヤマト王権」について説明するページということを最優先に考えるなら、分割ということになるんじゃないでしょうか。つまり、「中立性」ということを真に考えるなら、単純並列書きではなく、むしろ分割ではないのかというのが、わたしの主張だったわけです。何も「大和朝廷」の語を忌み嫌っているのではありません。あらためてArstrikerさんの方から分割提案されるのであれば、わたしとしては賛成票を投じるのにやぶさかではありません。--Chokorin 2009年12月6日 (日) 03:56 (UTC)
残念ながらご趣旨には賛同できません。Chokorinさんのご主張は議論をとおして理解できたつもりでいますが、客観論となると別です。現在のところ、私には、「大和朝廷」「ヤマト王権」の両用語の棲み分けが確立できているとは思えません。--Arstriker 2009年12月6日 (日) 04:41 (UTC)
であるなら、仕方ないですね。ここでは「古墳時代の氏族の連合政権」について説明するということでいいのではないでしょうか。「ヤマト王権」に後続する政権・国家について説明したいということであれば、「律令国家 (日本)」というような記事を立てられるのがよろしいでしょう。別に反対はいたしません。--Chokorin 2009年12月6日 (日) 05:20 (UTC)
まず「ここでは「古墳時代の氏族の連合政権」について説明するということでいいのではないでしょうか。」これについてコミュニティの合意を得る必要があると思うのですが、いかがでしょうか。--Arstriker 2009年12月6日 (日) 07:25 (UTC)
正直なところ、あまり必要性を感じませんけれどね。「ヤマト王権」というのは「古墳時代の氏族の連合政権」という意味なわけですから。そして、「連合政権」であるなら「朝廷」の語は適切ではないということで語の転換が進んでいるわけでしょう。〔ヤマト王権=大和朝廷〕というyahoo国語辞書の説明は「連合政権」という側面をスルーして成り立っているわけです。そしてまた、同じことですが、「ヤマト王権」「ヤマト政権」などの呼称は「連合政権」である古墳時代の政治組織の特質に着目したからこそ使用されるようになった言葉なわけです。古墳は単なる墓ではなくて、きわめて政治的な意味をもっているという認識が根底にあるわけですね。そのことが明白であるなら、コミュニティの同意を得る必要性を特に感じないわけですが、いかがでしょうか。--Chokorin 2009年12月6日 (日) 07:44 (UTC)
上でおっしゃられていることは「ここでは「古墳時代の氏族の連合政権」について説明する」が前提となっていますよね。私はそれを前提とするかどうかの議論も必要ではないかと提議している訳で。とはいえ、思うところがあるので本件については、現時点では、強く反対を表明しません。まずは他の方のご意見もお聞きしたいです。--Arstriker 2009年12月6日 (日) 08:01 (UTC)
うーん。ここで「大和朝廷」をどうしても説明したいということなら、それでも構わないんですが、それならそれで「古墳時代の氏族の連合政権」について説明する記事は、それとはまた別に必要だと考えます。だとすると、結果的には分割するのとたいして違わない気がするのですね。両用語の棲み分けということに関していうならば、確かに一般レベルでは混乱していますが、研究者レベルでは混乱はないわけですから。いずれにせよ、単純並列書きというのは誤謬をふくむわけですから、回避するのが当然ではないかと考えます。--Chokorin 2009年12月6日 (日) 09:21 (UTC)

「あまり必要性を感じない」と言っただけでは、話が進まないので、あらためてここでは「古墳時代の氏族の連合政権」について説明すべきであることを主張します。もう一度、「ヤマト王権」「大和朝廷」両語の意味を検討しますと、まずは「ヤマト王権」には「古墳時代の氏族の連合政権」という意味以外の意味はないわけです。というのも、「ヤマト王権」は、そのために造られた語(造語)だからです。なぜ、それが造られ、普及・定着していったかというと、それまで何となく使われていた「大和朝廷」という語が「連合政権」という側面に着目する限りは不適切と思われたからです。はじめは研究者の論文のなかで、やがて一般向け書籍で、さらには教科書や事典類で語の転換が進み、今やテレビの報道でも「ヤマト(大和)王権」「ヤマト(大和)政権」が使われるようになった[7]し、平成21年からは高校の学習指導要領からも「大和朝廷による国土統一」の文言は外された。今後は、小中学校でも外される可能性が高いわけです。岡山とか群馬というようなところに墳丘長200メートルをこすような巨大な古墳が見つかっている以上、地方の豪族が強大な力をもっていることは疑いないわけですし、文献資料からも連合政権的な要素はかなり傍証される。ここのところは確かに、どなたかが言われたように「俯瞰」してゆく必要があります。ただし、こういう事情での語の転換であるため、単純並列書きにして「ヤマト王権ないしは大和朝廷」という書き方はきわめて不適切です。

いっぽう、「大和朝廷」の語は、戦前から用いられてきたことばであり、現状では、次の3つくらいの意味がある。

  1. 『日本書紀』『古事記』に伝承されてきた律令国家成立以前の大和国を本拠とする有力な政治勢力およびその政治組織。現皇室の祖。
  2. 大和時代(古墳時代)の政府・政権。
  3. 飛鳥時代または古墳時代後半の天子(天皇)を中心とする官僚制をともなった中央集権的な政府・政権。

戦前においては、1.の意味で用いられてきたわけですが、戦後は一転して2.のような意味で用いられるようになった。もともとあった「皇室の祖」という意味はどこかへ行ってしまったわけです。Arstrikerさんが前におっしゃられた意味も「皇室の祖」という要素を抜いてしまえば1.に近いわけですね。わたし自身も高校時代は古墳時代の政権という意味で「大和朝廷」の語を学びました。しかし、小学校くらいまでは時代名称は大和時代だったと記憶しています(あんまり言うと、年齢がばれてしまいますが)。そして、2.の部分こそが〔ヤマト王権=大和朝廷〕というふうに思われている部分なわけですね。ただし、ここでは「連合政権」という側面は重視されていません。重視するなら「大和朝廷」なる語は使えないわけです。ほとんど全ての学者が2.の意味で「大和朝廷」という語を使っていないのは、そのためです。ただし、一般的にはここの部分こそが混乱しているし、「棲み分けが確立していない」というふうに評される部分です。個人的には、そういう一般レベルでの混乱・混同を客観的に描写する必要はあっても、何も自分自身が混乱・混同を引き受ける必要はないと考えています。3.は「朝廷」の原義に引きつけた言い方であり、天武朝以後については「ヤマト王権」「大和朝廷」両方の語を使う人がいる(吉田孝など)、客観的にみて、天武朝以後はどちらを使っても構わないわけです。その一方で、両者を年代ごとに使い分ける人がいる。つまり、

  • 安康以前を「ヤマト王権」、雄略以後を「ヤマト朝廷」(平野邦雄)
  • 宣化以前を「倭王権」・「大和王権」、欽明以後を「大和朝廷」(鬼頭清明)

というふうに。これは、あくまでもその学者の用語法なので異論があるかもしれません。逆に言うなら、これぐらい多義的で、多様な言葉「大和朝廷」と一義的な「ヤマト王権」を単純並列書きにするのは、きわめて不適切です。そして、本来、これくらい多義的であるなら、単独記事でもよいくらいです。というのも、依然として1.の意味で「大和朝廷」の語を用いている学者や著述家がいるからです。武光誠や高森明勅などがそうです。そこでは「『日本書紀』『古事記』に伝承されてきた勢力」という意味だけでなく、「『日本書紀』『古事記』を伝承してきた勢力」というニュアンスを含むようです。武光誠は神武東征説話を大和朝廷の起源に置いていますが、この観点からすると一貫している。また、角川の『皇室事典』でも四道将軍やヤマトタケルの伝承について「大和朝廷の建国伝承」という章を設けて説明しています。前々から申し述べていますが、これを「古墳時代の氏族の連合政権」について説明する考古学の成果に多くを依拠する記事と同じ記事のなかで説明しようというのは無理があります。少なくとも「大和朝廷」は「大和朝廷」で俯瞰する必要があるのです。「大和朝廷」を「皇室の祖」と描くような"こういう"叙述は、もしかしたらArstrikerさんや薔薇騎士団さんにとっては不本意かもしれません。何となく「科学的な装い」が剥ぎ取られた感情や印象をお持ちかもしれないが、しかし、これは決して独自研究ではない。「良質な情報源」による出典にもとづく記述なわけです。むしろ、「大和朝廷」を「古墳時代の氏族の連合政権」として扱う方がよほど独自研究といえます。それは、単に国語辞書を恣意的に解釈しただけにすぎないのではないかと思います。そして、このような「伝承」「伝説」は民俗資料としては決して無視すべきものではありません。純然たる作り話や政治的意図にもとづいて挿入した話もあるかもしれませんが、何らかの史実を伝えている可能性も大きいのです。それゆえ、「ヤマト王権」の記事のなかに「大和朝廷」の節をつくるとしても、このような説明は必要であることを申し述べておきます。さしあたって、並列書きそのものが辞書・事典には本来的に不適切であること、見出しが「ヤマト王権」であるなら、ここでは「古墳時代の氏族の連合政権」について説明すべきであること、それゆえ、「ヤマト王権」と「大和朝廷」との単純並列書きは認められないことを改めて申し述べます。--Chokorin 2009年12月6日 (日) 22:12 (UTC)(修正)-Chokorin 2009年12月6日 (日) 23:58 (UTC)

大和朝廷を古墳時代の氏族の連合政権と述べるのは独自研究とおっしゃいますが、私が持っている広辞苑にもそのように記されています
大和朝廷:日本最初の統一政権。大和を中心とする畿内地方の諸豪族が連合して皇室から出る君主を大王、後に天皇として擁立し、4~5世紀までに東北以遠を除く日本本土の大半を統一した。(『広辞苑』)
日本でもっとも権威のある辞書の記述もChokorin氏の説に従えば独自研究になってしまいますね。それはもちろんおかしいわけです。--薔薇騎士団 2009年12月7日 (月) 09:07 (UTC)
国語の話題じゃないですから、国語辞書を出典にするのはおかしいと思いますけどね。まあ、念のために何年初版のものか伺っておきましょうか。--Chokorin 2009年12月7日 (月) 09:30 (UTC)
第五版(平成10年)の電子辞書収録のものです。--薔薇騎士団 2009年12月7日 (月) 10:02 (UTC)

(ちょっと横道かもしれませんが)まず、国語辞典を典拠にするのは止めませんか?国語辞典は学術の先端を反映するものではないからです。学術論文、学術書、百歩譲っても研究者の書いた概説書・新書の類までが出典であり、国語辞典や教科書はリダイレクト作成の参考にこそなれ、厳密な百科事典の文章の典拠にするには相応しくないと思います。私は先日、分割に反対しましたが、それは前にも述べたように、学習指導要領や国語辞典などで人口に膾炙した「認識」では「ヤマト王権=大和朝廷」であると認識しているからです。しかしながら実際に研究者としてそのような認識に立っている方は少数だと思います(独自研究)。ですので、ここでは人口に膾炙した「認識」への配慮をしつつ、主要な部分では研究者の多数説を踏まえた記述がなされるべきだと思うのです。勿論少数説やこれまでの学説史も必要です。分割してはそれらを知りたくてリダイレクト元から飛んできた利用者が迷子になるからです。しかし本文の主要部分には研究者の(できるだけ)最新の動向や傾向を反映させる必要があるのではないでしょうか?--ろう(Law soma) D C 2009年12月7日 (月) 09:49 (UTC)

人文科学の場合、自然科学のように「最先端」だから学説として優れているというわけではありませんからね。一時期流行した古代史の学説(騎馬民族移入説、大化の改新虚構説etc.)もその後注目されないというのは多々ありますから。その点、国語辞典は定評のある客観的で異論の出にくい見解を採用しますから、安心できる側面があります。百科事典の記述もそうです。Wikipediaが百科事典であるという事実を忘れてはいけないと思います。--薔薇騎士団 2009年12月7日 (月) 10:02 (UTC)

上の『広辞苑』の記述は全然客観的には思えないのですけれどもね。何をもって「統一」というのか、また「4~5世紀までに東北以遠を除く日本本土の大半を統一した」ということの根拠が書かれていれば、多少は「客観的」と言えるかもしれませんが。それから、古墳研究に関しては、戦後、圧倒的に考古資料の少ない時点からスタートしていることをお忘れになってはいけませんね。ほとんど発掘調査のなされなかった状態で始まっただけではなく、古墳に暦年代を与えることさえ資料不足でできなかったわけです。何十年にわたる全国各地の調査の結果、資料が飛躍的に増加して土器編年が緻密になり、また、年輪年代測定など画期的な年代測定法があらわれて、精度が著しく向上しているわけです。ですから、ハッキリ言えば、10年以上前の文献は使えるかどうか疑ってかかった方がいいくらいだと思います。そういう意味では、資料の増加がほとんど見込めない他の人文科学と同列には扱えませんね。それにまた、大和朝廷からヤマト王権などへの語の転換は、「最先端」とか「一時期に流行した」というわけではなくて、20数年以来のことなわけです。単に用語の厳密な使用法が普及したというだけのことであり、特定の仮説の優劣を論じているわけではありません。古い国語辞書を持ってきてもまったく意味はないわけです。まあ、横道にそれたのは私の責任なので元に戻すと、仮に薔薇騎士団さんのおっしゃることに全面的に同意するとしても、だからといって、単純並列書きが優れているという理屈にはなりませんよね。そのあたりは、いかがですか? --Chokorin 2009年12月7日 (月) 11:01 (UTC)

広辞苑を間違っていると主張されるわけですか? まあそういう主張は一般には受け入れられないと思いますが、いずれにしろ検証可能性は出典の真偽を問題にはしません。何度も繰り返していますが、大和朝廷派が間違っているとChokorin氏がお考えならどうぞ学会で反論してください。また広辞苑が間違っていると思うのなら、岩波書店に抗議の手紙を出せばいいでしょう。いずれにしろ、Wikipediaはそうした真偽論争には関係ありませんので、その点よく理解されたらいいかと思います。あと第五版は平成10年ですから古いというのはおかしいですね。--薔薇騎士団 2009年12月7日 (月) 15:05 (UTC)
国語辞書についての議論は下のノートで扱うこととしましょう。--Chokorin 2009年12月8日 (火) 09:18 (UTC)
薔薇騎士団さんが国語辞書を唯一の出典とされていることは理解しました。それで、薔薇騎士団さんの書かれた文は、単純並列書きはやめることに同意されたというふうに受けとってよい、ということでしょうか。--Chokorin 2009年12月7日 (月) 15:52 (UTC)(加筆)--Chokorin 2009年12月7日 (月) 16:48 (UTC)
上で何度も学習指導要領やマスコミでの使用頻度、官公庁での使用状況等議論してきているのをお読みになっていないのでしょうか。アジテーションとしてはレベルが低いですね。--薔薇騎士団 2009年12月8日 (火) 14:54 (UTC)
追伸:あといい加減相手の文章を勝手に改変したり、同意を得ずにアーカイブ化したりするのはやめてもらえませんか。--薔薇騎士団 2009年12月8日 (火) 15:05 (UTC)
学習指導要領については、私自身は別段「良質な情報源」などと考えているわけではありません。以前は無理やり並列書きにするために学習指導要領を持ち出してきたというだけの話であり、そんなものに賛成できるはずがありません。しかし、並列書きをやめ、語の転換が進んでいるという客観的事実を冒頭に記載するということに合意されるならば、そこは妥協してもよいと考えます。というのも、語の転換が進んでいることだけを示すということになれば、それはそれで全ての次元で進んでいるというふうに誤解される怖れもあり、そのような観点から成されたTENDERASさんの御意見は傾聴に値するし、同意するに足ると思うからです。薔薇騎士団さん御自身はいかがなのでしょうか。薔薇騎士団さんが信じてやまない広辞苑でも、第5版と第6版では、語の転換がなされたことがハッキリ確認できましたね。そしてまた、大和朝廷とヤマト王権が同一の事象を単に好き嫌いで言い換えているのではなく、ある一定の理由があって語の転換が進んでおり、意味のうえでも、100パーセント完全に等号で結べるわけではないことは、国語辞典の記述の変遷からでも知ることができたかと思いますが、いかがでしょうか。--Chokorin 2009年12月9日 (水) 13:43 (UTC)
TENDERASです。Chokorinさんにご質問ですが、2009年11月12日 (木) 17:04に提案された単純並列書き提案は撤回されたと理解してよろしいのでしょうか?以前も聞きましたが、回答をもらえなかったので。--TENDERAS 2009年12月7日 (月) 23:56 (UTC)
回答したつもりでいましたが。答えになっていなかったんでしょうか。あらためて当方から提案する気はないです。撤回と理解していただいて結構です。どのようなかたちであれ、単純並列書きが望ましくないことは確かであろうと思います。それからまあ、考えてみれば、いま提案中の文、8月合意の文、共通して問題になる箇所があります。「古墳時代に『大王』などと呼称された倭国王」の部分で、実は「大王」号の称号の成立は5世紀なかばから後半にかけてという見解が多いようです。Wikipediaもその点では正確な記述になっています(出典がありませんが)。和田萃などは「王墓」「大王墓」というふうに年代と規模により区別している。この項目では、少なくとも「古墳時代」について扱うということでは異論がないようですから、「王」「大王」というふうに「王」を補う必要がありそうです。「王権を制限的に使用する見解」については、本当にまったく不要なのかということは再考を要すると思っています。こだわる気はないのですが、そういう見解があるのだとすれば、むしろ冒頭文でこそ踏み込むべきではないのかというふうにも思うのです。これは、記事全体をどう考えるのかとリンクする問題なのでいま少し検討を要すると思います。--Chokorin 2009年12月8日 (火) 00:27 (UTC)
回答ありがとうございます。一応、私個人の見解としては既に述べているとおり単純併記と但書の表記のどちらでもよいと思いますが、但書の方がすっきるするなというのが率直なところです。8月の合意文は私が提案したものですが、私自身拘っておりません。あと強いて追記するとするのであれば、以前の表現にあった「現在でも学習指導要領などでは「大和朝廷」と称されるが」という公式文書でも使用されている事実を冒頭で触れる配慮があってもよいように思うだけです。なお、「学習指導要領」については全ての要領に載っているわけではないと思いますが、何らかの形で触れてもよいのではないかと思っています。--TENDERAS 2009年12月8日 (火) 01:23 (UTC)
こちらこそありがとうございます。確かに学習指導要領にはふれた方がいいかもしれませんね。小中学校の指導要領にその文言があることは事実ですし、語の転換だけを記載して公式文書をはずすのは具合がわるいかもしれません。そこは同意できます。--Chokorin 2009年12月8日 (火) 02:53 (UTC)

国語辞書を唯一の出典とするのは適切か 編集

これは本題ではないので、こちらで話し合うこととしましょう。

まず、広辞苑が間違うはずがないという御意見ですが、それはありえない話であり、それほど完全無欠なものであるなら、改訂作業はなされないはずなのですね。実際には間違いもありますし、何度も改訂があります。たとえば、「少林寺拳法」と「少林拳」はまったく別のものなのですが、広辞苑第6版では混同されており、「少林拳」のところに「少林寺拳法」の説明が載っています。確認なさってみてください。

次に、たとえば「4~5世紀までに東北以遠を除く日本本土の大半を統一した」というふうに書いてあっても、それは何を根拠にしてそう言っているのか。百科事典が学術を対象とするものであるなら、実は、その部分こそが大切なのです。なかなかそこまで書いてある国語辞典というのはないですが、根拠が記されて初めて検討や判断が可能になります。その意味では、学術の出典にはなりえません。

三番目に、どうして第6版ではなく、第5版を持ち出されたのかはわからないのですが、第6版では「大和朝廷」の見出しは「→大和政権」つまりリダイレクト状態になっていて、

大和政権:大和を中心とする畿内地方の古代政権。諸豪族が連合して大王、後には天皇という称号の君主を擁立し、4~5世紀までに東北以遠を除く日本本土の大半を統一した。統一時代の君主は軍事的英雄であったと見る説もあるが、6世紀には世襲的王制が確立し、諸豪族は臣・連などの姓によって階層的に秩序づけられて、氏姓制度が成立した。飛鳥時代から氏姓より個人の才能、努力を重んずる官司制度が発達し、7世紀半ばの大化改新後、律令制の朝廷に変質した。大和朝廷。(『広辞苑』第6版、2008年)

という説明になっています。つまり、ここでは語の転換が反映されている。そして「日本最初の統一政権」「近畿地方の諸豪族」「皇室から出る君主」の文言が削除されて、世襲的王制の確立や氏姓制度の成立、官司制度の発達などの説明が付け加えられて、7世紀半ばの「朝廷」への変質という後続する政権への言及があります。

日本で最も権威ある辞書であるとお考えなら、従うべきとは存じます。それについては反対しません。

ただ、国語辞書を絶対視して、それ以外の書籍を認めないというのは、はたしていかがなものかと思います。国語辞書というのは、語の意味を調べるためのものであり、学術的な情報を得るためのものではないと思います。だから、国語辞書を参考にするのはよいとしても、学術的な話題の出典にはならないのではないか。加えて、無記名なわけです。先の例でいうと「なぜ、この人はこういう結論を出したのか」、そのプロセスがわからない。学術的な情報を得るためには、われわれは普通、考古学の場合だったら、百科事典や歴史事典、考古学事典の類を読み、それでもわからなければ概説書なり専門書、報告書などを読むはずなのです。国語辞書が何のために編集されるもので、どう使用されるのか考えれば自明のはずです。

ここに集まった人びとが字引をつくるために集まったんなら、国語辞書を出典にすることも大きな問題にならないと思います。しかし、ここは百科事典をつくる場のはずです。字引をつくる場としては、 ウィクショナリーが設けられています。

以上のことより、数多くの出典のひとつとして尊重するというのならまだしも、国語辞書のみに権威を認めてそれのみを出典とみなすというのは本末転倒していることを申し上げておきます。--Chokorin 2009年12月8日 (火) 09:30 (UTC)

記事冒頭文提案1210 編集

Chokorin氏の提案を踏まえ、8月での合意文をベースに、ヤマト王権と大和朝廷の並記の中立性を重視して、以下の冒頭文を提案します。--薔薇騎士団 2009年12月10日 (木) 00:07 (UTC)

ヤマト王権(やまとおうけん)ないしは大和朝廷(やまとちょうてい)とは、古墳時代には「大王」(おおきみ)と呼ばれ、後に天皇と呼称された君主を中心として、いくつかの有力氏族が連合して成立した古代の政治権力、政治組織である。

かつてはもっぱら大和朝廷(やまとちょうてい)と呼ばれ、現在でもこの呼称は一般には広く認知されているが、近年では「ヤマト王権」「大和王権」「倭王権」「ヤマト政権」「大和政権」などの語を使用する研究者も増えている。ただし「大和」「ヤマト」「倭」の表記や「朝廷」「王権」の用語・用法をめぐっては学界でもさまざまな見解があり、一定していない。(詳細は「名称について」の節を参照)。それゆえ、本記事では、中立性維持の観点から原則としてヤマト王権(大和朝廷)の並記で叙述する。

  コメントこれだとすぐに書き直されてしまいます。反対。--Chokorin 2009年12月10日 (木) 00:12 (UTC)

わたしも、あらためて提案します。

ヤマト王権(やまとおうけん)とは、古墳時代に「王」「大王」(おおきみ)などと呼称された倭国王を中心として、いくつかの有力氏族が連合して成立した政治権力、政治組織である。大和朝廷(やまとちょうてい)とも呼ばれ、この呼称が広く認知されてきたが、現在は、「ヤマト王権」「大和王権」「倭王権」「ヤマト政権」「大和政権」などへの語の転換が進んでいる(詳細は「名称について」の節を参照)。
ヤマト王権は、「奈良盆地などの近畿地方中央部を本拠地とする王の権力」の意であるが、いっぽうでは「地域国家」と称せられる日本列島における多様な権力の存在を重視すべきとの見解がある。また、かつて広く用いられてきた「大和朝廷」の語は現在でも小学校中学校学習指導要領で用いられているが、「大和」の表記や「朝廷」の定義と成立時期をめぐって学界のなかでも見解が分かれている。

薔薇騎士団さんの案がよいか、わたくしの案がよいか、改善点も含め御審議ください。審議が再び膠着した場合、最終的には投票で決定してもよいと思います。--Chokorin 2009年12月10日 (木) 00:27 (UTC)(加筆)--Chokorin 2009年12月10日 (木) 02:40 (UTC)

(追記)なお、「大和朝廷」については、この記事のなかで扱うこととし、節を設けて解説すべきと考えます。--Chokorin 2009年12月10日 (木) 00:51 (UTC)

八月に合意された並記を無視しつづけるなら、ずっと保護解除は無理かと思います。Chokorin氏の案は中立性への配慮が足りないため反対します。--薔薇騎士団 2009年12月10日 (木) 02:07 (UTC)
無視ではなくて、直視したうえでの異論です。中立性については、わたしは薔薇騎士団さん以上に重視しているつもりです。ただ、中立性は、本文において複数の出典を示すことによって実現すべきと考える点が異なるだけです。ここでは、薔薇騎士団さんが掲げられたような、ヤマト王権と大和朝廷が100パーセント同一のものであるとの見解を冒頭に示すことが適切かどうか、また、その見解を前提に並列書きに徹していくことが適切かどうか話し合った方がよいと思います。--Chokorin 2009年12月10日 (木) 02:50 (UTC)

薔薇騎士団さんに質問です。まず、わたしの案に対して「中立性への配慮が足りない」ということですが、具体的にどのような点に中立性が足りないとお考えになるのか、それは学問上の中立性なのか、政治的な中立性なのか、また、どうすれば中立性が獲得できるというふうに考えるのか、そのあたりを御説明ください。それから、薔薇騎士団さんの案「近年では…などの語を使用する研究者も増えている」とのことですが、「近年」とはだいたい何年あたりからを指しているとお考えなのか、「研究者も増えている」ということは、これらの語を使用しない研究者もいるということだと思うのですが、たとえば誰を想定しているのか、また、語の転換が進んでいる理由について薔薇騎士団さんはどのように考えておいでなのか。もう一つ。厳密さを要求される辞典・事典類において、主語が2つという文章は多くないと思われますが、薔薇騎士団さんがそのような表現をあえて採用される理由は何なのか。このあたり、説明していただけると幸いです。--Chokorin 2009年12月10日 (木) 10:04 (UTC)

(追記)まあ、すべてに対してお答えするのも大変ですから、お答えしやすいものだけ答えていただければ結構です。正直、わたしとしては「ヤマト王権ないしは大和朝廷」という表現には全然中立性を感じないのです。置き換え不可能なものを"or"で並べるのは、むしろ非常に偏った印象を受けてしまいますし、とても作為的な感じがいたします。置き換え可能なものなら、「ここでは『ヤマト王権』を使用する」で済むはずです。「中性脂肪と中性脂質」「米国と合衆国」のような同じものならば、同一記事のなかでどちらの語を使ったところで、それが中立性を侵すということにはならない。ということは要するに、両者は等号で結んではいけない語ということになりはしないでしょうか。であるなら、但し書きになるのを許容するほかないと考えます。結論としては、薔薇騎士団さんの提示された冒頭文には、矛盾があるんじゃないかということです。--Chokorin 2009年12月10日 (木) 12:57 (UTC)

ご質問の件は、過去ログを読めば全部書いています。もう一度面倒でもお読み下さい。正直、Chokorin氏の疑問はほとんど8月の議論で出尽くしていて何ら目新しいものがありません。また、ヤマト王権と大和朝廷は同一ではないというChokorin氏の見解は、記事分割否決によって多数の人より疑問が持たれています。すでに決着済みの問題を蒸し返してばかりいると、永遠に堂々巡りと思いますよ。--薔薇騎士団 2009年12月10日 (木) 14:21 (UTC)
同一であるなら、何も並列書きにこだわる必要はないのでは? 「ここでは『ヤマト王権』の語を使用する」ということでいいはずでしょう。それだと、なぜ中立性に欠けるのですか。--Chokorin 2009年12月10日 (木) 14:34 (UTC)
「○○あるいはxxとは~」もしくは「○○または、xxは~」などはごく普通に散見される文章ではないでしょうか。そして大雑把な印象ですが学会においても、特定時期でこそ、「ヤマト王権⊃大和朝廷」であるかもしれませんが、時期を区切らない場合は必ずしも正しくない、場合によっては「大和朝廷⊃ヤマト王権」である感じを受けました。本文で時期を区切った上でChokorinさんが両語の適切性、あるいは不適切性を中立的な観点で執筆されるのには反対いたしません、が、導入部にて敢えて時期を特定した上で「大和朝廷」を排斥する書き方にはやはり疑問を感じます。標題が「ヤマト王権」なのだからそれは時期が特定される、よってここでは「大和朝廷」はふさわしくない「大和朝廷」は別個に設けるべきだ、とのChokorinさんのご意見は筋が通っておりますが、ここは元々「大和朝廷」のページであったのだし、分割は投票で否定されています。-まぁ、要するにChokorinさんご提案の導入部には「大和朝廷」は誤りであると書かれており、それは必ずしも正しくないので反対です。薔薇騎士団さんご提案の文には大筋反対はしませんが、末文「それゆえ、本記事では、中立性維持の観点から原則としてヤマト王権(大和朝廷)の並記で叙述する。」はちょっと理解が得られにくいのではないでしょうか。--Arstriker 2009年12月10日 (木) 15:03 (UTC)
(追記)見出しが「ヤマト王権」なのが併記を認められない理由であるのならば見出しを「大和朝廷」にした上で「ヤマト王権」節を設けるという手もあるのかな、とふと思いました。いかがでしょうか。--Arstriker 2009年12月10日 (木) 15:11 (UTC)
困りましたね。見出しが「大和朝廷」なら、どんな冒頭文になるんでしょうか。別に大和朝廷を排斥するつもりはないので、Arstrikerさんが少しお考えになってみてください。--Chokorin 2009年12月10日 (木) 15:47 (UTC)
大筋、薔薇騎士団さんご提案の文で、時期を特定して「ヤマト王権」が学会で主流を説明するという感じでしょうか。現時点で見出し「大和朝廷」案につきましては思いつきの範疇を超えません。Chokorinさんはいかがお考えでしょうか。--Arstriker 2009年12月10日 (木) 15:57 (UTC)
ちなみに「大和朝廷」最後の記事は、こうなっていますね。御参考までに。--Chokorin 2009年12月11日 (金) 00:41 (UTC)

まず、「大和朝廷は誤り」というふうに言った覚えは全然ないんですね。そういうふうに聞こえるとしたら、語の転換が進んでいることを客観的に書いたからなのだと思います。それはしかし、多くの研究者がそう考えた結果そうなっているからなんですね。わたしのせいではない。じゃあ、前々から考えていた切り札(?)を出しましょう。orで結ぶのではなく、andで結ぶ。つまり、

本稿ではヤマト王権(やまとおうけん)の用語に代表される古墳時代の有力氏族による連合政権について、および、大和朝廷(やまとちょうてい)の用語・用法について説明する。

として、2部構成にする。つまり、前半では3世紀中葉から7世紀中葉の古墳時代の政権について叙述する。後半では大和朝廷に特有の用法や大和朝廷と呼ぶにふさわしい時代について叙述する。これだと、ろうさんがおっしゃる「迷子」は生じないし、投票結果を尊重したことになり、さらに今ある記事を生かすことになると思います(見出しが「大和朝廷」なら全面書き直しです)。もっとも、文面はもっと洗練させる必要はありますが。そして、お互い「『節』の冒頭文」についてはなるべく干渉しないで、相手の言い分を尊重する。いかがですか? これくらいしか、打開策は思い浮かびませんが。私としては「大和朝廷」の語に「古墳時代」の時代名称をかぶせるのは大変具合が悪いと思うのです。--Chokorin 2009年12月10日 (木) 16:33 (UTC)


本稿では「ヤマト王権」(やまとおうけん)の用語に代表される古墳時代の有力氏族による連合政権について、および、同じ頃の皇室の祖を中心とする政権「大和朝廷」(やまとちょうてい)について説明する。

薔薇騎士団さんは、8月合意で全てが解決済みとおっしゃいますが、実は何も解決されてはおらず、その合意がむしろ問題を生じさせているわけですね。そして、ここでまたorで結ぶ単純並列書きが復活するということであれば、同じことの繰り返しになってしまいます。たとえば薔薇騎士団さんの冒頭文案「朝廷=連合政権」「王権=皇室の祖」がおかしいと思う人がいたら即座に書き直されてしまう。これは、火を見るより明らかなわけです。また、賢明な皆様ならお気づきのこととは思いますが、明らかにそこは「要出典」なわけですよね。根拠らしい根拠がほとんどない。ここにいる人間が全員それなら合意できるということで仮に合意に至ったとしても、書き直される要素があるのなら、まったく意味がないんですね。まあ、その点では、わたしの掲げた案も同じかもしれません。わたしの案のどこをどう読めば、中立性の侵害だとか、大和朝廷の排斥というふうに読めるのか、わたしには不思議でならないんですが、そういうふうに感じてしまう人が現実にいるんだったら仕方がない。andの並列書きで2部構成にするよりほかに道はないでしょう。上にand並列文を再掲しました。「大和朝廷」の書き方は難しいのですが、上では戦前以来の古くから使われてきた意味を書きました。これならば出典に困ることはありません。一時期は「ヤマト王権」とほぼ同義で用いられたことは、本文で説明していけばいいでしょう。それはまた、両者が同一項目で扱われることの説明にもなります。もしかしたら、ここにいる全員にとって不本意な結果かもしれませんが、コミュニティの外からも文句の出ない方法としてはやむを得ない措置ではないかと考えます。いかがでしょうか。--Chokorin 2009年12月11日 (金) 12:30 (UTC)

八月の合意文を蒸し返しているのはChokorin氏ただ一人で、しかも八月の合意は自分が加わっていないから無効だと、無茶苦茶な主張をしているわけです。一体世の中に「自分が議員になる前に成立した法律は、自分が参加していないから無効である」などという人がいるでしょうか? つまり皆はChokorin氏の不当な要求に親切につきあってここまで膨大な議論に参加してあげているわけで、その好意をよく理解なされたほうがいいかと思います。--薔薇騎士団 2009年12月13日 (日) 02:28 (UTC)

要するに「and並列文」にも合意できないという趣旨ですね。では、投票によって決するしかないでしょう。私は前に出した冒頭文を提示します。これと、薔薇騎士団さんの掲げたorで結んだ並列文とで決を採りましょう。まあ、私の高校時代くらいまでは、大和朝廷の征服に対して地方の首長が服属し、大和の大王を頂点とする全国的・一元的な身分秩序に編成された。前方後円墳の出現はその現れである。そんなふうに理解されていました。これは、確かに20年前、30年前だったら定説だったわけです。しかし、今やそういう認識は成り立ちません。土器編年や科学的な年代測定が進展して前方後円墳の出現が3世紀までさかのぼること、しかも、東北から九州にまで出現期の古墳が分布していること、5世紀前半に大王墓クラスの巨大墳墓が岡山・群馬・宮崎で営まれていること、また2世紀後半の「倭国大乱」が3世紀の卑弥呼の「共立」によって収まったという記事、当時の倭国が邪馬台国など30ヵ国の連合体であったこと、狗奴国との対立の記事、こういうことをすべて整合的に理解していくには「大和朝廷」の語は、むしろ桎梏になってきたのです。少なくとも3世紀から5世紀の前半に関して「朝廷」の語を用いるのが不適切であることは明白で、だから語の転換が進んでいるのです。「大和朝廷→ヤマト王権」という語の転換はありえても、その逆はありえません。何十年間の研究の蓄積を考えたら、当たり前の話です。こういう、ごくごく基本的なことが説明できない百科事典というのは一体何なのか。大和朝廷を3世紀までさかのぼらせることは弥生時代末期の研究にまで影響をあたえてしまいますし、下手すれば、神話を史実として信奉するような歴史になってしまう。神話は神話として区別しようという提案さえ拒否して、8月の合意を「法的拘束力」を持っているとまで強弁する。それが果たして正しいかどうか。みなさんの御判断をあおぐことにいたしましょう。これで、御異義はないですね?--Chokorin 2009年12月13日 (日) 08:36 (UTC)(定義文をカット、加筆)--Chokorin 2009年12月13日 (日) 13:10 (UTC)

並列書きと但し書きのどちらを採用するか 編集

並列書き(薔薇騎士団さん御提案)

ヤマト王権(やまとおうけん)ないしは大和朝廷(やまとちょうてい)とは、古墳時代には「大王」(おおきみ)と呼ばれ、後に天皇と呼称された君主を中心として、いくつかの有力氏族が連合して成立した古代の政治権力、政治組織である。

かつてはもっぱら大和朝廷(やまとちょうてい)と呼ばれ、現在でもこの呼称は一般には広く認知されているが、近年では「ヤマト王権」「大和王権」「倭王権」「ヤマト政権」「大和政権」などの語を使用する研究者も増えている。ただし「大和」「ヤマト」「倭」の表記や「朝廷」「王権」の用語・用法をめぐっては学界でもさまざまな見解があり、一定していない。(詳細は「名称について」の節を参照)。それゆえ、本記事では、中立性維持の観点から原則としてヤマト王権(大和朝廷)の並記で叙述する。

但し書き(chokorin提案)

ヤマト王権(やまとおうけん)とは、古墳時代に「王」「大王」(おおきみ)などと呼称された倭国王を中心として、いくつかの有力氏族が連合して成立した政治権力、政治組織である。大和朝廷(やまとちょうてい)とも呼ばれ、この呼称が広く認知されてきたが、現在は、「ヤマト王権」「大和王権」「倭王権」「ヤマト政権」「大和政権」などへの語の転換が進んでいる(詳細は「名称について」の節を参照)。
ヤマト王権は、「奈良盆地などの近畿地方中央部を本拠地とする王の権力」の意であるが、いっぽうでは「地域国家」と称せられる日本列島における多様な権力の存在を重視すべきとの見解がある。また、かつて広く用いられてきた「大和朝廷」の語は現在でも小学校中学校学習指導要領で用いられているが、「大和」の表記や「朝廷」の定義と成立時期をめぐって学界のなかでも見解が分かれている。

今までの議論を踏まえ、どちらが適切かを御判断ください。--Chokorin 2009年12月13日 (日) 13:10 (UTC)

投票でしたらまず8月の合意文を変更するかどうかの投票でしょうね。その上で変更ということになれば改めてご提案ください。6人の合意とあとから来た一人の異論が同列に扱われるのは不公平ですから。--薔薇騎士団 2009年12月13日 (日) 13:45 (UTC)
あなたのおっしゃることは恫喝に聞こえるんですけどね。あなたは、じゃあ、どうして12月10日にみずから冒頭文を提案したのですか? --Chokorin 2009年12月13日 (日) 13:50 (UTC)
それからまあ、TENDERASさんとろう(Law soma)さんからは私の案でもよいという御意見を頂戴しておりますので、そこのところは誤解なきよう御発言に注意なさってください。--Chokorin 2009年12月13日 (日) 14:05 (UTC)
並列書きを前提とした改訂案と、並列書きをやめてしまう改訂案では、そもそも8月の合意文からみれば全く質的に異なる提案ですからね。大和朝廷との分割が否決された事実も考慮すれば尚更です。--薔薇騎士団 2009年12月14日 (月) 00:39 (UTC)
何も私は解決済みの問題を蒸し返しているのではなく、3世紀から5世紀前半にかけての全国レベルの連合政権を「大和朝廷」と呼んでいる学者がいるか、「朝廷」とは古墳や古墳時代の研究から出てきた言葉であるかと問うているわけです。そのことは8月段階では、何も話し合われていないんですよね。話し合ったことにしたいのもしれませんが。そして、何も出典が出せない以上、並列書きは間違っているということでしょう。間違っていることを続けるかどうかの問題なのであり、「いや、間違っていないんだよ」と主張したいのであれば、出典を出せばよいだけの話です。出せないなら表現を変えるしかないでしょう。100人合意していようが、間違いは間違いなのです。御理解ください。--Chokorin 2009年12月14日 (月) 02:52 (UTC)
私の名前が出たついでに割り込みます。薔薇騎士団さんのご意見ももっともですので、8月合意である次の案も加えた3案で投票してはいかがでしょう?--ろう(Law soma) D C 2009年12月14日 (月) 07:39 (UTC)
ヤマト王権(やまとおうけん)ないしは大和朝廷(やまとちょうてい)とは、古墳時代に「大王」(おおきみ)などと呼称された倭国王と、いくつかの有力氏族が中心となって成立した王権・政権である。大和政権(やまとせいけん)とも呼ばれる。主に奈良盆地を中心とした近畿地方を本拠地としていた。かつては「大和朝廷」という呼称が広く認知され、現在でも学習指導要領などでは「大和朝廷」と称されるが、「大和」の表記や「朝廷」の成立時期を巡って学会の中では見解が分かれており、一定していない。現状では「ヤマト王権」を採用する研究者が多いので、本稿ではヤマト王権と称する(呼称に関しては名称についてを参照)。

分割をするしないに関しては、違う概念であっても同一記事で扱うべきか別の記事を立てるべきかということの選択にすぎなかったわけですが、冒頭文に関しては、違う概念のものを同一のものと決めてしまうのか、多義性を認めないのかという理論的な内容を含むわけなので、本来的には、投票はあまり好ましいことではありません。ただし、これ以上、保護の状態が続くのはコミュニティ外の読み手や執筆・加筆予定者に対してあまりにも無責任であり、投票もやむをえないと思います。それに先だってひとつ確認ですが、ここで説明するのは、あくまでも「古墳時代の政治権力・政治組織」ということでいいんですよね? こう申し上げるのも、8月時点ではこの点について充分に話し合われた形跡がないからです。

この記事が「古墳時代の政治権力・政治組織」を説明するページであるというコンセンサスがあるのならば、今すぐ投票に移ってもよいと思います。2案であっても、3案であっても本質的には変わらないでしょう。

しかし、ここは本来「ヤマト王権」と「大和朝廷」の語の意味について説明するページでなかったかというArstrikerさんの御指摘がございます。その前提に立つならば、当然、わたしの案も変わってきます。andで結んだ並列文、2部構成論のようなかたちになります。

「大和朝廷」というのは、何度も申し上げているように、本来は「平安朝・奈良朝以前の畿内大和における優勢な勢力」というような意味であり、「皇室の祖」という意味を含みます。もちろん、長い間、暫定的に「古墳時代の畿内の政権」という意味でも用いられており、確かにその限りでは「ヤマト王権」と同義であったわけですが、しかし、分割投票の結果は「平安朝・奈良朝以前の畿内大和における優勢な勢力」「皇室の祖」というような記事は要らないというもので、それがコミュニティの意志だったはずです(必要だとお思いなら、分割に同意すべきだったでしょう)。であるなら、この記事では「古墳時代の政治権力・政治組織」について絞って説明すべきであり、その意味での「大和朝廷」の使用に関しては、急速に(研究者レベルだけでなく一般レベルでも)語の転換が進んでいることは客観的な事実なわけです。客観的な事実の記載について「中立性に対する配慮が欠ける」というのは、言いがかりもよいところであり、要するに客観的な事実を認めたくないという心情の発露にすぎません。

大和朝廷の語は、本来の意味すなわち「平安朝・奈良朝以前の畿内大和における優勢な勢力」「皇室の祖」という意味では現在でも使われているのであり、そこでは語の転換はありません。私はそこを汲み取ろうとしたのであり、中立性について非難されるべき何の理由もありません。

さしあたって、この記事は「古墳時代の政治権力・政治組織について説明するページ」なのか、それとも「『ヤマト王権』と『大和朝廷』の語の意味について説明するページ」なのか、もう一度確認する必要があるのではないでしょうか。--Chokorin 2009年12月14日 (月) 12:11 (UTC)

そこはちょっと私と認識が違うと思います。それぞれの語の定義はおっしゃるとおりで問題ないと思いますが、「古墳時代の政治権力・政治組織」≒「律令制以前の畿内大和における優勢な勢力」である訳です。古墳時代全体に渡って制度上・文化上は連続性があり、そのまま律令時代になだれ込むのであって(多数説?)、ニュアンスの違いや視点の違いこそあれ、少なくとも欽明以降については一つの政治権力を指している語であることは両者に共通しているのではないでしょうか? だからこそ、一般的には『ヤマト王権』のことを『大和朝廷』とする用法が消えていない(過去の説に寄りかかっているとしても)のであって、その点もあって私は「時期尚早」と申し上げました。概念は異なっていても指し示す対象は(少なくともある時期以降は)一つなのです。--ろう(Law soma) D C 2009年12月15日 (火) 01:07 (UTC)

「概念は異なっていても指し示す対象は(少なくともある時期以降は)一つ」というのは、確かにおっしゃる通りなんだと思いますし、また、「連続性」ということもたいへん貴重な御指摘だと思います。ただし、「文化上」についてはともかく、「制度上」とまで言えるのかどうか、そこはちょっと保留した方がよいとは思います。

まあ、「連続性」ということについても新旧2つの連続性があるわけですね。1つは戦前の、万世一系というか皇国史観における連続性ということ、もう1つは近年の研究で3世紀から7世紀まで一貫して前方後円墳が造られ続けるという考古学的知見にもとづく連続性。そのため、この議論がいっそう複雑になっているんだと思います。そしてまた、60年代や70年代にはむしろ、断絶性あるいは断絶の可能性についての考究が多かったように思います。

戦前に唱えられた万世一系などの連続性は「大和朝廷」という語が全国民に普及する機縁となったものですが、後者の方の連続性は、その見解が定説化してゆくにつれ、逆に、「大和朝廷」離れと軌を一にしているように見えます。逆に断絶が強調された時代には、結構、無造作に「大和朝廷」ということばが使われていたのですね。

「ある時期以降」、大和朝廷とヤマト王権とは、おっしゃるように、さほど違うものではないと思います。川にたとえれば、ある合流点より下流については、違う言葉で呼んでいたとしても同じ川なわけです。しかし、合流点をさかのぼるならば、これを同じ川と称してよいかどうかはたいへん難しい問題をはらんでいると思うのです。

両者とも、歴史の話題である限りは、その始まりについて述べられなくてはならないわけですが、ヤマト王権の成立といった場合、それはだいたいは箸墓古墳などのような定型的な前方後円墳の成立というところに源流があるとみなす考古学者が多いようです。もちろん、「ヤマト王権」という語を用いている学者(とくに文献史家)自身が、いわゆる「前方後円墳体制」の成立期当初の3世紀の体制を「王権」と呼べるかという問題提起もあるわけですが、それはともかく、そのなかでの話である。そしてまた、古墳時代の始まりも定型的な前方後円墳の出現をもって始まりとするということでは、大方の合意が得られているわけです。それが、三輪山麓の「大倭郷」(纒向のあたり)つまり狭義のヤマトから始まったので、白石太一郎や寺沢薫など多くの学者がカタカナ表記を用いている。こうしてみると、ヤマト王権は前方後円墳の出現と分かちがたく結びついています。

それに対し、「大和朝廷」の場合はどうかというと、この川をずっとさかのぼっていくと、源流は、神武天皇が即位したといわれる「橿原宮」につきあたることになると思います。これが「大和国」にあったので「大和朝廷」なわけです。この記紀の記述があるために、途中で近江や河内、摂津に移ったとしても大体は橿原宮から藤原京まで大和国を中心に皇室の祖が政権を担ってきたと理解された。だから、戦前は「奈良朝以前の政権」=「大和朝廷」ということばは全く異論の生じようがなかったわけです。皇国史観のイデオロギーというようなことによらずとも、史料に、神武の時代から「宮」つまり「朝廷」があったとハッキリ書いているわけなので、それを覆すような知見がない以上、「大和朝廷」と呼ぶしかなかったわけです。

記紀の伝承をもとに歴史を復原していくのと考古資料をもとに歴史を復原するのとでは、相当に違ったものになるはずで、6世紀以降ならば文献も考古資料もある程度そろっていて、両者を検討して一定の結論を出せるということがあっても、たとえば4世紀となると、これは全然違ったものになる可能性があります。それを同一対象とはたして呼べるのか。記紀の伝承では、大和の有力な勢力(大和朝廷)が地方の諸勢力を圧伏させていくというストーリーが語られるわけですが、考古学的な成果はむしろそういうストーリーの成り立ちにくいことを示しているわけです。明らかに「大和朝廷」なる語は考古学起源でもないし、古墳や古墳時代の研究から生まれたものでないことは確かです。たまたま「連続」、たまたま「やまと」、たまたま「政権」なのだけれども、もともとは全然違うものであり、実のところ、歴史認識、その枠組み自体が全然別モノではないかなと思います。

これを同じ記事のなかで扱っていくには、やはり但し書きの方が適切で、古墳時代研究をベースに4世紀や5世紀(6世紀以降ではなくむしろ古墳時代前半が叙述の中心になると考えられます)の政権・政治組織について説明するというコンセンサスがあるのなら、むしろ、冒頭では語の転換だけを説明した方がスッキリするのではないかと思います。そこに政治的主張は混入させていただきたくないのです。私は単に、言葉は正しく、適切に用いるべきだと考えているだけです。

この問題が気になって、私はかなり図書館通いもし、いろいろと書物も渉猟しました。そのなかに、どこで読んだかは失念してしまいましたが、「戦後、『大和朝廷』という語は、定義のないままに用いられてきた」という一節がありました。これは、おそらくその通りなんだろうと思います。よくも悪くも「大和朝廷」なる語は融通無碍に使われてきたのだと思います。当初は「奈良時代以前」、古代国家成立期の研究が進むと「律令国家以前」、弥生時代の研究が進むと「4~5世紀の統一政権」というふうに、定義自体も変わってきたんじゃないでしょうか。そのあたりも含めて、何か良い決着方法がないか、自分なりにもう一度考えてみたいと思います。--Chokorin 2009年12月15日 (火) 12:01 (UTC)

さて、この記事では「古墳時代の政権・政治組織について説明する」ということについて、特に異論がないようでしたら、投票に移っていただいて結構です。2案でも3案でも、異存はありません。要するに、ズバリ「古墳時代の政権・政治組織を大和朝廷という」と記した出典があり、研究者の間でそういうコンセンサスが成り立っているのであれば、何の問題もないわけです。
当初は、私は「大和朝廷」というのは、多義語だと思っていましたが、いまは融通無碍に無定義に使われてきた言葉ではなかったかと思い直しています。無定義な語であるならば、確かに独立記事は難しいわけで、分割の否決は実は大正解だったかもしれません。そしてまた、無定義語であるならば、研究者により様々な用法がなされているのも実に納得のいく話です。それぞれの研究者は戦前の意味や用法のうちの異なった一部分だけを継承しているということなのだろうと思います。「大和朝廷」=「ヤマト王権」という一般的な理解も、その点に限っては同じなのでしょう。
私の申し上げたことが、既に決着済みのことの蒸し返しであると薔薇騎士団さんは再三繰り返されていますが、それは決してそうではないことをあらためて申し上げます。何度も申し上げているように、「大和朝廷」を使用する研究者のなかには、
  1. 「大和政権」⊃「大和朝廷」=「律令国家成立後(古墳時代終了後)の政権」(吉田孝)
  2. 「ヤマト(大和)王権」=「古墳時代前半期の政権」≠「大和朝廷」=「古墳時代後半または終盤期から飛鳥時代にかけての政権」(鬼頭清明、平野邦雄)
  3. 「大和朝廷」=「奈良朝以前の有力な勢力、皇室の祖」。「ヤマト王権」などの語は使用せず(武光誠)
があり、そのいずれの立場に立つとしても、「ヤマト王権」=「大和朝廷」=「古墳時代の政権」という図式は成り立ちません。成り立たない以上、出典に照らせば、間違いだというほかありません。そして、このことは8月段階ではまったく提起されていないのです。
私は、みずから進んで間違いに対して妥協するつもりはありませんが、コミュニティが間違っている方を選ぶというのであれば、その結果にはしたがいます。要するに、8月合意というコミュニティの話し合いを選ぶのか、Wikipedia:出典を明記するというウィキペディアの公式方針を選ぶのかということです。これは、決して薔薇騎士団さんの一存で決めつけられることではないと思いますので、投票で決すべきと思います。--Chokorin 2009年12月16日 (水) 20:42 (UTC)
基本的に(私も賛成を投じた)8月の合意文で問題ないと思ってますので、第三案として投票の選択肢にするのであれば私の案はなしで結構です。--薔薇騎士団 2009年12月16日 (水) 22:30 (UTC)
2案で投票については、私も異存ありません。--Chokorin 2009年12月17日 (木) 12:45 (UTC)
2案そのものを投票にかけてもいいですが、争点は並列書きを認めるかどうかですので、その点に絞って投票を実施してもいいと思います。--薔薇騎士団 2009年12月18日 (金) 00:47 (UTC)
それはしかし、かえって再び議論を拡散させてしまう怖れがあると思います。8月同意の冒頭文とわたしの修正案では、研究者の見解を排除して国語辞書の説明のみを定義として採用するか、それとも、研究者の見解も含めてそれとは矛盾しない定義文を考えていくのかという姿勢も論点に含まれていますので、案文そのものの投票の方が投票者の判断がつきやすいと思います。とはいえ、万一わたしの案が支持されたとしても、わたし自身それが完全無欠なものだというふうには考えていないので、修正点・改善点があるのであればそこはおおいに論じるべきでしょう。もし、そのような御懸念を感じていらっしゃっての御発言であるならば、そういう御心配ならば無用と存じます。--Chokorin 2009年12月18日 (金) 02:11 (UTC)
了解しました。ただ仮に投票で並置書きが支持された場合、その後さらに見出し本文の内容を巡って紛糾しないかと危惧があります(学習指導要領の取り扱い等)。--薔薇騎士団 2009年12月18日 (金) 04:58 (UTC)
学習指導要領については、実は「古墳時代」とは結びつけないで単に「大和朝廷による国土の統一」という文言が1つあるだけの話ですから、要するに統一政権、倭国唯一の政権という意味で「大和朝廷」という語を使っているにすぎません。具体的には「ワカタケルのことは絶対に教えろよ」という程度の話ですから、古墳時代全体の政権の意味で「大和朝廷」を用いているわけではないし、そういう主張の根拠にはなりません。「ヤマト王権」=「大和朝廷」=「古墳時代の政権」という図式とは関係のないこととして掲げる分には差し支えないのではないかと思います。私見では、「ヤマト王権」=「大和朝廷」=「古墳時代の政権」という図式自体が大きな誤りなので、そういう大きな誤りが承認されるなら、小さな誤りについてはどうでもいいというのが正直なところです。--Chokorin 2009年12月18日 (金) 06:10 (UTC)
了解しました。では、投票テンプレートの仮案の作成をお願いしてもよろしいでしょうか。よろしくお願いします。--薔薇騎士団 2009年12月19日 (土) 02:54 (UTC)
異義ありません。--Chokorin 2009年12月19日 (土) 03:44 (UTC)

投票に向けて 編集

並列書き(8月合意案)

ヤマト王権(やまとおうけん)ないしは大和朝廷(やまとちょうてい)とは、古墳時代に「大王」(おおきみ)などと呼称された倭国王と、いくつかの有力氏族が中心となって成立した王権・政権である。大和政権(やまとせいけん)とも呼ばれる。主に奈良盆地を中心とした近畿地方を本拠地としていた。かつては「大和朝廷」という呼称が広く認知され、現在でも学習指導要領などでは「大和朝廷」と称されるが、「大和」の表記や「朝廷」の成立時期を巡って学会の中では見解が分かれており、一定していない。現状では「ヤマト王権」を採用する研究者が多いので、本稿ではヤマト王権と称する(呼称に関しては名称についてを参照)。

但し書き(chokorin提案)

ヤマト王権(やまとおうけん)とは、古墳時代に「王」「大王」(おおきみ)などと呼称された倭国王を中心として、いくつかの有力氏族が連合して成立した政治権力、政治組織である。大和朝廷(やまとちょうてい)とも呼ばれ、この呼称が広く認知されてきたが、現在は、「ヤマト王権」「大和王権」「倭王権」「ヤマト政権」「大和政権」などへの語の転換が進んでいる(詳細は「名称について」の節を参照)。
ヤマト王権は、「奈良盆地などの近畿地方中央部を本拠地とする王の権力」の意であるが、いっぽうでは「地域国家」と称せられる日本列島における多様な権力の存在を重視すべきとの見解がある。また、かつて広く用いられてきた「大和朝廷」の語は現在でも小学校中学校学習指導要領で用いられているが、「大和」の表記や「朝廷」の定義と成立時期をめぐって学界のなかでも見解が分かれている。

さて、この「ヤマト王権」では古墳時代の政治組織・政権について説明するという前提で、この2つの文から適切だと考える方を投票するということでよろしいでしょうか。論点としては、古墳時代前期(3世紀・4世紀)の政権を「大和朝廷」と呼びうるのかどうか、また、研究者の見解を排除して国語辞書の説明のみを定義として採用するか、それとも、研究者の見解も含めてそれとは矛盾しない定義文を採用するかということがありました。異義なければ、投票に移りたいと存じますがよろしいでしょうか。--Chokorin 2009年12月21日 (月) 13:47 (UTC)

古墳、とくに王墓としての前方後円墳の出現が3世紀までさかのぼる公算が高くなってきたため、8月合意文だと、女王卑弥呼壱与の時代の王権、つまり世襲的王権の確立前の王権、また倭国内に複数の王(狗奴国など)がいる時代の王権を「朝廷」と呼ばなくてはならないことになります。その点では決して時期尚早ではなく、むしろ後手にまわっていると考えます。8月の段階では、そこまで含めて話し合ったのではなかったので、あらためて合意を得る必要があります。
投票の主題 ヤマト王権の冒頭文について(案)
投票場所 ノート:ヤマト王権#冒頭文を並列書きとするか但し書きとするかに関する投票(案)
投票に先立つ議論
投票者の資格
  • 下記2つの条件をどちらも満たしていること。
  1. ログインユーザーであること。
  2. 2009年12月XX日 00:00:00 (UTC) の時点で全名前空間の編集回数50回以上であること。
投票期間 2009年12月XX日00:00:00(UTC)から2009年(または2010年)XX月XX日00:00:00(UTC)までの1週間。
投票のルール
  • 一人一票とする。
  • 多重アカウントによる複数投票はすべて無効とする。
  • 得票数が同数の場合、投票期間を3日間延長する。
  • 選択肢は以下の2つとする。
  1. 8月同意文
  2. Chokorin提案文
案文を作成しました。よろしく御検討くださいますようお願いします。--Chokorin 2009年12月21日 (月) 20:33 (UTC)
問題ないと思います。--Arstriker 2009年12月26日 (土) 04:52 (UTC)
ありがとうございます。ただ、ここにきて薔薇騎士団さんからの反応がなく、実は困惑しています。Arstrikerさんが前におっしゃっていた点についてはいかがなのでしょうか。この項目では古墳時代の政権、政治組織について説明するということに関しては異存ございませんか。Arstrikerさんは「ヤマト王権」と「大和朝廷」では一部別物という御理解を示していらっしゃったかに記憶していますが、その点はいかがですか。--Chokorin 2009年12月28日 (月) 01:05 (UTC)
今は投票を実施するかどうかが議案となっておりますので詳細は遠慮させていただきますが基本的には既に述べたとおりです。--Arstriker 2009年12月28日 (月) 12:34 (UTC)
ありがとうございます。もう一度伺いますが、「古墳時代の政権、政治組織について説明する」ということに関してはよろしいのでしょうか。以前、Arstrikersさんは「大和朝廷」という用語について説明するページではなかったかというふうにもおっしゃったはずですが、その点は取り下げるとみなしてよいのでしょうか。--Chokorin 2009年12月28日 (月) 13:27 (UTC)
では、簡単に。はじめに説明する時代ありき、ではないと思います。あくまで見出しに沿って説明すべきで、その解釈はいろいろあるということです。いうまでもなくこれは私見です、ここまできたら皆さんが各々判断すべき問題でしょう。--Arstriker 2009年12月28日 (月) 14:11 (UTC)
いや、それだと投票にはならんのです。「ヤマト王権」という見出しに沿うなら「はじめに説明する時代ありき」でなくてはならないわけです。というのも、「ヤマト王権」は古墳時代の政治権力・政治組織・政治体制をあらわす用語にほかならず、それ以外の意味はなく、また、それについて説明した記事は他にないわけですから。「大和朝廷」の語はArstrikerさんが以前言及されていたように、むしろ古墳時代が終わったあとの律令国家成立後の政権をあらわすのにしっくりくる用語なわけです。ですから、「大和朝廷」の語を説明するにしても、ここでは「従」であり、古墳時代の政治権力・政治組織・政治体制を説明するのが「主」でなくてはいけません。そうでないと、記事がたいへん散漫なものになってしまいます。その点については、いかがでしょうか。合意は可能でしょうか。--Chokorin 2009年12月28日 (月) 14:57 (UTC)
事ここに至ってそのようにおっしゃられるのはどういう訳でしょうか。上でChokorinさんは投票に賛成なさってますよね。-現時点では私は上記に合意できませんが、投票が実施されることになれば告知が行われ、より造詣の深い方の投票も見込めるのではないでしょうか。仮に投票結果がChokorinさんの意に沿わない結果となってしまっても記事本文の工夫次第(節を設け、明確に時期を区切って説明など)でChokorinさんの意図するところは達せられると思います。また、今後「大和朝廷」から「ヤマト王権」への語の転換が進んでいくのならば将来においてはChokorinさんと意を同じくする方も多く現れてくるでしょう、その時点で再度問題提起されたらよろしいのではないのでしょうか。--Arstriker 2009年12月28日 (月) 16:04 (UTC)
すみません、ちょっと忙しくて返事が遅れました。作成されたテンプレートで問題ないと思います。--薔薇騎士団 2009年12月28日 (月) 16:21 (UTC)
8月の合意形成をみると、実はあら金さんが「ヤマト王権」と「大和朝廷」とのあいだに時代的な先後関係を認めたうえで「ヤマト王権ないしは大和朝廷」というふうに並列表現を採用して、それが冒頭文のたたき台になっているんです。それを、最終的にはささのはさんが「ヤマト王権=大和朝廷である」、それが確認されれば言うことはないとして締めくくっているのですが、実のところ、両者にコンセンサスがあるというふうには思えないですし、合意形成のプロセスとしては果たしていかがなものかと思うわけです。このあたり、曖昧なままにしておくと、また同じ問題が持ち上がるのではないでしょうか。それから、Arstrikerさんに申し上げたいのは、並列書きを継続するにしても「古墳時代に大王などと呼称された倭国王と、いくつかの有力氏族が中心となって成立した王権・政権」と定義する以上は「はじめに説明する時代ありき」なのであって、それが主とならなくてはいけないということです。これは、事ここに至っているからこそ、あえて申し上げているのです。それに対し合意できないという理屈は通用しないのではないかと思います。--Chokorin 2009年12月28日 (月) 18:23 (UTC)
論点を2つかかえての投票は混乱をきたしますので、8月同意文でも「古墳時代に『大王』などと呼称された倭国王と、いくつかの有力氏族が中心となって成立した王権・政権」、Chokorin提案文でも「古墳時代に『王』『大王』などと呼称された倭国王を中心として、いくつかの有力氏族が連合して成立した政治権力、政治組織」とあるので、古墳時代の政権・王権について説明するということがベースで、「ヤマト王権」「大和朝廷」などの用語それ自体については、節を設けるなど工夫して適宜説明するということで投票に移りましょう。Arstrikerさんの御意見は、御自身が「私見」と断っておいでなので、そこは申し訳ありませんが、参考意見という扱いにさせていただきます。他に異義なければ、次の段階に移りましょう。ただ、明日より10日ほど家をあけてネット環境にない場所へ行く予定がありますので、場合によってはお待ちいただくことがあるかもしれませんが、よろしいでしょうか。--Chokorin 2009年12月29日 (火) 08:57 (UTC)
戻って参りました。さっそく、投票に移りましょう。--Chokorin 2010年1月10日 (日) 07:08 (UTC)

投票の前に: 古代史記事を作るのに定義がはっきりしないので困っています。例えば倭国の王には卑弥呼も入りますか(卑弥呼は倭国王か、もしくは大和朝廷の豪族?)。古墳時代も3世紀から始まると明記した方がよい。私にとっては下記の修正表現ならば賛成投票します。--金銀蝋 2010年1月10日 (日) 11:33 (UTC)

但し書き(chokorin提案)

ヤマト王権(やまとおうけん)とは、3世紀から始まる古墳時代に「王」「大王」(おおきみ)などと呼称された倭国の王を中心として、いくつかの有力氏族が連合して成立した政治権力、政治組織である。大和朝廷(やまとちょうてい)とも呼ばれ、この呼称が広く認知されてきたが、現在は、「ヤマト王権」「大和王権」「倭王権」「ヤマト政権」「大和政権」などへの語の転換が進んでいる(詳細は「名称について」の節を参照)。
ヤマト王権の語彙は「奈良盆地などの近畿地方中央部を念頭にした王権力」の意であるが、いっぽうでは「地域国家」と称せられる日本列島各地の多様な権力の存在を重視すべきとの見解がある。また、かつて広く用いられてきた「大和朝廷」の語は現在でも小学校中学校学習指導要領で用いられているが、「大和」の表記や「朝廷」の定義と成立時期をめぐって学界のなかでも見解が分かれている。
  コメントコメントありがとうございます。中国の史書に「倭の女王」(「邪馬台国の女王」ではありません)とあるので、「倭国の王」と言ってよいでしょう。ちなみに邪馬台国の扱いは「女王の都するところ」です。ただし、「大和朝廷」なる中央集権的で世襲的な王権、あるいは臣僚組織の整った政権が当時成立していたと考える研究者はほとんどいません。古墳時代が3世紀からはじまるというのは、中ごろか後半か末葉かぐらいの違いはあっても、ほとんどすべての研究者の合意が成り立っているところです。なかには、前半にまでさかのぼるという考古学者もいます。--Chokorin 2010年1月10日 (日) 12:29 (UTC)
投票に関し異論もないようですので、明日より投票に移りたいと思います。--Chokorin 2010年1月16日 (土) 00:57 (UTC)

冒頭文を並列書きにするか但し書きにするかに関する投票 編集

投票の主題 ヤマト王権の冒頭文について
投票場所 ノート:ヤマト王権#冒頭文を並列書きとするか但し書きとするかに関する投票
投票に先立つ議論
投票者の資格
  • 下記2つの条件をどちらも満たしていること。
  1. ログインユーザーであること。
  2. 2010年1月17日 00:00:00 (UTC) の時点で全名前空間の編集回数50回以上であること。
投票期間 2010年1月17日00:15:00(UTC)から2010年1月24日00:15:00(UTC)までの1週間。
投票のルール
  • 一人一票とする。
  • 多重アカウントによる複数投票はすべて無効とする。
  • 得票数が同数の場合、投票期間を3日間延長する。
  • 選択肢は以下の2つとする。
  1. 8月同意文
  2. Chokorin提案文

上記議題について、本日より一週間投票を行いたいと思いますので、よろしくお願い致します。--Chokorin 2010年1月17日 (日) 00:12 (UTC)

投票所 編集

8月同意文
  1. --薔薇騎士団 2010年1月18日 (月) 15:07 (UTC)
  2. Arstriker 2010年1月19日 (火) 14:05 (UTC)
  3. --清涼里588 2010年1月22日 (金) 12:50 (UTC)
Chokorin提案文
  1. 金銀蝋 2010年1月17日 (日) 02:46 (UTC) 大和朝廷とヤマト王権とでは定義のずれを感じますのでChokorin提案文を選択します。
  2. Weatherman2009 2010年1月21日 (木) 05:18 (UTC) 大和朝廷を並列したのではヤマト王権という概念が生成されてきた過程を甚だ無視したものとしか思えません。
  3. Chokorin 2010年1月23日 (土) 15:07 (UTC)
  4. 8943l 2010年1月23日 (土) 23:58 (UTC)

コメント 編集

  コメント「大和朝廷」を冒頭見出し文から外すことには反対です。理由はすでに述べてきました。一般によく知られている、またマスコミ、官公庁、学習指導要領等で多数使用されている語は、中立的な観点からも見出しで太字で並記して記述すべきです。将来的に「大和朝廷」の使用頻度が減れば、またそのときに見直せばいいと思います。--薔薇騎士団 2010年1月18日 (月) 15:14 (UTC)   コメント是が非でも区別しなければならない必要性をまったく感じないため。また「定義のずれ」という意見もあるようですが、ならば記事の分割が必要です。しかし一般的・世間的に「定義のズレはない」という判断で、それは却下されました。--清涼里588 2010年1月22日 (金) 12:50 (UTC)

  コメント並列書きではWeatherman2009さんがおっしゃるように「ヤマト王権という概念が生成されてきた過程」をまったく説明できません。また、「定義のずれ」に関してはたくさんの出典があり、実際、両語は区別して用いられています。--Chokorin 2010年1月23日 (土) 15:07 (UTC)

投票結果の確認 編集

投票の結果、8月合意文支持が3票、Chokorin提案文支持が4票でしたので、冒頭文としては、得票を多数獲得したChokorin提案文が採用されることとなりました。これにより、8月合意は公式に無効となります。今までの熱心な議論への御参加ありがとうございました。以後、保護解除にむけての話し合いや作業を進めていきたいと存じます。これからもよろしくお願い申し上げます。--Chokorin 2010年1月24日 (日) 00:23 (UTC)

  コメント誰も指摘しないので、指摘しておきますが、Wikipedia:投票は廃止された方針であり、現在有効なWikipedia:合意形成ルールの合意は多数決ではありませんからすると投票数の多い少ないで合意形成はできないと解釈されます。したがって、投票結果で合意を強制することはWikipediaの方針違反になるのでご留意ください。方針自体について不服であれば、Wikipediaの手続きに従って方針の改変手続きをしてください。それが筋というものです。--あら金 2010年1月24日 (日) 01:27 (UTC)

  コメントTENDERASです。私自身は並列書きか但書きかについては、それほど拘ってはおらず、どちらでもいいと思っていましたので議論は控えていましたが、実際に投票期間中に投票の主題内容を確認すると「並列書きか但書きか」と書きながら、選択肢は「8月合意文かChokorin提案文」かになっておりました。投票期間中は投票行動に影響を与えると思い、疑義は言いませんでしたが、こういう選択肢で投票を求められても「どっちの主張が正しいか」みたいな話に加担しているようで、私は非常に投票そのものに疑義を感じざるを得ません。と言いつつ投票結果は出たので、味尊重しなければならないと思いますが、賛否を付けられた方々にお聞きしたいですが、このChokorin提案文については一字一句もいじってはならないお思いのなのかどうか確認したいのですが、どうお考えでしょうか?--TENDERAS 2010年1月24日 (日) 01:39 (UTC)

  コメントあら金さん、ここのノートを見ると時間をかけて議論しても決着が付かなかったので投票で行こうと云うことになったと思います。この投票方法がいけないと言うのならば、投票で行こうとなったときに管理人であるならばあら金さんが指摘されるべきでした。投票後の今になってこの様なコメントをされるのは、後出しじゃんけんです。Tenderasさん、私はChokorin提案文を一字一句いじってはならないとは考えていません。主旨を生かせば良いのではないでしょうか(大和朝廷とヤマト王権が全く同一視されるのには反対ですが)。--金銀蝋 2010年1月24日 (日) 01:51 (UTC)

  コメントWikipedia:投票が廃止された方針であるとは、正直なところ存じ上げませんでした。あら金さんに御質問ですが、11月の分割の是非に関する投票の時点で既に「歴史的文書」だったのでしょうか。そうであるなら、私のとるべき行動は全然ちがったものになっていました。私は自分なりに投票結果を最大限尊重したつもりでしたので、残念に思います。今回の投票に関しても、金銀蝋さんの御指摘「後出しじゃんけん」に共感いたします。なぜ、投票が終わるまで黙っていたのか、御説明ください。Tenderasさん、わたしも自分の提案文について一字一句もいじってはならないとは思っていません。これは、薔薇騎士団さんとの話し合いのなかで「その方が投票者が判断しやすい」ということで合意されたため、そうなったものです。投票の結果、並列書きに対しては反対の得票が多かったので、但し書きを採用するということでよいと思います。投票結果を尊重しなければならないとのお言葉、ありがとうございます。--Chokorin 2010年1月24日 (日) 02:35 (UTC)

  コメント投票結果は尊重したいと思います。準備その他ご苦労様でした。ただ本文記事では、中立性を考慮して記述していただければ幸いです。--薔薇騎士団 2010年1月24日 (日) 04:22 (UTC)

  コメント投票の廃止について事前にあら金さんから告知がなかったのを責めるのは筋違いでしょう。方針のフォローアップが出来ていなかった我々自身に問題があるのですから。とはいえ、投票に参加した身なので投票結果について私から異議を申し述べようとは思いません、但し書き方式で進めていただいて結構です。--Arstriker 2010年1月24日 (日) 08:44 (UTC)

  コメントWikipedia:投票の指針」および「Wikipedia:投票」が廃止され歴史文章化したのは、本ノートにおける投票が開始された2010年1月17日 (日) 00:12 (UTC) の約5日前、2010年1月12日 (火) 06:33 (UTC) であり、投票に向けての最終的な合意形成を行っていた最中でした。微妙なところではあると思いますが、そもそも廃止前の投票の指針においても投票はあくまで調査投票として位置づけられていたものであり、もとより投票結果を根拠に合意を強制することは禁止されていたのですから、以前と現在とで何か変わった訳ではないと考えます。個人的には、本投票はノートで合意の下、一定のルールに従って行われたのですから、ローカルルールの下で調査投票が行われた場合と同程度の意味はあると考えます。なお私個人としては、並列書きであれ但し書きであれ、「ヤマト王権」と「大和朝廷」の両方の語が導入部に記載されるのであれば、どちらでもよいと考えており、またChokorinさんの提案文にも議論を反映した十分な修正が行われていると感じましたので、投票結果に対する異論は特にありません。--Kanohara 2010年1月24日 (日) 10:34 (UTC)

  コメント薔薇騎士団さん、Arstrikerさん、Kanoharaさん、コメントありがとうございました。また、薔薇騎士団さんとArstrikerさんには投票結果を尊重するとのお言葉、心より嬉しく、ありがたく思います。Kanoharaさんには、丁寧な御説明ありがとうございました。また、投票結果に対する異論なき旨の御表明もありがたく存じます。あら金さんには知らぬこととは申せ、たいへん失礼なことを申し上げてしまいました。心よりお詫び申し上げます。ふたたび延々と同じ議論を続けなければならないのかと多少うんざりしてのコメントになってしまいました。御勘弁ください。みなさまが投票結果を尊重してくださるとのことですので、心より安心いたしました。ありがとうございました。--Chokorin 2010年1月24日 (日) 13:31 (UTC)

  コメントWikipedia:投票の指針を歴史的文書化しました山吹色の御菓子と申します。今回の件で皆さんへ誤解を生じさせて申し訳ありません。この歴史的文書化は、元々2008年頃から議論が停止した上、草案として提案すらされないまま放置されていたことを最たる問題として行ったことであり、元々日本語版には行為の是非を含めて投票についての方針、ガイドラインが存在しておりません。各所で事実上行われていますが、日本語版ではローカルルールを定める行為についての是非についても方針等がありませんし、自主的に編集方針を決定することも公式な方針化されていません。そういう状況ですので、皆さんを非難しているわけではありません。--山吹色の御菓子 2010年1月27日 (水) 22:59 (UTC)

保護の解除に向けて 編集

投票結果そのもの、および投票結果を尊重するというみなさまの御意見を受けまして、保護の解除のお願いをしたいと思いますが、それに先だって話し合っておくべきことはありますでしょうか。先に述べたように、わたしとしては自分の提案文を一言一句いじっていけないというふうには考えていません。確認事項としては、

  1. 「ヤマト王権」「大和朝廷」の記事の分割はおこなわない
  2. 「ヤマト王権」を主語とする但し書きを採用する
  3. 古墳時代の政治史・政権を中心に説明し、「大和朝廷」については節を設けるなどして説明する

ということで、よろしいでしょうか。コメントくだされば、幸いです。--Chokorin 2010年1月25日 (月) 13:17 (UTC)

コメント:まずはあまり気にされずに提案文を掲載されてみては如何でしょうか。そのうちにその提案文を修正したい人が出てくれば、ノートでの議論やローカルルール投票の経緯を見て貰った上で再び議論することになるかも知れませんが、それがウィキペディアのやり方ですから。--金銀蝋 2010年1月31日 (日) 10:29 (UTC)

  コメント金銀蝋さん、コメントありがとうございます。実は、コメントがつかないので今日あたり保護解除のお願いをしようかなと思っていた矢先でした。さっそく保護解除依頼を出したいと思います。背中を押してくださり(?)、ありがとうございました。--Chokorin 2010年1月31日 (日) 12:24 (UTC)

ソックパペット 編集

ぎもんふからの提議 編集

8月での合意文形成の少し前から閲覧していた者です
どなたかが気がつき指摘や依頼されると考え放置してきました
しかし繰り返しばかりの議論に変化があり、その結果に疑問は持ちませんが方針ですのでいまさらながら指摘します
これまでの流れを読む限り冒頭文を並列書きにするか但し書きにするかに関する投票

は無効ですね

Shishinのブロック依頼は却下となりましたしチェックユーザーもされていませんが、今回当方は依頼の権利がないことから依頼できませんが希望するものです
これは最低限できるものとしてします。依頼前の論争の解決の確認としてChokorinさんにお聞きしたいのですがあなたはGodaigoさんの、Shishinなど多数のソックパペットのひとつではないですか?
Chokorinさんの主張はShishinさんが8月での合意文形成までに一貫して主張(妨害)してきた方法手段と重複しています
学習指導要領やマスコミでの使用頻度、官公庁での使用状況等議論の軽視、
あなたはどう思うか?という問いかけと相手の矛盾点を指摘することと議論流れの部分や全体を覆すことの混同
そして投票呼びかけ自体への反対、投票が行われてもなおそれに対して従うというのに異論を述べて従わずにいるという態度
ぜひともどなたかがブロック依頼されるか、Shishinさんがブロックされたときのように管理者の裁定を願います
個人的には、今後も続く可能性や明確さからチェックユーザーの必要性があると思いますぎもんふ 2010年2月4日 (木) 21:37 (UTC)

ぎもんふの提議に対するコメント 編集

  •   コメント投票そのものが無効だという認識は私自身ありませんし、今のところどなたからも指摘がありません。またソックパペット疑惑についてはユーザーの資質の問題ですので、本ノートで議論するものでもなく、コメント依頼などの手段で、別の場所で議論されて、ある程度コミュニティの総意を得てから実施されるべきものかと。いずれにせよ、ソックパペットの疑惑を仰られるか方が、WPでは初投稿というのは、そちらの方が疑問に思いますがね。--TENDERAS 2010年2月5日 (金) 00:08 (UTC)
  •   コメント個人的にChokorin氏の議論の進め方はGodaigo氏らと違うと思いますし、私も投票結果には異存がありませんので、同一人物かどうかは、保護解除とは関係ない問題だと思います。--薔薇騎士団 2010年2月5日 (金) 07:50 (UTC)
  •   コメントチェックユーザーの必要に関してはまったく異論がありません。ぎもんふさんも含め、このノートに参加した全員についてCU依頼なさるとよいでしょう。私がしてもよいです。もし、ソックパペットがいたのなら、永久ブロックでよいと思います。--Chokorin 2010年2月5日 (金) 11:11 (UTC)
  •   報告 チェックユーザー実施はクリーンハンド原則に基づく提起が必要で、「先ず隗より始めよ」との思いで、審議をひっくり返すためにぎもんふ氏自身がソックパペットを利用している疑いがあるとWikipedia:管理者伝言板/投稿ブロックに報告しました。--Weatherman2009 2010年2月5日 (金) 13:33 (UTC)
  •   コメント個人的な考えとして1~2年後にはChokorinさんの主張が正しくなると考え、その議論のために3,4カ月割くのはどうかと思い議論から去りましたが、皆様の議論は見届けさせていただき、それを尊重いたします。そしてChokorin氏とSinShin氏が全く違う人物であることは議論に参加していればわかることだと思います。大変不快な提案でありWeatherman2009さんの提案を強く支持します。そして、ぎもんふさんへChokorin氏をはじめ自分も含め、初期から議論に参加している方は全員チェックユーザーされてると思いますよ。--ささのは 2010年2月5日 (金) 16:53 (UTC)

向こうでは議論禁止なのでここで、対象範囲を議論参加者全員にしてSinShin氏以降の疑心暗鬼の状態を払しょくしてこの項目を去りたいのですが、 皆様の賛同を願えたらと思います。そうすることによって今後の議論も進みやすくなると思うのですが。--ささのは 2010年2月7日 (日) 06:06 (UTC)

CUの同意って非常に難しいのですね、最初のころChokorin氏を疑ってしまったことに申し訳なく思い議論を進めやすくするために提案したのですが1~2週間で終わるような話ではないようです。肝心のヤマト王権の話の邪魔にならないようにはできないようなのでChokorinさんがどこまでしたいか言ってください、それに従います。1人で騒いで本当に申し訳ない。--ささのは 2010年2月7日 (日) 08:32 (UTC)

わたしが言い出した話ではないので、別に私がどうしたいとかいうのはありません。ただ降りかかってきた火の粉をはらっているだけの話です。CUで疑いが晴れるのなら、どうぞやってくださいというだけのことです。正直、Wikipedia:チェックユーザー依頼/Chokorinおよびぎもんふでの、Godaigo、Shishin両氏の合意を得なくてはならないという回答には困りましたね。ブロックされている人の合意をどうやってとればいいのか、そもそも靴下が発覚した時点で情報はCU係でつかんでいると思いましたから、わたしの情報と過去のGodaigo、Shishinの情報を照合してくれればそれでわかるのではないかと思っていました。それから、どうしてぎもんふ さんが投稿履歴1回なのかは非常に疑念を覚えますね。どなたかのソックパペットであることは、むしろ明白なのではないかと思います。ぎもんふさんが本当のことを告白なさったら、それ以外の方のCUは不要ではないでしょうか。また、私が、Godaigo、Shishin両氏にお願いしてCUに同意してくださいと頼むのは筋違いだと思いますので、ぎもんふさんがお願いすべきだと思います。いずれにせよ、ぎもんふさん次第だと思いますので、しばらくお待ちすることにいたしましょう。--Chokorin 2010年2月7日 (日) 11:36 (UTC)

了解しました。しばらく待ってみます。--ささのは 2010年2月7日 (日) 20:07 (UTC)

靴下問題の解決にむけて 編集

(提案)ぎもんふさんからのお答えを数日待ちましたが、御返答がなく、これでは一向に解決にむかわないようですので、CUの範囲を含めた話し合いを進めましょう。Wikipedia:チェックユーザー依頼/Chokorinおよびぎもんふの場では、どうしても「戯言」で済ませたいというような御意見もあるようですが、これを「戯言」ですませて一番喜ぶのは、それこそソックパペットを日常茶飯にやっているような人間であり、これを捨て置いては、捨てアカを使った無責任発言を助長するだけだと思います。とくに私の場合は当事者なので、これを無視したり、放置したりすることは、疑いそのものを無視・放置することにつながりかねない。それは最も避けるべきことであり、CU依頼をおこなったのもそのためです。なので、わたしとGodaigo系の4人については、以前にお話したとおり、CUをおこない、その結果を公表していただきましょう。確かに、もし、わたしがGodaigo氏と同一人物であるならば、それは「但し書きか並列書きか」の投票が無効となって当然です。そこに異論はありません。これについては、皆様も御同意いただけるものと思います。ぎもんふさんの扱いですが、彼の主張は要するに、最後の投票を無効にして8月合意の段階に戻したいということのようです。もし仮に、ぎもんふさんが、8月合意の当事者のなかの1人であるなら、これはやはり相当悪質な行為だと言わざるをえません。個人的には、ブロックに相当すると考えます。8月合意の当事者のなかにいらっしゃらないなら、そこで初めて「戯言」で済ませてもいいのかなと個人的には思います。疑い出せばキリがありませんし、ここに名前のある人すべてについて作業をおこなうというのも、無理があります。合意を得るのも難しいでしょう。また、8月合意の当事者のうちの1人でないならば、悪質性は薄いとみなすことにいたしましょう。

したがって、

の6人の方と、

および、

についてCU結果を公表していただくというのはいかがでしょうか。--Chokorin 2010年2月10日 (水) 06:36 (UTC)

  コメント私もCU対象者にカウントされたので賛否は差し控えますが、私自身ソックパペットを使った覚えはないですし、どういう形であれ、そういう疑いの無い者にまでCUされるというのは気分のいいもんではありません。なんら疑いの無い状況で「どこそこからアクセスしている」と公表されるのはたまったもんじゃないというのが率直な意見です。--TENDERAS 2010年2月10日 (水) 12:15 (UTC)
  コメント個人的には議論に参加した全員が相応しいと思っておりますが、Chokorinさんがその範囲でいいと言うならそれに賛同いたします。--ささのは 2010年2月10日 (水) 12:47 (UTC)
  コメントもともとぎもんふさんの提案にも同意してませんし、その後のChokorinさんの提案にも同意してません。CUはみだりに行うべきではありません。もとをただせばShishin氏のCUもわたしは依頼してません。ちなみに私はぎもんふさんではありませんのであしからず。--薔薇騎士団 2010年2月10日 (水) 13:00 (UTC)
  コメント皆様、率直な御意見ありがとうございます。もとより8月に合意された6人の方々のうちの誰かをわたしが疑っているというのではありません。そこは誤解なきようにお願いします。もし、そのなかにぎもんふさんがいるのであれば悪質だということです。この理屈には御同意いただけるでしょうか。それから、ぎもんふさんは投票の無効を主張されているわけですが、これは却下ということでよろしいのでしょうか。わたしとGodaigo系の4人については、以前にお話したとおり、CUをおこない、その結果を公表していただきたいと思っています。これについては同意していただけるでしょうか。いっぽう、ぎもんふさんに対するCU情報の公開については、皆様の御協力が前提となります。御協力を御願いしたいところですが、皆様のお気持ち、お考えも理解できます。ぎもんふさんをCU依頼の対象に含めない(含めることに反対である)ということであれば、かれをどのように処遇するのが適切でしょうか。Weatherman2009さんはぎもんふさんの行為をWikipedia:管理者伝言板/投稿ブロックに報告されています。ぎもんふさんの発言をなかったことにする、悪戯・戯言として対処する、彼のCU依頼をおこなわずにコメント依頼をする、あるいはブロック依頼をするというふうに選択肢がいくつかあると思いますので、そこにも言及していただければ幸いです。--Chokorin 2010年2月10日 (水) 14:39 (UTC)
  コメント8月の合意文については、投票によって決めたわけではなく、コミュニティの総意によって決めたものです。その時点では反対者もいませんし、仮にその中にぎもんふさんのソックパペットがいたとしてもなんら覆るものではないと思います。合意の実数が変わるだけだと思います。仮にCU実施するとなるのであれば、1月の投票の「並列・但書」の投票者に多重アカウントがいなかっただどうかでするべきだと思いますが、現時点で疑うべき人が私には見あたらないため、実施する必要はないと思います。
ぎもんふさんのCUの実施については、ぎもんふさんは未だ投稿が1つだけですし、もう少しご意見を拝察してから判断すればよいのではないかと思います。単なる捨てアカでの投稿であれば、放置しとく方がよいでしょう。また、コメント依頼しても、たかだか1つの投稿では判断が難しいし、CUの判断も難しくなると思います。
結論としては、「しばらく放置」でよいのではないかと思います。Chokorinさんの気持ちはわからなくはないですが。--TENDERAS 2010年2月10日 (水) 16:10 (UTC)
現時点では保護解除されて編集も再開されていますし、投票の結果についても参加者から異議が出ていないので特に問題ないと思います。ぎもんふさんも捨てアカ的な行為以外は、特に迷惑となるような行為をされているわけではありませんし、Chokorinさんもソックパペットを疑われて腹の虫が治まらないかもしれませんが、しばらくは様子を見守るということでいいと思います。--薔薇騎士団 2010年2月11日 (木) 09:50 (UTC)

本題 編集

Chokorinさん、靴下問題とは別に、早めに本文冒頭の書き換えをお願いいたします。冒頭部分以外でも、ノートでの議論の趣旨に添った文案をお持ちならば書き換えてください。 本文はすでに保護解除されて、誰でも書き込める状態になっていますので、お早めに。よろしくお願いいたします。--金銀蝋 2010年2月6日 (土) 07:34 (UTC)

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