ノート:加藤一二三/過去ログ1

最新のコメント:6 年前 | トピック:「京都府出身」「京都府育ち」という加筆について | 投稿者:Pooh456

加藤一二三伝説 編集

  • 波や車の音がうるさいと宿を変えてもらったことがある。しかし、クリスマスの賛美歌には文句を言わなかった。
  • 十段戦で、米長とのミカン食い決戦、記録係が「ミカン臭くて死にそうです。」と助けを求める。ミカン合戦に負けた米長が勝負にも負ける。

この部分,加藤一二三九段伝説からの転載の可能性があります. ただ,http://web.archive.org/web/*/http://2chart.fc2web.com/123.html から見ると,前後関係が 分からず,「加藤一二三九段伝説」の記述の方がWikipediaの引き写しの可能性もあります.

「ミカン合戦に―」の部分は 2006年6月21日 (水) 09:39; 61.44.99.138 (ノート) による版から入っていますが,2006年7月13日現在, 「加藤一二三九段伝説」の方の更新時刻は

[49]% w3m -dump_head http://2chart.fc2web.com/123.html
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と2006年6月7日になっているようです.

--Takot 2006年7月13日 (木) 13:55 (UTC)

通算対局数・敗数のアップデート 編集

1000敗を超えたあたりから、1局ごとにアップデートされているようですが、無駄に版を消費するだけなので、対局数や敗数の数字を除去するなど、何か対策を考えませんか? --Tamago915 2008年1月26日 (土) 11:34 (UTC)

南口繁一九段との関係について 編集

南口九段のページには、『加藤九段を高校に行かせた』。と書かれていますが、加藤九段のページには、『南口九段には、一切世話にならなかった。』と書かれているのですが、どちらが正しいのでしょうか?--ビスマス 2010年2月26日 (金) 14:04 (UTC)

実力制名人全員と対局経験がある 編集

>加藤自らを除く、実力制名人(木村義雄十四世名人とは木村が引退した後の1957年行われた非公式戦の記念対局)全員と対局経験があるのも加藤ただ一人である。
これは2017年時点ではそうかもしれないが、加藤一二三と対局していない現役棋士(殆どいないと思うが)や2017年10月以降にプロデビューした棋士が名人位になった場合など恐らくですが遠い将来にプロ将棋や名人戦の歴史が長く続けば、「実力制名人全員と対局経験がある」というのは成り立たなくなる可能性があります。その場合は、「XXXX年、〇〇名人が誕生するまで」とか枕詞をつけることになりそうです。もっとも、仮に藤井聡太が名人になっても、加藤九段はデビュー戦の対戦相手でしたので、「実力制名人全員と対局経験がある」は維持されますけどね。

なお、加藤九段と佐藤天彦名人は、「引退前…刻み続ける記録 加藤九段」(産経新聞 2017年2月20日)によると、少なくとも2017年2月8日の第88期棋聖戦2次予選で一度は対局経験はあるそうです。--TempuraDON会話2017年6月20日 (火) 15:04 (UTC)

「加藤が引退した2017年6月20日までの、木村義雄 - 佐藤天彦の12名。・・・」と括弧書きを付加してみました。--Pooh456会話2017年6月21日 (水) 02:08 (UTC)

「史上唯一」という表現について 編集

「19世紀生まれ・20世紀生まれ・21世紀生まれの棋士と公式戦を対局(史上唯一)」について、「実際に対戦したことの出典ではなく、それが史上唯一であることの出典をお示しください」とコメントを頂いた件について、ご連絡を差し上げました。

出典に示した将棋世界の記事に「加藤は19世紀生まれの棋士と21世紀生まれの棋士の両方と指した『初めての』棋士になったのである」とあり、同じくサンスポの記事に「加藤九段は、19世紀、20世紀、21世紀生まれの棋士と公式戦で指す『空前の』記録も達成する」とあり、「史上唯一」であることの出典として十分と考えます。

--Pooh456会話2017年6月21日 (水) 05:22 (UTC)

  • それだと「史上初」であって「唯一」であることは不明ですね。言及されていないから。それぞれの「出典」のうち、遅い方の年月日を添えて「Y年M月D日の時点で史上唯一」と書くことは可能だとは判断します。--iwaim会話2017年6月21日 (水) 05:26 (UTC)
    • 「19世紀、20世紀、21世紀生まれの棋士と公式戦で指した」ことは検証可能とみなせると思いますが、「史上唯一」というのが引っ掛かりますね。--Muyo会話2017年6月21日 (水) 05:30 (UTC)
      • おそらくは「唯一」なんでしょうけどね。引退なさったとのことで(ちゃんと調査された資料として)彼の伝記なども出てくる気がしますから、それを待っていればいいんじゃないかな。--iwaim会話2017年6月21日 (水) 05:36 (UTC)
        • 加藤一二三『負けて強くなる』宝島社(宝島社新書)、2014年の55頁で、加藤氏が「現在の現役棋士で19世紀生まれの棋士と公式戦を指したことがあるのは私だけです」「3世紀にまたがっての戦いが実現する可能性は低くありません」「こればかりは私以外には不可能な記録ですから」とありますので、2014年の時点で「19世紀、20世紀、21世紀生まれの棋士と公式戦で指した」記録を達成可能なのは加藤氏だけであったことが検証可能であり、2017年にその記録が達成されたことが前記の出典で検証可能となります。これで「史上唯一」とするのはWikipedia:独自研究は載せない#特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成に当たりますか?--Pooh456会話2017年6月21日 (水) 06:08 (UTC)
          • 何故不可能であるのかという話ですね。未読ですが、合理的に考えれば19世紀生まれの棋士と対戦することが2014年の時点で物理的に不可能(19世紀生まれの棋士が全て引退している、かつ、その時点で19世紀生まれの棋士と対戦したことがある現役棋士は彼以外存在しない)ということでしょう。そのあたりまで記載しているのであれば(書き方次第かですが)記載可能だとは判断します。そこまで書かれてなくてもとりあえず「出典」とした上で{{要高次出典}}を付与するのであれば私は許容範囲です。現状よりも質の向上と判断しますので。
            ところで、このセクションを「ノート:加藤一二三」に移動しませんか?--iwaim会話2017年6月21日 (水) 06:19 (UTC)

(インデント戻します)移動の処理ありがとうございました。ところで、日本将棋連盟公式サイトの記事「14歳、藤井聡四段 vs 76歳、加藤九段がいよいよ対局。それぞれの意気込みを聞いてみた(本人コメントあり(相崎修司)」に「今回の対戦に関してですが、これで加藤九段は19世紀生まれの棋士、20世紀生まれの棋士、21世紀生まれの棋士と公式戦で戦うという『空前絶後』の偉業を達成します。」とあります(相崎氏の発言)。「史上唯一」についての直接の言及と解して差し支えないと思いますが、如何でしょうか。--Pooh456会話2017年6月21日 (水) 07:32 (UTC)

また、加藤氏が公式戦で対局した19世紀生まれの棋士は、複数の活字文献とネット文献で村上真一(1897年生まれ)と野村慶虎(1899年生まれ)の2名が確認できますが、畝美与吉については確認できませんでした。前期のネット記事でも、加藤氏は「私が戦った19世紀生まれの棋士は村上真一八段と野村慶虎七段の2名ですが」と明言しています。「将棋順位戦データベース 七段 畝美与吉」に、畝美氏が加藤氏と昭和29年の順位戦C2で対局したと読める記載がありますが、このサイトは「Wikipedia:信頼できる情報源」を満たさないと思われます。現状、記事「加藤一二三」に、畝美氏と加藤氏が対局したという記述がありますが、これは除去した方が良さそうです。--Pooh456会話2017年6月21日 (水) 07:57 (UTC)
  返信 (Pooh456さん宛) 差し支えあります。言い回しとしての「空前絶後」という表現がありますが、当然ながら未来は予測できません。そのため「空前絶後」という表現からは「(その時点で)前例がない」ということは言えたとしても、「(その時点から後に)発生しない」ということは言えません。要するに「途方もない偉業である」というような意味であって、「唯一である」ということは意味しないのです。
一方、「史上唯一」という表現はダメですが、「相崎修司は『空前前後の偉業』と表現した」と記載するのはありでしょう。--iwaim会話2017年6月21日 (水) 08:31 (UTC)
この件について「当然ながら未来は予測できません」などという一般論を持ち出すべきではありません。 加藤氏以外が達成することが物理的に不可能(出典あり)であった記録を、加藤氏が達成した(出典あり)のですから。相崎氏の記事は、行間を読まねばならない文学作品ではありません。国語辞典の「空前絶後」の定義、「以前にもそれに類する物事がなく、将来にもなかろうと思われる、ごくまれなさま」(広辞苑第五版)に沿って、素直に読むべきです。iwaimさんが「要するに『途方もない偉業である』というような意味であって、「唯一である」ということは意味しないのです」などとおっしゃる(最近の流行語で言うと、忖度する)のは、独自研究に該当するのではないでしょうか?--Pooh456会話2017年6月21日 (水) 09:12 (UTC)
物理的に不可能であることは https://www.shogi.or.jp/column/2016/12/14_vs_76.html には書いていないと考えていますがいかがでしょうか? これだけを「出典」として「史上唯一」と判断するのはまさしく「独自研究」でしょう。
「物理的に不可能」であることは、2017年6月21日 (水) 06:08 (UTC)に示した、「加藤一二三『負けて強くなる』宝島社(宝島社新書)、2014年の55頁の記述」を出典としておりますので、お間違えなきようお願いします。--Pooh456会話2017年6月21日 (水) 09:40 (UTC)
たぶん個別の出典についてあれこれいっても時間がかかるだけなのでPooh456さんの表記案を出典込みでノートに出していただけませんか?--iwaim会話2017年6月21日 (水) 09:28 (UTC)
了解しました。表記案を作ってみます。--Pooh456会話2017年6月21日 (水) 09:40 (UTC)
国語辞典の「空前絶後」の定義に沿って(Pooh456さんによる引用を拝見しながら)解釈すると「『唯一である』ということは意味しない」としかなりません。何故《将来にもなかろうと思われる》とぼやかした表現をしているのでしょうか。広辞苑編者らが「将来にもない」と断言しないのは、唯一ではなくなる可能性を把握しているからでしょう。
  返信 (iwaimさん宛) iwaimさん自身が上でも述べられておりますが、適切な出典が出てくるまでは、2016年現在と時期を明示した上で唯一と記載すればよろしいのではないでしょうか。--MOILIP (u / d / c) 2017年6月21日 (水) 09:39 (UTC)

畝美与吉との対局について 編集

>加藤氏が公式戦で対局した19世紀生まれの棋士は、複数の活字文献とネット文献で(中略)畝美与吉については確認できませんでした。
>「将棋順位戦データベース 七段 畝美与吉」に、畝美氏が加藤氏と昭和29年の順位戦C2で対局したと読める記載がありますが、このサイトは「Wikipedia:信頼できる情報源」を満たさないと思われます。
わかりました。記事「加藤一二三」及び記事「畝美与吉」において当該記述は除去します。

ただし、加藤一二三の認識については「村上氏と野村氏と対局した記憶はあるが畝氏と対局した記憶がない」「1900年生まれの畝氏を19世紀生まれではなく20世紀生まれと誤認している」可能性もあるため、加藤氏と畝氏の対局について「Wikipedia:信頼できる情報源」で確認されれば追加するということでよろしいでしょうか?--TempuraDON会話2017年6月21日 (水) 12:28 (UTC)

はい、TempuraDONさんのおっしゃ通りです。--Pooh456会話2017年6月21日 (水) 12:32 (UTC)

史上唯一という表現について(表記案) 編集

(略歴)

19世紀・20世紀・21世紀の3つの世紀に生まれた棋士と公式戦で対局した、史上唯一の棋士である。


(戦績)

(現役最晩年)

2016年度の第30期竜王戦6組ランキング戦の初戦(2016年12月24日)では、加藤が持っていた史上最年少棋士記録(14歳7か月)を62年ぶりに更新し、14歳2か月でプロ棋士(四段)となった藤井聡太のデビュー戦の相手となった(結果は110手で藤井の勝ち)。[1]

これは公式戦で最も離れた年齢差(62歳6か月)の対局となった[1][2]

また、加藤は、19世紀(村上真一野村慶虎の2名[3])、20世紀(その他多数)、21世紀(藤井聡太[4])の3つの世紀に生まれた棋士と公式戦で対局した記録を樹立した[1][5][6]。藤井(2002年生まれ)は21世紀生まれの最初の棋士である。[4]そして、藤井がプロ棋士となった2016年10月1日の時点で、19世紀生まれの棋士との対局経験がある現役棋士は加藤のみであった。よって、加藤のこの記録は史上唯一のものとなる。[注釈 1]


(主な成績)

(記録)

  • 19世紀・20世紀・21世紀の3つの世紀に生まれた棋士と公式戦で対局(史上唯一)


(脚注)

(注釈)

  1. ^ 加藤は、藤井がプロ棋士となる2年前、2014年に上梓した著書に、「現在の現役棋士で19世紀生まれの棋士と公式戦を指したことがあるのは私だけです」と記し、数年後に登場するであろう21世紀生まれの棋士と対局して、19世紀・20世紀・21世紀の3つの世紀に生まれた棋士と公式戦を戦う記録を樹立したいと意気込みを述べた上で、「なんといってもこればかりは私以外には不可能な記録ですから。仮に続く棋士が出るとしても100年以上先の話です。」と記している。[7]

(出典)

  1. ^ a b c 藤井四段 白星デビュー 14歳プロ棋士76歳加藤九段破る”. 中日新聞 (2016年12月25日). 2017年6月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年6月21日閲覧。
  2. ^ 14歳vs76歳!藤井聡太四段のデビュー戦対局相手は、現役最高齢の加藤九段。これまでの年の差対局の結果は?(ライター:佐藤友康)”. 日本将棋連盟 (2016年12月22日). 2017年6月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年6月21日閲覧。
  3. ^ 14歳、藤井聡四段 vs 76歳、加藤九段がいよいよ対局。それぞれの意気込みを聞いてみた(本人コメントあり)(ライター:相崎修司)”. 日本将棋連盟 (2016年12月23日). 2017年6月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年6月21日閲覧。
  4. ^ a b 新四段誕生のお知らせ *藤井聡太(史上最年少四段)・大橋貴洸”. 日本将棋連盟 (2016年9月3日). 2017年3月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年6月21日閲覧。
  5. ^ 鈴木宏彦「第30期竜王戦ランキング戦6組 加藤一二三九段vs藤井聡太四段 天才の系譜を継ぐ者」、『将棋世界』(2017年3月号)、日本将棋連盟 pp. 54-62
  6. ^ 加藤一二三九段、孫と戦うような新旧天才対決を前に、大熱戦を予告”. サンケイスポーツ (2016年12月24日). 2017年4月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年4月26日閲覧。
  7. ^ 加藤一二三『負けて強くなる』宝島社(宝島社新書)、2014年、35頁。 


表記案を作ってみました。--Pooh456会話2017年6月21日 (水) 11:04 (UTC)

  • 表記案ありがとうございます。《19世紀生まれの棋士との対局経験がある現役棋士は加藤のみであった》の出典がないので、そこへの出典を付与か要出典系テンプレートの付与が必要ですね。前者の場合は(私は)「史上唯一」の箇所はこのままでも許容範囲です。後者の場合は「史上唯一」についても要出典系テンプレートが必要ですね。--iwaim会話2017年6月22日 (木) 15:11 (UTC)
    • ご意見ありがとうございます。《19世紀生まれの棋士との対局経験がある現役棋士は加藤のみであった》については、「加藤氏の著書(「Wikipedia:信頼できる情報源」を満たすと思われます)にそう書いてある」ことが出典になるようにも思えますが、「そこへの出典を付与か要出典系テンプレートの付与が必要」「後者の場合は「史上唯一」についても要出典系テンプレートが必要」というご意見には反対いたしません。案外、加藤氏の引退を受けて、「将棋世界」で特集が組まれて解決する問題かもしれませんが。--Pooh456会話2017年6月22日 (木) 15:26 (UTC)


  • (インデント戻します)iwaimさんが「加藤氏の著書は出典として不足」とお考えかと勘違いしていたようです。失礼しました。では、ご指摘を反映した表記案を改めて示します。


(略歴)

19世紀・20世紀・21世紀の3つの世紀に生まれた棋士と公式戦で対局した、史上唯一の棋士である。


(戦績)

(現役最晩年)

2016年度の第30期竜王戦6組ランキング戦の初戦(2016年12月24日)では、加藤が持っていた史上最年少棋士記録(14歳7か月)を62年ぶりに更新し、14歳2か月でプロ棋士(四段)となった藤井聡太のデビュー戦の相手となった(結果は110手で藤井の勝ち)。[1]

これは公式戦で最も離れた年齢差(62歳6か月)の対局となった。[1][2]

また、加藤は、19世紀(村上真一野村慶虎の2名[3])、20世紀(その他多数)、21世紀(藤井聡太[4])の3つの世紀に生まれた棋士と公式戦で対局した記録を樹立した[1][5][6]。藤井(2002年生まれ)は21世紀生まれの最初の棋士である。[4]そして、2014年(藤井がプロ棋士になる2年前)の時点で、19世紀生まれの棋士との対局経験がある現役棋士は加藤のみであった。[7] よって、加藤のこの記録は史上唯一のものとなる。


(主な成績)

(記録)

  • 19世紀・20世紀・21世紀の3つの世紀に生まれた棋士と公式戦で対局(史上唯一)


(出典)

  1. ^ a b c 藤井四段 白星デビュー 14歳プロ棋士76歳加藤九段破る”. 中日新聞 (2016年12月25日). 2017年6月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年6月21日閲覧。
  2. ^ 14歳vs76歳!藤井聡太四段のデビュー戦対局相手は、現役最高齢の加藤九段。これまでの年の差対局の結果は?(ライター:佐藤友康)”. 日本将棋連盟 (2016年12月22日). 2017年6月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年6月21日閲覧。
  3. ^ 14歳、藤井聡四段 vs 76歳、加藤九段がいよいよ対局。それぞれの意気込みを聞いてみた(本人コメントあり)(ライター:相崎修司)”. 日本将棋連盟 (2016年12月23日). 2017年6月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年6月21日閲覧。
  4. ^ a b 新四段誕生のお知らせ *藤井聡太(史上最年少四段)・大橋貴洸”. 日本将棋連盟 (2016年9月3日). 2017年3月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年6月21日閲覧。
  5. ^ 鈴木宏彦「第30期竜王戦ランキング戦6組 加藤一二三九段vs藤井聡太四段 天才の系譜を継ぐ者」、『将棋世界』(2017年3月号)、日本将棋連盟 pp. 54-62
  6. ^ 加藤一二三九段、孫と戦うような新旧天才対決を前に、大熱戦を予告”. サンケイスポーツ (2016年12月24日). 2017年4月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年4月26日閲覧。
  7. ^ 加藤一二三『負けて強くなる』宝島社(宝島社新書)、2014年、35頁。 

--Pooh456会話)2017年6月22日 (木) 15:51 (UTC) /(修正)--Pooh456会話2017年6月22日 (木) 16:14 (UTC)

  • あ、すみません。2014年の『負けて強くなる』でしたか。それを「出典」とするなら《藤井がプロ棋士となった2016年10月1日の時点で》のあたりに書き換えが必要だとは判断します。「2014年の時点で」ぐらいでいいんじゃないでしょうか。論理的には穴がありますが、それを言えばそれぞれの情報を鑑みた上で《加藤のこの記録は史上唯一のものとなる》と結論付けるところにも穴はあるので(現状で「史上唯一」と記載するのであれば)大差ないとは判断します。--iwaim会話2017年6月22日 (木) 16:03 (UTC)

各メディアへの出演について 編集

  • 各メディアへの出演について、ゲスト出演の場合は記載しないとの意見が一部にあるようですが、ゲストであったとしても出演したことに変わりなく、また他の記事との公平を保つため、記録を残すべきと考えております。-- Yokohama2010会話) 2017年7月27日 (木)06:45 (UTC)
  •   コメント 切干大根氏の「ゲスト出演を載せるのはキリがない」という意見、ならびに、その意見を付した版が妥当と考えます。WP:IINFOに照らしても、全ての出演記録を、将棋棋士についての人物伝加藤一二三」に記載するのは不適切です。
「ゲストであったとしても出演したことに変わりなく、また他の記事との公平を保つため、記録を残すべきと考えております」とお考えでしたら、「加藤一二三の出演記録」といった名称の別記事に分割することをお勧めしますが、そのような記事はWP:Nを満たさないと思われます。--Pooh456会話2017年7月27日 (木) 07:27 (UTC)
  •   「他の記事との公平を保つ」の意味がよく分かりませんが、他の記事でも単発のゲスト出演を全部載せた記事は無いと思います。ゲスト出演した番組をすべて載せた記事があるのであればご呈示ください。売れている有名人の記事で、ゲスト出演した番組を網羅しようとすればそれだけで膨大となり記事のバランスを著しく欠くのではないでしょうか。加藤一二三氏の人生の転機となった出演であったのであれば一考の余地はあるでしょうが、すべてがそういうわけではないでしょう。--切干大根会話2017年7月27日 (木) 09:22 (UTC)
  • 「ゲスト出演した番組をすべて載せた記事」ですが、東国原英夫ですと宮崎県知事及びその後国会議員になってからのタレント活動も細かく記載されています。そのほか吉田沙保里ですと、バラエティ番組等の出演の記載はないものの、ドラマへのゲスト出演は記載があります。記事によって記載は様々で、すべて一様にはならないため、「他の記事との公平を保つため」との発言は訂正させていただきます。加藤一二三先生の場合、アウト×デラックスに出演されてから、実質的に棋士としての活動と並行してタレント活動を開始されているととらえ、ゲスト出演はできる限り記載してよろしいかと思います。と言いますか、すでに出演について詳細に記載があるのに、頭ごなしに(何も議論がなされないまま)削除する必要はないと考えております。引退された現在に至っては、ワタナベエンターテインメントに所属してタレント活動の最中であることに異論はないはずです。ですので、棋士としての活動、タレントとしての活動として区別し、各メディアへの出演を記載しておくのが本来よろしいのではとも思っております。正直、プロ棋士(プロ選手)でありながら、ここまでタレント活動されていた(タレント活動されている)方が見当たらないので、なかなか比較が難しいところではありますが・・・-- Yokohama2010会話) 2017年7月28日 (木)09:30 (UTC)
  •   コメント
  1. Yokohama2010氏のご意見は「加藤氏は将棋棋士であるが、タレント活動も行っている。タレント活動の記録を、人物伝「加藤一二三」に詳細に記載すべきである。メディアへの出演記録を全て記載して差し支えない」と要約されると思います。その場合、同じ論理によって「加藤氏は将棋棋士である。よって将棋棋士活動の記録を、将棋棋士の人物伝「加藤一二三」に詳細に記録すべきである。将棋棋士の主な活動は公式戦対局であるので、加藤氏のデビューから引退までの全公式戦対局(2,505局)について詳細に記載して差し支えない」となりますし、加藤氏が将棋棋士である以上、タレント活動について詳細に記述することを検討する前に、将棋棋士活動について詳細に記述すべきです。しかし、当然ながら「ある棋士の全公式戦対局について、ある棋士の人物伝に詳細に記述する」編集はWP:IINFOに反します。よって、Yokohama2010氏のご意見はWP:IINFOに反していると考えます。
  2. 加藤氏が現役棋士の時代からタレント活動を活発に行っているのは事実ですが、これについては、「加藤は番組AにXXXX年に出演した頃から、将棋関係以外のメディアに出演することが増えた(出典)」「2017年に藤井聡太の活躍がメディアで広く報じられた際は、メディアに頻繁に登場した(出典)」「同じ時期に加藤が現役を退いて退役棋士となってからは、将棋関係以外のメディア出演が増えた(出典)」などと、「加藤氏のメディア出演に言及した出典」を提示した上で、本文に記載するのが、将棋棋士の人物伝としての本来の姿ではないでしょうか。その上で、切干大根氏がメディア出演情報を整理した版のように、抑制された形でメディア出演を箇条書きで記述するのが限度と思います。--Pooh456会話2017年7月28日 (金) 10:37 (UTC)
    • 1の反論についてはあまり適切ではないかな、と判断しています。「将棋棋士」兼「タレント」と判断して、それぞれの分野の活動について、ウィキペディア日本語版のそれぞれの分野の慣例に従って判断した方がよいのでは?--iwaim会話2017年7月28日 (金) 14:44 (UTC)
      • 「1の反論についてはあまり適切ではないかな、と判断しています。」とのことですが、どのように適切でないのか具体的にご指摘ください。--Pooh456会話2017年7月28日 (金) 15:10 (UTC)
        • たとえばタレント活動ではなくミュージシャンだったら?と考えてみてはいかがでしょうか。「A氏は将棋棋士であるが、ミュージシャンでもある。ミュージシャンとしての記録を記事に詳細に記載すべきである。リリースしたCDを全て記載して差し支えない」という主張に対して《同じ論理によって「(略)全公式戦対局(2,505局)について詳細に記載して差し支えない」となります》とはたぶん言わないですよね。一方、「A氏は将棋棋士であるが、ミュージシャンでもある。ミュージシャンとしての記録を記事に詳細に記載すべきである。楽曲を全て記載して差し支えない」だとどうでしょうか。このあたりだと同じように反論するかもしれないですね。別の分野の別のものを比べることがどれだけ有益なのかとても疑問です。無益どころか害があるんじゃないかな。なぜ「メディア出演」に対して「公式戦対局」を持ち出したのでしょうか。「解説員」だとダメだったのでしょうか。このあたりを他者に納得がいくように説明することができますか?--iwaim会話2017年7月28日 (金) 15:42 (UTC)
          • 具体的なご説明ありがとうございました。
            1. 加藤氏は「将棋棋士」であり「タレント」ではない。根拠は、そのように自称しておられますし(加藤一二三 ツィッター”. 加藤一二三. 2017年7月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年7月29日閲覧。)、「加藤氏はタレントである」と明記している出典は現時点で存在しないと思われます。これを覆す出典があれば、お示しください。
            2. よって、加藤氏の主たる活動は将棋棋士活動であり、タレント活動は従たる活動(副業)である。
            3. 将棋棋士活動の中で最重要なものは「公式戦対局」である。必然的に、将棋棋士の人物伝は公式戦対局について述べるのが主になるが、個別の対局について述べるのは「加藤一二三 全対局」といった大部の書物の役割である。百科事典であるウィキペディアでは概略を述べることになる。現に「加藤一二三」はそのように記述されています。
            4. Yokohama2010氏が、「加藤氏の人物伝にメディアへの出演記録を全て記載して差し支えない(加藤氏の人物伝に副業について全て書いて差し支えない)」という趣旨の主張をされているので、それに対して「あなたの主張は、加藤氏の全公式戦対局(2,505局)について詳細に記述して差し支えない(加藤氏の人物伝に本業について全て記載して差し支えない)、と言っているのと同じですが、それはおかしいでしょう? WP:IINFOに反するでしょう?」という趣旨を述べました。
            5. 加藤氏の本業=将棋棋士活動≒公式戦対局、加藤氏の副業=タレント活動≒メディア出演ですから、「別の分野の別のものを比べることがどれだけ有益なのかとても疑問です。無益どころか害があるんじゃないかな。」とは考えません。将棋棋士の人物伝において、副業について「全て」書くことが不可であるのは、WP:IINFOを持ち出すまでもなく自明です。切干大根氏が「記事のバランス」について述べておられますが、加藤氏の副業については「近年の加藤は、将棋関係以外のメディアに多く出演している(出典)」程度を本文に記述すれば十分ではないか? とも考えられるのは、先に記した通りです。--Pooh456会話2017年7月28日 (金) 17:06 (UTC)
            • 本業/副業の話は踏み込むと面倒だと思いますよ。ウィキペディア日本語版では自称はある意味どうでもよくて出典次第なのは当然なのですが、《「加藤氏はタレントである」と明記している出典は現時点で存在しないと思われます。これを覆す出典があれば、お示しください》と仰るなら、今現在も将棋棋士であること、そしてそれが本業であることにも出典が要求されると判断することが妥当じゃないでしょうか。本当に本業/副業の話をするのですか?
              #「史上唯一」という表現について」でも思いましたが、Pooh456さんはご自身の理想とする形態があって、そのためにいろいろ理由を付けているような印象を受けています。
              記事のバランスなどは同意できますし、全て列挙することは望ましくないというのも同意します。それは、それぞれの分野の活動について、ウィキペディア日本語版のそれぞれの分野の慣例に従えば問題ないのでは?--iwaim会話2017年7月28日 (金) 23:17 (UTC)
  • そもそも2012年アウトxデラックスへ出演してから5年間、多くの方が記載したくださったことであるのに、いまになって何故削除する必要があるのか、という思いなんですけどね。Wikipediaのルールに反するといっても、誹謗中傷や事実無根の記載ではないし、これを看過し続けたところで誰かの不利益になるわけではなし、重ねてですけど、多くの投稿者がやってきたことを、このタイミングで頭ごなしに斬るってのはある意味おかしな話だと思いますけどね。ではこれまでの5年間は何だったかと? --Yokohama2010会話2017年7月30日 (金) 12:00 (UTC)
    • 5年間、多くの方が記載したものであろうが、ルールに反するものであれば整理してもなんら問題ありません。整理しなければ無限に追加され記事のバランスが悪くなるという不利益が起こることはすでに述べています。--切干大根会話2017年7月30日 (日) 20:28 (UTC)
    • 《多くの投稿者がやってきたことを、このタイミングで頭ごなしに斬るってのはある意味おかしな話だと思いますけどね。ではこれまでの5年間は何だったかと?》については、そんなこと言っても詮無きことです。ウィキペディアの目的は質の高い百科事典を作ることであって、過去の貢献者の編集をそのままの状態で残すことではありません。記事内の記述として不適当と判断されたものは、当然編集除去などが実施されます。また、本件に関しては一応議論の場としてこのセクションがあるわけで。--iwaim会話2017年7月31日 (月) 22:09 (UTC)
    • 他の人物記事の記載基準も考慮すべきであり、基本的にはレギュラー番組を持っている場合を除き、基本的には記載しないでおき、記載するならばよほどの特筆性のある状況にあるもの(例:桐谷広人における『月曜から夜ふかし』)に限られるはずです。--Don-hide会話2017年8月6日 (日) 13:02 (UTC)

「京都府出身」「京都府育ち」という加筆について 編集

IPユーザー 221.190.185.39氏 によって、「加藤は内弟子時代に現在の木津川市に住んでいたので、京都府育ち、京都府出身である」と出典を示さずに加筆、「京都府出身の人物」カテゴリへの追加を行う編集が行われました(差分)。

WP:BLPに照らし、「出身地は福岡県嘉麻市(出典:連盟サイト)。「京都府木津川市育ち」「京都府出身」などと記述するには、WP:RSを満たす出典が必要(WP:BLP)。」という要約を付して、「京都府育ち」「京都府出身」などの記述を除去する編集を行いました(差分)。

なお「加藤氏が南口氏の内弟子として高校を卒業するまで現在の木津川市に住んでいた」ことは、「加藤九段のエネルギー、他の棋士を圧倒 京都の元弟弟子”. 京都新聞 (2017年6月21日). 2017年6月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年6月21日閲覧。」が出典となりますので、それについての記述は注釈化して残してあります。

これについて、別なIPユーザー 58.95.110.204氏 が、「Pooh456 (会話) による ID:66121869 の版を取り消し 京都新聞の出典が提示されているため(よく確認してから消すように)」との要約を付して取り消しを行いました(差分)。IPユーザー 58.95.110.204氏 は、京都新聞出典の記述は残してあるのに気がついていないようでしたので「編集合戦はお止め下さい。京都新聞を出典とする記述は注釈として残してある。「将棋棋士関連の文献によっては京都府出身としているものもある」と記述するには出典が必要。」という要約を付して取り消しを行いました(差分)。IPユーザー 58.95.110.204氏には、カラ編集の要約欄で、このノートでの対話を呼びかけております(差分)。--Pooh456会話2017年10月31日 (火) 08:23 (UTC)

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