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ハマノパレード1969年3月18日 - 1973年6月25日)は、日本競走馬である。1973年宝塚記念を制したものの、その次に出走した高松宮杯で骨折・予後不良となり、翌日屠殺されるという最期が物議を醸した。日本における競走馬の安楽死システムが整備される契機を作った馬とされている。

ハマノパレード
品種 サラブレッド
性別
毛色 栗毛
生誕 1969年3月18日
死没 1973年6月25日(5歳没・旧表記)
テューダーペリオッド
オイカゼ
母の父 ソロナウェー
生国 日本の旗 日本北海道静内町
生産 へいはた牧場
馬主 (株)ホースタジマ
調教師 坂口正二栗東
厩務員 田原豊蔵
競走成績
生涯成績 20戦8勝
獲得賞金 9017万6200円[1]
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経歴編集

生い立ち編集

1969年、北海道静内町のへいはた牧場に生まれる。同場は兵庫県神戸市の宝石商・田島正雄が、元坂口正二厩舎厩務員であった幣旗力を場長に据え1965年に創設した新興牧場であった[2]。牧場時代は1周400メートル程度の小さな馬場で猟犬のポインターに追われるという育成調教を積まれていた[3]

競走年齢に達し、田島の所有馬(名義は「(株)ホースタジマ」)として、坂口正二厩舎に入厩。体高143cm[3]という小柄で華奢な馬であったが、入厩当初から調教で軽快な動きを見せ、その素質はデビュー前から高く評価されていた[4]。一方で非常に気性が激しく、日常の世話にも手こずるほどの悍馬であった。このため、癖馬扱いの名人として知られた引退厩務員の田原豊蔵を招き、とくに許可を得てハマノパレード専属の担当者とした[5]。しかし調教においては変わらず悍性がきつく、まともな調教はできなかったという[5]

戦績編集

1971年10月16日に初戦を迎える予定であったが、骨膜炎で直前に出走を取り消す[4]。態勢を立て直したあと、翌月にデビューを迎えたが、満足な調教をしておらず、また馬体も幼かったため[6]、初勝利までには年を跨いでの4戦を要した。しかしこのころより成長が見え始め、2月までに特別戦で2勝を挙げ、クラシックへ出走可能な賞金を上積みした[注 1]。しかし皐月賞への前哨戦・毎日杯では9着と精彩を欠く。さらに休みなく出走を続けていたことにより、京都4歳特別出走時には430kgあった馬体重が410kgまで減少しており、3着に終わった。陣営はまだクラシック出走のレベルにないと判断し、クラシックを断念[7]。ハマノパレードは長期の休養に入った。

10月に復帰。休養で馬体が充実、また田原ら陣営の努力で気性面でも良化を見ており[7]、復帰初戦から700万下条件戦、オープン戦を連勝。勢いに乗り、天皇賞優勝馬ヤマニンウエーブ参戦の阪神大賞典にも優勝し、重賞を初勝利を挙げた。しかし翌年初戦の日経新春杯は重馬場に脚を取られたこともあり、6着に終わる。

2月に従来の主戦騎手であった吉岡八郎が騎手を引退し、次走の京都記念(春)から新たな鞍上に田島良保を迎えた。この競走で、菊花賞優勝馬ニホンピロムーテーを退け重賞2勝目を挙げる。続く二走を僅差の2着として、天皇賞(春)に出走。ピークの状態で臨み、当日は5番人気に支持された。レースでは緩やかなペースで逃げながらレースを進めたが、要所の最終コーナーでタイテエムと接触して大きく躓き、8着に終わった。一方のタイテエムはそのまま優勝して初の八大競走制覇となり、「無冠の貴公子」という異名を返上した。後に田島は「相手は大きな馬で、脚も向こうが引っ掛けたのでダメージがなく、勝ちましたね」と語っている[8]

次走は宝塚記念に出走。得意の中距離戦ながら4番人気という評価だったが、好調を維持していた田島ハマノパレードは、スタートからハイペースで後続を引き離した。最後の直線では2番手につけたタイテエムに馬体を併せられるも、先頭で逃げ切り優勝。走破タイム2分12秒7は、芝2200mの日本レコードタイム(当時)であった。田島は「それでもまだぎりぎりではない、一種余裕がありました。会心のレースでした」と回想しており[9]、またこの時の騎乗から、関西テレビアナウンサー杉本清が田島に対して「必殺仕掛人」という異名を考案。以後これが田島の引退まで定着することになった[10]

高松宮杯の事故編集

続いてハマノパレードは高松宮杯に進んだ。このレースでも1番人気の天皇賞馬・ベルワイドを相手に、宝塚記念と同様のレース運びで先頭を進んでいた。そのまま最後の直線に入り、2番手のタケデンバードを突き放したが、残り200mの地点で馬が手前を替えようとした[注 2]際に脚がもつれ[11]、前のめりに転倒、競走を中止した。この事故で田島は馬場に叩き付けられて肩甲骨を骨折。そしてハマノパレードは左第一関節脱臼および左第一指節種子骨粉砕骨折を発症しており、競走後に予後不良の診断が下された。

屠殺 - 死後の影響編集

現在であれば予後不良の診断が下された馬は薬物投与による安楽死の処置を執られることが原則となっているが、ハマノパレードにそうした対応は行われず、苦痛の軽減処置を施されないまま、翌朝になって愛知県名古屋市近郊の屠殺場へ送られた[12]。その馬肉は同日中に「さくら肉『本日絞め』400キログラム」という品目で市場へ売りに出され[13]、やがてこの事実がスポーツニッポンで「これはハマノパレードのものではないのか!?」と言う内容で記事として取り上げられ、大きな反響を呼んだ[13][14]

その後、時代の変遷に伴う動物愛護意識の浸透と共に、重度の故障を発症した競走馬については屠殺が原則的に行われなくなり、予後不良の診断が下ってその後の必要な諸手続きが完了次第、即刻薬殺されるシステムが整備されていった[14]

当時、記事を執筆した同新聞大阪本部記者・船曳彦丞(元JRA騎手・船曳文士の父)は、「あの馬が後世に残した遺産は大きかった。(中略)ハマノパレード事件の問題提起がなかったら、旧態依然のまま出来事はベールに包まれていたと思う」と語っている[13][14]

競走成績編集

年月日 レース名 頭数 人気 着順 距離(状態 タイム 着差 騎手 斤量 勝ち馬/(2着馬) 馬体重
1971 10. 16 京都 新馬 18 取消 芝1200m(稍) 吉岡八郎 52 シャダイソレラ
11. 14 京都 新馬 14 3 4着 芝1200m(良) 1:13.6 0.8秒 吉岡八郎 53 シュンサクオーザ 428
11. 27 京都 新馬 11 4 2着 芝1200m(良) 1:12.2 0.2秒 吉岡八郎 53 リュウボーイ 420
12. 18 阪神 未出未勝 14 1 3着 芝1400m(良) 1:24.4 0.2秒 吉岡八郎 53 ミルフォードオー 426
1972 1. 4 京都 未出未勝 18 1 1着 1400m(重) 1:27.6 5身 吉岡八郎 54 (ニホンピロエミー) 422
1. 22 京都 白梅賞 11 2 1着 芝1600m(稍) 1:40.7 1 1/4身 吉岡八郎 54 (ニッセキタリヤー) 418
2. 23 京都 飛梅賞 9 3 3着 芝1600m(重) 1:42.9 1.6秒 吉岡八郎 54 ニッセキタリヤー 418
2. 27 阪神 春蘭賞 8 2 1着 芝1600m(不) 1:41.4 1 1/4身 吉岡八郎 54 (ヤマニンホメロス) 420
3. 19 阪神 4歳ステークス 9 2 3着 芝1900m(稍) 2:00.1 0.3秒 吉岡八郎 54 ユーモンド 414
4. 9 阪神 毎日杯 12 4 9着 芝2000m(不) 2:13.5 2.9秒 松本善登 55 ユーモンド 412
5. 5 京都 京都4歳特別 13 5 3着 芝2000m(重) 2:08.3 0.5秒 吉岡八郎 55 マサイチモンジ 410
10. 28 京都 700万下 12 2 1着 芝1900m(稍) 1:57.8 2身 吉岡八郎 54 (ヒデツカサ) 424
11. 25 京都 オープン 8 1 1着 芝1600m(稍) 1:37.4 1身 吉岡八郎 54 ダテテンリュウ 420
12. 24 阪神 阪神大賞典 11 5 1着 芝3100m(不) 3:27.7 1身 吉岡八郎 52 ヤマニンウェーブ 434
1973 1. 21 京都 日本経済新春杯 13 1 6着 芝2400m(重) 2:34.2 1.1秒 吉岡八郎 55 ユーモンド 432
2. 11 京都 京都記念(春) 9 1 1着 芝2400m(稍) 2:28.6 3/4身 田島良保 55 ニホンピロムーテー 434
3. 11 阪神 大阪杯 10 2 2着 芝2000m(良) 2:02.7 0.2秒 田島良保 57 ニホンピロムーテー 434
4. 8 阪神 オープン 7 1 2着 芝2000m(良) 2:01.7 0.1秒 押田年郎 57 メトロオーカン 432
4. 29 京都 天皇賞(春) 15 5 8着 芝3200m(良) 3:26.2 1.2秒 田島良保 58 タイテエム 432
6. 3 阪神 宝塚記念 8 4 1着 芝2200m(良) R2:12.7 クビ 田島良保 55 (タイテエム) 432
6. 24 中京 高松宮杯 10 2 中止 芝2000m(良) 田島良保 55 タケデンバード 432
  • Rはレコードタイムを示す。

競走馬としての特徴・評価編集

田島良保は、1999年に雑誌『Number』が行ったアンケートの中で、本馬を評して「馬体のバランスが素晴らしく、仕掛けたときの反応の鋭さは今でも覚えている」と語り、自身が騎乗した内の最強馬として挙げている[15]。田島は気性の激しいハマノパレードへの対策として、仕掛け所まで馬が力まないよう、「気取った感じでフワァーッと」騎乗し、また普通とは異なる手綱の持ち方をしていたという[16]。一方で、「もしあの馬が生まれながらの優等生だったら、あそこまで勝ち上がってはいなかったと思う」とも語り、「僕に似ていたと言えるかも知れない」としている[16]。田島がハマノパレードで見せた騎乗感覚は、その弟弟子である田原成貴に大きな影響を与え、田原の騎乗感覚の原点ともなった[16]

血統表編集

ハマノパレード血統(オーエンテューダー系 / Bull Dog、Sir GallahadGainsborough 4×5=9.38%、Nearco 5×5=6.25%、Lady Juror 5×5=6.25%) (血統表の出典)

*テューダーペリオッド
Tudor Period
1957 栃栗毛
父の父
Owen Tudor
1938 黒鹿毛
Hyperion Gainsborough
Selene
Mary Tudor Pharos
Anna Bolena
父の母
Cornice
1944 鹿毛
Epigram Son-in-Law
Flying Sally
Cordon Coronach
Miss Brenda

オイカゼ
1962 栗毛
*ソロナウェー
Solonaway
1946 鹿毛
Solferino Fairway
Sol Speranza
Anyway Grand Glacier
The Widow Murphy
母の母
ウンザン
1945 栗毛
クモハタ *トウルヌソル
*星旗
白玲 *レヴューオーダー
第三シルバーバツトンF-No.4-g

父はイギリスで4勝。1971年に種牡馬として日本に輸入され、本馬の他に菊花賞優勝馬ハシハーミット等を輩出している。母系はシルバーバットン系と呼ばれる名牝系であり、祖母ウンザンの弟にダイナナホウシュウ、その他の近親にウイザート等がいる。

脚注編集

注釈編集

  1. ^ この年は関東で馬インフルエンザが発生し、1、2月の東京開催が中止、春のクラシック開催が順延されていた。
  2. ^ 「手前を替える」とは、馬が走行時に送り脚の順番を左右で入れ替えること。

出典編集

  1. ^ 『優駿』1973年8月号、p.73
  2. ^ 木村(1998)pp.120-124
  3. ^ a b 木村(1998)p.128
  4. ^ a b 『サラブレッド101頭の死に方』p.279
  5. ^ a b 渡辺(2004)p.186
  6. ^ 渡辺(2004)p.187
  7. ^ a b 渡辺(2004)p.188
  8. ^ 渡辺(2004)p.192
  9. ^ 渡辺(2004)p.195
  10. ^ 『優駿』1992年5月号 p.41
  11. ^ 渡辺(2004)p.204
  12. ^ 青木(1995)p.13。
  13. ^ a b c 青木(1995)p.14
  14. ^ a b c 競馬の天才!2019年8月号「競馬場の怪奇譚 ハマノパレード事件と「馬の福祉」問題の深い闇」
  15. ^ 『Sports Graphic Number PLUS』p.22
  16. ^ a b c 『優駿』1992年5月号 p.42

参考文献編集

関連項目編集

外部リンク編集