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ゲオルク・フォン・デア・ガーベレンツ

ハンス・ゲオルク・コノン・フォン・デル・ガベレンツから転送)

ハンス・ゲオルク・コーノン・フォン・デア・ガーベレンツ(Hans Georg Conon von der Gabelentz、1840年3月16日 - 1893年12月11日)は、ドイツ言語学者。一般言語学および中国語の研究で知られる。

ドイツ初の中国学教授であり、主著に『中国語文法』(『漢文経緯』の名でも知られる)、『言語学』がある。

目次

生涯編集

ゲオルク・フォン・デア・ガーベレンツはアルテンブルクに生まれた[1]。父のハンス・コーノン・フォン・デア・ガーベレンツザクセン=アルテンブルク公国の政府要人で、東洋学者・言語研究者でもあり、満州語の研究で特によく知られる。ゲオルクは父の影響を受け、若いころから東アジアの諸言語を研究した[2]。1860年にダヤク語の動詞活用体系に関する記事を、父が創立者のひとりであるドイツ東洋学会の機関紙に発表している[3]イェーナ大学ライプツィヒ大学で法学と言語学を学んだ[1]

1864年にドレスデンで法曹の職についたが、同時にライプツィヒ大学で中国語・日本語・満州語を学び、『太極図説』の翻訳によって1876年に博士の学位を得た[4][5]。1878年にライプツィヒ大学に東アジア諸言語の講座が設けられると、その員外教授に任命された[1]。ガーベレンツは中国語と日本語のほかにマレー語チベット語モンゴル語、一般言語学、比較言語学を教えた[4]

ライプツィヒ時代に中国語に関する主著『中国語文法』(Chinesische Grammatik, 1881)を著した。この本は中国語の文語(漢文)の文法書で、読みは基本的に官話によりつつ、入声の -p -t -k を加え、-n と -m を区別するなど、復古的な発音で記されていたが、単にラテン語文法をあてはめただけではない文法書として評価は高く、1960年に復刻版が出版されている[4]

1884年から『国際一般言語学報』(Internationale Zeitschrift für allgemeine Sprachwissenschaft)の共同編集者をつとめた[4]

1889年にベルリン大学の正教授に就任した[1]。同年、プロイセン科学アカデミーの会員に選ばれた。この時代に一般言語学の主著『言語学』(Die Sprachwissenschaft, 1891)を出版した。

1893年にベルリンで病没した。

没後にバスク語の系統に関する著書と言語類型論に関する論文が公刊された。

思想編集

『言語学』は1891年に初版が出版され、没後の1901年に第2版が、1969年にコセリウによって復刻版が出版された。

ガーベレンツは人間の言語を音声によって分節された思想表現であるとした[6]。言語学は経験科学であるとして、演繹的な一般文法を否定した[7]。言語法則のなす有機的システムを「言語精神」と呼び[8]、個別言語研究の第一の対象は言語精神であるとした。

ガーベレンツはヴィルヘルム・フォン・フンボルトを「広い知識を哲学的炯眼と一体にした最初の人物」[9]、「1825年の講演で内的言語形式の概念を導入した」[10]と高く評価し、その強い影響を受けているが、孤立語を原始段階とする主張は今日では反駁されたとし、インド・ヨーロッパ語族の言語でも近代インド語は膠着語に、英語は孤立語に変化しつつあると述べている[11]。一方、現代中国語は孤立語から膠着語に移行しつつあるとした[12]。また、屈折語が文明を生んだという主張に対しては、最古の文明を創造したシュメール語が膠着語であることをあげて反対し、膠着語と屈折語は程度の違いに過ぎないとした[13]。後にオットー・イェスペルセンは『Progress in Language』において、中国語の単音節性を発達の結果としたが、イェスペルセンの中国語データはほとんどガーベレンツの『中国語文法』から取られている[14]

この著書には後のフェルディナン・ド・ソシュールに通じる概念が散発的に出現する[15]。ガーベレンツは言語の線条性に注目し、また言語を「言述」(Rede)、「個別言語」(Einzelsprache)、「言語能力」(Sprachvermögen)の3つに分けたが、それぞれソシュールのパロールラングランガージュの区別に相当する。また、共時論と通時論の区別についても述べている[16]。ガーベレンツがソシュールに影響を与えたかどうかは議論が分かれるが、川島淳夫は「ガーベレンツからの影響がかなりあったことは否めないだろう」とする[16]

日本との関係編集

上田万年ベルリン大学でガーベレンツに学んだ[17]

井上哲次郎の『懐旧録』に、1886年にライプツィヒ大学でガーベレンツと会見したときの模様が記されている[18]

脚注編集

  1. ^ a b c d NDB
  2. ^ 川島(2009) p.235
  3. ^ H. C. G. v. d. Gabelentz (1860年). “Spuren eines ausgebildeteren Conjugationssystems im Dajak”. Zeitschrift der Deutschen Morgenländischen Gesellschaft 14: 547-549. http://menadoc.bibliothek.uni-halle.de/dmg/periodical/titleinfo/48842. 
  4. ^ a b c d E Bruce Brooks, Sinological Profiles: Georg von der Gabelentz, University of Massachusetts at Amherst, https://www.umass.edu/wsp/resources/profiles/gabelentz.html  (英語)
  5. ^ Thai-Kih-Thu, des Tscheu-Tsï: Tafel des Urprinzipes, mit Tschu-Hi's Commentare nach dem Hoh-pih-sing-li. Dresden: Commissions-Verlag bei R. v. Zahn. (1876). https://archive.org/details/thaikihthudests00gabegoog. 
  6. ^ 川島訳(2009) p.5
  7. ^ 川島訳(2009) p.12
  8. ^ 川島訳(2009) p.63
  9. ^ 川島訳(2009) p.28
  10. ^ 川島訳(2009) p.322
  11. ^ 川島訳(2009) pp.251-253
  12. ^ 川島訳(2009) p.253
  13. ^ 川島訳(2009) pp.374-376
  14. ^ James D. McCawley (1993) [1894]. “Introduction”. Progress in Language: With Special Reference to English. John Benjamins Publishing. pp. xi-xii. ISBN 9027219923. 
  15. ^ 川島(2009) p.244
  16. ^ a b 川島(2009) p.245
  17. ^ 金子亨「Uëda Mannenのこと」、『千葉大学ユーラシア言語文化論集』第4巻、2001年、 1-23頁。
  18. ^ 井上哲次郎懐旧録』 春秋社松柏館、1943年、217-221頁。

参考文献編集

関連文献編集

外部リンク編集

関連項目編集