ハンマーヘッド (潜水艦)

USS Hammerhead;0836412.jpg
艦歴
発注
起工 1943年5月5日[1]
進水 1943年10月24日[1]
就役 1944年3月1日[1]
1952年2月6日[1]
1953年7月16日[1]
退役 1946年2月9日[1]
1953年8月21日[1]
1954年10月23日
除籍 1972年1月1日[2]
その後 1954年10月23日トルコ海軍に貸与
1972年1月1日にトルコ海軍に売却後、1972年5月4日に解体[2]
性能諸元
排水量 1,525トン(水上)[2]
2,424トン(水中)[2]
全長 307 ft (93.6 m)(水線長)
311 ft 9 in (95.02m)(全長)[2]
全幅 27.3 ft (8.31 m)[2]
吃水 17.0 ft (5.2 m)(最大)[2]
機関 ゼネラルモーターズ278A16気筒ディーゼルエンジン 4基[2]
ゼネラル・エレクトリック2,740馬力発電機2基[2]
最大速 水上:21 ノット (39 km/h)[3]
水中:9 ノット (17 km/h)[3]
航続距離 11,000カイリ(10ノット時)
(19 km/h 時に 20,000 km)[3]
試験深度 300 ft (90 m)[3]
巡航期間 潜航2ノット (3.7 km/h) 時48時間、哨戒活動75日間[3]
乗員 (平時)士官6名、兵員54名[3]
兵装 (竣工時)4インチ砲1基、20ミリ機銃2基[4]
(1944年11月)4インチ砲1基、40ミリ機関砲、20ミリ機銃、30口径機銃[5]
21インチ魚雷発射管10基

ハンマーヘッド (USS Hammerhead, SS-364) は、アメリカ海軍潜水艦ガトー級潜水艦の一隻。艦名はシュモクザメに因む。なお、退役から14年後にスタージョン級原子力潜水艦15番艦として2代目ハンマーヘッド (SSN-663)が就役している。

シロシュモクザメ(Smooth hammerhead
アカシュモクザメ(Scalloped hammerhead

艦歴編集

ハンマーヘッドは1943年5月5日にウィスコンシン州マニトワックマニトワック造船で起工する。1943年10月24日にR・W・ベリー夫人によって進水し、艦長ジョン・C・マーチン少佐(アナポリス1934年組)の指揮下1944年3月1日に就役する。ミシガン湖での一か月の訓練後、ハンマーヘッドは浮きドックごとミシシッピ川ニューオーリンズまで曳航され、1944年4月8日に到着した。ハンマーヘッドはパナマ運河地帯バルボアで訓練を行い、その後ハワイ真珠湾に向かった。

第1の哨戒 1944年6月 - 8月編集

6月6日、ハンマーヘッドは最初の哨戒でスティールヘッド (USS Steelhead, SS-280) およびパーチー (USS Parche, SS-384) とウルフパックを構成し台湾およびルソン海峡方面に向かった。日付が7月9日になってすぐ、ハンマーヘッドは北緯19度13分 東経120度41分 / 北緯19.217度 東経120.683度 / 19.217; 120.683の地点で80トン級サンパンを発見し、4インチ砲と20ミリ機銃で撃沈[6]。哨戒海域に到着後、7月29日朝には北緯21度18分 東経121度10分 / 北緯21.300度 東経121.167度 / 21.300; 121.167の地点で900トン級小型タンカーを発見し、ジグザグ航行を行っている目標に対して魚雷を3本発射したが命中しなかった[7]。翌7月30日早朝には輸送船団と思われる複数の目標を探知し、やがて雨の中から船影を発見して北緯20度52分 東経120度47分 / 北緯20.867度 東経120.783度 / 20.867; 120.783の地点で魚雷を6本発射、反転してさらに魚雷を4本発射する[8]。魚雷は4本が「関西丸級輸送船」に命中して目標を撃沈し、ほかに6,200トン級輸送船2隻を撃破したと判定された[9]。3つの魚雷爆発音がとどろいたあと、攻撃をスティールヘッドとパーチーに任せて再度の攻撃の準備に入ったが、2隻の「千鳥型水雷艇」の存在により攻撃に踏み出せず、やがて敵影は去って行った[10]。8月17日、ハンマーヘッドは65日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。

第2の哨戒 1944年9月 - 11月編集

9月9日、ハンマーヘッドは2回目の哨戒で南シナ海に向かった。10月1日夜、ハンマーヘッドは北緯06度28分 東経116度14分 / 北緯6.467度 東経116.233度 / 6.467; 116.233ボルネオ島北岸海域でミ18船団を発見[11]。追跡の上、日付が10月2日になるならないのころに攻撃。魚雷を計8本発射し、2つの目標に命中するのを確認した[12]。この攻撃で2隻の輸送船、日和丸日本郵船、5,320トン)と日金丸(日本郵船、5,320トン)は2分から3分で沈没し、輸送船国星丸大阪商船、5,494トン)も間もなく沈没したとする[13][14][注釈 1]。10月20日未明には、北緯04度45分 東経113度30分 / 北緯4.750度 東経113.500度 / 4.750; 113.500の地点でサマ13船団を探知[15]。魚雷を6本発射して2つの激しい爆発を観測し、4本目と5本目の魚雷が命中したのであろうと判断される[16]。続いて魚雷を4本発射し、こちらも2つの爆発を確認した[17]。さらに魚雷を4本発射して2つの命中があったとし、これですべての魚雷を撃ち尽くした[18]。ハンマーヘッドの一連の攻撃で、2隻の輸送船、羽後丸(大阪商船、3,684トン)と旺洋丸東洋汽船、5,458トン)を撃沈した。なお、ハンマーヘッドは10月21日までブルネイ沖で哨戒していたが、栗田健男中将率いる第二遊撃部隊のブルネイ湾到着に気付いた様子はない[19][20]。10月28日、ハンマーヘッドは危うく味方を撃つところであった。この日の未明、南緯08度39分 東経115度50分 / 南緯8.650度 東経115.833度 / -8.650; 115.833の地点でハンマーヘッドのレーダーは1つの目標を探知するが、やがて目標の姿が見え始め、哨戒艇か「日本の潜水艦」と推定されたため砲撃を開始[21]。ハンマーヘッドは20発ほど撃って200ヤードまで接近したところ、相手は敵ではなく味方のグロウラー (USS Growler, SS-215) であることがわかり、砲撃を止めた[21]。11月2日、ハンマーヘッドは54日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。

第3、第4の哨戒 1944年11月 - 1945年3月編集

11月25日、ハンマーヘッドは3回目の哨戒でパドル (USS Paddle, SS-263) およびレイポン (USS Lapon, SS-260) とともに南シナ海に向かった。12月7日夜、ハンマーヘッドは北緯04度02分 東経111度12分 / 北緯4.033度 東経111.200度 / 4.033; 111.200のボルネオ島クチン沖でシマ臨時船団を発見し、パドル、ミンゴ (USS Mingo, SS-261) とともに追跡する[22]。ハンマーヘッドは最初の攻撃で魚雷を6本発射するが命中せず、時間をおいて再度魚雷を計9本発射し、魚雷は2本がタンカー松栄丸(日東汽船、2,854トン)に命中[23]。パドルも魚雷を6本発射して、おそらくは松栄丸に命中したものとして扱われた[24]。松栄丸は大火災の末沈没していった[注釈 2]。ハンマーヘッドは攻撃後の12月9日未明にパドルと会合して、攻撃の様子を聞き出した[25]。12月18日には、北緯13度51分 東経117度17分 / 北緯13.850度 東経117.283度 / 13.850; 117.283の地点で4隻編成の輸送船団を発見してレイポンとともに攻撃にあたり、魚雷を6本発射したが命中しなかった[26]。1945年1月17日、ハンマーヘッドは52日間の行動を終えてフリーマントルに帰投。艦長がジョージ・H・レイド・ジュニア中佐(アナポリス1933年組)に代わった。

2月10日、ハンマーヘッドは4回目の哨戒でバヤ (USS Baya, SS-318) とともに南シナ海に向かった。2月23日午前、ハンマーヘッドは北緯12度42分 東経109度30分 / 北緯12.700度 東経109.500度 / 12.700; 109.500インドシナ半島バレラ岬沖南方20キロ地点で南号作戦のヒ88h船団を発見[27]。魚雷を4本発射し、2本が海防艦屋久の艦首に命中して屋久は轟沈した[28][29]。ハンマーヘッドは追撃してきた別の護衛艦に対して魚雷を1本だけ発射したが、これは命中しなかった[30]。ところが、攻撃後にレイド艦長が急病で倒れたため、ハンマーヘッドは哨戒を打ち切った。3月3日、ハンマーヘッドは22日間の行動を終えてスービック湾に帰投。レイド艦長は病のため退艦し、艦長がフランク・M・スミス中佐(アナポリス1935年組)に代わった[31]

第5、第6の哨戒 1945年3月 - 5月編集

3月10日、ハンマーヘッドは5回目の哨戒で南シナ海に向かった。3月26日未明、直前にガーナード (USS Gurnard, SS-254) と会合していたハンマーヘッドは、2隻の「海防艦」を発見して魚雷を4本発射するが、命中しなかった[32]。この敵に対してはガーナードも魚雷を4本発射したが、こちらも回避された[33]。3月29日朝、ハンマーヘッドは北緯14度40分 東経109度16分 / 北緯14.667度 東経109.267度 / 14.667; 109.267のインドシナ半島アンヨ岬北北東20海里の地点で、南号作戦の最終船団であるヒ88J船団を発見した[34]。ハンマーヘッドは魚雷を3本ずつ計6本発射し、魚雷は船団最後尾を航行していた第84号海防艦を直撃してこれを撃沈。第84号海防艦の戦死者は191名を数え、その中には中等野球の名選手で、一等兵曹として第84号海防艦に乗艦していた嶋清一も含まれていた[35]。ヒ88J船団は直後に航空攻撃で全滅した。4月6日、ハンマーヘッドは28日間の行動を終えてスービック湾に帰投した。

4月30日、ハンマーヘッドは6回目の哨戒で南シナ海およびタイランド湾方面に向かった[36]。5月6日に哨戒海域に到着し、その夜に北緯08度15分 東経102度00分 / 北緯8.250度 東経102.000度 / 8.250; 102.000の地点で小型タンカーと2隻の護衛艦を発見した[37]。ハンマーヘッドは最大射程で魚雷を4本発射したが当たらず再度魚雷を4本発射し、2本が特設運送船(給油)金鈴丸(日本油槽船、867トン)に命中して撃沈した[38]。午後に入り、哨戒機を配した1,000トン級輸送船と100トン級トロール船改装哨戒艇を発見し、魚雷を4本発射したが命中せず、反転してさらに魚雷を3本発射したが、やはり命中しなかった[39]。5月14日、ハンマーヘッドはタイランド湾で、ハティエンからシンガポールに向かっていた陸軍輸送船鳥取丸(日本郵船、5,973トン)と護衛の敷設艦初鷹を発見した。この2隻にはコビア (USS Cobia, SS-245) も接触していたが、コビアは鳥取丸に向けて魚雷を5本発射したが命中せず、初鷹の反撃で撃退されていた[40][41]。ハンマーヘッドは午後に入り魚雷を3本発射して鳥取丸に1本命中させたが、不発であった[42]。攻撃後、荒天の中2隻を追跡し、5月15日1時27分に北緯09度58分 東経101度05分 / 北緯9.967度 東経101.083度 / 9.967; 101.083の地点にいたったところで鳥取丸に向けて魚雷を3本発射し、2本を命中させて鳥取丸を撃沈した[43]。撃沈したのが鳥取丸であることは、浮き輪を確認して判明した[44]。5月24日、ハンマーヘッドは25日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した[45]

第7の哨戒 1945年6月 - 8月編集

6月21日、ハンマーヘッドは7回目の哨戒でタイランド湾に向かった。7月10日未明、ハンマーヘッドは北緯09度38分 東経101度30分 / 北緯9.633度 東経101.500度 / 9.633; 101.500タイランド湾中央部で2隻の850トン級「シュガー・チャーリー・シュガーズ」と250トン級哨戒艇を発見し、2つの目標に対して魚雷を3本ずつ計6本発射[46]。この6本の魚雷は命中していないが[47]、おそらくマーク27誘導魚雷英語版を発射してタンカー第五南明丸(南方油槽船、834トン)と輸送船Sakura Maru(不詳、900トン)を撃沈したと認定された[48][49][注釈 3]。その後、ハンマーヘッドは本国への帰還命令を受け、途中で終戦を迎えたあと、8月16日にサイパン島タナパグ湾英語版に寄港[50]。8月21日、ハンマーヘッドは60日間の行動を終えて真珠湾に帰投した。

戦後・トルコ海軍で編集

ハンマーヘッドはメア・アイランド海軍造船所に回航された後、1946年2月9日に退役した。その後メア・アイランド海軍造船所で予備役艦隊入りした後、朝鮮戦争の勃発により1952年2月6日に再就役し、サンディエゴからサンフランシスコまでの西海岸で訓練を行う。朝鮮戦争休戦後、ハンマーヘッドは1953年8月21日に再び退役し、予備役艦隊入りした。その後、ハンマーヘッドは相互防衛援助プログラムの下、メア・アイランド海軍造船所でGUPPY改修が行われ、1954年7月16日にトルコ海軍への貸与準備のために再就役する。1954年10月23日に退役、同日トルコ海軍に貸与され、ジェルベ (TCG Cerbe, S 341) と改名された。当初の艦番号は S 03 であったが、後に S 341 に変更された。艦は1972年1月1日に正式にトルコに売却され、その後スクラップとして廃棄された。

ハンマーヘッドは第二次世界大戦の戦功で7個の従軍星章および1個の海軍殊勲部隊章を受章した。ハンマーヘッドの7回の哨戒はすべて成功として記録された。

脚注編集

注釈編集

  1. ^ 国星丸の沈没に関しては、「10月24日沈没」という記録もある(#国星丸)。ただし、8本中2本命中というハンマーヘッドの記録が正しいとなると(#SS-364, USS HAMMERHEAD p.70)、命中が2つで沈没が3隻というのは計算が合わない。しかし、ミ18船団攻撃の見取り図では命中が3つずつの計6つと記録されている(#SS-364, USS HAMMERHEAD p.86)。
  2. ^ この経緯から、松栄丸撃沈はハンマーヘッドとパドルの共同戦果となっている(#Roscoe p.564)。
  3. ^ マーク27誘導魚雷は秘密兵器の一つであり、使用して攻撃した際の攻撃報告は、通常のものとは別に行われていた(一例として#SS-274, USS ROCK pp.63-66)。#SS-364, USS HAMMERHEAD p.279 では撃沈スコアに "Separate Report" と付記されているが、その "Separate Report" は#SS-364, USS HAMMERHEADには掲載されていない。秘密兵器ではあるが、タナパグ湾停泊中にマーク27誘導魚雷を陸揚げした記録がある(#SS-364, USS HAMMERHEAD p.258)。

出典編集

  1. ^ a b c d e f g #Friedman pp.285-304
  2. ^ a b c d e f g h i #Bauer
  3. ^ a b c d e f #Friedman pp.305-311
  4. ^ #SS-364, USS HAMMERHEAD p.34
  5. ^ #SS-364, USS HAMMERHEAD p.93
  6. ^ #SS-364, USS HAMMERHEAD p.8,34
  7. ^ #SS-364, USS HAMMERHEAD p.15, pp.30-31
  8. ^ #SS-364, USS HAMMERHEAD p.16, pp.31-34
  9. ^ #SS-364, USS HAMMERHEAD pp.31-34, pp.44-45
  10. ^ #SS-364, USS HAMMERHEAD pp.16-17
  11. ^ #SS-364, USS HAMMERHEAD pp.54-55
  12. ^ #SS-364, USS HAMMERHEAD pp.55-56, pp.69-71
  13. ^ #郵船戦時上 pp.932-938
  14. ^ #駒宮 (1987) p.267
  15. ^ #SS-364, USS HAMMERHEAD p.60
  16. ^ #SS-364, USS HAMMERHEAD pp.61-62, pp.71-73
  17. ^ #SS-364, USS HAMMERHEAD p.63, pp.71-73
  18. ^ #SS-364, USS HAMMERHEAD pp.73-74
  19. ^ #SS-364, USS HAMMERHEAD pp.63-64
  20. ^ #木俣戦艦 pp.427-428, p.437
  21. ^ a b #SS-364, USS HAMMERHEAD p.66,69
  22. ^ #SS-364, USS HAMMERHEAD pp.99-100
  23. ^ #SS-364, USS HAMMERHEAD pp.100-101, pp.123-126, p.137
  24. ^ #SS-263, USS PADDLE pp.271-273, pp.298-300
  25. ^ #SS-364, USS HAMMERHEAD pp.102-103
  26. ^ #SS-364, USS HAMMERHEAD pp.106-107, pp.126-128, p.136
  27. ^ #SS-364, USS HAMMERHEAD p.149
  28. ^ #SS-364, USS HAMMERHEAD p.150, pp.158-159
  29. ^ #海防艦戦記 pp.332-333
  30. ^ #SS-364, USS HAMMERHEAD p.150
  31. ^ #SS-364, USS HAMMERHEAD pp.171-172
  32. ^ #SS-364, USS HAMMERHEAD p.176, pp.185-186
  33. ^ #SS-254, USS GURNARD pp.456-458, pp.477-478
  34. ^ #SS-364, USS HAMMERHEAD p.177
  35. ^ #海防艦戦記 pp.882-883
  36. ^ #SS-364, USS HAMMERHEAD pp.203-204
  37. ^ #SS-364, USS HAMMERHEAD p.205
  38. ^ #SS-364, USS HAMMERHEAD pp.205-206, pp.214-217
  39. ^ #SS-364, USS HAMMERHEAD p.206, pp.218-221
  40. ^ #SS-245, USS COBIA p.205, pp.206-207, pp.226-227
  41. ^ #木俣敵潜1989 p.284
  42. ^ #SS-364, USS HAMMERHEAD pp.222-223
  43. ^ #SS-364, USS HAMMERHEAD pp.209-210, pp.224-225
  44. ^ #SS-364, USS HAMMERHEAD p.237
  45. ^ #SS-364, USS HAMMERHEAD p.212
  46. ^ #SS-364, USS HAMMERHEAD p.247
  47. ^ #SS-364, USS HAMMERHEAD pp.263-266
  48. ^ #SS-364, USS HAMMERHEAD p.279
  49. ^ #Roscoe p.540
  50. ^ #SS-364, USS HAMMERHEAD p.258

参考文献編集

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  • (issuu) SS-254, USS GURNARD. Historic Naval Ships Association. http://issuu.com/hnsa/docs/ss-254_gurnard?mode=a_p 
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  • (issuu) SS-274, USS ROCK. Historic Naval Ships Association. http://issuu.com/hnsa/docs/ss-274_rock?mode=a_p 
  • アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
    • Ref.C08050119000 『国星丸海難報告書』、36頁。 
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  • Blair,Jr, Clay (1975). Silent Victory The U.S.Submarine War Against Japan. Philadelphia and New York: J. B. Lippincott Company. ISBN 0-397-00753-1 
  • 海防艦顕彰会(編) 『海防艦戦記』海防艦顕彰会/原書房、1982年。 
  • 駒宮真七郎 『戦時輸送船団史』出版協同社、1987年。ISBN 4-87970-047-9 
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関連項目編集

外部リンク編集