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バビロン(Babylon)はメソポタミア地方の古代都市。市域はバグダードの南方約90kmの地点にユーフラテス川をまたいで広がる。その遺跡は、2019年にUNESCO世界遺産リストに登録された。

バビロン
Bāb-ilim
マルドゥク神殿周辺の想像図
マルドゥク神殿周辺の想像図
位置
バビロンの位置の位置図
バビロンの位置
座標 : 北緯32度32分11秒 東経44度25分15秒 / 北緯32.53639度 東経44.42083度 / 32.53639; 44.42083
人口
人口 (現在)
  市域 0人
その他
等時帯 グリニッジ標準時 (UTC+3)

概要編集

バビロンは、紀元前18~6世紀の古代メソポタミア地域における主要な王国だった。その名をとどろかせる首都が、ユーフラテス川沿いに建設された。都市は、川をまたいでその両岸に、ほぼ同じ面積で建設され、時に襲う季節的な洪水を防ぐため、川沿いには険しい堤防が築かれた。元々は、バビロンはアッカドの小さな町で、その起源は紀元前2300年頃のアッカド帝国にまでさかのぼる。
紀元前19世紀にバビロン第1王朝が興ると、町は小さな都市国家の一部に組み込まれた。紀元前18世紀にアムールの王ハンムラビが帝国を築いてから間もなく、彼はバビロンを一大都市に造り替え、その王となった。メソポタミア南部地方はその名にちなんでバビロニア地方と呼ばれるようになり、宗教の中心都市は、ニップルからバビロンへ移行する。ハンムラビの息子、サムス・イルナの時代になると、バビロニア帝国は衰退し、その後、バビロンは長らくアッシリアカッシートエラムの支配に甘んじることとなった。破壊とアッシリア人による再建の後、紀元前609~539年の短期間ではあったが、バビロンは新バビロニア帝国の首都となった。バビロンの空中庭園古代の七不思議の1つだが、多数の学者は、実際にはアッシリアの首都ニネヴェにあったと考えている。新バビロニア帝国の滅亡後は、アケメネス朝ペルシアセレウコス朝パルティアローマ帝国、そしてササン朝ペルシアと、バビロンの統治者は変遷していった。
バビロンが世界最大の都市だった時期は 紀元前1770~1670年頃と、紀元前612~320年頃と見られている。おそらく、一番早く人口が20万人に到達した都市であった[1]。その区域の最大範囲は、890~900ヘクタールに及ぶと推測される[2][3]
街の遺跡は、今日のイラクバグダードの南85km、バービル県ヒッラにあり、壊れた泥レンガの建物とがれきの遺丘となっている。
バビロンに関する主な情報源 - 遺跡の発掘、メソポタミアの他の地域で発見された楔形文字文書、聖書、古代の文書(とりわけヘロドトス)における記述、あるいは(クテシアスベロッソスなどの文書の)引用による文書など - をつなぎ合わせても、その完全な実像に迫ることは難しい。史料同士が相互に矛盾さえしており、その辺りの事情は、都市が最盛期であった紀元前6世紀についても同様である[4]

呼称編集

アッカド語で「神の門」を意味するバーブ・イリ(ム)(𒆍𒀭𒊏𒆠Bāb-ili(m)[5])に由来する。古代ペルシア語: 𐎲𐎠𐎲𐎡𐎽𐎢𐏁 Bābiruš、古代ギリシア語: Βαβυλών Babylōn、ヘブライ語: בָּבֶל‎ Bāvel、アラビア語: بابل‎ Bābil などはその借用である。バビロニア古代ギリシア語: Βαβυλωνία Babylōnia)の語はバベルにもとづく。

マルドゥクを守護神とした。ウル第3王朝崩壊後のイシンラルサ時代の群雄割拠をこの都市に開かれたバビロン第1王朝第6代の王ハンムラビが制して以後、メソポタミア下流域の重要都市として浮上した。

シュメール語の「神の門」に由来するという説編集

アーチボルド・セイスが1870年代に述べたところによると、バブ・イル(Bab-ilu)またはバブ・イリ(Bab-ili)は、比較的早期のシュメール語の名前であるカ・ディミラ(Ca-dimirra)の翻訳であると考えられる(以前は、テューラニア語系に属すると提唱されたが、現在ではこの説は採用されていない)。カ・ディミラ(Ca-dimirra)は「神の門」を意味し[6][7]、「KAN4 DIĜIR.RAKI」(シュメール語の言葉「カン・ディグラック(kan diĝirak) = 神の門」に相当する)またはその他の文字に由来する[8]
ドイツの学者ディーツ・オット・エドザードによると、街はもともとはバビラ(Babilla)と呼ばれたが、ウル第三王朝の頃までには語源の思索のプロセスを経て、「神の門」(バブ・イル Bab-Il)を意味するバブ・イリ(ム)(Bāb-ili(m))になったとする[9]

「神の門」由来の否定説編集

「神の門」という訳は、意味が判然としない非セム語の地名を説明するための民間語源だという考えも強まっている[10]。言語学者イグナス・ジェイ・ゲルブは、バビルまたはバビラ(Babil / babilla)という名前は都市の名前の根本部分だが、その意味と起源は未知とすべきだと1955年に提案した。理由として、他のよく似た名前の場所がシュメールにあったことと、シュメール語の地名がアッカド語の翻訳に置き換えられた例が他に無いことを挙げている。イグナス・ゲルブの説では、バビル(またはバビラ)は、後にアッカド語のバブ・イリ(ム)(Bāb-ili(m))に変形したのであって、シュメール語のカ・ディグ・イラ(Ka-dig̃irra)はむしろ逆に、バビルまたはバビラからの翻訳であるとの結論に達した[11][12]

聖書における名前編集

聖書では、その名は「バベル」として登場する。創世記では、「混乱する」を意味するヘブライ語の動詞ビルベル(bilbél)から、「混乱」という意味で説明されている[13][14]。現代の英語の単語「babble」(意味の無いことを話す)は、一般にはバベルという名前に由来すると考えられているが、直接の関係は無い[15]

他の都市をバビロンと呼んだ例編集

古代の記録の中では、「バビロン」を他の都市の名前として用いている例がある。例えば、バビロンの影響圏にあるボルシッパをそう呼んだ例や、アッシリアがバビロンを占領・略奪した後の短期間、ニネヴェのことをバビロンと呼んだ例がある[16][17]

歴史編集

都市バビロンの記録は前3千年紀末に登場する。

バビロン第1王朝編集

ここにアムル人バビロン第1王朝を建設し、前18世紀に第6代の王ハンムラビがメソポタミアを統一した。

カッシート朝・アッシリア帝国・新バビロニア王国・アケメネス朝ペルシア帝国編集

 
復元されたイシュタル門

その後、カッシートアッシリア帝国などの支配を経るが、一貫してメソポタミア地方の中心であった。貿易の商工業の中心であり、物資集積場であった。紀元前600年代の新バビロニア王国時代になって、その首都となるとイシュタル門や、今でも謎を残す空中庭園などの建造物が作られ、オリエント有数の大都会として栄えた。しかし、新バビロニアがアケメネス朝ペルシア帝国に滅ぼされ、ペルシャの一都市となってからはその重要性が低下した。

マケドニア王国・セレウコス朝編集

その後、ペルシア帝国を滅ぼしたアレクサンドロス3世(大王)がここをマケドニア王国の王都としたが、紀元前323年のバビロンでの彼の死に伴ってバビロン会議が開催され、彼の遺将たち(ディアドコイ)によって権力と所領の分割協定が結ばれた。しかし、やがてディアドコイ戦争が勃発し、紆余曲折を経てディアドコイの一人だったセレウコス1世がバビロンとアジアの大部分の支配者となり、紀元前312年セレウコス朝を開いた。しかし、幾人かの王の中興があったものの彼の時代をピークにセレウコス王朝は次第に領土を喪失していった。

パルティア王国編集

紀元前130年代にバビロンを含むバビロニアをパルティア王国に奪われた。バビロンはその間、取るに足らぬ地方都市として衰退を続け度重なる洪水などによって破壊され、やがて肥沃で緑あふれる土地だったメソポタミア平原が砂漠化したように大都市の面影をとどめない廃墟となってしまった。

発掘編集

 
発掘されたバビロンの廃墟の遺跡

その後は、遺跡は砂漠に埋もれバビロンは旧約聖書や古代ギリシャの著作家たちが伝える以上のことは不明だったが、1811年から1812年にかけて、および1827年のクローディアス・リッチ英語版による発掘[18][19] がきっかけとなって、1827年のロバート・ミグナン[20]、1849年のウィリアム・ロフタス英語版[21][21] らによって解明が進められた。その後、現在にいたるまで研究が続けられている。

イラク共和国編集

メソポタミア文明の再興を掲げるイラクの独裁者サダム・フセインの主導で1978年よりバビロン遺跡の考古学的修復を名目に古代都市の復興計画が開始され、バビロン遺跡の入り口にはサダム・フセインとネブカドネザルの肖像画が配置され、碑文には「ネブカドネザルの息子であるサダム・フセインがイラクを称えるために建設した」と刻まれた[22]バース党政権下で1987年から2002年までほぼ毎年バビロンでフェスティバルが開催されるも予定された空中庭園とジグラットの再建は行われることはなかった[23][24][25]

1991年湾岸戦争が終わると、サダム・フセインは遺跡群内にジグラットを模した近代的な宮殿を建てケーブルカーも敷設しようとしたが、2003年のイラク戦争により中止に追い込まれた。しかし、戦争でイラクに侵攻したアメリカ軍の基地建設によって遺跡の損傷が進んだ[26]

ユダヤ教・キリスト教における伝承と位置づけ編集

 
17世紀のヨーロッパ人が描いたバビロン想像図。左側にバベルの塔が描かれている

旧約聖書創世記ではバベルと表記され、バベルの塔の伝承にて混乱(バラル)を語源とすると伝える。創世記10章第2節によると、ノアの子ハムの子孫である地上で最初の勇士ニムロド(ニムロデ)の王国の主な町が、シンアルの地にあったバベル、ウルクアッカドであったという。この直後の創世記11章がバベルの塔の伝承であり、ここで東方からシンアルの地へ移住した人々による都市バベル及びバベルの塔の建設が述べられているため、この建設事業をニムロドに帰する神学解釈がある。

新バビロニア王国時代のバビロンと周辺の数箇所の都市には、滅ぼされたユダ王国の指導者層が強制移住(バビロン捕囚)させられ、この事件がそれまで神殿宗教であったヤハヴェ信仰ユダヤ教に脱皮成長させる大きな契機となり、ひいてはユダヤ人の民族形成史上、大きな役割を果たした。

また、イラクにおけるユダヤ人コミュニティーの起源ともなったが、このようにユダヤ教の成立過程に深く関わったバビロンはユダヤ教やその系譜を引くキリスト教において正義の対抗概念のイメージであり、さらにイザヤ書エレミヤ書の預言と新約聖書のヨハネの黙示録ヨハネへの啓示啓示の書)の故事から、ヨーロッパなどのキリスト教文化圏においては、退廃した都市の象徴(大淫婦バビロン大娼婦バビロン)、さらには、富と悪徳で栄える資本主義、偶像崇拝の象徴として扱われることが多い。

宗教編集

50以上の神殿があり、主神はマルドゥク。他にも三位一体黄道帯の支配者であるシン)、シャマシュ太陽)、イシュタル金星)などが祀られていた。

都市の構造編集

 
バビロンの平面図。外側と内側に城壁で囲まれている

二重構造の城壁で囲まれており、内側の塁壁は二列に並んでいて内側の壁は厚さ6.5メートル、外側の壁は厚さ約3.5メートルでその外には南と北にユーフラテス川から水を引いたがあり、城門が八つあったという。またネブカドネザル2世によって付け加えられた外側の塁壁も二列に並んでいて、内側の壁の厚さは約7メートルあった。東部にはもう一組の二重城壁があった。いくつかの門から市内に街路が通っていて、主要な大通りの行列道路は舗装され両側の壁は神々の象徴であるライオンや竜ムシュフシュの像で飾られた。

世界遺産編集

  バビロン
イラク
 
英名 Babylon
仏名 Babylone
面積 1,054.3 ha
(緩衝地帯 154.5 ha)
登録区分 文化遺産
文化区分 遺跡
登録基準 (3), (6)
登録年 2019年(第43回世界遺産委員会
公式サイト 世界遺産センター(英語)
使用方法表示

バビロンは1983年に登録延期となった後、2019年に正式登録された。

登録基準編集

この世界遺産は世界遺産登録基準における以下の基準を満たしたと見なされ、登録がなされた(以下の基準は世界遺産センター公表の登録基準からの翻訳、引用である)。

  • (3) 現存するまたは消滅した文化的伝統または文明の、唯一のまたは少なくとも稀な証拠。
  • (6) 顕著で普遍的な意義を有する出来事、現存する伝統、思想、信仰または芸術的、文学的作品と直接にまたは明白に関連するもの(この基準は他の基準と組み合わせて用いるのが望ましいと世界遺産委員会は考えている)。

登場作品編集

 
映画『イントレランス』のバビロンのセット


脚注編集

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  1. ^ Tertius Chandler. Four Thousand Years of Urban Growth: An Historical Census (1987), St. David's University Press. See en:Historical urban community sizes.
    (『4000年の都市成長:歴史センサス』(著:ターシャス・チャンドラー、セント・デーヴィッド大学出版、1987年)歴史上の推定都市人口も参照。)
  2. ^ Mieroop, Marc van de (1997). The Ancient Mesopotamian City. Oxford: Oxford University Press. p.95.
    (『古代メソポタミアの都市』(著:マーク・ヴァン・デ・ミーループ、オックスフォード大学出版、1997年)p.95)
  3. ^ Boiy, Tom. (2004). Late Achaemenid and Hellenistic Babylon. Orientalia Lovaniensia Analecta. 136. Leuven: Peeters Publishers. p.233.
    (『アケメネス朝後期及びヘレニズム時代のバビロン』(著:トム・ボイ、東洋ルーバンシア著作集 第136号、ピーターズ出版(ベルギー王国ルーバン))p.233)
  4. ^ Seymour 2006, p. 140-142.
  5. ^ 楔形文字𒆍𒀭𒊏𒆠は、KA2.DINGIR.RAKIと翻字され、シュメール語の「ka-diĝirra」(神の門)を表す。アッカド語はその翻訳借用
  6. ^ ayce, Archibald Henry (1872). The Origin of Semitic Civilisation, Chiefly Upon Philological Evidence. Harrison and Sons. p. 5.
    (『セム語族の文明の起源 ~ 言語学上の証拠から』(アーチボルド・ヘンリー・セイス、1872年、ハリソン・アンド・サンズ出版(英国))p.5)
  7. ^ Sayce, Archibald Henry (1878b). "Babylon–Babylonia" . Encyclopædia Britannica. III (9th ed.). p. 182.
    (『バビロン(Babylon) - バビロニア(Babylonia)』(アーチボルド・ヘンリー・セイス、1878年。ブリタニカ百科事典(英語版・第9版)第3巻p.182に収録)
  8. ^ Ernest A. Budge (1880). The history of Esarhaddon (son of Sennacherib) King of Assyria, B.C. 681-668. Trübner & Co. pp. 135–136.
    (『センナケリブの息子、アッシリア王エサルハドンの歴史 紀元前681年~668年』(ウォーリス・バッジ、1880年、トリュブナー出版(英国))p.135-136)
  9. ^ Dietz Otto Edzard: Geschichte Mesopotamiens. Von den Sumerern bis zu Alexander dem Großen, Beck, München 2004, p. 121.
    (『メソポタミアの歴史 シュメール人からアレキサンダー大王まで』(著:ディーツ・オット・エドザード、2004年、ベック出版(ドイツ・ミュンヘン))p.121より)
  10. ^ Liane Jakob-Rost, Joachim Marzahn: Babylon, ed. Staatliche Museen zu Berlin. Vorderasiatisches Museum, (Kleine Schriften 4), 2. Auflage, Putbus 1990, p. 2
    (『バビロン』(著リアン・ジェイコブ・ロスト、ジョアキム・マーザン、1990年、ベルリン州立中東博物館)p.2より)
  11. ^ Gelb, I. J. (1994). "The Name of Babylon". In Hess, Richard S.; Tsumura, David Toshio (eds.). I studied inscriptions from before the flood : ancient Near Eastern, literary, and linguistic approaches to Genesis 1–11. Winona Lake, Ind.: Eisenbrauns. pp. 266–269.
    (『私は、洪水が起こる以前の碑文を研究した - 創世記第1~11章への古代近東文学的・言語学的なアプローチ』(編:リチャード・ヘス、、津村 俊夫、1994年、ペンシルベニア州立大学出版アイゼンブラウン(米国))のp.266-269に収録されている、『バビロンという名前』(著:イグナス・ジェイ・ゲルブ))
  12. ^ Wilfred G. Lambert, "Babylon: Origins"; in "Babylon : Wissenskultur in Orient und Okzident/ Science Culture Between Orient and Occident", Eva Cancik-Kirschbaum et al. (2011), pp. 71–76.
    (『バビロン - 東洋と西洋における科学の文化』(編:エヴァ・キャンシキシュバウム ほか、2011年、デ・グルーター出版(ドイツ))のpp.71-76に収録されている、『バビロン:その起源』(著:ウィルフレッド・ジョージ・ランバート))
  13. ^ 創世記第11章第9節
  14. ^ Magnus Magnusson, BC: The Archaeology of the Bible Lands. BBC Publications 1977, pp. 198–199.
    (『紀元前:聖書の土地の考古学』(マグヌス・マグヌッソン、1977年、BBC出版)p.198-199)
  15. ^ Online Etymology Dictionary "babble"
    オンライン 語源辞典 「babble」の項より)
  16. ^ Dalley, Stephanie (1994). "Nineveh, Babylon and the Hanging Gardens: Cuneiform and Classical Sources Reconciled". Iraq. 56: 45-58
    (『ニネヴェ、バビロンと空中庭園:楔形文字と古典資料の一致』(ステファニー・ダリー。ケンブリッジ大学年報「イラク」第56号(1994年)に収録))
  17. ^ Dalley, Stephanie (18–22 July 2005). Babylon as a name for other cities including Nineveh. Proceedings of the 51st Rencontre Assyriologique Internationale. Studies in Ancient Oriental Civilization. 62. pp. 25–33.
    (『第51回 国際アッシリア学会議事録(2005年7月18-22日)』(シカゴ大学出版「古代オリエント文明学」シリーズ第62巻)p.25-33収録の『ニネヴェを含む、他の都市の名前としてのバビロン』(ステファニー・ダリー))
  18. ^ Claudius J. Rich, Memoirs on the Ruins of Babylon, 1815
  19. ^ Claudius J. Rich, Second memoir on Babylon; containing an inquiry into the correspondence between the ancient descriptions of Babylon, and the remains still visible on the site, 1818
  20. ^ Google Books Search, Robert Mignan, Travels in Chaldæa, Including a Journey from Bussorah to Bagdad, Hillah, and Babylon, Performed on Foot in 1827, H. Colburn and R. Bentley, 1829 ISBN 1402160135
  21. ^ a b Google Books Search, William K. Loftus, Travels and Researches in Chaldaea and Susiana, Travels and Researches in Chaldaea and Susiana: With an Account of Excavations at Warka, the "Erech" of Nimrod, and Shush, "Shushan the Palace" of Esther, in 1849–52, Robert Carter & Brothers, 1857
  22. ^ "Saddam removed from ancient Babylon 'brick by brick'", ABC News 20 April 2003.
  23. ^ John Curtis, "The Site of Babylon Today"; in Finkel & Seymour, eds., Babylon (2009); pp. 213–220.
  24. ^ John Curtis, "The Present Condition of Babylon"; in Cancik-Kirschbaum et al. (2011).
  25. ^ Paul Lewis, "Babylon Journal; Ancient King's Instructions to Iraq: Fix My Palace" (archive), New York Times, 19 April 1989.
  26. ^ Bajjaly, Joanne Farchakh (2005-04-25). "History lost in dust of war-torn Iraq". BBC News.

参考文献編集

(『バビロンについての考察:考古学とメソポタミアにおける象徴』(ミカエル・ジョン・シーモア、ロンドン大学博士論文、2006年))

関連項目編集