ヒカリ屋
ヒカリ屋(ひかりや)は、滋賀県草津市で食料品店から発展したスーパーマーケット。 1986年(昭和61年)には売上高100億円を上げて、滋賀県内に本社を置く小売業で平和堂の1358億円に次ぐ2位となった[6]。
種類 | 株式会社 |
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本社所在地 |
滋賀県草津市大路1-7-5[1] ↓ 滋賀県草津市大路1-14-1[2] |
設立 |
創業 1961年(昭和36年)2月26日[1] |
業種 | スーパーマーケット[3] |
代表者 | 佃光蔵[2][3] |
資本金 |
500万円[2] ↓ 4320万円[3] |
売上高 | 237億円(1989年(平成元年))[4][5] |
従業員数 |
245[2] ↓ 343[3] |
決算期 | 1月期[2] |
歴史・概要 編集
1949年(昭和24年)3月に[2]佃光蔵が滋賀県草津市大路527番地で[1]繊維小売を創業したのが始まりである[2]。
1961年(昭和36年)2月26日に資本金150万円で「株式会社 主婦の店ひかりや」を設立して法人化した[1]。
1968年(昭和43年)2月に社名を「株式会社 ヒカリ屋」に変更して、草津市大路1-14-1に本店を移転し、同年4月に同所に新店舗を開設した[2]。 また、同月に資本金1500万円で「株式会社 ニューヒカリ屋」を設立している[7]。
1987年(昭和62年)4月に社長の佃光蔵が死去し[8]、佃あや子が社長に就任した[9]。
1989年(平成元年)4月の草津店開店に際してダイエーと業務提携し、商品供給や仕入・人材の受け入れなどを行った[4]。
1990年(平成2年)に[4]ダイエーが当社の株式の過半を約90億円で取得して子会社化し[5]、社長にダイエー出身の山崎誠一専務が昇格してダイエーの傘下に入った[4]。 この株式の譲渡により、佃あや子が滋賀県の高額納税者1位となった[10]。
年表 編集
かつて存在した店舗 編集
滋賀県 編集
- 売場面積169m2[12]
- 敷地面積約13,791m2[21]、鉄骨一部鉄筋コンクリート造地上4階建て塔屋1階[21]、延べ床面積約21,453m2[21]、店舗面積約8,340m2[21](当社店舗面積約4,551m2[21])、駐車台数約1,000台[21]。
- 瀬田駅前に出店していた[23]。
京都府 編集
- 敷地面積約3,573m2[26]、鉄骨鉄筋コンクリート造地上4階建て塔屋1階[26]、延べ床面積約7,479m2[26] → 約8,974m2[27]、店舗面積約4,476m2[26](当社店舗面積約2,563m2[26]) → 約5,142m2[28]、駐車台数約600台[26]。
大阪府 編集
過去に存在した関連会社 編集
関連項目 編集
脚注 編集
- ^ a b c d e f g 『全国繊維企業要覧 昭和43年版』 信用交換所大阪本社、1967年9月15日。pp978
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 『全国繊維企業要覧 昭和45年版』 信用交換所大阪本社、1970年。pp2583
- ^ a b c d e f g 『滋賀年鑑 昭和59年版』 京都新聞社、1983年11月。 pp657
- ^ a b c d “ストアニュース”. 総合食品 1990年5月号 (総合食品研究所) (1990年5月).pp101
- ^ a b “各社各様に拍車かかる大手チェーンの投資計画”. 販売革新 1990年6月号 (アール・アイ・シー) (1990年6月).pp83-86
- ^ a b 『データ・ハンドブック 1987年版』 商業界、1987年6月15日。pp20
- ^ a b c d e f 『日本繊維商社銘鑑 1970年版』 信用交換所大阪本社、1970年。pp1333
- ^ “佃 光蔵氏 死去”. 京都新聞 (京都新聞社). (1987年4月9日). pp25
- ^ “佃 あや子さん(六十) ヒカリ屋 ゛趣味は仕事です″ 来年度売り上げ300億円へ”. 中日新聞 (中日新聞社). (1988年12月27日). pp滋賀版
- ^ “湖国の高額納税者 上位は土地と株 公示者も最高”. 京都新聞 (京都新聞社). (1990年5月2日). pp滋賀版
- ^ 『日本繊維商社銘鑑 1970年版』 信用交換所大阪本社、1970年。pp798
- ^ a b 『日本セルフ・サービス年鑑 1968年版』 日本セルフ・サービス協会、1967年11月10日。pp301
- ^ a b c 『日本セルフ・サービス年鑑 1970年版』 日本セルフ・サービス協会、1970年3月20日。pp271
- ^ 『全国都市統計総覧』 東洋経済新報社、1982年9月。pp961
- ^ a b 『滋賀県地域防災計画附属資料 昭和48年1月修正』 滋賀県防災会議、1973年1月。pp186
- ^ a b “開店予定情報”. ショッピングセンター 1989年4月号 (日本ショッピングセンター協会) (1989年4月1日).pp67
- ^ “撤退を正式決定 ヒカリ屋草津店 衣料品と食品売り場 今月末に営業停止”. 中日新聞 (中日新聞社). (2005年11月15日).滋賀版
- ^ “JR草津駅前に商業施設開設へ 「エルティ」内に21日オープン”. 京都新聞(京都新聞社). (2007年9月15日)
- ^ “旧ヒカリ屋店舗改修「まちかど情報館」に 本町商店街活性化へ 八日市”. 毎日新聞 (毎日新聞社). (1996年2月8日). pp滋賀版
- ^ “かつての市場再現 まちかど情報館オープン 八日市”. 中日新聞 (中日新聞社). (2016年4月21日). pp滋賀版
- ^ a b c d e f g h 『ショッピングセンター名鑑 1988年版』 日本ショッピングセンター協会、1988年12月27日。pp1051
- ^ 『新修大津市史 第10巻 年表・便覧』 大津市、1987年11月29日。pp404
- ^ 『新修大津市史 第6巻 現代』 大津市、1983年8月7日。pp422
- ^ a b c 『週刊東洋経済 臨時増刊 全国大型小売店総覧 2010年版』 東洋経済新報社、2010年。pp1224
- ^ a b 『流通会社年鑑 1984年版』 日本経済新聞社、1983年10月31日。 pp159
- ^ a b c d e f g h 『ショッピングセンター名鑑 1988年版』 日本ショッピングセンター協会、1988年12月27日。pp1076
- ^ a b 『週刊東洋経済 臨時増刊 全国大型小売店総覧 2006年版』 東洋経済新報社、2006年。pp1192
- ^ 二場邦彦 “京都の小売商業と大型店 凍結宣言満了後の動向”. 京都地域研究 VOL.9 (立命館大学人文科学研究所京都地域研究会) (1994年11月30日).pp20
- ^ 『滋賀年鑑 昭和49年版』 京都新聞社、1973年10月25日。 pp508
- ^ a b c 『週刊東洋経済 臨時増刊 全国大型小売店総覧 2009年版』 東洋経済新報社、2009年。pp1277