ビジャ・バビエラ

ビジャ・バビエラの建物
ビジャ・バビエラの学校
ビジャ・バビエラの庭園
ビジャ・バビエラのホテル

ビジャ・バビエラスペイン語:Villa Baviera)とはチリ共和国マウレ州リナレス県パラル英語版にあるドイツ移民を中心とした集落第二次世界大戦後元ナチ党による準軍事組織があった。

サンチャゴから南に340キロ、パラル市街地から35キロメートル南東、ペルクイラウクエン川英語版北岸とチリ中心部から離れた地域にある。コロニア・ディグニダ(スペイン語:Colonia Dignidad尊厳のコロニー尊厳の居留区とも)呼ばれる。

概要編集

設立編集

1961年に元ナチス党員で、アドルフ・ヒトラーを崇拝するパウル・シェーファー率いるドイツ人移民のグループが設立[1]。コロニーのフルネームは尊厳慈善および教育協会Sociedad Benefactora y Educacional Dignidad英語:Dignity Charitable and Educational Society)で、周辺への移民自体は1940年代半ばの第二次世界大戦直後から始まった。

元ナチスとの関連編集

1960年代から1980年代の最大時で300人程度のドイツ人およびチリ人が137平方キロメートルの土地に居住していたとされるが、詳細はわかっていない。コロニーの主たる経済活動は農業であったが、学校や無料の病院、地下工場や2本の滑走路の他、発電所さえ存在した。

最盛期当時から、ヒトラー信奉者を中心とした「ナチス残党を集めてナチスの再建を図っている」ドイツ亡命者の集まりで、さらに冷戦下でピノチェトの軍事政権やロッジP2などの反共産主義組織との武器売買の関係が噂されていた。

また米中央情報局(CIA)並びにサイモン・ヴィーゼンタールは、かつてアウシュヴィッツ強制収容所にて様々な人体実験を行い「死の天使」として恐れられた医師ヨーゼフ・メンゲレが、第二次世界大戦後にコロニー内にいたことを明らかにした[2]

さらにコロニーは、アウグスト・ピノチェトの軍事政権下のチリ政府にさえ秘密主義を貫き、周辺は有刺鉄線で高度なセンサーが付いたフェンスや、バンカーと呼ばれた巨大な地下施設。探照灯や望楼で囲まれていた。さらに内部には電子機器通信機器ロケットランチャーを含む武器戦車を含む兵器を隠し持ち、これらの小火器を製造する工場すら持っていた。2000年代に入りこれらの地下施設や隠し場所、フェンスが廃棄され、今はこれらの残骸が放置されている。

兵器隠匿編集

2005年6月から7月にかけて、チリ警察はコロニー内部あるいは付近に兵器の隠し場所2か所を発見した。コロニー内部にあった1つ目の隠し場所には機関銃自動小銃ロケットランチャーの他大量の弾薬が入った3つのコンテナを含み、中には40年前に製造されたものもあった。地下からは戦車すら見つかった。

この隠し場所は、これまでチリの民間所有で発見されたものとしては最大の兵器庫と言われる。コロニーが運営していたレストランの外にあった2つ目の隠し場所には、ロケットランチャーや手榴弾が発見された。2005年8月26日、チリ当局が元指導者らへの捜査の一環として資産を管理するためコロニーに入った。なおコミュニティの管理は国の任命した弁護士が行っていた。

人体実験と性的虐待編集

2006年4月にはコロニーの元メンバーが、40年にわたる児童への性的虐待やその他人権侵害について正式に謝罪、赦しを乞うた。チリの大手新聞エル・メルクリオに掲載された1ページ大の書簡において、元メンバーはパウル・シェーファーが彼らの心身を支配し、彼らの子供たちを虐待していたと述べた。

2005年1月、当時アメリカ合衆国証人保護プログラムの下暮らしていた元CIA局員マイケル・タウンリー英語版は、インターポールチリ支部の職員に対し、DINAとコロニア・ディグニダとの間の関係を認めた。また、タウンリーはコロニア・ディグニダおよび陸軍生物兵器研究所についての情報も明かした。同研究所はタウンリーが勤務していたDINAの研究所を前身としており、前述の2研究所に関してコロニア・ディグニダで政治犯へ人体実験を行っていた証拠も提示した[3]

現在編集

ようやく2000年代に入り、コロニーの元ナチ党とピノチェト政権の歴史、さらにそれを隠れ蓑にした幼児虐待や人権侵害、人体実験に関する事実が白日の下に晒されつつある。

現在も同地にコロニーが存在するものの、その実態は以前と異なると現在の指導者らは主張する。現在の指導者はペーター・ミュラーであるが、ミュラーはコロニーの近代化に努め、住民に大学へ学びに離れることを許し、コロニーをツーリズムに開放している。現在はドイツ料理レストランや宿泊施設などが置かれ、「観光施設」として再建されている。

拷問と待虐編集

軍事政権と拷問編集

アウグスト・ピノチェト軍事政権英語版以後、コロニア・ディグニダは拷問施設としても用いられた。ピノチェトが失脚した直後の1991年、チリ真実と和解委員会は秘密警察である国家情報局スペイン語版(DINA)に捕まった少なからぬ人々がコロニア・ディグニダへ連行され、そのうち幾人かは拷問を受け、秘密警察のエージェント以外にもこうした行為に加担した住人がいた」と結論付けた[4]

虐待の告発編集

コロニーからの離脱者は、パウル・シェーファーが絶対的権力を握るカルトであったと証言しており、住民は決してコロニーを離れることが許されず、性により厳格に区別されたと主張する。テレビや電話、カレンダーは禁じられ、住民はバイエルンの農民の服を身に纏い、ドイツの民謡を歌いながら働いていた。セックスも禁じられ、性欲を抑える薬の服用を強要された住民もいた。専ら女児(時には男性にも)に対し鎮静作用のある薬が投与された。殴打や拷問といった形での躾は日常的に行われた。

子どもへの性的虐待編集

コロニア・ディグニダの創設者かつ初代指導者(「永遠のおじさん」)であったパウル・シェーファーは、第二次世界大戦後にチリへ逃れた元ドイツ空軍衛生兵であった。シェーファーは2人の男児に対する性的虐待に関する告発を受けた後、1961年に西ドイツを離れた。

1997年5月20日にはチリへ逃亡し、コロニーの児童26人に対する性的虐待の告発を捜査していた当局に追われる身となる。2005年3月アルゼンチンで逮捕、チリへ身柄を引き渡された(なお、シェーファーはロシア出身のユダヤ系アメリカ人数学者ボリス・ウェイスフェイラー英語版が1985年に失踪した件でも指名手配中であった[5])。

シェーファーはその後懲役20年の刑に服していたが、2010年4月24日、心臓病のためサンティアゴの国立刑務所で死去。[6]。副司令官のハルトムート・ホップ博士(Hartmut Hopp)を含むコロニア・ディグニダッドの22人のメンバーも児童への性的虐待を幇助していたことが発覚した。

脚注編集

  1. ^ Infield, Glenn. Secrets of the SS, Stein and Day, 1981, p.206
  2. ^ Infield, p.207
  3. ^ “Michael Townley fue interrogado por muerte de Frei Montalva”. (2005年3月30日). http://www.cooperativa.cl/p4_noticias/site/artic/20050330/pags/20050330114755.html 2018年12月28日閲覧。 
  4. ^ “The Torture Colony”. (2008年9月1日). http://www.theamericanscholar.org/the-torture-colony/ 2018年12月28日閲覧。 
  5. ^ Harding, Luke (2005年3月12日). “Fugitive Nazi cult leader arrested”. The Guardian (London). http://www.guardian.co.uk/world/2005/mar/12/warcrimes.chile 2008年4月2日閲覧。 
  6. ^ "Ex-Nazi Paul Schaefer dead in Chile age 88: prison," Agence France-Presse, April 25, 2010, retrieved April 24, 2010.[リンク切れ]

関連項目編集

外部リンク編集