T-54(2017年)
T-72(2014年)

戦車(せんしゃ、: tank)は、火砲および自動火器を備え、無限軌道により道路以外を走行する能力と、特殊鋼板製の装甲による防護力とを備えた車両[1]第一次世界大戦で初めて登場し、第二次世界大戦では地上の戦闘で中心的な役割を果たす兵器となった[1]


概要編集

戦車は一般に、主たる武装として強力な火砲(戦車砲)を備え、ごく初期のものや一部の例外を除いて旋回砲塔を装備して備砲を指向させることができ、これにより敵の戦車、陣地、車輌等々を攻撃できる。副武装として主に機関銃を装備し、備砲を使わずとも非装甲車輌や歩兵群などを制圧できる。防御のためには主に鋼板製の装甲を備え、これにより敵からの小銃機関銃や榴弾などでの攻撃に耐え、また対戦車兵器で攻撃されても、特に前面装甲は容易には破壊されない。さらに履帯(キャタピラ)を備え、これにより舗装路だけでなく不整地(舗装道路以外の場所、オフロード)でも行動することができる[2]

戦車は分類上は陸戦兵器のうち装甲戦闘車両の一種である、ということになる。しかし戦車は戦う車輌の総称ではなく、自走砲装甲車などとは区別される。何をもって戦車と定義するかは曖昧な部分もあり、また時代地域によって変化する。21世紀初頭現在では次のように要約できる。

  1. 駆動について、走行装置が無限軌道(履帯、キャタピラ)であること[3]
  2. 防御について、戦線を突破できるだけの防御力を持つ。具体的には、主に特殊鋼板製の装甲で覆われている。[4]
  3. 攻撃力について、戦車をはじめとする敵装甲戦闘車両を待ち伏せでなく積極的に砲撃し、撃破できること[3]。全周旋回可能かつ全面を装甲化した砲塔[3]を有すること。

ただし、上記の条件全てを満たさなくても、保有する側が戦車と呼べば戦車扱いされる可能性もある。例えばスウェーデンのStrv.103は上記のような旋回砲塔を持たず、大戦中の駆逐戦車や対戦車自走砲のような形状の車輛であるが、その開発・運用目的・戦闘能力から、スウェーデン軍では主力戦車として配備されていた。

現代の正規戦に通用する戦車は、製造に高い技術が求められるうえに部品点数も多く[5]、日本では「戦車は千社[6]」という諧謔があるほど、生産ラインの維持には層の厚い産業が必要である。そのような事情もあって、現在自国で戦車の開発と生産ができる国家は10に満たないと言われる[7]

名称編集

英語: Tank(タンク)
イギリスで作られた世界最初の戦車は、当初「水運搬車(Water Carrier)」という秘匿名称が付けられていた。戦車開発のために、リヴェンジ級戦艦ネルソン級戦艦の設計を手掛けたユースタス・テニソン・ダインコートを委員長とした委員会が設置されたが、英国陸軍連絡将校スウィントン大佐が「W.C.(便所)委員会」[注 1]では都合が悪いと異論を唱えた[8] 。そこで「T.S.Tank Supply=水槽供給)委員会」と呼ぶことにした。これによりイギリスでは戦車は通称で「tank タンク」(≒水槽)という言葉で呼ばれるようになり、のちに英語圏での正式名称になった。この語源については「戦車を前線に輸送する際に偽装として『ロシア向け水タンク』と呼称した」など諸説あるものの、以後戦車一般の名称として定着した。
日本語: 戦車(せんしゃ)
もともと戦車という言葉は、中国同様に漢文中の戦車を意味していた[注 2]が、日本史上ではほとんど使われたことが無い兵器だった[注 3]。近代戦車については1917年(大正6年)の陸軍省調査書において『近迫戦に専用する「タンク」と称するものあり』と記され[9]、1918年(大正7年)に日本陸軍へ導入された当初は英語のtankをそのまま音写して「タンク」あるいは装甲車と呼んでいたが、程なくして戦車と呼ばれるようになった。はっきりとした時期は定かでないが、1922年(大正11年)発行の論文中に戦車の訳語が登場する[注 4]。また陸軍の会合の席上である大尉が思いつきで戦車と呼ぶのはどうかと提案したところ、その場の皆の賛同を得て受けいれられたという話もある[注 5][10]。1925年(大正14年)陸軍歩兵学校制作の「歩兵操典草案」では兵卒向けの心得の中で戦車という語を用いつつ「一般にタンクと称する」と説明し[11]、一般向けの冊子と思われる「学校案内」においても同様な表現を用いている[12]第二次世界大戦後に発足した警察予備隊(後の自衛隊)は当初、戦車という軍事用語を忌避して「特車」と呼称していたが、1962年(昭和37年)1月からは「戦車」と呼ばれるようになった[13]
中国語: 坦克(タンク)
一方、 中国語では「戰車」は古代戦車を意味する。近代戦車は tank を音写して「坦克」と呼んでいる。ただし、台湾では日本語と同様に「戰車」と呼んでいる。
朝鮮語: 전차(チョンチャ/南)または땅크(タンク/北)
大韓民国では、日本語と同様に古代戦車・近代戦車ともに「전차(戰車)」の語を用いるが、緊圧茶(磚茶)や電車電気機関車)も同じ表記である。外来語として英語の tank を音写した語の表記は탱크(テンク)である。 北朝鮮では、ロシア語の танк を音写した「땅크」と呼ぶ[14]
ドイツ語: Panzer(パンツァー、パンヅァー)
ドイツ語では Panzerkampfwagen(装甲・戦闘・車輌)の略称として Panzer(パンツァー)が一般的である。英語上ではPanzerは「ドイツの戦車」全般を意味する語として取り入れられている[注 6]。元来ドイツ語でPanzer は装甲という意味で、英語の Armour / Armor と同様に、かつては中世騎士などが身につけた金属製の甲冑・を意味した。現代ではPanzerは装甲戦闘車両(戦車)の意味で使われる事が多いので、旧来の鎧はRüstung(武具、武装)と呼んで区別されることが増えた[15]。但し、日本語では装甲戦闘車輌としてのPanzerでも、例えばPanzerdivisionは「戦車師団」ではなく「装甲師団」や「機甲師団」、Panzergrenadierも装甲擲弾兵と訳される[注 7]。また、パンツァーファウスト擲弾発射筒のように原語をそのまま音写するのが一般的な言葉もある。現代のドイツ軍でもパンツァーファウストの名前を受け継いだ後継兵器を使用しており、そのうちパンツァーファウスト3を日本の自衛隊が110mm個人携帯対戦車弾として採用している。そのため日本の公文書中にもパンツァーファウストの文字を見て取れる。
ヘブライ語: טנק‎(タンク)
ヘブライ語では近代戦車のことを、英語の「Tank」をヘブライ文字に置き換えた「טנק」(タンク)と表記する。なお古代戦車(チャリオット)は「מרכבה」(メルカバ)と呼ばれ、イスラエルの主力戦車の名称ともなっている。
フランス語: Char de combat(シャール・ド・コンバ)
フランス語では戦車のことを「Char」(シャール)と呼ぶが、もともとこの語は古代戦車(チャリオット)を指す名称であるため、近代戦車を指す際には「Char de combat」(シャール・ド・コンバ、直訳で「戦闘戦車」)と表記される。「char de bataille」(シャール・ド・バタイユ、戦う戦車)や「char d'assaut」(シャール・ダッソー、突撃戦車)とも表記される。
イタリア語: Carro armato(カルロ・アルマート)
直訳で「装甲車輌」。単に「Carro」(カルロ)とも。
ロシア語: Танк(タンク)
英語の「Tank」をキリル文字に置き換えたもの。

制式名称と愛称編集

戦車の名称は、兵器としての制式名称と、軍や兵士達によって付けられた愛称とに大別される。愛称については配備国により慣例が見られる。アメリカは軍人の名前から(もともとは供与元のイギリス軍による命名則)、ドイツは動物の名前、ソ連・ロシアの対空戦車は河川名にちなんでいる。イギリスの巡航 (Cruiser) 戦車や主力戦車では「C」で始まる単語が付けられている。日本は旧軍では皇紀、自衛隊では西暦からきた制式名で呼ばれ、前者の場合、カテゴリーや開発順を表す秘匿名称(例・チハ…チ=中戦車のハ=いろは順の三番目)もつけられていた。

歴史編集

概観編集

第一次世界大戦では、対峙する軍隊がたがいに塹壕を掘り合い、将兵がそこに身を隠した状態で小銃・機関銃や火砲などを撃ちあって戦い、自陣の前には敵兵が容易に侵入できないように鉄条網などの障害物まで敷設されるようになった。歩兵や騎兵が旧来のような突撃を試みても、彼我の中間に広がる無人地帯では身を隠すこともできず、無防備なまま銃砲撃を受けて撃退されてしまった。こうした情勢が原因で戦線がすっかり膠着してしまい、一方が圧倒的に優勢になって戦線が一気に動くこともなく、何カ月もにもわたって決着がつかないまま、死傷者の数ばかりが大幅に増えることになってしまった。このように膠着してしまった戦線を突破するために考え出されたのが、戦車である。つまり戦車は当初、歩兵が塹壕から出て敵陣へ突撃する時に、彼等が敵の小銃や機関銃などの的になってしまわないように一種の移動する「壁」のようになり、同時に搭載した銃砲で敵陣を制圧する「歩兵支援兵器」として登場したのである。

戦間期から第二次世界大戦にかけて運用方法が各国で研究され、その過程で武装、重量、装甲厚や機動性などの違いによる多種多様な形態の戦車が作られ、歩兵の突撃を支援する歩兵戦車、多目的の中戦車、重武装で重装甲の重戦車、機動性重視の軽戦車巡航戦車空挺戦車水陸両用戦車といった多数の種類が登場した。

第二次大戦では陸上戦闘の主役となり、多くの戦訓をもとに戦車の運用法が大きく進歩し、戦車のみの部隊による集中運用方式の有効性が立証され、機甲部隊による運用方式が確立された。また生産性の問題から、いったん増えた戦車の種類も単一機種で多目的な用途をこなせる主力戦車: main battle tankMBT)に集約されはじめた。第二次世界大戦後は数次の中東戦争などの戦訓を経て、21世紀初頭現在各国の戦車編成は、一種類の主力戦車にほぼ統合されている。

第一次世界大戦編集

黎明期編集

 
ソンムの戦いに展開するマークI戦車「雄型」

近代工業化による内燃機関の発達にあわせて、第一次世界大戦前より各国でのちに戦車と呼ばれる車輌の構想が持たれるようになっていたが、技術的限界から実現されることはなかった。

第一次世界大戦で主戦場となったヨーロッパではドイツの西部において大陸を南北に縦断する形で塹壕が数多く掘られいわゆる西部戦線を形成した。戦争開始からそれほど間をおかずに巧妙に構築された塹壕線、機関銃陣地、有刺鉄線による鉄条網が施されることとなり防御側の絶対優位により、生身で進撃する歩兵の損害は激しく、戦闘は膠着することとなった。対峙する両軍は互いに激しい砲撃の応酬を行ったため、両軍陣地間にある無人地帯は土がすき返され、砲弾跡があちらこちらに残る不整地と化して初期の装甲車など装輪式車両の前進を阻んでいた。これらの閉塞状況を打破するため、歩兵と機関銃を敵の塹壕の向こう側に送り込むための新たな装甲車両が求められた[16]

このとき注目されたのが、1904年に実用化されたばかりのホルトトラクターであった。これはアメリカのホルト社(現キャタピラー社)が世界で最初に実用化した履帯式のトラックで、西部戦線での資材運搬や火砲の牽引に利用されていた。このホルトトラクターを出発点に、イギリス、フランスなどが履帯によって不整地機動性を確保した装軌式装甲車両の開発をスタートさせた。

イギリスではアーネスト・ダンロップ・スウィントン陸軍中佐がホルトトラクターから着想を得て機関銃搭載車として用いることを考えたが、このアイディアは実現されなかった。その一方、飛行場警備などに装甲自動車中隊を運用していたイギリス海軍航空隊のマーレー・スウェーター海軍大佐が陸上軍艦 (Landship) の提案を行った。1915年3月、この海軍航空隊の提案を受けて、当時海軍大臣であったウィンストン・チャーチルにより、海軍設営長官を長とする「陸上軍艦委員会」が設立され、装軌式装甲車の開発が開始された。

陸上軍艦委員会による幾つかのプロジェクトののち、フォスター・ダイムラー重砲牽引車なども参考にしつつ、1915年9月に「リトル・ウィリー」を試作した。リトル・ウィリー自体は、塹壕などを越える能力が低かったことから実戦には使われなかったが、のちのマーク A ホイペット中戦車の原型となった。リトル・ウィリーを反省材料とし、改良を加えられた「マザー (Mother)」(ビッグ・ウィリー)が1916年1月の公開試験で好成績を残し、マーク I 戦車の元となった。

マーク I 戦車が初めて実戦に投入されたのは1916年9月15日ソンムの戦いの中盤での事だった。

世界初の実戦参加であったソンム会戦でマーク I 戦車は局地的には効果を発揮したものの、歩兵の協力が得られず、またドイツ軍の野戦砲の直接照準射撃を受けて損害を出した。当初想定されていた戦車の運用法では大量の戦車による集団戦を行う予定であった。しかしこのソンムの戦いでイギリス軍は49両戦車を用意し、稼働できたのは18両、そのうち実際に戦闘に参加できたのは5両だけだった。結局、膠着状態を打破することはできずに連合国(協商国)側の戦線が11kmほど前進するにとどまった。

その後、1917年11月20日カンブレーの戦いでは世界初となる大規模な戦車の投入を行い、300輌あまりの戦車による攻撃で成功を収めた。その後のドイツ軍の反撃で投入した戦車も半数以上が撃破されたが、戦車の有用性が示された攻撃であった。第一次世界大戦中にフランス、ドイツ等も戦車の実戦投入を行ったものの、全体として戦場の趨勢を動かす存在にはなり得なかった。

発展編集

 
戦間期に開発されたソ連の多砲塔戦車T-35重戦車(1934年)

初めて「戦車」としての基本形を整えたのは第一次大戦中に登場したフランスルノーFT-17という軽戦車であった。

それまでの戦車は砲の死角を低火力な機関銃で補うか重量が嵩む砲を複数搭載したが、FT-17は360度旋回する砲塔を装備し砲の死角を無くした。また、それまでの戦車は車内でエンジンを点検する機関手が搭乗していたがエンジンの騒音と熱気が乗員を苦しめていたことからFT-17では隔壁で戦闘室と機関室を分離し、同時に機関手も廃止された。それまでの車台に箱型の戦闘室を載せる形ではなく、直角に組み合わせた装甲板で車体を構成し、小型軽量な車体と幅広の履帯、前方に突き出た誘導輪などによって優れた機動性を備えた。

FT-17は3,000輛以上生産され、当時もっとも成功した戦車となった。第一次世界大戦後には世界各地に輸出され、輸出先の国々で最初の戦車部隊を構成し、また初期の戦車設計の参考資料となった。

当時開発が盛んだった多砲塔戦車は多数の砲塔を装備するが重量の制約上から強力な主砲を装備することが不可能で、非力な砲が何門もあったところで戦力にならないため衰退した。

第一次世界大戦から第二次世界大戦の間、各国は来るべき戦争での陸戦を研究し、その想定していた戦場と予算にあった戦車を開発することとなった。敗戦国ドイツも、ヴェルサイユ条約により戦車の開発は禁止されたものの、農業トラクターと称してスウェーデンで戦車の開発、研究を行い、また当時の国際社会の外れ者であるソ連と秘密軍事協力協定を結び、赤軍と一緒にヴォルガ河畔のカザンに戦車開発研究センターを設けた。

戦車が出現した第一次世界大戦中は対戦車用の火砲は存在しない為、対歩兵用の機関銃に耐えられる程度の装甲で十分であり戦車自身の武装も機関銃だった。対戦車用の火砲が登場すると戦車自身の武装も火砲へ移行し装甲もより分厚くなっていき、第二次世界大戦直前には機関銃が主武装の戦車は廃れていった。

第二次世界大戦編集

 
第二次世界大戦で連合軍を恐れさせたティーガーI(1943年)
 
クルスクの戦い、戦車戦が第二次大戦中最大の戦車戦(1943年7月4日 〜 8月27日)
 
輸送船から上陸するM4中戦車イタリア戦線(1944年)

第二次世界大戦中を含め、各国において開発されたものは巡航戦車歩兵戦車多砲塔戦車豆戦車軽戦車中戦車重戦車など多岐にわたった。これは戦車の運用に対する様々な戦術が新たに研究・提案された結果ではあったが、その多くは一長一短があった。

第二次世界大戦では、戦術的に、戦車を中心に、それを支援する歩兵、砲兵など諸兵科を統合編成した機甲師団対フランス戦においてその威力を発揮し、戦車は陸戦における主力兵器としての価値を証明した。

この事実を重く受け止めた各国は、戦車の改良と増産に着手し陸軍の改変をすすめることになる。ドイツのIV号戦車は当初III号戦車では撃破不可能な目標を破壊するための戦車だったが戦車の急速な重武装化、重装甲化によってIII号戦車はすぐに非力な戦車となりIV号戦車が主力となった。攻守ともに当時としては破格で8万両以上生産されたソ連のT-34は米英軍の戦車より質及び量で優越することになる。独ソ戦におけるT-34ショックは、海軍艦艇における戦艦ドレッドノート」の出現による既存・計画艦艇の陳腐化と同様の衝撃をもって受け止められ、独ソ間でのシーソーゲームは戦車の発展及び対戦車兵器の開発を推し進めた。また、T-34は避弾経始に優れた曲面形状の鋳造砲塔傾斜装甲を取り入れており、第2世代主力戦車(いわゆる第二次世界大戦後第2世代の戦車)まで、各国で避弾経始を意識した戦車設計が行われた。また、自動車大国であったアメリカではその産業基盤を生かしM4中戦車を5万両以上生産した。しかもM4中戦車は機械的な信頼性が高く独ソ戦車よりは非力ではあるもののそれ以上に非力な戦車しか保有しておらず配備数も不足していたイギリスにとっては最良の戦車でありイギリスはレンドリースによってアメリカからM4中戦車を受け取った。アメリカ軍の高い兵站能力とあいまって、多数の戦車を戦線に配置することができた。配備された当初は数の優越で質の劣勢を補うことができたがドイツ軍重戦車が活躍するようになるとアメリカではM26がイギリスではセンチュリオンが開発された。軽戦車は中戦車の登場により実用性を失い退役していった(中国の15式軽戦車のように現在でも製造・運用されている軽戦車も存在する)。

戦車においては長らく圧延鋼板リベット留めした構造が大半であったがリベットは被弾や付近での爆発による衝撃で千切れ飛び、車内の戦車兵や随伴歩兵が死傷する事故が相次いだ。また、留め具であるリベットを失った装甲板は脱落することもあった。戦地の部隊が鋼板や土嚢等を防護力を高めるための増加装甲として独自に取り付ける事例が多かった。一部の先進国では圧延鋼板を線で接合する溶接技術や鋳造鋼をボルトで接合する製法が採り入れられた。また、先進国の戦車は重装甲なため大出力なエンジンが必要だったが、航空機用エンジンが転用されることが多かった。

なお、用途に応じた戦車として、偵察戦車指揮戦車駆逐戦車火炎放射戦車対空戦車架橋戦車回収戦車水陸両用戦車地雷処理戦車空挺戦車などが存在した。これらの殆どは、既存の戦車の車体や走行装置を流用して製作された。

冷戦期 - 現代編集

イスラエルとアラブ諸国が争った中東戦争ではしばしば大規模な戦車戦が繰り広げられた。第一次中東戦争は歩兵支援にとどまったが、特に1973年10月に勃発した第四次中東戦争ではアラブ側・イスラエル側併せて延べ7,000輌(イスラエル約2,000輌、エジプト2,200輌、シリア1,820輌、その他アラブ諸国約890輌[17])の戦車が投入され、シナイ半島、ゴラン高原において複数の西側製戦車(センチュリオンショット」、M48パットン/M60パットンマガフ」など)とソ連製戦車 (T-54/55T-62、なおイスラエル軍も「Tiran-4/5/6」として使用)が正規戦を行った。シナイ方面で行われた10月14日の戦車戦クルスク大戦車戦以来最大の規模[18]となり、また対戦車ミサイルが大規模に投入され戦車にとって大きな脅威となった事から、以後の戦車開発に戦訓を与えた。

第1世代主力戦車編集

第1世代
 
センチュリオン(1945〜1963年)
西側ではイギリスのセンチュリオンオードナンス QF 17ポンド砲搭載)、アメリカのM46パットンM3A1 90mmライフル砲搭載)が登場した。東側では第二次大戦時のドイツ軍重戦車より強力な西側中戦車に対抗して、T-44を攻守共に強化したT-54D-10T 100mmライフル砲搭載)が登場した。
今日では第1世代主力戦車と分類される事が多い当時の中戦車は、かつての重戦車以上の戦闘力を有しているが、当時の扱いはあくまで中戦車であり、各国共それを上回る戦闘力を有するM103ファイティングモンスター(米)、T-10(ソ)、 コンカラー(英)といった重戦車が同時並行で生産・配備されており、主力戦車として一本化はされていなかった。
特徴として傾斜装甲の採用によって機動性を確保し、丸型の鋳造砲塔を持ち、ジャイロ式砲身安定装置により走行中の射撃も可能である。
M46パットン、M47パットンM48パットン、T-54、T-55、センチュリオン、61式戦車などが相当


第2世代主力戦車編集

第2世代
 
M60(1960〜1984年)
1950年代後半になるとイギリスで100mm砲より強力なロイヤル・オードナンスL7 105mmライフル砲が開発され、この戦車砲は西側諸国で戦車砲として広く採用され一般化した(開発国のイギリスでは、105mm砲は後期のセンチュリオンに採用したが、チーフテンには120mm砲を採用)。一方、東側では105mm砲に対抗して、西側に先駆け滑腔砲115mm滑腔砲)を搭載した。
中戦車の重戦車化によって重戦車は存在意義を失い、中戦車があらゆる局面において活用される「主力戦車」 (MBT) として生き残った。ただし、ソ連では高性能で高価なT-64及びT-80と、廉価版のT-62及びT-72という、重量による区別とは異なるハイローミックスの二本立てが存在した。また、自走化された対戦車砲である駆逐戦車は存在意義を失っていったが、軽戦車や歩兵戦車などが果たしていた役割を担うための車輌として、歩兵戦闘車のような主力戦車よりも軽量の戦闘車輌が多数生み出された。
対戦車ミサイルが発達し、随伴歩兵による携帯用対戦車兵器を持つ敵歩兵部隊の掃討がより重要となったことは歩兵戦闘車の開発を加速し、戦車部隊と機械化歩兵部隊がともに行動する戦術がより重視されることとなった。実戦で歩兵部隊の対戦車ミサイルが大きな威力を発揮したことから「戦車不要論」が生まれるなど、戦車の防御力が攻撃力に対し立ち遅れ、防御力よりも機動力の方が戦車を守り得るという考え方が主流となった時代でもあった。
特徴としてより洗練された傾斜装甲の採用、より避弾経始に優れた亀甲型形状の鋳造砲塔と、アクティブ投光器による暗視装置を持ち、夜戦能力を得た。
M60パットンT-62T-64レオパルト1Strv.103チーフテンAMX-30などが相当


第2.5世代
 
T-72(2007年)
ソ連製のT-72は125mm 2A26の搭載、2層のガラス繊維材を装甲板で挟み込んだ複合装甲の採用、軽量化によって当時の戦車の中では走・攻・守いずれにおいても優れていた。一方、豊富な戦車戦経験と戦車の改造技術を持つイスラエル初の国産戦車メルカバはその独自の設計と、1982年レバノン内戦でT-72を破った事で注目を集めた。メルカバのM111 APFSDS弾はT-72が採用された当時の西側砲弾より強力でありメルカバより前に設計されたT-72がM111を想定した防御力を持っているはずもないためであるが、この戦訓を基にT-72の装甲強化モデルが開発され、依然としてソ連製戦車は西側に脅威を感じさせていた。
先進国の多くは主力戦車を第3世代、3.5世代主力戦車に更新しているが、それ以外の国の多くでは第2世代、2.5世代主力戦車が採用されている。これは第3世代主力戦車と比べコストが低く、重量も軽量なため、道路などのインフラの未熟な国でも運用できることが大きい。そのため市場価値が未だ大きく、旧共産圏の国々では新規生産と改良が継続されている。
T-7274式戦車レオパルト1A1メルカバCM1196式戦車などが相当


第3世代主力戦車編集

第3世代
 
日本90式戦車(1990年)
西側ではドイツで125mm砲より強力なラインメタル L44 120mm滑腔砲が開発され一般化[注 8]複合装甲(性質の異なる装甲素材を重ね合わせた装甲で単一素材の圧延鋼板装甲より強固とされる)を導入し、パッシブ型(投光器で光を照射するアクティブ型と違い、敵の発した光を受容する)の暗視装置を持つ。
東側は対戦車ミサイルも発射可能な2A46を搭載し、防御面では複合装甲だけでなく箱状の爆発反応装甲を併用している[注 9]。爆発反応装甲は着脱が可能で破損時の交換が容易な他、作動時の爆発によって自身より重く厚い装甲板と同程度の防御力を発揮するが、車体周囲の随行歩兵や自車の装甲に損傷を与える恐れがあり作動後はその箇所の防御力は低下してしまう。装甲防御力が弱い旧世代の主力戦車に、爆発反応装甲を前面に貼り付ける事で兵器寿命の延命を計ることがある。ソ連戦車以外は砲塔が車体同様に溶接構造となり、T-80以外はレーザー測遠機を装備した。
M1エイブラムスK1チャレンジャー1レオパルト298式戦車T-8090式戦車アリエテなどが相当


ポスト第3世代主力戦車編集

第3.5世代
冷戦終結に伴う軍事的緊張の緩和と軍事費削減、更に東側の戦車開発を担ったソ連の分裂により戦車開発競争は旧東側、旧西側陣営でともに停滞した。次世代主力戦車の登場を前に、第3世代主力戦車をもとにポスト冷戦時代の紛争の戦訓や関連技術の進展を反映させた戦車が開発された。
着脱が可能で破損時の交換や新型装甲への換装が容易であるモジュール装甲(外装式と内装式がある)の導入のほか、トップアタック可能な対戦車ミサイルなどの上方からの攻撃への考慮。火砲の長砲身化等による威力の向上。戦闘部隊と司令部だけでなく戦闘部隊や戦闘車両同士においても相互に情報共有を行うシステムとして車間情報システムの搭載によるC4I化が図られている。
改修開発
 
M1A2エイブラムス(1992年)
既存の戦車を改修によりアップグレードがなされ、延命が図られている。主砲、装甲、エンジン、光学機器や電子機器の改良がなされているが、重量が増加し概ね3トン以上、最大で約10トン増加している。
M1A2エイブラムスチャレンジャー2レオパルト2A599式戦車T-84T-90AMアルタイなどが相当


新規開発
 
メルカバMk.4(2004年)
上記のように緊張の緩和・軍事費削減等、戦車の新規開発は難しい環境にありながら、それでも以下の理由で戦車の新規開発が続けられている。
  • 戦車開発技術の獲得・維持
  • 現用戦車の陳腐化
  • 改修による能力向上の困難・費用対効果の悪さ
ルクレールメルカバMk.410式戦車K2T-14などが相当


世界の第3.5世代主力戦車の比較表
 10式  M1A2 SEPV2  メルカバ Mk 4  レオパルト2A7  K2  T-14  99A式
画像              
開発形態 新規 改修 新規 改修 新規 改修
全長 9.42 m 9.83 m 9.04 m 10.93 m 10.0 m 10.8 m 10.2 m (推定)
全幅 3.24 m 3.66 m 3.72 m 3.74 m 3.60 m 3.50 m 3.40 m (推定)
全高 2.30 m 2.37 m 2.70 m 3.03 m 2.50 m 3.30 m 2.40 m (推定)
重量 約44 t 約63.28 t 約65 t 約67 t 約55 t 約48-49 t 約50t (推定)
主砲 44口径120mm滑腔砲
(10式戦車砲)
44口径120mm滑腔砲
M256
44口径120mm滑腔砲
MG253
55口径120mm滑腔砲
L55
125mm滑腔砲
2A82-1M
125mm滑腔砲
ZPT-98式
副武装 12.7mm重機関銃×1
7.62mm機関銃×1
12.7mm重機関銃×1
7.62mm機関銃×1
RWS×1
12.7mm重機関銃×1
7.62mm機銃×2
60mm迫撃砲×1
7.62mm機関銃×2 12.7mm重機関銃×1
7.62mm機銃×1
12.7mm重機関銃×1
7.62mm機関銃×1
12.7mm重機関銃×1
7.62mm機関銃×1
装甲 複合+増加
(外装式モジュール
複合+増加 複合+増加
(外装式モジュール)
複合 複合+爆発反応
(モジュール式)
複合+爆発反応+ケージ
(外装式モジュール)
複合+爆発反応
(外装式モジュール)
エンジン 水冷4サイクル
V型8気筒ディーゼル
ガスタービン 液冷4サイクル
V型12気筒ターボチャージド・ディーゼル
ディーゼル
最大出力 1,200 ps/2,300 rpm 1,500 hp 1,500 hp 1,500 ps/2,600 rpm 1,500 hp 1,500-2,000 hp 1,500 hp
最高速度 70 km/h 67.6 km/h 64 km/h 68 km/h 70 km/h 80–90 km/h 80 km/h
乗員数 3名
車長,操縦士,砲手
4名
(車長,操縦士,砲手,装填手)
3名
(車長,操縦士,砲手)
装填方式 自動 手動 自動
C4I ReCs FBCB2 BMS 不明 B2CS 不明


第4世代主力戦車編集

20世紀の内にも登場するはずであった「第4世代主力戦車」は未だ模索の段階であり、世界的な定義は決定していない。これは東西冷戦の終結によって、正規戦が起こる蓋然性が低下し、各国の新型戦車開発が停滞しているからである。同時に、戦車開発史上もっとも一般的な手法であった、「サイズを拡大することで主砲の大口径化と防御力向上を達成する」ということが困難になったからである。なぜならば、物理的条件から60tを超えるような戦車は行動を大きく制限され、主力戦車としての運用に支障が出るのである。この問題を解決するために、サイズ拡大によらない性能向上が模索されている。

サイズ拡大によらない性能向上の一つは、情報のデータリンクを強化して、集団的な戦闘力を高めることである。これは既に現実のもので世界最新鋭の戦車(いわゆる3.5世代主力戦車)はC4Iと呼ばれる情報指揮統制システムを備えている。情報連携力を強化する研究は各国で盛んに行われており、なかには戦車機能を数両で分担するなど斬新なアイデアも提案されている。米国のM1A3計画のように軽量化を目指すものも存在する。

そして限られた資源で、非対称戦ネットワーク中心の戦いという新しい課題に対応しなければならず、従来の正規戦闘より柔軟さが求められる。前述のデーターリンク機能に加えて高度なセンサーによる周辺監視システム、不意打ちに備えた全周防御、迅速に戦場まで移動する戦略機動性、戦場における自由度を確保する戦術機動性などが求められている。

2010年度に装備化された10式戦車では、可視系の視察照準にハイビジョンカメラを用いたモニター照準方式を世界で初めて戦車に採用[19]、複数の目標を同時に捕捉識別する高度な指揮・射撃統制装置に加え、リアルタイムで情報を共有できる高度なC4Iシステムなどを装備しており、例えば小隊が複数の目標を同時に射撃するときシステムが最適な目標の割り振りを自動的に行って同時に発砲したり、小隊長が小隊内の他の戦車の射撃統制装置をオーバーライドして照準させることも可能である。また、1990年度に制式化された90式戦車では実現困難だった水準の小型軽量化を実現し戦略機動性が向上、戦術機動性も油圧機械式無段階自動変速操向機 (HMT) の採用により向上した。


ロシアではアルマータと呼ばれる装軌車両用の共通車体プラットフォームを基に次期主力戦車T-14を開発中である。それまでにも戦車以外の中軽量級の戦闘車両の開発では、モジュール化やコンポーネントの共用化によって開発、生産、運用といった面での経費節減と運用効率向上を図ることがあったが、現在はロシアのT-14のプラットフォーム共通化で開発が進められている[注 10]。T-14は乗員全員を車体前方に設けられた装甲カプセルに搭乗させることで乗員を弾薬から隔離し、砲塔の操作を車体内から遠隔操作で行う無人砲塔を採用していると見られ、10式戦車と同じく車長と砲手の視察照準にはモニター照準方式が採用されていると考えられる。一方、ドイツではウクライナ問題の影響から戦車の配備数を増やし近代化改修を進める動きがあり、T-14の配備がドイツとフランスの次期主力戦車計画にどのような影響を与えるか今後の動向が注目される。

将来編集

各国の技術開発・研究などから、戦車は将来的に以下のような発展をみせると予想されている。

 
第2世代主力戦車の主砲である105ミリロイヤル・オードナンス L7
主砲
120mm級の主砲は登場から40年が経過した現在でも最大の主砲として使用されている。これ以上に大型の砲弾は戦車の携行弾数があまりにも少なくなる、人力での装填が不可能なほどに砲弾が重くなり自動装填装置が必須になるなどの問題点があり、戦車への砲弾の積み込み作業も人力では過度の負担になると考えられる。また、反動を抑えるのに必要な重量は70トンから80トンに達すると想像され、現在の技術で取り扱える重量限界を超えてしまう。ラインメタル社では反動低減のための研究が進行中であるが、10式戦車では主砲の反動を計算して圧力を調整し反動を吸収するアクティブ・サスペンションの導入により44トンの車体に120mm砲の搭載を実現しており、今後同様の手法で重量を抑えつつ140mm級主砲を搭載した車輌が出現する可能性も考えられる。なお、冷戦の終結によってこれらの問題点を抱えてまで砲を大型化する必要性が薄れ、火力強化は砲身長の延長や砲弾の改良で実現されている。
主砲の新技術として液体装薬も期待されたが、実用化にはまだ遠い[20]。また、リニアモーターの原理で弾体を磁気の力で加速して打ち出す静電砲(リニアガン/コイルガンや、ローレンツ力を利用した電磁投射砲(レールガンも、まだ実験の域を出ていない。
防護
防護性能の向上では、被弾する可能性が最も高い砲塔の露暴面積を縮小する努力が払われている。これまでも、主砲の操作に関わる乗員を車体側の固定座席に座らせることで砲塔を小さくした無人砲塔戦車や、自動装填・遠隔操作の頭上砲 (Overhead Gun) をほとんど無装甲で搭載した無砲塔戦車が構想された。これらのうち、無人砲塔はロシアのT-14アルマータにおいて実現している。またT-14は角ばった外見でステルス性も考慮している。
主砲を操作する乗員を砲塔リングより下の砲塔バスケット内に配置して砲塔を小型化する低姿勢砲塔(Low Profile Turret:LPT)については、ヨルダン陸軍の主力戦車「アルフセイン」(輸出されたチャレンジャー1)の最新改良型に、南アフリカの企業と共同開発した「ファルコン2」砲塔[21]を搭載した事が発表され、今後の運用が注目されているほか、装甲車ではM1128 ストライカーMGSで先んじて実用化されている。即応弾の搭載場所は、ファルコン2が主砲の後方、MGSは砲塔バスケット内である。
電磁装甲も、未来技術であり実用化の目処はたっていない。
アクティブ防護システム
装甲の強化に代わり被弾自体を防ぐ防御手段としてアクティブ防護システム(Active Protection System:APS)がある。システムは多くの企業が開発しているが、実際に軍の戦車に採用されるものは数少ない。レーザー照射をセンサー類で探知し自動的に煙幕を展開するソフトキルAPSはソ連・ロシア製のシトーラ(T-90へ採用)、フランス製のGALIX(ルクレール、Strv.122へ採用)、ポーランド製のOBRA(PT-91へ採用)がある。飛翔体の接近をレーダーで探知し自動的に擲弾で迎撃するハードキルAPSはイスラエルのラファエル社製のトロフィー(メルカバMk.4へ採用)がある。一方で、探知用のレーダー波で自らの位置を暴露してしまうことや地上は空中や海上に比べて干渉要素が多くレーダー探知が有効に機能しにくいこと、ミサイルを迎撃するための反撃に、戦車付近に展開している随伴する歩兵を巻き込む恐れがある。
軽量化
戦車に対する攻撃能力の向上に対する装甲の強化によって西側戦車の重量は65トンにもなった。これ以上の重量増加は橋梁など架空構築物上の移動における重量制限等走行可能な地形が限定される、輸送や回収も高重量に対応した手段でしか行えなくなるといった問題につながる。また、戦車自体の機動性を損なわないようにより高出力なエンジンが必要となる。戦車を小型に設計すれば装甲体積が減少し、東側戦車、ルクレール、10式、K2は60トン未満になっている。
対抗兵器
対戦車ヘリコプターの出現や対戦車ミサイルが猛威をふるったことにより、一時は「戦車不要論」も唱えられていたが、湾岸戦争イラク戦争は戦車が依然として陸上戦の主役であることを見せつけた。ヘリは機動性と射程距離で勝り、装甲貫徹力は同等で、防御力と運用コストで劣る。また、撃墜に至らなくても飛行装置が破壊されるだけで無力化される。このためヘリは被弾する危険性が高い作戦には適しておらず、戦車は高い防御力を活かした行動が可能で任務による棲み分けが行われている。
無人化
遠隔操作の無人戦車も研究は1920年代から行われており長山号やアメリカ軍のArmed Robotic Vehicle (ARV) 等が試作されたが、電波妨害の問題もあり実用化はされていない[22]。また無人車両を有人車両からコントロールするロボット僚車などの研究が行われている。自律走行する陸上兵器は技術的ハードルが大きく自動運転車と平行して研究が進められている。現在でも決まったルートを偵察する動作は可能であるが、航空機に比べメリットが少ないため実用化されていない。
低強度紛争への対応
近年、戦車に新たに求められているのが、低強度紛争(Low Intensity Conflict:LIC)への対応能力である。テロリストゲリラ対戦車兵器に対する防御と、それを駆逐制圧する火器システムを備えた騎兵車輌としての能力も同時に求められており、この事がさらに開発を困難な物にしている。逆に、冷戦終結により戦車同士が撃ち合う従来の戦車戦の機会自体が失われつつあり、こうした時勢を反映して、今後の陸軍戦力の整備のあり方として、戦車と歩兵戦闘車や装甲車にヘリコプターなどを密接に統合運用する、近代的な諸兵科連合戦術に対応した戦車が求められている。
機動砲
多くの国では近代化改修などにより旧型戦車の延命処置をおこなうなどして戦車を保有し続けているが、冷戦の終結により大規模戦争の可能性は小さくなっており、低脅威度地域紛争への派兵にともなう新たな戦闘車両への要求が大きくなっている。ソマリアの戦訓やイラク戦争の戦果は装甲車歩兵戦闘車の有用性を示すものであった。戦闘車両の主敵は敵の戦闘車両ではなくなりつつあり、RPG路肩爆弾などへの防護が求められるようになっている。また決戦兵器としてではなく歩兵支援兵器として輸送に適し小型軽量、高速走行できる軍用車両の必要性が高まり、従来とは異なった兵器体系の模索が開始された。 こういった戦車類似車両を含む新たな戦闘車両体系は、いずれも味方側との無線ネットワークを使って情報化された高度に有機的な運用方法を想定しているため、戦闘車両単体での購入では能力は発揮できず、導入時には戦闘ファミリー全体の保有が求められる。このような戦闘車両が海外へ輸出販売される場合には、兵器技術の拡散という負の側面もあるが、兵器メーカーでは広範な兵器システムの売り込みが図れ、輸出国では購入国への軍事的影響力がこれまでの単体兵器以上に大きくなると考えられる。 各国の軍事費削減や緊急展開能力への要求から、アメリカ軍のストライカー装甲車の様に装輪装甲車を導入する例がある。ただし、Stridsfordon 90ASCOD歩兵戦闘車など装軌装甲車をベースにした事例もある。
76 - 105mm砲クラスの低反動砲を搭載した機動砲 (MGS) は戦車の様に火砲を搭載していることから、装輪戦車のように報道されることがある。ストライカー装甲車のMGS仕様やイタリアのチェンタウロ戦闘偵察車や日本の16式機動戦闘車などがあるが、配備旅団が全く異なるなど戦車とは別個の扱いとなっている。
装輪装甲車が対戦車用に備える火力としては、軽量・無反動で射程が長く破壊力も大きい対戦車ミサイルの方が有効であるが、反面でミサイルやロケットランチャーには一定の距離よりも遠くしか攻撃できない、発射や再装填に時間がかかり即応性に制約があるという弱点もある、機動砲はこうした即応性や、陣地破壊や狙撃手の掃討といった、高価なミサイルを使っていては費用対効果の悪い任務にも対応できる多用途性の面では優れている。
機動砲は攻撃力・防御力の面で真っ向からの対戦車戦は望めず、戦車の完全な代替には成り得ないという意見が強いが、相手が旧世代の戦車しか配備していない国、または戦車を所有しないゲリラテロリストの様な非正規勢力である様な場合はその限りでは無いともされ、今後の推移が注目される[23]。経済的に主力戦車を導入できない国がその代替として機動砲を導入する場合や、空輸での利便性が評価されて導入が進む場合が多い。とはいえ、RPGのような近接対戦車兵器は途上国でもよく普及しており、たとえばストライカー装甲車では戦車のような歩兵の盾としての役目は果たせず、イラク戦争においてはRPGへの対策としてカゴ状の追加装甲を取り付けることを強いられている。さらに走行装置にタイヤを用いるため、射撃時の安定性が戦車よりも劣り、射撃後の揺動を短時間で抑える安定化システムが必要となる。道路外での走破性も装軌式車輌に比べれば低く、機動力を維持するためにはパンクレスタイヤやタイヤ空気圧調整システムの装備も必要となる。結局のところ機動砲は火力支援のための自走砲であって、戦車を完全に置き換えるものではない。

日本の戦車開発史編集

 
千葉県陸軍歩兵学校におけるMk.IV戦車(1927年)

日本は、1915(大正4)年当時の国内自動車保有台数はわずか897台という有様であったが、他の列強諸国同様に第一次世界大戦の新兵器である戦車に早くから注目しており、ソンムの戦いの翌年である1917年(大正6年)には陸軍が調達に動き出している。1918年(大正7年)10月17日、欧州に滞在していた水谷吉蔵輜重兵大尉によって同盟国イギリスから購入されたMk.IV 雌型 戦車1輌が、教官役のイギリス人将兵5名とともに神戸港に入港した[7]

翌1919年(大正8年)に新兵器の発達に対処するために、陸軍科学研究所が創設され、以降1919年大正8年)から1920年(大正9年)にかけて日本陸軍はルノー FT-17 軽戦車マーク A ホイペット中戦車を試験的に購入して、研究している。当初は「戦車」と言う言葉が無く、「タンク」や「装甲車」と呼んでいたが、1922年(大正11年)頃に「戦う自動車から戦車と名付けては」と決まったようである。1923年 - 1924年(大正12 - 13年)頃には戦車無用論も議論されたが、1925年(大正14年)の宇垣軍縮による人員削減の代わりに、2個戦車隊が創設された。当時(大正後期)の日本の不況経済や工業力では戦車の国産化は困難と考えられたうえ、イギリスも自軍向けの生産を優先させていたため[7]、陸軍ではそれらの代替としてルノーFTの大量調達が計画されていたが、陸軍技術本部所属で後に「日本戦車の父」とも呼ばれた原乙未生大尉(後に中将)が国産化を強く主張、輸入計画は中止され国産戦車開発が開始される事となった。

戦車開発は唯一軍用自動車を製作していた大阪砲兵工廠で行われることとなり[7]、原を中心とする開発スタッフにより、独自のシーソーバネ式サスペンションやディーゼルエンジン採用など独創性・先見性に富んだ技術開発が行われた。それらは民間にもフィードバックされて日本の自動車製造などの工業力発展にも寄与している。設計着手よりわずか1年9ヶ月という短期間で1927年2月には試製1号戦車をほぼ完成させ、試験でも陸軍の要求を満たす良好な結果が得られたことから、本格的な戦車の開発が認められた[7]

その後、八九式中戦車九五式軽戦車九七式中戦車などの車輌が生産された。しかし、第二次世界大戦においては、日本は限りあるリソースを航空機や艦艇に割かざるを得ず、しかも、その間の欧州戦線での開発競争によって日本の戦車技術は陳腐化した[7]。一方で、本土決戦用に温存されていた車輌とともに、原中将はじめ開発・運用要員の多くが幸いにも終戦まで生き延びていたことが、戦後の戦車開発に寄与することとなる。

 
90式戦車(1990年)

戦後日本は非武装化されたが、共産主義勢力の台頭と朝鮮戦争の勃発により日本に自衛力の必要性が認められて警察予備隊(後の自衛隊)が組織され、アメリカより「特車」としてM4中戦車などが供給された。また朝鮮戦争中に破損した車輌の改修整備を請け負った事などで、新戦車開発・運用のためのノウハウが蓄積されていった。とはいえこれらアメリカ戦車がまもなく旧式化することは明らかであり、規格が日本人の体型にも合わないことも踏まえて、日本の国情に合わせた国産戦車の開発を目指すこととなった[7][24]

アメリカの支援などによって開発費の目処もつき、戦後初の国産戦車となった61式戦車1961年(昭和36年)4月に制式採用された。この戦車は開発時点で既に他国の水準からはやや遅れていたことは否めず、習作的意味合いが強いものであったが、続く74式戦車で世界水準にキャッチアップし、更にその後継の90式戦車で世界水準を一部上回ったといえる[7][24]

2000年代に開発された10式戦車は、全国的な配備を考慮して90式戦車よりも小型軽量化しつつ同等以上の性能を有しているとされ、特に射撃機能やネットワーク機能などべトロニクスの進歩による戦闘能力の向上が著しい。10式戦車は耐用期限到達に伴い減耗する74式戦車の代替更新として2010年度から調達が開始された。一方、2013年に25大綱と26中期防が閣議決定されたことで、今後、本州配備の戦車は廃止され、戦車は北海道九州にのみ集約配備、本州には戦車とは異なる新たなタイプの車両の16式機動戦闘車のみが配備される。16式機動戦闘車は装輪車のため10式戦車と比して火力と防護力だけでなく戦術機動性に劣るが、逆に戦略機動性は優れており、路上を高速で自走することにより74式戦車と同等の火力を素早く展開できる。本州配備の74式戦車が担っていた役割の一つ、普通科部隊への射撃支援については、16式機動戦闘車が引き継ぐことになる。

防衛省では有人戦闘車両の無人砲塔化と、有人戦闘車両と無人戦闘車両の連携に関するべトロニクスシステムの技術研究が行われている。この研究は2020年度まで行われる。

装備と構造編集

 
1:足回り 2:主砲 3:フェンダー 4:発煙弾発射機 5:対空機銃
6:機関室 7:キューポラ 8:同軸機銃 9:車体 10:車体機銃
足回り (1)
戦車は無限軌道(履帯、商標名でキャタピラ)で走行する。無限軌道の連結にはそれぞれ金属製の履帯とピンが用いられ、前後二枚の履帯を連結するのに一本のピンを用いるシングルピン方式と、二本のピンを用いるダブルピン方式とがある。走行時の抵抗を低減するために、ピン穴にゴムブッシュが設けられる場合がある。また第二次大戦後の西側陣営戦車を中心に、踏面にゴムパッドを着脱できる履帯が実用化されている。転輪は起動輪、誘導輪、転輪に大別される。転輪は金属製だが騒音や振動を軽減する目的で外周にゴム製のソリッドタイヤを装着する。ゴム資源が不足していた第二次世界大戦中のドイツソ連では、転輪内部や車軸にゴムを内蔵したり、やむを得ず全くゴムを用いなかった。またイスラエルの戦車は砂漠でゴムタイヤの破損が激しいため、一部に完全鋼製転輪を使用している。
Mk.I戦車にはサスペンションは存在しなかったが、その後の戦車においてサスペンションは必須の装備となった。二次大戦時までは複数の転輪を前後で連結する方式が大半を占めたが性能に限界があるため車体や乗員の負担が大きく、エンジン出力が大きくても機動性は低かったが、二次大戦後は機動性向上のためスウェーデン戦車で長らく採用されていた、独立懸架式の横置きトーションバーが主流となった。
スウェーデンのStrv.103は前後左右の油圧を変えることで車体の角度を変えられる油気圧(ハイドロニューマチック・サスペンション)を史上初めて実用装備した。陸上自衛隊74式戦車も同様の油気圧式サスペンションを採用しているが、この機能は地形を利用した待ち伏せ砲撃に有利である。スウェーデンでは後継のStrv.122でこの機能を廃止したが、日本10式戦車韓国K2ではこの機能を保持しており両国の防衛策に適していると言える。
主砲 (2)
1970年代に120mmクラスの滑腔砲が採用され、以降戦車砲の主流となった。加えて射撃統制に測遠機、環境センサー、砲口照合装置から得られた情報を基にデジタルコンピュータが主砲、砲塔の微調整を行うことで、あらゆる条件下での精密射撃を可能にしている。
射撃時の反動を抑えると共に、砲身後退量を抑えて砲塔を小さく済ませるため、油圧により反動を吸収する駐退機が備えられている。これがないと発射のたびに車体前部が跳ね上がるなど、車体が激しく動揺する。以前は砲口にマズルブレーキを装備したものが多かったが、射撃精度を上げるため、最近の車輌では見られない。なお、戦後の対戦車用砲弾の主力であるAPDSAPFSDSの発射時に、外れる装弾筒がマズルブレーキに引っかかってしまうというのは間違いである。
主砲の発砲時に火薬の燃焼ガスが発生するが、砲身から砲塔内へガスが入り込まないようにエバキュエータ排煙器)と呼ばれる空洞部が砲身に取り付けられる。砲身は温度差で歪みが生じるが、砲身に熱を均一に伝えることで歪みを抑えるサーマル・スリーブ(遮熱カバー)が装着される。サーマル・スリーブを装着しても砲身の歪みを完全に防ぐことは防きず、砲身の歪みをレーザー計測するボアサイト・ミラーが砲口近くに装着される。
照準器は安定化されサーマルサイトとレーザー測遠機で構成される。
フェンダー (3)
泥などが巻き上がるのを防ぐために車体両側面上部に位置する。現代戦車は強力な主砲を装備するため砲塔リングが大きいが車体の大型化を抑えるためフェンダー上部に砲塔リング用の窪みがある。
また、サイドスカートが取り付けてあるが第二次世界大戦時にドイツ軍戦車に車体から離して装着された薄い鋼板「シュルツェン」(エプロンの意味) の様に、HEAT弾を車体からできるだけ離れたところで起爆させ、メタルジェットの貫通力を抑える効果がある。なお、シュルツェンはもともとソ連軍の対戦車ライフル対策で取り付けられていた。
発煙弾発射機(スモーク・ディスチャージャー) (4)
発煙弾を撃ち出す。多くの戦車で見られ、防御戦闘時に敵の視界を遮ったり、随伴歩兵の進撃を支援したり、ミサイル防御に用いられたりと用途は様々である。一部の車輌には、エンジン排気に燃料を噴霧して不完全燃焼させ煙幕を発生させる機構を装備する物もある。詳細は発煙弾発射機を参照。
対空機銃 (5)
車長と装填手のハッチ付近の砲塔の上に搭載された機関銃であり、車長用や装填手が操作し、仰角をとり対空威嚇に用いたり俯角をとり対地掃射に用いることが可能。また、主砲に連動しない為、主砲とは別の方向を攻撃することも可能。口径は12.7mmと7.62mmどちらも現役であるが比較的7.62mmが多く用いられる傾向にある。狙撃される危険をなくすため照準用ペリスコープなどを用いて対空機銃を車内から操作できるようにしたものとしてリモート機銃が存在し、攻撃を受けやすい状況下でも機銃を積極的に利用できるメリットがある。近年ではカメラやモニター、更には火器管制装置を搭載しリモート機銃を電子化した装備としてRWS (Remote Weapon System) も採用される。
 
アージュン Mk.IIの砲塔上部に設置されたRWS
機関室 (6)
第二次大戦前まではエンジンが車体前方に搭載される場合もあったが、エンジンは給排気と放熱のために装甲で閉鎖されるのには向かないために脆弱となりやすく、被弾しにくい車体後方に搭載するレイアウトが一般的になった。当時はトランスミッションが車体前方に搭載されており、後方のエンジンと前方のトランスミッションをつなぐために長大なドライブシャフトが不可欠であったが、第二次大戦後はエンジン後方にトランスミッションが直結したMR方式が主流となった。T-44ではエンジンを横置きにすることで車体全長を短くする構造が、M26では縦置きエンジンとトランスミッションを一体化し短時間で交換できるパワーパック構造が採用され、東西それぞれで主流となった。一方でイスラエルメルカバスウェーデンStrv.103の様に、乗員保護を優先してあえてエンジン・変速機を車体前方に配して装甲の一部としている例もある。
現在はトルクコンバータ式のオートマチックトランスミッションが基本である。エンジンは通常の自動車用エンジン同様に液体を冷媒として冷却し、二次大戦時には複数のシリンダーをV型にコンパクトに配置し、東側は第1世代から西側は東側に遅れて第2世代から燃費の良いディーゼルへ移行し、第3世代から出力を増大させるターボチャージャーを搭載し、出力は1,000-1,500馬力になる。また、ディーゼルエンジンはガソリンエンジンより油種を選ばず、軽油以外でも灯油やジェット燃料などが使用できる[注 11]
巷間には引火点の高いディーゼル燃料が防御上有利との説が流布しているが、ガソリンほど引火しやすくないというだけで、気化もすれば爆発もする危険物であることに変わりはなく、利点としては副次的なものとなる。馬力を求めて選択されたガソリンエンジンがディーゼルエンジンへと更新された最大の理由は、走行距離が2倍程度に改善される燃費であり、時代が下るまでディーゼルエンジンを搭載できなかった理由は、重量あたりでガソリンエンジンの半分という貧弱な馬力にあった。M48は開発したアメリカによってガソリンエンジンからディーゼルエンジンへと変更されているが、ARCOVE(Ad Hoc Group on Armament for Future Tanks or Similar Combat Vehicles)がディーゼルエンジンへの変更を勧告した際、OTAC(Ordnance Tank-Automotive Center)は「燃費の向上に大きく貢献する場合」にのみ許可するとし、M48A1ならびにA2で行われた航続距離に関する改良は、4個で840リットルに達する投棄式外部燃料タンクの設置やエンジンのコンパクト化で浮いた車体内部容積をガソリンタンクに充てるというものだった。ノモンハン事件での日本軍の火炎瓶攻撃からソビエト軍は対策としてディーゼルエンジンへの転換を図ったとする説も誤りで、ソビエトでの戦車用ディーゼルエンジンB-2の開発は1931年に遡る。これは多くの車両に搭載され、大量生産されたが、アルミニウム製シリンダーヘッドの採用などで大出力でありながら重量はガソリンエンジン並みという高性能軽量エンジンであったこが理由である。また、日本軍の火炎瓶攻撃についてソビエト軍の認識は「数回が行われた」「10名から12名の火炎瓶装備の対戦車班があった」という程度で、日本における高い評価とは異なる。ソビエト軍が火炎瓶攻撃を重大な脅威と見做したのは冬戦争でのモロトフカクテルでの攻撃と436両に上る損害であり、フィンランド軍の教本においても火炎瓶は戦車の視界を塞ぐことを第一義としていた。日本軍においてディーゼル化が熱心に研究された理由も防御上のものではなく、乏しい資源の中で石油精製上圧倒的に歩留まりの良い軽油を燃料にするためであった。
21世紀現在では、センサー類やC4Iシステムといった多数の電子機器を常時稼動させる必要があり、停車時に主たるエンジンを停止する間の補助電源としてAPUを搭載する必要が生まれている。装甲の強化などで車体重量が増え機動性が落ちた戦車に対してより高馬力なエンジンを搭載することで機動性を維持もしくは向上させることもある。
 
レオパルト2のエンジン
キューポラ (7)
従来から司令塔、または車長展望塔とも呼ばれ、車長の外部視認用に車長用ハッチを囲むようにペリスコープが砲塔上面に備わっていた。20世紀末以降の戦車ではパノラマサイトが追加されるようになり、砲手が照準器の視界で目標を見失っても、車長が別途パノラマサイトで捉えた目標の方向へ砲塔を向けさせることができるオーバーライド能力を獲得した。近年ではサーマルサイトだけでなくレーザー測遠機を備えるようになりつつある。
同軸機銃 (8)
戦車砲に並べて取り付けられる機関銃であり、12.7mm機銃を使用するルクレール以外は7.62mm機銃を使用する[注 12]。歩兵や軽装甲車輌といったソフトターゲットに対して直接使用することで主砲砲弾の消費を抑えるよう計られた。主砲発射に先んじて同軸機銃を射撃し、その着弾を見て照準を微調整する、スポッティングライフルとして利用されていた戦車もあった。
車体 (9)
一般的には前面の左右30度の範囲が最も防御力が高く、側面、後面、上面、下面の順に防御力は低くなっていく。第3世代主力戦車からは一般的に圧延防弾鋼板の全溶接構造で、装甲板内部に複合装甲が内包される。一例として、M1戦車の試作車であるXM1においては砲塔の前面及び側面、車体の前面、サイドスカートの前方に複合装甲が内包されている。過去には鋳鋼が用いられたり、鋼板をリベット固定した事例もあった。現代戦車の砲塔側面は地面に対してほぼ垂直になっているが、第2世代戦車の様に傾斜角がある戦車では砲塔の張り出しに引っ掛かってパワーパック交換に支障が出る物もある[注 13]。また、爆発反応装甲やモジュール装甲の装着を前提として設計されている戦車の砲塔前面は楔形等の形状である場合が多い。
敵からの視認性を下げるよう全高は低く設計され、その分車内容積を確保するために全幅と全長(特に全長)が大きく取られる傾向にある。車高を低くすることは暴露面積の減少、特に最も重量がある前面装甲の減少につながり、重量軽減や走行時の安定性にも貢献する。ただし車高を下げ過ぎると、主砲の俯仰角が制限されたり、操縦手の着座姿勢が極端に不自然になるといった欠点がある。T-62は砲塔を小型化したため主砲の俯角を6度までしか取れず、中東戦争では地形を利用した伏せ撃ち射撃ができず多数が撃破されている。
多くの戦車での外見塗装は複数色の迷彩塗装だが、単に1色で塗装される場合も少なくない。近年では赤外線探知を回避するために、赤外線波長域まで迷彩塗装が考慮されている。現地の環境に適した塗装でない場合は、上から再塗装したり現地の植物等を括り付けることもある。
車体機銃 (10)
第二次大戦時までは車体に備えられた機銃を操作する機銃手(無線機が搭載されている戦車では通信を担当する無線手の役割も兼任した)が操縦手と隣り合って搭乗したが、車体機銃は装甲板にマウントを設けるため防御面での弱点になり、無線機が進歩すると車長が自分で扱える様になり無線手の存在意義も薄れていった。アメリカ軍戦車では無線機は装填手が扱うもので機銃手に与えられた役割は副操縦手だった。T-44で世界に先駆けて機銃手が廃止され、以降の戦車の定員は、車両の操縦を行う操縦手、車両の指揮を執る車長、主砲を照準し射撃を行う砲手、砲弾の装填を行う装填手の4名もしくは自動装填装置(オートマチック・ローダー)を搭載し装填手を除く3名となった。基本的に機銃手の廃止と同時に車体機銃も廃止されるが、T-44のみ機銃手用の車体機銃が操縦手が扱う固定式の機銃として残りT-55に至るまで続いた。精密な射撃はできないが敵陣を威嚇する効果を期待したもので、現代のロシア製歩兵戦闘車などに受け継がれている。
近接防御兵器
車内から装填できる擲弾筒を砲塔などに装備している戦車もあり、イスラエルのメルカバは砲塔に装備した迫撃砲をMk.IIで車内からの装填できるように改修した。また第二次世界大戦時のドイツ軍戦車の一部には、Sミーネ(Sマイン)と呼ばれる対人攻撃用の跳躍地雷を備えるものがあった。ただ、現在でもこの種の装備が搭載された戦車は主流にはなっていない。
弾薬庫
初期の戦車では砲弾は車体側面・砲塔後部・床下・砲塔バスケット周囲など、詰め込めるだけ詰め込まれ、被弾時の砲弾の誘爆に関してあまり考慮されていなかったが、T-44は操縦手席横に予備弾薬庫を搭載し、この構造が以降の標準となった。しかし、以降の戦車でも砲塔に即用弾が搭載されており完全な誘爆対策はされていなかった。
T-72では自動装填装置が採用されM4中戦車同様に車体底部に弾薬庫を配置し、弾薬庫と戦闘室を装甲壁で仕切り、装填作動中のみ装甲ドアが開く設計が採用され東側で標準となった。また、M4中戦車同様に弾薬の誘爆によって戦闘室に被害が及ぶ欠点がある。
レオパルト2では屈む動作を無くすため砲塔後部に弾薬庫を配置し、東側同様に装甲壁や装甲ドアで仕切るだけではなく、弾薬の誘爆で生じる爆圧で弾薬庫上面の装甲が吹き飛ぶ事で爆風等を外部へ逃がし、戦闘室の被害を最小にする「ブローオフパネル方式」が採用され西側で標準となった。湿式弾薬庫を採用していたチャレンジャー戦車も弾薬庫を装甲化した。ルクレール、10式、K2といった砲塔後部から自動装填を行う戦車では車内から弾薬庫へのアクセスが悪いため外部から直接弾薬庫へ砲弾を入れるための給弾口を設けている。T-90Mは予備弾薬庫ではあるが西側同様に砲塔後部の弾薬庫を持っている。 砲弾が大型化すると携行弾数が少なくなる傾向にあり、105mm砲を搭載した初期のM1では55発であり120mm砲を搭載したM1A1では40発になっている。
 
レオパルト2の戦闘室内から見た砲塔弾薬庫
弾薬
陣地や兵員装甲車のような軽装甲目標には、モンロー/ノイマン効果によって(化学エネルギー)装甲を貫徹する成形炸薬弾 (HEAT) が使用される。成形炸薬弾は榴弾の特性も備えるため陣地に籠っていたり車両外に展開している敵兵を巻き添えにすることができる。イギリスのチャレンジャー2は炸裂時の衝撃によって目標の内部を破壊する粘着榴弾 (HESH) を成形炸薬弾と同じ用途に使用する。
戦車のような重装甲目標には、多くが速度と重量によって(運動エネルギー)装甲を貫徹するAPFSDS(装弾筒付翼安定徹甲弾)が使用される。飛翔貫徹抵抗と重量を両立するため針状の弾芯を持つ。 東側戦車独自の砲弾として、歩兵のような非装甲目標に使用する榴弾や、砲発射型対戦車ミサイルがある。後者は高価なため東側戦車自体を採用している国でも配備・運用されない場合が多いが、類似装備のLAHAT対戦車ミサイルがメルカバで使用されている。
 
ソ連の125mm滑腔砲弾
砲塔バスケット
砲塔に付随する吊下げ式のカゴ。これがあると、その底(床、プラットフォーム)に装填手が立つことで本人も砲塔と一緒に回り、装填作業が楽になる。戦車長や砲手は、砲塔に付いた座席に座っているので関係ない。T-34をはじめとする多くの第二次大戦時の戦車や、戦後のT-64、T-72、T-80などの床下に弾薬が環状に収納されている東側戦車は装備せず、西側戦車は自動装填装置の有無に関係なく砲塔バスケットを装備する。
自動装填装置
射手の選択指示に従って、装填手に代わり自動装填装置が砲弾を弾薬庫から受け取り、主砲へ自動的に装填する。人間の占有スペースが削減できるため、戦車を小型に設計しやすく高い機動性を持たせることが可能。人数の減少については人的損耗や給食などの補給、人件費や教育訓練の負担などが軽くできるが、故障リスク増大や人的冗長性の低下、戦闘時以外での保守整備と警備人員の減員が問題となるため、早計に機械化が有利とは決められない。
装填速度も毎分15発程度と早い一方、錬度の高い装填手であれば数発までは同等の速度が可能だが、荒地での走行間射撃や長い連続発射時には差が生まれる。人力で円滑な装填動作を行うには砲弾重量は20 kg 程度の120mm弾や125mm弾までが限界とされており、これを越える140mmといった砲弾は発射薬が分離されるか、完全に自動装填装置によって扱われる必要がある。また、被弾時の火災の延焼を避けるため、従来の油圧は避けて電動になる傾向がある[25]。全東側戦車は自動装填装置を装備し、西側戦車ではルクレール、10式、K2が自動装填装置を装備する。イスラエル陸軍では3人だけでは整備や周囲警戒、防御陣地の構築などの非乗務作業を行うには負担が大きすぎるという考えや、戦闘によって1名でも負傷すれば直ちに有効な戦闘が行えなくなるという冗長性の不足を指摘する声があり、戦訓により「戦車を守るには最低4人必要」としているため同軍のメルカバは装填手の負担を軽減する半自動装填装置を装備している。
ハッチ
光学機器が発展した現代でも目視で周囲を警戒することは効果的である。とくに車長用のハッチとして、閉鎖姿勢(水平状態)のまま少しだけ浮かせて、ハッチを天蓋代わりにして、その下のすき間から周囲を視察できる機構を持つ製品が登場している。これは従来の大きく開くハッチでは、乗員が目視を行う際に頭部が無防備になる欠点を克服したものである。操縦手用ハッチは砲塔や主砲に干渉しないよう横に回転して開き、ハッチに潜望鏡が取り付けてある場合が多い。
潜望鏡
かつて、ハッチを開けて外部を直接視認するのが危険な戦闘中には、ハッチを閉め安全な車内から銃弾や弾片が飛び込まないように細く長いスリットを通して外部を視認していた。旧日本軍では「車内から外を覘く孔」という意味で「覘視孔(てんしこう)」、ドイツでは外部に開閉式のカバーを設けたスリットをクラッペ(Klappe)と呼んでいた。八九式中戦車の操縦手用前方視察窓は、小窓とスリットないし小穴を設けた円盤とを重ねたもので、円盤を電動モーターで回転させてストロボ式に視界を得ることで、広い視野と被弾時の防護を両立させようとしていた。しかし単純なスリットだと細かい弾片が車内にまで飛来することがあり、次第に車内側に防弾ガラスをはめ込むようになった
こうしたスリットは構造上被弾に弱いため、第二次大戦中には多くがスウェーデン戦車で長らく採用されていた間接視認型の潜望鏡へと移行し、現在ではスリットは軽装甲車輌にのみ使われている。車長用には全方向を視認できるように配置され、操縦手用には前方を広範囲視認できるように配置され、装填手用には側方や前方を視認できるように配置され、砲手用は無い場合が多い。基本的に、複数の固定式ペリスコープが乗員を囲むように配置されるが、M1とチャレンジャーの装填手用ペリスコープはそれ自体が回転する。20世紀末からは可視光や赤外線によるカメラの映像取得や、21世紀の現在では車体各部のカメラ映像を統合処理して全周の外景を映し出す画像システムも開発されている。
電子機器(ベトロニクス)
20世紀末からは戦車にも、航空機搭載の電子機器であるアビオニクス(Aviation+electronics=Avionics)にならってベトロニクス(Vehicle+Electronics=Vetronics)と呼ばれる高度な電子機器が装備されるようになっている。ベトロニクスには、火器管制装置通信情報共有システムGPS敵味方識別装置、車外監視システム、攻撃警戒システム、動力系制御装置などが連動されており、必要に応じて切替可能な表示装置によって乗員の意思決定を助け迅速な操作を可能としている。
武器
乗員が降車したり、戦車を放棄して脱出したり、弾薬が完全に尽きたときなど戦車兵といえども車外で活動する機会は多く、護身用に最も小型で邪魔にならない銃である拳銃を携帯している。また、車内には手榴弾短機関銃カービン銃(短縮小銃)、折りたたみストックの小銃といった火器が搭載されている。
換気装置
二次世大時戦までの戦車は単純な換気扇を備え、エンジンや火器から発生する有毒ガスを排出するだけであった。当時日本軍の戦車は独立した換気扇を持たず、ハッチや視察窓を開くか、空冷エンジンの冷却ファンが回ることによる限定的な外気吸い込みで換気を行っていた。T-55では核・生物・化学兵器に対する生残性を向上させるためこれらの有害物質を除去するフィルターを換気装置に装備し、以降戦車に必須の装備となった。
自動消火装置
戦闘室やエンジン室に取り付けられ、被弾時の延焼拡大を防ぐ。人体に有毒な消火剤を用いるものもあり、戦闘室で消火装置が作動した場合には、乗員は戦車から脱出しなければならない。
トラベリング・ロック
移動・輸送中に主砲身を固定して、振動や周囲との接触による破損・故障を防ぐための支持架。一般に車体後部に位置しており、砲塔を後ろ向きにして固定する形式の車両が多い。
ウインカー
第二次世界大戦後の日本・ドイツ・イギリス・フランスなどの戦車には、一般道路走行用のウインカーが装備されている。戦闘時には不要なため取り外しできるタイプもある。
ウィンカーを持たない戦車が平時や戦線後方地域で走る際には、戦車長がハッチから半身を出し、操縦手にインターホンで進路を指示しつつ、自転車など軽車輌と同様に、周囲に手信号で曲がる方向を示す。
エアコン
かつての戦車内は蒸し風呂のような状態であった[26]が、乗員や電子機器を熱疲労やオーバーヒートから保護するために近年ではエアコンシステムが搭載されるようになりつつある。ただ、戦闘行動中は探知センサーの感度を保持する必要から使用しないとされる[要出典]
車外装備品
OVM(On Vehicle Material)とも呼ばれ、予備の覆帯や牽引用のシャックル・ワイアー、ハンマー、ピッケル、シャベル、消火器、雨よけシート、テント、河川渡渉用の延長排気パイプ、機関銃用の弾薬箱などを車体外部に付けていることが多い。この他に整備・修理に用いるジャッキや履帯張度調節器、汎用工具も備えている。ソ連/ロシア戦車では悪路脱出用の丸太と多用途の防水シートが標準装備されている。予備履帯は防御上の効果を狙って、車体前面や砲塔側面にびっしりと取り付けられる場合があった。砲塔を囲うように配置された工具箱(ルクレール)も存在する。
第二次世界大戦時のドイツ戦車の砲塔後部にもゲペックカステン(Gepäckkasten)と呼ばれる用具箱がつけられており、中に工具や乗員の私物などが入れられていた。
第二次世界大戦後は装甲外部に装備品を収納する雑具箱を有する戦車が増えた。これは雑具箱を一種の空間装甲として、成形炸薬弾 (HEAT) への防御とするためである。現代の戦車では、砲塔後部に荷積み用のバスケットを有しているものが多い。
 
車体前面の上側に増加装甲、同下側に予備履帯が取り付けてある99式戦車
インターホン
車体外部(主に尾部)に取り付けられた通話器で車外の歩兵と車内の乗員とが通話できるようになっている[27]日本では、戦後初の国産戦車61式戦車から装備された。
地雷処理装備
対戦車地雷を排除するため車体前方に取り付ける装備。車輌幅全体や履帯が通過する幅の地雷を除去することで安全な通行帯を構築する。
大きな(プラウ)で掘り起こすタイプの他、重いローラーで地雷を起爆させるタイプもある。
ドーザーブレード
土砂をかくためにブルドーザーの様な排土板(ドーザーブレード)を装備することもある。本格的な塹壕を構築することは出来ないが、装備していれば歩兵が身を隠せる盛土を作ったり、整地して後続車両の進路を確保するなど簡易のブルドーザーとして行動できる。
舗装された都市部においても車両やバリケードの撤去に有効なため、市街戦が想定される際には装備される。

過去の装備編集

ピストルポート
車外を射撃するため各部に設けられた銃眼。撃つとき以外は閉められたが、装甲板にピストルポートが開けられている場合には防御上の弱点になり得る。また車内には大型の火器は持ち込めず、射角も限られたため、接近する敵歩兵を牽制する程度しか出来なかった。
ガン・ランチャー
シェリダン、M60A2、MBT-70で従来の主砲に代わり装備された対戦車ミサイルの発射に特化した砲。構造が複雑で整備面やコスト面から実用性に乏しくMBT-70では試作のまま終わった。
床下脱出口
戦闘時に車体上のハッチから脱出するのは極めて危険である。このため、車体底面や側面に脱出口が設けられる場合があった。ただし、側面のばあい走行装置との干渉を避け、車体底面と地面との間に十分なクリアランスがあることが必要である。また、トーションバー・サスペンションを採用している車輌では床下に横棒が通る構造上、脱出口の設置位置に制限がある。
近年の戦車では地雷に対する下部の装甲強化のために持たないものが多い。イスラエルのメルカバ戦車では車体後部に乗降ハッチが設けられており、乗員の脱出や弾薬補給に有利である。
千鳥型転輪
かつてのドイツ重戦車は転輪が千鳥型に2重、3重なって荷重を分散するようにしていたが、構造が複雑で大した効果がなかったため衰退し、同重量の現代戦車でも転輪は1列に並べてある。
補助燃料タンク
 
T-72戦車の増加燃料タンク(1971年)
21世紀現在では行われないが、航続距離を伸ばすために車内搭載の燃料タンク以外に補助の燃料タンクを車内に搭載されることがあった。また、車体の側面や後部に専用の補助燃料タンクが備えられるものもあった。
燃料タンク等をHEAT弾に対して装甲内に空洞を待たせることで対応するスペースドアーマーとして利用する試みもなされ[注 14]、21世紀の現在でもプラスチックやディーゼル燃料を充填する試みが行われている[注 15]
たとえ引火点の高いディーゼル燃料であっても、高温の砂漠地帯等で気化したり、榴弾の爆発の高温では引火して延焼の危険があったため、非常時や戦闘時のために車内から操作して投棄可能なものが多かった。
第二次世界大戦中に燃料補給の利便にジェリカンが発明され、補助タンクとして車体外部に大量に搭載している例も見られた。第二次世界大戦後のソ連製戦車の場合、フェンダー上などにも露出した固定式の燃料タンクが搭載されたものが多いが、中東戦争では実際これらに着火してしまうことが多かった。
潜水筒
74式戦車やレオパルト1、T-62など一部の戦車は、河川を潜水して渡るために、キューポラや吸排気口に装着する潜水筒が用意されていたが、装脱着に時間がかかることや浸水などのトラブルが多かった。すべての車輌に使用頻度の少ない渡河器材を装備することの非効率性もあり、現在では架橋車両を用いることが多い。
手摺
第二次世界大戦中のソ連軍では不足していた装甲兵員輸送車の代わりに戦車や自走砲の車体や砲塔側面に手すりを付けることで、タンクデサントと呼ばれる跨乗歩兵を輸送した。戦車と歩兵を相互に援護させることができた反面、戦車の外面に取り付いた歩兵達は無防備であり、敵陣への正面攻撃には不向きであった。見た目が勇ましいので、第二次世界大戦後も東側のプロパガンダ映像によく登場した。これ以外にも戦車への乗降用に設置された手すりもあり、現地改造で追加されたものも見られる。
ツィメリット・コーティング
第二次世界大戦時に戦車攻撃用の磁力吸着地雷を開発したドイツ軍は、同様の兵器への対策として、硫酸バリウムにおがくずや黄土顔料を混ぜた、「ツィメリット剤」を自軍の戦車へ塗布していた。だが連合軍は磁力吸着地雷を使用せず、生産の手間や重量を増加させるだけだったので大戦末期には中止された。第二次世界大戦後期のドイツ戦車には重量軽減や剥離防止のために独特のパターンが刻まれており、車体表面がギザギザして見えるのはこのためである。
「セメントコーティング」とも云われ、「ツィンメリット」と表記される場合もある。「ツィメリット」、または「ツィンメリット」とは、この塗料を開発したツィンマー社にちなむ名称である。

兵装編集

砲戦距離は地形条件により変化するが、1967年のゴラン高原での戦車戦では900 m から1,100 m の射程で戦闘が行われており、ヨーロッパでは2,000 m 程度で生起する想定がされている。一般に、1,000から3,000 m の距離で敵戦車と対峙した場合、3発以内で命中させないと相手に撃破されると言われている[28]

装甲編集

重量と防御力を最適化するため、戦車の装甲厚は敵と向き合う砲塔前面や車体前面が最も厚く、一方で上面や底面が薄く造られている。現在の主力戦車の正面装甲は、対抗する主力戦車が搭載する火砲に対し1,000 m で攻撃を受けても耐えることが求められているとされるが、実際には常に競争を続ける盾と矛の関係であり、防護性能より火力性能が上回ることが多い[29]

乗員編集

 
第二次世界大戦時のアメリカ陸軍の戦車兵。専用の樹脂製ヘルメットとつなぎを着用している。
 
戦車の乗員、T-72ソビエト連邦)。1.操縦手 2.車長兼測的手 3.砲手
服装
戦車兵の軍服は狭い車内で活動するため、他の兵科より裾を短くするなど、引っかからないように工夫されている。第二次世界大戦後になるとつなぎタイプの軍服を採用する軍隊が多数を占めるようになる。さらに生存性を高めるためボディーアーマーを着用することもある。戦車内部は狭く頭をぶつける恐れが高いので、衝撃から頭部を守るための戦闘帽(戦車帽)や革ないし樹脂製のヘルメットを被る。これらも車内装備やヘッドホンに引っかからないように縁が切り落とされている専用設計のものが一般的である。ドイツの国防軍などは当初戦車兵にクッション入りベレー帽を支給したが、第二次世界大戦開戦以降になると、車内では一般的な軍帽(将校野戦帽、略帽、規格帽など)で活動し、脱出時には車外装備品の歩兵用ヘルメットを着用するようになった。
車内はエンジン音や履帯の走行音などで騒がしいため、耳の保護と通話のためのヘッドセットが組み込まれたヘルメットを着用していることが多い。その場合、それぞれの席にはインターホンのジャックがある。
履物については他部隊と同じ場合もあるが、戦車兵専用品を用いる事例がある。旧日本軍の編上靴(足首までのショートブーツ)では、革製の靴底に滑り止めの金具を打ったものが一般的だったのに対し、戦車兵用としてはゴム製、または金具が無い革製の靴底が採用されていた。
ハッチを開けた状態で舗装されていない場所を走行すると、乗員が巻き上がった土砂や砂塵にさらされるため、目を保護するために防塵眼鏡が多用される。
車内環境
車内は圧迫感の緩和と少ない光量で効率的に照明が行えるように白色系の色で塗装されることが多い。車種によってはトイレが標準装備されている(メルカバ戦車など)が、一般にはポータブルトイレキットを使用する。
乗員の配置
乗り降りの際に主砲が邪魔になるため操縦手席は車体前方の右ないし左に位置する事例が多いが、T-64以降のソ連・ロシア製戦車やM1エイブラムスチャレンジャーなどでは車体中央に設けられているため人員の脱出効率に影響が出る。一般的に車長席は砲手席の後方に位置し、主砲をはさんだ反対側に装填手席が位置する。自動装填装置を搭載する車両は車長と砲手が主砲をはさんで隣り合う。

走行装置編集

履帯編集

戦車はキャタピラ、または無限軌道と呼ばれる走行装置によって、車体を支え走行する。

多くの場合現代的な無限軌道は、鋼製の履板(りばん)を1枚ずつキャタピラピンで接続したもので、転輪を一巡する輪を構成する。この帯状のものは履帯(りたい)、キャタピラ、無限軌道と呼ばれる。また履帯と走行用の車輪、起動輪、誘導輪、上部転輪などの走行装置をもつ車輛を装軌車両と呼ぶ。

履板は1枚1枚がピンによって連結され、地形に追従して転輪を支え、穴や溝に差し掛かっても一種のフタのような役を果たして転輪を落としこまない。このような働きによって、装軌車両は、装輪車両では通過できないような不整地や、砲弾の炸裂痕に満ちた大地、壕の設けられた戦場を走破、また鉄条網が引かれた阻止線を突破できる。履板を備えた無限軌道は、タイヤなどに比べて地面と接する面積が広い。これにより荷重が分散され、泥濘のような多少の不整地でも走行できる。また接地面積が広いことから、トラクションをかける力が高く、装輪車両では滑ってしまうような路面でも進んでいける。こうした能力は「不整地走破能力」と呼ばれる。多少の幅のある壕も越えて行け、これは「越壕能力」と呼ばれる。段や堤も通常のタイヤ方式(装輪式)よりは高いものまで越えられ、「越堤能力」と呼ばれる。履帯は接地している地面と大きな摩擦を生むため、「登坂能力」にも優れる。浅く川底の状態の良い河川ならば渡渉が可能である。

履帯はエンジンから出力される動力によって駆動するエンジンは変速機、操向変速機、最終減速機を経て起動輪へと動力を伝える。起動輪とはエンジンの駆動力を履帯に伝える車輪である。起動輪には歯輪が取り付けられており、履板に設けられた穴へ歯をかみあわせて履帯を動かす。

変速機はエンジンから出力された高回転の動力を順次低回転に調速し、ゆっくりしているものの強い力で数十トンの質量を動かすだけのトルクを作り出す。動力はさらに操向変速機へ送られ、ここで左右の履帯へ分配される。操向変速機によって履帯は動力を増減し、または停止させられる。これによって装軌車両は向きを変えたり、緩く円を描くような旋回、または急旋回を行える。ブレーキは操向変速機に組み込まれており、走行中の減速に使用される油圧多板ディスクブレーキと停車中のパーキング・ブレーキがある。一部の戦車ではディスク・ブレーキに加えてオイル式のリターダを備える。

履帯による操向は左右起動輪の回転数の調整(差)によって行われる。単純な進行方向の変更では左右回転数の小さな差で行われるが、片側の履帯を停止したまま逆側の履帯を動かすことで「信地旋回」と呼ばれる停止側の履帯を中心とするほぼそのままの位置での旋回が行える。また、左右の履帯を互いに逆回転させることで「超信地旋回」と呼ばれるその場で旋回が行える。

上記のように履帯は多くの長所を備えるが、短所も多い。履帯による走行はエネルギーロスが大きく、速度や燃費が犠牲になっており、装輪式のようにパンクはしないが、片方の履板1枚のキャタピラピンが切れたり、履帯が車輪から外れれば、その場で旋回する以上の動きは出来なくなる。履帯は騒音と振動も大きく、騒音は戦場での行動において容易に発見されることを意味し、振動は車載する装置の故障の原因となり乗員を疲労させる。路面の状況によっては大きく砂塵を巻き上げて自ら位置を露呈してしまう。またキャタピラと転輪類そのものが車重全体に占める重量も相当なものであり、大きなものでは履帯1枚が数十kgになる場合もあり、これを連結する履帯も数トンの重さとなる。装軌部分は車輛の側面の多くを占め、体積としても装輪車両より占有率が高い。

操縦手は、ステアリングハンドルとアクセルペダル、前進・後進を選ぶセレクター・レバーの操作によって、比較的簡単に操縦できる[20]。第一次大戦中の戦車はこのような機構は未熟であり、右履帯用のエンジンと左履帯用のエンジンを備え、車輛の向きを変えるにはエンジンの回転数を変えてステアリング操作を行うようなものもあった。戦間期から第二次大戦中にトランスミッションは進化し、単純なクラッチ・ブレーキ式のような機械式変速機から、流体変速機のような無段階式・オートマチックな変速機へと変遷した。

戦車の行動に適した場所としては開けた土地が挙げられる。これは戦車が攻撃に投入される兵科であり、速度と突進力を生かした機動がその戦術的な価値を高めるからである。電撃戦における機甲部隊は、迂回し、突破し、後方へ回り込んで敵の司令部、策原地などの急所をたたくことが用法の主たるものである。防御戦闘、市街地の防衛などは戦車の任務として本来不適である。戦車は開闊地(かいかつち・Open terrain)や多少凹凸のある波状地 (Rolling terrain) において本来の機動力を発揮できる。反対に密林地帯や森林地帯のような錯雑地 (Closed terrain)、都市部、急峻な山岳地帯、あるいは沼沢地のような車両の進入を拒む場所は、戦車の機動が阻害されるので不適な場所とされる。泥濘も履帯に絡みつき、転輪や起動輪を詰まらせて走行不能にすることがあり、不適である[30]

渡河編集

橋梁による河川の通過は橋の強度が求められ、橋に頼れば移動経路が制約されて、戦争時には意図的に破壊されることもあり作戦上は好ましくない。履帯が隠れる程度の浅い河川では多くの戦車が渡河が可能である。車体を水密にすることで、エンジンの給排気だけ確保すれば水中でも[注 16]短距離であれば川底を走行することで渡河できる可能性が高く、給排気管や給排気塔と呼ばれる専用装備が用意される戦車もある。ただし運転席が水面の下に入ると目視での運転ができなくなり、計器頼りとなる。また中空構造の戦車が水中に入るとそれなりに浮力がかかり、その分無限軌道と水底との間の摩擦力が減ることから、走行は陸上よりも難しくなる。

戦車だけでなく車両全般の渡河を行うため、専用車両や舟艇が存在する。比較的狭い幅の川では、架橋戦車と呼ばれる戦車相当の車台上に折り畳んだ橋梁構造を固定運搬し川辺から素早く展開設置する機能を持った装甲車両が使用される。また、幅の広い河に対しては架橋戦車の数両分で橋脚を備え連結出来るものも存在する。ポンツーンやポンツーン橋と呼ばれる小型艇を数艇以上を川面に並べることで応急・簡易に戦車等が渡河可能とするものもあり、さらに広い河ではこれを橋ではなくとして使用することもある。この専用運搬車両も存在する。

兵器産業における戦車編集

工業製品編集

殆どの兵器は開発・製造に高度な専門技術と産業基盤が要求される工業製品である。戦車も例外ではなく滑腔砲や複合装甲等の軍事技術力、通信機器、暗視装置、測遠機、弾道計算機といった電子技術力が要求される。東側戦車はソ連、西側戦車はイギリス、アメリカ、フランス、ドイツ等の先進国が開発しているが戦車の構成部品全てを開発・生産するのは困難であり、他国から一部の機器を輸入する例は珍しくない。そのため多くの国は配備する戦車を輸入に頼っており、戦車生産国はこういった国々へ輸出することによって経済的利益や量産効果による調達価格の低減と共に、軍事・政治的影響力の確保を図ろうとする。兵器メーカーが輸出専用の車輌開発を行う場合もある[注 17][注 18]。現代の戦車は車体はそのままに主砲や装甲の改良、最新電子装置の搭載などの付加や交換による近代化改修が行われている。これは軍事予算の限られた途上国の軍隊が、旧式化した先進国の中古の陸上兵器を改修し実用的な兵器として運用していた手法[注 19]と同様で、こういった改修は[注 20]性能が低く戦力面で足手まといになる旧式戦車が消耗される利点がある。21世紀に入ってからは、戦車自体の輸出だけでなく生産技術の輸出も行われるようになり韓国やトルコの様に国産戦車の開発と生産を行える国が増えつつある。

発展途上国においては旧式戦車であっても貴重な戦力であり、半ば放棄されたようなスクラップでも火力支援用途で投入されることが多い。これらの戦車は原型を留めないほど改修されて現地で使用されており、砲塔を地面に埋めてトーチカ代わりにしたり、トラックやトレーラーに砲塔を移植するなど強引な改造をされる例が後を絶たない。これら戦車のスクラップも発展途上国では価値ある中古商品として取引され続けており、退役した戦車をこれらの国々に売り払う軍も少なくない。

冷戦期には、世界中の国々が陸上戦闘での主戦力となる戦車を多く保有していたが、冷戦終結後は脅威の減少[注 21]に伴う軍事費の削減によって、旧式化した大量の戦車と同数の新たな戦車を導入するだけの予算は与えられなくなった。また、多くの国での戦車保有数は100輌単位だが、アメリカ、中国、ロシア等の超大国での戦車保有数は1,000輌単位となっている。

戦車の弱点と対戦車戦編集

戦車を相手に戦うことを「対戦車戦」、戦車を攻撃するための手段を「対戦車兵器」とそれぞれ呼ぶ。

戦車は開口部が極端に少ないため、視界は狭く死角が多い、また外部音が遮蔽され乗員は周囲の音を感知することが困難であるという弱点・欠点がある。反対に、戦車は車体や走行音が大きく、エンジンなど熱源を積んでいるため、暗視装置など技術機材の有無を問わず敵からは察知されやすい。戦車の前面は厚い装甲により防御力は高いが、左右側面・上下面・後面は装甲が比較的薄い傾向があり弱点になっていることが多い。ハッチ、外部を観察するための光学装置、履帯や転輪も破壊しやすく、戦車の弱点である。

戦車と戦う側からすると、敵戦車の弱点を見極めてそこを攻める必要が出てくる。歩兵は物陰に隠れたり地形に潜んで、戦車を奇襲的に攻撃することができる。攻撃機や武装ヘリコプターといった航空機は戦車からは察知されにくく、戦車砲を指向させにくい角度の上空から一方的に戦車を攻撃することができる。

戦車が登場した当初に行われた対戦車攻撃としては、地雷を用いて戦車の履帯や底面を破壊する、歩兵が肉迫して手榴弾や爆薬を投げ込む、野砲が直接照準で射撃するといった方法があった。その後、戦車の装甲をも貫くような小火器用の徹甲弾や、対戦車ライフル・対戦車砲が開発され、それを用いて戦車の装甲ごしに内部の乗員や機材を殺傷・破壊する、という方法も行われるようになった。

その後、個人が携行することが可能な対戦車ロケット無反動砲対戦車ミサイルが普及したことにより、離れた位置から戦車への攻撃をしかけることが可能になった。これにより、それまでの「戦車の歩兵に対する圧倒的な優位」の状態が一気に崩れ、立場が逆転してしまった。つまり歩兵は、比較的安価で入手しやすく、取り扱いが軽便な携帯用対戦車兵器を用意しておくことによって、一台あたり数億円~十数億円ほどもする高価・高コストな敵戦車[31]を撃破することができるようになった。さらにゲリラ的な小組織や個人でさえも敵正規軍の戦車を撃破できるという事態になり、長年に渡り莫大な開発費用をかけて戦車を開発してきた研究者・兵器産業や軍関係者に与えたショックは大きかった。

これにより、戦車に乗り込む戦車兵は敵の対戦車兵器に備えて常に周囲を警戒する必要に迫られ、第一次世界大戦で戦車が登場した当初の「味方歩兵を護るために戦車が先行し、彼等のための壁になる」という図式が成り立たなくなり、「戦車を敵歩兵から護るために、歩兵を先行・随行させる」という状況に陥ってしまった。戦車を運用する側は戦車を単独で進めるのではなく、視界の広い歩兵を随伴させ、歩兵の警戒と小火器による牽制・制圧で敵方の対戦車戦闘を困難にさせなければならなくなった。それに対して対戦車攻撃を仕掛ける側にとっては、まず敵戦車に随伴する歩兵を無力化、あるいは両者を分断してから戦車を攻撃する必要性が生まれ、彼我の駆け引き・せめぎあいが行われるようになった。

最新の戦車は前面だけでなく全方位に装甲を施したりモニターやセンサー類を充実することで不利を補おうとしているが、それでもなお充分とは言えず、随伴歩兵との連携を必要としつづけている。歩兵が戦車の外に直接同乗するタンクデサントは歩兵の視野の広さと戦車の機動力を得られる反面、むき出しの歩兵は敵からの攻撃にたいして無防備であり、常に推奨される戦法とは言えない。RWSは周囲を監視するセンサーと対空攻撃を両立できる装置であるが、高価で装置自体が万全とは言えないためUAE、米陸軍、カタール、ロシア等の国でのみ普及している。ロシアでは味方戦車を敵歩兵から守ることに特化した戦闘車輛であるBMP-Tシリーズが開発されている。

また戦車は大きく重いことから交通路には制限があり、防御側はこれを利用して対戦車壕や対戦車用バリケード、対戦車地雷等の障害物によって自由な移動を阻害する。戦車は車体の大きさから停止して動けない状態では容易に狙い撃ちされるため、走行不能な状態に陥った戦車の自衛戦闘には限界があり、味方の救出が間に合わなければ乗員は脱出を強いられることになる。

対戦車地雷編集

歩兵による攻撃編集

対戦車ライフル

第二次世界大戦初期までは、歩兵用の対戦車兵器のひとつとして対戦車ライフルが用いられていた。人力で運搬・射撃する都合上、威力を向上させようとすると重量・反動が増大して運用が難しくなる。戦車の装甲が強化されるに従い、対戦車兵器としては衰退した。

ロケットランチャーや対戦車ミサイルなど

第二次世界大戦後期にはバズーカパンツァーファウストなどの個人携帯式のロケットランチャーや無反動砲が用いられるようになった。これらの兵器は成形炸薬によるモンロー効果を用いた成形炸薬弾(HEAT弾)を使用し、人間が受け止められる反動以上の対戦車戦闘力を歩兵にもたらした。

1970年代には、誘導装置を備えた対戦車ミサイルにより歩兵の対戦車戦闘力が大きく強化された。第四次中東戦争中の1973年10月8日に発生したエジプト軍第二歩兵師団とイスラエル軍第190機甲旅団の戦闘では、エジプト軍がRPG-7AT-3「サガー」を大量に装備して迎え撃った。随伴歩兵を伴っていなかったイスラエル軍戦車はこうした対戦車攻撃を満足に防げず、約120輌の戦車うち100輌近くが約4分間で撃破された。経済力や産業力がある強国が経済力にものを言わせて戦車で侵略してきても、戦車を持たない弱小国・小規模な武装組織・個人がこれを迎撃できるようになったということが世界中に理解された。反面では、いわゆる低強度紛争(LIC=Low Intensity Conflict)が増える要因ともなった。とくにソ連で開発されたRPG-7は簡単な構造で、途上国でも簡単にコピー生産できるため、弾頭は無誘導式ながら歩兵用の対戦車擲弾発射器として世界で広く使用されている。

その後は携帯式対戦車兵器の威力に対抗できるよう、爆発反応装甲や複合装甲といった技術が進化し、歩兵による戦車の撃破はかなり困難になった。一例として、元来は戦車の弱点である上側や下側の表面に増加装甲を加え、外部からの攻撃効果を薄めるものなどが登場した[32] それでもなお、戦車の側面・後面や走行装置等の弱点を狙ったり、タンデム弾頭や地面設置型のミサイルを使用するなど、状況は限られるものの撃破自体は不可能ではない。

有効な対戦車兵器が無い場合

火砲やロケットランチャーといった対戦車兵器を使えない場合、太い木や鉄の棒などを履帯に投げ込んだり、あるいはバリケードを用いて敵戦車を足止めした上で、重油ガソリンなどの可燃物を戦車の上面に大量に浴びせかけたり、地面など周囲にも可燃物を配置しておいて着火し、火攻めにするという攻撃方法が用いられる場合がある。かつては同じ目的で火炎放射器火炎瓶、焼夷剤投射器(例:ドイツ連邦軍のHandflammpatrone)を使う事例もあった。開口部や吸気口から燃える可燃物が車内に入り込むことで、戦闘室やエンジンが焼損にいたる。また装甲板で覆われて開口部が少ない戦車は温度上昇を防ぐことができず、炎にさらされ続けると全体ががまるで大型のオーブンのようになり、機器が故障したり弾薬が誘爆しなくとも、内部の乗員は脱出を余儀なくされる。

ありあわせの爆発物で作られた即席爆発装置は、戦車の下部装甲や走行装置を破壊したり、車体を横転させる威力を持ちうるため、紛争地域に投入された戦車にとり大きな脅威となっている。

空襲編集

陸戦を主目的とする戦車にとって上空を高速で移動する航空機への対応は難しく、第二次世界大戦の中期から対地攻撃機が対戦車攻撃にも導入され多くの成果を挙げた。特にダイブブレーキを備えた急降下爆撃機は狙いを定めやすく、戦車側は直撃を受けないようにジグザグに動く、急停止・急発進するなど回避行動を取っていたが効果が薄かった。対策として大規模な戦車部隊には対空戦車が随伴することもあった。敵からの空襲を受ける可能性がある場合は、高射部隊の援護が必要不可欠である。

戦車の上部装甲は正面装甲に比べると薄く作られるため、正面装甲であれば充分に耐えられる20mm~30mm級の機関砲によっても貫通される可能性がある。ソ連では第二次世界大戦の中期から23mm機関砲を搭載したシュトゥルモヴィークIl-2を東部戦線に投入し、ドイツ軍の戦車部隊に対して大きな戦果を挙げた。ドイツでも大戦後期からJu 87GHs 129のような爆撃機・攻撃機に機関砲や対戦車砲を装備して対戦車攻撃機として投入し、ソ連軍の戦車を多数撃破している。現代では対戦車攻撃は後述の武装ヘリコプターが主流であるが、アメリカ軍のA-10は戦車や装甲車への攻撃を主任務としており、30mmガトリング砲や空対地ミサイルなど多彩な武装を装備している。

空中を低速で比較的自由に動き回り、一定の空域に留まり続けることができる攻撃ヘリコプターは固定翼機以上の脅威であり、戦車砲の射程外から対戦車ミサイルなどで一方的に戦車を撃破することが可能である。戦車側は敵ヘリコプターの射程に入った場合、煙幕を張って視界を遮りつつ遮蔽物の影に隠れる以外には手がなかったため、戦車を運用する側は、歩兵の持つ地対空ミサイルや対空攻撃の可能な銃砲、また専門の防空車輌や高射部隊との協調によって敵ヘリコプターの接近を阻止する必要がある。近年の自動目標追尾装置を持つような戦車に対してヘリが射程内を低速飛行する場合にはかえって撃墜される可能性がある。

この他にも攻撃能力を有する無人航空機など新たな脅威も出現している。現代ではミサイルなどを利用した空からの対地攻撃により敵戦闘車両を破壊した後、地上部隊を展開させる戦術が基本であり、制空権の確保は戦闘車両を大規模展開させるうえでの前提条件である。

市街戦編集

市街戦は視界の狭さと通行の制限という二つの弱点から戦車にとっては不利な環境で、とくに曲がり角や建物の上層などの高所から、弱点である後面や上面に攻撃を受ける危険性がある。それでも歩兵の盾や強力な火力援護手段として戦車が必要されていることに違いは無く、非対称戦争対策として市街地向けの改修が行われている。設計段階から市街戦を考慮した戦車も登場し、また建造物破壊に対応できる砲弾も実用化されている。市街戦では主役である歩兵を援護する近接支援火力として戦車が投入され、対歩兵用に副武装の機銃が用いられ、対空機銃は建物の上階など砲が届かない相手に対応するために重要である。

M1エイブラムスは既存の車両に取り付ける市街戦対処用キットの開発を進めている。

レオパルト2の市街戦対応型『レオパルト2PSO』は、対戦車ロケットや地雷対策の増加装甲、デモ隊の排除や威嚇のため非殺傷兵器やサーチライト、バリケードの撤去にも使用できるドーザーブレード、モザイク状の都市迷彩を採用している。逆に射程距離は重視されないため、主砲を55口径から前期型で使われていた射程の短い44口径に戻し、代わりに遠隔操作式の銃架に多彩な小火器を装備できるようにしている。

イラク戦争後、米英を主体とした駐留軍の車両も対HEAT装甲である鳥籠状の構造物で車体を覆っているが、これは前述のように独軍が採用した防御方法であったもので、その後に同じ着想のものが世界中で採用された[20]。これがRPGの弾頭を数十%の確率で不発、または著しく効果を削ぐと云われている。

戦車博物館編集

各国において、戦争に関する博物館が存在する。中でも、戦車を中心にした博物館がいくつか存在する。連合軍の博物館は自国の戦車はもとより、鹵獲した枢軸国の戦車の展示においても充実しており、戦車の変遷を理解する上においては重要な資料を提供している。


戦車の運転(日本)編集

自衛隊の車両を運転する内部資格「MOS」(Military Occupational Speciality、特技区分)の他、公道を走るには大型特殊自動車免許大型特殊免許(カタピラ限定)運転免許が必要となる[33][34][35]

脚注編集

[脚注の使い方]

注釈編集

  1. ^ イギリスでは委員会をその頭文字で呼ぶ風習があった
  2. ^ tankが登場する直前の辞書大日本国語辞典(大正4年8月発行) には「せんしゃ【戰車】 戦争に用ふる車。軍用の車。兵車」とある
  3. ^ 中国大陸では青銅器時代には戦車が主力兵器とみなされるほど重視されていたものの、時代が下ると歩兵と騎兵に地位を奪われて廃れていった。日本では山がちな地勢や大陸から伝わった鉄器や騎馬の技術によって戦車の時代を経ること無く歩兵と騎兵の時代に移行したため、ほとんど使われなかった
  4. ^ 大正11年「偕行社記事」4月号に掲載された「作戦上に於ける自動車の利用について」という論文に戦車の語が確認できるという。佐山二郎『機甲入門』光人社NF文庫、2002年。70ページ ISBN 4-7698-2362-2
  5. ^ 奥村恭平大尉(陸士21期・輜重、のち陸軍少将)が軍用自動車調査会の席上で「戦車」と呼称することを提案した
  6. ^ 兵器の制式名としてPanzerkampfwagenではなくPanzerだけで「戦車」を意味するようになったのが確認できるのは、IV号駆逐戦車の長砲身型であるIV号戦車/70 (Panzer IV/70) が最初である。
  7. ^ 現在のドイツ連邦軍のPanzerdivisionも装甲師団と訳されるのが通例である。日本語中の頻度を調べるサービス[1]で検索すると「装甲師団」31件、「機甲師団」22件に対して、「戦車師団」は5件。しかも内訳をみていくと装甲師団はドイツのPanzerdivisionのことを表してる用例ばかりなのに、戦車師団はいずれもドイツのそれではなく日本や韓国の戦車師団についての用例である(2014年の検索結果)
  8. ^ チャレンジャー1は55口径120mmライフル砲L11A5を装備。
  9. ^ コンタクト5FY-5、ERAWA-2などの現代の爆発反応装甲はHEAT弾だけでなくAPFSDS弾にも効果がある。PT-91の様にHEAT弾にしか効果がないERAWA-1を併用している場合もある。
  10. ^ アルゼンチンのTAMは自走砲と歩兵戦闘車に車体が流用されているがTAM自体がマルダー歩兵戦闘車の車体を流用して作られている
  11. ^ 近年は加速性に優れるガスタービンエンジン装備の戦車もあるが、燃費が非常に悪い上に技術的ハードルも高い
  12. ^ 砲手側に同軸機銃を置くM1、10式、K2以外ではむしろ砲手側に同軸機銃を置かない
  13. ^ M1戦車は砲塔を90度横に向けても、パワーパックがそのまま垂直には引き上げられず、斜めに傾ける作業が必要となっている。
  14. ^ Strv 103では増加燃料タンクを足回りを覆うように並べ、HEAT弾の威力を減衰させる装甲としての役割を兼ねさせた。これに対する射撃実験の映像でも確認できるように、当然HEAT弾によって燃料に着火してしまうが、着弾時に飛び散ったり空いた穴から地面に流れるため、そのまま走り抜けてしまえば車体が炎上することは無いようである。さらに同車は車体前面に柵型の対HEAT装甲を設けたが、これは後述する鳥籠装甲と同じ原理によるものである。
  15. ^ スェーデンではHEAT弾の爆発的な加熱ではディーゼル燃料に着火しないことが実射実験で確かめられている(現代戦車のテクノロジー)
  16. ^ 川底が厚い泥であったり、特に急流であれば水中渡河は困難だと考えられる。
  17. ^ 兵器輸出入の実例を挙げれば、国内の企業が開発した車輌と他国の車輌とを比較検討した結果、他国製の輸入に決まる場合もあれば、逆にイランへの輸出用に開発したものの革命でキャンセルされ、開発企業救済のために本国イギリス陸軍に採用されたチャレンジャー1の例もある。一方で日本やイスラエルの様に、防衛上の方針や政治的制約からコスト面での不利を覚悟で輸出を行わずに国内での生産と運用に限定する国もある。また西側標準となったL7ライフル砲やラインメタル120mm滑腔砲のように、一部装備のみの輸出入やライセンス生産が行われる事も多い。
  18. ^ 戦車の性能は、開発国の工業力を推し量る指針となる。第二次世界大戦中、ドイツは同国ならではの優れた機械技術でティーガーパンターなどの強力な戦車を開発したが、あまりに複雑な構造故に生産性が非常に悪く、戦場でも稼働率が上げられずに当初見込んだ戦果を得る事が出来なかった。対するアメリカはM4シャーマン戦車のような単純な構造で生産性と信頼性、可用性の高い戦車の大量生産を行い、物量でドイツ軍戦車を圧倒する事で連合国の勝利に大きく貢献した。
  19. ^ こういった発展途上国の陸軍(ニカラグア、ウルグアイ、ラオス等)向けの兵器販売としては、ソビエト時代などに輸出された世界中に多く存在する旧型戦車へのアップデートキットや中古戦車の輸出などが代表的である。
  20. ^ 先進国や発展地上国でも、近代化改修に似て非なるものに、旧式化した戦車の車体や走行装置などを自走砲や工兵戦闘車両のような派生車輌として活用することも以前からよく行われた。
  21. ^ 冷戦終結による「脅威の減少」とは、戦車同士が大規模に砲火を交える可能性が小さくなったという事を指す。

出典編集

  1. ^ a b デジタル大辞泉「戦車」
  2. ^ 速度は、不整地では舗装道路よりかなり遅くなる。
  3. ^ a b c 三野正洋 (1997). 戦車マニアの基礎知識. イカロス出版 
  4. ^ 特に敵からの砲弾が直撃しがちな砲塔前面、次いで車体前面は装甲がより分厚く設計されていることが一般的で、こうした前面は砲弾の直撃にもある程度耐え得る。それ以外の面(後面、両側面、上下面)はやや装甲が薄く設計され、弱点となっていることは多い。もし全ての面の装甲を均等に厚くしてしまうと車体が重くなりすぎて、エンジン・トランスミッションや足回りの走行装置に負担がかかり、実際上、戦場で使いものにならなくなってしまう。そのため前面装甲を重点的に強化し、敵に対して極力前面を向けるように運用するという防御策をとることになる。反対に対戦車攻撃では、敵戦車の前面ではない部分(走行装置を含む)を攻撃するのが定石である。
  5. ^ 藤田 元信 (2017年7月6日). “74年前の米軍の空爆戦略から日本人が学ぶべき「急所を見抜く力」”. 現代ビジネス. 2019年12月21日閲覧。
  6. ^ 第129回国会 衆議院 予算委員会 第11号 平成6年5月27日”. 国会会議録検索システム. 国立国会図書館. 2019年12月21日閲覧。
  7. ^ a b c d e f g h 月刊PANZER編集部 (2018年10月19日). “日本の戦車100年 始まりは神戸のマークIV、そこから世界有数の「原産国」に至るまで”. 乗りものニュース. 株式会社メディア・ヴァーグ. 2019年12月21日閲覧。
  8. ^ 阿川弘之 『軍艦長門の生涯 上巻』 新潮社、1975年12月、28頁。 
  9. ^ 陸軍省臨時軍事調査委員 『欧洲交戦諸国ノ陸軍ニ就テ(増補再版)』 陸軍省、1916年6月、第九 欧州戦ニ於ケル兵器ノ趨勢 24頁https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1885847 
  10. ^ 扇広 (1982). 日本陸軍の戦車発達史 (1)、『戦車マガジン』1982年6月号. 株式会社戦車マガジン. pp. 88 - 89 
  11. ^ 細見惟雄、重信吉固 『中隊教練ノ研究 歩兵操典草案 下巻』 陸軍歩兵学校将校集会所、1925年3月、附表第二https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/914145 
  12. ^ 陸軍歩兵学校准士官下士集会所編 『陸軍歩兵学校案内』 陸軍歩兵学校准士官下士集会所、1925年8月、六 戦車 19頁https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/964209 
  13. ^ 日本の陸軍、『Jグランド』vol.18. イカロス出版. (2008). pp. 41. JANコード 4910151760288 
  14. ^ 네이버 국어사전 - 땅크”. NAVER国語辞典. NAVER. 2017年9月18日閲覧。
  15. ^ アーマーモデリング誌創刊号での、ドイツ人編集者の証言より
  16. ^ ピーター チェンバレン、クリス エリス. 世界の戦車 1915 - 1945 (初版 ed.). pp. 114 
  17. ^ 高井三郎『ゴランの激戦 第四次中東戦争』原書房、1982年。ISBN 4-562-01250-1
  18. ^ Chaim Herzog (2009). The War of Atonement:The Inside Story of the Yom Kippur War. A GreenHill Book. ISBN 978-1-935149-13-2 ,P205.
  19. ^ 三菱重工|「Best Innovation 2010」
  20. ^ a b c 日本兵器研究会編『現代戦車のテクノロジー』アリアドネ企画 2001年5月10日第2刷発行 ISBN 4-384-02592-0
  21. ^ KADDB - Projects - Falcon Turret Archived 2008年2月6日, at the Wayback Machine. - 写真1 Archived 2011年9月20日, at the Wayback Machine. - 写真2 Archived 2012年5月21日, at the Wayback Machine. - 写真3 Archived 2011年10月25日, at the Wayback Machine.
  22. ^ Armed Robotic Vehicle (ARV) UGV Robotic Armored Assault System (RAAS)
  23. ^ PANZER誌 2007年1月号特集「第4世代MBTは実現するか?」
  24. ^ a b ストライクアンドタクティカルマガジン別冊「戦後の日本戦車」古是三春、一戸祟 カマド社
  25. ^ 高井三郎著『国土防衛と陸上作戦における戦車の役割(下)』軍事研究2008年10月号(株)ジャパン・ミリタリー・レビュー 2008年10月1日発行 ISSN 0533-6716
  26. ^ [2][リンク切れ]
  27. ^ 上田信『戦車メカニズム図鑑』(グランプリ出版 1997年3月25日初版)
  28. ^ 林磐男. タンクテクノロジー (初版 ed.). pp. 52 
  29. ^ 林磐男. タンクテクノロジー (初版 ed.). pp. 77 
  30. ^ 高井三郎著『国土防衛と陸上作戦における戦車の役割(下)』軍事研究2008年10月号(株)ジャパン・ミリタリー・レビュー 2008年10月1日発行 ISSN 0533-6716
  31. ^ [3]
  32. ^ 戦車側からの対人攻撃方法としては、ノースロップ・グラマン社では対人用キャニスター弾等を統合置換するXM1147 AMPが開発されており、ラインメタル社製DM11は1000個のタングステン球と空中爆発信管により物陰に隠れている歩兵の頭上で多数のタングステン球を飛散させることが可能。Elbit社製M339 HE-MP-TもDM11等と同様の機能を有する。対歩兵には搭載できる砲弾に限りがあるため同軸機銃や対空機銃が利用されている。
  33. ^ 戦車の操縦に必要な免許とは? 戦車乗りの証、「大特車はカタピラ車に限る」の意味
  34. ^ 戦車の運転に必要な免許は? 自衛隊車両への素朴なギモン
  35. ^ 戦車の免許の取り方・一般人でも免許取得できるのか|自衛隊

参考文献編集

  • 扇広『日本陸軍の戦車発達史 (1)、『戦車マガジン』1982年6月号』株式会社戦車マガジン、1982年。
  • リチャード・M.オゴルキィウィッチ『近代の戦闘車両―開発・設計・性能』林 磐男訳、現代工学社、1983年3月。ISBN 9784874721001
  • 林磐男『タンクテクノロジー』山海堂、東京都文京区、1992年7月15日、初版。ISBN 4-381-10051-4
  • ピーター チェンバレン、クリス エリス『世界の戦車 1915~1945』大日本絵画、東京都千代田区、1996年12月、初版。ISBN 4-499-22616-3
  • 『日本の陸軍、『Jグランド』vol.18』イカロス出版、2008年、41頁。JANコード 4910151760288。

関連項目編集

履帯を備え重い戦車は、不整地走行には向いても舗装路を長距離走行するのには向かず、長距離の自走移動は故障を招き、乗員の疲労も増す。このため、長距離移動には「タンクトランスポーター」と呼ばれる専用の大型トレーラーで輸送されることが多い。また、可能であれば鉄道による輸送も行われる。
装甲回収車とも呼ばれる。戦闘による故障などで動けなくなった戦車などを後方の修理可能な場所までレッカー車のように移動させる。パワーパックや主砲の交換などの保守やその他の修理作業でも、搭載する強力なクレーンが活躍する。
戦車を渡河させるための橋を数分程度の短時間に展開設置する特殊車輌である。戦闘能力は無く、戦車の車体によって大きな橋桁を運搬するために存在する。
敵軍に実際の戦車と誤認させるデコイ
戦車を使ったモータースポーツ