ピエール=ウィリアム・グレン
フランスの撮影監督、映画監督 (1943-2024)
ピエール=ウィリアム・グレン(フランス語: Pierre-William Glenn, 1943年 - 2024年9月24日)は、フランスの撮影監督、映画監督である。フランス国立映像音響芸術学院教授。
Pierre-William Glenn ピエール=ウィリアム・グレン | |
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ジャン=ピエール・ジュネと一緒 | |
生年月日 | 1943年 |
没年月日 | 2024年9月24日 |
出生地 | フランス パリ |
職業 | 撮影監督、映画監督 |
ジャンル | 映画 |
活動期間 | 1969年 - |
人物・来歴
編集数学を専攻した後に、高等映画学院に入学する。ジョゼ・ベナゼラフ監督作品の撮影監督アラン・ドローブに師事し、ウィリアム・リュプチャンスキーらの助手として、テレビ映画を手がけ、クロード・ミレールやジャック・ドワイヨンの初期短篇のカメラを回した。
ジャック・リヴェット監督の12時間を越える超大作『アウトワン』の撮影を任される。以降、コスタ=ガヴラスやフランソワ・トリュフォーらのヌーヴェルヴァーグの映画作家たちの中期の作品を手がけた。
1974年(昭和49年)に監督業に進出、以降、4本の長篇映画と1本のテレビ映画を監督している。
おもなフィルモグラフィ
編集- 『カマラド』 Camarades : 監督マラン・カルミッツ、1969年
- 『アウトワン』 Out 1 : Noli me tangere : 監督ジャック・リヴェット、共同監督シュザンヌ・シフマン、1971年
- 『戒厳令 (1972年の映画)』 État de siège : 監督コスタ=ガヴラス、1972年
- 『私のように美しい娘』 Une belle fille comme moi : 監督フランソワ・トリュフォー、1972年
- 『アメリカの夜』 La Nuit américaine : 監督フランソワ・トリュフォー、1973年
- 『トリュフォーの思春期』 L'Argent de poche : 監督フランソワ・トリュフォー、1976年
- 『パリの灯は遠く』 Monsieur Klein : 監督ジョゼフ・ロージー、共同撮影ジェリー・フィッシャー、1976年
- 『リトル・ロマンス』 A Little Romance : 監督ジョージ・ロイ・ヒル、1979年
- 『セリ・ノワール』 Série noire : 監督アラン・コルノー、1979年
- 『ターミナス』 Terminus : 1987年 - 監督
- 『無秩序な少女』 Les Enfants du désordre : 監督ヤニック・ベロン、1989年
- 『ストリート・オブ・ノー・リターン』 Street of No Return : 監督サミュエル・フラー、1989年
- 『恋は足手まとい』 Un fil à la patte : 監督ミシェル・ドヴィル、2005年
関連事項
編集註
編集- ^ “Disparition de Pierre-William Glenn - Boxoffice Pro” (フランス語). www.boxofficepro.fr (2024年9月24日). 2024年9月25日閲覧。
- ^ “Disparition de Pierre-William Glenn”. Le film français (2024年9月24日). 2024年9月24日閲覧。