フランコ・ブルザーティ

フランコ・ブルザーティFranco Brusati, 1922年8月4日 - 1993年2月28日)は、イタリア脚本家映画監督である[1]。日本ではフランコ・ブルサーティと表記されることもある[2]

Franco Brusati
フランコ・ブルザーティ
生年月日 (1922-08-04) 1922年8月4日
没年月日 (1993-02-28) 1993年2月28日(70歳没)
出生地 イタリア王国の旗 イタリア王国 ミラノ
死没地 イタリアの旗 イタリア ローマ
国籍 イタリアの旗 イタリア
職業 脚本家映画監督
ジャンル イタリア式コメディ
活動期間 1948年 - 1989年
主な作品
脚本
十七歳よさようなら
ロミオとジュリエット
監督
パンとチョコラータ
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人物・来歴 編集

1922年(大正11年)8月4日ミラノに生まれる[1]

第二次世界大戦後の1948年(昭和23年)に公開されたレナート・カステラーニ監督の『ローマの太陽の下で』で、助監督としてクレジットされている[1]。1950年(昭和25年)から、脚本の集団執筆体制に加わり、クレジットされ始める[1]。1955年(昭和30年)、 Il padrone sono me で映画監督としてデビューする[1]

1970年(昭和45年)、『ハーレムのチューリップ』が第23回カンヌ国際映画祭パルムドールにノミネートされコンペティション部門で上映される[1]

1974年(昭和49年)に監督した『パンとチョコラータ』は、同年第24回ベルリン国際映画祭銀熊賞を受賞、また同年ダヴィド・ディ・ドナテッロ賞で欧州ダヴィド賞を受賞、同作は、翌1975年(昭和50年)にはナストロ・ダルジェント賞最優秀原作賞を受賞、1978年(昭和53年)には第44回ニューヨーク映画批評家協会賞外国語映画賞を受賞、同年の第3回セザール賞では最優秀外国映画賞にノミネートされる[1]。同年、第31回カンヌ国際映画祭コンペティション部門の審査委員を務める[1]

1980年(昭和55年)、『ベニスを忘れるため』が、第52回アカデミー賞外国語映画賞にノミネートされる[1]。1983年(昭和58年)、第33回ベルリン国際映画祭コンペティション部門の審査委員を務める[1]

1993年(平成5年)2月28日白血病のため、ローマで死去した[1]。満70歳没。

おもなフィルモグラフィ 編集

特筆以外はすべて脚本である[1][2][3]。監督作は8作、脚本作は34作ある[1]

参考文献 編集

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m Franco Brusati, インターネット・ムービー・データベース (英語), 2010年12月7日閲覧。
  2. ^ a b フランコ・ブルサーティ、allcinema ONLINE, 2010年12月8日閲覧。
  3. ^ フランコ・ブルザーティ、movie-fan.jp, 2010年12月8日閲覧。

関連事項 編集

外部リンク 編集