ヘキラク日本競走馬皐月賞安田記念を制した馬で、同期にはダービーハクチカラ菊花賞キタノオーオークスフエアマンナがいる。引退後は種牡馬ともなった。

ヘキラク
品種 サラブレッド
性別
毛色 栗毛
生誕 1953年4月21日
死没 1971年以降
マフォスタ
ミンクス
母の父 ディスカヴァリー
生国 日本の旗 日本北海道白老町
生産者 社台牧場
馬主 浅井礼三
調教師 藤本冨良東京
競走成績
生涯成績 38戦7勝
獲得賞金 938万5030円
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戦績

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1955年10月22日にデビューを果たしたが、順調には行かず3歳時は7戦1勝に終わった。ハクチカラが勝った3戦目とキタノオーが勝った6戦目(朝日盃3歳ステークス)以外は2着となっている。

翌年(1956年)、4歳になったヘキラクは5戦2勝、2着2回、3着1回の戦績を収めたのち、クラシック緒戦の皐月賞に向かう。16頭立て単勝9番人気の低評価であったが、1番人気のキタノオーを出し抜きレコードタイムで優勝した。

その後は1957年末まで現役を続けたが、同期が強豪揃いだったこともあり、重賞勝ちはハンデ戦時代の安田賞(現・安田記念)と今はなきクモハタ記念だけに終わった。ハクチカラとは再三対戦したが、先着したのは2回にとどまった。これはキタノオー(6回)や牝馬のフエアマンナ(5回)にも劣るものである。

当時はヘキラクが得意とする中距離路線(1600 - 2000メートル)の重賞が現在ほど整っていなかった。イツセイ幻の馬トキノミノルの同期で、トキノミノルの出走していない2000メートル以下のレースは全勝)ほどの良績ではなかったものの、彼とともに「生まれた時期が早すぎた名マイラー」と評価する人も少なくない。[要出典]

血統

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ヘキラクはアメリカからの持込馬で、母父のDiscoveryは「Iron Horse(アイアンホース)」という呼び名で親しまれた名馬である。Native DancerおよびBold Rulerの母父としても有名である。しかし、古馬になってからの成績が振るわなかったことと国産種牡馬冷遇時代ということもあって産駒に恵まれず、種牡馬としては失敗に終わった。なお、1971年までは種牡馬として種付けをしていた。

近親にムーラン・ド・ロンシャン賞を制したハビタットがいる。

血統表

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ヘキラク血統(フェアトライアル系(フェアウェイ系) / 5代までアウトブリード (血統表の出典)

Mafosta
1942 栗毛
父の父
Fair Trial
1932 栗毛
Fairway Phalaris
Scapa Flow
Lady Juror Son-in-Law
Lady Josephine
父の母
Slap and Tickle
1932 栗毛
Greek Bachelor Bachelor's Double
Mitylene
Ferns Willaura
Hors de Combat

*ミンクス
Minx
1945 鹿毛
Discovery 1931
栗毛 アメリカ
Display Fair Play
Cicuta
Ariadne Light Brigade
Adrienne
母の母
Savage Beauty
1934 鹿毛
Challenger Swynford
Sword Play
Khara Kai-Sang
Decree F-No.4-r


外部リンク

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