レディジュラー (Lady Juror) はイギリス競走馬である。

レディジュラー
[1]
欧字表記 Lady Juror
品種 サラブレッド
性別
毛色 鹿毛
生誕 1919年
サンインロー
レディジョセフィン
母の父 サンドリッジ
生国 イギリスの旗 イギリス
生産者 タットン・サイクス卿夫人
馬主 J.A. Dewar
競走成績
生涯成績 3勝 (3-4- - )
獲得賞金 8,057ポンド
勝ち鞍

Jockey Club Stakes (GB)14F
Red Rose Stakes 5F

Empire Stakes 6F
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母レディジョセフィンはニュ―マーケットのセリに出品され、コルモンデリー氏が1200ギニー[2]で落札して繁殖入り[3]

1歳馬のセリでワトソン氏[4]に落札された[5]

競走馬として、2歳時の頃は不調だったが、3歳になってから3勝して8057ポンドを稼いだ。5ハロンと6ハロンのステークスを制し、ジョッキークラブステークス(11ハロン)を派手に勝ちスピードとスタミナを備えた優駿と賞賛された[3]。 しかし、ワトソンが死去した為にニューマーケットのセリに出される。[1]

8600ギニーでJ.A.デウォー卿に落札されてホームストーム牧場で繁殖入りするがそのデウォー卿も死去して同名の甥に遺贈されて、死没するまで同卿の元に居た[1]

1924年から1941年に死ぬまでに牡馬と牝馬を6頭ずつ、初年度の不受胎の翌年から10年連続で生み、7頭が勝ちを挙げて中堅くらいの活躍し、フェアトライアルは8番仔[1]

フェアウェイを配合して生産したのはフェアトライアルのみ[6][1]

繁殖生活後半は7年で2頭のみだったが、末子ディセンターは2勝しており、その産駒スコットはロワイヤルオーク賞を勝って種牡馬入りしている[7]

牝系からはテューダーミンストレルが出ている[7]。他にも、フォルリの父アリストファネス、カシミール、ミホシンザンカネケヤキブラストワンピースなどがいる。

半妹に「Flying Filly」とも呼ばれたムムタズマハルがおり、こちらも有力なファミリーラインを確立した。

牝系図

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牝系図の主要な部分(G1競走優勝馬、日本の重賞馬)は以下の通り。*は日本に輸入された馬。

牝系図の出典:galopp-sieger.de

---↓レディジュラー系

ミナレット系

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血統表

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レディジュラー血統サンインロー系 / Blair Athol S5×S5=6.25%) (血統表の出典)

Son-in-Law (GB)
1911年 青鹿毛
父の父
Dark Ronald (GB)
1905 青鹿毛
Bay Ronald Hampton
Black Duchess
Darkie Thurio
Insignia
父の母
Mother in Law (GB)
1906 鹿毛
Matchmaker Donovan
Match Girl
Be Cannie Jock of Oran
Reticence

Lady Josephine (GB)
1912 栗毛
Sundridge (GB)
1898 栗毛
Amphion Rosebery
Suicide
Sierra Springfield
Sanda
母の母
Americus Girl (GB)
1905 栗毛
Americus Emperor of Norfolk
Clara D.
Palotta Gallinule
Maid of kilcreene
(F-No.9-c)


脚注

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  1. ^ a b c d e 原田俊治 1970, p. 165.
  2. ^ 第一次世界大戦の影響で馬の値が下落していた。
  3. ^ a b 原田俊治 1970, p. 163.
  4. ^ 生産者兼馬学者。遺伝というタイトルの自著で「馬格の固定には近親が重要、スタミナを付けるにはアウトクロスを推奨。」と提唱している。
  5. ^ 原田俊治 1970, p. 164.
  6. ^ 原田俊治は上述ワトソン氏の考えを実行してステイヤーの生産を試みたと推察しているが、父はセントレジャーステークス勝馬だが産駒にスタミナを伝えるのが苦手で、母も中距離以下で活躍した為か、フェアトライアルはステイヤーとして名を残せなかった。
  7. ^ a b 原田俊治 1970, p. 166.

参考文献

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  • 原田俊治『世界の名馬』 サラブレッド血統センター、1970年

外部リンク

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