ペンティクトン
ペンティクトン(英語:Penticton)は、カナダのブリティッシュコロンビア州内陸部に位置する都市である。面積は42.10平方キロ、市域人口は3万3,761、都市圏人口は4万3,432人(2016年)。ブリティッシュコロンビア州ではバンクーバーとビクトリアに次いで3番目に大きい都市であるケロウナの、オカナガン湖を挟んで南側に位置する。
ペンティクトン | |
ニックネーム: "The Peach City"
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標語: "A Place to Stay Forever"
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基礎データ | |
国 | ![]() |
州 | ![]() |
行政区 | オカナガン・シミルカミーン地域 |
都市名 | ペンティクトン |
英語名 | City of Penticton |
創設日 | 1908年 |
面積 | 42.10 km² |
標高 | 海抜 344 m[1] |
人口 | (2016年)[2][3] |
- 市域 | 33,761 人 |
- 人口密度 | 801.8 人/km² |
- 広域圏 | 43,432 人 |
時間帯 | 太平洋標準時(PST)、UTC-8 |
夏時間 | 太平洋夏時間(PDT)、UTC-7 |
郵便番号 | V2A |
市外局番 | +1-250、+1-778 |
公式サイト |
静かなオカナガン湖の景観に加え、穏やかな気候であり、ゴルフ場などのリゾート地が多数存在する他、別荘地が存在する。
都市名の由来編集
ペンティクトンの由来は、セイリッシュ族の言葉で「snpintktn(永遠に滞在する場所)」である。7000年以上もの間、ペンティクトンはオカナガン原住民であるセイリッシュ族の住みかとなった。このことから、ペンティクトン市の標語は「A Place to stay Forever」となっている。[4]
歴史編集
1800年代前期のアイルランドの移民であるトーマスエリスは、1865年にこの地に定住した最初の欧州人となった。この地方で一番栄えた牛の牧場主の一人となり、北はナラマタから南はアメリカとの国境、現在のオソイヨーズ付近までの土地を取得した。彼が1892年に退職した時、その大部分の土地をオカナガン湖の周辺に位置する場所に小さな町を計画していた不動産業者たちに売った。ここで、都市としてのペンティクトンが始まる。[5]
1900年前後、開発開始当初の開発の進展はとても遅く、開発が本格的に進められるようになったのは1905年、"South Okanagan Land Company"(南オカナガン不動産会社)が、他にトーマスエリスが持っていた土地を買収し分譲した時であった。開発当初に作られたオカナガン湖東側の町は、この時新たに作られた町とSmith Street(現在のFront Street)で結ばれ、それが最初のうちは町の中心となった。[6]
1908年には人口が600人になり、ペンティクトンは市制を施行した。[7]
オカナガン湖やスカハ湖周辺は乾燥した岩だらけのゴツゴツした地形であり、1900年代初期では陸上移動が困難なため、ペンティクトンへの主要交通手段は、オカナガン湖北岸のヴァーノンとを結ぶ水上交通であった。ほとんどの交通はシカムス号(現在はSS Sicamous Heritage Parkとして湖岸上に静態保存されている)のような蒸気船に乗ってくるというものだった。[8]
1910年には、ペンティクトンはクートニーの湖岸の交通手段として結ばれる新しいKVR(Kettle Valley Railway-ケトル河川鉄道)の拠点となることが発表された。この決定はペンティクトンに経済的希望を与え、鉄道の開通は沢山の仕事や町の人口増加をもたらした。鉄道は地元の生産物(桃、ぶどうなど)を速く効率的に運送し、オカナガンの高品質な果物を遠くの市場に出すことで果樹園業界を大幅に急成長させた。またこれにより、ペンティクトンが旅行者の行き先とされるようになった。[9]
第2次世界大戦の後には、ペンティクトンは成長や繁栄が最も凄まじい時期に入った。膨大な軍人の帰郷者が人口の爆発的増加につながり、1948年には市街として盛り込まれた。1950年代から1960年代は建設やインフラ整備が加速し、オカナガン川の水路や数々の建設プロジェクト(新しい市役所や美術学校、最初の主要なショッピングセンターなど)が行われた。1955年3月にはペンティクトン ビース ホッケーチームが、ホッケーワールドカップでソビエトチームを5-0で打ち負かし優勝し、世界的に有名になった。[10]
2010年には鉄道開通100周年記念を迎え、ペンティクトンでは東部の旧市街地域を小さな町の魅力として再開発し、新たに建設されたサウスオカナガンイベントセンターでは新しい集会・スポーツイベント・様々な種類の演奏を行われるようになった。また、2000年代に入ってから、ワイン製造の成長が急速に拡大し、ペンティクトンはワインを目的とする旅行者にとって一番の旅行先となった。[11]
交通編集
道路網編集
都市の南北を州道97号線が結び、北はサマーランドやケロウナ、南はオリバーやオソイヨーズ、アメリカ国境まで接続している。その他に、州道3A号線が接続しており、ケレメオスやバンクーバー方面と結んでいる。
空港編集
市街地中心部から南へ3.3km程の距離に、ペンティクトンリージョナルエアポートがある。バンクーバー、カルガリーへの定期直行便が就航している。季節によっては、メキシコやヨーロッパへの直行便も出ている。[12]
産業編集
年間を通して温暖な気候から、ブドウや桃の栽培が盛んであり、オカナガンワインの生産地として知られている。[13]
観光編集
壮大なオカナガン湖と多数の果樹園に囲まれたペンティクトンは、夏のシーズンにはさまざまな地域からの観光客が集まり、湖畔には湖水浴やウォータースポーツを楽しむ人々で賑わう。[14]さらにペンティクトン周辺には多数のゴルフ場やワイナリーが存在し、重要な観光資源として知られている。
教育・研究機関編集
ペンティクトン市街地から南に20kmほどの場所に、ドミニオン電波天文台と呼ばれる研究機関がある。乾燥気候であり晴天率が良いことから当地に立地している。[15]
姉妹都市・友好都市編集
池田町とは、共にワインの生産が盛んな地方都市であることから、姉妹都市提携がなされた。オカナガン湖南岸、市街地北西部にIkeda Japanese Gardenと呼ばれる日本庭園が存在する。
関連項目編集
- ペンティクトンリージョナルエアポート
- オカナガン
- ドミニオン電波天文台
- 芝中学校・高等学校 毎年8月、「カナダ研修」と称してペンティクトンで2週間の語学研修を希望者に行なっている。[16]
脚注編集
- ^ Canada Flight Supplement. Effective 0901Z 29 March 2018 to 0901Z 24 May 2018
- ^ Template:StatCan2016CSD
- ^ Template:StatCan2016CA
- ^ “History City of Penticton”. 2021年2月10日閲覧。
- ^ “History City of Penticton”. 2021年2月10日閲覧。
- ^ “History City of Penticton”. 2021年2月10日閲覧。
- ^ “History City of Penticton”. 2021年2月10日閲覧。
- ^ “History City of Penticton”. 2021年2月10日閲覧。
- ^ “History City of Penticton”. 2021年2月10日閲覧。
- ^ “History City of Penticton”. 2021年2月10日閲覧。
- ^ “History City of Penticton”. 2021年2月10日閲覧。
- ^ “CYYF”. 2021年2月10日閲覧。
- ^ “Accsessible-City City of Penticton”. 2021年2月10日閲覧。
- ^ “Accsessible-City City of Penticton”. 2021年2月10日閲覧。
- ^ “National Research Council Canada”. 2021年2月10日閲覧。
- ^ “カナダ研修の参加者インタビュー≪芝学園≫ - 中学受験 高校受験パスナビ”. 2021年2月28日閲覧。