ポール・クイニシェット

ポール・クイニシェットPaul Quinichette1916年5月17日 - 1983年5月25日[1]は、アメリカジャズテナー・サクソフォーン奏者。ニックネームが「プレジデント(大統領)」または単に「プレズ」であったレスター・ヤングの息使いのスタイルを模倣したことから、「ヴァイス・プレジデント(副大統領)」または「ヴァイス・プレズ」として知られていた。ヤングはというと、クイニシェットを「レディQ」と呼んでいた[2]

ポール・クイニシェット
Paul Quinichette
生誕 (1916-05-17) 1916年5月17日
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 コロラド州デンバー
死没 (1983-05-25) 1983年5月25日(67歳没)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ニューヨーク
ジャンル ジャズ
職業 ミュージシャン
担当楽器 テナー・サクソフォーン

略歴 編集

生い立ち 編集

クイニシェットはアメリカ合衆国コロラド州デンバーで生まれた[3]。テナー・サックスに転向するまでは、幼少期よりクラリネットとアルト・サックスを習っていた[3]。13歳の頃、彼はレスター・ヤングから非公式のレッスンを受けている[3]。クイニシェットはデンバー大学に通い、テネシー州立大学に転校した後、デンバー大学に戻り、音楽で卒業した。大学在学中は地元のバンドで演奏し、夏休みにはナット・タウルズやトランペッターのロイド・ハンターとツアーを行った[3]

その後の人生とキャリア 編集

クイニシェットは、1930年代後半にショーティ・シェロックと仕事をし、その後はアーニー・フィールズ (1942年) とジェイ・マクシャン (1942年–1943年) と一緒に仕事をした[3]。1945年から1947年まで西海岸でジョニー・オーティスと過ごした後、1947年にルイ・ジョーダンと共にニューヨークに進出[4]。ニューヨークでは、1951年にカウント・ベイシーと合流するまでに、さまざまなミュージシャンと共演している[3]。ベイシーとは2年間を過ごし、エマーシー・レコードでの自身のレコーディングによる成功を得た後、クイニシェットは自分のバンドを結成するためにベイシーのもとから離れた[3]

1950年代半ばから後半にかけて、クイニシェットはボーカリストのダイナ・ワシントンによるエマーシーでのレコーディングにも参加し、ベニー・グッドマンナット・ピアース (共に1955年)、ジョン・コルトレーン (1957年)、ビリー・ホリデイと共演した[3]。その後の10年間は、健康状態が悪化して音楽家としての活動が妨げられるようになり、電気技師としての仕事に就いた[3]。まだ制限はされていたものの、1973年になって演奏を再開した[3]

クイニシェットは、1983年5月25日にニューヨークで亡くなった[3]

演奏スタイル 編集

ニューグローヴ世界音楽大事典は、「クイニシェットのスタイルは、ヤングに続くミュージシャンの中でも比類のないスウィング感を示していた」とコメントしている[3]。1959年に書かれた評論家のジョン・S・ウィルソンによる記述では、ベイシーの元を去った後、「クイニシェットは、ヤングからのものと同じくらい、イリノイ・ジャケーからのあまり口当たりが良いとは言えない側面に起因するトーンやアイデア、攻撃といった俗悪さに傾倒していた」とされている[5]

ディスコグラフィ 編集

リーダー・アルバム 編集

  • 『ザ・ヴァイス・プレス』 - The Vice Pres (1954年、Emarcy)
  • 『ムーズ』 - Moods (1955年、EmArcy)
  • Blow Your Horn (1956年、Brunswick)
  • 『ザ・キッド・フロム・デンヴァー』 - The Kid From Denver (1956年、Dawn)
  • 『オン・ザ・サニー・サイド』 - On the Sunny Side (1957年、Prestige)
  • 『ザ・チェイス・イズ・オン』 - The Chase Is On (1957年、Bethlehem) ※with チャーリー・ラウズ
  • 『フォー・ベイシー』 - For Basie (1957年、Prestige) ※with シャッド・コリンズ、フレディ・グリーンウォルター・ペイジジョー・ジョーンズナット・ピアース
  • 『ベイシー・リユニオン』 - Basie Reunion (1958年、Prestige) ※with バック・クレイトン、シャッド・コリンズ、ジャック・ワシントン、フレディ・グリーン、エディ・ジョーンズ、ジョー・ジョーンズ、ナット・ピアース
  • 『キャッティン・ウィズ・コルトレーン・アンド・クイニシェット』 - Cattin' with Coltrane and Quinichette (1959年、Prestige) ※with ジョン・コルトレーン
  • 『ライク・ベイシー』 - Like Basie! (1959年、United Artists)
  • 『プレヴュー』 - Prevue (1974年、Famous Door) ※with ブルックス・カー

参加アルバム 編集

ジーン・アモンズ

  • The Big Sound (1958年、Prestige)
  • Groove Blues (1958年、Prestige)

カウント・ベイシー

  • Basie Jazz (1954年、Clef)
  • 『ダンス・セッション・アルバム#2』 - Dance Session Album No. 2 (1954年、Clef)
  • 『ザ・カウント』 - The Count! (1955年、Clef)
  • 『ザ・スウィンギン・カウント』 - The Swinging Count! (1956年、Clef)

ボブ・ブルックマイヤー

  • Kansas City Revisited (1958年、United Artists)

ビリー・ホリデイ

  • 『アン・イヴニング・ウィズ・ビリー・ホリデイ』 - An Evening with Billie Holiday (1953年、Clef)
  • 『ビリー・ホリデイ物語 - レディ・シングズ・ザ・ブルース』 - Lady Sings the Blues (1956年、Clef)

ジェイ・マクシャン

  • 『ラスト・オブ・ザ・ブルー・デヴィルズ』 - The Last of the Blue Devils (1978年、Atlantic)

プレスティッジ・オールスターズ

  • 『ホイーリン&ディーリン』 - Wheelin' & Dealin' (1957年、Prestige) ※with ジョン・コルトレーン、フランク・ウェス

サラ・ヴォーン

エディー・ヴィンソン

  • 『クリーンヘッズ・バック・イン・タウン』 - Clean Head's Back in Town (1957年、Bethlehem)

マル・ウォルドロン

  • 『ザ・ディーラーズ』 - The Dealers (1964年、Prestige)

ダイナ・ワシントン

  • Blazing Ballads (1952年、Mercury)
  • 『アフター・アワーズ・ウィズ・ミス・"D"』 - After Hours with Miss "D" (1954年、EmArcy)

ウェブスター・ヤング

  • 『フォー・レディ』 - For Lady (1957年、Prestige)

脚注 編集

  1. ^ Colin Larkin, ed (1992). The Guinness Encyclopedia of Popular Music (First ed.). Guinness Publishing. p. 2025. ISBN 0-85112-939-0 
  2. ^ Jazz Legends: Paul Quinichette”. Jazzimprov.com. 2008年10月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年9月9日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h i j k l Lambert, Eddie (2003). "Quinichette, Paul [Vice Pres]" (Document). Grove Music Online. Oxford Music Online. Oxford University Press. doi:10.1093/gmo/9781561592630.article.J367200
  4. ^ Yanow, Scott. “Paul Quinichette”. AllMusic. 2020年7月21日閲覧。
  5. ^ Wilson, John S. (1959). The Collector's Jazz: Modern. J. B. Lippincott. p. 241 

外部リンク 編集