マリー・ヴィグマン

マリー・ウィグマンから転送)

マリー・ヴィグマン(Mary Wigman、本名:カロリーネ・ゾフィー・マリー・ヴィグマン、 1886年11月13日 - 1973年9月18日)は、ドイツダンサーであり、振付師インストラクター。ドイツ、ワイマール期のドイツ表現主義舞踊「ノイエタンツ」創始者として知られる。

マリー・ヴィグマン(左)

人物編集

 
エデュアルド・ワソー撮影(1922年)

評価編集

「マリー・ヴィグマン舞踊学校」はルドルフ・フォン・ラバン(主にダンスの記譜法)とエミール・ジャック=ダルクローズ(主にリズム感)の理論を融合し、実践するもので、ダンス界に革新の風を起こした。ダンスの記譜法によって、「ダンスをシステム化し、他人にもそれを教える事ができる」、「誰にでも踊る事が出来ることの証明」、「ソロダンスからグループダンスへの移行」という順を踏み、西欧ダンス界の権威であるバレエに対するレジスタンスとして、モダンダンスの裾野を広げた。この学校は、イヴォンヌ・ゲオルギーYvonne Georgiハンヤ・ホルムHanya Holmハラルド・クロイツベルクHarald Kreutzbergグレット・パルーカGret Paluccaマックス・ターピス(Max Terpis)マルガレーテ・ヴァルマンMargarethe Wallmann)などを輩出した。

マリー・ウィグマンは自らの作品にインドやタイ、アフリカ、中国などの国から、ファイフfifeベルゴング太鼓などの非西欧の楽器を持ち込んだ。伴奏として用いられた楽器として、特筆すべきものはパーカッションPercussionで、これはウィグマンのダンスの沈黙の部分を大いに引き立たせた。また、ウィグマンは仮面を用いることも多かった。これもまた、非西欧、部族的なモチーフに影響されたもので、我を忘れたような錯乱した動きにその一端が見える。

 
西ベルリン、メアリーウィグマン-スタジオ(1959)

暗黒舞踏の源流編集

江口隆哉宮操子が、1931年ドイツ留学「マリー・ヴィークグマン舞踊学校」在籍、帰国後、1934年『江口・宮舞踊研究所』を設立、大野一雄が学んだ。1937年にはドイツ留学中の邦正美が、マリー・ヴィグマンに「ノイエタンツ」を学ぶ。

コレオグラフィー編集

関連項目編集