リチャード・マーティン・キーオ(Richard Martin Keough、1934年4月14日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州オークランド出身の元プロ野球選手外野手)。

マーティ・キーオ
Marty Keough
ワシントン・セネタース時代(1961年)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 カリフォルニア州オークランド
生年月日 (1934-04-14) 1934年4月14日(90歳)
身長
体重
6' 0" =約182.9 cm
180 lb =約81.6 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 外野手一塁手
プロ入り 1952年
初出場 MLB / 1956年4月21日
NPB / 1968年
最終出場 MLB / 1966年9月16日
NPB / 1968年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

阪神タイガースでプレーしたマット・キーオは実子。実弟のジョー・キーオもメジャーリーグでプレー経験がある。

来歴・人物

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キーオはポモナ高校で野球のほかアメリカンフットボールでプレーし、南カリフォルニア大学を経てボストン・レッドソックスに入団。1956年にはメジャーデビューを果たしテッド・ウィリアムズジャッキー・ジェンセンジム・ピアソールらと共に外野の一角を担った。

1960年シーズン途中にトレードでクリーブランド・インディアンスに移籍。同年シーズン終了後にエクスパンション・ドラフトによりワシントン・セネタースに移籍すると、135試合に出場し打率.249の成績を残した。その後はシンシナティ・レッズアトランタ・ブレーブスシカゴ・カブスでプレーした。

1968年鶴岡一人監督に請われて南海ホークスに入団。南海では一塁手としてプレーし、打順は7番辺りを打つことが多かった[1]。キャンプでは一塁側へのファウルばかりで「キーオ(器用)ではなく不器用」と言われ、シーズン通しても不器用なままだったとされ、キーオを獲得した事で退団させたとされるケント・ハドリ程は働かなかったとされ1978年に発行された『南海ホークス四十年史』では南海では失敗例の外国人選手として名前が挙がっている[2]一方、1968年6月9日には東映フライヤーズ高橋善正から15球粘った末に満塁ホームランを放った記録もある。野村克也ドン・ブレイザーとともに前年Bクラスだったチームの2位躍進に貢献したが、わずか1年で退団。また南海でチームメイトとなった村上雅則とはレッズ時代の1965年7月21日、敵地キャンドルスティック・パークでのサンフランシスコ・ジャイアンツ戦で対戦したことがあり三振を喫している[3]

引退後はセントルイス・カージナルススカウトを務めた。

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
1956 BOS 3 3 2 1 0 0 0 0 0 1 0 0 0 0 1 0 0 0 0 .000 .333 .000 .333
1957 9 21 17 1 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 4 0 0 3 0 .059 .238 .059 .297
1958 68 126 118 21 26 3 3 1 38 9 1 1 0 1 7 0 0 29 2 .220 .262 .322 .584
1959 96 285 251 40 61 13 5 7 105 27 3 1 4 1 26 0 3 40 3 .243 .320 .418 .739
1960 38 116 105 15 26 6 1 1 37 9 2 2 1 2 8 1 1 8 1 .248 .296 .352 .648
CLE 65 164 149 19 37 5 0 3 51 11 2 3 4 1 9 0 0 23 1 .248 .294 .342 .636
'60計 103 280 254 34 63 11 1 4 88 20 4 5 5 3 17 1 1 31 2 .248 .295 .346 .641
1961 WHS3 135 431 390 57 97 18 9 9 160 34 12 5 4 2 32 1 2 60 6 .249 .307 .410 .717
1962 CIN 111 260 230 34 64 8 2 7 97 27 3 1 3 4 24 4 4 31 2 .278 .346 .422 .768
1963 95 205 172 21 39 8 2 6 69 21 1 4 3 4 25 4 4 37 2 .227 .337 .401 .738
1964 109 299 276 29 71 9 1 9 109 28 1 2 0 1 22 1 1 58 1 .257 .314 .395 .709
1965 62 48 43 14 5 0 0 0 5 3 0 0 1 1 3 0 1 14 1 .116 .191 .116 .308
1966 ATL 17 18 17 1 1 0 0 0 1 1 0 0 0 0 1 0 0 6 0 .059 .111 .059 .170
CHC 33 32 26 3 6 1 0 0 7 5 1 0 0 1 5 0 1 9 0 .231 .375 .269 .644
'66計 50 50 43 4 7 1 0 0 8 6 1 0 0 1 6 0 1 15 0 .163 .280 .186 .466
1968 南海 134 496 450 42 104 21 2 17 180 46 9 4 4 5 33 7 4 83 9 .231 .287 .400 .687
MLB:11年 841 2008 1796 256 434 71 23 43 680 176 26 19 20 11 164 11 17 318 19 .242 .309 .379 .688
NPB:1年 134 496 450 42 104 21 2 17 180 46 9 4 4 5 33 7 4 83 9 .231 .287 .400 .687

背番号

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  • 20 (1956年)
  • 41 (1957年)
  • 2 (1958年 - 1960年途中)
  • 15 (1960年途中 - 1960年終了)
  • 9 (1961年)
  • 25 (1962年 - 1965年)
  • 11 (1966年 - 1966年途中)
  • 28 (1966年 - 1966年終了)
  • 4 (1968年)

参考文献

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脚注

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  1. ^ 時事ドットコム:プロ野球2世代写真展 「野球一族」 いにしえ編、2011年10月14日閲覧。
  2. ^ 南海ホークス刊『南海ホークス四十年史』292、297ページ
  3. ^ Cincinnati Reds at San Francisco Giants Box Score, July 21, 1965”. Baseball-Reference. 2020年10月11日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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