ミッシェル・エコシャール

フランスの建築家

ミッシェル・エコシャール(Michel Ecochard、1905年 - 1985年)は、フランス建築家都市計画家考古学者。考古学者としては、アイユーヴ朝期の建築に関する研究で著名。都市計画家としては、「大衆のための都市計画」を標榜。建築家としては、モロッコで量産型住宅トラム・エコシャール設計標準などを発表している。パリの20世紀建築資料館にエコシャール文書が所蔵されている。

ミッシェル・エコシャール
人物情報
生誕 1905年????
フランスの旗 フランス
死没 1985年1月1日(1985-01-01)(80歳)
出身校 エコール・スペシャル・ド・アーキテクチュール
学問
研究分野 建築考古学
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経歴 編集

パリの建築学校エコール・スペシャル・ド・アーキテクチュール(ESA)を卒業。1932年からフランス政府古代遺跡局に勤務。

1933年シリアダマスカスウマイヤド・モスクの補修指導を行い、その後10年間、シリア、レバノン等の中東で活動する。1930年代からルネ・ダンジェらとフランス領シリアダマスカスの都市計画マスタープラン策定に参画し、1933年の法改正に伴う更新を担当し、1937年から実行に移される。1936年にはアレッポの都市計画マスタープランを、さらに1943年にはベイルート都市計画を担当。その間の1936年には、ダマスカス・フランスセンターを設計する。

第二次世界大戦後の1946年にはモロッコに招聘され、当地で現代モロッコ建築家グループGAMMAを結成。これは後にボディアンスキーやジョルジュ・キャンディリスらとともに参画するCIAMモロッコに発展する。1947年、保護領政府都市計画局の局長に就任。1948年、フェス都市基本計画策定。その後ピエール・リブレ、ジェラール・テュルノエ、ジャン=ルイ・ヴェレ らを指導して、1949年から1950年までにモロッコ主要都市の都市計画ミッションに参加している。1951年、アイン・カードゥース地区計画を、その他ラバト、ヤアコーブ、ル=マンスール地区計画などの計画策定を行う。1952年には当地の都市計画法の改正実現に尽力。1953年に役職を罷免されてからは、活動の場を再び中東にシフトし、ミッシェル・エコシャール都市建築設計事務所を創設し主宰する。1968年には番匠谷尭二らとベイルート、続いてダマスカスの都市基本計画を策定した。

参考文献 編集

  • フェス通信第4回CIAM遺産の今
  • 松原康介『モロッコの歴史都市 フェスの保全と近代化』 学芸出版社 2008
  • 今村文明『迷宮都市モロッコを歩く』 NTT出版 1998
  • 陣内秀信/新井勇治『イスラーム世界の都市空間』 法政大学出版局 2002