ミリアム・スティーブンソン
アメリカの女優、モデル
ミリアム・ジャクリーン・スティーブンソン(Miriam Jacqueline Stevenson、1933年7月4日 - )は、アメリカ合衆国のテレビ司会者。1954年、米国代表として初のミス・ユニバースに選ばれる。
サウスカロライナ州観光局の広告 | |
プロフィール | |
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生年月日 | 1933年7月4日 |
現年齢 | 91歳 |
出身地 | サウスカロライナ州ウィンズボロ |
瞳の色 | ブルー |
毛髪の色 | ライトブラウン |
公称サイズ(1954年 [1]時点) | |
身長 / 体重 | 168 cm / 54 kg |
BMI | 19.1 |
スリーサイズ | 91.5 - 61 - 91.5 cm |
活動 | |
デビュー | 1954 |
備考 | ミス・ユニバース1954 |
外部リンク | |
データベース | IMDb |
モデル: テンプレート - カテゴリ |
経歴
編集1933年7月4日、サウスカロライナ州ウィンズボロに生まれる[2]。
1954年7月24日、サウスカロライナ代表としてカリフォルニア州ロングビーチで開催されたミスUSA大会に出場。優勝し、ミス・ユニバースの参加資格を得る。同日、同地で開催されたミス・ユニバース1954で優勝、第3代ミス・ユニバースとなる。
ブラジル代表のマーサ・ロチャと同点で並ぶも、同点決勝で彼女が選ばれた。都市伝説によると、当時主要スポンサーだったカタリナの意向により、同社の水着が似合う体型の持ち主にミスの王冠が渡されたという。マーサのヒップは彼女のそれより2インチ大きかった[3]。ミス・ユニバースの賞品の自動車を、彼女は残念賞(consolatory prize)としてマーサに譲渡している[4]。
ミスとしての1年間の任期の間、ユニバーサル・スタジオと契約する。1954年、TVシリーズ『The Colgate Comedy Hour』に出演(本人役)[5]。
その後、地元サウスカロライナに戻り、コロンビア市のテレビ局WIS-TVで司会者となる[6]。ここで将来の夫であるDonald Uptonと出会う。二人は結婚し、二児を儲ける[2]。
出典
編集- ^ “South Carolina's Miriam Stevenson Wins "Miss Universe"; Miss Brazil Second”. Spokane Daily Chronicle. (1954年7月24日) 2019年4月19日閲覧。
- ^ a b “Miriam Stevenson (USA) Miss Universe 1954. Photo Gallery”. top-beautiful-women.com (2013年6月13日). 2013年6月24日閲覧。
- ^ “Judges Are Hep To Hips”. The Miami News (Miami, Florida). (1954年7月24日)
- ^ “60th place – Miss Universe 1954 – Miriam Stevenson, USA”. globalbeauties.com. Global Beauties (2011年3月4日). 2011年3月7日閲覧。
- ^ a b “Miriam Stevenson”. IMDb. 2022年2月19日閲覧。
- ^ Ansley Ketchin (1956年6月24日). “The Future For Miriam? A Husband And TV Lights”. The Charlotte Observer (Charlotte, North Carolina)