ラ・バンク・ド・ロア: La Banque du LoA)は、神奈川県横浜市中区山下町に所在する結婚式場である。1921年に露亜銀行横浜支店として建設され、1923年関東大震災1945年横浜大空襲も耐え抜いてきた。横浜で唯一現存する外国資本の銀行建築の遺構である[1]

ラ・バンク・ド・ロア
La Banque du LoA
地図
情報
旧名称 露亜銀行横浜支店
警友病院別館
用途 結婚式場
旧用途 銀行、領事館、入国管理事務所、病院事務所
設計者 Berbnard Michael Word
施工 五洋建設(改築)
建築主 露亜銀行
管理運営 株式会社ワールドサービス
構造形式 鉄筋コンクリート構造
建築面積 489.54 m²
延床面積 1,520.49 m²
階数 地上3階建
竣工 1921年
改築 2011年
所在地 231-0023
神奈川県横浜市中区山下町280番地
座標 北緯35度26分45.02秒 東経139度38分41.46秒 / 北緯35.4458389度 東経139.6448500度 / 35.4458389; 139.6448500 (ラ・バンク・ド・ロア
La Banque du LoA
)
座標: 北緯35度26分45.02秒 東経139度38分41.46秒 / 北緯35.4458389度 東経139.6448500度 / 35.4458389; 139.6448500 (ラ・バンク・ド・ロア
La Banque du LoA
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文化財 横浜市指定有形文化財
指定・登録等日 2006年11月1日
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歴史 編集

1921年に、露亜銀行横浜支店として建設された。露亜銀行は1926年に日本から撤退、その後J・H・モーガン設計事務所、1928年に横浜市瓦斯局、1935年よりドイツ領事館として使用された。第二次世界大戦後は進駐軍が使用し、1959年からは横浜入国管理事務所となる。1978年から1996年まで警友病院の別館として使用されたが、同院が横浜みなとみらい21地区に移転した以降は県が所有する空き家となっていた[2]2005年に、民間事業者による県有地の活性化に向けた公募が行われ[3]大和地所が選定された。2010年7月から2011年8月まで1年余りにわたる外壁修復や耐震工事ののち、運営会社である株式会社ワールドサービスにより、2011年9月に結婚式場「ラ・バンク・ド・ロア」としてオープンした[4]

旧露清銀行横浜支店 編集

露亜銀行は1910年露清銀行ソシエテ・ジェネラル子会社の北方銀行とが合併して出来た銀行であるが、露清銀行は1902年に横浜支店を開設していた。本ビルにほど近い中区役所そばの大桟橋通り沿い北緯35度26分42.94秒 東経139度38分33.71秒[5]で、神奈川県立歴史博物館同様ドームを設けた華麗な建物であったが関東大震災で損壊。長らく半地下部分が残っていたが、1987年に取り壊された[6]

建築 編集

本ビルが建設されたのは煉瓦造りから鉄筋コンクリート構造へと移り変わる過渡期であり、両構造が混在する[7]。バロック様式の建物をコンクリート造で建設した初期のものと考えられ、横浜で最後に建設されたバロック建築である[1]。他の銀行建築に比べ、個々の装飾が大きい点が特徴的である[8]。ギリシャ風の2本の円柱[9]やエントランスの破風[6]等の外観、内部の大理石の階段は結婚式場へとリノベーションする際にもそのまま残され、露亜銀行当時に使用されていた金庫はギャラリーとして活用されている。

2006年11月1日に横浜市指定有形文化財に指定され[10]2013年度には横浜市都市整備局より「第6回横浜・人・まち・デザイン賞」を受賞している[11]

脚注 編集

参考文献 編集

  • 吉田鋼市『ヨコハマ建築慕情』鹿島出版会、1991年5月20日、94-95頁。ISBN 4-306-04284-7 
  • NPO法人横浜シティガイド協会『ハマの建築探検』神奈川新聞社、2002年6月26日、68-69頁。ISBN 978-4-87645-315-3 
  • 川本明生『東京&横浜の長寿建築 続』深夜叢書社、2014年7月、129頁。ISBN 978-4-88032-416-6 

外部リンク 編集