ロトルア

ニュージーランドの都市

座標: 南緯38度07分 東経176度19分 / 南緯38.117度 東経176.317度 / -38.117; 176.317

ロトルア英語: Rotoruaマオリ語: Rotorua-nui-a-Kahu)は、ニュージーランド北島ベイ・オブ・プレンティ地区にある都市。ロトルア湖の南岸に位置し、ロトルア・ディストリクト地方政府の一部に含まれる。人口は2006年の国勢調査によれば6万5901人である。

ロトルア
Rotorua
ロトルア市街
ロトルア市街
座標 : 南緯38度07分 東経176度19分 / 南緯38.117度 東経176.317度 / -38.117; 176.317
歴史
定住 ヨーロッパ人入植前
設立 1883年
市昇格 1962年
行政
ニュージーランドの旗 ニュージーランド
 Region ベイ・オブ・プレンティ
 Territorial authority ロトルア・ディストリクト
 市(city) ロトルア
市長(Mayor) スティーブ・チャドウィック英語版
地理
面積  
  市(city)域 2,614.9 km2 (1,009.6 mi2)
人口
人口 (2006年国勢調査現在)
  市(city)域 65,901人
    人口密度   25.2人/km2(65.3人/mi2
  市街地 55,100人
その他
等時帯 ニュージーランド標準時(NZST) (UTC+12)
夏時間 ニュージーランド夏時間(NZDT) (UTC+13)
郵便番号 3010、3015
市外局番 07
公式ウェブサイト : Rotorua's Official Website
ロトルアの位置(ニュージーランド内)
ロトルア
ロトルア (ニュージーランド)

概要

編集

ロトルアは温泉で有名な観光地である。地熱活動が活発で、多くの間欠泉があり[1]、ワカレワレワ(Whakarewarewa)のポフツ間欠泉(Pohutu geyser)は有名である。ロトルアカルデラ(Rotorua Caldera)に由来する熱い泥池が市内各所にある。

ロトルアはタウランガの60km南、ハミルトンの105km南東、タウポの82km北東にある。ロトルア・ディストリクトはベイ・オブ・プレンティ地区(61.52%)とワイカト地区(38.48%)の面積比で分かれて属している。

交通

編集

ロトルアは北へはステートハイウェイ5号線、東へは33号線、西へは30号線、南へは5号線でつながっている。タウランガへ向かう通過交通は、ノンゴタハ(Ngongotaha)、カハロア(Kaharoa)、パイズ・パ(Pyes Pa)を経由する新しく完成したステートハイウェイ36号線が便利。

ロトルア地方空港(Rotorua Regional Airport)からターボプロップ機による運航がオークランド国際空港ウェリントン国際空港クライストチャーチ国際空港との間で行われている。滑走路を延長してシドニー線を運航する試みが数年行われたが、2015年に休止となった。

鉄道はプタルル(Putaruru)から南へ延びる支線で鉄道網と結ばれているが、旅客輸送は行われていない。

歴史

編集
 
今日のロトルア博物館
 
ロトルア博物館の建物がかつて浴場として使われていた頃

ロトルアという言葉はマオリ語Te Rotorua-nui-a-Kahumatamomoeから来ている。rotoは湖、ruaは2番目のという意味で、ロトルアという言葉は2番目の湖という意味になる。Kahumatamomoeは、マオリ族のテ・アラワ部族(Te Arawa)の先祖の探検者、酋長イヘンガ(Ihenga)のおじである[2]。湖は、イヘンガが発見した2番目の大きな湖で、彼はこれをおじに捧げた。

この地域には当初マオリ族のテ・アラワ部族が居住した。この地域にやってきた最初のヨーロッパ人はおそらくフィリップ・タプセル(Phillip Tapsell)で、ベイ・オブ・プレンティ地区の海岸のマケトゥ(Maketu)から1828年以来取引を行っていた。彼は後にテ・アラワ部族に婿入りし、彼らに高く尊重された[3]宣教師のヘンリー・ウィリアムズ(Henry Williams)とトーマス・チャップマン(Thomas Chapman)は1831年にこの地を訪れ[2]、チャップマンとその妻はテ・コウト(Te Kouto)に1835年に教会を設置した[4]。これは年内に廃止されたが、チャップマンは1838年に戻りマコイア島(Mokoia Island)に2番目の教会を設置した[2][4]

湖岸は1860年代のニュージーランド戦争(New Zealand land wars)に際して重要な戦いの場となった。1883年には"特別街区"(special town district)がロトルアの温泉地としての可能性のために設置された。1894年、町はロトルア支線の開通によってオークランドと結ばれ、ロトルア・エクスプレス(Rotorua Express)の運行が始められた。これにより町は急速に発展し、観光地となっていった。1922年、ロトルアはボロー(borough)となり、1962年に市に昇格し、1979年に地区(district)になった。

気候

編集
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月 年間
平均最高気温 (℃) 23 23 21.1 18.3 15.1 12.6 12.1 13 14.7 16.7 19 20.9
17.5
平均最低気温 (°C) 12.7 12.9 11.6 8.8 5.9 4.2 3.1 4.4 6 7.9 9.6 11.3
8.2
降水量 mm 99 101 115 112 104 134 130 148 119 122 102 115
1,401
出典: NIWA Climate Data[5] 1971年 - 2000年

観光

編集

地熱地帯

編集
 
泥池「ティキテレ」(Tikitere、"Hell's Gate")

地熱活動はロトルアにおける観光の目玉である。間欠泉や泡を吹き出している熱泥池、温泉、そして1886年のタラウェラ山(Mt. Tarawera)の噴火で埋まったテ・ワイロア村(Te Wairoa)が市内から近い。

中心市街の西の外れにあるクイラウ公園(Kuirau Park)も注目に値する。園内あちこちに熱泥池が点在しており、現実離れした空気を醸し出している。暖かい池に足を浸してみることもできる。

ロトルアは、上述のような地熱活動により、サルファー・シティ(Sulphur City、硫黄の町)とも呼ばれている。硫黄は、訪問者の記憶に残るロトルア独特の匂いを醸し出している。

市の東のテ・ナエ地区の特にツンとくるような匂いは、ガバメント・ガーデンズの南側隣に位置するサルファー・ポイントと呼ばれる濃い硫黄の堆積物から来ている。

ロトルア地区には17の湖があり、夏には釣り水上スキー水泳などの水辺や水上の活動が盛んである。大きなイベントの開催地でもあり、2007年には世界水上スキー選手権大会を開催した。ロトルア湖は水上機の発着地としても使われている。

その他の活動

編集
 
ロトルア市街、ロトルア湖とマコイア島

ロトルアは植物園や興味深い歴史的建造物でも知られる。19世紀から温泉の町、観光の町として知られてきたため、ロトルアの多くの建物がその歴史をしのばせるものになっている。市街東外れの湖岸近くにあるガバメント・ガーデンズは特筆すべきものである。

 
ロトルア北部、ロトルア湖とマコイア島

ロトルアのもう1つの魅力としてマウンテンバイクの活動がある。ワカレワレワ(レッドウッズ Redwoods としても知られる)の森は「マウンテンバイクのディズニーランド」と形容され、ニュージーランドでも最良のマウンテンバイクコースである。2006年8月には世界自転車選手権マウンテンバイクが開催されている。

著名人

編集
 
飛行機から眺めた市街地と湖

姉妹都市

編集

ロトルアは4都市と姉妹都市提携している。

テレビ

編集

ロトルアではプケポト送信所(Pukepoto)からのテレビ放送を受信できる。以下のような周波数となっている。

テレビ周波数
放送局名 チャンネル 偏波 周波数(MHz) バンド
TV One 5 水平 182.25 VHF
TV2 7 水平 196.25 VHF
C4 9 水平 210.25 VHF
TV3 11 水平 224.25 VHF
iTV Live 29 垂直 535.25 UHF
Prime 33 垂直 567.25 UHF
TAB Trackside 47 垂直 679.25 UHF
マオリ・テレビジョン 51 垂直 711.25 UHF
TV Rotorua 59 垂直 775.25 UHF

脚注

編集
  1. ^ ナショナルジオグラフィック『絶景×絶景』日経ナショナルジオグラフィック社、2013年、7頁。ISBN 978-4-86313-211-5 
  2. ^ a b c Wises New Zealand Guide, 7th Edition, 1979. p383.
  3. ^ New Zealand Encyclopaedia 1966: Tapsell Biography
  4. ^ a b New Zealand Dictionary of Biography: Thomas Chapman
  5. ^ Climate Data”. NIWA. 2007年11月2日閲覧。
  6. ^ Sister Cities International Archived 2006年5月2日, at the Wayback Machine.

外部リンク

編集