ロバート・クリッペン(Robert Laurel Crippen、1937年9月11日-)は、テキサス州ボーモント出身のアメリカ海軍大佐アメリカ航空宇宙局宇宙飛行士である。スペースシャトルで4度飛行し、そのうち3度で機長を務めた[1]。2006年8月26日にジョージ・W・ブッシュ大統領から宇宙名誉勲章を授与された。

ロバート・ローレル・クリッペン
Robert Laurel Crippen
NASA所属宇宙飛行士
現況 引退
生誕 (1937-09-11) 1937年9月11日(86歳)
テキサス州ボーモント
他の職業 テストパイロット
階級 アメリカ海軍大尉
選抜試験 1969年NASA選抜試験
ミッション STS-1
STS-7
STS-41-C
STS-41-G
記章

フロリダ州マイアミ出身のパンドラ・リー・パケットと結婚しており、結婚前からの子供を含む3人の娘がいる。

教育と訓練 編集

テキサス州ニュー・キャニーのニュー・キャニー高校を卒業した後、1960年にテキサス大学オースティン校航空工学の学士号を得た[1]。彼はシグマ・ガンマ・タウのテキサス支部のメンバーであった。

キャリア 編集

クリッペンは、アメリカ海軍のAviation Officer Candidate School (AOCS) Programを通して任命された。1962年6月から1964年11月の海軍パイロットだった頃に、彼は何度も航空母艦インディペンデンスの第72攻撃飛行隊(VA-72)に配属され、A-4攻撃機に搭乗した。後にエドワーズ空軍基地のテストパイロット学校に通った。卒業後は、1966年10月に有人軌道実験室の計画に選ばれるまで、エドワーズ空軍基地に留まって教官を務めた。

彼は1969年9月にNASAの宇宙飛行士に選ばれ、スカイラブ2号スカイラブ3号スカイラブ4号のミッション及びアポロ・ソユーズテスト計画でサポートを務めた。彼は1981年4月12日から14日に行われた最初のスペースシャトルのミッションであるSTS-1ではパイロットを務め、その後のSTS-7STS-41-CSTS-41-Gの3度のミッションで機長を務めた。彼はスペースシャトルの最初の飛行を経験した上に、最初の5人飛行(STS-7)、最初の人工衛星修理(STS-41C)、最初の7人飛行(STS-41G)も経験している。バンデンバーグ空軍基地の新しいSLC6発射台から打ち上げられる予定だったSTS-62-Aでも機長に指名されたが、このミッションはチャレンジャー号爆発事故によりSLC6発射台が閉鎖されたことで中止になった。

クリッペンは海軍を引退し、1992年1月から1995年1月まで、ケネディ宇宙センターの責任者を務めた。彼の在任期間中に、センターは22回のスペースシャトルのミッションを成功させた。彼は1万3000人以上の職員を指揮した。彼はまた、最高の安全基準に合う新しい品質維持技術を開発して、25%以上の経費節減を行った。

1990年2月から1992年1月まで、彼はワシントンD.C.のNASA本部でスペースシャトル計画の責任者を務めた。NASA本部では、彼はスペースシャトル計画全体の要求、能力、予算、スケジュール、内容等を管理していた。彼は1987年7月から1989年12月までケネディ宇宙センターの副責任者を務めた。

クリッペンは、1996年12月から2001年4月までATKランチ・システムズ・グループの副社長を務め、スペースシャトルの固体ロケットブースターやその他の軍事用、民間用の固体燃料ロケットの開発に携わった。

ATKランチ・システムズ・グループに入社する前、彼は1995年4月から1996年11月まで、ロッキード・マーティン情報システムの副社長を務めていた。

出典 編集

外部リンク 編集