ロリス・レジアーニ (Loris Reggiani1959年10月7日 - ) は、イタリアフォルリ出身の元モーターサイクルロードレースライダーロードレース世界選手権で、主にアプリリアのマシンを駆って活躍した。

ロリス・レジアーニ
1992年日本GP
グランプリでの経歴
国籍 イタリアの旗 イタリア
活動期間 1980年 - 1995年
チーム アプリリアほか
レース数 158
優勝回数 8
表彰台回数 41
通算獲得ポイント 974
ポールポジション回数 5
ファステストラップ回数 8
初グランプリ 1980年 125cc ネイションズGP
初勝利 1980年 125cc イギリスGP
最終勝利 1993年 250cc チェコGP
最終グランプリ 1995年 500cc カタルニアGP
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経歴

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イタリアの国内選手権と並行して、1980年からミナレリのマシンでロードレース世界選手権125ccクラスに参戦を開始する。デビューイヤーに初優勝を遂げ、5回表彰台に立つ活躍を見せた。翌1981年にはシーズン2勝、アンヘル・ニエトに次ぐシリーズランキング2位の成績を残した。

1982年には最高峰500ccクラスにステップアップし、ロベルト・ガリーナのチームでスズキRGΓ500を駆った。しかしホッケンハイムで3位表彰台に立った以外は満足な結果は残せず、1984年には250ccクラスに戻ることになった。

1985年には、この年からグランプリに参戦を開始したアプリリアのマシンを駆った。ロータックス社製のエンジンを搭載したこのマシンで、レジアーニは2度表彰台を獲得、シリーズランキングは6位と、参戦初年度としては良好な成績を残した。

そして1987年、第12戦ミサノで、レジアーニはアプリリアにグランプリ初優勝をもたらした。イタリアのメーカーのマシンに乗ったイタリア人が250ccクラスで優勝を果たすのは、1979年グラツィアーノ・ロッシモルビデリで勝って以来のことだった[1]

その後レジアーニは1989年ホンダに乗った以外は、一貫してアプリリアに乗り続けることになった。1992年がレジアーニにとってのベストシーズンとなり、13戦中2勝、10戦で表彰台に立つ強さを見せ、ホンダのルカ・カダローラに次ぐシリーズランキング2位の成績を収めた。翌1993年にもアプリリアのエースライダーとしてヤマハの原田哲也、ホンダのロリス・カピロッシとタイトル争いを展開し、シリーズ3位に入った。

1994年からレジアーニは500ccクラスに復帰し、アプリリアのVツイン・380ccマシン(250ccマシン用のエンジンを拡大したもの)を駆ることになった。初年度は開発不足で苦戦したが、翌1995年にはコンスタントにポイントを獲得し、500cc4気筒勢に割って入る、シリーズランキング10位という成績を収めた。レジアーニはこの年をもって現役を引退した。

引退後はイタリアでのMotoGP中継でコメンテーターを務める等、ジャーナリストとしてグランプリに関わっている[2]

ロードレース世界選手権 戦績

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シーズン クラス バイク 出走 優勝 表彰台 PP ポイント 順位
1980年 125cc ミナレリ 6 1 5 0 63 6位
350cc ビモータ 1 0 0 0 4 21位
1981年 125cc ミナレリ 9 2 6 1 95 2位
250cc MBA 1 0 0 0 3 30位
1982年 500cc スズキ 5 0 1 0 21 13位
1983年 500cc スズキ 3 0 0 0 0 -
1984年 250cc カワサキ 5 0 0 0 6 22位
1985年 250cc アプリリア 8 0 2 0 44 6位
1986年 250cc ヤマハ 6 0 0 0 0 -
1987年 250cc アプリリア 13 1 5 1 68 6位
1988年 250cc アプリリア 13 0 0 0 44 13位
1989年 250cc ホンダ 12 0 1 1 52 11位
1990年 250cc アプリリア 15 0 1 0 63 13位
1991年 250cc アプリリア 15 1 4 1 128 6位
1992年 250cc アプリリア 13 2 10 0 159 2位
1993年 250cc アプリリア 14 1 6 1 158 3位
1994年 500cc アプリリア 6 0 0 0 7 24位
1995年 500cc アプリリア 13 0 0 0 59 10位
合計 158 8 41 5 974

脚注

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外部リンク

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