ヴァンセンヌ

フランスの都市

ヴァンセンヌVincennes)は、フランスヴァル=ド=マルヌ県コミューン。南部に接するヴァンセンヌの森は、パリに属している。パリの東にある。ルヴァロワ=ペレについで、人口密度は国内第2位の高さである。ヴァンセンヌ城がある。

Vincennes


行政
フランスの旗 フランス
地域圏 (Région) イル・ド・フランス地域圏
(département) ヴァル=ド=マルヌ県
(arrondissement) ノジャン=シュル=マルヌ郡
小郡 (canton) 小郡庁所在地
INSEEコード 94080
郵便番号 94300
市長任期 ローラン・ラフォン
2008年 - 2014年
自治体間連合 (fr) メトロポール・デュ・グラン・パリ
人口動態
人口 47,372人
2007年
人口密度 24,802人/km2
地理
座標 北緯48度50分52秒 東経2度26分21秒 / 北緯48.847778度 東経2.439167度 / 48.847778; 2.439167座標: 北緯48度50分52秒 東経2度26分21秒 / 北緯48.847778度 東経2.439167度 / 48.847778; 2.439167
標高 平均:m
最低:47 m
最高:69m
面積 1.91km2
Vincennesの位置(フランス内)
Vincennes
Vincennes
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歴史

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ヴァンセンヌの歴史は12世紀に始まる。ルイ7世がヴァンセンヌの森で大きな狩猟の催しを行い、休憩をとるための城を築くことを決めた。ルイ7世の後継者フィリップ2世は、城を拡張し壁で森を囲んで狩猟を行った。しかしヴァンセンヌが真に都市となったのは、聖王ルイ9世の時代である。彼はヴァンセンヌの荘園で過ごすことを好み、森の中の有名なカシの木の下で重要な裁断を下したが、1248年と1269年の2度行なった十字軍である。フィリップ6世は荘園を要塞化し、1337年には城中央に巨大なダンジョンを築いた。シャルル5世は1373年にダンジョンを完成させた。

イングランドヘンリー5世が摂政とされたトロワ条約後、1420年から城をイングランド軍が接収した。1436年、パリとヴァンセンヌからイングランド軍が撤収した。16世紀半ばになると、フランソワ1世がサント=シャペル礼拝堂 (Sainte-Chapelle de Vincennes) を復興させ、1552年に息子アンリ2世の代で完成させた。ジュール・マザランは、1661年に亡くなるまで10年以上、ヴァンセンヌとその城の造成に関するいくつもの計画を構想したが、マザランの死後、太陽王ルイ14世は宮廷をヴェルサイユへ移した。

17世紀終わりのヴァンセンヌは、王の出発によって逆説的な事態となった。農民がヴァンセンヌに定住したのである。1740年、ルイ15世の寵姫であったポンパドゥール夫人が後援して、ヴァンセンヌ焼の工房がつくられた。工房は1754年にセーヴルへ移った。

1929年、ヴァンセンヌの森をパリへ割譲したため、ヴァンセンヌの面積は以前の半分となった。

姉妹都市

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関係者

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出身者
居住その他ゆかりある人物

外部リンク

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