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一柳 直高(ひとつやなぎ なおたか)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての美濃国武将

 
一柳直高
時代 戦国時代
生誕 享禄2年(1529年
死没 天正8年7月2日1580年8月12日
別名 又右衛門[1]
戒名 宗栴[1]
氏族 一柳氏
父母 父:一柳宣高
直末、女(小川祐忠室)、直盛直道

生涯編集

美濃国厚見郡西野村(現在の岐阜県岐阜市西野町)を領する。はじめ斎藤氏に従属していたが、斎藤義龍の頃に斎藤氏を離れて織田信長に仕えた。一族の多くは羽柴秀吉に付属させられ、そのまま豊臣氏家臣となっている。

元亀天正年間(1570年 - 1592年)に顕如美濃国を巡教した際に帰依し、本願寺の門徒となったという[2]

天正8年(1580年)7月2日、52歳で死去[1]。墓所の傍らに寺が建立され、現在は本願寺岐阜別院となっている。

脚注編集

  1. ^ a b c 『寛政重修諸家譜』巻第六百三
  2. ^ 岐阜別院の歴史”. 本願寺岐阜別院. 2014年4月14日閲覧。

参考文献編集