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田道 /『前賢故実』より

上毛野 田道(かみつけの の たぢ、生年不詳 - 仁徳55年)は、仁徳朝の武人。大荒田別命の子で、兄に竹葉瀬がいる。

仁徳53年に新羅が朝貢を怠ったため、まず兄の竹葉瀬を詰問使として遣わし、続いて田道が兵を率い遣わされ新羅の兵を撃破した。またその時、四つの邑の住民を捕虜とし連れ帰っている。

仁徳55年、蝦夷が反乱を起すと田道が遣わされるが敗れ伊峙水門(いしのみと)で戦死した。従者は田道が手に巻いていた遺品の玉を妻に与えた。妻は悲しみ縊死した。後に蝦夷が田道の墓を掘り起こすと、その中から大蛇が現れ次々と噛み付きほとんどの者が死亡したという[1]

参考文献編集

  • 『日本書紀』・巻11、 仁徳天皇紀55年の記述

脚注編集

  1. ^ 工藤雅樹『蝦夷の古代史』吉川弘文館、2019年、P.71。

関連項目編集