上高野山村

日本の広島県比婆郡にあった村

上高野山村(かみたかのやまむら[1][2])は、広島県比婆郡にあった。現在の庄原市の一部にあたる。広島県最大の豪雪地帯[2]

かみたかのやまむら
上高野山村
廃止日 1955年1月1日
廃止理由 新設合併
上高野山村下高野山村高野町
現在の自治体 庄原市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 中国地方山陽地方
都道府県 広島県
比婆郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 3,384
国勢調査、1950年)
隣接自治体 比和町口北村、下高野山村
島根県仁多郡阿井村馬木村飯石郡吉田村
上高野山村役場
所在地 広島県比婆郡上高野山村大字新市
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地理

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江の川支流・神野瀬川の流域で、中国山地島根県と接する地に位置していた[2]

歴史

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  • 1889年(明治22年)4月1日、町村制施行により高野山村が発足[3][4]。旧村名を継承した新市、上湯川、下湯川、和南原、南、奥門田、中門田、下門田、岡大内、高暮、上里原の11大字を編成[3]
  • 1898年(明治31年)10月1日、郡の統合により比婆郡に所属[3][4]
  • 1902年(明治35年)6月20日、区域が広大で交通不便との理由で高野山村を二分割し、大字新市・上湯川・下湯川・和南原・南は上高野山村を、大字奥門田・中門田・下門田・岡大内・高暮・上里原は下高野山村をそれぞれ新設して廃止された[3][4]
  • 1922年(大正11年)電気点灯[2]
  • 1955年(昭和30年)1月1日、比婆郡下高野山村と合併し、町制施行して高野町を新設して廃止された[1][2]

地名の由来

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中世には多賀村と称し、山内氏庶流が多賀山内氏・多賀山氏を名乗り、それが地名に転訛したもの[3]

産業

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  • 農業、製炭[2]

交通

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県道

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乗合バス

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  • 1922年(大正11年)庄原~新市間運行[2]
  • 1928年(昭和3年)里道竹地谷線で運行[2]

教育

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脚注

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  1. ^ a b 『市町村名変遷辞典』214頁。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l 『角川日本地名大辞典 34 広島県』255-256頁。
  3. ^ a b c d e 『角川日本地名大辞典 34 広島県』493-494頁。
  4. ^ a b c 『市町村名変遷辞典』448頁。

参考文献

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関連項目

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